劇団KAZUMAお芝居「雪の夜の父」―2・柚姫将副座長―

2015.6.24 夜の部@三吉演芸場
(「雪の夜の父」―1・龍美佑馬さん・藤美一馬座長―はこちら)

ぎちぎちぎちぎち。
心を固く縛りつける、音が聞こえてくるようだ。
逼迫した井筒屋の財政、女房のご機嫌取り、父親の面倒。
あれこれ責任をしょいこんで、宗次郎(柚姫将副座長)の眉間のシワはいよいよ深い。
なのに宗次郎の登場シーン、認知症の父は、宗次郎を兄と呼び間違える。
「おお、宗太郎か」
ぴくっと将さんの眉が上がり、苛立ちを叩きつけんばかりに叫ぶ。
「私は宗次郎!あんな、借金作って出て行った兄さんと一緒にしないでくれ!」

柚姫将副座長(当日舞踊ショーより)


↑こんなに風吹く涼しさの男前なのに…(どこまでもファン)。
芝居では、終始怒鳴りまくっていた。
将さん演じる宗次郎は、ボケたお父さん(佑馬さん)の次男だ。
長男・宗太郎(一馬座長)が借金を残して家出した後、井筒屋を継いで、女房・お美沙(凜笑さん)をもらった。

「お美沙さんがな、ばーさんは死んだと言うんじゃ。そんなことあるわけないじゃろ」
「おっかさんは去年の暮れに死んだよ!」
「ばーさんが死んだって?なら、葬式を出さんと」
「葬式も出したよ!いい加減にしてくれよ!」
要領を得ないお父さんの言葉に、宗次郎はイライラと険呑に眉を寄せる。

お父さんの粗相がきっかけで、井筒屋への出資を断られた直後の怒りは凄まじい。
「どうしてくれるんだよ…!店に金を貸してもらえなくなったじゃないか!」
将さんの切れ長の目が、ぎろりと刺す。
「おとっつぁんが簡単にお金が作れるって言うんならね、明日の朝までに三両作ってもらうよ。もしできなかったそのときには、この家から出て行ってもらう!」
「何を言うんじゃ、この家はわしの家じゃないか」
「すでに井筒屋の主は私なんだ!この家はね、私とお美沙の家なんだよ!」
宗次郎の目はつり上がり、鼻息も荒く。
苛立ちまかせに、手が畳やら壁やらをはたく。

ようやく部屋を出て行きかけたと思ったら、襖のところで立ち止まる。
嫌悪に満ちたまなざしで父を振り返って、チッ…と心底忌々しそうに舌打ち。
「三両稼げなきゃ、出てってもらうよ!いいね、約束だからね!」
吠え面かくなよ、と言い返されれば。
怒りに尖る指先突きつけて、裏返った声で、
「何が吠え面かくなよだ、そりゃこっちのセリフだ、このクソジジイ!」

将さん、すっげえ…。
と思わず口に出しそうだった。
あの大きな目を剥いて、ガチギレのブチギレである。
人間、舞台の上であんなにキレられるもんなのか…(笑)

でも、やがて宗次郎の苦しさが観客に伝わってくる。
芝居のクライマックス、お父さんが涙混じりに子どもたちへの愛情を語る場面。
「子どもの頃、宗太郎は言うことを聞いて、親の手伝いもよくしてくれる子じゃった。一方、宗次郎はやんちゃ坊主で、親の言うことなんか聞きもしなかった。それが大人になると、宗太郎のほうが悪い友達と付き合いだして、博打に出かけるようになった」
肩膝抱えて、宗次郎はむっつりと父の言葉を聞いている。
「宗太郎がいなくなってから、わしらは大変じゃった。宗太郎の残していった借財を返さにゃならん。――すると、宗次郎が井筒屋を継ぐと言い出してくれた」

佑馬さんが泣き伏しながら絞り出す。
「言うことを聞くからこの子は可愛いとか、言うことを聞かんから可愛くないとか、そんなことはありゃせん。どの子も可愛い!その可愛い子ども同士が兄弟喧嘩するのが、親には一番辛い…!」

佑馬さんの言葉を聞きながら、将さんの表情から、眉間のシワが少しずつなくなっていく。
宗次郎の心に張った怒りがほどけて、素朴な悲しみが現れていくのがわかった。

「私がバカだった…」
と、うなだれた将さんが胸の内を語り出す。
「兄さんがいなくなってから、私はおとっつぁんと、おっかさんと、お美沙と一緒に無我夢中で働いた…。兄さんの借金はなんとか返せた。そこまでは良かった」
抑揚の大きい声遣いが、観客を宗次郎の視点へ引き込んで行く。
「だけど、去年の暮れにおっかさんが死んでからだ。おとっつぁんは物忘れが酷くなって。夜中に大声を上げることだって、二度や三度じゃなかった…!ご飯を食べてすぐなのに、飯はまだかって。掃除をすれば、きれいになったところをまだ汚れとるって…」

我慢したんだろうなぁ。
お店はお金を借りなければ立ちゆかない状況だし。
女房のお美沙は新しい着物やら髪挿しやらをねだるし。
お父さんは夜中に騒ぐし、日に何度もご飯って言うし。
かつてのやんちゃ坊主は、ぎちぎちに縛られて、顔つきは険しくなって。
でもやらなきゃ、自分が店を継いだのだから。
全部捨てて出て行った兄の代わりに。
――けれど、お父さんは宗次郎の登場シーンでこう言った。
“おお、宗太郎か”

「なのに――おとっつぁんは私を兄さんと呼び間違える…!」

…このセリフが聞きたかったのだ。
3年前も心を穿ったこの一言を、この演者の声で、聞きたかったのだ。
父の目が、今必死に耐えている自分を素通りして、兄を見ている…。
小さな家の中で、毎日繰り返されてきたもがきが、いっぺんに放出する。

なんとなく将さんがご自分で考えたセリフっぽいなと勝手に想像していたら、ホントにそうだった。
「なんでお父さんをそこまで嫌うんだろう?って理由を考えて、あのセリフになったんですよ」
副座長はにこやかに教えてくれた。

芝居は、仲を修復した家族みんなで、お母さんの墓参りに行くところで終わる。
宗次郎がお父さんを背負う。
「おとっつぁんをおぶって行くのは、この宗次郎!」
劇中ずっと険しい顔だっただけに、この人物の晴れやかな笑顔はひときわ染みた。
宗次郎の背で、お父さんは目をぱちぱちさせて天を仰ぐ。
「なぁ母さんや、長生きはするもんじゃわい。こんなに良い息子たちと嫁に囲まれて。わしはまだまだ元気で長生きするからな…」

もちろん、現実はお芝居みたいにはいかない。
実際に認知症の家族を抱えているご家庭の苦労は、こんな大団円には、はるか遠いだろう。
(我が家にも一時嵐があったし)
でも、こうだったらいいな。
少しでもこんな風に救われたらいいな…。
一時代を生きている人々の、そんなささやかな祈りが。
“お芝居”というものの核に、こんこんと息づいているのじゃあないか。
だから、現実の苦しみを抱きとってくれる、優しい物語に身を浸したくなるのじゃないか…

この夜観た『雪の夜の父』は、長いこと私の心にしまっておけるだろう。
現実から見上げた、ひとさじの夢。
ああ、良い芝居だった!

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

劇団KAZUMAお芝居「雪の夜の父」―1・龍美佑馬さん・藤美一馬座長―

2015.6.24 夜の部@三吉演芸場

3年間、会いたかった芝居があった。

「お年寄りの介護とか認知症とかが、社会的に問題になってきた時代なので」
2012年8月。
篠原演芸場の口上で、藤美一馬座長は『雪の夜の父』についてそんな風に説明していた。
当時、大衆演劇歴2か月だった私のまっさらな頭に。
この芝居が強烈な印象を残したのは、人情の物語の裏側に、“現実”が貼りついていたからだった。

主役は、龍美佑馬さん演じる、かなり認知症気味のお父さん。
ご飯を食べた直後でも、
「おおい、そろそろ飯にしてくれ」
もう綺麗になっているところを何度も雑巾で拭いて、息子と嫁に説教する。
「お前たちに任せとったら、この家はあっという間に汚れてしまうわい」

――似た光景が我が家にもあったなあ。
そして客席を見回した。
何らかの形でこの“現実”を抱える家庭が、客席にいくつもあるだろう。
祖父母だったり親だったり兄弟姉妹だったり。
親しい人が老いの中にたくさんの記憶を落としていくのを、耐えてやり過ごしてきた人が、どれだけここに座っているだろう。
認知症になってから、顔つきの変わった祖母のことを思い出した。
だから芝居の優しい結末は、確かに私の現実にも救いだったのだ。

と、ここまでが3年前の話。
この芝居はずーっとかかっていなかった。
私がたまたま当たらないだけじゃなく、KAZUMAファンの方のブログでお外題をチェックしても、やってないみたい…。
だから三吉演芸場の貼り出しに『24日 雪の夜の父』と見たとき、どんなに感謝と喜びでいっぱいになったことか!
(佑馬さんに聞いたところ、まさに3年前の篠原公演以来だったそうな)

さてさて、感想も丁寧に書きたいところ。
まずは主役から。

龍美佑馬さん(当日個人舞踊「黒あげは」より)


佑馬さん演じるお父さんは、商家・井筒屋のご隠居。
昨年暮れに女房を亡くして以来、すっかりボケが進行してしまった。
家の中をウロウロしながら、嫁のお美沙(千咲凜笑さん)に訴える。
「わしはばーさんを探しとるんじゃ、ばーさんはどこじゃ」
「お父様、何をおっしゃってるんです、お母様は昨年暮れに亡くなったじゃありませんか」
「ばーさんが死んだ?はは、そんなわけないじゃろ」
ボケているという役のせいなのか、佑馬さんの口調はどこか子どものように柔らかい。

ある日、お父さんは大粗相をやらかす。
大事な来客である竹下さん(千咲大介座長)の膝に、お茶をぶちまけたのだ。
「何やってるんだこのクソジジイ!」
次男の宗次郎(柚姫将副座長)が、実の父親を罵るのを見て。
井筒屋にお金を貸してくれるはずだった竹下さんは、淡々と証文を破る。
「五両の話、なかったことにさせていただきたい。親孝行をしない人にお金を貸して、返ってきたことがないんでね」

この件がきっかけで、宗次郎の怒りが爆発する(実際悪いのは宗次郎だけど)。
「おとっつぁん、明日の朝までに三両作ってもらうよ。もしできなかったそのときには、この家から出て行ってもらう!」
お父さんは、しばしば目を瞬かせて金策を考える。
「そうじゃ、隠居してからばーさんと暇つぶしに作った、つじうらがあったわい。これを売って金を作ろう」
色々と抜け落ちたお父さんの頭は、素人の手作りのつじうらで、大金を稼げると思い込んでいる。

「そこのお方、どうかつじうら一つ、買ってやってくださいませんか」
つじうらを詰め込んだ大きな箱を首から下げて、寒風の町をさまよい歩く。
懐には亡き女房の位牌。
恍惚の父の上に、容赦なく雪が降ってくる。

お父さんの孤独が極まる場面は、たった一人でうどんを啜るシーン。
温かいうどんを無心に食べているうちに、雪のつもった佑馬さんの肩が震えだす。
残る正気が、ちゃんと理解しているのだ。
実の息子に追い出されかかっているみじめさ、情けなさ。

常々不思議なのは、老け役のとき、佑馬さんの大きな体がとても小さく見えること。
『雪の夜の父』のお父さんにはそれに加えて、ぼんやりした頭のせいなのか、無心さが瞬いていた。

そして、つじうらを売ろうとした一人の男に、お父さんの目が見開かれる。
「お前、宗太郎、宗太郎か」
家出して行方不明だった長男・宗太郎(藤美一馬座長)の里帰りだった。

藤美一馬座長(当日ミニショーより)


「おとっつぁん、堪忍しておくんなさい。昔、私が作ってしまった借財は、とても払える額じゃなかった。それを置いて家を出たんです。これまで何の親孝行もできず、申し訳ありません」
よどみない宗太郎のセリフを聞きながら思っていたのは。
座長、細いなぁ…。
いや、いつも細い方だけど、ここで言いたいのは、宗太郎という人物の輪郭がほっそりしていたのだ。
取り返しのつかない後悔や挫折を、内側にいつも意識している人間の儚さとでもいうのか。

宗太郎は借財を家族に押しつけて、家を飛び出した。
江戸へ出たはいいものの、バッタリと行き倒れ。
そこを紅屋という商家に拾われ、心を入れ替えて真面目に働いてきたという。

宗太郎は父に対してずっとこうべを垂れている。
親を見捨てて出ていったことに、何の言い訳も立たないのだから。
「私が親孝行できなかった代わりに、弟の宗次郎が親孝行してくれているんですね」
と言うまなざしも、どこか切ない。

一馬座長のたたずまいに、まつわる哀しさ。寂しさ。
あのとき、このお父さんを置いて出ていくべきではなかった…
そんな呟きが、体の内奥から漏れ聞こえる。

宗太郎の背に負われて、お父さんは嬉しそうに目を閉じる。
「おとっつぁん、軽くなりましたね…」
「歳をとるとな、人は誰でも軽くなるんじゃ」
どこか童心めいた佑馬さんと、元々の優しい持ち味に“後悔”という役のエッセンスが加わった一馬座長。
両者の姿が美しかった。

続きでは、将さん演じる宗次郎について語りたいだけ語りまくります。
……この日の将さんはとりわけ熱かった。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「品川心中」

2015.6.13 昼の部@三吉演芸場

改めて、美人だと思う。
まっすぐな鼻筋、引き締まった真紅の唇。
輪郭の線は男性らしく太いけれど、ふっくらとした頬の赤みがやさしい。
きゅっとつり上がり気味の目が。
「金ちゃんって、どの金ちゃん?」
驚いたときには、きょとんと丸くなる。

柚姫将副座長の女形は、わき零れる情が美に転化されるようだ。

柚姫将副座長(当日舞踊ショーより)


『品川心中』は、2年前の東京公演のときに、新作芝居として紹介されていた。
落語がお好きな一馬座長の、『文七元結』や『らくだ』に続く落語ネタ。
…そのときは仕事で見逃して。
…その後2年、遠征してもタイミングが合わず見逃しっぱなしで。
ようやく、ようやく横浜で観れた。
将さん演じる、勝気であこぎなベテラン女郎「お染」を!

序盤に、お染の人となりが伝わるエッセンスがぎゅっと詰まっていた。
まず、幕が開くと、場は貸座敷・白木屋の一室。
観客の目に映る最初のお染は、畳に手をついて、くたりと体勢を崩している。
このポーズが、実に熟した艶めかしさだった。
ついた掌も畳に吸いついているような、この店の最奥部にまで張った根の深さがわかるような。
横の若い女郎(千咲凜笑さん)が、畳にちょこんと姿勢良く座っているあどけなさと、好対照だ。

若い女郎が楽しげに話しかける。
「今度の移り替え、姐さんなら、私なんかよりもっとすごい着物を用意されるんでしょうね。なんたってお染姐さんは、この白木屋の板頭ですもんね!」
お染は不機嫌丸出しに眉をひきつらせつつも、
「ああ、もちろんじゃないか」
と答えてみせる。
実際は、お金を出してくれる贔屓のアテがないのだ。
寄る年波には勝てず、若い子に人気を取られっぱなし。

店の旦那(千咲大介座長)も怪訝な顔で、
「お染、お前、本当に大丈夫なのかい。贔屓のお客さんに手紙を書いてお金を送ってもらうとか」
「あたしだってね、そりゃ書いてますよ。でも…」
「とにかくね、紋日前にはなんとかしておくれよ」
旦那の冷たい口調に、むかむかと怒りを抑えきれないお染。
「なんだいなんだい、あたしが板頭になってから、どれだけ稼がせてやったと思ってるんだい!」
一人になった部屋で、袖をぶんぶんと振って、旦那が出ていったほうへ文句をぶつける。
(ここ、大変、大変可愛かった…!)
不満全開のお染には、それでも底面に将さんの人なつっこさが出ていて、姿を優しく見せる。

お染としては、移り替えの日に用意がなくて恥をかくくらいなら、いっそ死んでしまいたい。
「もしあたしが男と心中したなら、誰もあたしがお金に困って死んだなんて思わないわよね」
さて、誰と心中しようか。
馴染み客の名を記した帳面をめくる。
口を尖らせながら、ぶつぶつ独り言。
「この人は奥さんもらったばかりだし…やめとこ。邪魔しちゃ悪いわ」
「この人は…お母さん病気だって言ってたわよね。う~ん…やめとこ」
ああ、お染ってこういう人なんだな…と一番伝わってきたのがこの場面。
自分の人生が危うい状況なのに、お客それぞれにも生活があることを忘れてないんだ。

海千山千の色街の女の内に、息づく確かな優しさ…
ってのは言い過ぎか。
馴染みの中で貸本屋の金蔵(藤美一馬座長)に目をつけて、
「やっぱり金ちゃんしかいないか…」
「金ちゃんならあたしに惚れてるし、バカでスケベで大食らいだし、いなくなっても誰も困らないわよね♪」
と言い放つんだから。

しかも、いざ心中せんと、金蔵が先に海に落ちた(というかお染に突き落とされた)タイミングで。
“八王子の客が紋日前の金を用意してくれた”という知らせが入る。
「ごめんね金ちゃん、あたし、死ななくてよくなったから。いつかあたしもそっちに行くから、それまで待っててね!」
おいおい、なんって自分勝手さだ…。

行動だけなぞったら、お染はひたすら利己的で残酷な女。
だけど将さんの醸し出す気持ちの良さが、お染の利己主義を、憎めない我が身可愛さレベルに見せてくれたのだと思う。

『紺屋高尾』での高尾太夫の名演を思い出す。
「ぬしの正直に惚れんした!」
将さんの高尾太夫は、歯を見せてパッと笑う。
ただ綺麗な花魁でなく、親しみに満ちた柔和なキャラクターに心をつかまれた。
高尾は清らかなヒロインで、お染は毒婦。
共通点は色街の女ってだけで、二人の人柄は正反対だ。
でもどちらも、将さんの女形芝居に特有の、生き生きとした人好きする感じに裏打ちされている。

「どう、綺麗?綺麗?」
だからこそ、金蔵を見殺しにした後のお染が、客に用意してもらった赤い着物に身を包んでケロリと現れたとき。
その無神経におののきつつも。
しょうがないなぁ、自分が可愛くって仕方ない女性なんだなぁ、うんうん綺麗だよ…と言いたくなってしまうのだ。

情の衣をくるくるまとって。
喜怒哀楽に、大きな目がぱちぱち瞬く。
柚姫将副座長の女形は、つくづく美人です。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「天神の半五郎」

2015.6.4 夜の部@三吉演芸場

“上総の伍蔵”に、聞いてみたいことがある。
「何が、“実の子と分け隔てなく育てた”だ」
拾って育ててくれた親を恨み。
「俺がいないときに限って、お前の親は、お前たち兄弟にだけまんじゅう買ってやったり、飴舐めさせてやったり」
乳兄弟を妬み。
伍蔵役の佑馬さんの、恨みごとのセリフを聞きながら思う。
――貴方の人生は、そんなにも悪いものでしたか?

龍美佑馬さん(当日舞踊ショーより)


この芝居は、2014年11月の四国健康村以来。
そのときも、上総の伍蔵という人物の弱さ哀しさが、私の心に暗く食い込んだ。

伍蔵は、役人兼やくざだ。
乳兄弟の又五郎(柚姫将副座長)・半五郎(藤美一馬座長)を裏切って、悪名高い井草の菊蔵親分(冴刃竜也副座長)の子分に。
さらに権力を得んがため、十手持ちになった。
「二足のわらじってやつか…あいつらしいな」
半五郎が、伍蔵の近況を聞いてそうこぼすくらいだから。
昔から、権力になびく性格だったんだろうなと想像できる。

又五郎は井草の親分に捕えられ、散々に痛めつけられる。
二人きりになったとき、又五郎が伍蔵を諭す場面がある。
「お父とおっかあが、お前と俺たち兄弟とで分け隔てをしたことがあるか?おっかあの右の乳房を俺が吸い、左の乳房をお前が吸って…」
その言葉にこもった心に突き動かされたのか。
伍蔵は刀で又五郎を縛る縄を切ってやる。
そして両の手をついて、涙ながらに謝る。
「俺が悪かった…!この伍蔵を、どうか許してもらいたい…!」
太くヤマを上げて。
佑馬さんの大きな体躯が、舞台にこすりつけられる。

けれど、その直後。
“井草の親分を殺す”という又五郎の言葉を聞いて、伍蔵の顔色が変わる。
「俺は今から取って返して刀を取って来る、それまでここを足止めしておいてくれ」
「ああ、わかった」
と頷いた後。
伍蔵は、おもむろに腰の刀を抜いて。
又五郎を背後から刺し貫く。

「お前は、言っちゃいけねえことを言ったなぁ…井草の親分を殺すって?それだけはしちゃいけねえだろう…」
じっとりと地を舐めるような口調。
伍蔵は、子どもの頃から又五郎を妬んでいた。
彼が今つぶそうとしているのは、幼い頃から目の前にあった、腹の立つ顔、姿、声。

初めてこの芝居を観たときから、ずっと気になっていたこと。
今回、佑馬さんに送り出しで聞いてみた。

「一度、“俺が悪かった”って謝るじゃないですか。あのときは、本心から謝ってるんですか?」

手をついて涙ながらに謝罪しながら、伍蔵の心は、どこを向いているんだろう。
最初から、改心したフリで油断させて、又五郎を後ろからズブリとやってやろうという魂胆だったのか。
それとも、このときだけは本当に悪いと思っていたのだろうか。

「あれは本心から謝ってるんですよ」
演者の回答ははっきりしていた。
「でもその後、又五郎が“井草の親分を殺す”って言ったから、ああこりゃ駄目だと」
「今回は時間の関係でカットしたんですけど、本当はまだあの後セリフがあって。“子どもの頃からずっとお前を憎んできた”って。とにかく、又五郎が昔から嫌いで嫌いで仕方がないんですよ」

思い出すのは、舞台で天を仰いでカラカラ笑っていた伍蔵の姿。
「お前の親の葬式で、俺は顔では泣いていたが、心では笑っていたんだよ!俺を捨て子って目で見るやつが、また一人あの世に行ったってな!」
「こんなにおかしいことがあるか?そう思うと、坊主のお経もおかしくっておかしくって…」
その笑い声に憎悪をいぶして。

それでも。
彼の謝罪は、一瞬であれ本気だったという。
乳兄弟に申し訳なかったと、心から泣いたという。

何年も、何十年も一緒の家で育ってきたならば。
そこに、情がひとしずくもなかったなんてことがあるだろうか。
たとえ妬みで埋もれてしまったとしても。

心が覆った理由は、又五郎が井草の親分を殺せば、子分である伍蔵も力を失うということだから。
また無力な捨て子に戻るということだからか?

けれど伍蔵は又五郎の傍に膝をついて、一度誘っている。
「なぁ又五郎、悪いことは言わねえ、一緒に井草の親分の下で楽しくやろうぜ」
あれもきっと本心だったのじゃないかな、と私は思う。

一緒に遊んだ日もあったろう。
食卓を囲んだ日もあったろう。
幼い頃から知っている、顔、姿、声。
心の底に何のこごりもなかったなんてことが、あるだろうか。

芝居の中に描かれない、物語の堆積。
それは多分、私の勝手な思い入れだけど。
佑馬さんが、将さんの背後で刀を抜く。
その陰った目を見つめながら、尋ねずにいられない。
貴方の人生は、そんなに悪いものでしたか…?

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

橘大五郎座長 個人舞踊「願わくば桜の下で」(橘劇団)

2015.5.31 夜の部@大宮健康センターゆの郷

“彼女”は高野山に行くのだそうです。
笠を抱いて、杖をついて。
ひとりで、行くのだそうです。

橘大五郎座長 「願わくば桜の下で」


この美しい女形の、引力のわけは。
なにか、心の在りかが知れないような。
いつも遠くを見つめているような距離ではないかと思う。
魂半分、ここではないどこかへ抜け出てしまって、ひりついた名残だけが目元に繰り返し打ち寄せる。

ゆの郷初日、夜の舞踊ショー。
トップの賑やかな群舞が終わって。
2曲目に鳴り出したのは、ぽっかりと心さみしい曲だった。

―枝垂桜のこの下で
あなたと散りたい この春に―


大五郎さんのまろやかな情味。
短調の曲、黒の衣装の愁い、小道具。
一つ一つの要素が、亡くなった(あるいは行方知れずの)恋人の面影を追っている女性かな…?と想像させて。
送り出しにて、友人と一緒に、率直に質問をお伝えしてみた。
「あれは、旅をしてる人なんですか?」
大五郎さんは、丁寧に説明してくれた。
「高野山に、亡くなった旦那さんのお参りに行くってイメージなんですよ」

その言葉を聞いて。
頭の中に残っていた舞踊の影が、もう一度立ち上がって来た。
どうりで、あの悲しさは死者に注ぐ思いだったのか。

―草を枕に寝ころべば
あなたの胸の 音がする―


舞台右手から、笠に隠れるように現れた大五郎さん。
控えめのライトの中に、白い頬が冷たく浮かび上がる。

姿は、喪に染めたような黒。
袖にだけ渋いあずき色が入っていて、踊りに合わせて揺れる。
客席に目線を落としながら、進む足はゆっくり、ゆっくり。
一歩歩んで、目を伏せる。
半歩歩んで、わずかに笑う。
夫を亡くした女性が、内に抱えている悲しみを少しずつ観客にほどいていく。

歌が二番にさしかかったとき、胸から“旦那さん”の遺髪を取り出した。
遺髪に語りかけるみたいに、空に掲げる。

―朝の桜は そそとして
昼の桜は あでやかで
夜にはあやしい 艶を見せ
死ぬの生きるの 大さわぎ―


桜という歌詞が響くたび、舞台には枝垂れ桜の風景が浮かんだ。

あの、清冽な色気の潤む目で。
手中の遺髪をじっと見つめたまま、客席に降りて来る。

大五郎さんの姿が、私の席にも近づいてきた。
ついこの前、大五郎さんの女形芝居を見たとき、“かわいそうな女の人の役が本当によく似合う。”と振り返った。
今一度、目の前を通り過ぎる美貌を見れば。
確かに“さみしさ”がにじんでいる…。
それも、人恋しさにじっと耐える子どものような、いとけない種類の。
寂しさや淋しさと書くのでなく、ひらがなで表したいさみしさだ。

大五郎さんは客席を一周した後、舞台に戻って。
遺髪を眼前にかざし、まっすぐ見据える。

ハッと、なにか糸が解かれるように、真にあどけない表情になった。
ずっと遺髪を懐にして、旅していたのに。
初めて喪失の深さに気がついたような。
その瞬間、ここではないどこかに、心が引き上げられてしまったような。



“彼女”の歩みは、ゆっくり、ゆっくり。
急ぐ旅ではないから。
目指す人は、もう喪われているのだから。
あなたと散りたいと、桜に寄せて唄いつつ。
女がひとり、高野山へ行くのだそうです。

舞台に広がる抒情の量。
普段、元気印みたいな若い座長さんだけど、持っている物語性はかなり古風なことに驚く。

送り出しでの説明に、私と友人がふむふむと頷いていると。
「今度観る時は、ぜひそういうイメージを持って観てみてください!」
実に朗らかな笑みを浮かべてくれた。

役者さんが、思考錯誤して(あるいは直感で?)。
舞踊に込めたオリジナルのお話。
ファンとして、それを見つけられるのは実に幸運だ。

ゆの郷の玄関ロビーのベンチに足をぶらぶら腰掛けて、帰りのバスを待ちながら思っていた。
今日の料金は、あの舞踊一本のために払っても惜しくなかったな…。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村