この胸いっぱいの愛を―“大衆演劇ファン”のファンとして―

ファントークを聞くのが好きである。
あなたの大好きな役者の話、それもとびっきりの舞台の話。
4年前、大衆演劇にハマった頃から、木馬館や篠原演芸場でたまたま隣り合った人に、“イチオシの○○さん”をよく語ってもらった。

「あなた一人?この劇団、初めてなの?じゃあ、あの若手さんをよく見てて!まだあんまりセリフないけど、細かいところで表情作ったり、すごくいい演技してるから」
「母がもう、座長の女形が大好きで。体を悪くしてから家にばっかりいたのに、今じゃ外出好きになっちゃって。週に二度も三度も、早く劇場に行こう行こうって」
「一番好きなのはね、今関西回りしてる座長なの。芝居が上手なのよ。また早く関東に帰って来てくれるといいんだけど…」

喜々としてスマホに入った写真を見せてくる顔はみな、笑み崩れていて、“私、この人のファンなんです!”と全力で叫んでいる。

2年前頃から、Twitterとかを通して友人の輪が広がって、この世界はすっかり楽しくなった。
みんなで集まれば、お喋りは4時間でも5時間でも尽きない。

「彼の舞踊で好きなのいっぱいあるけど、やっぱり『田原坂』は不動かなぁ…ほんっとに感動したの」
「細かな所作が本当に昔の人みたいで、はぁ~ありがたいもん見せてもらってるなぁって。今日も勉強になります、みたいな(笑)」
「ここでこう来てからのヤマ上げ―(膝を叩いて)うまいっ!」
友人たちは、みんな高揚した様子でそれぞれの愛を語る。
賑々しい話の中に、浮かんでくる役者さんたちの姿。

観に行けないような遠い地方での公演中だって、Twitterやファンブログで動向は把握中。「お芝居泣けた~」とか書いてあれば思わずにんまり。今日もこの空の下で、彼(彼女)は人を感動させている!
逆に「体調悪そう」とか「ケガをしたみたい」とか書いてあろうもんなら、何ができるわけでもないのにハラハラと心配する。
高いところから飛び降りるようなショーに挑戦すれば、客席がオオッと沸く中で、ファンはヒヤヒヤする胸を抑えて「怖い…」とつぶやいている。
ファンってなんて愚かで、なんて愛しい。
自分自身も含めて…(笑)

けれどそんな、舞台上に捧ぐ熱を、解せない人もいるようだ。今も腹の底に引っかかっている記憶がいくつか。
知人男性とたまたま浅草にいたとき、木馬館を通りかかった。これが私がよく話してる大衆演劇です!と喜々としてチラシを渡すと、男性は苦笑い気味に言った。
「これってさ、う~ん…言い方悪いけど、ホストみたいなもんでしょ。こういうのにキャーキャー言う女性がわからない。だって、いくら観に行ったってなんにもならないでしょ」
私が手に持ったままのチラシの中では、キラキラした二人座長がこっちを向いて微笑んでいた。

またある小さなセンターで、おつまみ片手に夜の部の開演を待っていると。突然、太い声が降って来た。
「俺はね、役者っていうのは嫌いなんだ。結局、全部ウソだからね」
お風呂に入りに来た、地元のおじさんのようだった。人のまばらな館内で、見慣れなかったのか、私の顔を一瞥して去っていった。

誤解のないように書いておくと、この二人がたまたま男性だっただけで、舞台が嫌いという人は男女問わずいると思う。
(逆に、何より舞台がお好きなのだろうなぁ、という大衆演劇ファンの男性も大勢いる!)

ただ、世間には。
ファンという生き物を、冷ややかに見ているまなざしもあるということだ。
“いくら観に行ったってなんにもならないでしょ”
じゃあ、何か実になる関係って何だろう。
家族とか、友人とか、恋人とか?
ふだんの暮らしで関わる人たちへの愛情は、たしかに“見返り”的なものはある。好きになれば、好かれやすくなる。相手を助ければ、自分も助けてもらえる。
自分に優しくしてくれる人たちへの好意は、生き物としてある意味自然で、とてもシンプルだ。

舞台への愛は、そうじゃない。完全に一方通行。
どんなに好きでも、遠くまで観に行っても、何ももらえるわけじゃない。
会社で残業した後、いそいそとカートを引きずって、夜行バスに乗って、8時間も揺られて、少々しんどい腰をさすりつつ、目的の劇場へ。
ATMに行くたびに、預金残高をこわごわ確認しつつ。
世間の一部の人たちには、よくやる…と呆れまじりの奇行に映るのかもしれない。

でも、劇場に着いて。
観たかった劇団の幟がはためいているのを目にした瞬間から、腰の痛みなんか忘れているのだ。
観たかったその人が舞台に出て来たときから、残業も金欠も忘れているのだ。



だって舞台は、“物語”であってくれる。
昔ながらのやさしいお芝居が。さみしい情景が浮かんでくる舞踊が。
暮らしの中で溜まった澱みをすくう。
この世を上からながめて、私の心を洗い直す。
生きているのは、やっぱり悪いことじゃない…と明るいほうを指し示す。

芝居の中で。
舞踊の中で。
かつて貴方に出会った瞬間から、小さな風船のようだった世界が割れた!

「“人が人を好きになる”って、良いなぁ」
友人は、よくそんな言い方をする。
好き――この2文字の情熱が、すべてを動かす。

役者さんが舞踊ショーの最中に客席に降りて来ると、私はよく客席を振り返る。
お客さんが、笑顔になっていくのが見たくて。
踊る身体の周り、“好き”が花開いていくのが見たくて。

また私、キレイごとばかり書いているだろうか…(^^;
そりゃ、ファン同士で、ときどき大衆演劇特有のゴタゴタがあることくらい承知だけれど。
距離の近すぎる客席では、“好き”が曇ることもあるかもしれないけど。
けれど、ふと視線を上げて遠くを見れば。
「さあ旅人さん、俺と一緒に来ておくんなせえ!」
舞台はいつでも、晴れているのだ。

もったいないね、かつて木馬館のチラシに苦笑いした彼は。
“なんにもならない”って?
目の前の劇場の木戸をくぐったら、彼にだって、狭い世界の扉をバンッ!と開いてくれる役者さんがいたかもしれないのに。

センターのおじさん、“結局、全部ウソだからね”って?
ある芝居の愁嘆場。
「ひとり涙に頬を濡らした夜は、一度や二度じゃあなかった…!」
悔しさと悲しみに震えるセリフ。
最大の賛辞をこめて、座長っ!とかけられるハンチョウ。
待ち構えていたファンの怒涛の拍手。
劇場に響く、いくつもの“真実”を聞き取るのに、この耳じゃ足りないくらいだ。

心に温かい灯りをくれた、あのセリフ。
病みへの涼しい薬になった、あの踊り。
もらったものは、返しきれないほどたくさん。

「ほら、出て来た!」
舞台端の若手さんを指して、私の肩を叩く人がいる。
スマホで座長さんのブログを開いて、明日は特選狂言だって~!とはしゃぐ人もいる。
デジカメから今日のベストショットを見せて、美しいでしょ!と顔を輝かせる人もいる。
――みんな、出会えてよかったね。

はずむ声、紅潮した頬、くしゃくしゃに細まった目。
記憶の中にそんな顔がいくつもあって、いっせいにお喋りしだす。
“私、この人のファンなんです!”

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト

コメント

もっと奇麗事を!

私は最寄の劇場に出入りする程度ですが、夜の部に行くとよくお見かけするお帽子の素敵なお客様。その方はいつも車椅子で花道の先に席を取られて舞踊ショ-では皆にお祝儀をつけられる。これをどう感じるか?、私はその光景に愛を感じるんですよ-(笑)。このご婦人、大衆演劇自体を愛してるんだなぁ~って。劇団がその地の方に笑顔をもたらすから。応援したいんだろうなって。
喫煙所でお話した競馬新聞片手のおじさん。「観始めたばかりだったら劇団選ばないで観なよ!俺は何十年も観てるからさ~、自分の気分で選ぶんだけど。その内分かってくるから」って。何か良い!(^^)。
コアな部分も分かるけど、観る人、観せる人、係わり次第の大衆演劇。
お萩さんの「舞台の上と下、一緒に歳をとりましょう。人間の顔で会いましょう」だっけ。良いですね。私もそんな風に思える役者さんと出会いたい♪

>のん様

いらっしゃいませ~ ^^) _旦~~
「もっと奇麗事を!」って言葉の素敵さにまず打たれました(笑)
お帽子のお客様のエピソード、競馬新聞のおじさんのエピソード、いずれもじんわりきます。本当、愛がありますね。こういう方が大衆演劇を支えているのでしょうね…
舞台の中身はもちろんですが、客席の“愛”ありきの世界だと日に日に実感します。その愛の量が多すぎて時々もつれても、この濃さがやっぱり大衆演劇です。
以前書いた文章まで覚えていて下さるとは…書き手冥利に尽きます。書いていて良かったと思います。
またいらしてくださいね!

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)