劇団天華お芝居「丸髷芸者」―赤の他人こそが―

2016.2.14 昼夜@堺東羅い舞座

前日の『峠の残雪』に続き、2日間連続で天華さんの人情芝居。しあわせー!
『丸髷芸者』は昨年12月のユラックスで観た(その時の記事)。千夜さんの芸者を中心とした人間模様に、不運な人、力なき人々をまなざす慈愛が現れて、2015年最も心打たれた芝居の一つになった。

2/14は昼夜ともいたので、2回目・3回目の『丸髷芸者』。
初見は千夜さん演じるお蔦さんの悲しさばっかりに意識が向いたけど、今回は丞弥さん演じる大旦那との関係性が沁みてきた。嫁とお舅さん、そこには、儚くもやさしい“赤の他人同士の心の結びつき”が浮かび上がって来る。
特に愁嘆場、千夜さんの長台詞。あるセリフの流れを聞いたとき、ここを聞けただけで、堺東にいられたことを幸運に思った。やったね!

澤村千夜座長・澤村丞弥さん(当日舞踊ショーより)
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芝居の筋はこんな感じ。
江戸で芸者をしていたお蔦さん(澤村千夜座長)は、藤野屋の若旦那(澤村悠介さん)の元に嫁いできた。が、たまたま、顔に火傷の跡のある娘・おみつ(沢村ゆう華さん)が川に身投げしようとするのに出くわす。実は、若旦那はおみつと一緒になると幼い頃から約束していたのだった。
「この顔では他に嫁の貰い手もあるまい…」
おみつの母(喜多川志保さん)の嘆きが切ない。捨てられた母娘の絶望がお蔦さんに突き刺さる。
「娘さん、もう決して、死のうだなんて馬鹿な考えを起こしちゃあいけませんよ」
言った後、お蔦さんが火傷のあるおみつの顔を、じい…っと見るのが意味深だ。既にこの時点で、決意していたんだろうと思わせる。
不幸な娘さんのために、自分は身を引かなきゃならない。離縁されるようにしなきゃいけない、と。

以降は、お蔦さんがわざと悪妻を演じ、自分が離縁されるように仕向ける…という展開になる。
「あたしはね、他人の不幸の上に、自分だけ幸せになるのは嫌なんだよ」
後半の場面で、弟・源次(澤村神龍副座長) 相手に語られる言葉は、薄幸な生きざまを象徴するようだ。哀しく微笑みながらの、自己犠牲と忍従の生き方。

で、お蔦さんを一番嫌うのが、お舅さんになる藤野屋の旦那さん(澤村丞弥さん)。息子は江戸で芸者の色香に引っかかってしまった…と頭を痛めている。

澤村丞弥さん(当日舞踊ショーより)
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丞弥さん、老け役のメイクと白髪の鬘で、普段の淡麗な姿とは別人。老いに丁寧に寄り添おうとする演者の誠実さが、嫌われ役でも憎めなくってチャーミング!

「なんなんじゃ、あの人は!最初こそいい人だと思ったが、最近では昼間から酒びたり、使用人にはつらく当たる、ロクな嫁じゃあない」
お舅さんから見たら、嫁は家に入り込んできた他人。
「あんな嫁は離縁してしまえ、いいな、離縁じゃ!」
と口酸っぱく息子に言う。
やがて若旦那は、お蔦さんが間男を連れ込んだと思いこみ(本当は弟)、「今日限り離縁だ!」と言い渡す。

ここから、千夜さんが誰もいない家に向かって膝をつき、別れの長台詞を述べる愁嘆場。芝居全体で最も大きく感情が膨らむ場面でもあり、さあ来た!という感じで聞き入った。
3回観たうち、3回ともセリフがかなり違うことにビックリ…。それも細かい言い回しのみが変わるのでなく、多くの言葉を割いて膨らませられる心の有様が毎回異なる。ひいては物語全体の色合いが毎回変わってくる。

私の頼りない記憶力をフル稼働させると、昨年12/20の初見時はここがクライマックスだった↓
「どうか忘れないでください。広い江戸の空の下、一人の女がずっとあなたを思っているということを」
「お蔦という名前を、忘れないでくださいませ…」
私の名を忘れないで、というささやかな唯一の望み。寂しいひとつの輪郭が、演者の身体から抜け出るようだった。

2/14昼で重点的だったのはこんなところ↓
「お前さん、どうかおみつさんを幸せにしてあげてください。おみつさんを幸せにできるのは、お前さんだけなんですから」
「短い間でしたが、本当に、本当に、ありがとうございました…!」
ひたむきに伝えられる感謝。情深く健やかな心がストレートに差し出される。

そして2/14夜。今まで観た中で最も、お舅さんに向けられた言葉の量が多かった。
「あたしたち姉弟は小さい頃から、親戚の家を流転流転して、たらい回しで育ちました」(←このセリフはこの回のみだったはず!)
「だからこの家に来て、おとっつぁんができたとき、どんなに嬉しかったか」
「おとっつぁんどうか体を大切に、暑さ寒さに気をつけて、飲み水、食いもんにも――(ハタと気がついてうつむく)今となっては、赤の他人の要らない世話か…」

“親戚の家を流転流転して、たらい回しで育ちました”
という生い立ちを受けての、
“飲み水、食いもんにも――”
この流れ!
今、舞台で膝をついて、訥々と語っている女の人には背景がある。あっちの家へこっちの家へと追いやられて育った。幼い心はうら寂しく、だからこそ義理の父には親孝行したかった…。
その希求が、次の“飲み水、食いもん”という言葉に流れ込む。決して上品な言い方じゃない。このさらに後のセリフで「卑しい、貧しい育ちのあたしみたいな女が」とあるように。人の手をあまりかけられずに育った子どもの素朴な言葉で、でも、お舅さんの体を労わる優しい気持ちがめいっぱい詰まっている。

セリフ一つをきっかけに。
主人公がどういう人で、どういう暮らしの中にあったのか――芝居のさらに奥が、カーテンが取り払われるみたいに開かれる。この構築の面白さこそ、千夜さんの芝居が観たくなる原動力だなぁと。

澤村千夜座長(当日舞踊ショーより)
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さて、お舅さんとの関係性はラストのほうでちゃんと回収される。真実を知った旦那さんは、お蔦さんに深々と頭を下げ、膝をついて詫びる。お蔦さんは驚き、慌ててお舅さんの着物についた泥を払う。
さらに、江戸へ発つお蔦さんの履物をそろえてやるのは、若旦那ではなくお舅さんだ。トン、トンと下駄を並べて差し出す丞弥さんの表情は必死で、自身の愚かさへの悔いが現れていた。
お昼の部を一緒に観た友人が、このシーン良かった、この芝居のハイライトだと思ったと話してくれた。

血の繋がりはない。夫婦関係もない。
心のみで結ばれた他人だからこそ、響き合う何かがある。
この空の下、二度と会うことはなくても、自分の本当の心を知ってくれている人がいる。
だったら、生きていける。

江戸に帰るお蔦さんの最後のセリフ。
「またあたしは座敷に上がって、この丸髷も解いて――(首を振って)ううん、解くもんか…」
丸髷に詰まっているものは、遠くなろうとも、忘れえぬやさしさ。
切っても切れない、赤の他人の。

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