2022年 私のお芝居3本~生きてる女
“女が死ぬ。プロットを転換させるために死ぬ。話を展開させるために死ぬ。カタルシスを生むために死ぬ。それしか思いつかなかったから死ぬ。ほかにアイデアがなかったから死ぬ。というか、思いつきうる最高のアイデアとして、女が死ぬ。”
松田青子『女が死ぬ』(中央公論新社)
今年、人にお勧めしていただいて読んだ小説の冒頭です。何度読んでも、ハッと打たれる名文です。それはこの文章が、長年「ドラマティック」とされてきた物語の力学から、涙のベールをはぎ取り、「記号」の姿を顕わにしてしまったからだと思います。
妻や恋人が死ぬことで、怒れる主人公(男)が真の強さを発揮するというストーリーは、世界中に溢れています。大衆演劇の演目の中にも、たくさん。このストーリーには根強い人気がありますし、とてもよくできていて、中には自分もその完成度が好きなお芝居もあります。
でも、劇中で女性役の性格や、こだわりや、信念が描かれることなく、ただ主人公に尽くしてくれる女が死ぬという「記号」的役割に終わってしまうと、物語の熱狂からふと冷めてしまう。あえて穿った言葉を使うと、女性役が復讐の炎を焚くための「薪」のように見えることがあるのです。
でも、大衆演劇には変化を恐れない人々によって、いつも新しい風が吹いています。昨年はベスト芝居3を選んだら、自分の中では「男らしさ」をめぐるラインナップになっていました。今年は心に刺さった3本を選んだら、「女」をめぐるラインナップでした。
生きている女の、話をしましょう。
※注意:ここから先は、わりとしっかりネタバレを含みます。
※各芝居の「結末」「意表をついた演出」には触れません。
↓↓↓
1本目 劇団美山『木蓮』5/28@篠原演芸場
里美京馬副座長襲名&誕生日公演
原作:三日月姫さん 潤色:渡辺和徳さん 企画:日本文化大衆演劇協会「新風プロジェクト」

2022年の大衆演劇界を振り返ると、「新風の始まった年」と後から言われたりするのかな。篠原演劇企画さんによる「新風プロジェクト」(略して「新風」)では、完全書き下ろしの新作芝居の数々を楽しみました。劇団、出演者、原作者、潤色者それぞれのすごさはもちろん、勇気ある箱組みが用意されなければ、成立しなかった芝居たちです。「新風」成立に関わる人々に、あらためて敬意を示します。
『木蓮』は、一般公募脚本の中から選ばれた作品。原作のどんな苦労の中でも希望の差す方へ歩いていこうとする力強さと、潤色の鮮やかな言葉が立ち上げる世界に、今年一爆泣きしました(比喩でなくタオルが湿るまで泣いた)。
このお芝居で私が新鮮に感じたのは、主人公ごん太(里美京馬副座長)と女性キャラクターおきよ(中村美嘉さん)の関係性です。おきよは居酒屋を営みながら、常連客であるごん太のことを気に掛けます。ごん太はおきよに亡き母の面影を重ねていますが、母代わりではなく、やっぱり他者の距離があります。ごん太とおきよは、お互いの素性も詳細には知りません。ただ、居酒屋という限られた時間、限られた空間の労わり合いがすべて。
おきよは、ごん太に命がけの意見をします。演じた美嘉さんの真摯さが光っていました。下手にごん太、上手におきよ。そのときの場面、「男女」ではなく、「人間同士」のただ二人として向き合った絵が、私の目に焼き付いています。
お芝居全体の尺から見ると、おきよの登場シーンは決して長くありません。けれどごん太や、おきよの息子・新吉(こうた座長)が母を思い出す様から、おきよが居酒屋で料理したり接客したり、生き生きと存在していたことが蘇ってくる、温かな構造を持っていました。


当日のラストショー
ごん太役の京馬副座長は、口上では奔放なキャラクターで面白い一方、彼のお芝居は「役にどう向き合うか」「客席にどう伝えるか」が観れば観るほど丁寧だなぁと感じます。「京馬祭り」は構成からして観客へのサービス精神の固まりで、めちゃくちゃ楽しい!
『木蓮』上演時の感想はこちら
2本目 劇団美松『桜姫東文章~桜花繚乱愛憎輪廻』7/24@浅草木馬館
今年このお芝居を見た後、「憑りつかれた」と感じました。市川華丸さん演じる桜姫に憑りつかれてしまった。

6/19お誕生日公演での一枚。
かどわかされて庵室にやって来た桜姫は、ひとりになるとすぐ、鏡を見て髪を整え始めます。自分は人生初の『桜姫』が美松さん版だったので、桜姫の行動に(誘拐されてる状況ですごいな)と思ったのですが、この場面の華丸さんは痺れるほど魅力的でした。
舞台の上に、鏡をのぞき込む桜姫ひとり。鏡の中の“私”ひとり。身分がなくなっても、売られても、周りが粗末な庵でも、実は後ろに清玄の死体が置かれているグロテスクな状況でも、“私”を侵すことはできません。
――私、まず、好きな人に会うために髪を直したいです。そうします。
華丸さんは劇団菊のメンバーで、美松さんに参加中です。その女形の吸い込まれる魅力は、なにか言葉を探そうとしても、あのひんやりした笑みに溶かされて、最終的に華ちゃん可愛い(><)しか言えなくなってしまう、驚異の18歳。
また、演出は松川小祐司座長でした。清玄/権助二役も務めていました。

小祐司座長の演出は、1月のお誕生日公演の『日本橋』や7月の木馬館の『鶴八鶴次郎』も観て、言葉や所作をじっくり味わう時間を与えてくれるのが、心地良かったです。きっと自分の作家性ゴリゴリにすることもできるのだろうけど、ちゃんと観客の様子を見て、徐々に物語に入って来るのを待ってくれる。『桜姫』も、華丸さん桜姫・座長の清玄/権助に絞ってクローズアップしてくれるので、お話が散らばらず、濃厚な桜色の世界が抽出されていきました。
上演後一週間は余韻の中でボーーーッとしつつ、渡辺保さんの「桜姫と世界」(『演劇界』2021年7月号)を読んだりしていました。あの日木馬館の舞台に広がった世界を、自分の体から離すのが惜しかったんだと思います。新年にも大衆演劇とは別ジャンルの『桜姫』を観に行く予定があり、自分にとって『桜姫東文章』の入り口になった劇団美松版には、とっても感謝しています。

華ちゃん可愛い(><)
3本目 劇団美鳳『涙に濡れた峠道~父と娘と酒と傘』11/27@ゆあみもさく座
奇抜なキャラクターや設定を出さなくても、場面の一枚、台詞の一つを研ぎ澄ませると、お芝居はこんなにも心に沁みるものになる。
美鳳さんの新作はそのことを教えてくれて、打ちのめされた一本でした。

脚本を書かれた一城静香さん
島抜けしてきた男(紫鳳友也座長)が帰ってきたものの、娘(一城静香さん)の心に傷がつくから、親子名乗りはしないでほしいと妻の父に懇願されます。真実を明かさないまま、男は娘とのひとときを過ごそうとしますが…。
娘は年頃と言われる年齢になっていますが、頭は幼い子どものまま。でも、男が食事をしているのを見て「おとっつあんのお茶碗を使ったらダメ」と激しく怒ったり(義父を実の父だと思っている)、父娘の時間を作ってやろうとする周りの大人たちの心遣いで、酒を持って行ってほしいと頼まれると、「重たいから嫌」と渋面を見せたり。たとえ頭が他の娘たちと違ったって、彼女にはちゃんとプライドがある。この女の子を「無垢」という記号で済ませないぞ、という筆の意志を感じる描写でした。
終盤、父と娘が二人きりで向き合います。ここの台詞のやり取りがめちゃくちゃ泣ける。泣けるけど、どこか清々しい。雨の描写や酒の重みがありありと伝わってくる、演技も秀逸でした。あくまで軽やかに、楽しげに花道を駆けていく静香さんの姿は、「父の悲劇」の花飾りとしての娘像を脱け出して、彼女の人生がこれからも続いていくことを思い描けるものでした。
静香さんの脚本、私はこの作品が初めてだったのですが、他にもたくさんの名作があると聞いています。また是非に、拝見したいと思っています。

紫鳳友也座長。ザ・美声の持ち主。芝居冒頭で、島で見ていた娘の夢について語るときの声、ドラマの立ち上がりにふさわしい立体感でした。
3本とも、2022年に各劇団の「新作」として初めて舞台にかかったお芝居。そこに描かれた女役たちがパワフルだったことは、何でもありな大衆演劇の、無限の可能性を示しているように思えてなりません。
泣いている女の、話をしましょう。
笑っている女の、話をしましょう。
怒っている女の、話をしましょう。
同時に男も、どちらでもない性別も、舞台でのあり方が広がっていくことを願いながら。
皆様、良いお年を!!
ちょこっと似たテーマで今年6月に書いた文
女は、本当は ―6月の『ふるあめりか』と『雪の渡り鳥』―

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松田青子『女が死ぬ』(中央公論新社)
今年、人にお勧めしていただいて読んだ小説の冒頭です。何度読んでも、ハッと打たれる名文です。それはこの文章が、長年「ドラマティック」とされてきた物語の力学から、涙のベールをはぎ取り、「記号」の姿を顕わにしてしまったからだと思います。
妻や恋人が死ぬことで、怒れる主人公(男)が真の強さを発揮するというストーリーは、世界中に溢れています。大衆演劇の演目の中にも、たくさん。このストーリーには根強い人気がありますし、とてもよくできていて、中には自分もその完成度が好きなお芝居もあります。
でも、劇中で女性役の性格や、こだわりや、信念が描かれることなく、ただ主人公に尽くしてくれる女が死ぬという「記号」的役割に終わってしまうと、物語の熱狂からふと冷めてしまう。あえて穿った言葉を使うと、女性役が復讐の炎を焚くための「薪」のように見えることがあるのです。
でも、大衆演劇には変化を恐れない人々によって、いつも新しい風が吹いています。昨年はベスト芝居3を選んだら、自分の中では「男らしさ」をめぐるラインナップになっていました。今年は心に刺さった3本を選んだら、「女」をめぐるラインナップでした。
生きている女の、話をしましょう。
※注意:ここから先は、わりとしっかりネタバレを含みます。
※各芝居の「結末」「意表をついた演出」には触れません。
↓↓↓
1本目 劇団美山『木蓮』5/28@篠原演芸場
里美京馬副座長襲名&誕生日公演
原作:三日月姫さん 潤色:渡辺和徳さん 企画:日本文化大衆演劇協会「新風プロジェクト」

2022年の大衆演劇界を振り返ると、「新風の始まった年」と後から言われたりするのかな。篠原演劇企画さんによる「新風プロジェクト」(略して「新風」)では、完全書き下ろしの新作芝居の数々を楽しみました。劇団、出演者、原作者、潤色者それぞれのすごさはもちろん、勇気ある箱組みが用意されなければ、成立しなかった芝居たちです。「新風」成立に関わる人々に、あらためて敬意を示します。
『木蓮』は、一般公募脚本の中から選ばれた作品。原作のどんな苦労の中でも希望の差す方へ歩いていこうとする力強さと、潤色の鮮やかな言葉が立ち上げる世界に、今年一爆泣きしました(比喩でなくタオルが湿るまで泣いた)。
このお芝居で私が新鮮に感じたのは、主人公ごん太(里美京馬副座長)と女性キャラクターおきよ(中村美嘉さん)の関係性です。おきよは居酒屋を営みながら、常連客であるごん太のことを気に掛けます。ごん太はおきよに亡き母の面影を重ねていますが、母代わりではなく、やっぱり他者の距離があります。ごん太とおきよは、お互いの素性も詳細には知りません。ただ、居酒屋という限られた時間、限られた空間の労わり合いがすべて。
おきよは、ごん太に命がけの意見をします。演じた美嘉さんの真摯さが光っていました。下手にごん太、上手におきよ。そのときの場面、「男女」ではなく、「人間同士」のただ二人として向き合った絵が、私の目に焼き付いています。
お芝居全体の尺から見ると、おきよの登場シーンは決して長くありません。けれどごん太や、おきよの息子・新吉(こうた座長)が母を思い出す様から、おきよが居酒屋で料理したり接客したり、生き生きと存在していたことが蘇ってくる、温かな構造を持っていました。


当日のラストショー
ごん太役の京馬副座長は、口上では奔放なキャラクターで面白い一方、彼のお芝居は「役にどう向き合うか」「客席にどう伝えるか」が観れば観るほど丁寧だなぁと感じます。「京馬祭り」は構成からして観客へのサービス精神の固まりで、めちゃくちゃ楽しい!
『木蓮』上演時の感想はこちら
2本目 劇団美松『桜姫東文章~桜花繚乱愛憎輪廻』7/24@浅草木馬館
今年このお芝居を見た後、「憑りつかれた」と感じました。市川華丸さん演じる桜姫に憑りつかれてしまった。

6/19お誕生日公演での一枚。
かどわかされて庵室にやって来た桜姫は、ひとりになるとすぐ、鏡を見て髪を整え始めます。自分は人生初の『桜姫』が美松さん版だったので、桜姫の行動に(誘拐されてる状況ですごいな)と思ったのですが、この場面の華丸さんは痺れるほど魅力的でした。
舞台の上に、鏡をのぞき込む桜姫ひとり。鏡の中の“私”ひとり。身分がなくなっても、売られても、周りが粗末な庵でも、実は後ろに清玄の死体が置かれているグロテスクな状況でも、“私”を侵すことはできません。
――私、まず、好きな人に会うために髪を直したいです。そうします。
華丸さんは劇団菊のメンバーで、美松さんに参加中です。その女形の吸い込まれる魅力は、なにか言葉を探そうとしても、あのひんやりした笑みに溶かされて、最終的に華ちゃん可愛い(><)しか言えなくなってしまう、驚異の18歳。
また、演出は松川小祐司座長でした。清玄/権助二役も務めていました。

小祐司座長の演出は、1月のお誕生日公演の『日本橋』や7月の木馬館の『鶴八鶴次郎』も観て、言葉や所作をじっくり味わう時間を与えてくれるのが、心地良かったです。きっと自分の作家性ゴリゴリにすることもできるのだろうけど、ちゃんと観客の様子を見て、徐々に物語に入って来るのを待ってくれる。『桜姫』も、華丸さん桜姫・座長の清玄/権助に絞ってクローズアップしてくれるので、お話が散らばらず、濃厚な桜色の世界が抽出されていきました。
上演後一週間は余韻の中でボーーーッとしつつ、渡辺保さんの「桜姫と世界」(『演劇界』2021年7月号)を読んだりしていました。あの日木馬館の舞台に広がった世界を、自分の体から離すのが惜しかったんだと思います。新年にも大衆演劇とは別ジャンルの『桜姫』を観に行く予定があり、自分にとって『桜姫東文章』の入り口になった劇団美松版には、とっても感謝しています。

華ちゃん可愛い(><)
3本目 劇団美鳳『涙に濡れた峠道~父と娘と酒と傘』11/27@ゆあみもさく座
奇抜なキャラクターや設定を出さなくても、場面の一枚、台詞の一つを研ぎ澄ませると、お芝居はこんなにも心に沁みるものになる。
美鳳さんの新作はそのことを教えてくれて、打ちのめされた一本でした。

脚本を書かれた一城静香さん
島抜けしてきた男(紫鳳友也座長)が帰ってきたものの、娘(一城静香さん)の心に傷がつくから、親子名乗りはしないでほしいと妻の父に懇願されます。真実を明かさないまま、男は娘とのひとときを過ごそうとしますが…。
娘は年頃と言われる年齢になっていますが、頭は幼い子どものまま。でも、男が食事をしているのを見て「おとっつあんのお茶碗を使ったらダメ」と激しく怒ったり(義父を実の父だと思っている)、父娘の時間を作ってやろうとする周りの大人たちの心遣いで、酒を持って行ってほしいと頼まれると、「重たいから嫌」と渋面を見せたり。たとえ頭が他の娘たちと違ったって、彼女にはちゃんとプライドがある。この女の子を「無垢」という記号で済ませないぞ、という筆の意志を感じる描写でした。
終盤、父と娘が二人きりで向き合います。ここの台詞のやり取りがめちゃくちゃ泣ける。泣けるけど、どこか清々しい。雨の描写や酒の重みがありありと伝わってくる、演技も秀逸でした。あくまで軽やかに、楽しげに花道を駆けていく静香さんの姿は、「父の悲劇」の花飾りとしての娘像を脱け出して、彼女の人生がこれからも続いていくことを思い描けるものでした。
静香さんの脚本、私はこの作品が初めてだったのですが、他にもたくさんの名作があると聞いています。また是非に、拝見したいと思っています。

紫鳳友也座長。ザ・美声の持ち主。芝居冒頭で、島で見ていた娘の夢について語るときの声、ドラマの立ち上がりにふさわしい立体感でした。
3本とも、2022年に各劇団の「新作」として初めて舞台にかかったお芝居。そこに描かれた女役たちがパワフルだったことは、何でもありな大衆演劇の、無限の可能性を示しているように思えてなりません。
泣いている女の、話をしましょう。
笑っている女の、話をしましょう。
怒っている女の、話をしましょう。
同時に男も、どちらでもない性別も、舞台でのあり方が広がっていくことを願いながら。
皆様、良いお年を!!
ちょこっと似たテーマで今年6月に書いた文
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