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私にその顔見せて ―『お千代人形』『狂乱暴れ獅子』より―

この冬、ハマっていたのが『金田一少年の事件簿』文庫版(^^♪ 推理マンガという認識しかなかったけど、通しで読んでみたら事件の裏にある人間ドラマが濃い!!
その中に、何度読んでも涙がにじんでしまうページがある。ある事件の犯人(女性)が、毒を飲んで死ぬ間際、息子に手を伸ばすシーンだ。
「ごめんなさいね、何もしてあげられなくて…」
「こっちへ来て、あたしにその顔見せて…」
何がこんなに涙腺を刺激するのかわからなかったけれど、とにかくこのセリフが突き刺さった。

1月、立川けやき座で劇団美鳳『お千代人形』を観たとき、似た場面に出会った。
ラストシーン、紫鳳友也座長演じる時雨の源次は、瀕死状態から起き上がる。最後に残された気力で、初めて対面する娘の顔に手をやる。小さな丸い頬を撫でさする。
「おとっちゃん、おとっちゃん」
頬に添えられた手に、きらりさん演じるお千代の涙がほろほろ降りかかる。娘の顔を目に焼きつけて、源次は崩れ落ちていく。

紫鳳友也
紫鳳友也座長 ほっそりした美形の友也さん。

ハッとしたのは、物語に対してだけではなく。「顔を見せて」という願いの、切実さに対してだ。

日常会話の中で、ひとこと、別れの挨拶として言う。
「また、お元気な顔を見せてくださいね」
仕事で職場を訪れた人からメールが届く。
「昨日は○○さんの顔が見られて嬉しかったです」
これらはただの礼儀作法として、大した意味を込めずに使っていた。聞いて流していた。でも、この言葉を初めて口にした昔の人の心は、ずっと深かったのではないか……。

娘の顔を見届けて逝く『お千代人形』とは、対照的な幕切れの芝居もある。劇団天華『狂乱暴れ獅子』。政吉(澤村千夜座長)と、おとよ(澤村丞弥副座長)の夫婦は共に斬られるが……。
「お前さん、もう目が霞む、見えないよ、どこだい、顔が見えない、お前さんの顔が…」
先におとよのほうが視力を失い、良人の顔が「見えない」と、恐怖と悲しみに目を見開いて死んでいく。

P1180280
澤村丞弥副座長 このシーンはどろりとした熱を感じた。

顔が見たい――。
何かを託すことも、言葉を交わすこともできずに最期を迎えるとき、人間の頭にはその一筋の望みが残るのだろうか。

家族、友人、知人、贔屓の役者さんまで含めて、好きな人々の顔を思い浮かべてみる。目に鼻に口に、色んなものがまつわっている。その人特有の笑い方や、優しさ。喜怒哀楽が行き来する目や喋りかける唇の、一つ一つが懐かしい。
ほんの短い間でも、それを見るだけでいい。相手も自分も生きていることが嬉しくなる。

たとえば長患いで出演していなかった役者さんが、久々に舞台にひょっこり顔を出したとき。じんわりこみ上げてくる嬉しさは、理屈じゃない。
お芝居って本当のことを何もかも知っているなぁ、とつくづく感じる。

「元気な顔を見せてね」
「少しでいいから顔を出して」
「顔が見られて嬉しかった」…
誰かに直接言葉をかけるときやメールを送るとき、そこには本心があると思うようになった。

互いの顔が見られることが、いかに稀で、切ないことか。

だから貴方の笑い顔が見られたら、それだけで嬉しい。

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