お花と聞こえる声の話

ちゃんと聞いておかないと。
聞き零してしまいそうだから、その一番ささやかな声をちゃんとつかまえておかないと。

写真・とある日の篠原演芸場にて
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「直接現金を演者に貼りつけるって風習は、世界の演劇にも他にないんじゃないの」
座長大会のDVDを一緒に見ていた知人が、大量のお花を“着て”いる、画面の中の壮絶な光景を見ながら言った。
名物だ愛情だ応援だ、いや見栄だ下品だ盲目だ。
お花を巡る議論の周囲には、ときほぐせない言葉の固まりが渦を巻いている。

「あれがあるから、やっぱり大衆演劇は普通の演劇とは別に見られがちなんじゃないのかなぁ。だって舞台中、演技中にお金あげるんだもん」
何度か観劇に付き合ってもらった友人は、難しい顔つきだった。
「好きな舞踊のときにお花がつくと、こう、雰囲気がなくなっちゃってカクッと来ることがある」
別の年下の友人は、複雑そうに呟いた。
役者さんがお花をつけられてキラキラしてるのは決して嫌いじゃないんだけどね、と言い添えて。

確かに、「化粧」の切なさも「転がる石」の覚悟も、諭吉さんの強烈な存在感には勝てないよなぁと、ショーの写真を見返していても思う。

だからなのか、自分の世界にこだわりを持っているベテランの役者さんは、常連ファンには舞台がはねた後で渡してもらうようにしていたらしい。
「突然もらうときは、そりゃもらうけどね。事前にわかっているときは、後でお願いって伝えてた」

あの人、来るたび何万付けてる。それから、あの人は。
お花が一枚ひらめけば、色んな噂も耳にべたついてくる。

ひとまず、それらのざわめきが過ぎ去るのをじっと待つことにする。
静かになってから耳を澄ますと、異なる音も聞こえてくるから。

友人の一人は、たまにお花をつける。
彼女の愛してやまない役者さんの、黒い着物の胸に光るのは、腰痛をこらえて深夜までパソコンに向かい合う彼女の残業代だ。
お花の動機を聞くと、彼女ははにかんだように言う。
「好きな役者さんに喜んでほしいから」
「美味しいもの食べて、あるいは欲しいものでも買って」
「笑っていてほしいんだよね、とにかく」

彼女は、好きな役者さんがどんな生活をしているのか、知らない。
劇場帰りの電車の中、隣に座って、私たちは一緒にぽつぽつ想像する。

初めての劇場だとテンポがつかめなくて、やっぱり気苦労するんだろうか。
地元公演なら友達と飲んだりできるだろうか、いや、自由時間はかなり少ないかも。
劇場が用意してくれるお弁当、美味しいのかな。
あの役者さんの好物がたくさん入ってるといいな。

――笑っていてほしいんだよね。

最近読んだ本の中に、梅沢劇団座長(当時)・梅沢武生さんが、大衆演劇以外の演劇関係者に囲まれて、体験談を話すという座談会の記録があった。
ワンステージで数百万ものおひねりが上がることがある、という話題で座が盛り上がったとき。
梅沢さんはこう語り加えていた。
“そうしたご祝儀というのは、お客さんがどこで役者を助けてやろうというのが本音だったと思いますね。”
入場料を小屋と折半して、電気料やガス料を引けば、座員の給料も満足に払えないという。
“そのことをお客さんの方がよく知ってまして、いくらかずつでも助けになればって感じだったと思います。”
(井上ひさし編『演劇ってなんだろう』筑摩書房1997より)

そんな事情があるからなのだろうか。
長年一人の役者さんを応援しているファンの方々とお話すると、苦笑いしながらお花の話をされるのは。
「自分の好きな子だけお花がつかないと、かわいそうになっちゃうのよ。頑張ってるのにーって」
「一度お花あげるとね、癖になってしまって。もういくら遣ったんだかわからない」
目の奥底に、底なしの慈しみをこごらせて。

“「たとえ食事を一回へらし、みすぼらしい生活をしてでも、応援したい」というのが、狂信的な彼女たちの真情なのだ。”
(橋本正樹「旅役者の基礎知識」『The座』71号 こまつ座)

文章の中に残された息遣いの数々。
今、客席の隣に沈む情の諸々。
それらに手のひらを浸して、私は再度舞台を見上げる。

1月中旬の日曜の夜、木馬館で劇団九州男さんを観た。
ネットで見て、大川良太郎座長が鼻の骨を折る大けがをしたのは知っていた。
手術をされたばかりで、お芝居にも出演なし。

ようやく舞踊ショーの中盤、目に鮮やかなオレンジの着物で、良太郎座長が立っていた。
待ってましたと、待ちに待ったと、場内が熱気に沸く。
そして通路を走るいくつかの影。
舞台下にはすぐに7、8人の列ができた。
曲が間奏に差し掛かったとき、良太郎座長が舞台端に近づいてきた。

ファンの方は、一人一人順番に、サッとつけて、サッと握手して、頭を低くして席に戻られていく。
差し出されるお花ときらきら光るピンから、声が聞こえるようだった。

―早く元気になって―

オレンジの着物の上に重ねられていく、たくさんのお札と封筒、それからメッセージカード。

―どうか元気になって―

お花という独特の風習について、どんな議論があろうとも。
たとえ、それで大衆演劇を悪く言う人がいようとも。
私は、この胸の詰まるような思いに共鳴できない人間にだけは、なりたくないと思う。

お花が舞台に交わる瞬間、舞台の上の芸はきれいなパッケージじゃなくなるかもしれないけれど。
代わって、ファンの途方もない愛情が、スポットライトの中で慕わしげに揺れる。
さっきまで同列の客席にいた方が、お花つけの数秒間、私のまなこの中では燦然と主役たる。
その人がお花を捻出するために、働いた時間、我慢したもの、全部含めて。

私にとっての“主役”に拍手を送りながら、かつて川越で出会った美しいものを思い出しながら。
役者さんの胸元を見る。
夢に溶け入ろうとする数枚の現実が、ただ優しい色を帯びて光っている。

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橘小竜丸劇団お芝居「修善寺の決闘」

2014.1.18 昼の部@川越温泉湯遊ランド

「姿がいい」という表現。
演劇評論でよく目に止まる、役者さんへの褒め言葉。
追分三五郎を演じる橘鈴丸さんを見ていると、自然にこの言葉が浮かんだ。
旅人の着物を軽くまとって、口笛をひゅうと肩の上あたりに流して歩く。
その姿の良さ、姿の粋!

写真・橘鈴丸副座長(当日個人舞踊「ジュリアに傷心」より)


友人と一緒に「演劇グラフ」2月号を眺めていたら。
「この人きれい!かっこいい!関東の役者さんなの?」
彼女の指差した先は、読者の方の投稿コーナーにあった鈴丸さんのお写真。
これがきっかけで、二人して、かの副座長を見に行った。

お芝居「修善寺の決闘」で、鈴丸さんの役どころは清水次郎長の子分・追分三五郎。
次郎長一家は金策に困り、かつて金を貸した修善寺藤五郎親分(ゲスト・大門力也さん)に借りを返してもらえないかと、三五郎が使いに来たのだった。

「おー、着いた着いた……ちょっと酒飲んでいくかなぁ」
三五郎が、舞台袖からひょいと踊り出た瞬間。
パッと空気が軽やかになったのがわかった。
猫みたいに潤む目が、とっても楽しげだ。

鈴丸さんの三五郎は、ちょっとした動作・仕草が、ふと目を引く。
たとえば。
「うう~ん…」
と茶店の椅子に腰かけて、眠たそうに伸びをする、腕の溌剌とした線だとか。
「そんなすぐ酔いの覚める酒じゃつまんねぇな」
酒の銘柄に迷う、軽く寄せられた眉だとか。
「すまねぇ、俺のふところはすっからかんだ!」
言い捨てて、韋駄天走りで茶店から食い逃げする場面なんかは、走る手足の躍動感が、花道を駆け抜けていく。

元気いっぱい、若木みたいなやくざもの。
加えて、女優さんならではの色香が細く絡んで。
ニッと笑う目が唇が、きれいな弧を客席に投げかける。

…素直に超かっこよかった。
超かっこよかった!(大事なことなので二回言った)

特に瞠目したのは、三五郎が修善寺一家を訪ね、若衆の菊松(橘龍丸座長)相手に仁義を切る場面。
「おひけえなすって!」
サッと腰は落とされ頭が下げられ、体が観客のまなざしから隠れるのと反対に、前方に差し出された腕には指先まで力がこもっている。
このときの、“絵”のバランスの美しさ。

以前、「演劇グラフ」で読んだ鈴丸さんのインタビューでは、晴れやかな笑顔からは想像できないほど、これまで大きな苦労をされたようだった。
大衆演劇の世界は、素人の私の目から見ても男性の社会なんだろうなと思う(もちろんそれだけが苦労の理由ではないのだろうけど)。
最近読んでいる、戦後の大衆演劇の本たちの中でも、登場する名優さんはほとんど男優さん。

でも、縞の着物に長ドス差して、手には大きな三度笠。
無数の名優さんが着てこられたであろう、やくざ姿が美しい役者さんは?と自問すると。
私の頭には、先日の鈴丸さんのお姿が焼きついている。
時代って、こんな風にさりげなく変わっていくのかも。

舞踊ショーで「ジュリアに傷心」をリズミカルに踊る鈴丸さんは、ファンの女の子たちから高い歓声を受けていた。
当の私も、「今のめっちゃかっこよかった!今の!」と興奮気味に友人を振り返っていた。

笠の下から町の景色をのぞいて、縞の着物で飄々と歩く。
かの女優さんの追分三五郎、その姿の優しさ。

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劇団KAZUMA「紺屋高尾」② ―柚姫将さんの高尾役―

2014.1.5 昼の部@京橋羅い舞座

写真・柚姫将さん(当日個人舞踊「たまゆら」より)


明日の新作では、将さんが花魁役!
と、前日の夜の部の際に伺ってから、ワクワク感が半端じゃないことに。
お芝居で花魁ってことは、花魁衣装+花魁言葉のコラボじゃないですか。

前日の夜は大阪最後の夜を楽しもうと遅くまで飲んだので、ホテルの目覚ましアラームが鳴ったときは泥のように眠かった。
だけど脳裏で、あ、今日将さんの花魁、と思ったらスッと体が起き上がったので、我ながらよほど楽しみだったんだなぁと思う(笑)。

前の「紺屋高尾」①でも書いたように、高尾太夫が実際に登場するまでがけっこう長め。
だから、うずうずと焦らされてる間に、久蔵にしっかり感情移入できる作りになっている。

いよいよ久蔵と高尾の対面の場面。
舞台右手で緊張しきっている久蔵に向かって、左手から高尾が現れる。
頭にはごってり桃色を放つ太い簪、豪奢な姿が大ぶりに舞台に咲いて、わぁと内心声を上げた。

最初、高尾の言葉は鷹揚で、口数は少なめだ。
「いつ?」
久蔵が、え?と聞き返せば、
「次は、いつ?」
三年経ったらまた来ます――
蚊の鳴くような久蔵の言葉を聞いて、
「三年は長いざぁます…もっと、早く」
高位の花魁というだけあって、高尾の表情は動かない。
それは、久蔵の思いの丈がこもった独白が始まっても、同じだった。

「三年前に一目見たときからどうしても忘れられず、この三年、十五両貯めれぱ花魁に会える、それだけ、そのことだけを考えて働いてきました…」

じいっと聞いている傾城の横顔は、綺麗だけど近づきがたく。
何を考えて聞いているのか、気になって仕方なかった。

だからこそ、胸の底から晴れていくような気がした。
「ぬしの女房に、なりに行きましょう」
この言葉を聞いたときは。
硬直していた二人の空間から、奇跡の糸がゆるりと伸び、温かく脈打っていく。

当惑の限りを尽くした顔の久蔵に、花魁は凍りついたかんばせをくしゃっと崩し、歯を見せて笑む。
「ぬしの正直に、惚れんした!」
このセリフと、将さんの横顔の笑み。
その瞬間、パッと心に爆ぜた、安堵感といったら!
高尾の慈しみに満ちた人格が、弾けるように伝わってくる。

高尾は、三十両と証拠の髪差しを丁寧に包んで、久蔵に手渡す。
「あちきという女がいるのだから、もうこんな店へは来てはなりませんえ」
別れの言葉に、うっすら迫力じみたものまで滲ませるのも、根底には情の厚さがあるから。
この情があってこそ、高尾の印象は、濃く深い。
「来年、三月十五日!」
将さんの切れ長の目に、生き生きと意志が光り始める。

それから、一番感情が盛り上がる最後の場面。
花魁の重い衣服を脱ぎ捨て、高尾は晴れやかな訪問着(この着物の白がまた美しいのだ)で紺屋を訪れる。
「久さん、…元気?」
久蔵は感動のあまり立てなくなってしまう。
佑馬さん演じる親方が、久蔵に「太夫を大事にしなきゃいけないぞ」と説き、久蔵が泣き混じりに頷いている横で。

――ふと見ると、立っていた高尾はしゃがみこんでいる。
久蔵の位置まで腰を下ろして、膝を地につけて。
まなざしの高さを、久蔵に合わせて。

この間まで、豪華絢爛な衣装を纏っていたこの人が。
夫になるべき人に寄り添って、あっさり膝を突く。
そのさりげないゆかしさ。

高尾太夫は、考えてみればかなり破天荒な性格だ。
いくら久蔵の誠実な思いに感動したからって、いきなり初対面の紺屋に嫁入りを決断してしまうのだから。
その行動が、将さんの創り出す高尾太夫の輪郭を見ていると、なんとなく納得されるのだ。

ただ綺麗な女形で花魁役というのではなく。
心親しさに満ちた将さんの高尾太夫を見ることができたから、「紺屋高尾」は大好きな一本になった。
遠征最終日はいつも寂しいけど、今回は甘やかな物語を胸いっぱいに収めて、幸せ気分で帰路に着いた。

年明けの遠征記事はこれにておしまい。
京橋でも、たくさんのファンの方にお世話になりました。
お萩と友人に親切にしてくださった方、お土産を持たせてくださった方、幕間に楽しくお喋りしてくださった方、ありがとうございました。
ドーナツもお煎餅もおかきもラーメンも美味しかったです!(結局食い気)

次にKAZUMAの客席の一員になれるのはいつの日か…
まぁそんなに長いこと我慢できず、数か月後にはしれっと感想記事を書いているような気がします。

劇団KAZUMAの皆さまは、ちょうど中日を終えたばかり。
今日も元気に楽しくやってらっしゃるのだろうな。

彼らの旅生活に一つでも多くの楽しい出会いがあればいい、一つでも多くの喜びが転がっているといい。
遠方のファンとしては、ただそれを願うのみ。
いただいた幸せな舞台景色を、一つ一つ思い出しながら。

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劇団KAZUMA「紺屋高尾」① ―藤美一馬座長の久蔵役―

2014.1.5 昼の部@京橋羅い舞座

「会えるんですね、会えました、会ってもらえるんですね」
叶わない恋に、それでも指を伸ばして。
届かない夢に、それでもにじり寄って。
久蔵(藤美一馬座長)が、三年の労苦の果てに、ようやく目にした片恋の相手。
喜びと切なさが混ぜこぜになった、涙のセリフ。

写真・藤美一馬座長(当日太鼓ショーより)


劇団KAZUMAの新作「紺屋高尾」は、書いてたら語りたいことが多すぎたので、久々に記事を①②に分けた。
優しく、甘く、ほろほろ溶ける、砂糖菓子のような掌編。
ああ本当、この日まで大阪に残ってよかった…

物語は、紺屋=染物屋の久蔵(藤美一馬座長)が、布団の中で熱に浮かされている光景で始まる。
「俺の病は、お医者様でも草津の湯でも治せないんです…」
久蔵は、花魁の行列を見て、高尾太夫(柚姫将さん・女役)に一目ぼれ。
だが職人の久蔵が、高位の傾城とお近づきになれるはずもない。
というか、一目会うことすら、財布を投げ打っても叶わない。

悩んだ末、寝込んでしまった久蔵。
が、紺屋の親方(龍美佑馬さん)の助言で飛び起きる。
「高尾太夫は、一目会うのに十五両ってところだ」
「お前だったら、まぁ、三年必死に働けば、十五両貯まるだろうな」

――三年後。
ただ一つの目標に向けて、がむしゃらに働いてきた久蔵は、いよいよその日を迎えた。
「親方、私の十五両、出してもらえませんか」
久蔵の表情はそわそわ、照れとためらい混じり。
「お前、三年かかって貯めた十五両を、一日で全部使っちまおうってのか!」
最初は戸惑い気味だった親方も、最終的には諦める。

久蔵の吉原への案内役として、ヤブ医者の竹庵先生(冴刃竜也さん)が登場する。
「その爪は、隠したほうがいい。すぐに紺屋だとバレてしまうぞ」
竹庵先生に言われ、染色に汚れた爪を隠して。
「その職人の言葉も隠さなきゃ駄目だ。お前はわしが言うことに、ただ“あいあい”と答えていればよい」
“あいあい”の練習までしたりして。

久蔵のひたすら一所懸命な思いはただ、三年前に一目見たきりの、かの人のため。
その姿を見ていると、頑張れー!と応援したくなってくる。

舞台は、肝心の対面へ。
緊張に凝り固まった久蔵の前に、三年越しの望み、艶やかな高尾太夫がしずしずと現れる。
(将さんの高尾太夫については②でガッツリ書きたい)

久蔵は最初こそ隠していたものの、高尾に不審の目を向けられ、ついに洗いざらい真実を打ち明ける。
「俺は、本当は紺屋の職人なんです。指は染物で汚れております…」

一馬座長は畳に手をつく。
三年経ったらまた来ます、また十五両貯めて来ます、と打ちつけるように吐露する。

「それまでこの広い江戸の空の下、たまたま街で俺を見かける、そんなこともありましょう」
「そのときは、どうか花魁、たった一言“久さん、元気?”と声をかけてほしいんです。どうか、無視だけはしないでください…」
「その一言だけを楽しみに、これから先の人生を生きていくことができますから」
どうか、花魁、どうか。
肩を震わせて、涙を零して。
一縷の望みが、一馬座長の身体から迸る。

…そして、正直な男に奇跡が降ってくる。
「来年三月十五日」
「あちきは年季が明けるんです」
「そうしたら、ぬしの女房になりに行きましょう」

――ぬしの正直に惚れんした。
破顔一笑、花魁の心が降ってくる。

“嬉しい”、心底そう思っている自分にびっくりした。
お芝居を見ていて沸く思いが、楽しいとかおかしいとかじゃなく、“嬉しい”だなんて。

それは、前半でたっぷり見せてくれたからだ。
久蔵が三年間必死に働いて、高尾への思いを募らせていく様子を。
親方、竹庵先生、最初に出て来る医者(華原涼さん)、職人仲間(まだ名無しの新人さん)…
色んな人が久蔵を取り囲んで、呆れながらその恋の面倒を見てきた様子を。
お芝居前半で繰り広げられた、あれやこれやの風景が、気づけば小舟のように、私の感情を久蔵の心と同じところに運んでいて。
叶わないはずの夢が叶った、ありえない望みが報われた、そんな至上の喜びが流れ込んでくる。

このお芝居の幸福感は、“来年三月十五日”の場面で結露する。
約束通り、久蔵の紺屋にやって来た高尾。
感激して高尾の帯にしがみつく久蔵に、あの言葉が降り注ぐ。

「久さん、…元気?」

たった一つの夢だもの。
たった一つの望みだもの。
手の届かない傾城が、優しい顔で振り返ってくれる。
そんな奇跡だって、きっと人生には起こりえるのだろう。

久蔵は、感動のあまり言葉に詰まる。
一馬座長の口をぱくぱくさせる表情がおかしい。それを上回って愛しい。
そしてようやく絞り出す、
「元気…」

この場面について、口上で一馬座長が、「あんたの“久さん、元気?”で泣きそうになったわ」と将さんに言っていた。
私は泣きそうどころか客席で普通に泣いてましたよ!

この一週間、大衆演劇ファンの友人にはもちろん、そうでない人にまで、とっても幸せなお芝居を見た!と「紺屋高尾」についてウキウキと話しまくってきたところ。
花街の歴史に詳しい知人が、教えてくれた。
高尾太夫は実在で、「紺屋高尾」は十八世紀初期の実話に基づいているのだそうだ。
恥ずかしながら、これまで完全な創作だと思い込んでいました…

もちろん伝説みたいなもので、どこまで本当かわからないけど。
このくすぐったい奇跡が、いかに人々の口の端に上り、大切に語り継がれてきたか。
人気の落語になり、浪曲になり、お芝居になるまで。
想像すると、三百年前の人々の憧憬は、とても近いところにある気がする。

遠征仲間もこのお芝居は気に入って、二人で東京へ帰る新幹線の中でずっと、「紺屋高尾」の話をしていたくらいだ。
彼女もしみじみ言っていたのが、「高尾太夫は良かった。本当良かった」。
さて次の記事では、ファンとしては話したくってしょうがない、将さんの高尾太夫について語ります。

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劇団KAZUMAお芝居「平公の恋は浜の兄弟」&客席の縁の話

2014.1.4 夜の部@京橋羅い舞座

鼻が、間抜けに真っ赤につぶれている。
だから平公(藤美一馬座長)の顔は、いつもピエロみたいに人の笑い心をくすぐる。
でもそれって、実は切ないと思う。
「俺はお美代ちゃんの、ひひなずけ(いいなずけ)」
何を言っても、はひふへほと音が抜けてしまうって、実はけっこう哀しいと思う。

写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


遠征3日目、「平公の恋は浜の兄弟」は、恋愛を中心に据えた喜劇だった。
浜に暮らす兄は平公。
弟は京造(冴刃竜也さん)。
そして、二人から焦がれられるヒロインがお美代(霞ゆうかさん)。

平公は、幼い頃にお美代ちゃんを洪水から助けたとき、鼻を岩に派手にぶつけた。
それが原因で、今も真っ赤につぶれた鼻、ハ行に抜ける声。
「お前はもう、はえれ!…いや、なんで入って来るんだ。俺ははいれ(入れ)って言ったんじゃない、はえれ(帰れ)ってひってんだ(言ってんだ)」
一馬座長の三枚目役は、安定のゆるゆるした面白さで。
最初のうちは、ただ笑っていた。

でも、見ているうちに、かなり本気で平公が可哀そうになってきた。
だって、彼は何をしても、鼻と声のせいで道化にしかならないのだ。
お美代ちゃんに結婚を申し込んでも。
お美代ちゃんを奪う京造が憎くてならず、包丁まで(!)持ち出しても。
「京造お前、お美代ちゃんと、わかへろ(別れろ)」
どんなに真剣な思いも、苛烈な怒りすらも、赤鼻の前に霧散してしまう。

荒くれ者の虎(藤美真の助さん)にさらわれたお美代ちゃんを、またも命がけで助けたのに。
それでも、どうあっても、結局好きな人が選ぶのは、弟の京造なのだ。
「なんで俺は貧乏くじばっかり…」
そう零す平公の姿に(これはすぐギャグに回収されるんだけど)、胸のしまるような哀切を感じてしまった。

古今東西、顔に強烈なコンプレックスのあるキャラクターって、大抵問題を抱えているのは鼻だ。
大学時代から心にしまっている、フランスの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」といい。
中学時代に図書館で見つけて、強烈なインパクトを食らった芥川龍之助の「鼻」といい。
顔のまん真ん中のパーツに、くすんだ自意識を抱えている彼らが、一馬座長の演技を見ながらよぎっていった。
真っ赤な鼻は、哀しいクラウンのシンボル。

――っていうような、めっちゃ頭固いことを、すぐ私は考えてしまうなぁ…。
悲劇好き、泣けるお芝居大好きの性質のためなんだろうか。

平公と虎とダンス対決の場面とか、普通に爆笑ポイントもたくさんあった(あの場面の真の助さんの表情が面白すぎて忘れられない)。
強い女性が大好きな友人は、平公に想いを寄せるワカメちゃん(柚姫将さん)をすっかり気に入ったみたいで、始終幸せそうだった。

早いもので、翌日は東京へ帰る日…。
カラフルな京橋羅い舞座の客席にも、ちょっとずつ馴染んで来たところだったのに、もうお別れ。

それでも、わずかな日数の間に、客席で得られた思い出もあった。
たとえばこの夜、私の隣の方は、劇団KAZUMA初めてという方だった。
私が東京から来たんです、と言うと目を丸くされて、幕間に色々聞いてきてくれた。
「どの方が花形?あの将さんって人?」
「あの背の高い方はなんていう名前?」
「座長さん、ええなあ。とってもええ」
舞踊ショーのいつもの太鼓タイムの後、目を細めておっしゃった。
「この劇団、なかなかええやん。見どころが多くて、楽しい」
ふふ。にんまり。

劇場の客席に、薄く広がる縁。
昼夜3時間限り、同じ舞台を見つめて、同じ感情の波を受け止める縁。
その薄布のような淡い繋がりに、私は深い愛着を覚える。
舞台が終われば、それじゃあ失礼します、また見かけたら声かけてください。
コートを着ながら会釈して、あっさり終わり。
3時間の喜怒哀楽を分け合った縁は、それでも袖摺り合うよりは多少強い。

もちろん、あの広まりの中には、こんな優しい繋がりだけがあるわけじゃない。
遠征中のある日、芝居の時もショーのときも、後方の席で騒々しく叫ぶ人がいた。
興奮気味で、何を言っているのかわからない。
うるさいなぁと周囲の人たちも、露骨に眉をひそめていた。
私は、せめて舞台上の皆さんにはあまり聞こえていないといいと思いながら、芝居のセリフに叫び声が重なるたびにハラハラしていた(実際はしっかり聞こえていたらしい)。
ラストショーのときには、叫び声は一段と大きくなり、なかなか舞台に集中できなかった。

悲しくなった。腹も立った。
でも、友人の見方は違った。
終演後に友人と飲んでいたら、叫んでいた人について「可哀そう」とまじめな顔で言った。
「興奮してたってことは、すごく劇団KAZUMAが好きなんだと思う。でも、他のやり方がわからないんだろうね。好きな劇団の舞台を、周りと楽しくシェアできないなんて、可哀そうだ」
――自分の浅慮を反省。
私は大衆演劇に人情を求めてるくせに、情の深さが全然足りない…

色んな人が、色んな思いを抱えて劇場に来る。
その中から、私の指は、優しいものをいくつ掬い取れるだろうか。

さて、残る1/5(日)は京橋遠征最終日。
お芝居は新作「紺屋高尾」!
この「紺屋高尾」が好き過ぎて、見てから一週間経つ今も、思い出すたびに幸せな気持ちになる。
気合いを入れて書いていきます。

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劇団KAZUMAお芝居「孝行小判」

2014.1.3 昼の部@京橋羅い舞座

登場時間は、わずか10分にも満たない。
なのに強烈な笑いの種を残していったのが、華原涼さんの十手持ち役だ。
殺人の現場に呼ばれ、仏の体を確かめる。
神妙な顔で振りむいて、
「死んでるじゃないか!」
だから呼ばれたんでしょうに…!(笑)

写真・華原涼さん(当日舞踊ショーより)

涼さんの女形は帯飾りとか頭飾りとか、キラキラした小物がいつも楽しみ。

遠征2日目、「孝行小判」はよくやるお芝居らしいのだけど、私は初見。
かしましい大工さんたちのお話だ。
次期親方の源吉(柚姫将さん)、親方のお嬢さんと恋仲の清吉(冴刃竜也さん)、新入りの三公(藤美一馬座長)。
この3人の大工の、わちゃわちゃした諍いを中心に進む…と思いきや。

親方(龍美佑馬さん)が、お嬢さん(霞ゆうかさん)と清吉の仲を認めた辺りから、雲行きが怪しくなってくる。
お嬢さんを慕っていた源吉には、苦い嫉妬の火がつく。
「どれだけ俺が、あのお嬢さんに恋焦がれていたか…」
「清吉がお嬢さんといちゃついてる横で、親方の仕事なんてできるか!」
そして、源吉の手には尖った大工道具。
不意を突かれた清吉は、あっけなく倒れ伏す。
のんびりした大工さんたちの風景は、殺人事件に変化してしまうのだ。

ここに呼ばれるのが涼さん演じる十手持ち。
親方・お嬢さん・犯人である源吉に囲まれて、きりっとしまった顔で清吉の亡骸を調べる。
その様、いかにも切れ者そう…
が、凛とした声で告げる言葉は、
「実はこういう事件は初めてなんだ!」
ええー。

そこでもう一つの事件が発覚する。
親方の家から、大枚の小判が盗まれていたのだ(盗みの真相は事前に観客にはわかるようになっています)。
「きっとこの盗みの犯人も、清吉を殺した奴と同じに違いありません」
源吉が、しれっと何食わぬ顔で申告するも。
涼さんの目が、驚愕に丸く開いて。

「ちょっと待てどういうことだ、殺しのほう一つだけでも大変なのに、二つもあるのか!」
「殺しも盗みも、こっちもあっちも、二つも解決しなきゃいけないのか!」

このセリフと涼さんの表情が、何より私のツボに入って。
観劇後、友人と何度このセリフを言い合ったかわからないくらいだ。

しかし涼さんの三枚目役は、なんであんなに爆発力があるんだろう?
思うに、あの太い良い声の果たす役割が大きいのじゃないかな。
品のある、重低音の、風格すら醸し出す、全てを承知したような声。
それで言う内容が、
「二ついっぺんにやるとわけがわからなくなるからな。まずは殺しのほう、一つだけに集中させてくれ!」
……このギャップがどかんと来る。

言うなれば、漫画『銀魂』のハードボイルド刑事のおかしさと同じ原理だ。
“その顔は絶対仕事できる奴の顔だろう!なのにどーして全然できないの!”っていう笑いの生み方(『銀魂』知らない方ごめんなさい)。

ところで「孝行小判」は、他の劇団さんでもよくやる定番のお芝居だそうですね。
先日、長いこと尊敬していた、文筆家の橋本正樹さんとお話しする機会に恵まれまして。
橋本さんは11月に新開地で劇団KAZUMAをご覧になって、そのときのお外題がこの「孝行小判」だったとのこと。
三河屋桃太郎さんや博多淡海さんなど、歴代の名優さんたちが演じてきたお芝居だと伺った。

筋自体の膨らみが大きくて、三公のとぼけぶりや源吉のしたたかさなど、キャラクター的な見せ場がいっぱい。
だから、そのときの舞台の空気で誰にでもスポットが当たりそうな気がする。
劇団KAZUMAでも再度観たいし、他の劇団さんでも観てみたいな。

「今年は喜劇を中心にやっていきたい」と話されていた藤美一馬座長。
特にお正月公演は、喜劇づくしだった。
KAZUMAの安らかな喜色の風景を、文章に乗せるのはなかなか難しいけど、少しでもあの温もりが伝わることがあれば幸せです。

次の記事は遠征3日目、ちょっと切なさ混じりの恋のお芝居でした。

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劇団KAZUMAお芝居「男一匹千両のぼり」&新年のご挨拶

2014.1.2 昼の部@京橋羅い舞座

彼らの舞台を見るまで、私たちの新年は明けまい!
そう語った相手は、いつもの遠征友達。
二人して新宿駅から元日深夜の夜行バスに乗り込んで、朝、目覚めればそこは浪花の街。
初めて訪れた京橋・羅い舞座の客席には、カラフルな座布団が楽しげに並んでいた。
ブランチのトーストをかじりながら、うずうずと12:00開演を待ち、ようやく開いた幕の向こうは劇団KAZUMAの三番叟!

写真・当日ミニショー「三番叟」より


というわけで、1/2(木)~1/5(日)、ずっと楽しみにしていた京橋遠征に行って参りました。
今回見た4本のお芝居は、たまたま全て初見のものだった。

遠征初日のお外題は、「男一匹千両のぼり」。
幸運だったのは、しょっぱなから柚姫将さんの悪役が見られたことだ。
しかも、容赦なく、清々しいまでに真っ黒な、同情の余地のないタイプの悪役。
正月2日目から、(私にとっては)なんて縁起のいい!

写真・柚姫将さん

せっかくなので、凛々しい三番叟のお写真から。

将さん演じる源十郎は、やくざ一家の代貸し。
親分(華原涼さん)の妻である、おしん(藤美真の助さん・女役!)と間男している。
「あの親分がいなくなれば、この家は俺たちのもんだ…」
野望のため、源十郎とおしんが虎視眈々と狙うのは、親分の妹のおぬい(霞ゆうかさん)が持っている、大事な家系図だ。
家系図を持って逃げたおぬいを、源十郎は追いかける。

「かわいがってやるぜ…」とか「コラてめぇ!」とかチンピラ全開のセリフに、将さんの悪役に特有の、低音の巻き舌が絡むのが聴いていて心地よい。
幕間で、隣席の友人も「あの巻き舌は良いよね」と耳打ちしてきて思わず笑った。

序盤はダークな悪企みの場面だけども、中盤に渡し守の老人・甚兵衛(藤美一馬座長)が登場してから、一気にこのお芝居は喜劇になる。

写真・藤美一馬座長

新年一発目の更新なので、お写真も普段より多めに。

甚兵衛は逃げてきたおぬいをかくまい、追ってきた源十郎を足止めする。
この足止めの仕方が傑作なのだ。
「ここら辺りに、十七、八歳の娘が逃げてきただろう―」
と源十郎が言うが早いか、
「十七、八歳…!わしもあの頃は良かったなぁ、元気いっぱいじゃった、今じゃ八十歳じゃ」
と、甚兵衛はとぼけたようにまぜっ返したり。
「だからな、十七・八歳の娘がここに―」
「十七、八と言えばなぁ、わしはモテてモテてなぁ、そりゃあもうなぁ、いや、あの頃は良かった…」
と述懐を始めたり。
源十郎はなんとか話を進めようとするも、“十七、八歳”のところで必ず甚兵衛の茶々が入るもんだから。
なんとかして「十七、八歳の娘がここに来ただろう」って最後まで言い終えるのが目的みたいになっていて…あれ、何やってたんだっけ?おぬいは?(笑)

それから一番面白かったシーン。
源十郎に家系図を奪われてしまっても、甚兵衛は少しも慌てない。
「ありゃあな、偽物じゃ。見てみい、赤いじゃろ、派手じゃろ、あんなもんが本物のわけあるかい」
息子の佐太郎(冴刃竜也さん)を引き寄せながら、源十郎に聞こえよがしに言う。
「いけんいけん、悪い奴が聞いとる、こっち来い、こっち」
一馬座長は竜也さんの腕を引っ張って、ずいずい舞台の端っこへ。
そして、客席へトコトコ降りて来る!
「本物の家系図はなぁ、ちゃんと親分からわしが預かっとるんじゃ」
「ほらコレじゃ、黒いじゃろ、あんな偽物とは重みが違うじゃろ」
打ち明けつつ、客席をぐるーり一周。
羅い舞座の客席の視線は、ひそひそ話をする一馬座長と竜也さんを追っていて、次第にさざめきのように広がる笑い。

「十七、八歳の娘…」の場面にしても、家系図の偽物本物の場面にしても。
一馬座長は、一見ありきたりな会話の中で、ふいとおかしみを膨らませる。
いかにも笑いのポイントが用意されていそうなところじゃなく、そこで?!そこで笑い取るの?!みたいな箇所で仕掛けてくるから油断できない(笑)
今まで観たのも含めて、KAZUMAの喜劇は、ドラマツルギーからひょっこりはみ出した部分におかしさが詰まっていると思う(例・「馬の足玉三郎」)。

それで最終的には、源十郎とおしんの裏切りは親分にばれる。
源十郎は、親分と若衆3人の白刃に晒されて、絶体絶命。
将さんの、
「俺一人、正月2日目から悪者ってことかよ…!」
という苦い呟きは、客席にしっかり笑いを起こしていた。
初日から良いのに当たったなあ…

舞台の後は、KAZUMAの皆さまと、再会できた常連さんに、「明けましておめでとうございます」とご挨拶して。
ようやく、お萩の新年が始まりました。

そして、今年もこのブログを読んでくださる方、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
大衆演劇にハマって1年半、お芝居にも舞踊にも、客席の親しさにも、私はますます強く惹きつけられるばかり。
舞台に客席に、絶え間なく現れる人間の姿のやさしさ、心のあり様。
それらが語られることなく、明日にはあぶくのように消えてしまう。
それがあんまりもったいなくて、ただ自分の感性一つで、感じたことを綴っています。
2014年もコツコツ勉強しながら、あくまで心楽しく、書いていきます。

まずはしばらく、KAZUMA遠征@京橋の記事にお付き合いくださいませ。

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