お花と聞こえる声の話

ちゃんと聞いておかないと。
聞き零してしまいそうだから、その一番ささやかな声をちゃんとつかまえておかないと。

写真・とある日の篠原演芸場にて
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「直接現金を演者に貼りつけるって風習は、世界の演劇にも他にないんじゃないの」
座長大会のDVDを一緒に見ていた知人が、大量のお花を“着て”いる、画面の中の壮絶な光景を見ながら言った。
名物だ愛情だ応援だ、いや見栄だ下品だ盲目だ。
お花を巡る議論の周囲には、ときほぐせない言葉の固まりが渦を巻いている。

「あれがあるから、やっぱり大衆演劇は普通の演劇とは別に見られがちなんじゃないのかなぁ。だって舞台中、演技中にお金あげるんだもん」
何度か観劇に付き合ってもらった友人は、難しい顔つきだった。
「好きな舞踊のときにお花がつくと、こう、雰囲気がなくなっちゃってカクッと来ることがある」
別の年下の友人は、複雑そうに呟いた。
役者さんがお花をつけられてキラキラしてるのは決して嫌いじゃないんだけどね、と言い添えて。

確かに、「化粧」の切なさも「転がる石」の覚悟も、諭吉さんの強烈な存在感には勝てないよなぁと、ショーの写真を見返していても思う。

だからなのか、自分の世界にこだわりを持っているベテランの役者さんは、常連ファンには舞台がはねた後で渡してもらうようにしていたらしい。
「突然もらうときは、そりゃもらうけどね。事前にわかっているときは、後でお願いって伝えてた」

あの人、来るたび何万付けてる。それから、あの人は。
お花が一枚ひらめけば、色んな噂も耳にべたついてくる。

ひとまず、それらのざわめきが過ぎ去るのをじっと待つことにする。
静かになってから耳を澄ますと、異なる音も聞こえてくるから。

友人の一人は、たまにお花をつける。
彼女の愛してやまない役者さんの、黒い着物の胸に光るのは、腰痛をこらえて深夜までパソコンに向かい合う彼女の残業代だ。
お花の動機を聞くと、彼女ははにかんだように言う。
「好きな役者さんに喜んでほしいから」
「美味しいもの食べて、あるいは欲しいものでも買って」
「笑っていてほしいんだよね、とにかく」

彼女は、好きな役者さんがどんな生活をしているのか、知らない。
劇場帰りの電車の中、隣に座って、私たちは一緒にぽつぽつ想像する。

初めての劇場だとテンポがつかめなくて、やっぱり気苦労するんだろうか。
地元公演なら友達と飲んだりできるだろうか、いや、自由時間はかなり少ないかも。
劇場が用意してくれるお弁当、美味しいのかな。
あの役者さんの好物がたくさん入ってるといいな。

――笑っていてほしいんだよね。

最近読んだ本の中に、梅沢劇団座長(当時)・梅沢武生さんが、大衆演劇以外の演劇関係者に囲まれて、体験談を話すという座談会の記録があった。
ワンステージで数百万ものおひねりが上がることがある、という話題で座が盛り上がったとき。
梅沢さんはこう語り加えていた。
“そうしたご祝儀というのは、お客さんがどこで役者を助けてやろうというのが本音だったと思いますね。”
入場料を小屋と折半して、電気料やガス料を引けば、座員の給料も満足に払えないという。
“そのことをお客さんの方がよく知ってまして、いくらかずつでも助けになればって感じだったと思います。”
(井上ひさし編『演劇ってなんだろう』筑摩書房1997より)

そんな事情があるからなのだろうか。
長年一人の役者さんを応援しているファンの方々とお話すると、苦笑いしながらお花の話をされるのは。
「自分の好きな子だけお花がつかないと、かわいそうになっちゃうのよ。頑張ってるのにーって」
「一度お花あげるとね、癖になってしまって。もういくら遣ったんだかわからない」
目の奥底に、底なしの慈しみをこごらせて。

“「たとえ食事を一回へらし、みすぼらしい生活をしてでも、応援したい」というのが、狂信的な彼女たちの真情なのだ。”
(橋本正樹「旅役者の基礎知識」『The座』71号 こまつ座)

文章の中に残された息遣いの数々。
今、客席の隣に沈む情の諸々。
それらに手のひらを浸して、私は再度舞台を見上げる。

1月中旬の日曜の夜、木馬館で劇団九州男さんを観た。
ネットで見て、大川良太郎座長が鼻の骨を折る大けがをしたのは知っていた。
手術をされたばかりで、お芝居にも出演なし。

ようやく舞踊ショーの中盤、目に鮮やかなオレンジの着物で、良太郎座長が立っていた。
待ってましたと、待ちに待ったと、場内が熱気に沸く。
そして通路を走るいくつかの影。
舞台下にはすぐに7、8人の列ができた。
曲が間奏に差し掛かったとき、良太郎座長が舞台端に近づいてきた。

ファンの方は、一人一人順番に、サッとつけて、サッと握手して、頭を低くして席に戻られていく。
差し出されるお花ときらきら光るピンから、声が聞こえるようだった。

―早く元気になって―

オレンジの着物の上に重ねられていく、たくさんのお札と封筒、それからメッセージカード。

―どうか元気になって―

お花という独特の風習について、どんな議論があろうとも。
たとえ、それで大衆演劇を悪く言う人がいようとも。
私は、この胸の詰まるような思いに共鳴できない人間にだけは、なりたくないと思う。

お花が舞台に交わる瞬間、舞台の上の芸はきれいなパッケージじゃなくなるかもしれないけれど。
代わって、ファンの途方もない愛情が、スポットライトの中で慕わしげに揺れる。
さっきまで同列の客席にいた方が、お花つけの数秒間、私のまなこの中では燦然と主役たる。
その人がお花を捻出するために、働いた時間、我慢したもの、全部含めて。

私にとっての“主役”に拍手を送りながら、かつて川越で出会った美しいものを思い出しながら。
役者さんの胸元を見る。
夢に溶け入ろうとする数枚の現実が、ただ優しい色を帯びて光っている。

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