【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十六]  謎の多い役者・沢田ひろしさんにインタビューしました

謎の経歴。
謎のうまさ。

「大衆演劇の入り口から」連載も2年、初めて、“フリー”の役者さんのお話を聞かせていただきました!

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十六]  謎の多い役者・沢田ひろしさんにインタビューしました

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(劇団大川ゲスト出演時 椿裕二座長との【おさん茂兵衛】)

(本文より)
そんで劇団やめた次の月から、俺、紅(くれない)あきら劇団に入ったの。紅あきらさんがね、俺をめっちゃ可愛がってくれてたの。あきらさんて、めっちゃ人気あってね。「自分の劇団やめてお前どうすんの」「いや、別にどこも行くとこあらへんし」「ちょうどいい、お前来い」ってことになって。

――ご自分の劇団をやめたときに、役者以外の仕事に就こうっていう気持ちはなかったんですか?

毛頭ない。まだまだ俺は行けると思って(笑)。紅さんのところで2年半くらいお世話になったかな。あきらさんは、一言一句、事細やかにダメ出しをしてくれる人なんよ。すごい良い勉強やった。自分の我を通してたら、今、フリーで色んなとこお世話になってても、自分のスタイルに固執しすぎてもっと苦労してたと思う。結局ね、自分がキュウリであり続けたら、キュウリとして野菜サラダとかにしか使ってもらえないから。でも、キュウリは揚げ物にはならないじゃん。脇の役をすることにおいて、色んなことしたら邪魔になるから。ほんとに良い勉強でしたよ。

⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


沢田さんのゲスト出演日に合わせて、猛暑の浅草木馬館・劇団炎舞にダッシュ。
お忙しいゲスト日に応じてくれた沢田さん、そして沢田さんを大のご贔屓とする友人の助力に感謝✨

沢田さん…といえば、ハッと滴るような艶っぽさが知られるところだと思う。
↓記事のトップ画像にもした2016年2月の【傘ん中】。

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ツーっと目元に吸い寄せられるような色気…!

独特の引力のためか、私の周囲に沢田さんファンは多い。関西の友人の一人は、「ひろしネットワーク」なる沢田さん出演情報を交換する情報網を持っているほど…。関東にも近いうち、また来て下さるでしょうか。

誰のインタビューでも、録音を書き起こししていると新たに気づく印象が何かしら増えるのだけど。
沢田さんの終始やわらかな話し方は、聴いていると引き込まれて、まるでどこかへ手招きされているような感じ。
なんだか…大きな招き猫を想像した。
「難しいこと考えるより、まずお客さんが楽しめなきゃ」
かつて“化け猫”を演じた役者さんの、物語り。

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里見要次郎総座長 誕生日公演お芝居『中山峠 どさ帰り』―15年前の恋―

2017.8.6夜@後楽座
里見劇団進明座 ゲスト・澤村千夜座長、花柳願竜座長

お祝いムードに包まれた後楽座。里見要次郎総座長、お誕生日おめでとうございます!🎉
岡山は東京からは遠いけれど、この日は運よく出張で広島にいたため、足を伸ばすことができた(∩´∀`)∩



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・舞踊ショー前に「ビデオ・写真は固くお断りします」とアナウンスがあったため、舞台写真は遠慮しました。
・これからDVDなどで観る方も多いと思うのでお芝居後半の展開はぼかして書きますが、ちょっとでも内容を知るのが嫌な方はご注意くださいね。

『中山峠 どさ帰り』は大工の長次(要次郎さん)から、お美代(千夜さん)への15年に渡る恋の話――なのだけど。
ミソだなぁと感じたのは二人が元々恋人同士ではなく、言葉を交わしたことすらないということ。長次がお美代の姿を一目見て見初めただけなので、再会したとき、お美代は長次の顔も覚えていない。
「俺の一生はその女で始まり、その女で終わるような気がします…」
一方通行の想いは、男の人生を縛り付けるくびきのようだ。とても“独り”の恋。

なんだか、とっても大人の物語の造形という気がする。いいなぁ。
若者同士の甘い恋愛物もそれはそれで良さがあるけど…。陰影のある大人の芝居はいつまでも胸深くに残って、ふとした折に思い返すと新たに降り積もる。

冒頭では長次19歳、お美代15歳の設定。お美代は育ての両親に、借金のカタとして近江屋(女郎屋)に30両で売られそうになっている。やって来た長次は、両親に頭を下げて頼みこむ。
「俺は、勝手口でお美代さんが働いているところを見た瞬間、この人が俺の嫁になる人だと思ったんだ。どうか、俺の嫁におくんなせえ」
何度も懇願し、苦しい金子まで用立てても、けんもほろろに追い返される。ある夜、長次はお美代の父親・松蔵(里見直樹座長)ともみ合いになり、仕事道具のノミが松蔵の腹に突き刺さってしまった。
「人殺し~!」
断末魔の悲鳴を背後に、ほうほうの体で逃げようとする長次。
次に幕が開いたとき、舞台は15年後。股旅姿で現れる眼光鋭い男は、長い長い刑に服した後、やくざに身を落とした長次だった…。

てな具合に、女に惚れたために一大工の人生は狂ってしまった。大工からやくざへ、哀しい転身を演じる里見要次郎総座長はというと。
か…かっこいい…
青年だなぁ、と思った。このお誕生日で54歳になられたそうなのだけど、長次の風切る背・肩は晴れ空のように溌溂としている。
特にやくざになってからの一場面。歳月を経て再会したお美代の身の上話を、腰かけて聞いている姿。伏せた目、結んだ唇に想いをじっと閉じ込め、今にも躍動しそうな身体は股旅装束にピタリ包まれている。
「陽介さん(お美代の夫)を助け出すなら、目籠を破るしか道はねえ」
うへぇかっこいい~…。

その晴れ晴れとしたかっこよさが崩れる、場面二つが強く焼きつく。
一つは松蔵を殺してしまった後、長次が必死で逃げ出す場面。焦燥に目と口をぽっかりと開き、荒い息を吐きながら、もつれる足で花道を走っていった。歯車の狂った人生を転がるように。
二つ目はラストシーン。花道を歩み去る長次の目は、まっすぐ前を見据えているのだけど、虚ろだ。大きなくびきを失った人の姿。

そして要次郎さん長次に青年の明るさが宿っている分、千夜さん演じるお美代の影が均等に生きる!
影、といっても序盤は普通の町娘なので純粋に可愛い。女郎屋に売られる直前の場面、家の外に連れ出されたお美代は、松蔵に追い払われた長次が川にドボンと突き落とされるのを目撃する。目を丸くして慌てて、
「おっかさん、あの人、大丈夫かしら」
自分が叩き売られるっていうときに他人を心配している、おっとりしたお嬢さん感がやわらかだ。

15年後、再登場したお美代は商家の女将になっていた。無実の罪で佐渡送りになる夫・陽介を、必死で助けたがっている。
「せめて佐渡に向かう船が出るまで、陽介さんを追って行こうと旅をしているのです」
可憐な娘から大人へ姿を変え、声色もしっとり。貞女の役どころながら、どこか艶が枝垂れる。
身も心も成熟したお美代に、長次が漏らす。
「俺は、お前さんに心から思われている陽介さんとやらが、心から恨めしゅうござんす!」

しかし、観ながら疑問に思う。女郎屋に売られたはずのお美代が、どうして商家に嫁いでいるのか…?
その答えは最後の最後に出てくる(ネタバレ防止🙊のために詳細は伏せます)。暗闇に立ち、長次を見下ろすお美代の姿。
「そうかい、あたしは変わっちまったかい?」
軽い口調の背後に、ドロッと湿った花が暗くひらく。

娘⇒大人の女への変化だけでも、千夜さんの女形の二つの顔を味わえて十分オイシイのですが。終盤、抑えられていた本心を一気に放出させる女の顔は、圧巻のエネルギーでした。

書きながら思ったけど、要次郎さん×千夜さん、二人の演者はどちらも生命力が強い。ここに役の性質も加わって、陽×陰を感じさせる組み合わせだった。
ほかにも花柳願竜さん演じる宿屋主人・源兵衛の何か秘密のありそうな感じや、進明座の若手さんたちのイキのいい動きなど、役者さんみんなが要次郎さんを中心にまとまっていた。

役者さんの肉体と声の中に、物語の芯が浮かび上がる。
恋人同士の甘いラブストーリーとは真逆。言葉も交わしたことのない女、心に描いた恋のために大工は罪を犯した。
だからこそ彼の時間は、勝手口でお美代を見初めた、そのときで止まっている。
恋という感情の核には限りなく“独り”の執着心が疼いているという苦味が、終盤の長次とお美代の噛み合わない会話から滲んでくる。

その中で長次の噛みしめるようなセリフが象徴的だ。
「15年前のお前の姿を、俺は忘れはしねぇ」
目線はお美代ではなく空を見ている。想いはもはや現在の相手を通り過ぎ、失われた過去へ向かう。

「あたしにとっては、この15年、この世のすべてが地獄だった」
「19のときに人を殺めちまってから、どれほどの地獄を味わってきたことか…」
長い地獄の中で、繰り返し明滅する、逃れられない過去の一点。

15年前に、恋をした。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から [其之二十五] そうだ、遠征しよう!~なぜ私たちは舞台を追うのか~

連日、猛暑ですね。
夜も汗ばむ熱気の中、新宿バスターミナルへ向かうときの何とも言えないワクワク感――
前から書いてみたかった切り口で、コラムを書かせていただきました。

【SPICE】大衆演劇の入り口から [其之二十五] そうだ、遠征しよう!~なぜ私たちは舞台を追うのか~

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↑バスタ新宿の画像を見るだけで高揚する…。

(記事冒頭)
「日本って狭いねえ…」
この言葉をこれまで何度聞いただろう。月ごとに移動する劇団を追いかけて、四国の劇場でバッタリ会った東京のファン。演目が発表された瞬間、スマホに指を走らせて大阪の宿を取った友人。大型連休、ファン仲間のグループLINEに「大阪着いた」と投稿すると「特選狂言観たくて神戸」「名古屋で○○劇団観る」と誰一人地元に残っていなかったときもあった。

“遠征”は、大衆演劇を語る際に外せない文化の一つである。

⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


地元観劇ももちろん楽しいけど、遠征の楽しさは格別。
だって完全に日常を離れて、仕事も家事もしなくてよくって、観劇しかやることがない状態!
…ええと、書いてみて、今の言葉の多幸感がすごいのでもう一度。
観劇しかやることがない状態!なんです。

大衆演劇にハマって5年、その間に一体何十回遠征していることか、考えるだけで恐ろしい💦 けど一つ一つに忘れられない思い出が焼き付いている。
5年前、長野・松代ロイヤルホテル、芝居の興奮冷めやらぬまま、友人と夕焼けの中でレンタル自転車を漕いだ。
4年前、初めて降り立った大阪、うだるような猛暑の中、オーエス劇場へ向かった。
3年前、台風が直撃した日、迂回の列車を使用してなんとか大阪入りし、浪速クラブに駆けつけた。
2年前、お外題を見て夜行バスを衝動的に押さえ、堺東羅い舞座へ走った。
昨年、月に3回の梅田呉服座という大冒険に出た(これはさすがにもうできないな…)

大好きなことだとはいえ、金銭的にも体力的にもすり減らないわけじゃない。
周囲の大衆演劇ファンも簡単なことのにようにヒョイと県を飛び越え、本州を飛び越えていくけど…
実は、それなりの工夫と努力の上に遠征しているのではないだろうか。

普段の買い物を節約したり。
しんどい身体をガマンしたり、夜行バスの堅いシートに慣れさせたり。
家庭のある人なら家族の面倒も見て。
各々の抱える事情をどうにかこうにかして、ようやく劇場に辿り着く。

「よう来たな~!」
と役者さんが遠方から来たファンに陽気に声をかけているのを目にする。
うん、本当にそうだなぁ。
みんな、よう来たなぁ…

今回の記事、Twitterでの反応を見ていると、商業演劇や小劇場、ミュージカル、歌舞伎、宝塚など大衆演劇ファン以外の方にも「わかる~」という共感を示していただいた。嬉しや…m(_ _"m)
ジャンルは違えど根本の動機は同じなのだと思った。
どうしても観たかった舞台がそこにあるから、という。

そう、お財布の痛みも身体の痛みも、圧倒的な舞台の前では取るに足らないことになる。
だからこの言葉を幸福いっぱいにつぶやくのです、これからも。

「来れるじゃん!」

やっぱりこれは、数百キロの距離を「すぐそこ」にする魔法の呪文。

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いつか止む雨 ―あんなもの、と誰かが言った―

「その扱いは、大衆演劇の役者さんだから、ってことですか」
先日、ある役者さんに思わず聞き返した。彼が商業演劇に出演した際の、落とし穴に足を滑らすような想定外の不平等を聞いて。うん、と頷くその人の目がぱちぱち瞬いて。何を見ていたのか今もわからない。

“「どうして私たちが大衆演劇の役者さんと同じ舞台に立たなくちゃいけないの」”
1980年代。松井誠さんは、出演したイベントで共演の歌舞伎役者がそう言うのを聞いたという。
“ああ、なるほど大衆演劇はそういう見方をされているんだなと痛感しました”
(『演劇グラフ』2010年2月号 新春特別対談)

時代は変わった。現代ではもちろん、同じ舞台人としての敬意を持った交流のほうが多いだろう。商業演劇の俳優さんが大衆演劇の舞台にゲストとして出演したり、お互いのブログに友人として登場したりする、温かな光景もよく見る。

だから、冒頭のようなエピソードを聞くと足が止まる。身の回りには大衆演劇ファンや、大衆演劇を発信しようと尽力している人々ばかりなのに…。いや、もしかすると、自分の日常がこの界隈に浸かりすぎているんだろうか。
まるで居心地の良い洞穴を出たら、外は雨が続いていたような気分だ。目を凝らすと、降ってくるのは尖った言葉の断片。

「すごく役者を大事にしてくれる四国健康村みたいなセンターは、また乗りたいなって思いますよね。いや、たまに、ほんとに役者をバカにしてる所とかあるんですよ! そういう所ではやっぱり、なんだテメェって気持ちになっちゃったり…」
穏やかな人柄に珍しく、荒い口調を見せた役者さんを思い出す。

“学校に行けばいじめの対象だったもの。白粉くさいとか、オカマとか”
(橘小竜丸太夫元座長<橘小竜丸劇団> 2015年9月SPICEインタビュー)

“大衆演劇の役者なんか出入りするとそういう人たちが多くなるから嫌だ、とかさ。そういう声だってあったわけよ”
“意外とね、近所の方ってね、人の目があってね、行かないんですよ、どういうわけか(笑)なんつうんだろ、大衆演劇に対して偏見がある”
(劇場近くの喫茶店のマスター 2016年5月SPICEインタビュー)

冷たい雨の中を歩く。気づくと、足元に古い立て札が突き刺さる。
“物乞いと旅芸人は村に立ち入るべからず”
川端康成の『伊豆の踊子』の一場面。あの小説の舞台はたしか、大正時代だったはず。

“ほんとに役者をバカにしてる所とかあるんですよ!”
平成の世、表向きは芸能人かアイドルのように誉めそやされていても、時折声をひそめて裏側が翻る。
所詮はあんなもの、と。
いわゆる、ちゃんとした演劇じゃあない、と。
この世はまだそんなところに在ったのだ…。

大衆演劇の役者さんの中にも、自嘲的に語る人がいた。その声が濡れた土の中でむくりと起き上がる。
「俺たちの業界がずっとやってきたような芝居ってさ、これ演劇って言えるか? 宴会芸だよ」

――目を覚ますと芝居小屋の中にいる。LEDの光の下、豪華絢爛な花魁衣装に歓声が上がる。
旅芝居の舞台はあっけらかんと続いている。世間と隔絶されたかのように。それでも芝居小屋の屋根には、どこかから冷ややかなまなざしが突き刺さっているんだろうか。驟雨の中に目をこらすと、立て札の木片がぼんやりと現れるんだろうか…。

無題

ひとつのセリフが目の前で飄々と披露され、消える。
誰かがバカにしようとも、大衆演劇には芝居がある。舞踊がある。どんなに小さなセンターの宴会場でも、舞台に打ち響く芸がある。

舞台が大好き、という気持ちが体に弾けている若い役者さん。
心深くをすくい取って発露させる女優さん。
年輪豊かな大木のようなベテランさん。
私たちは彼らを知っている。
その親の代も祖父母の代も、長い間、蔑視をするりと抜けてきた芸を。

舞台の上の人々は、相手の役者との掛け合い、そして今日のお客さんの心をどう動かすかという一点に集中している。そこにかけがえのない喜怒哀楽が編み出されるとき、外の無知な嘲りは関係ない。空っぽな優越感など眼中にない。
「川北長次の親分さんは、日の本一の…」(『遊侠三代』)
背後から掛かるセリフに合わせて、座長が花道に踏み出す。間髪入れずに「座長!」とハンチョウが飛ぶ。小さな小屋の中、役者と観客が完全に一緒に浮上する瞬間、胸の奥がたしかに晴れていく。

これぞ庶民のための芸術だとか、演劇の根源がここにあるとか、そんなヨイショではない。
大衆演劇は大衆演劇だ。ずっとそこにあって各土地で人々を楽しませてきた。人々の笑顔、涙、興奮の汗粒の数。それら、はにかんだ歴史の層の一枚一枚が客席に打ち寄せてくる瞬間があって、ああ、この芸能が取るに足らないものであるはずがない…と教えてくれる。

“大衆演劇ってずっと無くならへんと思うんですよ”
(大川良太郎座長<劇団九州男> 2017年5月SPICEインタビュー)

将来も大衆演劇は変わらない顔をして、シレッと、にぎやかに続いていくのだろう。世間の言葉足らずな人々も、いつか旅芝居を真正面から見るだろう。
そのとき、この雨も止む。

雨の中に、こっそり一冊の本をかざす。今から45年前に出版された『旅芝居の生活』 (村松駿吉著、雄山閣)。明治~昭和初期の旅役者の生活をイキイキと描いた名著で、個人的バイブルの一つ。先日久々に読み返したら、ブルリとした文があった。

“旅から旅の放浪生活をしていても、無気力ではない。生きていくためには、どこで、なにをしていても苦しまなければならないことを知るのはしぜんであって、その生きるための、たとえ掛け小屋の舞台ででも、自分の芸に観客が喜怒哀楽の情をあらわにしてくれることに、生き甲斐をおぼえるための努力はする。それが唯一の、そして無二のたのしみなのである。”

唯一の。
そして無二の。

チョン!と芝居が始まるとき。
あの小さな舞台に、晴れ間が差している。

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劇団天華お芝居『林蔵』―この世の“向こう側”―

2017.6.3@大江戸温泉物語ながやま

目がきゅうっと上を向く。
口から血を噴き出して、なにか魂的なものが飛び上がっていく。
その先は?
林蔵が身体を半分突っ込んでいる、はみ出した世界の先には?

澤村千夜座長の演技を観るとき――どきりとするのは、たまに人物が正気をふっと逸してしまうような瞬間があるからだ。『お銀片割れ月夜』で子どもに戻ってしまうお銀ちゃんしかり、『お梶藤十郎』で狂った嗤いを見せるお梶しかり…
感情が尖りすぎて針みたいになって、ゆらゆら揺れる。“こちら”と“向こう側”の間を。
『林蔵』もまた凄絶に死にゆく中で、その狭間に落っこちていくのではないか…?


澤村千夜座長 歌の後の挨拶より

※ラストシーンは避けて書いていますが、少しでもネタバレ嫌な方はご注意下さいませm(_ _”m)

はるばる石川まで行った最大の収穫は、千夜さんの演じる『林蔵』を観られたこと! Twitterやファンの方のブログで、感想を読むたびいいなぁと思っていた。だから石川行き夜行バスの中で、ファンの方がTwitterに載せてくれたお外題表を見て、ついに…!私にもこの日が…!と震えた。

色んな劇団さんが演じられる『林蔵』、私はこれまで観たのは3劇団くらい。老いた哀愁が見どころの一つとはいえ、基本的な人間像は大親分だ。任侠らしく眼光鋭い林蔵には、それぞれの役者さんの美しさがあった。

でも千夜さんのは、かなり人間味が濃くて愛嬌寄り。10年ぶりに島から娑婆へ戻って来た林蔵が、真っ先に会いたがるのは娘・お花。
「俺が島に入ったとき、お花は五つ、六つだったろ、ていうことは今頃十五、十六のはずだ」
娘に会う前にうきうきと髪の毛整えたり。早く娘の待つ上尾に帰りたくって、出された食事を食べるヒマも惜しく、包みにぽいっと放り込んだり(ここ、大変キュート!)。

でも前日の口上で「明日は血反吐を吐いて死にます」と話していた通り(なんたるストレートな物言い)、終盤は惨い展開になる。
林蔵は、屋根屋の親分(澤村龍太郎さん)と子分(澤村悠介さん)に斬り刻まれる。なんとか屋根屋を返り討ちにするも、すでに半死半生。視力が弱まっているのか、立つこともままならない状態で床を這いながら刀を振り回す。このあたりから林蔵の姿は一種の怖さを帯びてくる。

血を吐き出し、体が跳ねて倒れる。死んでしまったんだろうか…?と思いきや。突然、目がぎらっと開き、腹から血をこぼしながら立ち上がる。
「おとっつあん!」
お花(澤村神龍副座長)が帰ってきて、父娘の再会の場面。臓腑の破れた林蔵は、娘に看取られてようやく目を閉じる。
と思ったら観客の眼前で、再びガバッと体が跳ね上がる。そのときの目。きゅっと上を向いて、白目がせり出す。愛しい娘でもなく周囲でもなく、死んでいく者はどこを見ているのか…。

気力だけで立って、崩れて、這って、娘に土産として買ってきた着物の包みをずるりと開く。
「おとっつあん、ほら、似合う?」
お花は涙こらえて、着物を着て見せてやる。娘の姿を見届けて、林蔵は心底嬉しそうに笑う。――そして再び血を吐く。
観客の目に常軌を逸した“向こう側”が見え隠れするのは、血糊を大量に使っている生々しさのためだけではなく…。

「10年の島暮らしで、俺は心身ともに弱っちまった。昔は刀の2、3本ぶちこんでも、ふらついたりはしなかったが…」
中盤、林蔵が子分の勇蔵(澤村神龍副座長・二役)から刀を渡されたとき、重みにふらついてつぶやくセリフ。全体を通して象徴的な言葉だ。

死んでいく林蔵の全身に満ちるのは、弱くなった自身への無念。世話してやった屋根屋に裏切られた憤怒。そして最愛の娘を前にして、お花、と呼びながら生にしがみつこうとする執念。
目をカッと見開いて、青いライトの下――千夜さんの痩せ型の体を突き破っていくのは、この役者さんに独特の過剰なまでの何かだ。歯を噛みしめて、きりきりと、この世から振り落とされていく者の悲憤が尖る。

せめてもの救いは、死の間際に娘がいること。兄弟分の清水次郎長(澤村丞弥さん)や、お蝶(喜多川志保さん)も駆けつける。
今までいずれの劇団さんで観た『林蔵』も、こんな風に愛する者たちに看取られて死ぬ幕切れだった。観ながら、林蔵の人生は悪いものじゃなかったんだと思えるところに芝居としての救いがあった。

だけど天華版の最後の最後は――。
ウ…と細く漏れる林蔵の嗚咽。舞台はこちらの安易な救いをはねのけ、刃物のような孤独に貫かれる (未見の人に体感していただきたいので書くのは避けますが、本能的に怖い演出でした) 。

さて、石川は6/2~6/4で行って参りました。突然の人員減の影響で、劇団としてはつらい状況にあったようでした。『林蔵』で神龍さんが二役されていることからも人手が足りていないのがわかるし、裏方は大変なんてものではないという。

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↑口上では座長が座員さんをねぎらう光景も。志保さんに対して、本来なら大幹部と言うべき立場、出番を終えたら楽屋でお茶でも飲んでいていい方なのに、人が足りないので着付けから幕まで走り回らせてしまって申し訳ない…と。
すると志保さんニッコリ、「立ってる者は親でも使えと申します」。さすが💕

3日間、当たったお芝居は『三浦屋孫次郎』(6/2)『林蔵』(6/3)『三人出世』(6/4)の3本。死に物狂いの舞台裏、けれど表に見える芝居は、なぜだか以前より役の気持ちがすっきりと一本化され、その分濃くなったように感じられた。

これまでやってきた芝居は決して裏切らない。
どんなときも。

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【風の盆恋歌】より(6/2)

追記:
拙ブログにいただくコメントやTwitterの反応を見ると、役者・裏方志望の学生さんや、他ジャンルの演劇経験者の方も時々読んで下さっているようなので…(ありがとうございます!)
劇団天華さんでは座員を募集されているとのことです。千夜座長が口上、Twitterで告知されていました。⇒千夜座長Twitter
特に女優さんが今いらっしゃらないようです。情報共有まで。

【劇団天華 今後の公演予定】
6月 大江戸温泉物語ながやま(石川県)
7月 高槻千鳥劇場(大阪府)

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