剣戟はる駒座〈倭組〉お芝居「やくざの花道」

2014.2.16 昼の部@大島劇場

「やくざの花道」は2013年5月にユラックスで観て以来だった(そのときの鑑賞録)。
このお芝居は初見のときから、勝小虎さんの敵役・剛三のキャラクターが好きだ。
どこが好きって、弱肉強食の論理が心臓の芯まで染みついているところ!

写真・勝小虎代表代行(当日舞踊ショーより)


剛三はかつて、ボロボロになって行き倒れていたところを、やくざの高垣一家に助けられたという設定。
そのときは、涙を流して高垣の親分(勝龍治総裁)に感謝し、“どうか子分の端に加えておくんなさい”とお願いしたらしい…のだが。

かつての弱者は、力に飢えつく。
剛三は恩ある親分を暗殺し、自分が親分に成り上がる。
陰から短銃で親分を撃つ小虎さんの姿に、一瞬の場面ながら、獲物を狙う尖った色が強く差し込む。

「これで一家はみんな俺のものだ…」
茶屋らしき腰かけに大股開いて座り、子分(宝華紗宮子さん・叶夕晏さん)を侍らせて、今後の企みを語る。
腰かけが、客席に対して真正面に向けられているのが良い。
おかげで、子分に投げやる驕った目線、機嫌の良さそうな声、眉の上げ方一つまで、小虎さんの人物の創り方が微細に見て取れる。
「だがな、五人衆の連中だけが色々とうるさい。そこで良い手を考え付いた」
剛三が次に狙うのは、先代のお嬢さん(宝華弥寿さん)。
お嬢さんを娶って、正式な襲名であることを示し、五人衆を黙らせようとする。

何もないところから這い上がった者だからこそ、奪うことにためらいがない。
この“飢餓感”にゾクゾクする。

剛三は敵役なので、最終的にはやっぱり討たれる。
討つのは、高垣一家の飯炊きの少年・卯之吉(勝彪華さん)だ。
そして、剛三の最期のセリフこそ、個人的には白眉だと思う。
「ふざけるな、卯之!」
「お前、俺にこんなことをしてただで済むと思うな!」
背後から押さえられ、卯之吉に槍を突きつけられ、もう殺されるしかない状況なのに。
この場面の小虎さんの怒気、迫力。
冷えきった憤怒が、独特の声の芯を貫く。
「お前が出る幕じゃねえんだ、三下はすっこんでろ!」
その気迫に押され、卯之吉がたじたじと尻餅をついてしまうほど。

弱者である卯之吉が、強者である自分を屠ろうとしていることに、本能的に吠えつく。
強さへのもがくような執着が、死の場面を通して焼きつけられる。

そして剛三と対照的なのが、彪華さん演じる卯之吉。
小さいときから高垣一家で育てられたという、気が優しくて、争いごとが苦手な飯炊きの少年だ。

写真・勝彪華さん(当日舞踊ショーより)


2013年5月に観た時は、卯之吉役は津川鶫汀座長(当時は副座長)だった。
鶫汀さんは、体は小さめだけど目力がきらりと強くて、卯之吉のしたたかな心の在り方が伝わって来たことを今も覚えている。

彪華さんが演じると、もっと爽やかで、まっすぐな印象だ。
「わかった、その金、百両、俺が用意する!」
「いつまでだ?」
「……今日の暮れ六つ!」
剛三一派からお嬢さんを助けたい一心で、ありもしない大金を用立てると言ってしまってから、事の重大さに震える。
力のない者が、それでも懸命にお嬢さんを守ろうとする健気さに、心惹かれる。

卯之吉の根底にあるのは、殺された高垣の親分から注がれた愛情だ。
「飯炊きの卯之、あいつはやくざにゃ向かねえ、優しいやつだ…」
親分はそう言い残し、最期まで卯之吉を案じながら死ぬ。

「やくざの花道」は、卯之吉を中心に眺めると、優しいばかりの少年が一人前の男として力を得るための、通過儀礼的な物語にも見える。
それが如実にわかるのが、やっぱり例の剛三を討つ場面。
卯之吉は剛三の剣幕に一度は怯えながらも、
「俺は弱い飯炊きなんかじゃない…!」
とぎりぎり歯を食いしばって、憎い仇に槍を突き立てていく。
彪華さんの若い熱の弾けるような演技に、卯之吉役はとってもハマっていた。

この日久々に劇場で出会えた友人が、面白いことを言っていた。
「彪華君の演技の仕方って、小虎さんとか倭さんよりも、津川竜さんの型じゃない?セリフの間の取り方が、竜さんに似てる!」
子どものときからずっと見ていたものって、肌に吸収されるんだろうか。
とすると、今後は津川竜総座長のあのしなやかな芸風に近づいていったりするんだろうか。

なんにしろ「やくざの花道」は、私には、飢えと愛情・強さと弱さ・奪う者と守る者のコントラストが鮮やかに映る。
そのどちらにも心寄せられる部分があって、人間ドラマとして精緻だなあと思うのだ。
…けど、悪役愛好家としてはやっぱり剛三が好き(笑)

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)