2016舞踊ベスト5 ―人生の玉手箱―

今日はどんな舞踊に出会えるだろう? もしや、人生をドッカンと揺るがしてくれるような一曲があるかもしれない。大衆演劇ファン5年目の今年も、舞踊ショーが始まるときは、やっぱり期待しながらカメラを構えていた。
格別に心に残ったのは、曲の持つ物語と、役者さんの生き様が、互いに響きあう5本。

★たつみ演劇BOX・辰己小龍さん『夢やぶれて』(2016.1.10 夜の部@三吉演芸場)

夢は帰らない――
2015年10月のお誕生日公演で初披露だったという、小龍ワールドの傑作。初演を観た友人が感動をブログに書き記していたので、私も早く観たい!と思っていた。だから三吉演芸場に『夢やぶれて』のイントロが流れ出したときは、き、来たぁ!と興奮しきり。


“私は夢みた 希望高く生きて 愛はいつまでも 神に許されると”
曲の序盤は笑顔いっぱい。愛に満たされた幸せな女が、くるくるピンクの着物を翻らせる。
でも幸福は、突然打ち砕かれる。

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“夏あの人来て 喜びあふれた 私抱いたけど 秋にはもういない”
恐れ。喪失。絶望。愕然と自身を見下ろす女は、道が崩れていく音をなすすべもなく聞く。

“待ち続けてるわ あの人の帰りを”
小龍さんの小さな身体が舞台に倒れ、悲しみの底を這う。

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“夢見た人生 今地獄に落ちて”
やがてピンクの華やかな着物は真っ黒に変わり、赤い傷跡だけが残る。

小龍さんいわく、この曲は娼婦のイメージなのだと。最初は高級な娼婦だったものが、一人の人を愛してしまったために、年老いて傷ついて、娼婦でも生きられない最低のところに落ちてしまう…そんな物語なのだそうだ。
ということは、彼女の絶望は直接的には恋人を失ったことなのかな…? けれどその向こうに、“何かにやぶれること”そのものの心象が広がっている。震える指先や、夢の残骸を追って駆け出す足にまとわりつく、もう帰らない私、もう戻らない日々――

『夢やぶれて』は喪失に終わる物語だけど、演者のほうは希望いっぱいだ。2016年、小龍さんはさらに積極的にご自身を打ち出してくれるようになった気がする。11月の梅田呉服座公演ではついに小龍dayが実現したり、ブログを始められたり。
2人の弟座長の傍らで、女優さんは。絶え間なく生まれる何かを握りしめて、また新しい扉を開いていく。


★三河家諒さん『浜唄』(2016.3.20 昼の部@梅田呉服座)

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恋川純弥さんの1か月座長公演での一幕。三河家諒さんは舞踊ショーの最後の登場だった。彼女の後ろ姿が現れた瞬間、観客がわっ…!と沸いたのが忘れられない。この人の凄さに多くの人が期待していた。
“待ってました!”
大きな拍手は、そう言っているよう。お人形のような精微な姿が、くるりと振り返った。満員の客席を見渡して、諒さんはニカーッと笑った。
“お待たせしました、私が三河家諒や!”
気風の良い、いたずらっぽいまなざしで両腕を開く。客席を包み込むように。

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踊り始めた『浜唄』は、凛然としていた。
“朝だ船出だ 錨を上げろ 沖じゃ秋刀魚が待っている”
勇ましい漁師たちの姿を描き出しながら、飄々と楽しげに舞う。見れば、諒さんの足元は裸足だ。踏みしめられるのは浜の砂。磯の香りが漂ってくるようだ。

“陸で手を振る恋女房に 照れて笑って 綱を巻く”
男の中に女ひとり。稀有な才を磨き続けてきたこの方は、女。
大衆演劇の世界で、ショーのトリを務め、お客さんから“待たれる”存在になるまで。この女優さんはどれほど一人で走ってきたのだろう。

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パチっと打ち鳴らされる手。浜の女房らしく、小気味よく。
“二千年 二万年 浜じゃこうして 浜じゃこうして 生きてきた”
女はこうして生きてきた。
三河家諒は、生きてきた。


★劇団炎舞・橘炎鷹座長『花道ひとり旅』(2016.6.4 夜の部@浅草木馬館)

炎鷹さん、涙を流しながら踊っていらした。
浅草木馬館公演4日目、早くも座長出ずっぱりの『炎鷹まつり』。ぎっしりと埋まった客席に、ひとつの役者人生がぶつかってきた。

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“楽屋で産まれて舞台で育ち いつか覚えた立ち回り”
“(セリフ) 五つで初舞台。色んな舞台を回ってきました。
東京、横浜、大阪、広島、九州。そして今日皆さま方と、本当にありがとうございました。”


私が炎鷹さんを初めて観たのは3年前。芝居でのセリフ回しや、呼吸や、姿の整い方は、大衆演劇にわかファンだった私にも、肌感覚で巧さを飲み込ませるような芸だった。まなこには気迫が走っていて、聞いていた通りの天才だった。

再会はそれから2年後、2015年秋の関東公演。
驚いた。こんなに温かい舞台を見せてくれる役者さんだったのか…。
技巧はそのまま、けれど記憶よりずっと情に満ちた芝居ぶり。まあるい輪郭に笑みを乗せて、愛情いっぱいに客席を見つめる。
この間、舞台裏でどんな苦労があったのだろう。劇団メンバーもずいぶん入れ替わったようだ。もしかすると、辛いこと、うつむかなければいけないこともたくさんあって。痛みの中で、天才の芸はゆっくり変わって、優しくひらく花になったのかもしれない。

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“役者の子供と馬鹿にされ 涙こらえた事もある”

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“俺はそれでも旅役者 夢を背負って 花道ひとり旅”

2016年、劇団炎舞の東京公演は予想以上の客入りだったようで、篠原演芸場の千秋楽が一日延ばされるほどだった。2017年夏も浅草木馬館(7月)・篠原演芸場(8月)の公演が決まっている。


★劇団KAZUMA群舞『焼酎の唄』(2016.11.24 昼の部@三吉演芸場)

この歌に、こんな風景が作られるなんて。

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“飲んで飲んで飲んで焼酎”
“飲んで飲んで ほどよく飲んで”

定番曲の『焼酎の唄』。ノリが良くて歌詞がいかにも酔っ払い(笑)。大体の役者さんが立ちで、酒瓶持って踊られるかな? 単純に楽しい曲だと思っていた。
けど三吉演芸場のミニショートップ、幕が上がると、そこにあったのは小さな茶屋の風景。リズミカルに踊る千咲大介さん(中央)の後ろで、ほろ酔い気分の人々が酒を交わしている。

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吞み助っぽい男、その誘いをサラリとかわす小町、淡々と仕事する茶屋の男がいたり(左からひびき晃太さん・千咲凛笑さん・藤美真の助さん)

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酒瓶抱えて、退屈そうに煙管を吹かす男がいたり(龍美佑馬さん)。

のんきそうな人々の日常の中、軽快なメロディが転がっていく。
“飲んで飲んで 明るく飲んで”
“焼酎よ ありがとう”

定番曲がまったく新しく見えた。

Twitterで、大介さんのお誕生日公演の演目でしたよ!と教えてもらったので、送り出しで確認することに。大介さんに撮影した写真を見せながら、大介さんの発案なんですか?と伺ったら、「はい、そうです!」。風景っぽくてすごい驚いたんです!と興奮気味にお伝えすると、「そうですね、ちょっとお芝居っぽくしようかと」と頷かれていた。

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大介さんはこういうセンスがとても鋭い。劇団KAZUMAにこの役者さんが来てくれてから2年。「劇団千咲の座長です」。毎回、藤美一馬座長はメンバー紹介で大介さんをこう紹介する。いずれはご自分の劇団を再開させて、いなくなってしまう日が来たりするんだろうか…。
KAZUMAの舞台に新鮮な風を吹き込んでくれた、伸びやかな発想の持ち主だ。


★大川龍昇さん『新無法松の一生』(2016.1.16 夜の部@オーエス劇場)

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この舞踊を最後に持ってきたのは、5本の中でもベスト・オブ・ベストだから。2016年といわずこれから先も含めて、観劇ライフの財産をいただきました。大川龍昇さんの無法松。

“啖呵切るより手のほうが早い 無法松よと なじらばなじれ”

車夫の松五郎が、小さな頃から“ぼんぼん”と猫可愛がりしてきた少年。でも少年は成長するにつれ、松五郎の荒っぽい姿や無教養を恥ずかしがるようになる。外で自分をぼんぼんなんて呼ばないでくれと、学生服姿で嫌がる。

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“なしてぼんぼんに ぼんぼんちゅうたら いけんとな”
“なしてぼんぼんに 吉岡君とか吉岡殿って云わにゃいけんとな”


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“おいさんはのぉ ぼんぼんがごげゃん小まかぁとっから 育てちきたっとぞ”
節くれだった手で、子どもの頭を撫でる仕草をする。涙を浮かべて、なして、なしてと呼びかける。
嘘を知らない車夫は、子どもを全身でいとおしんだ。

太鼓の撥を腰に差し、手拭いを握りしめて、オーエス劇場の花道をよろよろ歩む。

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“そりゃぁ確かに ぼんぼんは大きゅうなった”
“ばってん幾つになっても おいさんからみたら ぼんぼんはやっぱり ぼんぼんばい”


個人舞踊の時間、ほぼ10分あったのではないだろうか。何かを背負っていらした。龍昇さん自身の長い役者人生の何か。あるいは、ほっそりとした身体にこだまする、世の片隅に捨てられていく者たちの呼び声。
今でもこの舞踊だけは、書きながら写真を眺め返していて、涙が出てくる。

大衆演劇の舞踊は、多くの場合、踊りとして完成しているわけじゃない。けれど一曲の中に、歌詞の心と、演者の息吹と、客席から吹き上がる熱気が全部ひとまとめに結晶している。
人生を映す舞踊ショーは、真剣に観るほどハッと宝の見い出せる、玉手箱のようです。

⇒≪2016芝居ベスト5≫も書きました

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2016芝居ベスト5 ―空を仰いで―

炬燵でごろんごろんする年末を過ごしています。一年のうちこの時期だけは、役者さんたちもリラックスできるのでしょうか?
暑い日も寒い日も、台風の日も雪の日も、全国の劇場・センターで繰り広げられた熱演。一年間休みなく走り続けた、すべての役者さん・裏方さん・劇場スタッフさんに、「お疲れ様!」の拍手を送りつつ…
今年も、格別に忘れがたい5本の芝居を振り返ってみたい。

★まな美座「質屋の娘」(2016.4.21@メヌマラドン温泉ホテル)

まな美座は、大衆演劇界の中でも独自の道を歩んでいる一座だと思う。人数はごく少数(大人は5人だけ)、派手な照明や舞台装置はなし。けれど演者の存在感と深みのあるセリフで、芝居は十分に濃い。島崎寿恵座長・里見剣次郎さんらの舞台ポリシーが伝わってくる。


島崎寿恵座長

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里見剣次郎さんは寿恵座長の次男。Twitterでも面白い方です。

『質屋の娘』は頭の弱い娘・お福ちゃん(剣次郎さん)と、質屋を切り盛りする母(寿恵座長)の話だ。
振袖を揺らし、一人けんけんぱをして遊ぶお福ちゃんを、暖簾の隙間からそっと母がのぞいている。お福ちゃんの体はとうに大人になっているのに、頭は幼子のまま。この母娘の空間だけ、時間が止まったようだった。
「お福ちゃん、かわいいお福ちゃんは、どこですかー…?」
母は、いないいないばあのポーズをして呼びかける。このときの寿恵座長の笑顔に、にじんでいた感情は何だろう。愛しい、苦しい、一人では決して生きていけない我が子。

「お母様、お福の馬鹿を治して」
と泣くお福ちゃんを、母はしっかと抱く。
「私はもう、死ぬまでお前を放さないよ。お前が嫌だと言ったって放しやしないよ」
質屋の屋根の下、二人、絵のように寄り添っていた。
⇒当時の鑑賞録


★劇団KAZUMA 玄海竜二会頭ゲスト「赤尾の林蔵」(2016.6.25昼の部@オーエス劇場)

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玄海竜二会頭

玄海さんはどうしてこんなにカッコいいんだろう(拝みながら)。写真の『座頭市子守唄』、股旅姿で現れた瞬間に悲鳴が出ました。「キャー!」なんて音が私の喉にも搭載されていたのか…!

6月の劇団KAZUMAゲスト、みっちり埋まった客席は、『赤尾の林蔵』に飲み込まれた。大親分と崇められた林蔵親分の、最期のひとときのお話。
「俺の娘は、千代はどうしてる?」
18年間の島流しから帰ってきた林蔵(玄海会頭)の心にあるのは、娘・千代(千咲凛笑さん)のこと。
終盤のセリフのない数分間。腹を刺されて絶命寸前の林蔵は、汗と血に汚れてよろけながら、土産の着物を娘に着せる。
その体は老いた。弱って、何もかも失って、人生の栄華はとっくに過ぎた。
――それでも林蔵は幸福だった。
汗まみれの玄海さんがにっこりと凛笑さんに笑いかけた瞬間、オーエス劇場の前3列が、いっせいに泣き伏した。林蔵の笑顔に、生への歓びが深く吹き上がる。

終演後、藤美一馬座長が「もう今日は私もお客さんと一緒ですよ!泣けるし、感動するし…。うちの会長(6月時点ではまだ会長)はすごい!この人についてきてよかった!」と語っていらした。

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玄海さんが歌って一馬座長が踊る『484のブルース』。

劇団KAZUMA版の『赤尾の林蔵』は残念ながら未見。そっちも来年は当たりますように!
当時の鑑賞録1(柚姫将副座長中心)・2(玄海さん中心)

【劇団KAZUMA 公演予定】
1月 鈴成り座(大阪)
2月 八尾グランドホテル(大阪)


★劇団天華「峠の残雪」(2016.7.23@大江戸温泉ながやま)

もがれた体で、それでもお前を――
澤村千夜座長の口上いわく、「役者人生3本の指に入るくらい好きな芝居」だそう。悪党によって口のきけなくなった兄・新造(澤村千夜座長)と、目の見えなくなった弟・新吉(澤村神龍副座長)の話だ。

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澤村千夜座長

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澤村神龍副座長

雪の降り積もる中、千夜さん演じる新造は、弟の草履や杖を自らの肌で温める。が、懐に入れたそれらは凍傷になりそうな冷たさで、引きつった悲鳴が上がる。
「兄さん、どうかしたのかい?」
盲目の弟には兄の様子がわからない。兄は話せない。
冷たさと痛みに飛び跳ねる新造の姿は、ユーモラスで哀しい。何も持たぬ者が、なお他者を思う。この情愛が芝居の通奏低音として響いてくる。

『峠の残雪』は今年5回と、最も回数を観た芝居でもある。中でも7月のながやま公演では、千夜さんが慟哭する場面の激しさが忘れられない。舞台に叩きつけられる拳から、この役者さん独特の、痛覚にも似た激情が突き刺さるようだった。
この月、劇団天華はながやまの歴代大入り記録を更新した。
⇒当時の鑑賞録

【劇団天華 公演予定】
1月 池田呉服座(大阪)
2月 大江戸温泉物語あわら(福井)



★劇団新「俺は…太郎」(2016.8.28 昼の部@茂美の湯・もさく座)

今年、最もすがすがしい笑いをくれた芝居! 25歳・龍新座長の創ったオリジナル芝居だというのが驚き。特筆すべきは、前半に登場する“居酒屋の主人”(新座長)という強烈なキャラクター。

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龍新座長

「これ(刀)か? これはな、千歳飴だ」
肩にかついだ刀を揺らして、ニヒルにつぶやく。
小龍優さん演じる三太郎に、
「お前…何のためにここへ?」
とカッコよく尋ねるも。
「いや、酒飲みに来たんだけど…」
とまったくな回答を返される(笑)

彼の行動はよく見ると、大衆演劇によく出てくる“謎めいた男”キャラのパロディになっている。今まで見たことない様式性じゃないだろうか? 映画好きだという新さんが、新鮮な視点で切り込んでいるのがわかる。演者としても戯作者としても、来年もっと観たい役者さんだ。

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一方、新座長の弟・龍錦さんはピュアな持ち味。

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妹・小龍優さんの世界観も楽しい! 

10~12月の初の関西公演でも、関西の友人たちから劇団新を好きになったという声を聞いている。若き三兄妹から、新しい風が吹いていくのを感じる。
⇒当時の鑑賞録

【劇団新 公演予定】
1月 宇都宮ふくろうの湯(栃木)
2月 スパランドホテル内藤(山梨)



★橘小竜丸劇団「お島子守唄」(2016.10.29夜の部@立川けやき座)


信じていることがある。旅芝居には、各地の客席から吸収してきた、人々の喜怒哀楽がうずいていること。それが役者さんの熱とぶつかるとき、私たちの心の底に眠っているうめきが引きずり出されること。
“ごめんね”
『お島子守唄』は橘鈴丸座長のこの一言で、私の中に刻み込まれた。物語をはみ出した熱があった。

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橘鈴丸座長

夫の罪を被って島流しにされたお島(鈴丸座長)。10年の刑を終えて家に帰ってくると、幼かった娘・お美代(たちばな百花さん)は口がきけなくなっていた。さらに、後妻(たちばな佑季さん)にお美代は下女のように使われ、ひどい火傷を顔に負わせられていた。
お島は怒りに身体を震わせる。
「お美代の部屋は、あれはまるで物置小屋ではないですか…!これはどういうことですか、これは」

小さなお美代は何も恨まず、何も逆らわず、継母の暴力の前に倒れた。娘の身体を抱いて、お島は泣く。悲痛な喘ぎの中にしぼり出す音。
「ご…めん、ね…」
痛めつけられる弱者に、差し出しうる唯一のいたわり――私の耳にはそんな風に響いた。

鈴丸さんの滂沱の涙を流しての熱演もあったと思う。思えば、彼女の芝居には泣かされる率がかなり高い。ひたすら健気で、いつわりのない真摯さに心動かされてしまう。7月に観た『ヘチマの花』にもほろりときた。

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こんな独自の舞台衣装も、舞台への真剣さの表れだ。(そしてスタイルの良さ…お腹の引っ込み具合の美しいこと…)
【橘小竜丸劇団 公演予定】
1月 安田温泉 やすらぎ かわら座(新潟)
2月 つくばYOUワールド(茨城)


今年の観劇を振り返りながら5本を選んでみたら、自分の嗜好がすっごくわかりやすかった(^-^; 『俺は…太郎』はコメディタッチなので例外だけど、残り4本は全部、“弱いところへ落とされた者”の話だなぁと。
『質屋の娘』の頭の弱いお福ちゃん。『赤尾の林蔵』の老いた林蔵。『峠の残雪』の言葉を奪われた兄、視力を奪われた弟。『お島子守唄』の少女。
物語は時に私たちの現実を映している。底辺を生きる者の瞳は、大きな言葉に表れることなく、旅芝居にゆらゆら照らし出される。

でも、玄海さんの林蔵が死に際にニッコリ微笑むように。
大衆演劇はなぐさめだけじゃ終わらない。絶望の先、生きていくということの賛歌をたしかに歌ってくれる。
暗い沼の底から、なお空を仰いで。
生きていかなくては、あなたも私も。

今年も皆様一人一人にお世話になりました。同じ時代に大衆演劇ファンとして出会えることが、嬉しいです。
来年も一緒に舞台を見つめて、客席でお会いしましょう!

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魔法を信じて!―役の力、芝居の力―

―舞台のこだわりはありますか?
「こだわりは、なりきることかな」
(『カンゲキ』2016年2月号 劇団炎舞・橘炎鷹座長)
このインタビューが大好きである(笑) 当たり前のようにサラッと言い、かつ最後の“かな”に一生懸命考えた感じがにじむ、炎鷹さんの人柄がわかる応答だと思う。

“なりきる”という言葉を、役者さんはよく使われる。自分の身体と顔と声を使って、まったく別の人になる―役者を長年続けている人の中には、この役になる快楽ゆえに、しんどい稼業でもやめられないという人がけっこういるみたいだ。
「舞踊も好きなんですけど、とにかく芝居が好きなんですよね、俺」
と、噛みしめるように話していた役者さんもいた。


(橘炎鷹座長 2016/6/4 『花道ひとり旅』)

“ただ芝居だけを ひたすらに信じ トラックに揺られて 流れ流れて”
炎鷹さんの踊る『花道ひとり旅』は、今年のマイベスト舞踊の一つ。旅役者の生き様を歌っているだけあって、色んな劇団でかかりまくっている歌。でもあるとき、詞が頭に引っかかった。“芝居を愛する”なら、すんなり理解できる日本語だけど。
芝居を“信じる”ってどういう感覚なんだろう…?

もちろん、芝居が演者の持ち味をガラリと変える、という現象はわかる。たとえば10~11月、木馬館・篠原演芸場を沸かせていた二代目・恋川純座長(桐龍座恋川劇団)。ぎらり迫ってくる大きな目に象徴される、雄々しいカラーの役者さんだと思う。

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(二代目・恋川純座長 2016/11/21)

けれど、むしろ私の印象に残っているのは、喜劇『命の一番くじ』の商家のボンボン役だ。実家の経営状態が、店を畳む寸前まで危うくなっているという実情を初めて知って泣き叫ぶ。
「うちが、そんなことになってるなんて知らんかった、どないしよおー!」
ボンボンらしい甘えの残る口調で、舞台に泣き伏す純さん。この方はこんな役にもなれるんだ…と驚いた。

こういう役作りって、演者が自分の感情の中から役っぽい顔を探して、肉付けしつつ役に近づいていく――そんなイメージを持っていたけど。
逆に、役のほうが演者を引っ張る、ということがあるらしい。

そう思わされたのは、藤美一馬座長(劇団KAZUMA)の発言。
「芝居の役になってる人は、もうその役に見えちゃうんで。だから芝居中は、もう美影先生(※指導役だった美影愛さん)じゃなかったんですね」
ええーマジですか。だって毎日顔を合わせている相手なのに…
ここで自分の浅慮がひっくり返る。もしかして役って、一種のトランス。「こう演じよう」という意識を超えて、さらに深く無意識の心を引っ張り出すパワーがあるんだろうか。

と考え直せば、役者さんの言葉の端々に思い当たる節がある。
「あのセリフは、舞台上でひょこっと出て…僕的には何の気なしに言ったセリフで」
澤村千夜座長(劇団天華)も、さらっと話されていたことがあった。芝居『三人出世』で印象的だった「世間のせいやない、お前が自分の弱さに負けただけや!」というセリフについて。その役になりきってれば、何言っても間違いじゃないし…とつぶやきつつ。

「芝居中は、自分の気持ちのままに喋ってるんで、何言ったか後であんまり覚えてないんですよ!」
柚姫将副座長(劇団KAZUMA)の笑顔の発言を聞いたときの衝撃は、今でもけっこう忘れられない。『兄弟仁義 男たちの祭り』初演で観客の涙をしぼったセリフ、「俺はついて来る人を間違えなかった!」は無意識下のものだったらしい。

とはいえ、毎回そんなんじゃないだろうし。いつも憑依状態みたいになってたら、公演として形が整わないだろう。
しかし役になりきるのと、時計を見つつ公演全体をマネジメントするのと、座長さん方はどうやって同時進行してるんだろう…と単純に疑問で、何人かの座長さんに質問させていただいたことがある。意外なことに、いずれの方からも「役になりきれるときは時間も気にしない」という回答が返ってきた。

大衆演劇の役のパワーって、すごいんだな。
考えてみれば、多くの芝居が古くから継がれてきたものだ。一つの役には歴史が詰まっている。その役を今まで演じてきた何十人もの演者の心。上演されるたびに、少しずつ変わってきたセリフ。根源までさかのぼれば、戯作者の影が潜んでいる。

役の厚みに、演者が一人、真摯に向き合う。
「知らんかった、どないしよおー!」
時に演者が役に付け足し。
「お前が自分の弱さに負けただけや!」
時に役が演者を引っ張り。
役と演者、手を取り合って、二本の糸で彩なす心模様――
今舞台で笑っているのは、泣いているのは、“誰”なのだろう…

けれど、ある若い役者さんのTwitterによれば。“芝居中もプライベートのまま”という演者が増え、“演じてる人”が減ってきたとのこと。
たしかに、そういう舞台に当たったことがなくもない…。もちろんどの役者さんも一生懸命努めているけど、う~ん、きっとこれは彼の素のキャラだよなぁと思うことも時々。ストーリーよりカッコよさ最優先!みたいな芝居に、10代の役者さん主演とかで出くわしてしまうと、将来の大衆演劇でこういう感じが主流になったらしんどいな…とオバちゃんは冷や汗もんである。

こういうときは、年長者の言に学ぶ。私が今まで拝見した役者さんで、最高齢は84歳(当時)。2014年6月の「劇団悠」三吉演芸場公演にいらした、北城竜(きたしろ・りゅう)さん。芝居『弁天小僧』ではやくざに騙される百姓というチョイ役だったけれど、悲愴とユーモラスの混ざった味わいがあったのを覚えている。
松井誠さん著『座長「誠!」』(光文社、1999年)に、北城さんについての記述がある。
“(北城さんは)口立てだけで育ち、博打と女と喧嘩で二百もの劇団を渡り歩き、私の劇団に来てピタッといついてしまった方です。”

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(北城竜さん 2014/6/1)

“北城さんは旅役者という仕事の魅力はなんといっても化ける、変身することだといいます。世間のしがらみを舞台の上の自分はからりと捨てて、別人になれる。”

変身する力。毎日違う人に化ける力。
それはまるで魔法のようだ。一つ一つの芝居を敬愛し、その力を信ずる者にのみ与えられる――

舞台で『花道ひとり旅』が鳴り出す。ひょっとしたら、この曲は一種の讃美歌なのかもしれない。
“ただひたすらに 芝居だけを信じ”
役になりきる演者。
彼を囲むのは、固唾を飲んで見つめる観衆のまなざし。
私たち客席もまた――一緒に物語世界に飛ぶために。
いつの時代も、舞台を見上げながら芝居を信じ続けている。

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劇団天華お芝居『お銀片割れ月夜』―澤村千夜座長の“痛み”―

2016.12.15 昼夜@後楽座

「触るな!」
痛い。

これでもかと繰り返し、針のように尖った悲嘆が突き刺さる。

お話の舞台は女郎宿。泊まり客の旅人・千太郎(澤村神龍副座長)と、宿の女将(澤村千夜座長)が話をしている。千太郎は浮き浮きした様子だ。
「花嫁衣裳って、一生に一度しか袖を通さねえんだ…だからこそお銀ちゃんには、一番良い花嫁衣裳を着てもらいてえ」
千太郎は今から、故郷の館林に帰る。20年前、将来を誓い合った“お銀ちゃん”を迎えに行くのだ。
「お前も女将なら着物の目利きくらいできるだろ?この着物が良いものかどうか、ちょって見てくれよ」
白い花嫁衣裳を嬉しそうに広げて、鑑定を頼む千太郎。けれど女将が着物に触ろうとすると、触るな!と慌てて止める。
「お前が触ったらくせえだろ?匂い袋ぷんぷんさせて…」
「…触らないと、わからないんですけど…」
「あー、そうか…じゃあ、せめて手を拭いてくれよ…」
渡された手拭いを受け取る女将は、うつむいている。千太郎は気づかない。今、くさいと罵った女将が、お銀のすっかり変わった姿なのだということに――

“かつての私”はもういない――ファンの方のブログなどで『お銀片割れ月夜』のあらすじを知ったときから、ずっとこの芝居が気になっていた。
なので、後楽座で12/15(木)にこの芝居がかかると知った瞬間、夜行バスを取って岡山まで行ってきた。ええ、後悔はしていませんとも! こんな生活してたら…財布は…ビックリするくらい軽くても…(滝汗)

澤村千夜座長(2016/12/15)

お銀役の千夜さん。キツそうにも優しげにも見える女形の顔立ち。

澤村神龍副座長(2016/12/15)
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千太郎役の神龍さん。子どもの頃の結婚の約束を20年信じているという設定はかなりぶっ飛んでいると思うのだけど、神龍さんのまっすぐピュアな持ち味が説得力になっていた。

この芝居についてTwitterで書いていたら、天華ファンの方が「千夜さん演じるお銀ちゃん、私も大好きです!」とリプして下さって、芝居トークができた(^^) あとでやり取りを読み返したら、その方も私もお銀“ちゃん”って呼んでいた。ヒロイン、“ちゃん”付けしたくなる、可愛くて口やかましい女将さんなのだ。

冒頭シーン、亭主である藤助(澤村丞弥さん)を、「藤助!アンタまた外で駄ボラ吹いてきたんだろ!」と耳引っ張って怒鳴りつけるくらい、気が強くって。

客の千太郎に、「女将っていうのは髪を結い上げてるもんなのにそれもしないで、派手だか地味だかわかんねえ着物着て、匂い袋ぷんぷんさせて男を誘ってやがる」と揶揄されてムッツリ黙り込むように、かなりケバめの出で立ちで。

お銀への酌を嫌がる千太郎に「ならけっこう」と膳を片付けてしまい、千太郎がしぶしぶ酌してやると、「ありがと♡はい、ご返杯」とニッコリ返す愛嬌もある。←ここのお銀ちゃん、ほんと可愛い…!

芝居の場面のほとんどは、お銀と千太郎が飲み交わす場面だ。
「俺を待ってる女っていうのはな、髪は烏の濡れ羽色、眉は三谷の三日月眉、鼻筋通っておちょぼ口…」
千太郎はイキイキした目で語る。幼い頃“お嫁に行かないで待ってる”と約束した少女のこと。
「名前もそんじょそこらの名前とは響きが違うんだ。お銀ちゃん、っていうんだ」
彼が幼馴染だと気が付いたお銀は、喜びの声を上げる。
「あんた――千ちゃん?!」
なつかしくって、嬉しくって、お銀の横顔は少女みたいにパッと輝く。

けれど、返ってきたのは怒鳴り声。
「馬鹿野郎!口のきき方に気をつけろい!俺は仮にも客だぞ?それをなれなれしく千ちゃんてぇのはなんだ!」
激昂する千太郎は、記憶の中の純真な少女と、目の前の女郎宿の女将が同じ人だなんて思いつきもしない。怒りの前に、お銀はひたすら頭を下げる。
「申し訳ありません。申し訳ありませんでした、ごめんなさい…」
泣きそうな顔で土下座するのは、自分が千太郎の思うお銀のままでいられなかったことへの謝罪だろうか…。

そのあとの展開は、ざりざり、砂が傷口に塗り込まれるようだ。
「くさいからあんまり触るなって言ってんだろ」
「お銀ちゃんはお前みたいなあばずれとは話が違う」
繰り返し罵る、かつての幼馴染。そこへ追い打ちをかけるようにある事件が起きて、ストーリーは思わぬ悲劇へと突き進んでいく…。
まるで高速のエスカレーターみたいな構成だ。幕が開いたときは、穏やかな宿の風景から始まる。けれど芝居が進むにつれ、悲しみがどんどん膨らんでいく。
「なんで、今更あたしの前に現れたんだい!」
選べない人生を生きてきた“今の私”に、“かつての私”が過去から投げつけられて、お銀の心は極限にぶつかる。

千夜さんの演技のテイストと重なるな、と思う。彼の芝居は、抑えのきかない情が型を破って、あのキツイような優しいような目元からほとばしっていく感じだ。
ラスト近く、泣き濡れたお銀が千太郎の体に打ち伏して、しぼり出す慟哭。
「あたしもう、どうしたらいいかわからないよ…千ちゃん…!」
きりきり尖った熱がドッとこちらに放たれる。体の中の傷つきやすい部分に染みる。

思えば『花かんざし』も定番のお外題ながら、天華版のはだいぶ絶望感が深くてヒリヒリ残った…。この生々しさはおそらく、劇団天華が核に持っている要素の一つなのじゃないかな?

『お銀片割れ月夜』終演後の、千夜さん口上。
「かっこよく踊る舞踊ショーの人気が高まってきているようですが、私は役者の本分はやはりお芝居だと思います。お芝居は良いですよ、深く見れば見るほど楽しい」
ええと、この発言がTwitterなら「いいね」×500くらい付けたい(発想がツイ廃)。

いずれの劇団さんでも…金銭的・労力的に、舞踊ショーに必要なコストは一昔前よりずっと膨らんでいるだろう。芝居の脚本を書く人手も、道具も、打ち合わせの時間も十分にない。そういった環境でも多くの座長さんが、やはり芝居を…とそれぞれ想像もつかない苦労をされている。

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(2016/12/18 千夜祭りからの一枚)

一人の座長さんが芝居への誠実さを持ち続けてくれるということは、客席の幸福だ。

「旅人さんにこんなに想われて、そのお銀という人は、三国一の幸せ者だねえ…」
お銀が涙こらえて唄うようにつぶやく場面、その目はどこを見ているのだろう。
故郷の館林で、“叶わなかった私”が幼馴染を待っている。
きりきりヒリヒリ、夢が痛む。

【劇団天華 今後の予定】
1月 池田呉服座(大阪)
2月 大江戸温泉物語あわら(福井)
3月 奥道後壱湯の守(愛媛)
4月 宝劇場(福岡)
5月 城山温泉(香川)
6月 大江戸温泉物語ながやま(石川)

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劇団KAZUMAお芝居『身代わり半次郎』―柚姫将副座長の“やさしさ”―

2016.12.14夜の部@三吉演芸場

“やさしい”。
…って言葉はむつかしい。
人に親切に振舞うのがやさしさかと思えば、いやそっとしておくのが本当のやさしさだと言われる。
真実を言い当てるのがやさしさのときもあれば、騙し通すのがやさしさの場合もある。

色んな意味を踏まえた上で。
「半次郎さん、しばらくお名前、お借りいたします」
柚姫将副座長主演の『身代わり半次郎』は、私が観たことのある芝居の中で、最もやさしい物語の一つである。

千秋楽前日の夜の部が、行ける最後の日だった。11月からの三吉通いを、この芝居で締めくくれたことは本当にラッキー!

柚姫将副座長(2016/12/14)


話のキーワードは、外題にもある“身代わり”だ。将さんが演じる主人公の名前は源太。けれど、芝居中、この名前はほとんど呼ばれない。代わりに、繰り返しこう呼ばれる。
「半次郎!半次郎が帰ってきたか!」
目の見えない父親(龍美佑馬さん)は、源太を出奔していた息子の半次郎だと思い込み、欣喜雀躍する。「あ、いや」と源太が否定しても時遅し。
「かあさんの仏壇にもみんなで手を合わせよう、半次郎が帰ってきたんじゃ!」
大喜びの父親の耳には、もう源太の声は届かない。

一人きりになった部屋で、源太は押し殺した声でうめく。
「俺は半次郎さんじゃあない、それどころか…先だっての笹川と飯岡の喧嘩出入りで、半次郎さんをこの手にかけた、信州小諸の源太!」
死にゆく半次郎から遺髪と手紙を託され、源太は自分が殺した男の実家に来たのだった。それが思わぬ誤解を受けた。
罪の意識から出ていこうかと葛藤するものの、老いた父親があんなにも喜んでいるのを見捨てて行けない…。
「ひと月、数日、もしかして今日一日限りかもわからねえが―」
源太は身代わりの“半次郎”になることを決意する。家の奥から父親が呼ぶ。
「半次郎、はよう来んかい!」
「わかった、すぐ行くよ!(一呼吸置いて)“とっつぁん”、すぐ行くよ!」

偽りの父子関係。目の前の老いた人を放っておけない、という気持ちだけで成り立っているもろい関係。物語のこの動機部分が、まず切に胸を衝く。

そして、観ていてとても幸せに思うのは。芝居の要所要所に、将さんの演者としての色々な性質が引き出されていること。
たとえば、偶然助けた娘(千咲凛笑さん)に、「命の恩人を家に連れて行かなかったら、おらがとっつぁんに叱られてしまう」と言われる場面。源太は目を丸くして、
「叱られる?…お前さんみたいな若え娘さんが叱られりゃあ可哀そうだ、わかったよ、案内しておくれ」
どこか輪郭の丸い物言いに現れる、愛嬌と温かみ。

それから、家の中で一人葛藤する場面。本物の半次郎ではないからと、荷物を抱えて家を出ていこうとしては、父親の声に呼び止められる。どうしよう…と眉を寄せて惑う表情の、慈愛の深さ。

終盤、本物の半次郎の兄貴分・浅間の喜太郎(藤美一馬座長)と対峙して、死を覚悟する場面も印象的だ。大きな目をぴったり閉じて、パシッと手を握り合わせ、正面から客席を向いた姿の清々しさ…。

などなど各場面に加えて、「茶店が一軒しかない」田舎の村という舞台設定がまた良い。将さんはハッキリしたお顔立ちながら、どことなく牧歌的なふるさとの情景を漂わせている気がして、芝居の農村の景色が演者に馴染む。

なんだか、手放しで絶賛みたいになってしまった(汗) もちろん、どの役者さんにもこれぞという長所もあれば、その反面として苦手分野もあるだろう。
けれど私が思うのは、長所の部分をすくい上げ、引き伸ばして客席に提示しうる“役との出会い”が存在するということだ。

「とっつぁん、親孝行の手始めに、俺が肩揉んでやるよ」
スポットライトに照らし出される、肩を揉む源太と、“半次郎”の手に心地よさそうに目を閉じる父親の姿。他愛無い会話が続く。
「半次郎、お前には決まった人はおらんのか」
「俺はまだまだ半人前だ、いい人なんかいねえよ」
「そうか、じゃがはよう嫁さんをもろうて、わしに孫を抱かせてくれ。とっつぁんはいつまで生きとるかわからんからなぁ」
赤の他人同士の、けれど限りなく温かい親子の姿。
信州小諸の源太=身代わり半次郎。慈しみをたっぷり持った柚姫将さんという役者さんが、この役に出会えて良かった。

(2016/12/14)
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具体的なエンド(源太と父親がどうなるか、偽りはバレてしまうのか)は、未見の方もいらっしゃると思うので書かないでおくけれど…
終盤、ひとつ心に留まった物語の仕掛けがある。源太が震え声で言うセリフ。
「親を知らねえ俺の身の上、親がいたなら、ああもしてやりてぇ、こうもしてやりてぇと思ってきたが…」
これまで、息子を亡くした父が息子の身代わりと暮らす物語として進んできた芝居が。実は、親を知らない男が代わりの親と出会う物語でもあったということが、さりげなく明かされる。
芝居はやさしさに始まり、やさしさに終わる。

感想は真面目に書いたけれど、股旅姿の源太が茶店の暖簾をぱさっとくぐって初登場する場面とかはうわああカッコいい―!と胸中悲鳴だった(笑)
私が『身代わり半次郎』を観るのは累計5回目。きっとこれからも何度も観る。将さんが歳を重ねるごとにカッコよく、より深く、より切れ味良くなっていく芝居だろう。そして、何十回の上演を経ても、変わらずそこにあるのは。
「“とっつぁん”、すぐ行くよ!」
役と演者がともに編み出す、他者を思う心。

【劇団KAZUMA 今後の予定】
1月 鈴成り座(大阪)
2月 八尾グランドホテル(大阪)

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劇団KAZUMAお芝居『兄弟仁義 男の唄』―戯作者に敬意を―

2016.12.2夜の部@三吉演芸場

戯作者――芝居を書いた人のことは、大衆演劇の世界では多くの場合どこにも残らない。
けれど芝居は残る。
繰り返し上演される物語の中に、その人の世界観は響き続ける。


『兄弟仁義 男の唄』は強いホンだ。どんな配役で上演されても、その配役ならではの煌めきを引き出す。この芝居に3回当たり、3回とも違う配役で観て、改めて台本の強さを思い知らされた。
現在の劇団KAZUMAの話に入る前に…少しだけ懐かしい話にお付き合いくださいませ。戯作者に敬意を示して――3年前、『兄弟仁義 男の唄』を劇団KAZUMAのために書き残された、美影愛さんという役者さんの話をまずしておきたいのです。

美影愛さん(2013/10/14)


最近劇団KAZUMAを観始めたという方も、嬉しいことに拙ブログを見て下さっているので、僭越ながら説明を。
美影さんは九州出身の大ベテラン。2013年の数か月、劇団KAZUMAに指導役として在籍していた。私が通いまくった年9月の浅草木馬館、10月の篠原演芸場でも、劇団メンバーと一緒に舞台に出ていた。
藤美一馬座長が、木馬館での『三代の杯』について。
「美影先生の演技に引っ張られるように、演じながら涙が出た」
と、座長自身も驚いたように語っていたのが思い出深い。
美影さんは『兄弟仁義 男の唄』以外にも、『藤沢涙雨』という作品も残されている。

で、先日12/2(金)の話。改めて、この芝居は劇団KAZUMAの財産だなぁ…と思わされた。

1.主人公と敵方の深い関係
筋そのものはシンプル。良いやくざ一家と悪いやくざ一家がいて、悪いほうの親分が良いほうの親分を闇討ちするという、大衆演劇あるある話だ。「良いやくざ一家」のメインとなる人物が直次郎(藤美一馬座長)。「悪いやくざ一家」のメインは大島の親分(龍美佑馬さん)。

この直次郎と大島の関係性が、大衆演劇の芝居の中ではかなり特殊だと思う。普通は単純に憎い敵同士となるところ、直次郎と大島は昔馴染みという設定だ。二人は敵同士なのだけど、互いにひとかどの男として、相手を誰よりも理解している。
直次郎は大島に言う。
「てめえは昔からそうだった、その薄汚ねえ根性が俺は気に入らなかったんだ」
大島は直次郎をにらんで言い返す。
「お前が俺の傍にいさえすれば、こんな回りくどいことはせずにすんだんだよ。なのに何度誘っても、お前は俺の仲間になりゃしなかった」

藤美一馬座長(2016/12/2)
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直次郎役の一馬座長。病を患っているという設定もあり、やや老境に差し掛かった男の風情がどことなく漂う。

龍美佑馬さん(2016/12/2)
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大島役の佑馬さん。普段の優しさを引っ込めて、貫禄たっぷりの悪役。「しくじるんじゃねえぞ」と部下に指図する声も脅すように。

大島という人物が切ないなぁと思うのは、敵にも関わらず直次郎を“直さん”と親しみをこめて呼んでいる点だ。
「直さん、聞いたよ、あの“喧嘩竜”が一家の二代目だって?やめとけやめとけ、まだ若すぎらあ、一家の金看板を背負うのは無理だろう」
大島は、直次郎に跡を継いでほしかったんじゃないだろうか。自分と対等なライバルになるのを望んでいたんじゃないだろうか…。
二人の間に横たわるのは、同類意識なのか、いっそ愛憎なのか。

昨年、一馬座長はこの芝居について、「直次郎と大島の関係をもっと深くしたら面白いんじゃないかな、という気はします」とおっしゃっていた。主人公と敵方の言葉にしきれない関係性が、芝居を立体的に見せていることは間違いないと思うのです。

2.登場人物全員が役割を持って動く
さらにこの芝居は、登場人物の誰に注目しても面白い。いわゆる“モブ”がおらず、群像劇っぽくなっている。

たとえば良い一家のほうの若い衆・政(柚姫将副座長)。兄貴分である竜次が大好きで、直次郎のことも尊敬している、はねっかえりの鉄砲玉。
「直次郎のおじきが来てるんですかい?二、三日、ゆっくりしていっておくんなせえ!」
政は直次郎の来訪を飛び上がって嬉しがり、
「せっかくおじきが来てるんだったら、以前おいしいって言ってた藤兵衛とっつぁんの酒を飲ましてやりてえ!待っててくれ!」
と一家を飛び出していく(その先に悲惨な運命が待ち受けているのだが)。全体的にハードボイルドな芝居に、明るさ・純粋さをもたらす役割だ。

柚姫将副座長(2016/12/2)
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政役の将さん。芝居が重々しい場面ばかりにならないように、いつもよりワントーン高い声で演じられていたそう。この明るさ込みで、政は将さんのニンそのものだった!

それから一家の二代目を継ぐ竜次(千咲大介座長)。一家を背負う立場ながら、若さゆえ、怒りの沸点が低くピリピリ。けれどとても仲間思いだ。
「弔いの言葉の一つでも言ってくれるのかと思えば…てめえらはもう許さねえからな」
家にやってきた大島をにらみ上げ、一対一の喧嘩を申し込む。大島に斬られ、殴られ、半殺しにされても、血走った目で噛みつくように立ち上がる。

千咲大介座長(2016/12/2)
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竜次役の大介さん。鋭いまなざし、スマートな身のこなしが印象に残った。

出てくる人ひとりひとり、それぞれの物語を負っている。
「劇団KAZUMAはみんなに良いところがあって、だからみんなに見せ場を作った」
3年前の初演時、美影さんはそんな風に話されていた。

古い芝居を口立て稽古で受け継いでいく文化が強い大衆演劇。だから、芝居の筋については正直わりかし粗いなぁと思うものも時々あります(^-^; 主役がカッコよければOKだったり、決め台詞の詰め合わせみたいな芝居だったり(もちろん、それゆえにキラッと光るところもたくさんあるのだけど)。演者がとても優れているだけに、時には整った物語でこの人たちを観たい…という願望もあったりする。

そこへきて戯作者が創った芝居は、いったん物語が完成した上で、演者による肉付けが始まる。だからベースが強い。役者さんがのびのびと個性を発揮できるだけの、強固な受け皿がある。

劇団に関わった人がいなくなっても、芝居は残る。舞台に残る。
『兄弟仁義 男の唄』――フィルム・ノワールばりの陰影を持つ群像劇。いつか劇団KAZUMAのマスターピースとして、そして大衆演劇の特異な作品の一つとして、知られるようになってほしい一本だ。

【劇団KAZUMA 今後の予定】
1月 鈴成り座(大阪)
2月 八尾グランドホテル(大阪)

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女形って面白い!―劇団KAZUMA三人衆―

劇団KAZUMAの横浜公演も気づけばあと少し…(千秋楽は12/15(木))。Twitterのタイムラインにも続々とKAZUMAファンが増えていくのを、わくわく眺める日々です。
三吉演芸場の舞台を見つめる中で、一つ気が付いた。

女形って、なんて面白いんだ…!

いや、4年大衆演劇観てきて、何を今更…って感じですが。男優さんが舞踊ショーで演じる女形。きれいとか可愛いのはもちろんのこと。
「役」に近いんじゃないかってことに、ようやく開眼したんです。

立ち舞踊は、男性のカッコいいところを膨らませたもの。てことは、ある程度、素の男優さんの延長線上に作ることが可能なんじゃないかな…?
雄々しさが売りの役者さんなら、荒々しい舞踊が得意だろうし。優男で売っている役者さんなら、甘く王子様みたいな舞踊で歓声を受けているだろうし。
もちろん立ちにも色んな曲があって、たくさんの造形があるけど、「素の自分」を出発点にできる部分が大きいと思う。

でも女形は、逆の性。本来の自分をひっくり返して、「男」の輪郭を叩き壊した向こう側にある。
練って、作り上げていかなきゃ成立しない存在――つまり、芝居での「役」により近い舞踊なんじゃないかな…

てなことを考えながら劇団KAZUMAを見ていたら。将さん・竜也さん・大介さん、同学年3人組の女形の違いがことさら際立って映るようになって、女形舞踊の時間が今とっても楽しい。個人的な感想をつらつらっと。

◆気持ちがいっぱい 柚姫将副座長

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『たまゆら』(2016/11/24)

三吉公演でKAZUMAを久々に観た友人たちが、口を揃えて言う。
「将さんの女形、色っぽくなったねえ…」
間を空けて観ると、変化が如実だったそうだ。

哀しげな印象が強い将さんの女形。『たまゆら』はよく踊られている曲の一つだ。
“女結びは蝶結び 男結びは片結び”
紫がよく似合う女の姿は、切なく時に苦しく。恋に煩悶する女の曲が多いのに加えて、将さんの目つきや表情は、情がたっぷり深そうだ。心が優しいばっかりにあれこれ気に病んでしまう、そんな女性像が浮かぶ。
この「悩める女」路線の傑作は、やはり『夢一夜』かと…。

そして将さんには、別の路線も。こっちは、最近より顕著に開花している気がする。


『雨の慕情』(2016/11/13)

“雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいいひと つれて来い”
↑の『雨の慕情』。とりま、めっちゃ可愛い。(ええ、ファンですとも!)
姿かたちも可愛いけど、「恋人を待つ」健気さが可愛い。
この曲は、「雨があの人を連れてきてくれたらいいのにねえ」って頬杖ついてアンニュイに唄うようなイメージだったけど。将さんが深紅の着物でくるくる動き回るのを見ていたら、「雨だしあの人にまた会えないかなー」と待つ健気な女心に思えてきた。

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純愛路線、とでも言えるかな。可愛い!とかつて騒いだ『あんたの大阪』もそうだった。体いっぱいの愛情で相手を想う、そんな女形にも三吉公演では何度か出会えている。
いずれの路線も根っこは同じ、曲に合わせた気持ちがいっぱい。毎日全身全霊で、演じる喜びを体現する。

◆コワイ女の妖美 冴刃竜也副座長

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『津軽海峡冬景色』(2016/11/27)

竜也さんの女形は、美しい。そして怖い。
つーっと滑っていく体の中央で、暗い目がらんらんと光っている。
情念にまかせて、何かとんでもないことをスルリとしでかしそうな、腹に秘めた一物を感じさせるのだ。ひとり火曜サスペンス劇場。
もしこのブログを読んでくださっている方で劇団KAZUMA未見という方がいましたら、竜也さんの女形舞踊を体験するために一度足を運んでみても、決して損はしないと思います。

『津軽海峡冬景色』は多くの役者さんが踊る曲だけに、その独自性がよくわかる。
“さよならあなた 私は帰ります”
って歌ってるけど、絶対この女性は帰らないでしょ。むしろ連絡船で男を待ち伏せてるでしょ。

三吉で観た竜也さんの舞踊のうち、とりわけ強烈だったのが『ホテル』。

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『ホテル』(2016/11/24)

“ごめんなさいね 私見ちゃったの あなたの黒い電話帳”
“私の家の電話番号が 男名前で 書いてある”

という歌詞から、この女性は誰かの愛人なんだなあとわかる。大衆演劇での「愛人」って、芝居にしろ舞踊にしろ、「日陰の女の悲しさ・切なさ」的な表象がキホンだと思っていたのだけど。
竜也さんのつくる女の顔には、悲しみの要素がない。全然ひるまず、むしろズンズンと前に前に迫ってくる。

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“奪えるものなら奪いたいあなた そのために誰か泣かしてもいい”
もしこんな女性を二号さんにしようものなら、家庭崩壊は決まった…。
手を出したら破滅の予感、でも妖美ゆえに惹かれずにいられない。
胸元がいつも勢いよく開いていて肉感的です。ガバッと。

◆「女の形」 千咲大介座長(劇団千咲)

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曲不明(2016/11/16)

このエントリーを書こうと思ったきっかけは、大介さんの女形にハッと目を見開かされたからでした。
将さん・竜也さんの女形が、カラーはまったく違えど、両者とも「こういう女性ってリアルにいそう」という方向性なのに対して。
大介さんの女形は、生身の女の美しさとは異なる。女のネットリしたなまめかしさがなく、精緻なお人形が動き出したよう。
まっすぐ描いている眉や、腕を曲げずにスーッと上げる振りなど、直線が多いせいもあるかもしれない。表情もほとんど動きません。

11/22(火)の個人舞踊『女の酒場』。この一本には、大介さん個人を超えて、「女形」という表現が持つ根源的なパワーがあったように思う…。

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『女の酒場』(2016/11/22)

“心に残った未練酒 時間が行けば苦くなる”
“寂しいよ 寂しいよ 身体が寂しいよ”

歌詞は極めて俗っぽい曲。女が別れた相手の愚痴をつぶやきながら晩酌してる、という風景。こういう曲の中にあってすら、大介さんからは生々しい「女」が匂わない。お酒をクッと飲み干す当て振りも、操り人形のように淡々と。

三吉演芸場の花道にゆっくりと歩んでくる女形。花道脇の席で、大介さんを至近距離で見上げた。
そこにいたのは、性別のない、心がどこかにさまよい出たままのような身体がひとつ。

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女という「形」がひとつ。

“恋しいよ 恋しいよ 背中が恋しいよ”
“逢いたいよ 逢いたいよ もう一度逢いたい”

と泣く歌の主人公であると同時に。この涙の世界が丸ごと「形」に過ぎない、という冷ややかな外側からの視線がそこにはある。

将さん・大介さんは芝居での女形もちょくちょく見ますが、そのうち竜也さんも芝居の女形されないかなぁと期待。
ところで、お三方のこと、もうトリニティって言わないんでしょうか…。ペガサス・トリニティ(天馬三人衆)って呼び方、スクエニ系の漫画に出てくる組織名みたいでけっこう好きだったんだけどな(笑)

【劇団KAZUMA 今後の予定】
12月15日まで 三吉演芸場(神奈川)
1月 鈴成り座(大阪)

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