橘大五郎座長 個人舞踊「願わくば桜の下で」(橘劇団)

2015.5.31 夜の部@大宮健康センターゆの郷

“彼女”は高野山に行くのだそうです。
笠を抱いて、杖をついて。
ひとりで、行くのだそうです。

橘大五郎座長 「願わくば桜の下で」


この美しい女形の、引力のわけは。
なにか、心の在りかが知れないような。
いつも遠くを見つめているような距離ではないかと思う。
魂半分、ここではないどこかへ抜け出てしまって、ひりついた名残だけが目元に繰り返し打ち寄せる。

ゆの郷初日、夜の舞踊ショー。
トップの賑やかな群舞が終わって。
2曲目に鳴り出したのは、ぽっかりと心さみしい曲だった。

―枝垂桜のこの下で
あなたと散りたい この春に―


大五郎さんのまろやかな情味。
短調の曲、黒の衣装の愁い、小道具。
一つ一つの要素が、亡くなった(あるいは行方知れずの)恋人の面影を追っている女性かな…?と想像させて。
送り出しにて、友人と一緒に、率直に質問をお伝えしてみた。
「あれは、旅をしてる人なんですか?」
大五郎さんは、丁寧に説明してくれた。
「高野山に、亡くなった旦那さんのお参りに行くってイメージなんですよ」

その言葉を聞いて。
頭の中に残っていた舞踊の影が、もう一度立ち上がって来た。
どうりで、あの悲しさは死者に注ぐ思いだったのか。

―草を枕に寝ころべば
あなたの胸の 音がする―


舞台右手から、笠に隠れるように現れた大五郎さん。
控えめのライトの中に、白い頬が冷たく浮かび上がる。

姿は、喪に染めたような黒。
袖にだけ渋いあずき色が入っていて、踊りに合わせて揺れる。
客席に目線を落としながら、進む足はゆっくり、ゆっくり。
一歩歩んで、目を伏せる。
半歩歩んで、わずかに笑う。
夫を亡くした女性が、内に抱えている悲しみを少しずつ観客にほどいていく。

歌が二番にさしかかったとき、胸から“旦那さん”の遺髪を取り出した。
遺髪に語りかけるみたいに、空に掲げる。

―朝の桜は そそとして
昼の桜は あでやかで
夜にはあやしい 艶を見せ
死ぬの生きるの 大さわぎ―


桜という歌詞が響くたび、舞台には枝垂れ桜の風景が浮かんだ。

あの、清冽な色気の潤む目で。
手中の遺髪をじっと見つめたまま、客席に降りて来る。

大五郎さんの姿が、私の席にも近づいてきた。
ついこの前、大五郎さんの女形芝居を見たとき、“かわいそうな女の人の役が本当によく似合う。”と振り返った。
今一度、目の前を通り過ぎる美貌を見れば。
確かに“さみしさ”がにじんでいる…。
それも、人恋しさにじっと耐える子どものような、いとけない種類の。
寂しさや淋しさと書くのでなく、ひらがなで表したいさみしさだ。

大五郎さんは客席を一周した後、舞台に戻って。
遺髪を眼前にかざし、まっすぐ見据える。

ハッと、なにか糸が解かれるように、真にあどけない表情になった。
ずっと遺髪を懐にして、旅していたのに。
初めて喪失の深さに気がついたような。
その瞬間、ここではないどこかに、心が引き上げられてしまったような。



“彼女”の歩みは、ゆっくり、ゆっくり。
急ぐ旅ではないから。
目指す人は、もう喪われているのだから。
あなたと散りたいと、桜に寄せて唄いつつ。
女がひとり、高野山へ行くのだそうです。

舞台に広がる抒情の量。
普段、元気印みたいな若い座長さんだけど、持っている物語性はかなり古風なことに驚く。

送り出しでの説明に、私と友人がふむふむと頷いていると。
「今度観る時は、ぜひそういうイメージを持って観てみてください!」
実に朗らかな笑みを浮かべてくれた。

役者さんが、思考錯誤して(あるいは直感で?)。
舞踊に込めたオリジナルのお話。
ファンとして、それを見つけられるのは実に幸運だ。

ゆの郷の玄関ロビーのベンチに足をぶらぶら腰掛けて、帰りのバスを待ちながら思っていた。
今日の料金は、あの舞踊一本のために払っても惜しくなかったな…。

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