天華ロスに落っこちて② ―澤村千夜座長が守ってくれた“やくそく”―

驚いて、嬉しがって、失望して、泣いて、狂って――
劇団天華・澤村千夜座長の身体に物語を通すと、感情が目まぐるしく変わっていく。
たとえばショー【お梶藤十郎】の場合は…


髪を整えるお梶の、恋の喜び。

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真実を知る、驚愕と悲しみ。

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やがて狂気を発して嗤う。

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自死の瞬間の苛烈な目。

まるで喜怒哀楽がパリンと割れて、一粒一粒が鋭角になって、突き刺さってくるみたいだ。
うん、ファンですね!我ながら!(笑)

でも7月以降の天華さんは、ひとつ転機を迎えられるのかもしれない。9年前の旗揚げ以来、劇団を支えてきた副座長がいなくなり、さらに男性で最年長者だった龍太郎さんもいなくなるという。
①では6月いっぱいで退団される神龍副座長のことを書いて…。そしてやっぱり気にかかるのは、千夜さん率いる劇団のその後。

という話はいったん置いておいて。ある2つの場所での千夜さんの芝居について、思い出すことにします。

◆檜舞台・浅草木馬館
もはや古い話ですが、2/23(木)は今年に入って観劇的に最も満たされた日のひとつ。千夜さんが劇団美鳳さんのゲストで東京にいらした日。なんたって千夜さんon木馬館!\(^o^)/ 

芝居『喜造の最期』、千夜さんは主役の喜造だった(劇団美鳳・紫鳳友也座長、重要な木馬館公演の主演を譲る心づかいに感謝!)。
喜造は国定忠治の元子分。今は足を洗ってかたぎになり、十手取縄を授かる身。だが本心では忠治を今も慕っていて、捕らわれの忠治を何としても助けるつもりでいるという人物設定。

その設定の中で。千夜さんの演技に気づかされたのは、喜造の押し殺した“本心”の動きが、ちらちら垣間見えるということ。
たとえば忠治の子分たちが家を訪れて笠を取った瞬間、「久しぶりだなぁ…」とかつての兄弟分に懐かしそうな笑顔を向けたり。忠治を助け出したとき「よかった…!」と心底安堵したように吐き出したり。友也座長演じる忠治と対面した途端、「親分、ご無事で何よりでござんした…」と一気に緊張を解いて子分の表情になったり。ボロボロになった忠治を「民百姓みなが待っておりやすよ!」と涙のにじむ口調で励ましたり。

そうそう、細やかな感情の波。こういうところが観たかったんです!やったね!
檜舞台・浅草木馬館。芝居を愛するお客さんの集中力に取り巻かれて、場面場面を味わえた。

けれど、大衆演劇の客席は。常に芝居好きのお客さんばかり――とは限らない。

◆ざわめきの中で
春。ある温泉での公演、外題は『お銀片割れ月夜』。座長女形芝居で人気の高い一本なので、日曜に持ってきたそうだ。
芝居が進むにつれ、内心ヒヤヒヤしていた――後方の客席に。

この日、大衆演劇を観慣れない観光のお客さんも多かったせいだろうか。泣きどころで毎回微妙に笑いが起きる。ヤマ上げでもないところで名前を叫ぶ。スマホを堂々といじる。席を立つ。
もちろん前のほうには、遠征の方や、真剣に観て涙しているお客さんもたくさんいた。ただ私が座っていたのが後ろ寄りだったため、ざわつく声が耳についてしまった。
※誤解のないように書いておくと、他の日はいたって真剣な客席でした。温泉自体は大衆演劇を大事にしている本当に素敵な所だったので、この日だけ一部のお客さんが崩れた空気を作ってしまったのだと思う。

「旅人さん、冗談だろ、起きて…あたしだよ、触るよ」
千夜さん演じるお銀は、神龍さん演じる千太郎の体を必死に揺さぶる。この愁嘆場に至ってなお、セリフの後を追うようにハハハと集団の笑いが起きる。
何がおかしいのだろう、やめて…。
舞台に立っている側の胸中を想像して心が冷えた。

いやいや、こんなときは。胸に留め置いている文を思い出す。大衆演劇の名著『旅姿 男の花道』 (橋本正樹さん著、1983、白水社)。著者が故・四代目三河家桃太郎をセンターで観たときも、お喋りや立ち歩きのやまない客席だったという。
≪僕は、照明、大道具、小道具、そして最も致命的な演劇的雰囲気の欠如という、周囲の一切の夾雑物をたちきって、芝居に集中した。すると、役者の本体が見えた。≫

こんな客席も大衆演劇の付き物。余計なものは頭の中から取っ払って見る。役者さんの動きだけ、穴のあくほど見る…

そして舞台の上で見つけた姿は、やっぱり烈しかった。
「起きて、ねえ、起きてよ」
胸をきりきり引き絞るような声。
「あたしもうどうしたらいいか、わかんないよ、ねえ」
お銀のヒステリックになっていく言葉に、心の調子がずれて狂気に陥っていく、所作と表情が張り付く。千太郎の体に爪を立て、眉間に苦悶の皺を刻んで。
女形の身体ひとつが、ざわめきの中に置かれても、別の悲劇を呼吸しているようだ。

――客席の笑い声が彼に聞こえていないはずがなく、席を立つ気配を感じ取っていないはずがなかったけど。
「……千ちゃん!」
“役”は剥がれ落ちない。
その表現の鋭角ゆえに、物語を見失わないでいられた。

大粒の喜怒哀楽と、それを身体の上に限度まで広げようとする汗をもって。
かの座長さんが客席に対して守ってくれる、一番大切な約束。
お芝居が好き!と手を伸ばせば、例外なく手のひらにのせてもらえる心。
痛いくらいの。
人間の。
役の。
だから役者さんと結ぶそれは、“役束”とも書ける。

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どろりと粘つくくらいドラマチックな芝居が観たいなぁ、と思っていました。人間の心理の底まで、腕を突っ込んでつかみ出そうとするような熱を。
だから、2015年秋にこの役者さんを知って、彼の芝居を見続けられているのはとてもラッキーなことだと思います。

人が去っても舞台は続く。夏、千夜さんの芝居はどんな風になっているのだろう。

『演劇グラフ』2017年3月号の千夜さんインタビューをめくる。
≪今さらなんですが、ここ1、2年、お芝居をもっと突き詰めてやっていきたいなと思うようになりました。これから追求したいのは派手な立ち回りより、人間心理をいかに表現するかということ。台詞ではなく、特に表情や動きなどの身体表現です。≫

人が減って、もしできない演目があっても。チームとして、もどかしいことがたくさんあっても。
変わらないのは、身体と、表情と、所作と、心。
それらをもって舞台は続く。

≪これからさらに試行錯誤しながら澤村千夜流の芝居を模索していきたいと思っています。≫

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“役”がそこにある限り。
舞台には常に、はじまりの音が鳴っている。


【劇団天華 今後の予定】
4月 宝劇場(福岡)
5月 城山温泉(香川)
6月 大江戸温泉物語ながやま(石川)

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