長谷川伸「沓掛時次郎」

前回の「瞼の母」に続いて、またも長谷川伸傑作選から一つ。

ばくち打ち・沓掛時次郎が、とある男の殺害に巻き込まれ、男の妻・おきぬと、その幼い息子・太郎吉を守って旅する話。
そんなあらすじを聞いたことこそあれど。
はまりたてなので、恥ずかしながらまだお芝居で観たことがないのです。
早く観たいですねー…。

さて、戯曲で読んでみたこの話。
いやあ、惚れ惚れするほど時次郎かっこいい!

「女房子供を斬ってどうするんでえ。ばくち打ちは渡世柄付いて廻る命のやり取り、こいつは渡世に足を踏込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねえ、いけねえ。斬らせるもんけえ」

粋で、強くて、優しくて、漂わせるのはちょっとの哀愁。
まさに理想の男性像、長いこと愛されてきたキャラクターなのも頷ける。

そして、読み終えたとき。
パッと目に浮かんだのは、散っていく桜の花。
あるいは、花も芽もない冬の木。
そう、一つ一つの場面の季節感をすっごく感じるのです。

物語の中で、秋から春へ時が経つためなんだろうな。
観客に時の流れを知らせる手法として、季節の風景が細かく描かれてる。

たとえば旅の途中、時次郎たちが酔っ払いに絡まれる場面は真冬。
場面説明に、「諸所にある立木が、枯れたように見える厳冬だ。寒そうにして行き交う男女がある」という文がある。

それからしばらく経って、おきぬが亡夫の赤ん坊を出産する直前は、春の初め。
「庭にある一株の桜は花がすこし綻びかけている」という文からわかる。

そしてラストシーンは春の終わり。
場面説明、「桜の花は咲き切ってもう散りかけている」のだから。 

秋から春へ。
毎日少しずつ寒くなり、次に毎日暖かくなっていく暦の中で。
時次郎・おきぬ・太郎吉の三人は旅していた。
道中の三人の会話は、時間が経つにつれ、"一緒に生活している"という感じが出てくる。

おきぬ「あたし達母子とお前さんとは、縁もゆかりもない赤の他人だのに、こうして親切にして貰っているのを思うと、つい泣けて、しようがないのですよ」
時次郎「おきぬさんのお株が始まったね。他人も親類もあるもんか。坊や、おっかちゃんに、泣くんじゃねえっていいな」
太郎吉「おっかちゃん。小父さんが心配するから泣くんじゃないよ」

描かれていない場面でも、自然に目に浮かぶようだ。
読み手(観客)に見えないところで、三人が笑ったり泣いたり、互いに慰め合ったり、時には互いの弱さを叱ったりする様子。

秋から春へ。
物語序盤、夫を殺されたおきぬと太郎吉。
特におきぬは、まだ幼い太郎吉を抱えて、加えてお腹にはもう一人赤ん坊がいた。
不幸のどん底にたった一人で突き落とされたのだ。
それを時次郎が助けた。
一緒に旅をするうちに、時次郎とおきぬの心が近くなっていくのがわかる。

時次郎「太郎坊の物もだが、おきぬさんも薄着だねえ」
おきぬ「あたしよりお前さんこそ薄着だ。まだ袷と単衣だけでしょう」
時次郎「何をいうのだ。沓掛の時次郎は日本中飛び歩いた男だ。寒中真ッ裸でもくらせる奴さ。さ、行こう」

少しずつ季節が綻ぶように、時次郎とおきぬの心も綻んでいったんじゃないだろうか。

結局、最後おきぬは死産で自分も亡くなってしまうんだけど。
ラストシーンでおおっと思った時次郎のセリフ。

「俺も逢いてえ、逢って一ト言、日頃思ってたことが打明けてえが――未来永劫、もうおきぬさんにや逢えねえのだ」

時次郎のおきぬさんへの思いは、言葉にされることはもうないけれど。
確かに胸の底にあったのだ。
季節の中で、時の中で、静かに降り積もった心。

この戯曲には派手な立ち回りの場面もたくさんあって、それも絶対見どころではあるんだけど(観たら間違いなく見惚れるけど)。
時次郎とおきぬさんの、わずかずつ近づいていく心の過程が、お芝居では観たいなあ。

秋から春へ。
この美しいお芝居を観れるのが近い日でありますように。
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