【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之拾弐]・熊谷で震えた!「まな美座」心の芝居

メヌマラドン―て、なんだか恐竜みたいな響きですね。ラドン。
そこへ2年ぶりに来てくれたまな美座!
ストンと体に落ちるセリフの一つ一つが、心地いい。
伸びやかな手足の一振り一振りが、気持ちいい。
アットホームな温泉旅館の空気のひと粒ひと粒が、肌にやさしい。

『わたしだけの戦争 つげの櫛』が終わって振り返ると。
友人たちがみんな目を真っ赤にしてボロボロと泣き、そこのテーブルだけ大惨事みたいになっていた(笑)

私たちと同じ時代に、この劇団さんがいてくれることの喜びを、書かせていただきました。

大衆演劇の入り口から[其之拾弐]・熊谷で震えた!「まな美座」心の芝居

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きらびやかな衣装より、豪華な舞台装置より、ただ魂震わせる芝居が観たい。そんな方は、ぜひ一緒に「まな美(び)座」を観に行きましょう。

3/12(土)午前11時、JR熊谷駅の改札前。筆者含め4人の大衆演劇ファンの友人が集まった。見合わせる顔は、それぞれやや眠たげ。東京住まいの筆者の場合、熊谷に来るまでに2時間かかる。それでも休日の朝の電車に揺られてやって来たのは、この熊谷で3月・4月公演している、「まな美座」の芝居が観たい一心だった。メンバーの一人の車に乗り、熊谷駅から20分程度の「メヌマラドン温泉ホテル」へ向かった。

アットホームな温泉旅館だ。足を踏み入れると聞こえるのは、地元の常連さんや団体客の宴会、楽しそうなカラオケの歌声。そこに流れてきたアナウンス。

「ただいまより、まな美座のお芝居を開幕いたします」

女性座長・島崎寿恵(しまざきひさえ)さんの声だ。ここでの公演は2年ぶり。2年前、寿恵さんを初めて拝見したとき、役が体に細やかに憑依しているような演技に驚嘆した。いよいよ3/12(土)の芝居『わたしだけの戦争 つげの櫛』の幕が開いた。

⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

大衆演劇はかつて、前狂言があって切狂言という芝居2本立てが基本だったそう。
さらに、前狂言・中狂言・切狂言という芝居3本(!)の時代もあったとか…
(なんて贅沢な…)
旅芝居の数少ない資料をめくると、食い入るように芝居を観る観客の様子が写真に残っている。

もちろん現代だって、それぞれの劇団さんは華やかなショーをしつつも、芝居を大切にしているけれど。
当時の旅芝居は、名前通り芝居がすべてだったのだなぁと思う。
舞踊は、芝居をする役者さんが“踊っている”という、プラスアルファのお楽しみであって。
芝居こそが根幹であり、息吹だった。
観客もずずっとその中にもぐりこんで、物語の中で息をひそめた。
その時代を私は知らない。

けれど、まな美座の寿恵さん、剣次郎さん、新さんたちの姿を観ていると。
その昔から今までの時間が、舞台に一直線に流れているのを感じることがある。

里見剣次郎さん(2016/3/12)
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きりきり立つ身体の線の美しさ。

島崎寿恵座長(2016/3/26)
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流れる身のこなしの中に、情がぽっと燃える。

ここにある身体は確かに、あの時代の続きなのだ…
その舞台をまぎれもない現代の役者さんが、現代の私たちに見せてくれていることが、とてつもなく嬉しくなるのです。

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劇団天華お芝居「丸髷芸者」―赤の他人こそが―

2016.2.14 昼夜@堺東羅い舞座

前日の『峠の残雪』に続き、2日間連続で天華さんの人情芝居。しあわせー!
『丸髷芸者』は昨年12月のユラックスで観た(その時の記事)。千夜さんの芸者を中心とした人間模様に、不運な人、力なき人々をまなざす慈愛が現れて、2015年最も心打たれた芝居の一つになった。

2/14は昼夜ともいたので、2回目・3回目の『丸髷芸者』。
初見は千夜さん演じるお蔦さんの悲しさばっかりに意識が向いたけど、今回は丞弥さん演じる大旦那との関係性が沁みてきた。嫁とお舅さん、そこには、儚くもやさしい“赤の他人同士の心の結びつき”が浮かび上がって来る。
特に愁嘆場、千夜さんの長台詞。あるセリフの流れを聞いたとき、ここを聞けただけで、堺東にいられたことを幸運に思った。やったね!

澤村千夜座長・澤村丞弥さん(当日舞踊ショーより)
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芝居の筋はこんな感じ。
江戸で芸者をしていたお蔦さん(澤村千夜座長)は、藤野屋の若旦那(澤村悠介さん)の元に嫁いできた。が、たまたま、顔に火傷の跡のある娘・おみつ(沢村ゆう華さん)が川に身投げしようとするのに出くわす。実は、若旦那はおみつと一緒になると幼い頃から約束していたのだった。
「この顔では他に嫁の貰い手もあるまい…」
おみつの母(喜多川志保さん)の嘆きが切ない。捨てられた母娘の絶望がお蔦さんに突き刺さる。
「娘さん、もう決して、死のうだなんて馬鹿な考えを起こしちゃあいけませんよ」
言った後、お蔦さんが火傷のあるおみつの顔を、じい…っと見るのが意味深だ。既にこの時点で、決意していたんだろうと思わせる。
不幸な娘さんのために、自分は身を引かなきゃならない。離縁されるようにしなきゃいけない、と。

以降は、お蔦さんがわざと悪妻を演じ、自分が離縁されるように仕向ける…という展開になる。
「あたしはね、他人の不幸の上に、自分だけ幸せになるのは嫌なんだよ」
後半の場面で、弟・源次(澤村神龍副座長) 相手に語られる言葉は、薄幸な生きざまを象徴するようだ。哀しく微笑みながらの、自己犠牲と忍従の生き方。

で、お蔦さんを一番嫌うのが、お舅さんになる藤野屋の旦那さん(澤村丞弥さん)。息子は江戸で芸者の色香に引っかかってしまった…と頭を痛めている。

澤村丞弥さん(当日舞踊ショーより)
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丞弥さん、老け役のメイクと白髪の鬘で、普段の淡麗な姿とは別人。老いに丁寧に寄り添おうとする演者の誠実さが、嫌われ役でも憎めなくってチャーミング!

「なんなんじゃ、あの人は!最初こそいい人だと思ったが、最近では昼間から酒びたり、使用人にはつらく当たる、ロクな嫁じゃあない」
お舅さんから見たら、嫁は家に入り込んできた他人。
「あんな嫁は離縁してしまえ、いいな、離縁じゃ!」
と口酸っぱく息子に言う。
やがて若旦那は、お蔦さんが間男を連れ込んだと思いこみ(本当は弟)、「今日限り離縁だ!」と言い渡す。

ここから、千夜さんが誰もいない家に向かって膝をつき、別れの長台詞を述べる愁嘆場。芝居全体で最も大きく感情が膨らむ場面でもあり、さあ来た!という感じで聞き入った。
3回観たうち、3回ともセリフがかなり違うことにビックリ…。それも細かい言い回しのみが変わるのでなく、多くの言葉を割いて膨らませられる心の有様が毎回異なる。ひいては物語全体の色合いが毎回変わってくる。

私の頼りない記憶力をフル稼働させると、昨年12/20の初見時はここがクライマックスだった↓
「どうか忘れないでください。広い江戸の空の下、一人の女がずっとあなたを思っているということを」
「お蔦という名前を、忘れないでくださいませ…」
私の名を忘れないで、というささやかな唯一の望み。寂しいひとつの輪郭が、演者の身体から抜け出るようだった。

2/14昼で重点的だったのはこんなところ↓
「お前さん、どうかおみつさんを幸せにしてあげてください。おみつさんを幸せにできるのは、お前さんだけなんですから」
「短い間でしたが、本当に、本当に、ありがとうございました…!」
ひたむきに伝えられる感謝。情深く健やかな心がストレートに差し出される。

そして2/14夜。今まで観た中で最も、お舅さんに向けられた言葉の量が多かった。
「あたしたち姉弟は小さい頃から、親戚の家を流転流転して、たらい回しで育ちました」(←このセリフはこの回のみだったはず!)
「だからこの家に来て、おとっつぁんができたとき、どんなに嬉しかったか」
「おとっつぁんどうか体を大切に、暑さ寒さに気をつけて、飲み水、食いもんにも――(ハタと気がついてうつむく)今となっては、赤の他人の要らない世話か…」

“親戚の家を流転流転して、たらい回しで育ちました”
という生い立ちを受けての、
“飲み水、食いもんにも――”
この流れ!
今、舞台で膝をついて、訥々と語っている女の人には背景がある。あっちの家へこっちの家へと追いやられて育った。幼い心はうら寂しく、だからこそ義理の父には親孝行したかった…。
その希求が、次の“飲み水、食いもん”という言葉に流れ込む。決して上品な言い方じゃない。このさらに後のセリフで「卑しい、貧しい育ちのあたしみたいな女が」とあるように。人の手をあまりかけられずに育った子どもの素朴な言葉で、でも、お舅さんの体を労わる優しい気持ちがめいっぱい詰まっている。

セリフ一つをきっかけに。
主人公がどういう人で、どういう暮らしの中にあったのか――芝居のさらに奥が、カーテンが取り払われるみたいに開かれる。この構築の面白さこそ、千夜さんの芝居が観たくなる原動力だなぁと。

澤村千夜座長(当日舞踊ショーより)
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さて、お舅さんとの関係性はラストのほうでちゃんと回収される。真実を知った旦那さんは、お蔦さんに深々と頭を下げ、膝をついて詫びる。お蔦さんは驚き、慌ててお舅さんの着物についた泥を払う。
さらに、江戸へ発つお蔦さんの履物をそろえてやるのは、若旦那ではなくお舅さんだ。トン、トンと下駄を並べて差し出す丞弥さんの表情は必死で、自身の愚かさへの悔いが現れていた。
お昼の部を一緒に観た友人が、このシーン良かった、この芝居のハイライトだと思ったと話してくれた。

血の繋がりはない。夫婦関係もない。
心のみで結ばれた他人だからこそ、響き合う何かがある。
この空の下、二度と会うことはなくても、自分の本当の心を知ってくれている人がいる。
だったら、生きていける。

江戸に帰るお蔦さんの最後のセリフ。
「またあたしは座敷に上がって、この丸髷も解いて――(首を振って)ううん、解くもんか…」
丸髷に詰まっているものは、遠くなろうとも、忘れえぬやさしさ。
切っても切れない、赤の他人の。

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劇団天華お芝居「峠の残雪」―声なく独りきり―

2016.2.13 昼夜@堺東羅い舞座

ひとりきりだった。
降りそそぐ雪の中、男一人の情景。
彼は口がきけない。
身ぶり手ぶりで心通じた弟は、先ほど死んだ。
堺東で観た『峠の残雪』を思い返すと、まず浮かぶのは雪の降りしきるラストシーンだ。

「これはね、ホントに良いお芝居なんです。僕の役者人生で一番好きなお芝居なんですよ」
と千夜座長が1月京橋公演の口上で言っていた。

白に埋もれて、兄・新造(澤村千夜座長)が、弟・新吉(澤村神龍副座長)の亡骸を腕に抱え上げる。
周囲には、ようやく討ち果たした仇の一味が転がる。けれど先刻までの立ち回りで自身も致命傷を負い、予感されるもうじきの死。
白い大きな世界に飲まれるように、人間のあがきがひとつ。

澤村千夜座長(当日舞踊ショーより)


澤村神龍副座長(当日舞踊ショーより)
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2/13-2/14、再び仕事の大阪出張に合わせて堺東へ。お外題が出た瞬間から、大変楽しみにしていた。
会社は残業続きでも「土曜日は峠の残雪峠の残雪…!」と唱えてなんとか乗り切り、いざ羅い舞座へ。

雪のラストに至るまでに。
“持てる者”だった新造が、持っていたものを一つ一つ奪われていくような筋書きだ。
元々は新造・新吉とも五体満足で、亀甲組を担っていた。
亀甲組は将軍からのお墨付きをもらい受け、今後の栄華は約束されたようなもの。
―そのお墨付きを狙ったのが、神馬弥十郎(澤村龍太郎さん)と丹波屋長治(澤村悠介さん)だ。

芝居冒頭で、兄弟の母(喜多川志保さん)は斬り殺され。
新造は毒入りの酒で声を奪われ、新吉は目をつぶされ。
1年後、新造はおこもになっていた新吉を見つけ、ようやく兄弟再会したものの。
粗末な小屋のような住まいを、新造が少し留守にした間に。
新吉は神馬と丹波屋に襲われ、無残に殺されていた。

留守にする前、新造はちゃんとお願いしておいたのに。
お地蔵さんに、笠をかぶせて頼んでおいたのに。
自分の代わりに弟をちゃんと見守っていてくれ。悪い奴が来ないか、見張っていてくれと。
声が出せないから、身ぶり手ぶりで。
千夜さんが花道を行きかけながら、心配そうにお地蔵さんを何度も振り返って、手をせわしなくパタパタさせて伝える。
その仕草がユーモラスで、弟への情愛に満ちて。
かつ、頼るもののなさが哀しく滲む場面だった。

でも祈りは届かず、帰って来て目にしたのは、斬られて冷たくなった弟。
一人残された新造の上に、なおも刺すような雪が降る。
ず、ず、と。
弟の亡骸に縋ろうと必死に地を蹴る草履が、雪で滑って進まない。
神馬と丹波屋の一味を斬り伏せ、けれど自身も斬られ、命尽きようとするときに。

―I am GOD’S CHILD(私は神の子供) ―
流れてくる音楽は『月光』(大衆演劇でこの曲を使ってるの初めて聞いた!)。

―この腐敗した世界に墜とされた―
―How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?)―


風景はまさにこの世の果て。
千夜さんが左側に神龍さんを抱えて、汗にまみれて、舞台中央ににじり寄る。ざんざんとまだ雪は降る。

本来、この雪は単純に画面を盛り上げる効果なのかもしれないけど。
あまりにも残酷な展開の後だったためか。曲のせいか。
なにか、そこには巨視的な絵があった。
生きることの無慈悲なうねりの中で、ちっぽけな人間が一人あがいているような、遠近を組み込んだ絵に見えた。

新造の持つ“独り”の輪郭。
そこには、この人物の「喋れない」という設定が大きく作用しているんだろうな…と思う。
“言葉”“会話”は他者との最大のつながりだ。それを奪われた新造の意思疎通は、かなり手間がかかるものであることが、劇中何度も描かれる。
たとえば“食べ物をもらってくる”とひとこと言うにも。弟の手を取って、茶碗と箸を持つポーズをさせて、むしゃむしゃという咀嚼音を出してみせて。
「ああ兄さん、奴の親分のところで食べ物をもらってくるって?」
とようやく伝わる。

声をつぶされる前、小気味よい名乗りを上げていた新造を思い出すと、さぞ、まだるっこしいことだろう。
出口を失った無数の思いが、男の中に沈殿している。
ただ一つの温もりだった弟も死に、母はとうに死に、この世の底を独りでいざる。

―I can’t hang out this world(この世界を掲げる事など出来ない)―

最後の力で弟の亡骸を抱え上げ、神馬たちから取り戻したお墨付きをかざす。
千夜さんの赤い目から涙が散り、汗が散る。
雪をかきわけるような、鋭い雄たけびを上げて。
その力強さに、かすかな人間の希望を感じる一方で。
同時に舞台をよぎるのは、この紙切れ一枚のために何もかも失わなければいけなかったのだ―という、一つの小さな人生の哀しさ。

出会ってまだ4か月の天華さんは、華やかで、現代的で、きらきらしい劇団さんだ。舞踊ショーでは宙づりとかケレンもあって、電飾の光がよく似合う。

けれど芝居では、弱き者、小さな者たちの影がこんなにも生々しく映し出されるのはなぜだろう。
持っていたものをもぎ取られた人間の造形が、客席をしんと見上げてくる。

翌日2/14、『丸髷芸者』との再会編に続きます。
あれこれ忙殺されてカタツムリ並みの進度で進むブログですが、よければぼちぼちお付き合いくださいませ~

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