涙と笑顔と人情と―劇団天華・澤村神龍副座長のこと―



「副座長はね…“泣かしの神龍”って感じじゃない?」
顔見知りのファンの方の発言に、うまいこと言うなぁ~と思った。
劇団天華副座長・澤村神龍さんの芝居は、確かに、なにか涙を誘うのだ。芝居が達者な若手さんは大勢いるけれど、コレと明言できない要素が涙腺を刺激する、不思議な役者さんだと思う。

思えば2015年秋、まだ座員さんのお名前も知らなかった初見の日。どんな劇団さんなんだろう、お初の外題が『三人出世』なのは嬉しいなーと気楽に観ていた。
「なぁ、俺が悪いんやないよな…」
と、盗人に身を落とした定やん(神龍さん)が、幼馴染の友やん(千夜座長)に切々と訴える場面。
「俺が仕事にありつけずにいたとき、誰が優しくしてくれた? 江戸の町をさまよっとるとき、迎え入れてくれた家が一軒でもあったか? 泥棒の親方は優しかった。あの人だけが俺に優しくしてくれた…。俺が悪いんやない、世間の風が悪いんや…!」
誰も望んで盗人に落ちるわけではない――神龍さんのじっと虚空を見つめる大きな目。震える声の調子。セリフに心を連れて行かれるように、気づけばかぶりつきでボロボロと涙していた。

いたいけなくらい細身の体格や、情感の乗っかりやすい声が、思い切りエモーショナルに訴えるせいかもしれない。
『マリア観音』では少年・半次郎を演じていた。だんだん本当に少年らしく見えてくることに驚いた。
劇団としての代表作であろう『峠の残雪』では、盲目の弟役。光を失ってなお、母親の仇を討とうと必死な健気さが染み入る。
『釣り忍』では女形でおはん役。定次郎(千夜座長)をわざと追い出した後、おはんは暗い部屋に一人きり残される。玄関口の釣り忍を見上げる横顔に、喪失感が浮き彫りになり、胸を衝かれた…。

淡々と演じているけど、子どもとか女とか盲人の役がすんなりできるって実はスゴイことでは。日常では成人男性として持っている健康さとか強さを、いったん打ち消さなきゃならないのだから。演技力はもちろんのこと、自分をカッコよく見せたいという自意識があると、どうしても身体に“男”が現れてしまう…。

けど神龍さんは、こういった弱き者を演じるとき、カッコつけをあっさり捨てて役の中にポンと飛び込むようだ。役への飛び込み方に、全然ためらいがない。だから少年だったり女だったりの虚構も、気づくとわりかし自然に成立してしまう。

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一方で二枚目役をやっているときは、きりりとした目つきが冴えて男前!

≪やっぱり自分らの気持ちは、表情や態度とつながってて舞踊ショーや芝居の中ではっきり出るもんね。心技一体の真剣勝負やからお客様は誤魔化せないよね≫
≪役者として、演者として気持ちをしっかり作って舞台を務めたいと思うね。人情芝居なんやから、情がないと成り立たないよね≫

2013年7月の『花舞台』、神龍さんのインタビューが掲載されている。くだけた語り口の文を読むと、聞き手との会話のキャッチボールの中で、思ったことをそのままお話されているのがわかる。きっと演技に表れる通り、素直で、てらいのない人柄なのだろう。

こういう方だから、ずっとやってこれたのだろうか。
9年前の劇団旗揚げ当初から在籍しているという。当時まだ21歳なので、20代のほぼ全ての日々を天華の舞台に費やされたことになる。
旗揚げ当初は、ほんの少数のお客さんしか入らなかった頃があったそう。メンバーの入れ替わりも激しかったとか…。
それでも、良い日も悪い日も、座長と一緒にやってきた。良い時期も悪い時期も、舞台の幕は開いた。

――つい先日のブログで、かなり体調がすぐれないことを書いていらした。けれど池田呉服座の舞台は欠かさず勤めてらっしゃるようで、Twitterに流れてくる観劇写真には、毎日神龍さんがいる。

見回せば、体調を崩している役者さんは多い。それでも一日の休みもなく昼夜の舞台に出続けなくてはいけないハードさに、大衆演劇ファンとして頭が下がるばかりだ(心情的には皆さん休んでほしい!(>_<) けれど、きっとそうもいかないのでしょうね…)。
毎日化粧して、芝居して、何度も着替えて、踊って、笑って。
それがお仕事。

役者さん――虚構を通して、喜怒哀楽をたくさんの人の心に出現させるお仕事。身を削って、人情芝居からほんとの情を引き出すお仕事。
私が『三人出世』で流した涙を、心に持ち帰ったように。

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「神龍さんは笑顔が可愛いよねぇ」
と評されるのをよく耳にする。特に女形でふんわり笑むときは、ひなげしの花みたいな、素朴な可憐さが開く。

芝居中、たとえ寸秒であっても、役という別の心を生きることができるのだとしたら。
ふんわり笑顔の副座長にとって、わずかな時間でも、明日の芝居が幸福なひとときであるように。

「兄さん、ありがとう、あったけえや…」
『峠の残雪』の名セリフ(今月も29日に上演予定ですね!)。
役の中から発される声。ツーっと客席の涙を誘い出す。
不思議な役者さんの生み出す、毎日のかけがえのない虚構を、情を。
ずっと、舞台の上と下とで半分こしていられますように。


【劇団天華 今後の予定】
2月 大江戸温泉物語あわら(福井)
3月 奥道後壱湯の守(愛媛)
4月 宝劇場(福岡)
5月 城山温泉(香川)
6月 大江戸温泉物語ながやま(石川)

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劇団天華お芝居『素浪人日和』―冷たい記憶―

2017.1.8 夜の部@池田呉服座

『素浪人日和』は、多くの劇団さんで演じられている演目らしい。いつ、誰がこの芝居を立てたんだろう。あのラストシーンは、誰の記憶なんだろう?
芝居はほのぼのとした物語の最後に、さらりと冷徹な絵を差し出す。

※今回はがっつりお芝居のラストに言及しています。未見でネタバレ嫌な方はご注意ください!


喜多川志保さん

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澤村千夜座長

『素浪人日和』ってのんびりした題名からして、まったり楽しめるお芝居かなと思いつつ、大阪遠征中に池田呉服座へ向かった。
実際、笑いどころが多くて楽しかった。主人公の素浪人(千夜座長)は、馴染みの芸者・千代香(澤村丞弥さん)と、田舎から出てきた千代香の母(喜多川志保さん)のため、悪者から50両を取り返してやる。お金が戻れば千代香を嫁にもらうという条件で。こういう筋立てのお芝居はたいてい、主人公が悪者を倒してヒロインとうまいことくっついて終わり…。

――と、なっただろう。
もし主人公の素浪人が、耳が聞こえるキャラクターだったなら。

悪者を倒し、事が終わったラスト数分、芝居が変質する。
――バカにしたのか?
千夜さん演じる“おし”の素浪人は、身振り手振りで激昂する。母親に付き添っていた清さん(澤村悠介さん)が、実は千代香のいいなずけだと伝えられたためだ。

中盤、素浪人が千代香に“俺の嫁になれ”と手話で伝えるシーンがあった。戸惑う千代香を押し切ったのは母親だった。
「千代香、わかったと言っておけ」
「でも、おっかさん」
「とにかく盗られた50両を取り返してもらわにゃ。それから後のことはどうにでもなる」
それもそうか、と千代香と清さんも頷く。目の前で大声で交わされている内容は、素浪人にはわからない。
「先生、わかったわ、先生のお嫁さんになります。だからお願いします」
千代香が手話付きで伝えると、喜色を浮かべて任せておけと笑う。

でもそれは嘘だった。騙された。
怒りのあまり刀を抜く素浪人。すると、母親が千代香の前に飛び出して土下座する。
「申し訳ありませんでした、どうかお許しを」
地に伏せる志保さんの体。握った刀を震わせる千夜さんの体。二人の姿がシンボルめいて舞台から浮き上がる。

母親には決して悪意があったわけじゃなかった。ただ必死だったのだ。盗られた50両は、貧しさゆえに売った千代香を身請けするための金だったから。江戸に到着する場面、母親はニコニコ笑っている。
「ようやく身請けのお金が溜まった。これで千代香を清さんと一緒にしてやれる」
その大事なお金を盗られた。何が何でも娘を想い合った相手と結婚させてやりたいという親心が、結果的に素浪人を騙すことになった。

母親を演じているのが、志保さんという、高齢かつ非常に小柄な役者さんであることが視覚的に効く。
「申し訳ありません、どうか…」
地に頭をこすりつけるお年寄りに、素浪人は刀を振り下ろすこともできない。

片や、小さな、善良な、田舎から出てきたばかりのお年寄り。
片や、剣の腕も立つ大の男。
けれど“聞こえない”という一点で、二人の強弱がひっくり返る。
彼のいる所は、一番弱い者のさらに下。

謝る母親、千代香、清さんの前に立ち尽くす素浪人。刃に映った自らを凝視する。音を発しない唇がぱくぱく動く。やがて彼は刀を鞘に納め、背を向ける。千夜さんが目をやや潤ませて、淡々と花道をはけていくところで幕。
昔も今も――ハンディを負って生きている者の、言葉(セリフ)で言い切れない口惜しさ悲しさが、無言の一場面に冷え冷えと凝縮される。

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千夜座長、お芝居後の口上より。

この芝居を他の関西の劇団さんで観ている友人たちいわく、そちらでは天華版にいない人物が登場することでハッピーエンドになるそうだ。それはそれで、痛快な芝居として優れているだろうなぁと思う。
けれど天華さんはじめ、騙された素浪人が独りで去るエンドを選択している劇団さんもいくつかあるようだ。どっちにしろお芝居全体はコメディタッチなので、演じる側は楽しいお芝居として演じられているのだと思うのだけど。
現代の役者さんたちが筋立てに沿って誠実に演じる中に、ラストシーンに組み込まれた古い時代の記憶が見えてくる。この風景は、誰に見えていたものなのか。

歌舞伎や宝塚と違って、大衆演劇は上演の記録がない。けれど芝居は、かつてたしかに誰かが作ったもの。
花道を去る、物言えぬ背中に、芝居を立てた者の名残が漂っている。
私たちは、客席から見届けることができる。
涙にも言葉にもならなかった、ここにいない誰かの痛みを。

【劇団天華 今後の予定】
2月 大江戸温泉物語あわら(福井)
3月 奥道後壱湯の守(愛媛)
4月 宝劇場(福岡)
5月 城山温泉(香川)
6月 大江戸温泉物語ながやま(石川)

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雨、夕焼け、それから独り―木川劇場の忘れがたい日―

2017.1 11昼の部@木川劇場

1/8~1/11、新年早々に大阪へ行って参りました!
今回、観てきたのは4劇団。劇団KAZUMA@鈴成り座、劇団天華@池田呉服座、お初の劇団澤村@三和スタジオ、劇団大川@木川劇場。
※SPICE連載のために以前から取材させていただきたかった劇場も訪問し、インタビュー等、多々お世話になりましたm(_ _”m) こちらの記事は2月頭のリリースを予定しています。

さて1/11には3つの理由から劇団大川へ足を運びました。
① 以前友人から借りた同魂会のDVDで、椿裕二座長のさりげない滋味深さが気になっていた。
② 裕二座長は1月木川か~とTwitterで「木川劇場」を検索したら、ファンの方がゲスト予定を載せて下さっていた。11日はあの沢田ひろしさんがゲスト!
③ さらに大川龍昇さんもゲスト!
つまり裕二さん+沢田さん+龍昇さんが同じ舞台に=十三へGO!(*ノωノ)

お芝居『嫁と姑』では沢田さんの圧巻の技術を堪能。おばあさん役(正確にはおばあさんを演じる役者の役)で、自由自在にのびのび調子を変える声、表情、身体に驚嘆しながらお腹いっぱい笑った。

続く舞踊ショーは、この1~2年で観たショーの中で、最も濃密な時間の一つになった。読んでいただいている方も、木川劇場のあの薄暗い客席に腰を下ろしていただいた気持ちで、3人のベテランの味わいをどうぞ一緒に…。

沢田ひろしさん【関東春雨傘】
トップショーが終わってすぐの個人舞踊だった。

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“関東一円 雨降るときは さして行こうよ 蛇の目傘”
舞台に滑り出る身体。見上げる視線の先、雨がぱらりと降ってくるようだ。

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この掴みどころのない役者さんには、本当に雨が似合うと思う。不透明な滴が舞台から客席の肌にこぼれて、けれど、すくう前に剥がれ落ちる。

“抜けるもんなら抜いてみな 斬れるもんなら斬ってみな”
小粋な曲の中に、湿り気がふわり混じっているのだ。

“さあ さあ さあさあさあさあ こわいものなし 女伊達”
畳みかけるメロディに合わせて、身体が伸縮する。ぴたぴた気持ちのいい形で止まり、傘も刀も、沢田さんの身体に吸い付くみたい。手足や腰に、体幹の強さがくっきりと浮き出る。

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静かな余韻を残して、沢田さんは猫みたいにはけていった。次の登場は花形・舞川修さん。キュートな美青年ぶりをたっぷり見せてくれた後、ショーはいよいよ座長の出番を迎える。

椿裕二座長【アメイジング・グレイス~赤とんぼ】
初めて観る裕二さん、女形舞踊は一体どんな…?と期待していたら。
暗闇の中に、“希望”がゆっくり咲いた。

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曲の始まりは、たった一人で立ち尽くす女。何も持たず何も望まない、乾いた姿に見えた。その表情が、ほんのわずかずつ、笑みの形になっていく。

“Amazing grace how sweet the sound”
(素晴らしき神の恵み、なんと甘美な響きよ)
“That saved a wretch like me”
(私のような人でなしでも、救われた)


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生の裕二さんは、映像で観たときよりもずっと、仕草・表情の一つ一つに慈愛がにじんでいた。生きることの中にある、苦い思いや孤独を噛みしめて、なおひとすじの希望を見上げる。

“I once was lost but now am found”
(私は見捨てられていたが、いま見出された)
“Was blind but now I see”
(私の目は見えなかったが、今は見える)


――と思っていたら、曲が変わった。

“夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か”
『赤とんぼ』のメロディに乗せて、裕二さんの姿が寂しさを帯びる。笑顔が吸い込まれるように消えて、目が閉じられる。空中を向いた扇子の先がツッと客席をなぞり、頬に寄せられる。

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“十五でねえやは嫁に行き お里のたよりも絶えはてた”

後で調べたら、『アメイジング・グレイス』と『赤とんぼ』を繋いで1曲にした歌手の曲が存在したので、おそらくそれを使われていたのかな? 
この2曲は曲調が似ているだけでなく、繋げられることで何か一枚の深層が浮かび上がってくる気がした。裕二さん演じる女は、“私の目は見えなかったが今は見える”と、失望の後に光を見出して生きていく。けれど一人になると呟くのは、“お里のたよりも絶えはてた”…心の底には言葉にならない、遠い夕焼けのような寂しさが残っている。

※アメイジング・グレイス日本語訳:三宅忠明さんのもの

裕二さんの次は、沢田さんの歌の時間。決めた~決めた~お前とみちづれに~♪と『みちづれ』を歌う心地よい声を堪能した後、大川龍昇さんが登場した。

大川龍昇さん【みだれ髪】
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独り。独り。独り。
“ひとりぼっちにしないでおくれ”
ほっそりした白い体に打ち響く孤独。語りかける身体、というものが本当にあるのだ…。

ちょうど1年前、オーエス劇場で龍昇さんの『無法松の一生』の舞踊を観た。描き出された無器用な人生に涙が止まらなかった(こちらの記事の最後に書いています⇒2016年舞踊ベスト5)。
木川劇場での『みだれ髪』はまったく色が違ったけれど、響いてくる無言の声の痛烈さという意味では同じだった。

“投げて届かぬ 想いの糸が 胸にからんで涙をしぼる”

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木川劇場は静まり返っていた。細い風の吹き抜けていくような曲と、龍昇さん演じる女の吐息だけが花道に残る。

“すてたお方のしあわせを 祈るおんなの性かなし”
“辛や重たや わが恋ながら”

歌詞を聞くと、女は恋に破れたという。けれど龍昇さんの浮き沈みする身体を通して、“恋”という対象はもっと抽象的な望みに変化していく。縋りついても得ようとした何か―それを失った後の、殻の身体。独りきりで、たゆたう体。

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龍昇さんは若い頃に日本舞踊を身につけたと本で読んだ。足が音もなく回る美しさが、観ているこちらの体にも染み込んでくる。連続だとこんな感じ(画像小さくてすみません)。

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ふー…美しい…! 

沢田さんの“雨”、裕二さんの“夕焼け”、龍昇さんの“独り”。三者三様の舞台模様を、連続で観られた贅沢さ。
平日だったため、客席は20人足らずだった。「行きたいー!」と仕事中の友人たちも言っていたように、用事で来られなかった方も多いと思う。それから、私もTwitterで親切な告知を見つけられなければ、この豪華スリーコラボを知らなかったので、気づかずじまいだった人も多いのでは…💦 なので来れなかった人に雰囲気だけでも感じ取っていただければ…と思い、書きました。

演者の皆様、忘れがたい一日を、ありがとうございました!

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拝啓 劇団天華・沢村ゆう華さま ―舞台を去った後も―

もっと観て、もっとお伝えすればよかったね。

このブログを読んで下さっている大衆演劇ファンの方も。
きっと観劇ライフの中で“役者さんの卒業・引退”を経験したことがあると思います。
彼(彼女)の舞台姿にもう会えない寂しさを胸にしまいこんで、しばらくは心のどこかに穴を空けたままの劇場通い。

2016年末。炬燵でごろごろしながら色んな方の大衆演劇ブログを読んでいたら、劇団天華12月千秋楽についてのブログが検索に引っかかった。
≪今月で沢村ゆう華さんが卒業。本当にお疲れ様でした≫
目を疑った。千夜座長から舞台上で発表があったとのことだった。つい一週間前まで、岡山・後楽座でゆう華さんを観ていたのに! そんなこと、一言も触れてなかったのに…。

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(2016/7/20)

ゆう華さんは劇団天華の女優さん4人の中でも大きな存在。座長の相手役の多くを務めていた。娘役も、女房役も。
裏方が忙しいようで、送り出しに出ていない日も多かった。だから直接お話したことはあんまりないけれど。そのうち芝居の感想をお伝えしたいな…と思っていた矢先だった。
1月、大阪・池田呉服座にほんとにゆう華さんはいらっしゃらなかった。

伝えられなかった気持ちを、私はどうしても捨てあぐねていて。出しそびれたファンレターを綴るつもりで、言葉を考えています。よければ今ブログを読んでくださっている方も、それぞれの心に残っている誰かを思い描きながら、お手紙に付き合ってくださいませ。

―――――――――――――
拝啓 沢村ゆう華さま

いつ観ても“ちゃんとした”女優さんだったなぁ、と貴女のことを思い出しています(おこがましい響きかもしれませんが、一番ぴったりする日本語がこれでした)。
たった1年しか劇団天華を観ていない私にも、たくさんの場面が浮かびます。

たとえば10月の座長誕生日公演の芝居『虎の改心』。棟梁の家に慌てて逃げこんで来る場面です。ゆう華さんは敷居をまたいだ後、裸足の足をぱたぱた払って、足の裏についた“泥”を落とす演技をしていました。
ああ、気が動転して飛び出してきたから履物も履いていなかったんだなと、心境がぐっとリアルに感じられました。

『天華嵐』では、澤村悠介さんとの可愛いカップル役が観られました。悠介さんが、悪役の丞弥さんや神龍さんに往来でひどい目に遭わされる場面があります。ライトが当たっていない後方を見ると、ゆう華さんがオロオロと心配そうに口元を押さえたり、とても見ていられないと顔を背けたりしていました。
「後ろで、ずっと細かい表情を作られているのがとっても良くってー!」
この日は送り出しにいらしたのが嬉しくって、テンション高めにお伝えしたら、
「細かいとこまで観ていただいて…」
と恥ずかしそうに笑われました。

ゆう華さんは芝居を立てる方でもありましたね。中でも『丸髷芸者』は、本当に心惹かれた一本です。芸者の優しい心、そして意地悪に見えるけれど心底は善良な婚家の人々。
他にも『月のかんざし』『応挙の幽霊』。これらは残念ながら未見ですが、今後も劇団天華で演じられていくと信じています。(特に『応挙の幽霊』、残して下さいませんか、座長!)

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(千夜座長との相舞踊。師弟関係プラスおかしみのある関係性が好きでした笑 2016/2/13)

「メンバー紹介です。まず女優陣、沢村ゆう華!」
終演後の舞台挨拶で、座長が名前を呼ぶと、たいてい地毛をまとめた姿で舞台袖から飛び出して来られました。じっと大きな目で客席を見つめ、遠慮がちに微笑みかけて、一礼して、サッと引っ込む。
いつも裏の作業でお忙しそうでした。男優さんや後輩の女優さんが、ショーや送り出しに出ている間も。

一ファンのあさーい考えですが…。
大衆演劇の女優さんには皆、見えない苦労があるのだと思います。男優さんの着付けに大量の着物の片づけ、他に家事的な仕事も。
客席では、色んな思いが行き交っています。思うようにならないことがあれば、苛立ちは、時に立場の弱い女優さんにぶつけられやすいかもしれません。もしかしたら、長い役者生活の中には、誰かが心に土足で踏み入ってくるような日もあったのでしょうか…?

≪24歳の時に家族に不幸があって、祖母も母ももちろん私も凄く落ち込んだ生活が続いていたのですが、ふとしたきっかけで、大衆演劇を観る機会がありました。≫
取り寄せた2014年7月号の『花舞台』。ゆう華さんのインタビューが載っていました。役者の家の生まれではなく、お勤めもされていたのに、どうして役者になったか。

≪しばらくの間、笑う事さえ忘れていた祖母や母が舞台を観て凄く笑っていたんです。舞台を観ている時だけは、悲しみから解放されていたのだと思います。≫
≪あ~こんなにも観る人を幸せな感覚にする事ができるんだって、なんて素晴らしい仕事なんだろう。実際入ったのはその2年後でしたね≫


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(2015/11/8)

上の写真は、1年2か月前、私の劇団天華初見の日のものです。ミニショーで出てきたゆう華さん、丸っこい輪郭・目鼻立ちにピンクの着物がとてもよく馴染んでいて、可愛い女優さんだ!と嬉しくなりました。
このピンク色のようなまろやかさは、ゆう華さんの芝居にも舞踊にも、まとわっていました。

≪私は、皆さんが誰でも知っているような名前の知れた女優になりたいわけじゃないんです。ただお客様には、今日の芝居良かったよ!!! 座長や劇団皆には、こいつが劇団にいて良かったなと思ってもらえれば本当に嬉しいですね≫
≪その為には努力あるのみだと思いますのでこれからも頑張ってまいります≫


いつも、お客さんを楽しませようと、良いものを見せようと、舞台に立っていらした。
笑みを絶やさず。
背筋を伸ばして。
毎日。
どんな風の吹く日も、毎日。

記憶に一番新しいゆう華さんの演技は、12月の後楽座での『鷺娘』。若旦那の家の女中さん役で、出番は1分くらいでした。
「(千佐衛門と若旦那がお喋りしているのに)お邪魔していいのかなー…」
ちょっとからかうように言い残して、座長演じる千佐衛門を呼びに行く。この一言の軽口が、神龍さん演じるお徳の嫉妬に火をつけます。ほんのささやかな役でしたが、物語の契機をキュッと作っていました。
これが、ゆう華さんを観る最後だとは、そのときは思いませんでした…。

ゆう華さんの役を、これからは静華さんや鈴華ちゃんが演じられるのでしょう。いなくなった人の姿を、毎日新たな風景が塗り替えていきます。

でも――一つ一つの役には、演者の影が残ります。
たとえば『虎の改心』では、足の“泥”を落とす演技が型として残るかもしれません。『鷺娘』の「お邪魔していいのかなー」のセリフは、やっぱり次の女優さんも、からかうような調子で…。
次の役者さんへ、その次の役者さんへ、役は継がれていきます。いなくなった役者さんの残滓は、役の中で、冷めることなく私たち観客の前に揺らめいています。

岡山公演のときには、またお手伝いという形でも、天華の舞台に出て下さることもあるのでしょうか。期待しています!
何もできませんので、拍手を送らせてください。いつも目立たないところで芝居を守ってくれていたことに。

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(2016/10/2)

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(2016/12/16)

そしてゆう華さんの、これからの希望と幸福に。
いつまでも、舞台にはピンク色の名残が吹いています。

東京のファンより
敬具
―――――――――――――

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