桐龍座恋川劇団お芝居「生きた幽霊」

2015.4.25 昼の部@篠原演芸場

しょだーい!
待ってましたっ!(心のハンチョウ)

『生きた幽霊』は初代・恋川純太夫元、大活躍のお芝居。
笑い皺をいっぱいに集めて、くしゃーっとなる丸い顔。
あまりにも滑らかなセリフ回しに、いっそクラクラきました。

初代・恋川純太夫元 当日個人舞踊『二度惚れ酒』より


恋川劇団では、初めて観たときから初代さんが最愛です。
初・恋川観劇の、2012年10月。
お芝居は『祭りの夜』だった。
初代演じる老いた父親が、江戸に嫁いだ娘を訪ねてくる話。
他人に娘が「あの奥さんは立派だねえ、きっと奥さんの親が良いんだ!」と褒められるたんび。
「はーい、はーい、私!その親は私!」
両手をぶんぶん振り回して、喜びを表現する初代の可愛らしさに撃ち抜かれてしまってから…。

こんな言い方は、生意気極まりないかも。
が、初代さんは大変に可愛い。
そして、動作・セリフの一つ一つがおかしい。
その親しみの下に編み込まれた、精緻な芸のひとすじが、『生きた幽霊』では見えた。

三浦屋の若旦那(二代目・恋川純座長)は、芸者の清香(鈴川桃子さん)に夢中。
今日も楽しくお座敷で遊んでいると、突然、三浦屋の一番番頭 (初代さん)が現れる。
「若旦那に大事なお話がありますのや。どうか人払いを」

初代と純さんが密談する場面の掛け合いがすごい。
両者ともに、まあるい体を寄せ合って、ポンポン言葉をぶつけあう。
「若旦那、今日の私は番頭ではなく、旦那様の名代として参りました。ですからお父はんの話を聞くつもりでお聞きください」
「お父はんがホンマのお父はんか…」(←まずこれに笑わされた)
「そうです、三浦屋にとっての大事な話。すなわち若旦那、あなたにとっての大事な話、よう聞きなはれ」

いかめしい顔の番頭は、テンポよく説明を始める。
「芸者というのは恐いもの。いくら口では好きと言うても、口と心の中は別物や」
「清香はそんな女やない!」
「いえいえ、そもそも“なんとか者”と付くのにロクなものはおりまへん。まず、“役者”」
(このセリフは初代の大真面目な顔がポイント(笑))

「本当にその清香という芸者が若旦那のことを好きかどうか、確かめてみるんです。一つ芝居をしましょ」
番頭の提案は、若旦那が清香に“三浦屋が倒産した”と嘘をつくというもの。
自分には一人で食べていく力もない、死ぬしかない、と清香の前で泣いて見せろと言う。

「そこで清香が、“うちも若旦那と一緒に死にます”と言ってきても、一度目は断るんや。断られても、なおかつ“うちは若旦那と死にたいんです”と言うてきたら、その心は本物ですわ。ええですか、二度目で合格です」
――ええですか、若旦那。
ひたすらに滑らかな、剣さばきならぬ舌さばき。
時々膝を叩き、畳をトントン叩きながら。
初代の体から、膨大なセリフがすべて息吹いて出てくる。

初代がポン!と膝を打って、純さんに向き直る。
「芝居がうまくいけば清香の本心がわかる、すぐに祝言や。若旦那、あんたの人生、一世一代の大芝居でっせ!」

年輪に縫いこまれた、芝居、芝居、芝居。
芸が服を着て、目の前に座っているようだった。

番頭は若旦那に、舶来物の毒薬(実はただの頭痛薬)を渡す。
薬について説明する場面は、客席全体が抱腹絶倒だったと思う。
「薬の名前を決めときましょ」
にまーっと初代独特の笑みが浮かび。
客席に向けて、どんぶらこと櫂を動かすような動作をする。
「舟を漕いで~♪」
「七つの海を越えてきた♪」
「あちらの国から♪こちらへちょっと来た♪」
「名前は長いが効き目は速い♪」
意味不明な歌(笑)
初代が実に楽しそうに歌いあげるものだから、もう笑えてきて仕方がない。

くしゃくしゃと笑み崩れる、笑い皺の中に。
ひらひら透けるのは芸の重層。
層の一枚一枚が、今も鋭く切れ上がっている。
初代が恋川劇団を旗揚げされてから、30年近くになるらしい。
ひたすら芝居して、芝居して、芝居してきた。

若い頃、もっとイキイキと体が動いたであろう頃。
初代の心身に熱量がほとばしっていた頃を、想像してみる。
きっと今の純さんみたいな?

でも、今も。
初代が舞台に姿を現すと、お客さんがワッと沸くのを肌で感じる。
贔屓目抜きで、何かこう、嬉しがっているような空気に包まれるのだ。
何十年越しの客席にたっぷり愛されて、今日も笑う。
今日も芝居。
今日も舞台。

『生きた幽霊』をはじめ、『まぬけな泥棒』とか『お家はんと坊っち』とか。
“サブタイトル=初代の大暴走”みたいな恋川劇団の芝居が大好きです。

ひょっこりと登場して。
息子を見て、若い座員さんたちを見て、客席を見る。
そして、顔全部で、体全部で笑う。
“舞台に在る”ということが何十年経っても確かに歓びであるのかと、胸を衝かれる。

しょだーい!
待ってました!

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恋川純座長 個人舞踊「翼をください」(座長襲名記念公演)

2015.4.20 夜の部@篠原演芸場

「好きな役者さんはいっぱいいるけど、本命は恋川純さん!」
知人でも、客席でたまたま話した人でも、このパターンの多いこと。
理由を尋ねると、「とにかく一生懸命にやってる」「上手くなろうっていう向上心がすごい」などなど。

関東公演のたびに、大量の新作芝居を用意してこられているそう。
私もその熱意に引っ張られて、関東に来てくれると必ず何度かは行っている。
これまで熱血青年のイメージばかりがあったけれど。
最近ふと感じたのは、むしろ彼の冷静さ。

24歳とは信じがたい、どっしりとした落ちつきのせいなのか?
(友人に聞いたところ、芝居で「俺は42歳じゃなくて24歳だ!」とウケを取っていたらしい。貫禄だけは42歳でもおかしくないと思う)
または、「あーっはっはー!」という、どこの横綱だと言わんばかりの太い笑い方のせいなのか?
(4月の篠原公演の口上で、「兄貴に振り回されっぱなしの人生ですよ、あっはっはっはー!」というのを聞いたときは、この人すごいや…と心底思った)

舞踊もそう思って観れば、クールな表情が閃く。
歌の中の人物に入りこみ、時には涙しながらも、決して演じている人物の感情に溺れない。
だから、弱々しいウェットやセンチメンタルからはかけ離れている。
「わい、今日から命がけや~!」(『王将一代・小春しぐれ(浪曲歌謡編)』)
と、顔をくしゃくしゃにして叫ぶ坂田三吉の一枚向こうで、自分自身をしっかり見つめていそうだ。

純さんの舞踊で、私が一番感動したのは2年前に観た『翼をください』。
―いま私の願いごとが かなうならば 翼がほしい―
若き二代目は腕を大きく広げ、ひたすら上を見つめていた。
当時のブログではこんな風に振り返っている。
“もっと前へ。もっと上へ。”
“芸の高みを見つめて。
強い強い眼力が、空に昇って行く。”
上昇しようとする純さんの志と、曲がぴったり重なって、ただ胸打たれた。

2015/4/20(月)、座長襲名記念公演@篠原演芸場。
『翼をください』との再会だった。

恋川純座長(4/20個人舞踊『翼をください』)


お客さんから、舞台に花束が贈られた。
純さんは花束を抱え、赤い扇子を抱え。
じっと満員の客席を眺める。
祝福を抱え、継承を抱え。
座長は、行くべき先に目をこらす。

体を斜めに傾け、踏ん張った片足だけで、回転し始める。
ぜんまい仕掛けの人形のように、純さんの斜めになった全身がおもむろに一回転すると、大きな拍手が沸いた。

―この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ―
歌詞に当てはめて、なかば睨むように上を見つめる。
芸の力、若き力、その目の力。
舞踊は客席の期待に呼応して、隙なく一つの像をつくる。
“ぐんぐん伸びていく二代目・恋川純”を、見事に叶える。

この舞踊を襲名記念公演に持ってきたということは、自分のキャラをすごく冷静に見ているのだろう。
何が今の自分の強みか、知り抜いているのだろうな。

座長襲名公演のゲストは、お兄さんの恋川純弥さんだった。
純さんの襲名記念なので控えめにされたのか、個人舞踊『無縁坂』はサラッとしていた。
軽く踊っているのに、なおうっすら残る情があった。

私が好きなお父さん(初代・恋川純さん)の舞踊もあった。
『傘ん中』は全体に飄々としていたのに、初代の掲げる傘に寂しさがまつわって、やんわりと心の根っこをつかまれた。

より長い経験と、よりしめやかな技巧。
24歳の座長のすぐ隣にあるもの。

けれど父と兄から継ぎ、今、座を背負うのは彼。
これから全てをつかんでいこうとする彼。
だからこそ『翼をください』は、見事な“恋川純”像である一方で。
像を割って、一人の人間が心身から発する叫びたりえるのかと思う。

―子供のとき 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている―


夢、というところで、純さんは自分の胸を叩いていた。
もっと上へ、もっとすごいことを。
もっと、もっと、いくらでもこれから。
ふと演出を超えて、剥き出しの踊り手の熱が現れる。
同時に、道の先の先まで見つめきっていこうとする静かな構えが透ける。



「とにかく一生懸命」「向上心がすごい」
純さんを長年観ているファンの方は、きっとそこを感じ取ってきたんだろうな。
彼は既にとんでもない巧さだけど、どんな巧みな芸よりも。
“これから”を志す力が人を惹く。

厳しく挑むように踊っていた純さんが、終盤、片足立ちしながら。
大きく口を開けて笑った。
いつもの大笑いすら聞こえてきそうだった。
あっはっは、という底抜けに力強い笑いが。

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貴方の、私の、「日本一」の話

今まで聞いた中で、一番共感したハンチョウ。
「日本一ぃ―っ!」
とある座長大会で。
とある若い座長さんの踊る『山河』の最中だった。
声の主はわからなかったし、踊っている座長さんもその日初めて観た方だった。
なのに、自分でも不思議なくらい心打たれた。
この一言に、なんて濃度の愛情が詰まっていることだろう!

なんとなく、勝手な想像。
ハンチョウをかけたのは、多分、長いファンの方じゃないかな。
座長さんも、その声にニカッと歯をむいて応えていたし。
激しい動きで乱れたロングの鬘の合間から、生気にあふれた目が光っていた。

しかし、“日本一”。
これって主観なので、なかなか難しい。
やっと少年から青年になったような彼の『山河』は、一振り一振りに情熱が迸っていて、澄んだ感じがした。
見方を変えれば、凄みや迫力はあんまりなかったかも…。
この座長大会の中でも、もっと剛を引き絞るような踊りをするベテラン座長はいた。

でも肝心なのは、そんなつまらない比較じゃない。
ハンチョウをかけた方にとっては、確かに日本一なのだ。
一つのまなざしの中で、彼の『山河』はどんなに巧みな芸とも代えられないのだ。

何かの縁で、ファンと役者さんが出会って。
心に火がついてしまったその日から、その踊りの一振り、その芝居の一声だけが、深く染み入る。
今、この文を読んでくださっている方も含めて。
多くの大衆演劇ファンの胸には、きっとそんな、代えられない誰かが住んでいるんじゃないだろうか?

かく言う私にも、惚れこんでいる役者さんは何人かいる。
彼に、彼女に出会ったとき、本気で“日本一”だと思った。
独りよがりな感動が体中で爆発した。
だってほら、芝居がこんなに深く落ちてくる。
踊りにこんなにくっきり物語が見いだせる。
ここまで涙を引き出せる人、他にいる?!
あの人、すごい!

「今はこの役者が一番すごいと思ってもな、そのうち必ず、もっと好きな役者、もっとすごいと思える役者が出てくるから」
観劇歴40年超の方のなだめるような言葉を思い出す。
あまりのめり込みすぎないようにという、新参ファンへの温情だったのだと思う。

それでも、興奮にまかせてこの世界に踏み込んでから3年。
たかが3年、されど3年。
ビックリするほど巧い役者さんに、何十人も出会った。
あの人が一番!なんて幼い主観を吹き飛ばす、圧倒的な心技体が通り過ぎていった。

――少し前までは、確かにあの人の芸が一番だったはずなのに。
思い込んだ“日本一”が、いつしか色褪せてしまうこと。
舞台の感動はいつまでも残ってはいるけれど、当時の弾ける興奮は静まって。
深奥で穏やかに揺らぐものになってしまうこと。
観劇のたび、こんなすごい人もいるのかと驚かされるたび。
「何年大衆演劇を見ても、○○さん以上に感動する芝居なんてないんだろうな」
と、はしゃいだ日は少しずつ薄らぐ。

けれど。
役者さんも、同じ時を生きている。
彼も、彼女もまた、変わっていく。

たとえば、私が追っている某副座長。
芝居で主役じゃないときは悪役か子分が多かったけど、今年に入ってから親分役を見るようになった。
子分に「ささ、親分」と案内されて、ゆったりと落ちついた歩き方で現れる。
高身長でない分、かえって静かな貫禄が滲む。
――かつて心酔した、名悪役の向こう側に積み上げられる、新しい色。

たとえば、私が一目惚れした某女優さん。
暗い情念みたいな曲を踊ることが多かったけど、先月までの東京公演では、明るめの流行歌をよく踊っていた。
『かもめの飛んだ日』とか『さそり座の女』とか。
テロテロの歌謡曲メロディーを、意志の強い瞳が好バランスに引き締める。
――かつて虜になった、情念あふれる舞台とは、異なるところから芽吹く色。

出会った頃と変わらず、大好きな、大好きな。
その腕が新たな世界を開いていくのを見ると。
胸の底に横たわっている懐かしい感動が、むくむくと疼きだす。
惚れこんだ個性に、また一つ新しい味が加わる。
そうなの、だからこの人が好きなのと、心が語り出す。

「今度、また新しいショーを作ろうと思っているんです。今までうちになかったタイプの曲で…」
副座長はそう話してくれた。
「次東京に来る時は、また新しい芝居をいっぱい考えてきますからね!」
女優さんは晴れやかに笑った。

変わっていく彼と、彼女と。
私は同じ時代を生きているのだ、嬉しいことに。

この世界に、どんなに名優が多くとも。
あの日の芝居、あの日の踊りが、頭の中をめぐりめぐる。
他でもない、この役者さんの客席で過ごした時間。
そして、垣間見えるこれから。
そんなものが、向かって行く未来に対して、心いっぱい叫ばせるのじゃあないか。

「日本一ぃーっ!」

――声は、大音量の『山河』の中でも響いた。
若き座長さんは、ニカッと歯をむいて応えていた。

貴方の、私の、それぞれの心深くに住む、“日本一”!

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劇団悠お芝居「化猫」

2015.3.22 昼の部@浪速クラブ

『化猫』。
妖怪大好き人間には、なんて心踊る題だろう。
「どんなのかしらねぇ」「楽しみですねえ」
浪速クラブでお隣になり、仲良くなった80代のご婦人と開演を待った。
松井悠座長がなりきる化猫は、人間と猫の狭間をうごめく。
恐さと妖しさ、恨みと哀しみが、行灯の下で鳴く。
にゃおん!

松井悠座長(当日個人舞踊『ルージュの伝言』より)


劇団悠の浪速クラブ公演は、この2週間前3/8(日)にも見ていた。
驚いたのは、初乗りにも関わらず客席が満員なこと。
そして座員さんがみんな元気いっぱいなこと!
一人一人、こっちまで嬉しくなってしまうくらい元気で。
初めての浪速クラブの一ヶ月を、とにかく成功させようとする気概がひしひしと伝わってきた。

劇団悠の個人的な印象は、お芝居の構成がキッチリ練られている感じ。
素地に舞台・映画・本のオマージュらしきものが、私の知識でも気づくくらいはっきり見えることがある。

『化猫』の前半は、冷え冷えする恐さだった。
すず(松井悠座長)は、農村出身の身ながら、殿様(ゲスト・飛雄馬さん)の寵愛を一身に受けている。
面白くないのは、家臣の半三(高橋茂紀さん)。
そして半三の妹・萩江(高野花子さん)。
「お兄様!殿はあんな女の所ばかり行かれる…悔しゅうございます」
「案ずるな、萩江、必ずお前を殿の奥方にしてやる。そうすれば、殿はわしの思うがまま」
兄妹は密談する。
ほくそ笑む半三の手には、薬の紙片。
「これをよく効く薬と偽ってすずに。中身は、劇薬じゃ」

何も知らないすずが、半三からの薬を飲む場面が恐い。
「ああ、なんて苦いお薬…」
体は本能的に劇薬を嫌がり、思わず顔を背けてしまう。
せき込みながら、すずは必死に薬を飲む。
悠座長の儚げな姿と相まって、なんて恐い図だろう…。

薬は少しずつ、すずの体を蝕む。
美しかった姿はやつれ、殿の愛情も薄れていった。
久々に殿がすずの部屋を訪れたと思いきや。
「お前は、しばらく別荘で過ごしたらどうかと思ってな」
静養のため(実際は厄介払いのため)、山奥の別荘へたった一人で行かせるという。
すずは弱った体で、必死に泣いて抵抗する。
「別荘は人ひとり通らぬ、寂しい所だと聞きます。なぜすずがそんな所へ行かねばならないのです、嫌です!すずはお殿様の傍にいます!」

ついに半三に猛毒を飲まされて、すずはのたうち回る。
苦悶の場面が凄まじい。
すずが前半で酷い目に遭わされる場面がたっぷりあるので、後半の復讐劇にも説得力が生まれる。
しかし、はんなりした雰囲気の悠座長が髪を乱して喘ぐのを見ると、やっぱりかわいそうすぎるコレは…!

瀕死のすずは、すべてが半三と萩江の企みだったことを知る。
虚ろな目でゆらりと立ち上がり、飼っていた猫の名を呼ぶ。
「タマ…嬉しい時も悲しい時も、いつも一緒にいたお前」
「この身に代わって、お前が生き替わり、死に替わり」
「わらわの恨み、晴らしてくりゃれ…」

このとき、何か飛んだ飛んだ、と客席がざわついた。
確かに何かがサッ!と舞台を横に飛んだのだ(速すぎて見えない)。
あれが“タマ”なのかな?

後半は、“タマ”と“すず”が一体になり、白髪カツラ+化猫メイクの悠座長。
猫の仕草で手を丸めて、床を這い、舞台の表裏を自由自在に動き回る。
家来たちに追われ、戸板返ししたり、バリィっ!と障子をぶち破って客席正面に飛び出してきたり。
多分今まで観た大衆演劇の芝居の中でも、アクロバティックな演出という面では一番だったと思う。

特に私が楽しみにしていたのが灯篭抜け!
秋田のお友達から「悠座長の灯篭抜けはスゴイよ~」と伺っていたからだ。
舞台端に設置された灯篭を、飛んでくぐって舞台から消えるという演出が3回もあった。
そのたびに大きな拍手が沸いた。
何より見せ場の一つ一つに、客席を盛り上げてやろう!驚かせてやろう!という演じる側の高揚があって、心地良かった。
(しかしこの芝居、体がある程度軽くないとできない芸がいっぱい…)

そして、アクロバットと同じくらい。
人間と妖の溶け合ったような、悠座長の化猫の雰囲気が素晴らしい。
白い着物がしなやかに翻り、白い髪に埋もれた目つきが尖る。
一番ゾクゾクしたのは、化猫が家来二人に見つかる場面。
行灯の陰からヌッと白髪が現れ、逃げまどう家来に指を伸ばす。
家来は縛られたように動けなくなる。
ツツツーッと家来二人を足から逆さに釣り上げ、中央に仁王立ちする化猫!

この芝居は相当な運動量があるらしく、悠座長は口上のときには汗だくになっていた。
『化猫』の芝居は、元々お父様の松井誠さんがやっていたそう。
28年前、お父様が三吉演芸場で『化猫』をやっているとき、お母様が産気づかれて悠座長が産まれた…という、非常に縁深いお芝居ということだった。

しかし、個人的に最大の思い出は。
終演後、隣席のご婦人が、
「すずの恨みわかるわね、私も同じ目にあったら化けて出るかもしれないわ~」
と大変安らかな笑顔で呟かれていたことかな…。

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橘劇団お芝居「大文字」(ゲスト・三河家諒さん)

2015.3.21 昼の部@池田呉服座

橘大五郎座長の座長襲名記念公演に、三河家諒さんゲスト!
橘ファンの方のブログで知り、意気揚々と行った池田呉服座。

「女って嫌だねえ…!」
大きな目が、暗がりの中でちらちら光る。
眼差しを花道の上の虚空に浮かべて、諒さんが言っていた。
「なんで女に生まれたんだろう…」
他でもない“三河家諒”が、このセリフを言っていた。

普段の記事なら、このへんでドーンと諒さんの写真を載せたいところなんだけど。
この日ホテルにデジカメを忘れるという大失態を犯してしまったため、写真はないです…。
楽しみにしてくださった方がいたら申し訳ありません。

さて、この『大文字』は橘小次郎さんが大枠を立て、初めてやる芝居とのことだった。
冒頭はいきなり人斬りのシーン。
「我が父の受けた恨み!」
播州姫路の侍・稲葉新十郎(橘大五郎座長)は、父の仇(水城新吾さん)を討ち果たす。

舞台が転換すると、そこは京の居酒屋。
稲葉新十郎は、仇討ちの後は半次郎と名乗り、女房のお梶(三河家諒さん)と居酒屋を営んでいた。
半次郎とお梶は決して互いの過去を探らない。
「互いに昔のことは聞かねえ、それで夫婦になったんじゃねえか」

この辺の居酒屋の場面は明るく飛ばしていて、諒さんと橘の皆さんの絡みがわちゃわちゃ楽しい。
たとえば小次郎さん演じる酔客は、諒さんにこんな風にくだを巻く。
「お梶、俺たちはなぁ、ここに飲みに来てやってんだよ。金がありゃあ、誰がこんな汚い店に来るか」
諒さんは冷静に返す。
「なんかこの人の顔、印鑑みたいだね…」
ぶっ飛んだたとえに、場内、沸いた沸いた。
諒さん、このネタ温めてらしたのか…それともふと自然に出たのか…
人を見て“印鑑”ってたとえが出て来る名女優の思考回路、一体どうなっているのだろう(笑)

ある日、お梶の弟・一馬(橘裕太郎さん)が訪ねてくる。
「姉上!姉上、お会いしとうございました…」
と慕わしく呼びかける一馬。
お梶は実は侍の娘だったが、侍の頑迷なしきたりが嫌になり、家を飛び出してきたのだった。
「姉上、父上はもう亡くなりました」
「おお、病で…」
「いいえ、何者かに殺められたのです」
この言葉にお梶も色を変える。
「私はずっと父上の仇を探してきました。その仇が、この京に来ているというのです」
「そういうことならば、私もできる限りのことをしましょう。一馬、仇の名を教えておくれ」
「我らの仇の名は――稲葉新十郎」

姉弟の会話を立ち聞きしていた半次郎=稲葉新十郎が、闇の中に、すっと現れる。 
大五郎さんの冷えた眼差しが、おもむろに女房をとらえる。

小さな居酒屋の賑わいが、くるりと反転して。
仇同士という巡り合わせが、夫婦に突き刺さる。

ここから先は、大五郎さん・諒さん両者の芝居が、それぞれの深度で波打つ。
大五郎さんの半次郎は、お梶に優しい言葉ばかりを残して、離れていこうとする。
「お梶、お前は体が強ぇほうじゃねえんだから、大事にしろよ」
「お前は父親の仇を討つんだろう。立派に仇を討ったら必ず迎えに来るよ」
そして、あえて一馬に討たれに行くのだ。
自分こそが仇だと知りながら、女房への愛情を刻みこむようなセリフが、しんしんと体に染みた。
(この方の芝居は巧すぎてちょっと恐いくらい…)

芝居の白眉は、お梶が全ての真実を知ったときの演技。
一馬と半次郎の果たし合いに、女であるお梶は取り残されて泣く。
それでも愛しい弟と夫の決闘場に、駆けつけようとして。
諒さんは、ふと花道で足を止める。
凍りついたように目線を動かさず、口を開く。

「女って嫌だねえ…!なんで女に生まれたんだろう」
「だけど女に生まれたからこそ、こんなに激しく人を愛することができたんだよね」
「女に生まれて…よかった…」

なんて目だったろう、あの光。
なんて、自分という女優が客席にどう映っているかを、理解しぬいたセリフだろう。
旅芝居の男社会で、フリーの女優として波風をくぐってきた、たおやかな姿。
彼女に、客席が望むセリフ。
彼女にしか、言えないセリフ。

『大文字』は細かな箇所が決まらないまま臨んだので、この箇所も諒さんのアドリブだったとのこと。
大五郎さんも口上で、「“女に生まれてよかった”っていうのは、絶対に僕ら男じゃ出てこない」と話されていた。

一回り年齢が離れているせいもあるのかな。
諒さんと大五郎さんは、互いにすごく敬意を払っている感じがした。
昨年8月、玄海竜二さんの公演で、凄まじい技量をぶつけるごとく芝居していた諒さんに比べると。
今回は、全体的に大五郎さんを立てて演じられていたように見えた。
大五郎さんの襲名記念公演なので、主役を目立たせようとする意図もあったのか。
「こういう公演にゲストさんが来ると、普段頑張ってる座員さんの出番がどうしても減ってしまうでしょ?」
口上での諒さんの言葉に、フリーで活動されている心遣いを感じた。

しかし可愛かったのは、
小次郎さんに“印鑑”発言をした後、諒さんが前列の女性客を振り返って苦笑した表情。
ね、可笑しいよね?と同意を求めるみたいに。

諒さん、関東にもそのうちゲストに来てくださらないだろうか…。

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