“いつか”の芝居―柚姫将副座長、そして全ての役者さんに敬意をこめて―

柚姫将副座長(劇団KAZUMA)に尋ねてみた。
「最近、これは完全に出しきった!やりきった!っていうお芝居はありますか?」
「うーん…ないですねー」
私がいくら熱演だな、細かい工夫だなーと感心しようとも。
ご本人的にはまだまだらしい。

芸人の矜持的な意味で、役者さんが芝居にこだわるのは、当然といえば当然だけど。
時々、副座長の礼儀正しい言葉の端々に滲むのは、もうちょっと現実的なハードル。
やろうと思ったことも時間がなかったり、人数が足りなかったり、全体のバランス的にできなかったり。

そして私はようやく思い出す。
あぁ、そうだ、大衆演劇だったのだ、私が見ているのは。

あの忙しない舞台はまさに生き物なのだろう。
アドリブで芝居の前半が長引けば、後半のセリフがカットされたりするし。
舞踊ショーで、いつも踊る人と違う人が出て来れば、何か起きたな…とハラハラするし。
そして誰かがずっと出てこなければ、まさか消えたのか…?と肝が冷える。

舞台の表でも裏でも、役者さんたちは動き回っているようだ。
芝居進行中、裏では音響もされて。
着物も自分で着て、化粧も自分でされて。
自分の番になったら舞台へ出て、大筋しか決まってないところはその場で考えて演じて。
劇場やセンターの時間制限だってある、進む時計の針とにらめっこして。
終わればまた夜公演で、これをフルコースで繰り返し。
どうにか一日が終わると、翌日はまた別の芝居…!

改めて書いてみると、かなりあり得ない芸能形態だ。
芝居するのが仕事だけども、芝居だけしてりゃいい仕事じゃないのだろう、全然。

彼らの芸には、アレコレ制限があり、事情があり。
見れば見るほど、芸以外の角度から“仕方ない”が立ちはだかる。
もどかしい。
…と思う自分がずうずうしい。
この芸能システムを、まったりと満喫しきっている客は自分なのだから。
――大衆演劇なんだから芝居だなんだ言わなくても、今日もカッコ良かった面白かったでいいじゃないか。
よく聞くこの意見は、正しい。
――この低料金で三時間半、十分すぎるくらいだ。
この意見は、正しすぎるくらい正しい。

それでも、一度頭がお芝居にのめりこむと、もう止まらなくて。
「『戻り橋』のラストなんですけど、友蔵は真実に気づいてるんですか、気づいてないんですか?」
こんなことばっかり聞きたくなるのは、物語を探してしまうのは。
自分がその芝居に打たれて、3年間客席にいるからだ。

大衆演劇の芝居のすごさは、その刹那性なのかと思う。
それぞれの役者さんが、かなりの部分、演じながら場面を作っている。
ということは、セリフや仕草の中に。
“今”、目の前の役者さんが腹の中から吸い上げたばっかりの、“今”の感情が弾けているということ。
物語の脈に通される血は、“今”、生み出された熱さだ。

「俺はついて来る人を間違えなかった!」
2年前の10月、劇団KAZUMAお芝居『兄弟仁義 男たちの祭り』@篠原演芸場。
将さん演じる政吉の死に際のセリフは、個人的に2013年涙をしぼったセリフ1位だった。
それだけに、「芝居中は役の感情に任せて喋ってるんで、自分が何言ったかけっこう覚えてないんですよ」と言われたときの衝撃といったら…。

芝居に引き込まれて涙が出るとき。
そこには演じる側の限りない誠意があるのだと思う。
できるだけお客さんにわかりやすく。
できるだけリアルに、できるだけ役に浸って。
全てが、今できる範囲ではあるけれど。

事情事情のぬかるみの中から、“人を感動させたい”という意志が一点光るとき。
少しでも気づけるよう、この目は開いているか。
この耳をすましているか?

あの世界で生きる役者さんたちは。
日々のバタバタに埋もれながら、それでも、どこかで志しているんじゃないかな。
明日は、もっと良い芝居をしたい。
そしていつかは、自分の持てる全てを出しきる芝居をしたい。
心のひとかけらで、そう思っていてくれるといい。

いつか、いつかと歩いていく、彼ら彼女らの志が。
客席には眩しく見える。
いつか、いつかと目指し続けていれば。
その過程にこそ、実る悲劇の涙もあるだろう。
咲く喜劇の笑いもあるだろう。
明日の芝居は、彼ら自身も予想しなかった感動作になるかもしれない。

2年前、将さんが、昔やっていたという芝居の話をしてくださったことがある。
人数の関係でできなくなってしまったらしい。
あれから、その話を伺うことはずっとなかった。
でも『三人会』の日に耳にした嬉しい言葉。
――あの芝居をやっぱりやりたいですね。

一人が内に秘める火は小さくとも。
自分で消さない限りは消えない。
だから、長~い目でファンをやっていれば、きっといつか出会えるだろう。

柚姫将副座長(3/20群舞「木遣くずし」より)


今日の芝居は良かった!120%やれた!
柚姫将副座長がそんな風に思える日。
どこかの劇場でセンターで、必ず訪れるその日。

いつか、ね。

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劇団KAZUMAお芝居「裸千両」(三人会)

2015.3.20 ロング公演@堺東羅い舞座

「3月はどこかで必ず大阪に行くことになるから、空けておかなきゃ!」
去年の夏頃から、観劇仲間や友人に私はそう話していた。
「3月、どうする?」
遠征先の客席で、常連さんたちの間からも聞こえてくるようになった言葉。
劇団KAZUMAに関わるどれだけ多くの人たちが、この“3月”を待っていたことだろう!

新副座長二人と大介座長、若手三人の創る日『三人会』。
お芝居『裸千両』は、旗揚げ当初にやっていたお芝居を引っ張り出してきたらしい(8年ぶりとか)。

三人会なので、三人に順番に言及していきます。
まず、主人公・安太郎を演じていた竜也さん。

冴刃竜也副座長(当日個人舞踊「風の盆恋歌」より)


一番印象的だったのが、竜也さんの芝居の“明るさ”だった。
いや、決して今まで暗い人だと思っていたわけじゃなくて…。
竜也さんのお芝居というと、仇討ちを遂げて死ぬ七五郎とか(『加納屋文七旅日記』)、良い人と見せて陰で「バーカ」と吐き捨てる子分とか(『男の人生』)。
暗澹とした役柄が、普段とのギャップで記憶に残りやすかったのだ。

でも、『裸千両』の安太郎は能天気。
博打に失敗して着物を取られ、芝居の最初から最後まで裸なのがひょうきんさを醸す。

安太郎は、たまたま知り合った目の見えない侍・木村進之助(千咲大介座長)の仇討ちの片棒をかつぐことになる。
進之助は芸州・広島から、父の仇である柏木(藤美一馬座長)を追ってきた。
柏木は、不動の栄五郎親分(柚姫将副座長)のところで用心棒をしているという。

進之助に代わって、安太郎が不動一家に乗り込む場面がおかしい。
「何だっけ…そうだ、こういうところでは仁義ってのをやらないといけないんだな」
戸を開けると、子分(KEITAさん)が出てくる。
「お控えなすって!」
「お控えなすって!」
「土地っ子にて控えさせていただきます」とKEITAさんが言うも、安太郎には自分が名乗るタイミングがわからない。
「じゃ、あっしも控えさせていただきます」
「ちょっと、二人とも控えたら仁義にならねえでしょう!」
KEITAさんに突っ込まれて数回やり直すも、なかなか名乗りまでいかない。
「土地っ子にて控えさせていただきます」
「どうも、ありがとうございます」
と頭を下げちゃう(笑)

竜也さん、主役とあって、とにかく緊張していたのが伝わってきたけど、後半は仲良しの大介さんとの絡みがイキイキしていた。
一馬座長の十八番である、情のある三枚目。
その要素を継ぐのは、もしかしたら竜也さんなのだろうか。

そして、安太郎とペアになるのが大介さんの木村進之助。

千咲大介座長(当日個人舞踊「C.O.S.M.O.S.~秋桜~」より)


最初に「藁にもすがる思い」で安太郎を頼ったことから、進之助は安太郎を「藁」と呼ぶ。
「のう、藁」
「だから安太郎ですって!」
「藁(←聞いてない)、お前がせしめた千両をこれからどうしようか考えていた」
安太郎の背にある、栄五郎親分からもらった重たい千両箱を指して言う。
自然と人の上に立っている感じの喋りが、実に侍らしい。
「まず三百両はわしがもらう。父上の立派な墓を立ててやりたい。三百両は、柏木の妻子にやろうと思う。そして残り四百は…藁、お前にやろう」
「ただし、お前がその千両を芸州・広島まで運んでくれたらな」
と、しっかり人を使うのも忘れない。

大介さんは侍やっても子分やっても手代やっても、セリフ一言、仕草一つに、キャラクターをわかりやすく滲ませる。

で、芝居を締めるのが将さんの不動の栄五郎親分。

柚姫将副座長(当日群舞「羅生門」より)


子分(藤美真の助さん、KEITAさん、ひびき晃太さん)に囲まれて、涼しい顔で座る親分。
突然、柏木を出せと乗り込んできた安太郎にも動じない。
「柏木の先生は一家にとって大事なお人だ」
「先生に妻子がいるってのは聞いてねえぞ、先生はこれから俺の妹との祝言を挙げるんだ」
「なあ、悪いがお前さんの話、証拠がない。信じるわけにはいかねえな」
人望のある親分らしく、温情交えて断る。
安太郎が柏木の命の代わりに要求した、「一箱千両」という無茶な要求にも。
「命の次に大事なのは金か…その命を諦めるんだ、なるほどな。おい、一箱千両だ、持ってきな」
とアッサリ応じる。
子分たちが反対すれば、じろりとねめつけ、
「俺が俺の金を出すんだ、文句があるってのか?」
将さんの役作りはどっしり大きかった。

しかし将さんの“親分役”、私は最近すっかりツボである。
以前は、元気いっぱい子分役をやっている印象のほうが強かった。
かつて、友人が初めて劇団KAZUMAを観たとき、「柚姫さんの子分役が良かった。あんなに切れ味の良い『へい親分!』はなかなかない」と褒めていたくらい…。

でも、今年1月のオーエス劇場、『加納屋文七旅日記』では親分役だった。
「お前が侍の出なのは、俺は気づいていたよ。お前のその指、竹刀ダコだろ」
子分の七五郎(竜也さん)に、余裕っぽく笑む。
落ちついた声の使い方、足の運びも鷹揚に。
いつの間に、親分役をこんなに貫禄たっぷりに演じるようになられたのか…
これから副座長として親分役が増えていったら、今度はかつての「へい親分!」が恋しくなるんだろうなあ。

将さん、竜也さん、大介さんはみんな、1982年生まれ。
自然とそれぞれの持ち味が刺激しあって、芝居も踊りも見応えあるものになっているせいか。
それとも、3人の和気あいあいとした同級生感のためか。
昨年から、明らかに劇団KAZUMAのお客さんは増えてるみたい。
三者三様のこれからを予感させる、『三人会』でした。

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変わらないもの―藤美真の助さん(劇団KAZUMA) お誕生日に寄せて―

ファンの方の多くは、“真ちゃん”と呼びかけている。
私はまだ、ご本人の前では照れてしまって、“真の助さん”と呼ぶ。
でも、すっごくわかる。
真ちゃん、真ちゃんと声をかけたくなる親しみ深さが、この役者さんにはある。

藤美真の助さん(2014/6/21舞踊ショーより)


あの、ウヘへへ、ともグヘヘヘ、とも文字化しづらい笑い方。
一馬座長から毎度「当劇団のぽんぽこ狸です」と紹介される、ずんぐりの体躯。
劇団KAZUMAの三枚目&愛されキャラを一身に担っている。

三枚目としての真の助さんがすごいと思うのは、目下の役者さんにも遠慮なくいじられまくる器の大きさ。
一番の新人である、ひびき晃太さんも例外でない。
晃太さんが先日のメンバー紹介のとき、なんだかニヤついていて。
一馬座長に「あんた、真の助がいじられとると楽しそうやな~」と言われて、ニッコリ頷いていた。
芝居でも「甲州の鬼」なんて、真の助さん演じる親分を、座員皆さんでいじるのが見所みたいな芝居だ。

でも、かの役者さんからは、いつも深い気配りを感じる。
あの丸い目で、客席の隅々まで見て覚えているのか。
誰のファンだろうと関係なく、声をかけてくれる。
「ショーのとき、あんた常に満面の笑顔で観とるんやな~」
佑馬さんファンの友人が、真の助さんに言われて照れていた。
「長野で大きい地震があったらしいからな、東京も気ぃつけえよ!」
遠征先の四国健康村を去る私に、そう呼びかけてくれた。

これは私の想像に過ぎないのだけど。
ベテランの役者さん方にも、真の助さんの気配り、目配りは買われているのじゃないだろうか?
一時期指導でいらしていた、美影愛さんの言葉の端々には、真の助さんが体調を気遣ってくれることへの信頼を感じた。
また、玄海竜二さんの浪速クラブでの座長公演にも、一か月間呼ばれていたし。

そう、2014年8月、真の助さんが玄海さんのところにいて、劇団KAZUMAには不在だったとき。
和歌山・ぶらくり劇場での劇団KAZUMAを私は観た。
真の助さんのいない舞台は、正直に言って寂しかった。
男優陣がずらりと並んだ光景は迫力なのに、何か温みが足りない。
芝居も舞踊も、全体の印象がどことなく乾いた感じがした。
だから11月、四国健康村で真の助さんがいるのを見て、心が晴れ晴れした。
この方がいるだけで、舞台の安らぎがこうも大きいとは!

2015/3/7(土)、私は大阪・堺東羅い舞座にいた。
真の助さん46歳の誕生日。
個人舞踊の曲は「梅いちりん」だった。

(2015/3/7「梅いちりん」より)
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―誰よりも 誰よりそうさ しあわせに―
―焦がれる夢を 今日も抱いて―

まだ心で息をしている、別れ。
まだ哀しみの尾っぽが、足に引っかかっている。

これは、こんなに優しい曲だっただろうか。
ちょくちょく耳にする曲なのに、真の助さんが踊るのを観て初めて思った。

10代の頃から役者らしい。
でも、役者でない時期もあったらしい。
46年間の足跡には、当然ながら、きっと悲喜こもごもあったのだろう。
それらをゴクンと飲み下して、ずんぐりむっくりの体で、真の助さんが回る。
くるくる、くるくる、実に器用に回る。

その軽々とした動きは、3年前とまったく同じだ。
2012年の東京公演で、劇団KAZUMAに出会った頃
この人見た目ちょっと重そうなのに、なんでこんなに機敏なの…と笑ってしまった。

あれから3年、その間に来る人も去る人もいた。
いなくなった女優さんの声の愛らしさを、私はまだ覚えている。
一方、やってきた座長さんの艶のある踊りに、私はもう慣れ親しみつつある。

―来るひとの 去るひとの 悲しみも あつめて咲いたよ―
―想い出も 咲いたよ―


変わりゆく劇団KAZUMAを見守りながら、真の助さんは変わらない。
今日も座長に“ぽんぽこ狸”と紹介される。
今日もウヘへへ、ともグヘヘヘ、ともつかない謎の音で笑う。
この疼くような親しさは、安堵感は変わらない。

芝居も踊りも、全員一生懸命で、察するに人生色々で、ゆえに客席の人生とも呼応して。
苦労と苦労が吸い合って、そんな舞台から落っこちてくる喜怒哀楽と人情け。
それが私に見える劇団KAZUMAの輪郭だから。
少なくとも私には、藤美真の助さんは劇団KAZUMAそのもの。

真の助さん主役のショーといったらこれ!↓
(2015/3/7 ミニショーラスト「商売繁盛」)
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元気いっぱいに箒をチャキチャキ動かして。
底抜けに能天気なショーの中、踊り回る姿は、きっと多くのファンの元気の源。
46歳おめでとう、“真ちゃん”!

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たつみ演劇BOXお芝居「ダイヤ色・河内十人斬り」(小泉ダイヤ座長誕生日公演)

2015.3.4 夜の部@三吉演芸場

「普通兄弟分ちゅうのは、兄貴のほうが強いもんやろ。わしらは逆やないか。お前が弱いからな!」
ずけずけと、兄貴分たる熊太郎(小泉たつみ座長)に言ってのけて。
「ま、だから強い弟分がついとるんや」
弥五郎(小泉ダイヤ座長)は、当たり前のように。
熊太郎のために命を捨てる。

小泉ダイヤ座長(当日個人舞踊「酒供養」より)

↑芝居で血まみれで「何さらすんじゃあ!!」とか言ってた方が、ショーになるとこの愛らしさ…。
31歳おめでとうございます!

小泉たつみ座長(当日個人舞踊「男酔い」より)


弟座長の誕生日公演の演目は『河内十人斬り』…意外も意外な選択だった。
品よく綺麗なたつみ演劇BOXが、恨みと血で塗り固めたようなあの話を…?

というのは、私にとっての『河内十人斬り』は、合同時代の剣劇はる駒座で観た至高の芝居だったから。
勝小虎さんの熊太郎の生々しい憤怒、津川竜さんの弥五郎の切れるような覚悟。
舞台には、飢餓にも似た寒々しい景色が広がっていた。

だけど、たつみ演劇BOXの『河内十人斬り』は。
もっと軽妙で、人物の表情も柔らかくて。
手に取って眺めまわしてもケガしなさそうな優しさがあった。

たとえば冒頭には、物語への案内役が登場する。
袴姿のダイヤさんが、村の人間関係を解説してくれるのだ。
たとえば、松永伝次郎(宝良典さん)が、子分(大蔵祥さん・小泉ライトさん・辰巳花さん)を引き連れて歩いてくると。
「はい、ちょっとストップ!」
ダイヤさんの声で、宝さん以下三人、ぴたりと時間が凍りつく。
マネキンのように動かない宝さんを扇子で指して、ダイヤさんが客席に教える。
「こいつ、悪そうな顔してるやろ。松永伝次郎っちゅうて、実際悪いやつですわ」
また、おぬい(葉山京香さん)が待ち合わせに立っているところを指して、
「今の言葉で言えばデート、昔の言葉で言えば逢引きっちゅうことやな」
待ち人である寅次郎(愛飢男さん)が来た途端、ダイヤさんの突っ込みが冴える。
「って、色男やないやん!愛飢男やん!こういう相手は色男って決まっとるのに、あいつ待っとったんかいな!誰や、こんな配役にしたの(台本をめくる)…辰巳小龍かいな!」
この楽しい案内役のおかげで、物語にスッと入っていきやすかった。

それから、考えてみれば主役の弥五郎の登場場面は遅いので。
案内役を用意したのは、ダイヤさんが出てくるのはまだかまだかと、誕生日に集まったファンをやきもきさせないためかとも思ったり。

序盤はひたすら、たつみさんの熊太郎が、屈辱を味わうシーンだ。
「甲斐性なし」「金も家に入れない」「この博打狂い」…
熊太郎を囲んで足蹴にするのは、義母のおかく(辰巳小龍さん)、女房のおぬい、おぬいの間男である寅次郎、松永一家。
散々罵られ、貸した金の証文も破られて、挙句の果てに血まみれになるまで蹴られる。

熊太郎が痛みと悔しさで伏しているところに、流れてくる浪曲。
―熊太郎ためには 弟分で 鬼と言われた 谷弥五郎―
舞台の奥に座っている背中。
満を持して、ダイヤさん=弥五郎が煙管をくわえて振り返る。

「弥五、弥五」
と必死に呼びかける瀕死の熊太郎に、最初は「誰や、なんでわしの名前知っとるんじゃ」なんて言っていたくせに。
熊太郎だと気付いた途端、
「兄貴!兄貴やないか!わしや、弥五郎や!兄貴が気づかんでもわしはわかったで!」
と、マイペース。

ダイヤさんの弥五郎は、あんまり熊太郎を兄として立てたり、敬ったりはしないみたいだ。
ボロボロの熊太郎に、「情けないなぁ~」と遠慮なく言い放つし。
数日遊んで女でも買って来い、と熊太郎に言われて外出したときは、
「かわいそうに、弟分のわしにまで気ぃつかって」
と同情した顔で熊太郎の家の方を見やる。

でも、その情けない兄貴のために、もう腹をくくっているのだ。
自分の命を捨てようと、とっくに決めているのだ。
“借りは必ず二人で返す!”
博打場で思いがけず捕まってしまった弥五郎は、獄中から熊太郎に便りを出す。
「お前には何の関係もないのに、一緒に恨みを果たしてくれるんか…」
一人残された熊太郎は、弥五郎の便りを握りしめ、顔をくしゃくしゃにして泣く。
(たつみさんが綺麗な顔をあんなに崩して泣く芝居は初めて観た)

始終、もろに喜怒哀楽を出すのは熊太郎のほうで、弥五郎の明朗さは肝が据わりきっている感じ。
でも、ラストシーンは違った。

警官に囲まれた兄弟は死を決意する。
先に熊太郎が刀で絶命した後。
「一人では行かせんで…!」
兄の亡骸を自分の体とひとつにするように抱いて、目を開いたまま弥五郎は死ぬ。
ダイヤさんの宙をにらむ目に、悔しさ、無念さが渦巻く。
劇中、一貫して、熊太郎のために走り抜いてきた弥五郎が、その兄貴を喪ったとき。
内に秘めた兄思いが、とめどなく溢れ出してきた。

あと個人的には、『河内十人斬り』で一番好きなセリフ、「われ、われ、九州も知らんのかい」がたっぷり演じられていたので幸せ。
弥五郎と、妹のおやな(辰巳満月さん)の別れの場面。
まさか死にに行くとは言えず、九州へ行くと嘘をつく弥五郎に。
「九州ってどこなん、東京の向こうか?」
とあどけなく問うおやな。
妹の無知さ幼さに声を詰まらせて、「われや――」と絞り出した後。
ダイヤさんはああ、と言いたげに横を向き、間を置いて、再度おやなの顔を見て、
「九州も――知らんのかい…!」
はー…(感嘆のため息)。

見やすく、とっつきやすく、理解しやすく。
古いものに忠実で、かつ誰にもちゃんとわかる(それがすごい)。
“綺麗に品よく”をモットーにするこの劇団さんが、作っていこうとしている舞台の形を改めて感じた。

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きちんと、淡々と、役者さん―大蔵祥さん(たつみ演劇BOX)―

2015.1-2月東京公演 @浅草木馬館・篠原演芸場

崩さない、崩れない。
キラキラした小泉家の三姉弟の後ろで。
意気揚々とアピールする若手さんたちの端で。
彼の芝居は、淡々と堅固だ。

こないだの敵役が良かったと言ってみたら、
「悪役しかできないんで…」
ひくーい声でニヤッと笑ってくれた。

大蔵祥さん(2015/2/11舞踊ショーより)


たつみ演劇BOXの名脇役。
1-2月の東京公演を観て、私はすっかりこの方が気になっている。
きっかけは、なんと言っても“貧乏神”!
1/2(金)のお芝居『春雨新五郎』で大蔵さんが演じていた、癖のある悪役だ。

春雨の親分(小泉たつみ座長)と、敵対するいかづちの親分(宝良典さん)。
“貧乏神”はいかづち一家の若い衆だ。
喧嘩を吹っ掛ける割に、まともな勝負はせず、親分の陰に隠れている。
と思えば、春雨の親分をジロ…と下からねめつけて。
幾度追い払われても、繰り返ししつこく、春雨一家にやって来る。
それこそ貧乏神が憑いたみたいに。
「へっへっへっ…」と肩を揺らしながらの、歪んだ笑い方が強烈に印象的。
役名通りの小悪党の卑劣さが、ちりちりと物語にくすぶっていた。

私は悪役が好きでしょうがない病にとりつかれている。
それも、ひと癖ふた癖もある悪役となれば尚更!

改めて注目してみると、大蔵さんって芝居が常々崩れていない。
セリフ飛んだり、噛んだり、照れが入ったり、そういうのが全然ない。
あまり大きい役は見たことないけど、子分その一や村人その一の振る舞いは、さりげなく盤石だ。

2/1(日)、『三島と弁天』。
大蔵さんは口紅塗って、三島の殿様(小泉たつみ座長)の屋敷の女中役。
大蔵さんが殿様から用事を言いつかった時、
「かしこまりましたぁ~」
と言いながら、舞台の端でくねくねと腰を揺らし、殿様を誘惑する。
何の照れも恥じらいもなく(イヤあったとしても一切見せず)、くねんくねんと勢いの良い媚態に、客席大笑い。
この全身の思いきりの良さ!

2/3(火)、『三人吉三』。
この芝居を先に観ていた友人に「大蔵さんセリフあった?」と聞くと。
「もー、最高だよ!」
彼女の答えの通りだった。
歌舞伎調の芝居に笑いの要素をもたらす、夜鷹三人組!(大蔵祥さん・辰巳花さん・小泉ライトさん)
「おとせちゃん(辰巳満月さん)が昨日からまだ帰らないのよ、きれいな子だから心配だわ」
大蔵さんは、女言葉のセリフも滑らかに、夜鷹のリーダー的存在だった。
正直、ライト君・花ちゃんと比べても、大蔵さんのためらいのなさ、照れのなさは頭抜けていて。
「これからは三人夜鷹で義を結ぼうか~!」
夜鷹の姐さんが、二人を率いてはけていく姿には、なんだか清々しさまであった。

2/16(月)、『殿様小僧蔦吉』。
大蔵さんはセリフほとんどなくて、悪の一家の子分その一だった。
でもこういうとき、この方は悪の子分を“きちんと”演じている。
舞台中央では、源次(小泉ダイヤ座長)と長次(ゲスト・恋川純座長)が一家に乗り込んできて、親分(宝良典さん)と言い争っている場面。
舞台端で、大蔵さんは同じ子分役の花ちゃんの肩を叩いた。
源次・長次のほうを顎で示し、バカにした表情で薄く笑って、なぁ?と同意を求めていた。
――バカじゃねえの、二人っきりで乗り込んだりして殺されるのが目に見えてるのに。
多分セリフがあったら、そんな感じ。

これまで、どんな人生を送られてきたのだろう。
「役者さんって、役者をしていないとき、どう思っていらっしゃるの?やっぱり役者に戻りたいと思ってらっしゃるの?」
2013年8月、前回の東京公演。
『演劇グラフ』の企画で、舞踊家・胡蝶さんがたつみ演劇BOXにいらした日、私はたまたま観に来ていた。
胡蝶さんが舞台上で、座員さん一人一人にインタビューされていた。
そのとき知ったことだけど、大蔵さんはしばらく役者をしていない時期があったそうだ。
胡蝶さんの上記の質問に、大蔵さんが何て答えられていたか、悔しいことに思い出せない。

ただ、嬉しいのは、今日の大蔵祥さんが再び役者であるということ。
まめまめしい芝居で、たつみ演劇BOXの芝居の質の高さを底上げされているということ。
低く張りのある声を活かして、たまに歌も披露してくれる。
(群舞は時々振りが危ういときもあるけど、それは御愛嬌かな…(笑))

つい先日の篠原演芸場でのこと。
舞踊ショーの舞台は、たつみ座長の華麗な女形。
たつみさんを照らす照明が、微細に色を変えて実に鮮やかだった。
照明の源を見ようかと二階席を見上げると、投光さんと並んで、大蔵さんがいた。
投光さんと二人で、慣れた風に機材を動かしていた。
温みのある光が照り映えて、舞台の女形はますます美しかった。

キラキラした三姉弟を、意気揚々とした若手さんを――支えている手があるのだろう。
目立つ場所ではなくても。

役者・大蔵祥さんがこなしていること。
悪役、子分、村人、歌、踊り、投光、多分まだまだ諸々。

(2015/2/21舞踊ショーより)


どれもきちんと、崩さず、毎日。
ちゃんと、淡々と、毎日、役者さん。

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