橘劇団お芝居「弁天小僧菊之助」

2015.5.23 昼の部@三吉演芸場

「今日の大ちゃんは、良いよ!」
喫茶「マエカワ」の長身のご店主は、まるで自分が張りきるように言った。
観劇の前に、お連れした方とランチタイム。
三吉演芸場から徒歩30秒の「マエカワ」で、ハムエッグ定食を頬張っていると、ご店主が私に近寄って言ってくれた。
私も浮き立つ気分で答えた。
「弁天小僧ですもんねー!」

橘大五郎さんと、弁天小僧。
なんか、これ以上ないってくらいしっくりくる組み合わせだ。
二つの性を行き来する、妖し愉しの人気者。
飛び出す腕は勇ましく。
裾を割る脚は艶めかしく。
“男”をのぞかせ、“女”をまとう。
“大五郎十八番狂言”と銘打って、『弁天小僧菊之助』!

橘大五郎座長(当日個人舞踊「愛燦燦」より)


あらすじは、いつもの痛快劇。
色欲深い三島の殿様(水城新吾さん)は、花売り娘(三條ゆきえさん)を手籠にしようとさらってしまう。
義賊である弁天小僧(橘大五郎座長)は、それを救いに乗り込んで行く。
殿様を出し抜くための可憐な姿で。
伊勢屋の一人娘“お菊”として。

大五郎さんのぶりっ子女形は、なんであんなに可愛らしいんでしょうね。
彼の持つ清潔感がベースにあるのか、いくらぶりっ子してもギャグにならない。
これは良い意味であざとい!と思ったのが、奉公人の弥吉(橘良二副座長)への受け答え。
「はい」とか「ええ」とかと答えるべきところを、あえて、
「うん…」
と、いかにもねんねの令嬢風に。
頼りなげに首を曲げる姿、とろけるカマトトの可愛さ。
(弥吉は、実際は菊之助の兄弟分の南郷力丸)

「慣れないお酒を飲んだものだから…目が、くる、くる」
ぽーっとした喋り方で、言葉の間をたっぷり溜めて。
「胸が、どき、どき…」
新吾さんの三島の殿様じゃなくたって「なんと愛いことを申すのか!」って抱きしめたくなるのはわかる。

その可愛さに、殿様が騙されて百両を差し出した後。
お菊は、壁に縋ってしくしくと泣き真似をしてみせる。
「菊は、悲しくて泣いているのではありません。お殿様の御親切がありがたくって、嬉し泣きでございます」
その可憐な声の陰で、実は指で唾を頬にぺたぺたなすっているのだけど。

私が大衆演劇で出会う弁天小僧は、これで3人目。
一人目は松井悠座長(劇団悠)。
可愛らしいお菊の振袖姿で、かったるそうにヤンキー座りをする、相反する色気が印象的だった。
二人目は小泉ダイヤ座長(たつみ演劇BOX)。
目覚ましい美貌を境にして、まばゆいお菊の顔と切れ味の鋭い青年の顔が、軽妙に入れ替わっていた。

大五郎さんのお菊は、砂糖菓子のようにでろでろに甘い。
“女”のお菊のときに、“男”の片鱗も見せない。
「お殿様」って縋りつく声が、瞳が、溶け落ちる感じ。

だから最後に、この外題らしく。
“男”と“女”が見事に二つ現れる場面が、ちゃんと用意されていた。
お菊の正体がバレてからの、立ち回りの場面だ。
待ち伏せしていた三島の家来たちを、衣装を解きかかった弁天小僧が、夕闇の中で翻弄する。

『森の石松 閻魔堂の最期』でも書いたけど、立ち回りのセンスの良さは、橘劇団について最も感嘆することの一つだ。
チャンバラの中に、これは見物という絵がきっちり押さえられている。
橘すばるさんの抱える梯子に、お菊=大五郎さんが一気に飛び乗り、数段駆け上がる。
梯子の上で静止して、決め!
このとき、大五郎さんのバランス感覚もさることながら、梯子+大五郎さんを一人の腕で支えきっていたすばるさんにも拍手。

立ち回りのとき、お菊は“半分女、半分男”の姿。
顔は艶やかに紅を施したまま。
島田に赤い髪紐を結んだまま、体は男の動きをする。
骨太の(元々けっこうガッシリ系かな?)脚が剥き出しになって、力強く舞台を蹴る。

男は赤い女をまとい、女の顔が男の牙をむく。
動き回る大五郎さんの身体を見ているうちに、その影が男か女かわからないところへ、ゆらゆら倒錯していく。
アンドロギュヌスの愉悦が濃く浮き出る。

――とか言うと堅苦しいけど、とにかく弁天小僧という存在は気持ちがいい。
男と女の良いとこ取りで、どっちにもつかない。
一番腹立たしい権力者の男を、手弱女の姿でやり込めてくれるカタルシス。

大五郎さんが舞台前方にずずいと腰かけて、
「知らざぁ言って聞かせやしょう!」
と言ったが早いか、客席からかかった声。
「待ってましたっ!」
流れ出す歌謡曲。
“牡丹のようなお嬢さん”…♪

そのとき菊之助=お菊=大五郎さんの微笑みは。
可愛く、勇ましく、艶めかしく。
まっこと、牡丹のようでした。

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橘劇団お芝居「悲恋 涙の馬子唄」―2・橘菊太郎総座長の“兄”―

2015.5.10 昼の部@三吉演芸場

「悲恋 涙の馬子唄」―1・パラパラ渚ちゃんの涙―はこちら。

正直に言うと。
大五郎さんの清らかさ華やかさ、芸の巧さに目を取られて。
総座長の芝居に心をつかまれるのに、時間がかかりました(総座長ファンの方すみません)。

や、でも、言い訳すると。
私が当たってきた総座長のお芝居って、わりと緩くて、芝居の中で遊んでるみたいなときが多かったんだもの。
アドリブというかぶちまけというか、若手さんにも客席にも好きなことを言って、あの丸い笑顔でにまーっと笑いなさる。
もう本気の芝居なんて、若いときにやり尽くして飽きちゃったのかしらと思うほど。

でも、『悲恋 涙の馬子唄』で菊太郎さんが演じる、志津(大五郎座長)の兄。
田舎の村を出ず、ずっと一人で馬方をしてきた兄。
馬方の小屋の隅に、総座長がちょんと座りこむ姿は。
懐かしくて、温い気配に満ちていて、切ない。

橘菊太郎総座長(当日舞踊ショーより)


兄にしてみれば、酷い話なのだ。
たった一人の妹が芸者になると都へ行って、誰かの子どもを孕んで帰って来たのだから。
だから、良二さん演じる新さんが、志津たちの一家を訪れたとき。
「志津、この人が、都の“新さん”か」
志津がうなずくが早いか。
兄の手は、壁にかかっていた鎌に伸びて。
何のためらいもなく、新さんに飛びかかっていく。

「兄やん、やめて」
と必死に志津に止められ、どうにか怒りを噛み殺して。
「どうか、私の話、一通り聞いてやってください」
兄は小屋の隅に腰を下ろす。
志津、新吉(パラパラ渚ちゃん)、新さん、新さんの奥方(小月きよみさん)、お付きの中西(伍條ひろしさん)…満座の中、菊太郎さんが語り始める。

まだ子どもの頃に両親がなくなり、兄と志津は二人っきりで暮らしてきた。
「ある日、志津が言い出しました。“兄やん、あたし、都に行って芸者になりたい”と」
「反対はしませんでした。お前の好きにしたらいいと、黙って送り出しました」
菊太郎さんは、とかく声質が若々しいなと思う。
男っぽいのだけど、聴いているうちに、優しさを感じさせる声だ。

「妹は琴も三味線もやったことがない。最初は大変だったようです。でも、しばらく経ってこんな手紙がありました。“今ではすっかり慣れて、みんなに可愛がられて、人気芸者の一人です”って」
菊太郎さんは目を伏せたまま、わずかに笑う。
「こんな田舎から志津は人気芸者になったと、鼻高々で、自慢して歩きました」
鼻高々で、と天狗のような仕草をする。
この兄は言葉少なだけど、心底妹が愛しくてならないのだと伝わってくる。

「でも、ある雪の夜、誰かが戸口に立っている気配がする。――開けると、志津がぼんやりと雪を肩に積もらせて立っていました」
限りなく、寂しい景色が目に浮かんだ。
都で華やかに暮らしているはずの妹が、雪の中、虚ろに立っている。
「何かあったなと思いました。でも一言も聞かず、中に入れました。翌日から昔通り、鋤・鍬持って畑仕事です」
「でも、おかしなことがありました。日が経つにつれ、志津のお腹が大きくなる。どういうことだと問い詰めました。すると志津は、ボロボロ涙をこぼして…兄やんごめん、とようやく事のいきさつを話し始めました」

床をじっと見つめて、肩をいからせて、菊太郎さんの一言。
「初めて、叱りました…」

このたった一つのセリフに、全部こもっていたと思う。
兄妹の暮らし。
兄妹の時間。
お前の好きにしたらいいと見送った日までの、長い長い時間。

それを叩き壊された兄の胸中は、直接的なセリフでは語られないけど。
菊太郎さんの語りが全編に染みて、芝居の重い陰影になる。

総座長、このお芝居ではそれなりに、本気?
それとも、まだ実力のこれっぽっちも出してないって感じなのだろうか。

たまに個人舞踊の中に童謡みたいなのを挟まれることがあって。
(聴いたことがあるのは『しゃぼん玉』と『ふるさと』)
どんな意図なんだろうと気になっています。

この日の個人舞踊の中の『ふるさと』(“小鮒釣りし”の歌詞に合わせて小鮒を釣り上げるポーズ)↓


いつもニコニコと微笑まれる丸いお顔。
てんてんっと走られる姿が、いつの間にか記憶に焼きついている。

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橘劇団お芝居「悲恋 涙の馬子唄」―1・パラパラ渚ちゃんの涙―

2015.5.10 昼の部@三吉演芸場

とつとつとつ、と体の深奥に何かが滴る。
「おっかあー!」
舞台景色に汗と涙がまとわりつくようだ。

馬方の家のラストシーン。
母親に手を伸ばし、泣き叫ぶ子(パラパラ渚さん)。
断腸の思いで、我が子を手放した母(橘大五郎座長)。

「5月10日は母の日ですから、母にちなんだお芝居を」
大五郎さんが何日も前からそう宣伝していた、オリジナル芝居『悲恋 涙の馬子唄』。
骨格自体は、大衆演劇ではよくある話だと思う。
“貧しい中で懸命に育てた我が子を、金持ちの跡取りにと望まれ、子どもの将来を思って手放す”話。
(橘劇団「水郷夫婦船」とか剣劇はる駒座「桐の木」とかがこのパターン)

この筋の芝居はなんでこんなに多いんだろう?と思っていた。
最後は絶対子どもを手放して終わりだし、救われないし、カタルシスがなくない?って。

私の浅見を突き破ってくれたのは、パラパラ渚ちゃんの胸に刺さる泣き声。
この昼、この芝居は、小さな女優さんのものだった。

パラパラ渚さん(当日個人舞踊より)


渚ちゃんは伍條ひろしさんの娘さん。
9歳、小学3年生の彼女が演じるのは馬方の子・新吉(つまり男の子の役)。
「おっかあ、ただいま。今日の稼ぎはこれくらいだったよ」
新吉はお母さん思いで、たくましい少年だ。
家族は、母の志津(大五郎さん)と叔父(橘菊太郎総座長)だけ。
父はいない。
実は父親は三千石の殿様なのだ。

一幕目でその辺のいきさつをやる。
8年前、母の志津は“志津香”という名で芸者をしながら、恋人の“新さん” (橘良二副座長)と暮らしていた。
突然中西(伍條ひろしさん)という侍が現れて、志津に懇願する。
「志津香殿、何も言わず、どうか若子と別れていただきたい」
実は新さんは武家の跡取りであり、その将来を思って、芸者には身を引いてほしいという。
「わかりました…」
志津は畳に手のひらを叩きつけ、号泣しながら別れを承諾した。

すでに身重だった志津は、馬方をしている実家の兄の下へ戻った。
そして、生まれたのが新吉だ。

8年後。
ある日、新吉がもらってきた一両小判が、別れの伏線。
「新吉、お前、これどうしたの」
「今日馬に乗せたきれいなお殿様が、かわいい子だねって言って、おいらに一両くれたんだ」
案の定、その殿様は、今や三千石の大名となった新さんだった。
新さんは奥方(小月きよみさん)とともに、貧しい馬方の家を訪れる。

「わらわの子は女子しかおりません。その子を引き取り、跡取りとして育てましょう」
奥方の傲慢な言葉。
けれど、このまま志津が育てても、新吉は馬方で一生を終えるしかない。
志津は、俯いて震えながら、新吉を手放すことを決意する。
「新吉、今日から新吉はお父と暮らすのよ」
「おっかあ、おいら、行きたくないよ」
「行きなさい」
「嫌だ、行きたくない」
志津はパシンと我が子の頬を叩く。
叩いた手を押さえ、振り絞った声で、
「おっかあの言うことが聞けないの!おっかあ、そんな子嫌いよ!」
この辺で会場からは啜り泣き。
ここは大五郎さんの女形芝居独壇場。
情け深そうな雰囲気のせいだろうな、この方にはかわいそうな女の人の役が本当によく似合う。

「最後にもう一度だけ、新吉の馬子唄が聞きてえなあ」
叔父に乞われて、新吉は唄い始める。
渚ちゃんが舞台中央に歩み出て、ぽろぽろ泣きながら、細い声で唄う。
思いきり観客の涙線に火をつけた後で。

唄い終えた新吉が、堪えきれなくなり、志津に絶叫する。
「おっかあぁー!!」
ざざ、と私の手足を鳥肌が覆った。
志津に駆け寄ろうとする新吉を、新さんが押さえて止める。
渚ちゃんが、懸命に大五郎さんに手を伸ばし、大粒の涙を舞台に落とす。
しがみつかんとする小さな手が宙を掻く。

恋しい、恋しい、恋しい。
子が母に縋る、苦しいまでに濃い思慕。
渚ちゃんの歳でも、当然芝居と現実の区別はついているのだろうけど。
親と引き離される悲しみは、9歳の彼女の本心からの叫びじゃなかったろうか。
以前、良二さんが口上で「この子は稽古のときから本気で泣くんですよ」と話していた。

泣く渚ちゃんと、泣き声を聞くまいと両耳をふさぐ大五郎さんを見ていたら。
私自身、心のどこかで、お母さんに縋る子どもの気持ちになっていて。
同時に、子に縋られる母の心境も浮かんでいた。
昔どこかでこんな気持ちになったような、ずっと持っていたような…
引き離される親子の姿が、心のふたを剥がして、人間の根源に沈むものを唄っていたのかもしれない。

これだから大衆演劇はやめられない。
橘劇団は現代的な明るさ・華やかさを持つ劇団だけど、根底に九州的な温度の高いぬめりがあって、そこに私はとても惹かれる。

今回は、新吉と志津の話に終始したけど。
『悲恋 涙の馬子唄』は、志津と兄(新吉にとっては叔父)の兄妹の物語でもあった。
次の記事では、菊太郎総座長の話をします。

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橘劇団お芝居「森の石松 閻魔堂の最期」

2015.5.3 夜の部@三吉演芸場

閻魔堂の前で燃える。
体の燃える、命の燃える、立ち回り。
「てめえら、まとめて相手してやる―かかってきな!」
場面場面がキンと切れる。
ひらめく槍が、刀が、張りつめたいくつもの視線が。
互いに乱反射してぶつかり合って、切れ味がいい。

「親分―っ!」
槍に囲まれ、刀に囲まれ。
石松=大五郎さんの片目が、火の玉みたいに光る。

橘大五郎座長(当日舞踊ショーより)


橘さん、お帰りなさい!
昨年からずっと、待っていた5月の横浜公演。
その芝居をと、手を伸ばして待ち望んだ5月。

再会の芝居は、いきなり大作『森の石松 閻魔堂の最期』だった。
2014年、大五郎さんの27歳の誕生日公演で作られたお芝居だ。

この誕生日公演のDVD、我が家にあります。
昨年、初体験の橘さんにすっかりクラクラしたとき買ったものだ。
三十石船の江戸っ子(橘小次郎さん)と石松(大五郎さん)の「寿司食いねえ」の場面なんて、何回観たかわからないくらい観てる…。

でも、眼前で観ると全然違った。
なんと言っても、ラストの立ち回りの迫力。
「俺の悪口だけじゃなく、親分の悪口まで言いやがって…!」
怒りをこらえきれなくなった石松が、閻魔堂から飛び出してくる。
扉が弾かれて、怒気が仁王立ちする。
都鳥の子分たちをねめつける大五郎さんの右目が、舞台中央に浮き上がる。

そこから、長い長いチャンバラシーン。
体力的に大丈夫なの…?!って言いたくなるくらい続く…。
腹を槍で刺され、背を刀で斬られ、石松の体が止まる。
もう石松の命はおしまいか?と何度も思わせるんだけど。
大五郎さんが吠えるように叫んで、また舞台は動き出す。

しかも、なんと言うか、長いだけでなく立ち回りのセンスがいいのだ。
舞台の上には8人か9人いたろうか。
ギンと刀のぶつかる音、ドドッと前に回りこむ足音。
客席にいるだけで、たくさんの音が体に響いてくる。
子分役の座員さんたち、誰ひとり崩れない。
全体が制止に近いくらい止まりかけて、瞬時に早回しのように全員が動く。

散々、稽古したのだろうな。
相当、テンポを計算し抜いたのだろうな。

刺され、斬られ、石松はまだ死なない。
ついに倒れこんでも、執念で腕だけ動く。
「こいつ―化けもんか…?」
都鳥三兄弟の長男(水城新吾さん)が、恐る恐る石松の体に近寄ると。
ひゅっ!と腕が持ち上がり、慌てて飛び退く。

もう尽きるはずの命が、爪を立ててこの世にしがみつく。
赤い血を塗った大五郎さんの手足が、むなしく空を掻く。
「親分…石は、石松は、帰りますよー…」
虚ろな目の周りに、大量の汗が滴っていた。

この若い座長さんに、私が毎度感動するのは。
信じがたい技巧もさることながら、“凄い芝居を見せたい”という彼の強い強い意気込みが胸に迫って来るからだ。

三吉の夜の部は、どの劇団さんでも集客が難しいようだ。
ゴールデンウィークで、地元のお客さんが不在がちだったのだろうか。
どこで観ても大入りを出しまくっている橘劇団にしては、やや寂しい客席だったかもしれない(それでも十分埋まってはいたけど)。

けど、瀕死の石松を見ていたら。
「清水港へ、帰りますよ…」
客席が満席だろうが空きがあろうが、この方はただ力を尽くして芝居するんだろうな…と素直に思った。
崩れ落ちそうな体が、刀に寄りかかって、立ち上がり。
潤んだ右目と、眼帯の下の左目が、客席をまっすぐに見つめる。
“この場にいる全員の度肝を抜きたい”
“感動させたい。ガツンと揺さぶりたい”
一人の役者さんの、あまりにもシンプルな思いが全開に現れていた。

あと、この夜は橘裕太郎さんが江戸っ子を演じていた。
ご本人は、セリフを噛んでしまったことを反省していたようだけど…(と裕太郎さんのブログにあった)。
観ていた私からすると、(多分)初役であろう難役を、懸命に演じる様が清々しかった。

橘裕太郎さん(当日舞踊ショーより)


気だるくあぐらをかく姿に、江戸っ子の粋な風情も漂っていたし。
お寿司を口いっぱいに頬張って、というか大五郎さんに食いねえと頬張らされて。
「ふぁんだのふまれよ(神田の生まれよ)」
と繰り返すのが可愛かった。

どっしり構えたベテランさんも、丁寧な芝居の女優さんたちも、元気に伸びていく若芽も。
心から帰還を待っている人も。

皆さんで、この関東へ持って来てくれた。
良いお芝居を、たくさん、たくさん。

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