橘菊太郎劇団お芝居「鶴八鶴次郎」・2

2014.8.23 夜の部@浅草木馬館
(大五郎座長・きよみさん中心に語った「鶴八鶴次郎」・1の続きです)

今、橘小次郎さんに、ワクワクしている。
見始めたばかりの橘劇団で、個人的には最も気になる存在である。

橘小次郎さん(当日個人舞踊「帰ってこいよ」より)


初見の「明治一代女」で巳之吉を演じていたときから、何か私の心に引っかかるものを残していった。
いずれも芸達者な面々の中で、小次郎さんひとり、プラスアルファの芝居の味があるような…

それは多分、粘り気だ。
表される感情が、ペタッ…と後を引く。
たとえば「明治一代女」では、大五郎さんのお梅と包丁を取り合って、鬼気迫る揉み合いをする、山場。
歯を食いしばり、瞳孔開いて、お梅の傘を引き裂く小次郎さんの姿に、目が離せなかった。

でもって、「鶴八鶴次郎」では、番頭の佐平役。
派手な見せ場のある巳之吉とは違って、常識人で苦労人の役だ。
「ああもう、二人とも、落ちついて…。旦那、なんとか言ってやって下さいよ」
喧嘩ばかりする鶴八と鶴次郎に、頭を痛めている。
始終困り顔だけど、丸みを帯びた顔立ちのせいか、温かいものを醸し出す。

鶴次郎が鶴八と決裂してから、二年後。
佐平は、場末の寄席でやさぐれていた鶴次郎を見つけ出し、店に帰って報告する。
「鶴次郎さん、昔と同じようにとは、そりゃいかないが、渋みのある良い声だった…!」
体の底から、噛みしめるように言う。

ちょっとしたシーンなのだけど、このときの小次郎さんの表情がとても印象深かった。
ふっくらした頬に笑みを深めつつ、鶴次郎の舞台姿を思い浮かべるように目は伏せている。
鶴次郎への愛情、敬意の一方で。
二年前への懐古、一抹の寂しさ。
まとめて丸まって、正座した佐平の姿に浮き上がる。

佐平自身は、番頭であって芸人じゃない。
だからこそ、芸人の哀しさを描いた芝居で、佐平の存在は安らぎだ。

ラスト近く、物語の眼目と思しき鶴次郎のセリフは、楽屋で佐平と二人きりのときに語られる。
「俺はこの二年で、芸人の世界がつくづく嫌になっちまった。人気があるときはみんなが回りに集まって来るが、落ちぶれれば手のひら返す」
「俺とお豊ちゃんが再び組んで出れば、しばらくは人気を取り戻せるだろう。でも、長くは続かねえ。盛りを過ぎた芸人の惨めさを、お豊ちゃんは知らねえんだ」
鶴次郎は、業の深い芸の世界から鶴八を逃れさせるため、わざと突き放した。
鶴次郎が吐き出す悲しみを、じっと佐平は受け止めている。

劇中の二年で、芸人たちの生き様は、それぞれ大きく変化した。
鶴次郎は落ちぶれ、鶴八は芸を辞めて料亭に嫁いだ。
新弟子だった小鶴(天の川光さん)は一人前の三味弾きになった。
古株だった鶴子(女優さんのお名前が申し訳ないことに不明)は、独り立ちして鶴次郎を蔑視するようになった。

でも、佐平は変わらない。
二年前と全く同様に、帰って来た鶴次郎を迎える。
芝居全体の休憩所のように。

鶴次郎の語る芸の世界は、痛いほど切ないけれど。
それを聞く相手が佐平であったことが、場面に救いを与えていたと思う。
「なあ佐平、今夜は一杯、つきあってくれよ」
と鶴次郎に言われて、深く、涙ぐんで頷く。
小次郎さんの大らかな空気が、場に満ちる辛苦をふわりと掬い上げる。

……いいなあ。
この方のお芝居、とても好きだなぁ。
巳之吉にしろ佐平にしろ、主役が引き立つように、自身は抑えた演技なのだけど。
ふいに覗く、血潮の熱さ。
気になって、そっと手を伸ばしてみれば、ペシャッと手のひらにはね返る、情の滴りがある。

↑のお写真は、個人舞踊で踊っていた松村和子の「帰ってこいよ」。
私は、望郷をテーマにした“帰り歌”にやたら執心しているので、こういう歌を軽々と踊られていたのもツボ。

さて、「鶴八鶴次郎」はもっとセリフの少ない役の方も、一人一人が真摯に演じていた。
天の川光さんの、新弟子・小鶴の純真。
橘良二さんの、料亭の息子の独善。
橘裕太郎さんは、通行人のお爺さんや、珍妙なやくざの子分の役で笑いを入れていた。

細部までぴしりと綺麗に揃った大作芝居は、“橘”の誇り、凄さを思い知らせてくれた。
…というわけで、9月のスケジュール帳には、篠原演芸場の予定を増産しています。

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