たつみ演劇BOXお芝居「武士道残酷物語」―望遠鏡とルーペ―

2016.1.10 夜の部@三吉演芸場

「軍平の実直なところとか、不器用でうまく立ち回れないところとか、一人の人間としてとてもよくわかりました!」
興奮冷めやらぬ送り出しで、たつみさんにお伝えした。

勝手なイメージだけど、たつみさんの芝居の持ち味と言えば、弱気を助け強きをくじくヒーローとか(『花盛り 高田馬場』の安兵衛)。
おっとりと品良い殿様とか(『一心太助 天下の一大事』の家光公)。
市井のしがらみを振りほどいた、無敵の強者や殿上人が、あの超美貌にぴたりとハマる。

でも『武士道残酷物語』では。
「わしもそろそろ出世をせねばならん。うまく立ち回ることも考えねば」
眉を寄せて真剣に言う五十嵐軍平は、ただひたむきに日々を生きる人間だった。

小泉たつみ座長(1/10舞踊ショー)


たつみさん演じる軍平は浅野家に仕える草履取り。主君はまだ幼児の浅野長矩(わかこさん)。軍平は、江戸家老の鬼頭(宝良典さん)の横暴を事あるごとに止めるため、鬼頭にすっかり睨まれている。毎回、大石内蔵助(小泉ダイヤ座長)が軍平をかばってとりなしてくれることで、なんとか事なきを得ていた。

宝良典さん(1/19舞踊ショー 当日のお写真で良いのがなく別の日から…) 
鬼頭の残忍さも誇張のない重みで演じられていました!
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軍平の“家族の情景”が良かったなぁ。冒頭、花見の席で鬼頭と一悶着あった後、軍平はつましい我が家に帰る。
「お帰りなさい。今日はずいぶん早かったんですね」
と笑顔で迎えるのは、妻・しの(辰己小龍さん)と愛児・いつき(本当の名前もいつきさん!)。
軍平はすっかりリラックスした表情で、
「いつき、母はお前に厳しいか?教育熱心だからな~」
と子の顔をのぞきこみ、愛しげに抱き上げる。
「よし、せっかく早く帰れたんだ、父と遊ぼう」
この場面、いつきさんを可愛がる、たつみさんの温かなまなざしが非常に印象的。“お父さん”の愛情が舞台に溶け出る。
小龍さん演じるしのは、夫の羽織りをこなれた手つきで受け取り、父子のやり取りをニコニコと見守っている。
3人だけの小さな家の中の風景は、この後の展開があまりにも凄惨なためか、かえって記憶の中でくっきりとした暖色に彩られている。

家族団らんに割り込む、突然の鬼頭からの使い(嵐山瞳太郎さん)。急務で屋敷に来いという。使いの文を読み、軍平の顔つきがきりりと引き締まる。
「この命をうまく果たせば、鬼頭様は今までのことを許してくれるかもしれん。そうしたなら、わしは出世ができるかもしれんのだ」
「出世をすれば、お前たちにも、もっと良い暮らしをさせてやれる!」

急ぎ屋敷に駆け付けた軍平に、鬼頭は重々しく告げる。
「実は、浅野家の中に反逆者が見つかった。その反逆者を始末してもらいたい」
「お前の腕は、目隠しをしていても相手の場所がわかり、斬ることができるという」
「反逆者が誰かなぞ、お前ごときが知ってよいことではない!目隠しをして、顔を見ずに斬るのだ」
言われるがまま、目隠しをして刀を握る軍平。そこに連れてこられた“反逆者”が、猿轡で声を封じられたしの・いつきだと気付かないまま、刀を振るってしまう。

軍平が騙されたことに気が付くのは、鬼頭の短刀に手をつぶされた後。舞台には痛みに苦悶する軍平と、白い布に包まれた首二つが残される。
動かない手で必死に包みの一つを開けて、軍平は絶叫する。それは変わり果てた妻の首だった。
「しの!なぜ、なぜ、このような姿に――誰がこんなことをしたのだ…!」
しばらく間を置いて、悲痛な細い声。
「わしか…」
そして、愕然ともう一つの包みを見つめる。“反逆者”として斬ってしまった、片方が妻なら、もう一方は誰なのか。
目を見開いて、口をうつろに開けて、信じがたい、信じられない、でも小さな包みの中に入っているのが何であるか、絶望的なまでにわかってしまう――
たつみさんの目、この世の終わりを見るような目だった。

地に這いずって、片腕に妻の首を抱き、もう一つの小さな首を凝視する。人間の抱きうる最も深い絶望が、一人の男の身体をよぎっていく。
あ、今すごく、構造的に高い視点が用意されているな…このとき感じた俯瞰の目が、ラストにも現れる。

最後に軍平は鬼頭への復讐を果たす。が、自らも幾度も斬られ、さらに主君を守るために長矩のお茶に盛られた毒を飲んだ。明らかに死は間近だった。
「上様、どうか一言、言葉を」
ダイヤさんの大石が涙しながら頼むと、わかこさんの長矩が淡々と言う。
「大義であった。余は忘れぬぞ」
その一言に瀕死の軍平は、血まみれの顔をくしゃくしゃにして笑う。すべて報われたと言わんばかりに。両手を握り合わせて、小さな主君に頭を下げる。
「もったいのうございます…!!」
そして幕が閉まる直前、最期の叫び。
「しのー!!いつきー!!」

人間としてここまで酷い目に遭っても。
『余は忘れぬぞ』
幼い殿様の一言が、武士・五十嵐軍平を救済した。
“軍平と家族”という温もりが、現代の私たちにとても近く感じられると思った次の瞬間。
“お家に仕える”という武士道の巨大な歯車が現れて、そこに生きている人々の血も涙も巻き取られていく。
望遠鏡のように時代の流れを静観する目と、人間の汗に接近していくルーペのような目が、芝居の骨格に鮮やかに現れて。
さっすが小龍さんの脚本だ…!!(結局いつもここに落ち着く)

生きる時代は選べない。生きる場所は選べない。
だからこそ、その時代の倫理で、ただ懸命に生きる五十嵐軍平の姿が、“私たち”の分身としてこんなに愛しく思えるのだろうな。
あまりに悲しい話なので、好みの分かれるお芝居とのことだったけれど…
個人的には、たつみさん主演の芝居の中で一番好きかもしれません!

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之十] ・辰己小龍さんスペシャルインタビュー!(たつみ演劇BOX)

小龍さんのインタビューが読みたい。
戯作にどんな知識が活かされているのか、演技にどんな創造を施されているのか、言葉で聞きたい。
2013年7月、小龍さんにひとめぼれしてから、ずっとそう思っていた。

自分自身がお話を聞かせていただいて、文字にさせていただく機会が訪れるとは…。
人生は数奇で嬉しいものです!

大衆演劇の入り口から[其之十] ・ついに登場!名女優・辰己小龍さんスペシャルインタビュー!(たつみ演劇BOX)



―ご自身の夢っていうのは、あるんですか。

小 夢はもう叶いましたね。もうじき40歳になるし…10代のときに夢見たことを20代で叶えて、20代で夢見たことを30代で叶えました。もうあとは、子どもの世代。夢見るというよりかは、これを引き継いでいく、将来の世代を育てていくっていうことに対しての責任ですよね。

―叶えた夢はなんだったんですか?

小 10代のときに夢見た夢は、やっぱり女優として皆さんに知っていただけるということです。当時、女優というのはもっともっと底辺で、名前の売れるものではなかったので。主演を張れる女優になりたいっていうのがあったんですね。座長ではないけども、主演はできるようになりましたし。今、自分の思い描いてた女優像になれたと思うんですよ。


⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


読んで「涙出た」とコメントしてくださった方がいた。
24日の朝に記事を公開してから、小龍さんを愛するファンの多さを改めて感じている。

そして、インターネットは幕の向こう側にも届くツールなので。
大衆演劇の世界で奮迅する、幾名かの若い女優さんも目にしてくださったらしい。
若い女優さんには小龍さんに憧れる方も多いと聞く。

女優さんが主演(しかも世界を構築する巧さ)。
女優さんが戯作(しかも物語の運びの良さ・視点の大きさがただごとでない)。
女優さんが誕生日公演(そしてたたき出す大入り14本!)。

やっぱり、辰己小龍さんという女優さんは、大衆演劇の世界に咲いた一つの奇跡のようだと思います。
天性の花に、絶え間ない努力という水を与えて。
「奇跡」はきっと、次の世代の「希望」になっていくのでしょう。

1/9(土)の『小龍の七役』。
小龍さんが七役を演じ分ける、ファン垂涎の芝居。
七役の一つ・“お六”の「通らねえ煙管だなぁ~」の活き活きとした唸り方に、私の心は「ぎゃんっ!」て叫んでました。
“お光”の「まあ嬉しい!」の満面の笑みに、「きゅわんっ」て感じで胸が鳴りました。
クライマックスの場面でお六が君臨するように姿を現すと、「ひょーーー」って魂が奇声を上げました。

舞台の感動を言葉で書き表そうなどという気になるのは、観てしばらく冷ましてからの話で。
小龍さんの舞台を観ている真っ最中は、興奮の擬態語で胸の中がいっぱいです(笑)

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2015年 珠玉の舞踊 ベスト5

2016年始まって20日も経っちゃいましたが、今頃ですが振り返りです。
ストーリーが浮かんで涙した舞踊…そういう踊りに出会えたときは、一日中酩酊状態です。何度も何度も、写真を見て思い返します。
順位なし、観た順です、2015年の5本!

★辰巳小龍さん(たつみ演劇BOX)
『おんな道』~『愛の賛歌』2015.3.1@三吉演芸場

一流の戯作者であり演者。現代の大衆演劇ファンで良かったなぁと思わせてくれる、敬愛する姉上様。



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“打ちひしがれてなお生きる女”というのが小龍さんの舞踊にはよく出てくる。打たれて、踏まれて、崩れ落ちるも、まだ前を見据える女。この舞踊も前半の「おんな道」は歌詞が痛烈で、まるで女という生き物に生まれたことへの呪詛のような詞だった。

―嫌なお客にせがまれて男の枕にされながら つくる笑顔も生きるため―

この歌詞で女優さんが踊る。これを受け取る客席も多くが女性。男という絶対的な強者を持った上で、女は生きていかねばならない…。舞台に倒れ伏す小龍さんの、生々しい痛みに体が締めつけられた―と思ったら。
曲が変わった。「愛の賛歌」。倒れていた小龍さんが、何かに呼ばれたように顔を上げる。

―ただ命の限り 私は愛したい―

小龍さんの表情に光が差していく。体を起こし、ゆったりと踊り始める。こみ上げる情を抑えるように胸に手を置く(写真2枚目)。舞踊の中の女性が、恨みと侮辱から解き放たれて、燦々と注ぐ希望に向かっていくのがハッキリ見て取れた。赦し、望み、愛、そういうものを自身の底から生み出して、女は生きていく。奈落の底で始まり、晴れやかな笑顔で終わる物語だった。

★高野花子さん(下町かぶき組)
『旅人のうた』2015.3.22@浪速クラブ

2014年に三吉演芸場で個人舞踊『惚れちゃった』を観たときから、気になっている役者さん。舞踊の中のキャラクターが、全身の表情で豊かに伝わってくるのだ。

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高野さんの『旅人のうた』は、芝居『化猫』を観に行った浪速クラブで出会えた一本。席と私の写真の腕がアレで全身が撮れてないのだけど(後悔…)、袴での舞踊だった。リンと音のしそうなまっすぐな立ち姿(写真1枚目)。と思えば、慈愛で包み込むようなやわらかな笑顔(写真2枚目)。

――男には男のふるさとがあるという 女には女のふるさとがあるという―

下町かぶき組webサイトを見ると、高野さんは商業演劇にもかなり出演されているようだ。広く他の選択肢がある中で、自ら旅役者という道を選ばれた方なんだろうか…そんなことを考えながら淡々と踊るしなやかな身体を観ていると。旅役者としての毎日が、それを意識的に選びとった女性の覚悟のようなものが、どこかに滲んでいる気がした。

―なにも持たないのは さすらう者ばかり―
―どこへ帰るのかもわからない者ばかり―


★橘大五郎座長(橘劇団)
『願わくば桜の下で』2015.5.31@大宮健康センターゆの郷
(⇒観た当時、この舞踊で一本記事書きました)
大衆演劇界の大スター大五郎さん。いつ見ても明るいキャラクターだけど、彼がひとりで踊るとき、とても澄んだ“さみしさ”という持ち味が現れるように思う。

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傘を持って、杖をついて。どこか魂半分、抜け出てしまったような風情で。黒い着物の女が一人で歩いていく。その行き先は高野山なのだそうです。「高野山に亡くなった旦那さんのお参りに行くってイメージなんですよ」と、送り出しで、大五郎さんの中にある物語を伺うことができたのは幸運だった。

―枝垂桜のこの下であなたと散りたい この春に―

女の歩みは、ゆっくりゆっくり。一歩進んでは目を伏せる。半歩進んでは客席に微笑する。やがて胸から旦那さんの遺髪を取り出して、ハッと喪失の深さに思い当たるように目を見開く(写真2枚目)。

―草を枕に寝ころべば あなたの胸の 音がする―

寄る辺なく、頼りなく、喪われたものだけを懐かしみながら。亡くなった旦那さんのお参り――今はもうないものへの憧憬を全身に宿して、女形が哀しく微笑む。そこにはたしかに、儚い死生の際をなぞっていく光景がありました。
この舞踊を観られた「大宮健康センターゆの郷」が、8月末に最終日を迎えたことで余計に感慨深い。

★柚姫将副座長(劇団KAZUMA)
『越後獅子の唄』2015.9.19@東海健康センター「平針座」
(⇒この舞踊でも一本記事書いてます)

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―笛にうかれて 逆立ちすれば山が見えます―

将さんの越後獅子!イントロが鳴り出したときは、哀愁と望郷の景色が広がるのかと思ったけど。中盤、曲がアップテンポになり、一気に喜びが沸き上がる。将さんが小さな「平針座」の舞台を勢いよく駆け回り、足を踏み鳴らす。そのキレの良い躍動感。加えて晴れ晴れとした笑顔!

―暮れて恋しい宿屋の灯 遠く眺めてひと踊り―

歌の世界の凪いだ風景とさらり絡まって、舞台は光が差すように明るかった。この月は一馬座長不在で、竜也副座長・大介さんと初めての3人座長体制だった。客席に見えない大変さは推し測りようもないけれど。柚姫将さんという役者さんの生み出す喜びの深さは、唯一無二のものだと思う。“今ここに在る”という素朴な歓喜が、温かに手渡されるようだ。
11月に劇団KAZUMA@浪速クラブをご一緒した友人が、将さんについて語ってくれた言葉が忘れがたい。「柚姫さんを観ていると、ご本人の“人を信じよう、信じたい”という気持ちをとても感じる」
2016年。副座長の舞台には、どんな色が加わっていくだろう?

★喜多川志保さん(劇団天華)
『母ざんげ』2015.12.18@ユラックス

小さな体が、舞台に絵を紡いでいく。華やかな劇団天華の舞踊ショーの、いつも一番最後。志保さんの織り成す情感豊かな風景で、ショーが閉じられるのが好きだ。お写真もこれだけ1枚多く(笑)。

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『母ざんげ』は歌舞伎の『伽羅先代萩』の政岡の心情を歌った歌(若君をお家騒動から守るため、乳母の政岡の子・千松が毒見役として毒入りの菓子を食べて死ぬ)。
志保さんの政岡は、最初から最後までひとりだ。他の役者さんで、千松役の子役を登場させて表現する手法を観たことがあるけれど。大きなユラックスには、志保さんの孤独な影がぽつんと浮き上がっていた(写真1枚目)。

―毒と見えたら食えと言う 倅 千松 許しておくれ―

自分の影と対話するような姿。演じられる政岡が、千松の最期を思い出しているのがわかる。何度も何度も、この母はひとりで思い出してきたのだろう。影を見つめながら、身を切られるような痛苦を、そのたびに自分の身体に蘇らせてきたのだろう。

―幼い命を最後が最後まで母と呼べず逝ったのか―

ぎりぎりと自分の身体を抱きしめて(写真2枚目)。首を振り、震える腕を空に差し出し、床に崩れる。小さな女一人が武家社会のならいの前に、吹きこぼす悔恨、怒り(写真3枚目)。この日の客席を圧倒したのは、政岡という人物の清らかで立派な悲しみでなく。生木を裂かれるような、剥き出しの悲鳴だったと思う。

―血を吐く胸の 血を吐く胸の 母ざんげ―

ユラックスに喝采が沸いた。送り出しで志保さんに涙が出ました!とお伝えすると、「舞踊で泣いてくれたの?ああ、それが一番嬉しい。心が伝わるように踊っています」とニッコリ。キュートでいらっしゃる…

以上、5本が2015年のマイベスト舞踊!たった数分の曲で私たちを物語に誘ってくれる舞踊に、そんな世界を開いてくれた彼らに、感謝を込めて。
今年は辰巳小龍さんの『夢やぶれて』という、2016年ベスト入り候補に早くも出会って幸運な幕開けです!

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之九] ・後編(関西編) 京橋の「劇団天華」に注目

【SPICE】連載コラム「大衆演劇の入り口から」、2016年お正月公演紹介記事、関東編・たつみ演劇BOXに続いて、関西編は劇団天華さんを紹介させていただきました!

大衆演劇の入り口から[其之九] ・後編(関西編)  2016年、あなたも大衆演劇デビューしませんか?京橋の「劇団天華」に注目

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筆者が初めて観に行った日の芝居が『三人出世』。(中略)

「世の中には色んな人がおる。目の見えない人も、手や足のない人も…。けど、目の見えない人はあんまさんをやる。手のない人は荷を背負って飛脚をやる。足のない人はかんざし職人をやる。お前は目も手も足も全部揃うとるやないか。なのにどうして仕事につけんのや。世間のせいやない、お前が自分の弱さに負けただけや!」

千夜座長の渾身のセリフに大きな拍手が沸いた。ささやかな人情噺の向こうに、社会へのまなざしが開いていく。舞台が一枚絵で終わらず、登場人物たちの暮らしを想像させるような、“風景”の奥行きが目の前にあった。『花かんざし』『へちまの花』『釣忍』『お里沢市』『丸髷芸者』…いずれの芝居もリアルな人間の体温と、ざらざらとした手触りに満ちていた。この物語にこんな面があったんだ、こんな景色も広がるんだ!と、その切り口のみずみずしさに目を見張った。


⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

上をクリックしていただくと、Twitterで繋がっているあやかさん撮影の、ものすごくドラマチックな梅川忠兵衛の写真が見れます!(本当にスゴイ写真!)
SPICEのランキングやTwitterの反応を見ると、この記事はありがたいことに大変多くの方に読んでいただいたようで…それもあやかさんのお写真のおかげだと思いますm(__)m

関東の友人たちに、天華のお芝居の魅力を説明するとき。
「たとえばね、“雨で道がぬかるんでるから気をつけろ”ってぬかるみを避けると、実際には何もない劇場の通路だけど、ああ、そこはぬかるんでるんだなって目に浮かぶ感じで――風景が開くようだわ!と」
「出てくる人物の背景がちゃんと積み重ねられて、人間像として納得!リーズナブル!みたいな」
これという言葉の適切な選択ができないでいるものの、テンションだけは高い(笑)
なんせ昨年11月に出会ったばかりの劇団さんだ。

私の目が追い付かなくて、劇団としての粒立ちがまだ見えないところが大きいので。
本当は、SPICEという広く読んでいただける媒体に載せる文は、もっと後で書こうと思っていた…のだけど。

京橋公演の熱気を、関西の友人がメールで送ってくれるとうずうずしてきて。
もっと後でちゃんと、なんて言ってるうちに時間は過ぎる。
だから、書かせていただけることがあるうちに。
劇団天華のファンの方にも、気に入っていただける記事になっているだろうか。

上に載せた写真は昨年11/28のラストショー「湯島の白梅」@篠原演芸場。
このようなお芝居仕立てのラストショーが多いのも大変嬉しい。
芝居を。もっと芝居を!
ドラマを求める観客の心に、千夜座長はどろりと生々しい人間の情の交錯を見せてくれる。

Twitterに流れてくる京橋羅い舞座の公演予告は、平日に連日昼夜外題替え、新作芝居・新作ショー、「1日3回公演」(?!)など、とにかく力を搾り取るような全力ぶりだ。
大阪の激戦を感じつつ、役者さんもお客さんもどうか健康で…と祈らずにいられない。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之九] ・前編(関東編) 横浜の「たつみ演劇BOX」に注目

私にとっての大衆演劇との出会いが2012年であったように。
2016年、この新しい年も、どこかの誰かにとっては出会いの年になるはず。
初めての大衆演劇―そのきっかけに、ほんの少しでもなれますように!
というわけで新年1発目の記事を書いております。

大衆演劇の入り口から[其之九] ・前編(関東編)  2016年、あなたも大衆演劇デビューしませんか?横浜の「たつみ演劇BOX」に注目

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「たつみ演劇BOX」の真髄のひとつだと思うのは、歌舞伎や浪曲で親しまれてきた物語をわかりやすく、しかも美しく描き直してくれることだ。
(中略)
2015年、東京・浅草木馬館と篠原演芸場で、異例のスタンディングオベーションを起こした『三人吉三』もまさにそうだった。記憶に鮮やかなのは、紙の雪が大量に降りしきるラストシーンだ。篠原演芸場の舞台上、雪をかき分けながらの凄絶な立ち回りに、客席の熱気も最高潮。すると小泉たつみ座長演じる和尚吉三が、花道にズザーッ!っと膝で滑りこんできた。花道に積もっていた雪が勢いよく客席に散った。このときの高揚!筆者も含め、花道横の客席は太いどよめきに包まれた。古典のはるかな物語が、たつみ座長の身体を通して、私たちに流れこんできた瞬間だった。


⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

上をクリックしていただくと、友人の花浅葱ちゃん撮影の、たつみ演劇BOXの三番叟の華麗な写真がご覧いただけます!
記事は1/8公開だったので1/9~1/11の3連休予告が入ってます。ブログに上げるのがすっかり遅くなってすいません…。

お正月から友人たちと一緒に、ウキウキと足を運んでいる横浜。
月の三分の一を終えて、すでに多くのドラマが生まれている。
1/9(土)『小龍の七役』、辰巳小龍さんの小さな身体が巻き起こす一大スペクタクルだった。
1/10(日)『武士道残酷物語』、小泉たつみ座長のやさしい持ち味が底にある、実直な男の人生を観た。
1/10(日)小龍さんの舞踊『夢やぶれて』は、世界に飲み込まれて涙しながら写真を撮り続けた。

一気に勢いを増した嵐山瞳太郎さんや、大蔵祥さんの細かな芝居への安心感も含めて。
芝居にひたすら真摯なたつみ演劇BOXの舞台は、やっぱり安心と信頼だ。

中でも、敬愛する姉上・小龍さんの開く世界観はますます深化しているようで…
この方はどこまで行かれるんだろうと、固唾を飲んで見つめる日々。

1/10(日)辰巳小龍さん 個人舞踊『夢やぶれて』
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この8・9月には木馬・篠原公演も決まっている。
その頃、それぞれの役者さんが見せる世界がどんな風に広がっているのか…。
いつもたくさん劇場のある大阪が羨ましいーとつぶやいてるけど、今年ばかりは関東ファンでラッキーだったかな?と思える幸運!

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劇団天華お芝居「丸髷芸者」 ―忘れがたい“お蔦さん”のこと―

2015.12.20 昼の部@ユラックス

この芝居のヒロインは、なんとなく呼び捨てにできない。
さん付けで“お蔦さん”と書きたくなってしまう。
「あたしはきっと、そういう星の下に生まれついたんだよ」
懐かしい知り合いのように。やさしい、かなしい、一人の人間の姿が、この世の影の中にひっそり住んでいる。

澤村千夜座長(12/19個人舞踊「風の盆恋歌」)


11月から私の中で一大旋風を巻き起こしていた劇団天華さん。
四日市の友人がTwitterに載せてくれるユラックスの写真を見ているうちに辛抱たまらず、またタイミングよく四日市の知人宅に泊まれることになり、サクッと行って参りました!
『丸髷芸者』は、ファンの方のブログで概要を読んでから観たかったお芝居の一つだった。

主人公は、芸者上がりのお蔦さん(澤村千夜座長)。江戸で座敷をつとめていたところ、藤野家の若旦那(澤村悠介さん)に見初められ、見知らぬ土地へ嫁いできた。
嫁いですぐの頃、若い娘が橋から身投げしようとするところに出くわす。顔に大きなヤケドの跡のあるおみつ(沢村鈴華さん)。おみつを助け、その母(喜多川志保さん)の話を聞くと。
「おみつは三つのころ、一緒に遊んでいた大店のせがれにトンと背中を押され、囲炉裏の中へ真っ逆さま…以来、二目と見られぬ顔になってしまったのです。この顔では嫁のもらい手もあるまい、ならばそのせがれと一緒にさせよう、と親同士で約束していたのに」
志保さんがギュッと目をつむり、小さな体が悔しさに震える。
「そのせがれが江戸で惚れた芸者を嫁にすると…約束を反故にして、おみつを捨てて!」

ここでお蔦さんはハタと気がつく。
「あの、もしよければそのお店の名前を聞かせていただけますか」
「お店の名前は、藤野家というのです」
この純朴そうな母娘の幸福を知らずして踏みにじったのは、自分だということに。

「芸者なんてものは、男をとっかえひっかえの女狐にきまっています。その嫁に会ったなら、私のこの手で横っつらをはたいてやりたい…!」
志保さん演じる母が、全身で善良さを醸しているだけに、その言葉が突き刺さる。

喜多川志保さん(12/20個人舞踊「お梶」)
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母娘の恨みを知ったお蔦さんは、わざと嫁ぎ先で荒れ出す。朝から晩までお酒を飲み、奉公人にもつらく当たる。義父の大旦那(澤村丞弥さん)や、夫である若旦那が苦言を呈する姿を見やって、「タヌキと白豚かと思ったよ」と笑い飛ばす。
「ここは退屈なんだよ。あたしはねえ、江戸でもう一度華やかな芸者の暮らしがしたいのさ」
挙句の果てには、訪ねてきた弟の源次(澤村神龍副座長)にしなだれかかる姿を夫に見せて嘘をつく。
「この人はね、あたしの間夫(まぶ)だよ。お前さんよりずっと古い付き合いなんだ」
―それらは全部、夫に離縁してもらうための芝居。おみつと母の不幸を救うための偽り。

篠原で観た『芸者の誠は石清水』でも思ったことだけど。
千夜さんの芸者役には、“下からのまなざし”とでも言えそうな、世の中の底辺にいる者の持つ慈愛がほんのり光っていた。
『丸髷芸者』でとかく繰り返される、芸者という職業への罵詈雑言。
「たかが芸者」「芸者ふぜいが」「この売女、女郎!」
それも、おみつの母や心優しい藤野家の若旦那といった、普段は善き人々からの。

世間に見下され、叩かれ続けてきたお蔦さんにも、ささやかな夢があったという。
「姉ちゃん、その頭、丸髷だなあ。幼い頃から姉ちゃん言ってたもんな、『いつか必ず丸髷結うのがあたしの夢なんだ』って…」
弟の源次が島送りから赦免になり、訪ねてくる場面。姉弟の会話から観客が読み取れるのは、父と母を流行り病で亡くしたこと。それからは姉が親代わりになって弟の面倒を見てきたこと。
「姉ちゃんね、今じゃこの家の若女将になったんだよ」
と言うお蔦さんの表情は、本当に弾むように嬉しげだ。

なのに、せっかくつかんだ幸せを、自分の手で砕こうとしている。
「なあ姉ちゃん、それでいいのかい」
戸惑う弟に、微笑んで言う。
「姉ちゃんね、他の人を不幸にしてまで、自分が幸せになりたくないの。あたしはきっと、そういう星の下に生まれついたんだよ」
描き出されるのは。
一番下にいる人間の、一番やさしい心。

“間夫”の芝居にすっかり誤魔化された夫は、ついに怒鳴る。
「お蔦、お前とは、今日限り離縁だ!」
その瞬間、パッと照明が落ちて、千夜さんひとりがライトの中に照らし出される。
お蔦さんの顔は、あれは何という顔だったろう。空間をシンと見つめて、目を見開いて、はるかな虚空に身一つで投げ出されてしまったような女の顔。
彼女の意図した通りになった。
同時に、彼女の小さな夢は壊れた。
それでも次の瞬間には笑うのだ。
「今、離縁とおっしゃいましたね。よくおっしゃいました。よくおっしゃいました…」
極点まで行き尽した哀しみが、笑顔の形でこぼれるみたいに。

藤野家を出ていくとき、誰も出てこない家に向かって膝をつく。
夕闇の控えめな照明の中、別れの長台詞。実の親に孝行できなかった分、本当は義父に親孝行したかったこと、夫の優しさに心から感謝していること…。
「お前さん、たった一つだけお願いがあります」
ずっと微笑んだままだった表情が、ここで初めて泣きに崩れる。

「どうか忘れないでください。広い江戸の空の下、一人の女がずっとあなたを思っているということを―お蔦という名前を、忘れないでくださいませ…!」

これから江戸へ戻れば、再び座敷に上がって芸者をせねばならない。
何も持たない彼女が残していく、たった一つの証。
“お蔦という名前を”
祈るように手のひらを合わせて。
天を見上げながらも、ほろほろと世の底へ落ちていく人間の、ひとかけらの望み。

影を負った姿には見覚えがある。私たちの現実世界にもいる。運の悪さに足をすくわれる人。打たれても打ち返す腕を持たない人。人の良さばかりで生きているような、見知った顔がいくつも振り返る。

それでも芝居の最後のセリフには、確かな希望があった。
「あたしはこの丸髷だけは、これからも決して解くことなく、丸髷芸者で二度の座敷に上がりましょう」
涙に暮れながらも、顔をまっすぐに上げて笑みを湛えているお蔦さん。
地を這っても顔を上げて生きる。苦界の中でもまだ花は咲く。

関西の友人に、澤村一門の芝居について色々教えてもらったこともあり。
この2か月でだいーぶ急速に天華にハマり、遠征までして、我ながらびっくり…

劇団天華ラストショー(12/20)
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ここの芝居の何に惹きつけられているんだろう。
“風景が開いていく”愉しさだろうか。芝居に出てこない部分までセリフで補完され、構築されることで、見えない風景が折り重なっていくような…
千夜さんのやり方が、何かざらざらした手触りなのも面白い。

篠原で涙をしぼった『釣忍』、そして『丸髷芸者』みたいに。
悲しみの際を笑って生きる人間と、天華のざらりとした風景が吸いつくとき。
ひとつの生々しい人間の影が、よぎっていく気がするのです。

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