橋本正樹さん著「晴れ姿!旅役者街道」

待ってました!
「演劇グラフ」名物連載「あっぱれ役者街道」、単行本第2弾!



毎日の通勤電車の中で、繰り返し読んでいる。
思えば単行本第1弾にあたる「あっぱれ!旅役者列伝」も、学生時代のバイブルだった。

知らない方のために説明すると、「あっぱれ役者街道」は名役者さんや劇場を巡る人間模様を描いた、「演劇グラフ」の長期連載。
著者は大衆演劇ライターの橋本正樹さん。

「晴れ姿!旅役者街道」では、以下19名の役者さんが、一人ずつ章に分けて取り上げられている。
見海堂駿さん、紀伊国屋章太郎さん、二代目南條隆さん、二代目小林隆次郎さん・小林真弓さん、旗丈司さん、二代目都城太郎さん、勝龍治さん、かつき浩二郎さん、澤村新吾さん、大導寺はじめさん、橘魅乃瑠さん、二代目梅田英太郎さん、不二浪新太郎さん、三咲てつやさん、高峰調士さん、美影愛さん、近江竜子さん、明石たけ代さん。
(各地方の劇場の歴史を書いた「劇場物語」も収録されている。これもものすごく面白い)

中でも私の琴線に響いた章を、いくつか紹介させていただきたいと思う。
まず見海堂駿さんの章は、1980年に行われた、浅草木馬館での座長花形大会の描写から始まる。

“『よろしかったら』を踊った見海堂の、謎に充ちた表情、緩急自在に変転する身体のライン、退廃すれすれの妖艶さに、新しいタイプの役者像を発見したのだ。”

34年経つ今も、そんな感じの方だった!と膝を打った。
私が見海堂駿さんを4月にゆの郷で見たときは、強烈に毒の効いた悪役芝居をしていた。
舞踊の表情も、ふらりとつかみどころがなくて、何かを企んでいる感じの笑みに色気が乗っかっていた。

読み進めていくと、見海堂さんが若い頃自衛隊にいたことや、東京で人気が高まってきた頃にいきなり消息を絶ってしまったことが、克明な取材に基づいて記されている。
まさに自由人としか言いようのない奔放な人生が、浮かび上がって来て。
私の記憶の中にある見海堂さんの舞台が、深く色づいていく。

それから、真っ先にめくったのが勝龍治さんの章。
剣戟はる駒座の芝居が大好きな者として、敬服する総裁のことは知っておきたかった。
本書によれば、龍治さんは14歳に座長に就任したときに、幹部たちから凄まじいしごきを受けている。

“「……な」と言うべき台詞の語尾を、「……ね」と一字言い間違えただけで、芝居を受けようともしない。十四歳の座長が右往左往するのを冷ややかに見つめ、舞台そっちのけで楽しんでいるようにも思えた。”

加えて、龍治さんの父・嵐一郎さんの仕打ちはもっとすごい。
必死に座長を務めていた龍治さん(当時のお名前は小泉いさを)に、本番中も(!)容赦ない叱責を浴びせたそうだ。

“そのころ父親はたいてい木戸番をしていて、小泉いさをの演技が気に食わないと、木戸席から舞台袖へとんできて、「下手や、下手や。もっと勉強せぇ、クソ大根」と叫びはじめた。”

不動倭さんや勝小虎さんが、「いてくれるだけで安心感がある」と語っていた存在。
ファンの方が口々に、「龍治さんがいる日はお芝居が締まる」と語る存在。
その龍治さんの若き日に、こんな苦労が刻まれていたとは…。

橋本さんの文章からは、役者さんの人生はもちろん、各時代の空気も随所随所で伝わってくる。
たとえば小林真弓さんの章より、小学生時代を描写した一文。

“大好きな天地真理や麻丘めぐみの話を友達とゆっくりしたかったが、終業べルが鳴るととんで家に帰り、きれいに掃除し、夕食をつくり、風呂をたいた。いまのガス風呂のようにスイッチを押すだけでなく、新聞紙を丸めて点火し、たきぎを燃やすのは、小学五年の真弓には至難のわざだった。”

小林真弓さんは1958年生まれとあるので、計算すると、1969年頃ということになるかな。
風呂を焚く時の手元の火の熱さとか、小学生の女の子がしゃがみこんでいる背中の形とかが、皮膚に伝わってくる。
私の知らない時代に漂っていた澱のようなものが、文の中にフッと掬い上げられる。

19人の役者さんお一人、お一人の人生が、どんな世の匂いの中をくぐってきたのか。
一ページめくるたびに、時代の渦の中に飛びこむようだ。

長いこと憧れだった橋本正樹さんとは、昨年末にお話する機会を得て以来、折に触れてお世話になっている。
私のような新参者の無知な質問にも、心を尽くして答えてくれる、とても温かい方である。

「晴れ姿!旅役者街道」、普段私のブログを読んでくださってる方も、ぜひ手に取ってみてください。
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