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「もうダメだ」と言うとき ―『雪の長持唄』に教わったこと―

そんなこと――
間髪入れずに言った人がいた。
道路の上でも、スポットライトの当たる舞台の上でも。


しばらく、心に小骨のように刺さっていた事。
昨年10月、観劇帰りの都内のターミナル駅。もう秋風が冷たくて、夕方はジャケットが必要な寒さだった。
バス停に向かって歩いていたら、目の前にいた70歳くらいの男性が突然バタっ!と倒れた。立ち上がる力がないようで、ガリガリに骨の浮いた体が、そのままアスファルトを転がっていった。
反射的に駆け寄った。周囲にいた人も集まって来た。
「大丈夫ですか?!」
男性からはどろっとした体臭がした。もう長い期間、お風呂に入っていないような。寒風の中、薄い半纏のようなものしか着ていなかった。ひげを剃っていない顔。持ち上げた指が絶えず震えている。転んだ衝撃で脱げた下駄と、タバコの箱が傍に転がっていた。

事が起きる数分前にも彼を見かけた。駅前のコンビニに入ったら、彼がタバコを買って出て行くところとすれ違ったのだ。彼の薄着と虚ろな表情、ふらついた足取り、ずっと震えている指先が視界に入った。

転んだ彼は、駆け寄って来た人々に囲まれて。誰に聞かせるでもなく、虚ろに言った。
「もう、ダメだね」
深い皺の下の眼球が光っていた。

彼はちょうど私の目の前。反射的に何か言わなきゃと思った。でも一体何が言える。この人のことを何も知らない。他人が勝手なことを言えやしない。口ごもって、目をそらしてしまった。

すると横から、
「そんなことないですよ!」
まるで先生が子どもを励ますような声がした。若いカップルの男性だった。彼は、倒れた男性の肩を優しく抱き起こした。
「ありがとう…ありがとう」
痩せた体がゆっくりと起き上がっていく。
自分が何もしていないのが恥ずかしくなって、せめて転がっていた下駄を揃えて差し出した。男性は「大丈夫だから」と言い残して、ぺこりと頭を下げて立ち去った。

芝居は、現実の上に浮かんでいる影のようだ。
2か月後、大阪・オーエス劇場で観た芝居の中のセリフが、この出来事と重なった。下町かぶき組・三峰組お芝居『雪の長持唄』
医者を目指していた佐吉(三峰達座長)は、はずみで人を刺してしまった。それ以降、坂道を転げ落ちるようにすべてがうまくいかなくなり、人生を捨てたも同然の気持ちで盗賊の三下をやっている。知り合った娘・おこう(舞鼓美さん)にも、苛立ち混じりに告げる。
「お前も早く出て行け、俺と居たって良いことなんか何もねぇぞ!」
でも、おこうは肩をいからせ、大きな声で叫び返す。

「そんなこと、ねぇ!」

必死に拳を握るおこうの姿。
「おめぇはおらを助けてくれた。故郷(くに)の長持唄も歌ってくれた。もうおらには良いことがあった!」
この場面で、散々泣いてしまった。

膝をついて、もうダメだと諦めの言葉を口にしたとき。
心の底で、それを打ち消す言葉を、その人は渇望していることだってある。
日常の隙間の断崖絶壁を覗き込みながら、他者の温かな言葉を投げかけてもらいたがっていることもある。

そんなこと、ねぇ。
そんなことないですよ。

あのとき何も言えなかったけど。
何の根拠もなかったけど。
他人だけど。
私も、そう言ってよかったんだ……。

誰もが、足の下は崖なのだから。


三峰達(みつみね・とおる)座長

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舞鼓美(まい・つづみ)さん

『雪の長持唄』は、同じ下町かぶき組の星誠流座長が脚本を書いたという。セリフがリアルで、かつ温かい。たとえば、佐吉が盗人の兄貴分(飛雄馬さん)に、胸を押さえて訴える言葉。
「俺だって、娑婆に戻って何とかやり直そうとした。それでも何もかもうまくいかなくて、心ばかりが擦り切れて――」
一日一日を生きるたび、心はボロボロになっていく。もう修繕できないほど。

大衆演劇の芝居は、声高に「生きていれば良いことあるさ」とは言わない。人生の素晴らしさ的なものを謳ったりもしない。そんな作り物が、客席の一人一人の抱えている重さに釣り合わないことを知っているのだろうと思う。

P1160162.jpg

でも誰かが「もうダメだ」と言ったとき。
小さな舞台から、「そんなことねぇ」と返って来る声がある。


【下町かぶき組・三峰組 今後の予定】
3月 大湯温泉 ホテル鹿角(秋田県)

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コメント

>拍手コメントを下さった方

気が付くのがすっかり遅れました…(>_<)
読んで下さっていること、励みになります。嬉しいです。

記事の投稿お疲れさまです

お萩ちゃん、お久しぶりー(^^)v
あやのです。

また記事読んでて、感想が沸いたので聞いてもらえるととっても嬉しいよ。

大衆演劇のお芝居って、どう受け止めたらいいのかわからないまま終わる気がしてるのは私だけ?
特に悲劇。
悲しい気持ちになって終わるから、最近は喜劇しか行ってないんだー。
悲しい芝居も素晴らしいし、観てる途中で学ぶことも沢山あるんだけど、とにかく終わったときに受け止めきれない
作者の、こういうことが言いたいんだっていう作品の全体を通しての意図みたいのがわかればまだいいんだけど、大衆演劇の芝居にはそれがないような…気がするの。ノンフィクションみたいな

お萩ちゃんの状況になったときも、すぐにそんなことないですよって言えないの気持ちわかる気がしたよ。
見ず知らずの人、しかもその人の状況もわからないまま慰められないのが、普通のリアクションだと思うんだけどね、私は
他の人はどうなんだろう?

ちなみに、上州土産百両首とか、感情移入しすぎてトラウマってか、もう二度と観られない…
蛍の墓並の衝撃作多くない?大衆演劇って

とりあえず、月2回くらい観劇に行って、喜劇に元気をいただく日々を送っております。
お萩ちゃんも元気だといいな。
またね!

>あやのちゃん

お久しぶり!あやのちゃん元気そうで何より~。

たしかに救いのないラストの悲劇多いよね😿こんなひどい目に遭って、最後も死んじゃって終わりかーい!みたいな(笑) 最近、喜劇好きなお客さんが多いのも頷ける。

それでも私は、今も悲劇が好きなんだよね…単に心のバリアーが堅くて、そんなに衝撃を受けにくいだけかもしれない(^-^;

「こんなひどいことがあった」っていうのを舞台の上で見届けることで、
“人間の世界にはこんな悲しいことがあるんだ”
“それでも最後まで希望や良心を失わないんだ”
“実際に同様の悲しみを抱えてる人も、たくさん生きているんだろうな”
って、他者の心に思いを寄せることができるというか…。

あやのちゃんが書いてくれたように、だからといって他者の本当の状況はわからないし、他者のために何かできるわけじゃないんだけどね💦
それでも、悲劇を観ることで周りの人を思いやることにつなげられたらなぁ、って思ってはいるかなぁ…。

喜劇は、最近良質な喜劇(ドタバタとかアドリブじゃなくて、筋や人物で笑わせるやつ)に当たってないから、ほんとに面白い喜劇が観たいー!コメントありがとう🎶

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