劇団天華お芝居「丸髷芸者」 ―忘れがたい“お蔦さん”のこと―

2015.12.20 昼の部@ユラックス

この芝居のヒロインは、なんとなく呼び捨てにできない。
さん付けで“お蔦さん”と書きたくなってしまう。
「あたしはきっと、そういう星の下に生まれついたんだよ」
懐かしい知り合いのように。やさしい、かなしい、一人の人間の姿が、この世の影の中にひっそり住んでいる。

澤村千夜座長(12/19個人舞踊「風の盆恋歌」)


11月から私の中で一大旋風を巻き起こしていた劇団天華さん。
四日市の友人がTwitterに載せてくれるユラックスの写真を見ているうちに辛抱たまらず、またタイミングよく四日市の知人宅に泊まれることになり、サクッと行って参りました!
『丸髷芸者』は、ファンの方のブログで概要を読んでから観たかったお芝居の一つだった。

主人公は、芸者上がりのお蔦さん(澤村千夜座長)。江戸で座敷をつとめていたところ、藤野家の若旦那(澤村悠介さん)に見初められ、見知らぬ土地へ嫁いできた。
嫁いですぐの頃、若い娘が橋から身投げしようとするところに出くわす。顔に大きなヤケドの跡のあるおみつ(沢村鈴華さん)。おみつを助け、その母(喜多川志保さん)の話を聞くと。
「おみつは三つのころ、一緒に遊んでいた大店のせがれにトンと背中を押され、囲炉裏の中へ真っ逆さま…以来、二目と見られぬ顔になってしまったのです。この顔では嫁のもらい手もあるまい、ならばそのせがれと一緒にさせよう、と親同士で約束していたのに」
志保さんがギュッと目をつむり、小さな体が悔しさに震える。
「そのせがれが江戸で惚れた芸者を嫁にすると…約束を反故にして、おみつを捨てて!」

ここでお蔦さんはハタと気がつく。
「あの、もしよければそのお店の名前を聞かせていただけますか」
「お店の名前は、藤野家というのです」
この純朴そうな母娘の幸福を知らずして踏みにじったのは、自分だということに。

「芸者なんてものは、男をとっかえひっかえの女狐にきまっています。その嫁に会ったなら、私のこの手で横っつらをはたいてやりたい…!」
志保さん演じる母が、全身で善良さを醸しているだけに、その言葉が突き刺さる。

喜多川志保さん(12/20個人舞踊「お梶」)
CIMG4790.jpg

母娘の恨みを知ったお蔦さんは、わざと嫁ぎ先で荒れ出す。朝から晩までお酒を飲み、奉公人にもつらく当たる。義父の大旦那(澤村丞弥さん)や、夫である若旦那が苦言を呈する姿を見やって、「タヌキと白豚かと思ったよ」と笑い飛ばす。
「ここは退屈なんだよ。あたしはねえ、江戸でもう一度華やかな芸者の暮らしがしたいのさ」
挙句の果てには、訪ねてきた弟の源次(澤村神龍副座長)にしなだれかかる姿を夫に見せて嘘をつく。
「この人はね、あたしの間夫(まぶ)だよ。お前さんよりずっと古い付き合いなんだ」
―それらは全部、夫に離縁してもらうための芝居。おみつと母の不幸を救うための偽り。

篠原で観た『芸者の誠は石清水』でも思ったことだけど。
千夜さんの芸者役には、“下からのまなざし”とでも言えそうな、世の中の底辺にいる者の持つ慈愛がほんのり光っていた。
『丸髷芸者』でとかく繰り返される、芸者という職業への罵詈雑言。
「たかが芸者」「芸者ふぜいが」「この売女、女郎!」
それも、おみつの母や心優しい藤野家の若旦那といった、普段は善き人々からの。

世間に見下され、叩かれ続けてきたお蔦さんにも、ささやかな夢があったという。
「姉ちゃん、その頭、丸髷だなあ。幼い頃から姉ちゃん言ってたもんな、『いつか必ず丸髷結うのがあたしの夢なんだ』って…」
弟の源次が島送りから赦免になり、訪ねてくる場面。姉弟の会話から観客が読み取れるのは、父と母を流行り病で亡くしたこと。それからは姉が親代わりになって弟の面倒を見てきたこと。
「姉ちゃんね、今じゃこの家の若女将になったんだよ」
と言うお蔦さんの表情は、本当に弾むように嬉しげだ。

なのに、せっかくつかんだ幸せを、自分の手で砕こうとしている。
「なあ姉ちゃん、それでいいのかい」
戸惑う弟に、微笑んで言う。
「姉ちゃんね、他の人を不幸にしてまで、自分が幸せになりたくないの。あたしはきっと、そういう星の下に生まれついたんだよ」
描き出されるのは。
一番下にいる人間の、一番やさしい心。

“間夫”の芝居にすっかり誤魔化された夫は、ついに怒鳴る。
「お蔦、お前とは、今日限り離縁だ!」
その瞬間、パッと照明が落ちて、千夜さんひとりがライトの中に照らし出される。
お蔦さんの顔は、あれは何という顔だったろう。空間をシンと見つめて、目を見開いて、はるかな虚空に身一つで投げ出されてしまったような女の顔。
彼女の意図した通りになった。
同時に、彼女の小さな夢は壊れた。
それでも次の瞬間には笑うのだ。
「今、離縁とおっしゃいましたね。よくおっしゃいました。よくおっしゃいました…」
極点まで行き尽した哀しみが、笑顔の形でこぼれるみたいに。

藤野家を出ていくとき、誰も出てこない家に向かって膝をつく。
夕闇の控えめな照明の中、別れの長台詞。実の親に孝行できなかった分、本当は義父に親孝行したかったこと、夫の優しさに心から感謝していること…。
「お前さん、たった一つだけお願いがあります」
ずっと微笑んだままだった表情が、ここで初めて泣きに崩れる。

「どうか忘れないでください。広い江戸の空の下、一人の女がずっとあなたを思っているということを―お蔦という名前を、忘れないでくださいませ…!」

これから江戸へ戻れば、再び座敷に上がって芸者をせねばならない。
何も持たない彼女が残していく、たった一つの証。
“お蔦という名前を”
祈るように手のひらを合わせて。
天を見上げながらも、ほろほろと世の底へ落ちていく人間の、ひとかけらの望み。

影を負った姿には見覚えがある。私たちの現実世界にもいる。運の悪さに足をすくわれる人。打たれても打ち返す腕を持たない人。人の良さばかりで生きているような、見知った顔がいくつも振り返る。

それでも芝居の最後のセリフには、確かな希望があった。
「あたしはこの丸髷だけは、これからも決して解くことなく、丸髷芸者で二度の座敷に上がりましょう」
涙に暮れながらも、顔をまっすぐに上げて笑みを湛えているお蔦さん。
地を這っても顔を上げて生きる。苦界の中でもまだ花は咲く。

関西の友人に、澤村一門の芝居について色々教えてもらったこともあり。
この2か月でだいーぶ急速に天華にハマり、遠征までして、我ながらびっくり…

劇団天華ラストショー(12/20)
CIMG4874.jpg

ここの芝居の何に惹きつけられているんだろう。
“風景が開いていく”愉しさだろうか。芝居に出てこない部分までセリフで補完され、構築されることで、見えない風景が折り重なっていくような…
千夜さんのやり方が、何かざらざらした手触りなのも面白い。

篠原で涙をしぼった『釣忍』、そして『丸髷芸者』みたいに。
悲しみの際を笑って生きる人間と、天華のざらりとした風景が吸いつくとき。
ひとつの生々しい人間の影が、よぎっていく気がするのです。

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