劇団荒城お芝居「上州土産百両首」―2・荒城照師さんの正太郎―

2014.6.7 夜の部@浅草木馬館

その日、幼い兄はどこからか、金を抱えて戻って来た。
「兄ちゃん、このお金どうしたんって聞いても、この金は大丈夫だから、これで医者に行こうって」
弟・牙次郎(荒城勘太郎若座長)の昔語りを通して。
舞台にいない兄・正太郎(荒城照師後見)の哀切が、心の裏側から斬り込んで来る。

写真・荒城照師後見(当日個人舞踊「酒の河」より)


前の記事では、勘太郎さんの牙次郎の純朴さを語ったけど。
対照的に、兄の正太郎は、世間ずれしているようだ。
照師さんは、舞台に登場するなり、荒んだ目で辺りを見回して。
息をするように自然に、人にぶつかって財布を掠め取る。

“一年でスリを辞めて堅気になる”という牙次郎との約束も、果たせなかった。
「牙次…悪い。本当は、俺はまだ…スリやってんだ」
決まり悪そうに伏せる顔には、人生に対する諦念が、くたりと引っかかっている。

そして正太郎の命運は、やっぱり諦念に絡め取られるのだ。
今度こそ牙次郎との約束を果たすため、上州の旅籠で真面目に働き、評判の板前になっていたにも関わらず。
かつての兄貴分(姫川豊さん)が、ゆすりをかけてくる。
「まとまった金が要るんだよ。百両、用意しろってんだ」
短刀を奪いあいながらの、揉み合いの末。
「牙次―!」
と絶叫して、正太郎の手は、兄貴分の腹に短刀を突き立てる。

刺した瞬間、豊さんを押さえたままの、照師さんの横顔!
凍りついたまなざしが、どこでもない虚空に、むなしく流れていく。
何もかもを手放さざるを得なくなるときの人間は、こんな顔をしているのか。
弟との約束も、決まっていた旅籠の娘との結婚も。
未来は全部、この一突きで、おしまい。

私が一番正太郎というキャラクターの心情を感じたのは、牙次郎が十手持ちの親方に、兄との生い立ちを語る場面。
舞台には、牙次郎と親方二人しかいないのだけど。
「兄ちゃんと二人だけで、橋の下に住んでました…」
貧困の中、弟を懸命に守ってきた幼い正太郎の姿が、重なって見えて来る。

「わし、体を壊してしまって。高熱が出て。医者にかかるにも、金がないんです」
牙次郎がこう言ったとき、次の展開が想像されて、ヒヤッとした。

「そしたら、兄ちゃんが出かけていって、どこからかお金を持って来たんです」
「そのお金で医者に診てもらって、わしは元気になりました」

他になかった。
道はなかった。

牙次郎が兄のお金の出所に気づいたときには、正太郎は既にスリの名人になっていた。
「兄ちゃん、通る人に次から次にぶつかっていくんです。ものすごい速さや。通り歩くだけで、財布がごっそり」
冒頭の場面で、財布を掠め取る正太郎の慣れた手つきが、甦る。

終盤、正太郎が捕まったとき、牙次郎は泣き喚いて親方に言う。
「兄ちゃん、むやみやたらに人殺すような男と違いますよ。自分のために、自分のために、何度も危ない橋渡って、兄ちゃんは」
傍らで、縄打たれた正太郎が俯いている。

“俺はまだ…スリやってんだ”
正太郎の諦念が、どんな過去に根ざしていたか。
暗いほうに手を伸ばさざるを得なかった人生が、どんなに選ぶ余地のないものだったか。
経緯を聞いた後では、正太郎の場面一つ一つが意味を大きく含み直して、縄に括られた照師さんの細い姿に打ち響く。

牙次郎・正太郎、それぞれの愛情の深さ。
兄弟の根っこにある幼少期の暮らしが、巧みに現在と交差する構成。
待ち望んだ「上州土産百両首」は、いつまでも記憶の奥深いところで脈打つ、とっておきの情景になった。

しかし、劇団荒城さんは関東にいてくれるのに、これまで2年も見逃していた、私のバカ…!

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