魔法を信じて!―役の力、芝居の力―

―舞台のこだわりはありますか?
「こだわりは、なりきることかな」
(『カンゲキ』2016年2月号 劇団炎舞・橘炎鷹座長)
このインタビューが大好きである(笑) 当たり前のようにサラッと言い、かつ最後の“かな”に一生懸命考えた感じがにじむ、炎鷹さんの人柄がわかる応答だと思う。

“なりきる”という言葉を、役者さんはよく使われる。自分の身体と顔と声を使って、まったく別の人になる―役者を長年続けている人の中には、この役になる快楽ゆえに、しんどい稼業でもやめられないという人がけっこういるみたいだ。
「舞踊も好きなんですけど、とにかく芝居が好きなんですよね、俺」
と、噛みしめるように話していた役者さんもいた。


(橘炎鷹座長 2016/6/4 『花道ひとり旅』)

“ただ芝居だけを ひたすらに信じ トラックに揺られて 流れ流れて”
炎鷹さんの踊る『花道ひとり旅』は、今年のマイベスト舞踊の一つ。旅役者の生き様を歌っているだけあって、色んな劇団でかかりまくっている歌。でもあるとき、詞が頭に引っかかった。“芝居を愛する”なら、すんなり理解できる日本語だけど。
芝居を“信じる”ってどういう感覚なんだろう…?

もちろん、芝居が演者の持ち味をガラリと変える、という現象はわかる。たとえば10~11月、木馬館・篠原演芸場を沸かせていた二代目・恋川純座長(桐龍座恋川劇団)。ぎらり迫ってくる大きな目に象徴される、雄々しいカラーの役者さんだと思う。

CIMG5045.jpg
(二代目・恋川純座長 2016/11/21)

けれど、むしろ私の印象に残っているのは、喜劇『命の一番くじ』の商家のボンボン役だ。実家の経営状態が、店を畳む寸前まで危うくなっているという実情を初めて知って泣き叫ぶ。
「うちが、そんなことになってるなんて知らんかった、どないしよおー!」
ボンボンらしい甘えの残る口調で、舞台に泣き伏す純さん。この方はこんな役にもなれるんだ…と驚いた。

こういう役作りって、演者が自分の感情の中から役っぽい顔を探して、肉付けしつつ役に近づいていく――そんなイメージを持っていたけど。
逆に、役のほうが演者を引っ張る、ということがあるらしい。

そう思わされたのは、藤美一馬座長(劇団KAZUMA)の発言。
「芝居の役になってる人は、もうその役に見えちゃうんで。だから芝居中は、もう美影先生(※指導役だった美影愛さん)じゃなかったんですね」
ええーマジですか。だって毎日顔を合わせている相手なのに…
ここで自分の浅慮がひっくり返る。もしかして役って、一種のトランス。「こう演じよう」という意識を超えて、さらに深く無意識の心を引っ張り出すパワーがあるんだろうか。

と考え直せば、役者さんの言葉の端々に思い当たる節がある。
「あのセリフは、舞台上でひょこっと出て…僕的には何の気なしに言ったセリフで」
澤村千夜座長(劇団天華)も、さらっと話されていたことがあった。芝居『三人出世』で印象的だった「世間のせいやない、お前が自分の弱さに負けただけや!」というセリフについて。その役になりきってれば、何言っても間違いじゃないし…とつぶやきつつ。

「芝居中は、自分の気持ちのままに喋ってるんで、何言ったか後であんまり覚えてないんですよ!」
柚姫将副座長(劇団KAZUMA)の笑顔の発言を聞いたときの衝撃は、今でもけっこう忘れられない。『兄弟仁義 男たちの祭り』初演で観客の涙をしぼったセリフ、「俺はついて来る人を間違えなかった!」は無意識下のものだったらしい。

とはいえ、毎回そんなんじゃないだろうし。いつも憑依状態みたいになってたら、公演として形が整わないだろう。
しかし役になりきるのと、時計を見つつ公演全体をマネジメントするのと、座長さん方はどうやって同時進行してるんだろう…と単純に疑問で、何人かの座長さんに質問させていただいたことがある。意外なことに、いずれの方からも「役になりきれるときは時間も気にしない」という回答が返ってきた。

大衆演劇の役のパワーって、すごいんだな。
考えてみれば、多くの芝居が古くから継がれてきたものだ。一つの役には歴史が詰まっている。その役を今まで演じてきた何十人もの演者の心。上演されるたびに、少しずつ変わってきたセリフ。根源までさかのぼれば、戯作者の影が潜んでいる。

役の厚みに、演者が一人、真摯に向き合う。
「知らんかった、どないしよおー!」
時に演者が役に付け足し。
「お前が自分の弱さに負けただけや!」
時に役が演者を引っ張り。
役と演者、手を取り合って、二本の糸で彩なす心模様――
今舞台で笑っているのは、泣いているのは、“誰”なのだろう…

けれど、ある若い役者さんのTwitterによれば。“芝居中もプライベートのまま”という演者が増え、“演じてる人”が減ってきたとのこと。
たしかに、そういう舞台に当たったことがなくもない…。もちろんどの役者さんも一生懸命努めているけど、う~ん、きっとこれは彼の素のキャラだよなぁと思うことも時々。ストーリーよりカッコよさ最優先!みたいな芝居に、10代の役者さん主演とかで出くわしてしまうと、将来の大衆演劇でこういう感じが主流になったらしんどいな…とオバちゃんは冷や汗もんである。

こういうときは、年長者の言に学ぶ。私が今まで拝見した役者さんで、最高齢は84歳(当時)。2014年6月の「劇団悠」三吉演芸場公演にいらした、北城竜(きたしろ・りゅう)さん。芝居『弁天小僧』ではやくざに騙される百姓というチョイ役だったけれど、悲愴とユーモラスの混ざった味わいがあったのを覚えている。
松井誠さん著『座長「誠!」』(光文社、1999年)に、北城さんについての記述がある。
“(北城さんは)口立てだけで育ち、博打と女と喧嘩で二百もの劇団を渡り歩き、私の劇団に来てピタッといついてしまった方です。”

CIMG2381_convert_20140605222730.jpg
(北城竜さん 2014/6/1)

“北城さんは旅役者という仕事の魅力はなんといっても化ける、変身することだといいます。世間のしがらみを舞台の上の自分はからりと捨てて、別人になれる。”

変身する力。毎日違う人に化ける力。
それはまるで魔法のようだ。一つ一つの芝居を敬愛し、その力を信ずる者にのみ与えられる――

舞台で『花道ひとり旅』が鳴り出す。ひょっとしたら、この曲は一種の讃美歌なのかもしれない。
“ただひたすらに 芝居だけを信じ”
役になりきる演者。
彼を囲むのは、固唾を飲んで見つめる観衆のまなざし。
私たち客席もまた――一緒に物語世界に飛ぶために。
いつの時代も、舞台を見上げながら芝居を信じ続けている。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)