のぼる會特別公演お芝居「裏・天保水滸伝」―嵐山瞳太郎さんに見た“歓び”―

2015.2.19 夜の部@篠原演芸場

大衆演劇ファンになって3年、実は座長大会は初めてでして。
行きたいなと思いつつ、関西が多いし、まれーに関東で開催されても大抵平日の昼間だし…
なので2/19(木)の「のぼる會特別公演」は、絶好のチャンスだった。

芝居「裏・天保水滸伝」は、小龍さんが書き下ろした新作。
従来の天保水滸伝とは逆に、飯岡助五郎を主眼に置く。

配役はこんな感じでした↓
【飯岡一家】
飯岡助五郎…小泉たつみ座長(たつみ演劇BOX)
洲崎の政吉…新川笑也座長(新川劇団)
堺屋与吉…金沢じゅん座長(座KANSAI)
【笹川一家】
笹川繁蔵…淺井春道座長(逢春座)
勢力富五郎…浅井研二郎座長(浅井研二郎劇団)
火の玉啓介…中野貴之介さん(鳳凰座)
平手酒造…小泉ダイヤ座長(たつみ演劇BOX)
芸者・八千草…黒潮幸次郎座長(黒潮劇団)
【役人】
関八州見廻り役人・中山…嵐山瞳太郎さん(たつみ演劇BOX)
部下・佐々木蔵之介…愛飢男さん(たつみ演劇BOX)

普段配役とかちゃんと書かないからしんどい…(笑)
なぜわざわざ書いたかというと、伝えたいことがあったから。
これだけ名だたる座長さんの中でも。
座長さんたちが、各々の役で芸を解き放っていた、その中でも。
――嵐山瞳太郎さんの敵役が、負けず劣らずの煌めきだった!と。

嵐山瞳太郎さん(当日舞踊ショーより)

当日は個人舞踊がありませんでした…

瞳太郎さんの何に心打たれたって、“自分の力を芝居に尽くしきってる”感じ。
役どころの中山は、色欲の深い役人。
並みいる座長陣を相手取る憎まれ役、大役だ。

瞳太郎さんは、序幕ではかなり緊張されたそう。
序幕は、中山が芸者・八千草(黒潮幸次郎座長)を座敷で見初めるシーンだ。
「美しい。気に入ったぞ」
瞳太郎さんの大きな目が、獲物を見つけたときの鳥のように、八千草を見定める。
独特の声の張り方に、傲慢な響きがともされているのがわかった。

「年季が明けたらわしのところへ来ぬか。好きなだけ贅沢ができるぞ」
中山は八千草を囲おうとするも、
「せっかくですが、もう身の振り方は決まっておりますので」
とあっさり振られて大激怒。
「この中山を袖にして、どこのどいつのところへ行くと言うのだ、答えい!」
「笹川繁蔵親分のところでございます」
八千草が凜と答えれば、中山はバカにしたように眉を上げる。
「なんだ、ただの博徒ではないか…」

一つ一つの言葉や仕草を、若い心身に咀嚼して。
瞳太郎さんが懸命に練り上げたであろう、中山のねじれた人となりが現れる。

八千草への横恋慕が発端となって、中山は結果的に飯岡と笹川を争いに追いやっていく。
笹川一家が崩壊した後、繁蔵(淺井春道座長)は逃亡。
夫婦の誓いをした繁蔵がいなくなり、残された八千草は、乞食の暮らしをしていた。
ござを抱え、すっかりみすぼらしくなった八千草…
そこに半年ぶりに繁蔵が戻って来る。
不憫そうに八千草を見つめ、「やつれたな…」と零す。

そんな良い場面に。
「見つけたぞ繁蔵!」「いたぞこっちだ!」
割って入って来る、槍を携えた役人たち。
その先頭に立つのが瞳太郎さん。

中山の腕が、乞食の女を掴まえて。
かつて艶やかだった八千草だと気付くと、薄く笑う。
「汚くなったな…!」
このセリフ、一番鳥肌立ちました。
やつれた女の人を見て、しかもかつて好意を持っていた女性相手に、開口一番「汚くなった」と言える神経…
この一言に、中山という人物の残忍さが剥き出しになる。
「だが、そんな女もそれはそれで面白い。どうだ、わしの所へ来ぬか」
そしてまだ八千草狙ってたのか(笑)
八千草に頬を叩かれると、中山の目は冷徹に細められる。
価値の失せたものを見るように。

多分瞳太郎さん、芝居するの、楽しいんだろうな。
のぼる會での大役を任されて、自分の力を信頼されて、嬉しいんだろうなあ。
槍を抱えるしなやかな手足に、演じることそのものへの歓びが滲んでいた。

瞳太郎さんは普段のお芝居でも、敵役・子分役・三枚目、どれでもきっちりと演じて、その独特の魅力を見せてくれる。
以前、友人に共感した言葉を思い出す。
「私の好きな役者さんの一人は、座長とかじゃないけど。敵役でもどんな役でも、愉しそうに演じるところが好きなの」
瞳太郎さんの芝居を見ていると、いつもこの言葉がよぎる。

せっかく瞳太郎さんのことを書いたので、別の日の個人舞踊のお写真も。

2015/2/14個人舞踊「バレンタイン・キッス」より

↑バレンタイン当日に合わせて、会場を盛り上げてくれた。

芝居でも舞踊でも、自分の持ち役で、自分の持ち場で、自分の持ち時間で。
一番良いものを掘り起こそうとする心意気が伝わってくる。
きっと、大物になられるんだろうなぁ。

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たつみ演劇BOXお芝居「夜叉ヶ池」・2―恋ぞ積もりて―

2015.2.11 夜の部@篠原演芸場

前回の記事(「夜叉ヶ池」・1―水に棲むもの―)では、異界の演出や妖怪の話を中心に書いたけれど。
今度は、このお芝居に描かれる“恋”の話をしたい。

「(百合を)一人ではやらん! 茨の道はおぶって通る。冥土で待て…」
地上では、萩原晃(小泉ダイヤ座長)と百合(辰巳小龍さん)の、情の極まりみたいな恋。
「私は剣ヶ峰へ行かねばならぬ。鐘さえなくば誓いもあるまい。皆、あの鐘、取って落として、微塵になるまで砕いておしまい!」
池の下では、白雪(辰巳小龍さん・二役)と剣ヶ峰の公達の、歯止めを飛ばしてほとばしる恋。

小泉ダイヤ座長(当日個人舞踊「無条件」より)


辰巳小龍さん(当日舞踊ショーより)


まず、背景として。
『夜叉ヶ池』の舞台の鹿見村は、閉鎖的で因習に縛られた土地として描かれる。
よそ者の学円(小泉たつみ座長)が来て、「夜叉ヶ池への道を尋ねたいんですが…」と切り出したとき、きれいに全員無視して立ち去るのが印象的だ。

村人たちには、ムラ社会を至上と唱える思想がこびりついているみたい。
神官(嵐山瞳太郎さん)は、いとこである百合に情もなく告げる。
「雨乞いが救うのは鹿見村だけではない。六ヶ村の民、八千人のため、犠牲になるのじゃ」
村を守り続けた晃に対しても、村の教師(小泉ライトさん)が冷たい目を向ける。
「もう村を立ち去ってくれたまえ。君はこの村において、肥やしのカスにもならない」
美女を裸に剥いて龍神に捧げるなんて因習が、廃れずに残っているのは。
固定化したしがらみの中で、村人がすっかり迷妄しているからなんだなー…。

だからこそ、あらわれる恋は目覚ましい。
“心のままに生きる”具現として、百合と晃の間にある恋。
「人は心のままに生きるべきだ、お前たちなどにわかるものか」
頭の曇った村人たちを前に、晃は声を荒らげる。
出ていけと言い募られれば、
「百合、行こう。支度が要るか、裸足で来い。茨の道はおぶって通る!」
百合は晃と学円をかばって、「私を(生贄に)出してください」と泣くのだけど。
ダイヤさんが小龍さんをひしっと抱いて、
「命かけても女房は売らん!龍神がなんだ、八千人がなんだ!神にも仏にも恋は売らない!」

ふおお…!
相手を想う心の美しさ(そしてダイヤさんの顔も美しい)。
村人たちの「八千人のため」「村のために犠牲になれ」の大合唱を聞いた直後だけに。
晃の言葉が、空疎な人の群れを穿つようで、心が晴れていく思いがする。
ダイヤさん、かなーり緊張していたように見えたけど、晃の大量のセリフを全てよどみなく終えたのはさすが!

晃と百合の恋と、呼応するかのように。
池の下の白雪は、剣ヶ峰の公達に恋している。
白雪は剣ヶ峰からの文を読んで、恍惚とつぶやく。
「懐かしい、優しい、嬉しい、おゆかしい便りを聞いた。姥、私は剣ヶ峰へ参るよ」
姥(辰巳龍子さん)は懸命に止める。
白雪が夜叉ヶ池から出れば、大洪水が起きる。
夜叉ヶ池の鐘が鳴らされる限りは、洪水を起こさず人命を奪わないというのが、人間との誓いだからだ。

けれど白雪は苛立ちに地を踏み鳴らし、
「人間とても、歳が経てばないがしろにする約束を…一息早く私が破るに、何にはばかる事がある?!」
鐘の誓いがあるならば忌々しい鐘を壊せ、とお姫様は大暴れ。
小龍さんが、豪華に飾った自身の体を抱きしめて叫ぶ。
「人の命のどうなろうと、それを私が知ったことか!命は捨てても恋は捨てない!」

小龍さんは、『夜叉ヶ池』をやると決めたとき、まず白雪を演じたかったらしい。
わがままで、誇り高く、まっしぐらな恋の炎に自らを焼く。
白雪の発火するような目つきに、小龍さんの全身全霊がこもっていた。

“神にも仏にも恋は売らない”
“命は捨てても恋は捨てない”

晃と白雪が言っていることって、同じだ。
縛るもの全部から心を解き放って、思いのままにしなやかに、あの人を恋うる。

そういえば、百合が一人で留守番することになったとき、寂しさを紛らわすために人形を抱っこしている。
この人形が予想外なものなので(笑)、未見の方はぜひその目で…。
「母さんは一人ではお夕飯も欲しくない」
そう言って人形に頬ずりする小龍さん。
百合はしっかり大人なんだけど、表情や行動は少女のようで。
泉鏡花は、人間の理想としての童心を大切に描いた作家…なんて昔読んだことを思い出した。

ある意味、子供のように。
『夜叉ヶ池』の恋は、痛いくらいの純度で澄む。

小龍さんは、お誕生日公演で『夜叉ヶ池』をやったものの、とにかく大掛かりな演目なので、再演は難しいと思っていたそう。
まだ2回目の公演で、小龍さんはともかく、他の皆さんは相当緊張されていたのだろうな。
(たつみさんの学円はさすがの余裕と貫禄だったけど)

きっと回数を重ねるごとに、まだたくさんの感情が注ぎ足されていくんだろう。
恋は、まだ深くなっていくんだろう。

最後に、白雪の眷族たちが心底羨ましかった瞬間。
鐘を自ら壊さんと、白雪はその身を止めようとする眷族たちを振りほどいて。
小龍さんが杖をかざし、カッとにらみつける。
「無礼者め!」

私も…私も小龍さんに無礼者めって言われてみたい…!

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たつみ演劇BOXお芝居「夜叉ヶ池」・1―水に棲むもの―

2015.2.11 夜の部@篠原演芸場

水底から、白雪が呼んでおりました。
先月、たつみ演劇BOXの東京公演が始まってからずっと。
私の心は、引っ張られておりました。
『夜叉ヶ池』を観なくちゃ、昨年の小龍さんお誕生日公演でやったという芝居を観なくっちゃあと。

小龍さんが演じるのは二役。
一人目は人間の百合。
そして二人目は、夜叉ヶ池に棲むお姫様・白雪。
妖怪たちにかしずかれる百万石のお姫様。
「鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言わるる私が身に、袖とて、褄とて、恋路を塞いで、遮る雲の一重もない!」
水の世界の深奥で、白雪が叫ぶ。
『小泉版・夜叉ヶ池』、待ってたー!

辰巳小龍さん(芝居終演後のあいさつで)


泉鏡花の『夜叉ヶ池』。
文学部出身者には罹患者が多いと思われるこの戯曲には、私もとり憑かれっぱなし。
「下流の水はやっぱり水晶、ささ濁りもしなかった」
たつみさん演じる山沢学円が、鏡花色全開のセリフをさらりと口にしたとき。
ああ、私ホントに大衆演劇で『夜叉ヶ池』を観てるんだ…と、それだけで感動した。

だけど、鏡花のセリフは文字ならまだしも、耳で聞くとかなり難解。
そのセリフをちゃんとわかる言葉にしているのは、やっぱり小龍さんの脚本。
そして息を吹きこんでいるのは、役者さんの力なのだろう。

『小泉版・夜叉ヶ池』について真っ先に思い出すこと――
「人間の世界」と「異界」の境目の描出が、本当に美しい。
いずれも原作にはない、小龍さんのオリジナル。

まず一幕目で、たつみさん=学円が鹿見村にやって来たとき。
「この暑さですっかりしおれて、かわいそうに」
と傍らの夕顔に水筒の水をやる。
すると照明が落ちて。
闇の中、ざわざわ…と夕顔の花がうごめく。
気づけば、学円の後ろに小さな女の子(わかこさん) が立っている。
「夜叉ヶ池は、あっち」
女の子の言葉に従い、学円は行ってみるか…と指された方向へ歩きだす。

花道をはけていくたつみさんを、不思議な音楽が追いかけるのが暗示的。
昼の論理では読み解けない、人間の物差しでは測れない、仄暗い世界に、学円は足を踏み入れていく。
その背を、わかこさんが愛らしいピンクのお着物で見送る。
――劇中で一番ゾクゾクしたシーンだった。
此岸と彼岸の繋ぎを託されるのが、可憐な夕顔というのがたまらない。

もう一つ。
『夜叉ヶ池』といえば白雪の眷族の妖怪!
どんな風に出て来るのだろう…とわくわくしていたら。
「へっへ、大物が獲れた」
と、大蔵祥さんの村人が、大きなクエを籠に入れて花道を走って来た。
すると、村人の体に絡みつく赤い糸。
舞台右袖から赤いテープが投げかけられたのだ。
突如、襲ってきた異物に腰を抜かす村人。
その目線の先、おもむろに、辰巳龍子さんの姥が険しい顔で姿を現す。

いきなり異形のものが出て来るのではなくて、日常の風景に、まず謎めいた赤い糸が綻びを入れる。
人間の世界がふと異界と重なる黄昏時が、とても繊細に演出されていた。

こんな風に、ひた、ひたと人の世界を侵食してきた妖魔の水が。
ラストシーンでは、大洪水となって村を襲い尽くす。
鐘の戒めが解かれ、白雪が哄笑とともに夜叉ヶ池から上がって来た。
(小龍さんの登場の仕方がすごいので、未見の方はぜひその目で確認していただきたい)

白雪は、怯える村人を、杖で思うままに操ってなぶる。
このときの小龍さんの表情!
うっとりとほろ酔いのような目つきなのに、時折鋭く光る。

前の場面でダイヤさん演じる萩原晃が、白雪の過去を語っている。
かつて白雪という娘が、雨乞いの生贄として裸で晒され、恥を忍んで夜叉ヶ池に身を沈めたと。
白雪は、身に刻まれた恥を苦悶を、今楽しげに返しているのか…
優雅に、残忍に、村人たちを一人また一人と洪水に叩きこんでいく小龍さんの姿を見ていれば、そんな想像が沸いた。

そして、観劇仲間もみんな大絶賛だったのが、ラストでの辰巳龍子さんの姥。

辰巳龍子さん(芝居終演後のあいさつで)


代議士・穴隈鉱蔵(宝良典さん)と、博打打ちの伝吉(愛飢男さん)。
村人の中でも特に欲深い二人を、姥が愉悦に満ちて殺していく。
逃げようとする鉱蔵に、化け猫のように曲がった指が伸びて。
見えない力で、鉱蔵は首根っこを捕まえられて後ろに引きずられる。
姥がニタリと、お歯黒に染めた歯を剥く。
…妖怪だ…妖怪がいる…!
ぞっとするほど怖かった。

水がぬらり、闇がぬらり。
夜叉ヶ池には妖の棲む。
篠原演芸場の舞台にとぷんと満たされた水の世界が、頭の隅で今もたゆたう。

語りきれないので2に続きます。

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たつみ演劇BOXお芝居「三人吉三」、獣の戯れ

2015.2.3 夜の部@篠原演芸場

ウォーン、ウオオーンと。
物語のところどころに差し挟まれる犬の声。
複雑な物語の底、通奏低音のようにドロリとまつわる獣の呪い。
さすが小龍さんの脚本だ…っ!

辰巳小龍さん(当日舞踊ショー「Catch me」より)


本題の前に。
まず語りたいのは、この芝居のスペクタクル感。

もしかしたら、今の大衆演劇界が作り出せる、最も豪華な芝居の一つなのかも…。
今、破竹の勢いでトップに駆け登りつつあるこの劇団が、力を尽くした。
お金も人手もかかるであろう道具・セットを、惜しみなく使った。

芝居終演後、なかなか止まなかったスタンディングオベーション。
ラストシーンの雪を全身に浴びたまま、たつみさん・ダイヤさん・小龍さんが頭を下げる。
私自身も雪にまみれて真っ白けのコート姿で、手を叩いていた。

たつみさんの、器の大きい兄貴肌の和尚吉三。
ダイヤさんの、悪人なのにどこかボンボンの甘さの残るお坊吉三。
小龍さんの、男と女の間を憑依的に移行するお嬢吉三。
三人が、全編に渡って、膨大な量の七五調のセリフをイキイキとやり取りする。
改めて、三姉弟の芸の底は知れない(しかもみんな美しいし)。
先代、先々代から継いだ芸が体の底に溜まっているようだ。

座員さんも全員が、凄まじい稽古をされたんだろうな。
特に満月ちゃんのおとせ、瞳太郎さんの十三。
このカップルが無垢で、犯してしまう罪業が際立つ。
中でもおとせが大川端でお嬢吉三に言う「人が怖ぅございますなぁ…」は、表情といい声づかいといい、とっても純真。
最近の満月ちゃんは、本当に素敵な女優さんになりつつあるのを感じる。

ラストシーンの立ち回りでは、雪がこれでもかという量で降り積もる。
舞台どころか客席も雪まみれになる。
なので、劇団さんが事前にマスクを配布してくれた。
客席がずらりとマスクを着けて、舞台に食い入る光景は壮観だった。
この芝居の中に浸かりきりたい!という欲求が、節分の夜の篠原演芸場に炸裂していた。

艶やかに整えられた舞台景色。
けれど観ていると、なんだか原始の蠢きが肌に這う。
よく聞くと、獣にまつわるキーワードが多いような…。

まず、猿。
大川端の前で三人吉三が揃う場面は、庚申の夜だ。
しかも、場所は庚申塚の前。
「三疋の額につけたるくくり猿、三つにわけて一つずつ」
と、たつみさん=和尚吉三が庚申塚のくくり猿三つを取って、義兄弟の証として一つずつ持つ。
そういえば、ダイヤさん=お坊吉三が探している刀も庚申丸。

庚申といえば“見ざる・聞かざる・言わざる”の三猿。
三人吉三=三猿か!そういやみんな泥棒(=猿のように手が長い)だし!おお!
と、元・文化人類学専攻学生は一人で盛り上がっていました。
恥ずかしながら後で検索してみたら、『三人吉三』が三猿をモチーフにしているのは、芝居好きな人の中では常識なんだそう…。

そして、犬。
複雑な因果関係の発端は、和尚吉三の父・伝吉(宝良典さん)の罪にある。
「盗んだ庚申丸を川に落とし、腹立ちのあまり、帰りに野良犬を叩き殺した。やがて生まれた子どもには体中にブチがあった。犬の祟りだ。あの野良犬は子を孕んでいたという…」

そういえば、芝居中に犬の鳴き声がやたらと登場していた。
たとえば十三=瞳太郎さんが、身投げしようとしたいきさつを伝吉に説明する場面。
「実は…」
で、ウオオーンと犬の声。
「何、そういうわけがあったのか」
と宝さんが言って、その省略の仕方にどっと笑う客席。
このときはただ、説明を端折るの上手だなぁと思っただけだったけど。
後で思い返せば、犬の声は明らかに意図的に、芝居のあちこちに入れられている。

この犬の祟りが、ハッキリと目に見える形で現れる場面が一つだけある。
和尚が、お坊とお嬢を逃がすため。
泣く泣く自身の妹であるおとせと、実は弟である十三を手にかける場面だ。
送り出しで小龍さんに伺ったら、「芝居としては一番好きな場面」だと言っていた。

未見の方の楽しみのために、詳細は書かずにおきます。
ただ、私にとっては、ラストシーン以上のクライマックスだった。
“因果”という『三人吉三』が内包するテーマが、頭ではなく肌に、ずるずるっと入りこんでくる。
“因果”を体現する満月ちゃんと瞳太郎さんが圧巻。
たつみさんが、人知を超えた根源的な恐怖に立ちすくむ。
照明がいつの間にか不気味な赤になっていて、点滅しては舞台を揺さぶる。
理屈では決して太刀打ちできない、呪いが身をよじって迫って来た。
さすが小龍さんの脚本だ…!(2回目)

帰りの埼京線の中で、観劇仲間と感想を言い合っていると。
「あなた、雪ついてるわよ」
後ろに座っていた女性が、私のコートについた紙切れを取ってくれた。
『雪』…という言い方をされるってことは。
「三人吉三、すごかったですね」
「もー、すごいの観ちゃったわよね!」
と、興奮の残る笑顔が弾けた。

映画にたとえると、全国何十館で同時公開される大作タイプ。
ミニシアター系の、ささやかな日常の風景だけで作った掌編映画みたいな芝居を愛している私でも。
あの豪華絢爛な舞台と獣のにおい、そして降りしきる雪、雪、雪に…
いまだ頭のどこかが酩酊しています。

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たつみ演劇BOXお芝居「下北の弥太郎」(たつみDAY)

2015.1.25 昼の部@浅草木馬館

たつみんこと小泉たつみ座長について、耳にするイメージ。
“カリスマ”(たしかにお喋りの引力すごい!)
“好青年”(近所に住んでたら爽やかな挨拶を交わせそう)
“王子様”(そのまま!)

その全てに深く頷きつつ。
この人の明るさは、“ヒーロー”っぽいなぁ…と、私は長身の光明を見上げている。

小泉たつみ座長(当日舞踊ショーより)


木馬館公演最後の休日、たつみDAY。
ぎっしりと詰まった木馬館。
「本日はお寒い中、木馬館公演においでいただき、誠にありがとうございます!」
開幕前に、たつみさんのテンション高めのアナウンスが降ってきた。
「あ、お一人様ですね、どうぞどうぞ前へ!ようこそいらっしゃいませ!ご予約の○○様はまだいらしてませんか~?○○様と○○様の到着がまだのようです!」
客席の様子をどこからか見ているのか、元気いっぱいの実況中継に、大笑いしてしまった。

響く声が明るい。
幕が開けば、中央で踊る瞳が明るい。
沈んだ心も掬いあげてくれそうな。

“不幸”“不幸せ”
この言葉が、たつみDAYのお芝居『下北の弥太郎』では、繰り返し繰り返し語られていた。
(かなり意図的な演出だと思うのだけど)
「生まれ持った不幸っていうのは、ずっと身について離れないようで…」
象徴的なのが、序盤でダイヤさん演じるボサマ(盲目の三味弾き)が漏らす一言。
旅烏の弥太郎(小泉たつみ座長)は、それを聞いてじっと床を見つめる。
弥太郎の耳に、幼い声が蘇ってくる。
「助けて弥太兄ちゃん、弥太兄ちゃん、弥太兄ちゃん助けて…」

15年前、まだ子どもだった弥太郎(小泉ライトさん)が角兵衛獅子の子方をしていたとき。
妹のような存在だったお千代(ゆいさん)を可愛がっていた。
だが、お千代は土地の親分・犬神の権蔵(宝良典さん)に、女郎に育てるために連れ去られてしまった。
「角兵衛獅子の子方をしていたっていう女を知らねえか?」
弥太郎が今も旅をしながら探すのは、お千代。
たつみさんの締まったやくざ姿に、妹への愛しさ、心の奥に住まう童心が現れる。

“不幸”という言葉が心底私に染みるのは、この後――。
大人になったお千代(辰巳小龍さん)が、泣きながら登場してからだ。
「死にたい!死なせて!こんな体じゃ生きていても…」
お千代は女郎になっていたが、過労で盲人となった。

誰もいない部屋で。
ふいにお千代の体が丸まって、泣き声をこらえて親指を噛む。
畳にしがみつくような、小龍さんの姿に滲む絶望感。
お千代は見えない目で、紐を部屋の柱に引っ掛けて、首を吊ろうとする。

そこで、「やめときな」と紐を斬る刀。
ようやくお千代の居所を探し当てた弥太郎!
…なんだけど、そこにいる盲目の女郎がお千代だとは、気づかない。

「さっきの人、あんたがいつも話してた弥太兄ちゃんじゃないかい?」
女郎仲間のおりく(葉山京香さん)にその可能性を指摘されて。
「あたし会えないよ、こんな姿、弥太兄ちゃんにだけは見られたくない」
お千代は、変わり果てた姿を兄に見られる恐怖に震える。

心身には不幸の影が染みこんでいて、もう逃れられない。
暗い暗いこの路に、二度と光は差さない。

それを打ち砕くのは、まずおりく=京香さんの名セリフ。
「不幸せの波に飲まれそうになってもね、人間は姿じゃない、格好じゃない。人の持っている心だよ!」

そして弥太郎の出番。
盲目の女郎がお千代だと気づき、憐憫にむせび泣きながらも。
「苦労したろう、もうこれから先は、絶対お前を離さねえぞ…!」
たつみさんの大きな手が、小龍さんの手をしっかり握る。
「あたしみたいな女をしょいこんだら、あんたまで不幸になっちまう…」
と、お千代が抵抗しても。
力強い声が絶望を割る。
「もしそうなら、お前の持ってる不幸せを、これから二人で引きずって生きていこうじゃねえか!」

大きな体躯、朗々とした声、何よりたつみさんの芯に宿る、ちょっとやそっとじゃ消えない明るさ。
妹を、まといつく不幸ごと抱きしめる。
ヒーローだ…!
たとえ悲惨な場面でぼろぼろ涙していても、輪郭のどこかに少年的な明るさが残っている。

もちろん、33歳の男盛りの役者さんに、そんな面ばっかりが主張しているわけじゃなくて。
股旅姿のときは、目元に冷たい凄みがあるし。
舞踊で、客席をじーっと見る自信に満ちた姿には、したたかさを感じる。
大人気劇団を率いて、苦労は絶えないのだろうな。
実際私は、経営者として頭をくるくる回転させていそうな、たつみさんが好きだ。

でもこの方が、ラストショーを踊り終えて、ぎっしり詰まった客席を眺めるとき。
整った顔を崩して、満面スマイル。
内々から沸き出る健やかさ。
たつみんがニコニコしてる、大入りですっごい嬉しそう、とこちらまで嬉しくなる。

美しく、爽やかに作り上げる。(当日舞踊ショーより)


中央に立って、客席を煌々と照らす。(当日舞踊ショーより)


その笑顔に救われる人が多いから。
たつみんスマイルはやっぱり無敵なんだろうな…。

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