劇団天華お芝居『峠の残雪』―お前にあげよう―

2016.7.23昼の部@大江戸温泉ながやま

「兄さん、ありがとう」
目の見えない弟(澤村神龍副座長)が、子どもみたいに兄に笑みかける。
口のきけない兄(澤村千夜座長)が差し出すのは、自らの懐で温めた草履と杖。杖の先は血で濡れている。兄の懐の中で、杖は凍りつく寒さのために胸に張りつき、引っぺがしたらブツリと肌が破れたのだ。
降り続ける雪が、兄弟の身を刺すように冷やしていく。

どなたにも、観劇ライフの中で忘れられない“宝物”みたいな芝居があると思う。それは実に色んな要素の結果だ。その日の役者さんの心身の調子や、裏方さんの動き。道具のちょっとした偶然や、客席の雰囲気、そして自分の集中力や気分も大きい。
だから私にとって、ながやま座での『峠の残雪』が“宝物”になったことは、とても貴重で幸福なこと。
読んで下さってる方、少々長い記事ですが、一生懸命記憶を紐解きますので、一緒にこのお芝居を観ているような気持ちでお付き合いくださいませ~。

冒頭。右手から聞こえてくる声。
「おっかさん、さぁこっちだ」
と話しながら舞台に出て来るのは、亀甲組の次男・新吉(神龍さん)だ。

澤村神龍副座長
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新吉はねずみ色の羽織に橙色の袴。そのおっかさん(喜多川志保さん)は堂々とした姿の息子に寄り添い、喜色満面だ。
「三つ葉葵のお墨付きをいただいたからには、もう亀甲組は安泰だねえ」
志保さんの小さな胸には、<お墨付き>と書かれた封筒。
けれど水を汲みに新吉が場を外した隙に、侍・神馬弥十郎(澤村龍太郎さん)が現れる。
「そのお墨付きをよこせ。よこせと言ってるんだ!」
お墨付きを奪うため、神馬は逃げ惑うおっかさんを斬り殺してしまう。

場面転換して、丹波屋一家。
「早速のお控え、ありがとうござんす」
亀甲組の長男・新造(千夜さん)が旅人として一家を訪れ、丹波屋長治親分(澤村悠介さん)の前で仁義を切っている。

澤村千夜座長
CIMG0577.jpg

新造の旅姿がコテコテの股旅衣装でなく、濃い紫の単衣なのが良い。画面が色鮮やかな上、新造の悠遊としたキャラクターまで滲ませる。
「このたび、男修行の旅からこの土地へ戻って参りやした。どうぞおたの申します」
顔を伏せたまま、きれいに落ちた腰、ひょいと差し出された片手、軽みを含んだ声が重なる。あ、今、たぶん日本一男前なんじゃないかな、って思いました。←ファン…

さて事態は急転。
「亀甲組の母親を斬ってやったぞ!」
神馬の報告に喜ぶ丹波屋。実は神馬は丹波屋の食客だった。お墨付きを横取りするのに、もう邪魔者は亀甲組の兄弟だけだ。丹波屋は酒に毒を盛り、新造を宴席に呼ぶ。毒をあおった新造が、床でのたうってもがく。赤く染まった照明の中、
「神馬弥十郎、待て!」
母を殺した神馬を追って、新吉が飛び込んでくる。しかしその目には、神馬の手から目つぶしが投げつけられ、うめき声が上がる。

二幕は「前幕より一年の経過」。幕が開いて、左手からよろよろと出て来るのは。
「ああ…腹、減ったなぁ…」
驚くほどみすぼらしい姿になった新吉。神馬の目つぶしで盲目となり、髪はざんばら、おこもさんの格好で、ゴザを抱えてふらつき気味だ。
新吉が乞食をしていると、通りかかったのは、憎い仇の神馬と丹波屋、芸者(沢村ゆう華さん)に丹波屋の若い衆(沢村鈴華さん)。新吉は「おっかさんの仇!」といきりたつも、あっさり倒され、嗤われ、玩具のように引きずり回される。
「畜生…!」
涙混じりに、地を這う恨み声。神龍さんは格好つけずに、役にズドン!と没頭されるのが才だなぁと常々思うのだけど、この場面の憐憫さは胸に痛いくらい…。

そこにポーンと投げ込まれる三度笠。「あ゛、あ゛!」ていう“オシ”らしい声。旅人姿の新造が駆け出してくる。新造は、一年前に丹波屋で見失った弟を探して旅をしていた。その声を、丹波屋の毒で失いながら。

だが目の見えない新吉には、一年ぶりの兄だとわからない。新造の喉は名乗れない。兄弟を助けるのが、通りすがりの奴の親分(澤村丞弥さん)だ。
“俺はお前の兄の新造だ”
新造が地面に書いた文章を、奴の親分が読み上げる。
「兄さん?!ほんとに兄さんなんだね?!」
赤の他人の温情で、ようやく兄弟は繋がる。再会の喜びに抱き合う二人。その姿に前幕の立派な男の面影はなく、声を奪われ光を奪われ、いまや幼い子どものように心もとない。

「この道をずっと行ったところに、どんな眼病にも効くというお地蔵様がある」
奴の親分に教えられ、新造は新吉を先に行かせることにする。ちらちらと白い雪が降ってきたので、弟が冷えないよう自分の合羽を着せてやって。
「寒いなぁ…うう、寒い…」
合羽に包まれていても、新吉は雪に震える。見つめる新造は無言だが、その心は千夜さんのクルクル動く表情を見ていたら手に取るようにわかる。
新吉が寒がってる、どうしたらいい、温めてやりたい、でもここには何もない――

新造は弟の草履を手に取る。温めるには懐に入れるしかない、いやでも、この雪のついた草履を肌に当てたら極寒だろう、いやいや…てな具合に、草履と弟を交互に見て躊躇する(この間がすっごくユーモラスw)。
「それにしても、寒いなぁ…」
新吉のか細い声を聞いた瞬間、新造は意を決して、ずぼっ!と草履を懐に入れる。
「~~~~!!」(文字化できない悲鳴)
「兄さん、どうかしたのかい?」
心配そうな弟を制し、新造は懐の中の冷たさと痛みに耐える。
千夜さんがあまりの冷たさに目を見開き、腰を折って跳ねる様はコミカルに演じられるけれど。おかしさの皮一枚下に、哀切が膨らんでゆく。

次に新造は、新吉の杖を手に取る。雪の中、杖は氷のような冷たさ。
これはさすがに無理だろう…いや、でも新吉は震えてるし…けど杖は凍ってるし…てな具合にまた迷う。
「ああ、冷えるなぁ…」
しばらくの逡巡のあと。
「~~~~!!」(文字化できない悲鳴2回目)
「兄さん?!さっきから、何かあったのかい?」
そしてこの後、寒さのあまり肌にひっついてしまった杖を無理やり引き剥がして流血し、3回目の悲鳴が上がる。

もう、弟にあげるものが、他には何もない。
亀甲組も。親も。立派な袴も。朗々と名乗りを上げた声も。一年前にあったもの全て、今はもう。
あるのは体一つ。温度一つ、お前にあげよう――

草履と杖を受け取った新吉が、温もりにホッと笑む。
千夜さんと神龍さん、二人の演者と雪の舞台から。
小さな子どもが、もっと小さな子どもの手を握りしめるときの、最も根っこの慈しみが、こんこんと湧き出る。
「ああ、なんだかすごくあったけえ…」
雪の底、夜の底、隣り合わせに兄弟ふたり。

杖を手に歩き出そうとして、新吉はふと気づく。どうしてこの杖は濡れているのか。ぬるりとして血のような…。
やがて新吉は、くしゃくしゃに泣きながら頭を下げる。
「何にも言わねえ、この通りだ…!」
見えずとも、言えずとも、手を握り合わせて兄弟ふたり。

この後の展開はさらに惨い。ラストでは仇を討ち果たすものの、兄弟は死ぬ。今年の2月、『峠の残雪』初見のときは冷え冷えとしたラストが強烈な印象だったけれど(当時の鑑賞録)。
「この話、誰が考えたのか知らないけど、なかなか良い話だと思います」
と千夜さんが話してくれたように。ながやま座での『峠の残雪』は、芝居の通奏低音として響く情愛が流れ込んできた。

それをいつまでも心の宝として抱いていられること。劇団天華の皆さん、裏方さん、ながやま座のスタッフさん、あの日の客席、そして石川旅行中なのに付き合ってくれた連れのおかげ!

CIMG0824.jpg
(澤村千夜座長、当日の舞踊ショーより。こういう角度が滋味深い)

「兄さん、ありがとう、あったけえや…」
最後に残った指先で、人は他者を慈しむ。

劇団天華 今後の予定
8月 お休み
9月 オーエス劇場(大阪府)
10月 梅田呉服座(大阪府)

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