大衆演劇と“帰り歌”の話

―飛べ飛べ あの日の竹とんぼ
思いの糸引きふるさとへ―
(山本譲二「竹とんぼ」)


“ふるさとへ帰る”というモチーフが、大衆演劇と結びつく時、深く胸を突くものはなんだろう。
舞踊ショーで、「帰郷」「望郷」を歌う曲があると、私はハッと目を覚ますような心地がする。
帰ろうか、帰ろう、帰りたい…
歌詞が染み入って、胸の底が、哀しく人恋しい。
ぽっかり丸く青白いライトの中、淡々と踊る役者さんに重なって、一体何が肌に迫って来るのだろう。

それらの曲を、自分の中では“帰り歌”と呼んでいる。
たとえば、梅沢富美男「帰りゃんせ」。
この曲が印象深いのは、劇団KAZUMAの柚姫将さんが踊っていたからだ。

写真・劇団KAZUMA 柚姫将さん


最近見たのは、2014年1月の京橋・羅い舞座遠征で。
―帰りゃんせ 帰りゃんせ
私ならもう大丈夫―

―気にしないで 帰りゃんせ―
美しい旋律が、将さんの持つ独特の人懐かしさと響き合う。
帰りゃんせ=「帰りなさい」と、謡い手は誰かをふるさとへ送り出す。
だから、こもる郷愁は、帰って行く人の背に乗って、遠くへ運ばれていく。

―振り返らずに 帰りゃんせ―
将さんがくるくるかざす扇子の、もっと上のほう。
澄みきった望郷が、羅い舞座の客席にゆるやかに降って来る。

その帰りなさい、という声に背を押されるように。
心がそぞろにふるさとを目指して騒ぎ出すと、今度は。
つい先月、大島劇場で見た風景を思い出す。
不動倭座長の踊る、木山裕策「home」だ。

写真・剣戟はる駒座〈倭組〉不動倭座長


―帰ろうか もう帰ろうよ―
演歌でなくJ-POPにも、ふるさと恋いは現れる。
思いっきり感傷的なメロディに加え、倭さんの瞳にはいつも大量の感情が迸る。
客席ごと、大きく帰路へと運ばれるようだ。

―茜色に染まる道を 手を繋いで帰ろうか―

もう帰ろう。
いつの間にかこんな遠く離れてしまった。
そんな気分に陥って、私の意識も帰り支度を始める。
どこか、元いたところへ帰ろうとする。

でも。
たまらなく帰りたいけど、そもそもどこへ?
帰郷は頓挫する。
灯りを見失い、帰り途を見失う。

ふるさとは遠くにありて思うもの。
茫洋とした諦念が沸き上がるとき、この歌がぴたりと心にはまる。

―竹べら突ついて 穴あけて
遠い昔におやじにねだり―


山本譲二「竹とんぼ」は、踊らない方いるんだろうかってくらい、よくかかる印象だ。
中でも忘れがたいのは、華原涼さんの舞踊。

写真・劇団KAZUMA 華原涼さん


―飛べ飛べおやじの竹とんぼ
どこまでも飛んでゆけ―

サビのところで、竹とんぼをしゅっしゅっとこする真似をして、空に飛ばす。
飛んでいく竹とんぼを見るとき、涼さんの始終冷静な目が、わずかにぶれる。
淡々としたしなやかな舞踊の中、一点の熱が発露する。
極力抑えられた表現に、うっすらにじむ、ふるさと恋し。

―くるり回せば希望の唄が
風に聞こえてくるんだよ―


舞踊の奥、立ち昇る、もやの中。
たしかに覚えのある景色が、わずかにめくれる。
けれどすぐ、閉じてまた見えなくなる。
あのおぼろこそ、私の探すものだったんだろうか。

「大衆演劇は人情と郷愁」と信じてやまない私は、こういう舞踊に出会うたび。
遠い何かに呼びかけながら、涙が出そうになる。

昔ながらの人情を謳う舞台は、やっぱり懐古と溶け合う。
新しいものを志す役者さんたちに、たとえそのつもりがなくとも。
大衆演劇は、現代から剥がれ落ちた、懐かしい細やかなひだを、自然に含むのかもしれない。

いつもに増してとりとめない記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。
もしこのブログを読んでくださる方にも、お気に入りの“帰り歌”があったら、ぜひ知りたいです。

帰ろうか、帰ろう、帰りたい…
小さな舞台に口を開ける、帰り道に歩み寄りたくて、立ちなずんでいる。

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