お洒落心と観劇の話

あ、あのお客さん、素敵なボルドーの帽子。
隣のお連れの方も、凝った柄のスカーフだ。
かと思えば、目を引く藤色の着物のご婦人が、予約席にしずしずと腰を下ろす。
買ってきた飲み物を手に座椅子の間を通る、若い女性客の白いワンピースが眼前で揺れる。
開幕直前の観客席、期待にざわつく中で。
ひしめきあっているのは、とっておきの色ばかり。

お芝居見物のために、いそいそとお洒落をする女性客。
演劇の歴史の片隅、いつでもあったであろうその姿に、私は心惹かれてやまない。
大衆演劇鑑賞というハレの空間には、一番好きな服を着て、一番好きな帽子を被って。

私自身、劇場やセンターに行くときには、とりわけお気に入りの服を、箪笥から引っ張り出してきたりするのです。
それに今の時期なら日傘も忘れちゃいけない。

このお洒落心に火を付けるものは何なのだろう。
好きな役者さんの前で、好きな格好をしていたいから?
そりゃ、そんなミーハー心もないわけじゃないけど。
お目当ての役者さんの目に、一瞬でも映るかもしれないから?
膨らみ気味の自意識は、確かにあるのだけど。

でも、色とりどりのお洒落心が、互いに囁き交わすように座敷に並んでいるのを見ると。
私の胸には、美しいものを愛する女性たちの、心の細やかさが流れ込んでくる。

隣の席の彼女は、普段はしない花の形の髪飾り。
前の席の彼女だって、すこうし多めに白粉はたいて。
ほら、幕が開いた。
スポットライトの下、極彩色の夢が始まる。

写真・とある日の篠原演劇場


濃いお化粧を施した役者さんたちが、近そうで遠い夢幻から観客席を見下ろす。
お芝居、歌芝居…私の大好きな物語の世界から、いつでもない時代の香りをまとってふいと現れる。
ああ、なんて艶やかなんだろう。
身を削るような現実と比べて、なんて美しいんだろう。
そういうショービジネスだからね、と冷静な声も開幕前までは少しは頭にあったのだけど。
観劇が始まれば、心は舞台の上の美に焦がれるばかり。

あんなに綺麗な人たちの、
あんなに綺麗な夢舞台。
その夢に、自分自身が恐る恐る顔向けできるように、
送り出しのとき掌に伝わる憧れに、少しでも恥ずかしくないように。

女性たちが被った帽子は、白粉は、夏色の羽織りは、夢に対するうやうやしい吐息であるように私には映るのだ。
かすかにでも、あの美の世界に重なるための。
わずかにでも、近づくためのまじない。

観劇仲間の一人は、いっとう好きな役者さんに会える遠征の日、大人びて見える黒のワンピースをまとっていた。

美しいものを愛する、あなたの心が美しい。
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