玄海竜二会頭お芝居『男はつらいよ』―空に恋する男― (劇団KAZUMAゲスト)

2016.11.19夜の部@三吉演芸場

「さくらーぁ!」
一番好きな人は、一番遠いところにいる。

玄海竜二会頭(2016/11/19)


劇団KAZUMA、\絶賛三吉公演中っ!!/
千秋楽12/15(木)まで、もう残すところ半月です!
最近、ブログはある程度まとまった文章を書く用途にしているので…それぞれの芝居の感想や印象に残った舞踊のお写真は、Twitter(@yhgraceyh)に載せてます。
横浜のKAZUMAの様子が知りたいという方がいましたら、よかったら上記をクリックしてTwitterを見ていただければ…。

で、改めてブログでも残しておきたいなと思ったのが11/19(土)に上演された『男はつらいよ』。九州から玄海竜二会頭がゲストで来るのに合わせ、家族も誘って三吉へ駆けつけました!

玄海さんは主役のやくざもの・源吉。
この芝居は外題からして、映画「男はつらいよ」シリーズを下敷きにしているので、源吉は寅さんの時代劇版みたいなキャラクターだ。
「源吉の兄貴は困った女の人がいるとすぐ面倒見て、そんでフラれて。もうなんべんも、その繰り返しじゃねえか」
弟分の銀次(藤美一馬座長)が同情気味に、源吉のフラれぶりを語る場面がある。けれど映画の寅さんと一番異なるのは…
――玄海さんの顔の真ん中、赤く塗った鼻。源吉には、顔面が醜男というコンプレックスがある。
(恋の障害を見た目に設定するのは『花かんざし』とか『平公の恋』みたいで、とても大衆演劇的)

源吉は、三島の山奥で、目が見えない娘が山賊に襲われているところを助ける。娘は崖から落ちて、視力と記憶を失ってしまったという。
「覚えているのは、伴の者と一緒に江戸へ向かう途中だったということ。江戸に着けば、わらわのことを知っている者に会えよう」
と言葉遣いが仰々しい娘を演じるのは、千咲凛笑さん。

千咲凛笑さん(2016/11/19)
CIMG4966.jpg

可憐、かつ誇り高いお嬢様の役。凛笑さんの水辺に咲く花のような“守ってあげなきゃ”感が、役柄を成り立たせていた。

娘を連れて、源吉は江戸へ。弟分・銀次の営む髪結床に転がり込む。
「なあ銀次、お前のところでこの娘、預かってくれねぇか」
「おいおい兄貴、こんな若い娘が店にいてみろ、俺となんか関係があるんじゃないかって近所の女連中が店に来なくなっちまうだろ」
奥様方のアイドルの髪結いさん、というちょっとなよやかな設定が一馬座長にハマる。

藤美一馬座長(2016/11/19)
CIMG4980.jpg

銀次はほとんどの場面で商売道具の櫛を持っているのだけど、まず櫛というアイテムが一馬座長に似合う!女の人の髪をササッと梳きそうな洒脱な軽やかさ。

銀次はしばし考えて、
「もし、俺のところでこのお嬢さんが暮らすなら、兄貴も一緒に俺のとこに来いよ。それならお客に何か聞かれても、兄貴が面倒みてる娘ですって言えるじゃねえか」
という結論で事は収まる。娘は呼び名がないと不便ということで「さくら」と名付けられた。

医者・薮井竹庵(龍美佑馬さん)の見立てでは、さくらの目は見えるようになるという。
「この娘の目は開くぞ!ただし、いつ開くかはわからない」
「じゃあ、毎日、俺が先生の診療所にさくらを連れてくよ。そんくらいお安い御用だ」
というわけで、源吉とさくらは雨の日も風の日も診療所通い。

劇中、最も印象的な場面のひとつ。遠い診療所に通うのに疲れきったさくらが、「嫌じゃ、もう疲れた、もう一歩も動けぬ」と駄々をこねて泣き始める場面。しょうがねえなぁ、と源吉はさくらをおんぶする。
「ほれ、行くぞ、さくら」
すると泣いていたさくらの顔が、ぱぁっと晴れやかな笑顔に変わって。
「源吉、さあ、参ろう…」
源吉の慈愛に満ちた表情。その背でさくらの安心しきった姿。三吉の小さな花道をはけていく二人には、互いを必要とし合う、温かな愛情が流れていた。

しかし。映画がベースにある以上、寅さんが必ずマドンナと別れるように、やっぱり源吉とさくらにも別れが訪れる。
なんで別れるのかは、これから再演で観る方がいるかもしれないので省略。ここで書き残しておきたいのは、源吉が去っていくさくらを見送るシーンに現れていた、恋の姿だ。
※ここから先、ラストシーンを書いているのでご注意ください

源吉はいつしかさくらに想いを寄せていた。けれど胸の内を告げようとはしない。
「この顔の俺が恋なんて、江戸の人が笑わあ」
自嘲する源吉を、隣にいる銀次が励ます。
「誰が笑ったりするもんか」
竹庵も励ます。
「源さん、誰も笑わねえよ」
その言葉に、ふっと空を見上げる源吉。
「そうだよな…誰も、笑わねえよな…」
涙の溜まった目が雲の向こうを見て、ぱちぱちと瞬きする。

空を恋うる目。
どんなに上に手を伸ばしても、届かない。それでも焦がれずにはいられない。
玄海さんのじっと空に食い入るまなざしをもって、芝居は源吉とさくらの物語を超える。普遍的な“恋”の姿を描き出す。

さくらーぁ!と一言だけ叫んで。源吉は何度も赤い目を瞬かせながらも、ひょうきんに笑ってみせる。そして客席に背を向け、一歩一歩歩いていく。
決して届かないからこそ、愛しい。

映画「男はつらいよ」で…寅さんがマドンナとくっつくチャンスって、けっこうある。けれど、いざ結ばれそうになると、寅さんはたびたび自分からチャンスをふいにしてしまう (もちろん、そうしないと話が続かないんだけど)。
恋しては失う寅さんは、多くの人心をつかんだ。そのことに、遠くにあって初めて成立する恋の純度というのがある―と思わされるのだ。

シリーズものの映画に対して、たった約1時間の芝居で、観客を同じ到達点にまで飛ばしてくれたのは演者の力。
玄海さんて、これまで観た芝居だとハードボイルドな任侠ものか、明るいドタバタ喜劇のイメージだったけれど、こんなにピュアなラブストーリーも表現されるんだ…。
潤んだ目の中に恋をしまい、きゅうっと唇を上げて三枚目の源吉に戻る玄海さん。この凄まじい役者さんと同じ時代にいたことを、いつか私たちは語り草にできるだろう。

“源吉、さあ、参ろう”
遠くにありてこそ―
空のかなたに、想いが咲いている。

【劇団KAZUMA 今後の予定】
11月・12月 三吉演芸場(神奈川)
1月 鈴成り座(大阪)

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト

コメント

レポについて

お萩さんの記事はいつも有り難く、楽しみに読んでいます。

ただ以前から違和感を覚えているのはその表現方法です。
芝居の粗筋を書かなくともその劇団、その役者の魅力を伝えることはできると思うのです。
逆に言うなら粗筋を書くのは安易な字数かせぎと捉えることもできる。

舞台レポ、新たなスタイルの提示をお萩さんに期待しています。

>あさ様

コメント、ご意見ありがとうございます。
いつも読んでいただいていること、また思いを率直に伝えていただいたこと、とても感謝しています。

今回ズバッと言っていただいたことで、自分がブログを書いている理由を改めて見つめました。
劇団さん・役者さんの魅力はもちろん、私は大衆演劇という芸能が共有している「物語」を広くシェアすることができたらな…と思っています。(まだまだ力不足はなはだしいですが)

最近大衆演劇を観始めたばかりという方が、時々「ブログを観劇の参考にしています」などと声をかけて下さいます。思い出すのは、自分が大衆演劇ハマりたてだった4年前のことです。今も知らないことだらけですが、当時は定番のお芝居の一つもわからず…むしろ、テレビに紹介されるきらびやかな舞踊ショーのイメージを強く持っていました。けれど大衆演劇の芝居ってすごい!と気づき、この芸能ではどんなお芝居が好まれているんだろう?どんな物語を持っているんだろう?と知りたいことだらけで、一生懸命ファンブログを検索していました。

このブログに来てくれる方の検索キーワードを見ると、「(外題名)あらすじ」というのが週に数件あります。新たな大衆演劇ファンが、「物語」の情報を得るのに少しでも役立てているのだろうかと思います。

とはいえ、あさ様はじめ大衆演劇をよくご存じの方には、芝居のあらすじは周知の事実かもしれません。
文が冗長に感じられたり、不要だと思われる箇所もきっとあるのだと思います。それはひとえに、私の筆力不足です。
より要所要所を押さえて、読みやすい文を目指していきたいと思います。
真剣な言葉をいただき、ありがとうございました。

お萩様

お萩様
丁寧なお返事に感謝します。以下私個人の意見として聞いて頂けたら幸いです。
私がレポートを読む時、最も興味をもつのはそれがどんな舞台だったかです。
特に未見の劇団の記事で一番気になるのは、その劇団・役者にどんな特徴、どのような独自性があるかです。

噛み砕いて説明します。
誰が、何を、どんな風に演じたかを伝えるのが記事ならば、その中で重要で省略不可能なのは「誰が」と「どんな風に」の要素でしょう。

その場合「何を」演じたかは他の二つの要素ほど重要ではありません。
もちろん一ファンの方が個人的なブログに自身の観劇記録を、備忘録の意味も含め書き残す場合はその限りではありません。「何を」を詳細に記すのはその人の思い出にとって意義あることです。

しかし不特定多数の読者を想定して書かれる舞台レポートの主たる目的はその劇団の魅力を伝えることでしょう。
文章を作る上で主題を定めるのは基本中の基本です。
そして文章であれ舞台であれ、優れた作品を作る上で必要なのは、何を強調し何を省略すべきかを的確に判断する能力です。

個人的な観劇記録として記すのか。
大衆演劇の演目について論じたいのか。
大衆演劇全般の魅力を伝えたいのか。
それともある日ある時の舞台の有り様を表現したいのか。
それぞれ文章の構成は異なってくるはずです。
それを混同したまま書くなら、たとえ筆者にどれだけ熱意があろうと、焦点のぼやけた散漫な、説得力に乏しい文章しかできないでしょう。


はじめまして。
お萩さんのブログは、記事がアップされるとすぐに拝読させていただく、一ファンです。

あさ様のコメントを読ませていただいて、何を主題とするか選択して書かないと焦点がぼやける、との指摘、納得しながらもいろいろ考えておりました。

たしかに、「誰がどんな風に」を読む場合、あらすじは不要かもしれません。
ただ、たとえば定番の作品を「こんな風に新しく」演じた、または演出した役者さんがいたとします。その場合、どう新しいのかを論じるには、「本来こういうキャラクター造形、お話だった」という前提を提示することが必要ではないでしょうか。

もちろん、さささっと簡略化したあらすじでそれをすませることはできます。
ただ、読者に物語の骨子を伝えるためには、ある程度字数をさくこともあるだろうと想像します。

なにより、大衆演劇を見始めて5年程度、それもそうしょっちゅうは見られない自分には、その演目を知る貴重な場として、お萩さんのブログを読んでいたりするので、なくなってしまったら悲しいな、と思ったのでした。

不特定多数の読者のなかには当然このように初心者もいます。
これはどのジャンルにも言えることですが、自明のこと、として話されるために理解できず途方に暮れる、というケースは、初心者の人間がその世界を近しく思えなくなる遠因になるような気もします。

事前に物語の内容を把握し、あの劇団ではどんな配役でやるんだろう?などとワクワクする楽しみ方も、内容を知らなければできないことですし…。

横入りのような形になり申し訳ありません。
書こうかどうか迷ったのですが、あらすじを必要としている読者もこのようにいる、ということをお伝えしたくて書き込みました。

長々と失礼しました。
これからも楽しみに読ませていただきます!

>あさ様

嚙み砕いて説明していただき、ありがとうございます。おっしゃっていただいた一言一言、何度も読み返しました。

>それを混同したまま書くなら、たとえ筆者にどれだけ熱意があろうと、焦点のぼやけた散漫な、説得力に乏しい文章しかできないでしょう。
特にこの箇所は、本当にそうだと自分自身に言い聞かせました。今後について大切な言葉をいただいたと思っています。

舞台レポートとして「誰が」と「どんな風に」ということは省略不可能…その通りだと思います。
これは私の感性ですが…劇団・役者さんの魅力を伝えたい!という思いと並行して、「演目そのものの魅力」を共有したいという思いがあります。
大衆演劇の演目は「みんなが知っている」とはとても言い難いものです。もちろん、この道何十年という詳しい方には自明のことですが、大衆演劇ハマりたての方がこのブログを訪れて下さったときに、あらすじが割愛されていることで疎外感を味わってほしくないのです。

一つ一つの演目には、戯作者(あるいは台本という形にしないで芝居を立てた誰か)がいて、今まで演じてきた役者さんがいて、その演目を愛してきた客席の歴史があります。
大衆演劇を好きになるほど、「演者」と同じくらい「物語」に対して敬意を払いたいという気持ちが強くなってきました。

とはいえ、気持ちにまだ筆力が追いついていないのは事実です。臨場感を伝えたい思いが先走って、役者さんの話と演目の話をごちゃ混ぜに書いてしまっていることも多く、反省点が多いなと振り返って思いました。

目的を明確にした文でなければ人に響かない―このことは大事な教訓になりました。
向き合ってくださったことに感謝します。少しずつですが成長していきますので、見守っていただければ幸いです。

>保子様

初めまして、コメントありがとうございます。

>自明のこと、として話されるために理解できず途方に暮れる、というケースは、初心者の人間がその世界を近しく思えなくなる遠因になるような気もします。
そうですね、私自身もまだファン歴が浅く、知らない演目がたくさんあります。どういうお芝居か知りたいときは、他の方のブログで予習したりしています。自分のブログも観劇のお役に立てていることがあると知り、とても嬉しいです。

保子さんもきっとご存じの通り、大衆演劇の演目はかなり筋が粗いものもあります。つじつまが合っていなかったり、荒唐無稽だったり…
けれど繰り返し観るほど、それぞれの演目が人間の心の深層をしぼり出していることがわかってきました。評論やメディアにはまず取り上げられないけれど、大衆演劇の持っている物語は実はすごい!と、観劇のたびに思っています。劇団・役者さんについてはもちろん、「物語」を大衆演劇ファンと一緒に共有していける文章…それを理想に努力していきたいです。

コメントいただき、大変励みになりました。ぜひ、またのぞいてやって下さいね。

お萩様

お萩様
誤解されてはいないとは思いますが念のため書き添えます。
わたしはレポートで演目を扱うことの是非を云々しているのではないのです。
そして舞台における芝居の粗筋を軽視しているのでもありません。
要はテーマが明確な文章を読みたいということです。
舞台に例えるなら、どの芝居にも必ず主役がいます。主役を中心に編まれているから物語が説得力をもつのです。
出演者全員が主役の振りをするなら物語は壊れます。脇役には脇役としての役割があるのです。
文章もそれと同じです。主題のない文章は単なる情報の羅列です。

伝えたいことがあるのは素敵ですが、その全てを無節操に詰め込めば良い文章ができる訳ではないでしょう。足すのも表現なら引くのも表現です。
熱意だけでは受け手には届きません。どのように演じれば一番訴えたいものが相手に届くのか。その為にはどこに力点をおいて組み立てるべきか。良い舞台にはそのような工夫配慮がなされています。

主役は十分にその存在感を表し、脇役は持ち場を弁えそれを周りから支える。そういう優れた芝居のような文章をお萩さんには書いて貰いたいです。

>あさ様

言葉をいただき、ありがとうございます!精進いたします。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)