春陽座お芝居「京の友禅」

2015.1.24 昼の部@三吉演芸場

友禅(滝川まことさん)が望むのは、職人としての名声ではない。
幼い頃から思い合っていた女性・お幸(澤村かなさん)との暮らしでもない。
その両方を見送って、手放して。
彼は友禅染を作り続ける。
絵具に、布に、思いを落とし続ける。

滝川まことさん(当日舞踊ショーより)


澤村かなさん(当日個人舞踊「夢一夜」より)


新作芝居は友禅染を作った職人の話。
なんとも、春陽座の上品なイメージ通り。
透ける色づきを目の奥に挿してもらったような舞台だった。

話は、幼い友禅(澤村煌馬くん)と、らい病の父(澤村京弥さん)の旅の場面で始まる。
雪の中、父子が行き倒れになったのは、扇子屋・堺屋の前だった。
父親は、堺屋の主人(澤村新吾さん) に息子を託す。
「この病は人にはうつりません。でも、もしこの子が大人になって私と同じ病にかかることがあれば、そのときはいつでも放り出してやってください…」
父親はそこで息絶え、友禅は堺屋で育てられることになる。

二幕目は15年後に飛ぶ。
友禅は堺屋で扇子の絵描きをしていた。
堺屋の職人が一堂に集められたとき。
「扇子だけやなくて、絵を着物に描くというのはどないですか」
友禅は、ずっと秘めていた夢を打ち明ける。

その提案に、温厚な主人も難しい顔をする。
「堺屋は扇子屋。もしわしらが着物に絵を描いて売ったりしたら、呉服屋は怒るで。あいつらが怒って堺屋をつぶしにかかれば、赤子の手をひねるようなもんや」
部屋の一番隅に遠慮がちに座って、けれど友禅は毅然と言う。
「堺屋がやるのが難しければ、お暇をいただけませんでしょうか。友禅は一人でもやりたいのです」
「着物が雨に濡れても絵が流れないよう、絵具の配分、乾かし方…一人で色々試しました。まだ方法は見つかりませんが、必ずあるはずです。必ずこの友禅、友禅染を完成させてみせます!」

こうして友禅は堺屋を出る。
友禅に惚れている堺屋のお嬢さん・お幸が友禅について来て、二人は貧しい生活を始める。

まことさんの芝居を、こんなにたっぷり観られたのは初めて。
情熱的に語っているのに、どこか抑えがある。
かずまさんの、感情が皮膚の内を跳ね回るような勢いとは違うし。
心さんの、深いところから心をつつくような細やかさとも違う。

薄曇りのような陰が、額から唇にかけて漂っていて。
まことさんが感情を表すたびに、表情筋につられて陰が動く。

堺屋を出て2年。
友禅染の開発に励んでいた友禅は、ある日指の痛みに震える。
「ついに来たかぁっ…!」
父と同じ、らいの病だ。
「なんでや、なんでなんや、お父ちゃん!」
指を押さえて天を仰ぐ。
次第に手足が動かなくなり、顔も崩れていく未来が友禅の夢を裂く。

お幸を自分の運命に巻き込まないようにと、友禅は自分の心を裏切る。
“お幸への愛情がなくなった”と嘘の手紙を堺屋の主人に送り、迎えに来させる。
「友禅の阿呆、阿呆、阿呆…!阿呆―!」
お幸は友禅の嘘を信じて、絶望を炸裂させる。
友禅の大切な仕事道具を投げつけ、ぶるぶる震える手で顔を覆う。
かなさん、さすがの熱演。

さらに1年後、お幸の祝言の日。
友禅が堺屋を訪れる。
「友禅染がようやく完成いたしました。その最初の着物、お嬢さんに袖を通していただければ」
と、仕上がった着物をお幸に差し出す。
病のために、もう固まって動きにくくなった指で。

私が目を見張ったのは、堺屋を後にして、花道をはけていく友禅の表情。
病んで、お幸とも結ばれず、なお。
ほう…と虚空を見つめて、柔らかく笑む。
まことさんの顔に滲む陰は、舞台に深い楔を打ち込むようだ。
今ここにあることの喜びを噛みしめるような笑みだった。

『京の友禅』の記事を終える前に、もう一つ言及しておきたい。
個人的なツボに入ってたまらなかったのは、冒頭の父子がさまよう場面だった。
京弥さん演じる友禅の父は、病のため顔の下半分を覆っているので、表情はよく見えない。
セリフも一切ない。
でも、涙が出た。

澤村京弥さん(当日舞踊ショーより)


京弥さんが、病でうまく動かない手で、懸命に煌馬くんの体をさする。
我が子に少しでも温かさを与えようとする。
雪は容赦なくもうもうと舞い上がり、『砂の器』のメロディーが流れる(この冒頭場面は明らかに『砂の器』へのオマージュなんじゃ…)。

状況自体が泣けるのだけど…
京弥さんのなんとも言えない実直な人情が、顔を覆っていても全身から出ていて、心をつかまれた。
この3年で観た大衆演劇の芝居の中でも、「冒頭場面」に限って言えば珠玉の一つだったと思う。

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至上の花道―オーエス劇場×劇団KAZUMA―

2015.1.17-18

これが、花道という装置なのか。
客席の中にありながら、俗世から一段浮き上がって。
化粧をほどこした心身が、異界の花になりかけながら通る道。

オーエス劇場は椅子席なので。
劇場右手から見ると、椅子に座ったお客さんの全身と、花道に立つ役者さんの全身が、全部きれいに見える。
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“あの”オーエス劇場に、2015年1月、劇団KAZUMAが乗ると聞いたとき。
なんて組み合わせ!と一人興奮した。
彼らがあの影の溜まりに抱きとられるとき、どんな舞台が観られるだろう?

オーエス劇場が面白いと聞いたのは2年前。
2013年8月、人生初の来阪記念日にも、新大阪で新幹線を降りて迷わず直行した。

路地にぬっと突き出た看板の、古びた感じとか。
開演前なのに客席がやたら暗いとか。
座付きのお客さんたちの、劇場にまさに根を下ろしている感とか。
劇場のまとう、なまなましい湿り気がたまらない。

そして心待ちにしていた、先週の土日。
私がわぁ!と目を見開いたのは、花道の光景だった。
役者さんが“君臨している感”がすごい。
一馬座長が、将さんが……一人一人が立ち踊るたび。
暗い劇場で密集するお客さんの頭から、彼らの体だけが白々と浮き上がる。

特に、胸がヒヤッとした舞踊が3本ある。
まず、1本目はこの方の紡ぐ世界。

柚姫将副座長(2015/1/18個人舞踊「旅路」より)
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将さんの踊る杉良太郎さんの「旅路」は、昨年6月の八尾グランドホテル以来。
そのときは、八尾グラの高い天井に黄昏が広がるのを見た。
今回見たのは、オーエスの花道に夜汽車が走って行くところ。

―目を閉じてサヨナラと 呟くやつれた後影(うしろかげ)―
まだ別れの中にいるような面持ちで、将さんが手を振っていた。
明かりの降る花道が、汽車の線路になった。
寂しく吐かれる、汽車の煙が見えた。

―野良猫を可哀そうねと抱き上げた―
抱いていた猫はずいぶん大きくて。
感情を一つ一つ、掌で握りしめるように、丁寧に踊っていた。

2本目は、この女優さん。

千咲菜野芭さん(2015/1/18個人舞踊「SAND BEIGE~砂漠へ~」より)
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姫、降臨…!
落ちついたお着物や芸者さんも素敵だけど、私はこういったお姫様スタイルの菜野芭ちゃんが一番好きだ。
そこに貫かれる“自己”が好きだ。
キラキラのティアラと、なびくショール。
こまやかな金細工を見るときのように、空気がきらびやかに潤う。
こういうの、今まで劇団KAZUMAになかったなぁ(少なくとも私が知ってからは)。

昨年夏から来た彼女が、新しい色を挿してくれる。
たおやかに見えながら、そこにはかなりの豪胆さが必要だろう。

彼女のキラキラした“自己”は、暗いオーエスの会場ではさらに光っていた。
マジック手書きの貼り出しが並ぶ壁を、輝くショールが横切る。
群集の中へ、花道へ、菜野芭ちゃんが誇り高そうに歩み出る。

さて3本目。
この舞踊の光景は忘れられない。

千咲大介座長(2015/1/18個人舞踊より)


よく耳にする和尚さんの曲なのだけど、曲名不明。
歌詞を聞きとると、和尚さんが大好きなのは競馬競輪、朝寝朝酒と、ただれた生活を歌いあげる。
(一体どっからこんな曲見つけてきたんだろう…)
リズミカルな曲なので、満員の会場はこぞって手拍子。

――死んで極楽より生きて地獄。
そんな歌詞に乗せて、“生臭坊主”が楽しげに花道に差しかかる
どこか妖しさが潜む目が、黒々とした客席を舐めるように見る。
ノリノリの手拍子をする手、手、手が、大介さんの足元を覆う。

なんだかまるで、会場みんなで生臭坊主の説教を聞いているみたいじゃないか。

大介さんが支配する客席は、つい30分くらい前まで。
常連さんたちの朝昼ご飯のにおいに満ちていた(ブランチとはあえて言わない)。
パキンと割り箸の音がして、おにぎりとか焼きそばとかお寿司とか、うちから持ってきた漬物とかが、そこら中で消費されていた。

生きる臭みがぬくぬくと発酵している、この劇場で。
法会が開かれる。
説かれるのは、死んで極楽より生きて地獄!
人々の熱に埋もれて、賞賛を浴びる坊主は、墨色の衣で反転する。
…なんつう絵だ…
光景にすっかり取りこまれて、強烈なパワーに焼かれて、妙な笑いすら起こしそうだった。

客席から、生活のしずりを託されたとき。
その重みを昇華するために、役者さんの姿は至上の花になろうとするのかもしれない。

とりあえず、次にオーエス劇場に行ったときは。
私も喫茶店のモーニングは我慢して、劇場で朝昼ご飯を食べよう…!

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劇団KAZUMAお芝居「身代わり半次郎」

2015.1.17 夜の部@オーエス劇場

もし劇団KAZUMAを観たことのない方で、かつ大衆演劇自体初めてという方を。
お誘いするなら、外題は『身代わり半次郎』がいいな。

私が一番思い入れているのは『生首仁義』だけど、暗い・重い・痛いの三拍子なので観る人の好みによるかなぁと思うし。
『文七元結』『紺屋高尾』も傑作だけど、大衆演劇の芝居以前に落語や浪曲で有名だし。

『身代わり半次郎』は、多分、多くの人の胸にストンと落ちる芝居。
かつ。
私の望む、“大衆演劇にはこうあって欲しい”要素が全部入った芝居。

週末の神戸出張の後。
ガラガラとキャリーケースを引いて、神戸線と地下鉄で動物園前へ。
オーエス劇場で、1年3か月ぶりに『身代わり半次郎』に当たった。

話の核になるのは、柚姫将さんと龍美佑馬さんだ。

柚姫将副座長(当日舞踊ショーより)

それにしても将さん、副座長の貫禄が滲んでたなあ。

龍美佑馬さん(1/18舞踊ショーより)

佑馬さんはグッとしなやかになられたし。

盲目の老人・甚兵衛(龍美佑馬さん)と娘のお美代(千咲菜野芭さん)のところに、出奔していた息子の半次郎が帰って来た。
…というのは思いこみで。
甚兵衛は目が見えない。
幼かったお美代は兄の顔を覚えていない。
父娘が半次郎だと信じ込んでいるのは、実は半次郎を手にかけた信州小諸の源太(柚姫将副座長)なのだ。

実は、源太は半次郎の遺品を届け、彼を斬ったことを告げるために来たのだった。
甚兵衛の誤解があまりに心苦しく、立ち去ろうとする。
だが、甚兵衛が恋しそうに、
「半次郎―、はよう来い」
と呼ぶのを聞いて出立の足が止まった。
そして、死に際の半次郎が、親孝行したがっていたことを思い返す。
半次郎の遺品の風呂敷を、大切そうに抱えて、将さんがつぶやく。
「半次郎さん、お名前、お借りいたしやす」
源太は自らの親を知らないという。
「ひと月、十日、いや、たとえ今日一日だけだとしても――」
半次郎の代わりに、親孝行を。

死なせた相手の親へ、身代わりの孝行――
取り返せない過ちと、切羽詰まった情けが、合わさって物語の枠を組む。
源太が旅支度を解いて上がりこむ、居間の風景がやさしく湿る。

特に胸に迫る場面が二つ。
「親孝行の手始めだ。とっつぁん、肩揉んでやるよ」
まず一つ目は、源太が甚兵衛の肩を揉む場面。
“親子”の話題は、お美代の縁談の相手である、与吉(冴刃竜也副座長)について。
「与吉はな、この村に一軒だけ茶店があるんだが、そこのせがれじゃ」
「そこなら俺も行った事あるよ。俺に飯を持ってきた奴だ」
「おおそうか、お前も知っとるか」
「良さそうな奴じゃないか」
「兄ちゃんのお眼鏡にもかなったか、なら安心じゃな」
軽く、肩越しに視線を触れ合わせながらの会話。
ぽっかりと照らされた親子の姿に、将さんの落ちつき気味の声と、佑馬さんの老け役の声が、一緒に揉みこまれる。

つくづく、全身に染みるような安らぎ感…
30代と40代のお兄さん同士の絡みで、こんなに空気がほのぼのするのは、けっこう驚異的だと思う。
(私は本当に将さんと佑馬さんのペアが好きで、少し前にこんな記事も書いた)

そしてもう一つ。
終盤、前の場面とまるで対になるように、今度は佑馬さんが将さんの肩を抱く場面がある。
「いいんです、それで(斬らないで)いいんですよ」
半次郎の兄貴分(ゲスト・藤千代之助さん)が、源太を仇討ちにやって来た時。
盲目の身をよたよたと引きずって、甚兵衛が止めに入る。
甚兵衛は、既に知っているはずだった。
本物の半次郎が、もうこの世に居ないこと。
手にかけたのが、今目の前にいる源太だということ。

それでも。
「これは、わしのせがれの、半次郎じゃ」
多分、老人の暗闇の世界で。
肩を揉む温かな指先は、優しく語りかける声は、確かに“せがれ”のものだったのだ。

甚兵衛の言葉を聞いて。
源太の目が、心の深いところを衝かれたみたいに見開かれる。
舞台中央に跪いた将さんの表情は、まず驚愕、次に哀切に流れる。

佑馬さんの甚兵衛は、輪をかけて哀しい。
本物の半次郎の遺髪に縋って泣きつつも。
「半次郎!」
偽物の半次郎=源太を抱きしめて呼ぶ。

偽りの親子の時間から、割り出された確かな体温。
どん詰まった人生の悲哀を割って、幸福が指にすくわれる。

やっぱりザ・大衆演劇なお芝居が、私は好きだな。
一馬座長の助平な貸元とか、大介さんのちゃっかり者の侍とか、気楽な笑いがいっぱい散りばめられているのも楽しかった。

次の記事は、今回の遠征最大の目的――
オーエス劇場×劇団KAZUMAのお話。

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たつみ演劇BOXお芝居「宇之吉涙雨」(ダイヤDAY)

2015.1.10 夜の部@浅草木馬館

小泉ダイヤ座長はどうしてあんなに魅力的なのか?
東京での第一回ダイヤDAY。
輝かしい弟座長の光源を覗きこめればいいな、と木馬館へ向かった。

小泉ダイヤ座長(当日ラストショー「天城越え」より)


ダイヤさんというと、まず“声の良さ”が頭に浮かぶ。
太く、聞きやすく、古い日本映画っぽいパッキリ割れる感じの発声が心地良い。
個人的に、最近聞いたダイヤさんの声で一番好きなのは、1/2(金)のお芝居『春雨新五郎』のセリフ。
「西は三十三か国、東は三十三か国、合わせて六十六か国、全国津々浦々を旅駆けた○○先生の大活躍、始まり、始まりぃ~!」
(申し訳ないことに、どうしてもこの先生の名前が思い出せない…)
このセリフが轟いたとき、体の底から澱みがパッと晴れるような爽快感があった。

そしてダイヤDAYのお芝居『宇之吉涙雨』で、私がようやく気づいたこと。
良い声というのはキャラクターを描出する上で、すごく機能するんだ!

「俺は小せえときから、どんな大ケガしたって、“痛い!”と一度だって言ったことはねえんです。片腕を落とされて、もし俺が痛え!と言ったなら、かまうことはねえ、もう片方の腕も落としてくんなさい」
ダイヤさん演じる宇之吉が、小金井小次郎親分(小泉たつみ座長)に言うセリフ。
威勢よく背をさらして、腕を差し出しながら、
“小せえときから”とか“痛い”とか、一つ一つの言葉が綺麗に切れ上がって響く。
滲むのは、少年のような怖いもの知らずの心。

茶店の縁台にあぐらを掻いて。
逃亡中の女郎(辰巳満月さん)と幼馴染(嵐山瞳太郎さん)の話を聞き、
「二十両か、二十両あればお前たちは借金を返せて助かるんだな」
調子に乗って小金井小次郎親分を騙り、
「へへ、聞いただろ、俺、小金井小次郎」
と言った相手が、まさに本物だったことが発覚して、
「勘弁しておくんなせえ…!」
セリフによって上ずった声、後悔に震える低い声、どれも活きて響いて。
宇之吉というキャラクターの気持ちの大きさ、ややお調子者なところまで、細かい輪郭を伝えてくれた。

そしてダイヤさんのお芝居と言えば、熱。
小泉家の三姉弟は、私が敬愛してやまない姉上を筆頭に、それぞれに芸達者だけど。
ダイヤさんが主役の芝居では、パワー全開!と熱たぎる演技にワクワクしている。

特に、宇之吉が母(辰巳龍子さん)に呼びかけながら斬り合いをする場面だ。
自分を探して旅していた母と再会し、
「すぐにでも一緒に故郷に帰ろう、これからは親孝行するからな」
と涙ながらに母の手を取ったところで。
宝良典さん率いるやくざ連中が、女郎を逃がされた恨みから、宇之吉を取り囲む。
盲目の母を不安がらせまいと、宇之吉はこんな風に話す。
「友達としばらく話があるんだ。長くなりそうでな、話が終わるまで、そうだな、あっちに掘立小屋があるだろ、あそこで待っててくれ」

母を安心させるため、何度も斬り合いの中から呼びかける。
腹に刀を受けても気力で笑い、
「おっかさーん…!」
と叫ぶ。
「宇之よ…!」
と声が返って来るのを聞いて、また刀を握る。
骨をぶつけ、歯を剥くような猛々しい立ち回り。
ぐりりと見開かれる、ダイヤさんの大きな目。
どれだけ斬られても自分は死なない、母を連れて帰るのだから死んでたまるか。
迸る心意気が迫ってくるようだ。

でも。
満身創痍で、息も絶え絶えの宇之吉に。
隠れていた親分(宝良典さん)が、背中からとどめを刺す。

次の瞬間、観客に見せられたのは、ダイヤさんの悲痛に歪む顔。
悔し涙すら流しそうな。
細くつぶやく、
「ダメか…」

――一緒に故郷に帰ろう、これからは親孝行するからな。
死んでも諦めたくなかったことを、諦める無念が滴り落ちる。

宇之吉は、気持ちが大きくて、ややお調子者。
――小せえときから、“痛い!”と一度だって言ったことはねえんです。
その気の強さも運の強さも、今ここで尽きるのだと突きつけられる。
貫かれたままの姿に諦念が吹き抜けて、見ていて涙が出た。

ダイヤさんの演技は、いつも熱たぎるものなんだけど。
その表面に絡む靄があって、グイグイ押し切らない。
三人兄弟の末っ子であるこの方が、生来持っている性質なのか。
やさしさとも、甘さとも、情ともつかない。
ふっと訪れる何かが、かすかな哀愁を呼び覚ます。

せっかくのダイヤDAY、お写真をもう少し載せてから終わります。

切れ味鋭く、血は熱く。
(当日群舞「関東流れ唄」より)


姿やさしく、ほんのり甘く。
(当日個人舞踊「他人の関係」より)


まだ30歳だそう。
光の行く手は、なお遠くなお明るい。

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2013年の関東公演でもダイヤさんの芝居が好きでした↓
「お祭提灯」(ダイヤさん三枚目役。当時珍しいと話していた)
「石松裸喧嘩」(勢い溢れる可愛い石松だった)
「風雪親子旅」(力強さの中に、一粒浮かぶ泣きの風合い)

春陽座お芝居「人生双六」

2015.1.1 夜の部@三吉演芸場

雑誌やネットで澤村かずまさんの写真を見かけると。
彼の人情芝居が観たくなる。
きりりと結ばれたまなじりが、感情をせき止められずにじわじわ歪んで、やがて全身が泣きに震える。
この方の演技は、“全身の細胞で浸りきってる”感じに圧倒されるのだ。

今年は元旦から、そんなお芝居に出会えて幸運でした。

澤村かずま座長(当日個人舞踊「羅生門」より)


さすがに元旦くらいは家にいて家族と過ごそう…
なんてカケラも思ってない多数のファンが、三吉演芸場に着いたら日常のような顔をして着席されていた。
私はこういう大衆演劇ファンの基本姿勢が大好きです。

正月三が日は切った張ったの芝居は避けたそう(かずまさん談)。
「人生双六」は、庄五郎=かずまさん、梅之助=心さんの演技がこざっぱりと気持ちよく絡む、友情と親愛の舞台だった。

庄五郎(澤村かずま座長)は仕事が見つからず、途方にくれていた。
着物はボロ切れのようになり、三日も飲まず食わずで、今にも倒れそう。
だが、茶店の前で泥棒(澤村美翔さん)に出くわした。
庄五郎は持ち前の正義感に火がつき、泥棒を捕まえようとする。
そこを通りかかった梅之助(澤村心座長)は、庄五郎のほうを泥棒と間違えてしまう。

なんとか梅之助の誤解を解き、庄五郎は熱弁する。
「故郷(くに)のお母ちゃんが言うてたんや。どんな貧乏してても悪いことしたらあかん!心に傷を持ったらあかん!って」
その言葉を、梅之助はじっと虚空を見つめて聞いている。
やがて、決断した口調で告げる。
「庄五郎はん、あんたの言葉、よう胸に沁みました」
懐から取り出したのは財布だった。

「実はな、これ、百両入ってますねん」

驚く庄五郎に、梅之助は財布を弄びながら続ける。
「先ほどこれを拾いましてな。落とし主の名前も書いてあるし、落とした人はさぞ困っとるやろ、届けなならん、届けなならんと思いながらも、どうしても欲が出て届けることができんで、ここまで歩いてきましたんや」
「でも庄五郎はん、今のあんさんの言葉で目が覚めました。人間は心に傷を持ったらあかん…ほんまにそうや。これ、届けてきますわ」
心さんの語り口は静かなんだけど。
言葉の端々がとっても粋に響いて、梅之助という人物の気持ちの良さを感じさせた。

梅之助が、ニコニコと提案を持ちかける。
「一つ勝負してくれまへんか。互いに今は仕事もない者同士やけど、これから頑張って働いて、5年後にまたお会いしましょう。そのときに、どちらがより出世しとるか、競争しまへんか」
庄五郎は嬉しそうに頷く。
「庄五郎と梅之助、なかなか無い名前の者同士、気が合いそうですね。わかりました。5年間、勝負ですね」
心さんの柔らかな笑みと、かずまさんの力強い笑顔が、夕焼けの風景に浮かぶ。

梅之助は、一文無しの庄五郎にお金をいくらか与えた上で。
さらに茶店のうどんをおごる。
「こんなお金までもらった上、そんな」
庄五郎は遠慮するが、「さぁ」とうどんの椀を差し出され、申し訳なさそうに受け取る。
かずまさんはアツアツのうどんを一口すすって、
「なんでうどん、昼より熱くなってんの(笑)」
なんてアドリブの笑いを入れて、二口目。

かずまさんがうどんを大きく頬張って、ぴたりと箸を止める。
口に大量のうどんをくわえたまま、瞼がねじれそうなくらい強く、ぎゅうっと目をつむる。
照明が落ちて、場はもの寂しい夕闇になる。

仕事にあぶれて、三日も食べられず、ボロボロの着物でさまよい歩いていた。
他人に乞食と間違えられた。
今、口の中いっぱいに温かいうどん。
――誰かがもう一度、自分に親切にしてくれた。
庄五郎の飢えた心から沸き出る喜びが、一直線に客席に伝わってきた。

「心に傷を持ったらあかん」で始まり、うどんで締められる。
この一幕目は、さりげなく、人の心の交わりの極みみたいな部分に行きつこうとしているように見える。
後半、梅之助が婿入りした先の隠居(澤村新吾さん)が、庄五郎にこんな風に言う。
「あんたの話はよう聞いてましたで。毎日、庄五郎、庄五郎と…」
たった一度会っただけの相手の話?5年も経っているのに、毎日?
と、普通なら不自然に思うかもしれないけど。
最初の二人の邂逅を細かく描いてくれたから、納得できる。
心はずっと、あの夕闇の茶店の前に繋がれているのだ。

全然テイストは違うけれど、泉鏡花の短編『外科室』を思い出す。
一瞬目を交わしただけの男女が、9年間互いに愛を抱き続ける話だ。

5年後の再会の日、梅之助と庄五郎は、互いにくしゃくしゃに笑って一言。
「お会いしとうございました…!」
たった一度の出会いが、心に棲み続ける。
交わしたわずかな言葉が、命の支えになり続ける。
恋愛を友情に置き換えると、この日の『人生双六』には『外科室』の輪郭が透けていた。

それから春陽座のお芝居を見ていつも感じるのが、劇中に流れる音楽への強いこだわり。
『人生双六』ではエンディングである大ヒット曲が流れるのだけど、よく聴くと歌詞に“双六”って入っていて驚いた。
かずまさんに伺ったところ、やはりその歌詞ゆえに採用したそう。

毎日淡々と、品よく、こだわりの細工をほどこして芝居を作り続けている。
春陽座の姿勢には、なにか職人めいた姿を見る。

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優しく、まあるく、とびっきり―不動倭座長(剣戟はる駒座〈倭組〉)―

“倭”と漢字にすると勇ましいけれど。
“やまと”という音は、なんと安らかな響きだろう。
“や”が甘い音で、“ま”にとろみがあって、“と”でキュッと締める。

そんな名前の座長さんは、たたずまいも、なんとなく甘やかだ。

不動倭座長(2014/12/21@松山劇場)


遅ればせながら、明けましておめでとうございます!

2015年一つ目の記事は、2014年に書きそびれていた一本。
2014/12/20(土)-21(日)、親戚に会いに四国に行った際、松山劇場にも足を運んだ。

7か月ぶりに〈倭組〉を見て、改めて倭さんの持つ吸引力に驚いた。
「芸はまだまだかもしれませんが、とにかく楽しく!楽しかったなーと思っていただけるお時間を作っていきます!」
常に潤みのある大きな瞳が、客席に降りかかるようだ。

この方の舞台は、なんでいつもこんなに明るいのだろう。
私の体の底にもパッと照射する、陽射しの源はなんだろう?

2013年10月-2014年4月の関東公演を、私は思い返す。
2013年10月の旗揚げ。
いきなり、馴染みの薄いはずの関東周り。
相当に難しいコースだということは、私のぼんやりした知識でも想像できた。

旗揚げ翌月の11月、私は茨城の千代田ラドン温泉センターへ行った(当時の記事)。
駅からかなり遠いためか、夜の部のお客さんは20人程度だった。
そこに、賑やかに鳴り出した、お馴染み『一本釣り』。
ぽつぽつと座ったお客さんを前に、座員さんがずらり揃って、先頭はもちろん倭さんで。
「そーれっ!」
と掛け声に乗せて、元気いっぱいに釣り竿を振る。

「どうしたら茨城のお客さんに気に入ってもらえるのかわからないから、ああしろこうしろと、ぜひ僕たちに言ってください」
倭さんの真摯な口上からは、全身で客席を受け止めようとしているのが伝わってきた。

全身で、全力で。
その土地、その土地のお客さんが喜ぶものを。
旗揚げから辿ったのは、静岡、茨城、福島、秋田、神奈川、山梨、再び静岡。

「12月には福島にも行ったんです。福島のお客さんに、少しでも元気になっていただきたくて」
「これは1月に秋田のホテルこまちに乗ったとき、作った舞踊ショーなんです。秋田のお客さんがとても喜んでくれて、ぜひ秋田の風を持って行ってほしいと言っていただきました」
「我々は3月には山梨に参ります。山梨のお客さんを元気にして、癒してきます!」

丸っこい体つきで、一生懸命を絵に描いたように話される。
あの大きな瞳は、多分、目の前にいるお客さんから逸らされることがない。
“お客さんを元気にするお仕事” から基本の軸がずれないのだと思う。

だから、土地が違えど風土が違えど。
倭さんの明るさは、関東のお客さんの心に灯ったのかもしれない。

1月の秋田では、地元のファンの方に聞いたところ、例にない大入りを出したという。
2月の川崎・大島劇場には私も通った。
日に日に客席が満杯に近づいていくのがわかり、千秋楽は立見も出た。
3月の山梨のスパランドホテル内藤では、口上の最中に、客席後方から呼びかける男性客がいた。
「不動倭座長が面白いって聞いて、僕ら長野から来たんだよ!」
聞いた途端、倭さんは弾かれたように立ち上がって。
広い宴会場を駆け抜けて、一番後ろにいた男性客の所に、まっしぐらに走って行った。
飛びつくように、男性客と固く固く握手されていた。

旗揚げ当時のインタビューでは、こんな風に語られていた。
“自分の考えている世界観がお客さんにどこまで通じるか試してみたいですね”
“それで叩かれても自分で感じながら進化していきたいです”

(『演劇グラフ』2013年11月号)

この方は、舞台でやってみたいことが、とにかくたくさんあるんだろうな。
最近の漫画や映画、大衆演劇以外の演劇も、色々吸収しているんじゃないだろうか。
(名物のコントも、時々シュールな匂いの笑いがあって驚く)

その情熱に感化されたのか。
倭さんの笑顔を見ると、無性に嬉しくなってしまう。
理由もなく、良いことが起きる気までしてくる。

この正月公演は梅南座。
2014年5月から1年開けずの再乗りだ。
昨年5月の梅南座には、ゴールデンウィークを利用して私も行った。
隣席の男性の方が、違うお名前だった十代の頃の倭さんをご存知だと話してくれた。
「今の名前になってからは初めて観た。倭…なかなか良い名前を付けたもんだね。う~ん、良い名前だ」
しみじみと繰り返していた。

「やまとっ!」
かかるハンチョウも、どことなくまろやかな音に聞こえる。
声援を受けて、舞台中央から振り返る、その笑みは。



「や」さしく、
「ま」あるく、
「と」びっきり…
ってところかな?

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昨年も、倭さんのパワーについて書きたくなったことがあります。
⇒客席の手を引いて―剣戟はる駒座〈倭組〉・不動倭座長―