影に燃ゆる陽炎――美影愛さん①――

細く、淡く、霞む。
陽炎のように、生まれたばかりの言葉たちが、ほろほろと立ち昇る。

「二代目はなぁ、小さな炎だ。息をかけりゃあ大きくもなる、強く吹きゃあ消えちまう」
(「男の人生」の鉄五郎役 2013.10.20昼の部@篠原演芸場)

セリフは事前に固めているのではなく、お芝居の中でふっと浮かぶのだそうだ。
一緒に演じていた役者さんいわく、「何をおっしゃるかわからない…」
だからその一つ一つは、ともすれば消え入りそう。

「ゆらゆら揺れている炎だ、それを消しちゃならない」

影の中から言葉が零れて、また影の中に隠れる。
年を重ねてもなお背筋の伸びた、長い影の中に。

写真・青年時代の美影愛さん(この頃は里見剣次郎というお名前)


9-10月の怒濤の劇団KAZUMA鑑賞の日々。
そこにゲストとしていらしていた、美影愛さん。
じゅっと舞台に滲むような演技がすごい!
セリフのストックがすごい!
とこのブログでも色々書いてきた(例・「三代の杯」「兄弟仁義 男たちの祭り」)。

拙文でも書いてみるもの。
これをきっかけに縁を得て、ありがたいことに美影さんについて貴重な資料を送っていただいた。
上にあげたお写真もいただいた資料の一つ。
さらに、私が敬愛する橋本正樹さんの連載「あっぱれ役者街道」の、美影さんの回があった。
橋本さんのインタビューを受けて、美影さんはこう語っている。

“たとえば、道端に座りこんでいる年老いた乞食に、小判をポンとほおり投げて、見得をきって花道をはいるのもカッコいい。けど、僕はそんなとき、乞食の目線にあわせ、「なにかの、お役にたてなせぇ」とやさしく言いながら、すうっと小判をすべりこませます。”
(『演劇グラフ』2012年5月号 第33回「あっぱれ役者街道」より)

声を張るヤマ上げではなくて。
美影さんの演技は、セリフは、しんしんと舞台に降る。

たとえば、狭い土地で争いの絶えない二つの一家を指して。
「猫の額で唯我独尊」
たとえば、亡くなった知己を噛みしめるように悼んで。
「三途の川を千鳥足」

けれど、降り積もることはない。
言葉たちは執拗に繰り返されることなく、主張することなく。
気づけば芝居の間の中に、消え入ってしまうのだ。

“もう一度今の大見得のところをくりかえしてくれといっても「はて、なんといったかなぁ」と座長は首をかしげてしまう。”
(『朝日グラフ』昭和45年6月5月号 木下氏「大見得にかける生きがい(九州の旅役者)」)

瑞々しい青年座長だった頃も、そんな風に仰ったらしい。
43年前の「朝日グラフ」は、“里見剣次郎”という名前だった頃の美影さんを取材している。

それは、役を演じるのではなく、役の中に入り込むというスタイルのせいなのかもしれない。
26歳の里見剣次郎座長は、同誌でこう語っている。
“舞台にでると泣くときは本当に泣いちまうんだ。するとそれはお客にも通じてお客もふわーっとくるんだな”
68歳の美影愛さんは、先述の「あっぱれ役者街道」ではこう語っている。
“里見剣次郎、美影愛が、役を演じるのではない。ひたすら役になりきるんです。”

そしてつい三カ月前、劇団KAZUMAの木馬館初日「若き日の石松」で。
初めて美影さんの演技を見た私は、こう感想を書いている。

<無鉄砲な息子に対する、慈しみの深さが胸に残る>。
<それに、まるでお茶飲み話をしているような伸びやかな語り口>

わかりやすい、大げさな表情や動作を排して。
かの役者さんは役の中に沈み込む。
その芸の在り方は、歳月の経過の前にも不変。
淡々とした言葉の連なりの向こうに、独特の鷹揚な空気がふと香るのだ。

そして、資料を送っていただいて、もう一つ新たに知ったことがある。
私が普段見慣れている、カラフルな鬘。
気品のある紫や、エネルギッシュで爽やかな若手さんの青や、ピンクの可愛い女形。
あのカラフルな鬘を最初にこの世界に持ち込んだのは、美影さんなのだそうだ!
長くなったので次回に続く。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村


関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)