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女は、本当は ―6月の『ふるあめりか』と『雪の渡り鳥』―

6月8日、いつも自分の扉を開いてくれる友人が、今回もまた声をかけてくれて、歌舞伎座へ行った。人生初の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を観た。

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自死した花魁・亀遊は、幕末の時流の中で面白がるように、勇ましき“攘夷女郎”に仕立て上げられてしまった。坂東玉三郎さん演じる芸者・お園が、最後の最後に絞りだす真実。
「亀遊さんは、花魁は、寂しくッて悲しくッて心細くッて、ひとりで死んだんだ」
このひとことが、救いの糸のように心に差し込む。誰もその苦しみに気がつかなくても。忘れ去っても。本当の花魁をまだ覚えている女が、一人いる。
降りしきる雨の中にほんのりと望みを照らす、ラストの情景が忘れがたい。


その4日後の6月12日、篠原演芸場で桐龍座恋川劇団の『雪の渡り鳥』を観た。

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『雪の渡り鳥』は、大衆演劇の中でも劇団ごとに物語のバージョンがかなり違う。恋川さんのは、お市と銀平が想い合っているものの、お市の父は堅気気質の卯之吉と娘をくっつけたがって、強引に仮祝言に持ち込み、卯之吉と一緒になってしまうバージョンだった。
恋川純座長の鋭く切れるような銀平、劇団暁・三咲暁人若座長のかたくなな卯之吉がぶつかり合って、力みなぎる芝居だった。

その中で、ほっそりと客席にうたいかけるような、鈴川かれんさんのお市が目の中に残っている。

後編で、帆立一家に苛められ、この土地から出て行けと言われた後の、お市・卯之吉・父親3人の場面。卯之吉は、絶対に出て行ったりしないと歯を食いしばる。お市の声に耳を貸さないまま、卯之吉は部屋から出ていく。あのとき無理な仮祝言をしなければ…と悔やむお市に、父親はこう声をかける。
「卯之吉と仮祝言をさせたこと、俺は後悔してないからな。お前をやくざの女房にしなかったこと、堅気と一緒にさせたこと、俺は今も良かったと思っているからな」
父親も部屋から出ていく。
男2人が出て行って、そこにはお市ひとりきり。お市は言葉もなく、畳の上に、ウウーッと泣き崩れる。

このお市は、このまま首をくくってしまうんじゃないか…。先の物語を知っているのに、直感的にそう思った。
好きな銀平を諦めて、困窮していて、故郷から追われそうで、でも誰も彼女の気持ちを聞いてくれなくて。
畳にしがみつくように、むせび泣くお市。
ヒーロー・銀平が帰って来るタイミングが、あと少し遅かったら。そういう不吉なifを想像させる姿だった。

もし、銀平が帰ってこなかったとしたら。
お市っちゃんの苦しさは、誰が分かってくれるんだろう。「寂しくッて悲しくッて心細くッて、ひとりで死んだんだ」と、誰か言ってくれることがあるだろうか。卯之吉も父親も、悪さは抱えていないけれど、自分の意地を一番大切にしている世界で。

大衆演劇のお芝居に出てくる女たちは、本当は何を思っているんだろう。

男が「〇〇~!」と名前を叫ぶ幕切れのために、ひと太刀で死んだ女は、本当は誰を好きだったんだろう。
男が修行を終えて、間男成敗で片付けられた女は、本当はどういう人生を生きたかったんだろう。

キャラクターの陰影がifを呼び覚ますのも、役者さんの演技が真に迫っていてこそだ。かれんさん、お芝居に鋭い重みが増して、彼女が支柱になっている場面がいくつもあった。
そしてもちろん、『雪の渡り鳥』の原作やその派生作品に、お市という人物が細やかに書き込まれていることの証左でもある。

だから、これからの大衆演劇で、演技で光る女優さんが増えるほど。女性像がシッカリ書き込まれた、お芝居が増えるほど。
女は―本当は―何を思っていたの。
この問いが、毎日の外題から切実に生まれてくる気がしてならない。

花魁は寂しくッて悲しくッて心細くッて…。鞄から取り出したオペラグラスの向こう。玉三郎さんの、声自体が匂いを持っているようなトーンで言われたこの台詞を思い出すと、不思議な安心感がある。なんだか、戯曲のほうが全部わかっているよ、見えているよと、私たちが追いつくのを待っていてくれるように思えるのだ。有吉佐和子原作の『ふるあめりか』の初演は、1972年。人間をつぶさに見つめて愛した作家の目は、何十年、何百年先を見据えていたろう。
2022年の大衆演劇も、迷いながら、きっと雨の中をゆく。

演者の肉体を通して、女の落葉のような悲鳴が、観客にたどり着く。もうたどり着いている。

亀遊さんは、本当は。
お市っちゃんは、本当は。

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