戯作者たち―辰己小龍さん・藤乃かな座長・龍新座長―

≪オリジナル芝居≫――お外題表にこの言葉が載っているとドキドキする。どんな話なんだろう、どんな演出なんだろう。つるつる出来立てのセリフに、新鮮なキャラクター。まるで、老舗ばかりがズラッと並ぶ商店街に、新規店が参入するみたいだ。

大衆演劇のお芝居の多くは、むかーしから口立て稽古で受け継がれてきたものだ。先代から子どもへ、師匠から弟子へ。アレンジを加えられながら長い時間の中で熟成させられた、昔ながらのお芝居は、ちょっとしたセリフの中にも人の息吹が多層にこもっている。

でも私たちは皆、知っている。新しいお店がなくちゃ、商店街自体が活性化しないってこと。
「初めてのお芝居やるっていうから、来ちゃった」
この道何十年のマダムファンが、座長オリジナル狂言の日にいそいそとやって来る。

今回は新しい物語を創り出してくれる役者さんの中から、個人的に特に印象深いお三方の話。
※記事中では、完全な創作に加え、漫画や小説など別ジャンル作品の脚本化を含めて戯作と呼んでいます。

◆扉を開く人 辰己小龍さん(たつみ演劇BOX)



大衆界で“戯作者”と言えばこの方、小龍さんと言えば戯作!という認識は、決して私の贔屓目ではあるまい。
妖魔の世界からの招待状、『夜叉ヶ池』
武士という生き方の悲しさがにじむ『武士道残酷物語』
人間を遥かに俯瞰するまなざしが、小龍さんの戯作にはそびえている。なおかつ、予備知識なしでもわかりやすく、テンポがよく、面白い!

私が小龍さんの書いた芝居で一番回数を観ているのは、『明治一代女』。お誕生日公演で作られた芝居だそう。小龍さん演じる芸者・お梅の、ひたむきな生き様が描かれる。

この芝居を何度か観て、ハッとしたこと。物語の動機は、お梅の仙枝への恋、巳之吉のお梅への恋なのだと思っていたけれど。お梅が仙枝に真に惚れ落ちてしまうのは、「お前は芸者でいるような女じゃない」と言われたことがきっかけだ。また巳之吉も、「自分は本来なら箱屋なんかで終わる男じゃない」とくすぶっている。
“自分はこんなとこにいるべき人間じゃない”――お梅が仙枝へ、巳之吉がお梅へ手を伸ばすのは、恋と同時に自尊心の訴えでもあるんじゃないか…
色んな観方をさせてくれるのは、それだけ作品が厚いからだ。

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↑2016年10月のお誕生日公演。晴れ晴れとした笑顔

昨年11月にブログを始められた。毎日更新されている、陽気な文章が楽しい♪ ⇒辰己小龍のブログ
ブログのおかげで、超多忙な役者生活の中、いつ大量の作品を書いているんだ…?という長年の疑問が解消されました。『河内十人斬り』の執筆中、舞台袖で資料を読み進めていたエピソードは、小龍さんが才能はもちろん――絶え間ない努力の人である、ということを改めて教えてくれる。
“辰己小龍”は、いつまでも芝居の扉を開き続けていってくれる遥かな背中だ。


◆“女”の表現者 藤乃かな座長(劇団都)

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藤乃かな座長は立ち役もこなされるにも関わらず、私のイメージでは“女”という表象を一番強く持っている役者さん。多分、初見がオリジナル芝居『丸山哀歌』だったせいが大きいと思う。2015年夏、大きな衝撃を受けた芝居だった。同名漫画を元に作られたそうだ。

かなさん演じる結(ゆい)は、年を取ってあまり客のつかなくなった女郎。長い年月、丸山遊郭に閉じ込められている。
「もっとお話を聞かせてください。もっと色んな国のお話をしてください!」
結が目を輝かせてせがむのは、武士・桂木(都京弥座長)の異国の話だ。エゲレスの蒸気機関車の話、メリケンのワシントンの話…。
「そん人の夢の話聞いとると、うちまで一緒に夢を見られるような気がした!」
人生の大半を壁の中で過ごそうとも、心だけは自由に羽ばたいていく。男の欲のはけ口にされ、力にねじ伏せられ、なお人間であることを諦めなかった女の笑顔が最後に残る(観た当時の記事)。

オリジナル芝居を創る人は、旧来の芝居の演出にも独自性が光るのが面白い。定番の『へちまの花』にも、リアルな女の顔が書き込まれていた。かなさん演じる器量の良くない女の子・およね。庄屋と若旦那が、およねの嫁入りを中止させたいばかりに、狂言を仕組んだことが発覚したとき。
「おら、わかってた…ホントはわかってたんだ、若旦那がおらなんか一目惚れするはずねえって…でも短い間でいいから世間並みの夢が見たかったんだ…」
舞台の左側にうずくまって、虚空を食い入るように見つめる。静かに涙をたたえる瞳。およねは、自分が不細工だとわかっている女の子――その痛みが突き刺さる。“美醜”は女性にとってはそりゃもう、社会からの最大の圧迫の一つだ。

今まで観た劇団の『へちまの花』のこの場面は、たいてい主人公の女の子は酷い仕打ちにうつむき、本人の代わりに兄(または姉)が怒りを述べる、という流れだった。
でも、かなさんはおよね自身に語らせる。
「おらも、お嫁に行くって夢が見たかったんだ…」
どんなに辛いことも自分で語る女の子。
だから最後に庄屋の息子(京乃健次郎さん)が、舌っ足らずに「あなたは私にとってのヘチマの花っ!」と叫んだ時。舞台は、客席に優しく染み通っていく。

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これから先、どんな女を描いてゆくのだろう。まず来月の横浜・三吉演芸場公演で、久々に関東での再会!


◆映画育ちのクリエイター 龍新座長(劇団新)

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劇団新さんは関東回りだし、観ようと思えばいつでも観られるよね、と呑気な油断をしていたので。私は新座長が新進気鋭の創作者だということを、去年2月の立川けやき座公演まで知らなかった…(猛省)

初めておお…?と思ったのは、オリジナル芝居ではなく『関の弥太っぺ』。ご存じ、股旅ものの名作だ。ラストシーン、舞台幕は下りていて、弥太っぺ(新座長)一人が花道の端に立っている。幼い頃助けた少女・お小夜(小龍優さん)との別れを、じっと噛みしめている。
――すると、弥太っぺの背後の幕がもう一度上がった。そこで待ち構えていたのは…
ネタバレ防止のため、誰がいたのかは書きませんが。この場面を観た瞬間、殺伐とした渡世を生きる弥太っぺにとって、お小夜はたった一つの清い記憶だったということが視覚的にわかる。

こういう絵で見せる演出って珍しい気がする…と思って新さんのブログやTwitterを見て、大変な映画好きであることを知った。それもハリウッドヒーローとか、ソウシリーズとか、洋画をたくさん観ているみたいだ。あの発想力の土台には、スクリーンがあるのか!

新さんのオリジナル芝居を観ることができたのは8月@行田もさく座。笑いどころ満載の冒険譚『俺は…太郎』、ピュアな友情と恋の物語『黄昏空の下で』
特に大好きなのが『俺は…太郎』だ。今でも新さんの演技を思い出すと笑いが出るくらいおかしいのだけど、何より大衆演劇そのものをパロディ化するようなシニカルな視点があったのが大収穫!(観た当時の記事)

『平成に現れた森の石松』という爽快なオリジナル芝居もあるそう。こっちも、いずれ当たりたいと思っている(『平成に…』については、半田なか子さんが楽しさが伝わってくる記事を書かれています ⇒小屋っ子の戯言)

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↑こういうあどけない表情はティーンのよう!

新さんはまだ25歳という若さΣ(・□・;) 映画育ちの感性が、大衆演劇の任侠×人情の世界にどう斬りこんでいかれるのだろう!

3人のみ所感を述べたけれど、他にも、クリエイターとしての力を発揮されている役者さんはたくさんいる。
芝居の時間、舞台を支配しているのは物語。だから物語を紡ぐ戯作者は、一種の神様みたいな役割だ。彼らのメッセージを、演者が観客に伝える。受け取ったとき、私たちの目はハッと開く。
――こんな見方があったのか!
――人の営みには、こんな喜びが、優しさが隠されていたんだ!
観たばかりの芝居を胸に抱いて劇場を出ると、風景は変わっている。劇場の内側の“神様”は、劇場の外側の論理すら、確かに打ち崩してくれることがある。

≪オリジナル芝居≫――お外題表にこの言葉が載っているとき。それは超多忙な大衆演劇の世界で、戯作者が睡眠時間を削り、台本を打ち直しては孤独に悩みながら、真剣勝負で作品を繰り出す、ということ。
だから、せめて伝えたい。
貴方の試行錯誤が、私たちの世界を変えてくれているのだ、と。

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コメント

No title

うぅ-。お萩さん!なんてイイ記事書くんですか-(*^_^*)。全部観たい!
少ない観賞歴の中から、私の感想♪←聞かれてないけど(^_^;)。
荒城照師さん←硬質、ストイックな男形舞踊は必見です。舞踊家の方にも是非♪
橘大五郎さん←この劇団、チケット代10倍になっても買い続けるでしょう。全てが上手い!長く観て行きたい劇団です。命尽きるまで(笑)
橘鈴丸さん←舞いまくりは絵画展を観た後の様な余韻を残しました。
21歳の頃の彼女を健康ランドで観た事がありまして。無料のショ-でしょ?と気を抜いて観ていた私のド肝を抜いたのが鈴丸さんの椎名林檎「歌舞伎町の女王」の舞いでした。
常打劇場には独特の雰囲気もあるので、私の周囲には嫌がる人も多いです。
幕間に白塗り仮面でチケット等売りに来るから嫌とか、お見送りで感想言わないといけないの?とか、お祝儀って・・・何のお祝い事?知らない人なのに。とか(笑)。勿論、身体に現金って(:_;)とか。
そういうの、全て馴染む事ないから。
観て欲しい!舞台ですね-

>のん様

わーい、のんさんに褒めていただきました!(^^)/ 嬉しいです。
橘劇団への深い賛美が伝わってきます。1月の木馬館もすごい入りだったようですね!のんさんは以前もおっしゃっていましたが、橘の女優陣のレベルの高さに惚れ惚れします。
そして鈴丸さん。「絵画展」という表現、すごくわかります!美しい…あの細いスタイルを保っているのも努力の賜物ですよね…

「幕間に白塗り仮面で」、表現の面白さにちょっと笑ってしまいました(笑)
「大衆演劇はなんでもっとメジャーにならないんだろう?」と周囲の人に聞くと、「なんとなく怪しい」「何をやっているのかよくわからない」というイメージが強くて敬遠されているようです。お花とか送り出しとか、独特の習慣が強烈すぎるのかもしれませんね。
舞台の良さ・楽しさが伝われば、その壁を乗り越えて観に来る人もいると信じているのですが(^-^;
そのためには私たちファンの発信って相当大事!と思っています。

No title

私は数年前に健康ランドで覗いた事がある。程度の大衆演劇だったので、お萩さんのコチラの記事に遭遇するまで、その存在すら忘れていました(^_^;)。
現役で働いていると、時間に余裕が無いから完璧な舞台を求めてしまいます。例えば・・・オペラのチケットを買って「今日は喉の調子が悪いんですよ-」はあり得ない。けど、大衆演劇ではありますね。コアなファンの方達と楽しんでいらっしゃるって日。初見でそんな日に遭遇すると「ツイてなかった」と感じてしまったりもするけど、それを見越してでも観よう!と思うのは、演者達の伝えたい!を感じる事があるからでしょうか。
それは、もぅどんな高額な舞台からも感じられないリアルな叫び。
今日貴方の舞台を観れて、本当に良かった♪
言葉が上手くない私は伝えられなくて、俯いて出てくる劇場だけど。
「貴方の紡ぐ芝居に生きたい」そんな思いを胸に抱いて帰途に着きます。
観劇者の発信って、大事~♪心からそう思います。
お萩さん、ありがとう(..)。

>のん様

本当にそうですね。舞台からぶつかってくる熱量に引っ張られるようにして通ってしまうことが多々あります。

“どんな高額な舞台からも感じられないリアルな叫び”というコメントを見て、それ!と膝を打ちました。
商業演劇を時々観ると、大衆演劇の強みの一つは「ただひたすらお客さんのほうを見ている」ことかなぁと思うのです。
大きな舞台とはかかっているお金も稽古時間も全然違うけれど、目の前のお客さんに喜怒哀楽を伝えるために汗水流して必死に演じる。まさに叫びですね。

私の書いたものが観劇ライフのお役に立てているなら本当に嬉しいです。文章を書いていて一番良かったと思う瞬間です(^^)
いつも、のんさんのコメントに力をいただいています♪ 今後ともよろしくお願いします。

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