桐龍座恋川劇団お芝居「お家はんと坊っち」

2013.11.24 夜の部@篠原演芸場

「芝居はね、あのお父さんが出てないと、あたし物足りないのよ」
私もです!
10月、出張帰りの温泉センターで出会った方と、大衆演劇談義をする機会があった。
桐龍座恋川劇団に話が及んだ時、最も意気投合したポイント。
恋川さんちのお父さん、初代・恋川純さんのことだ。

写真 初代・恋川純さん(当日舞踊ショーより)


昨年恋川劇団を初めて見たときから、私はこの初代さんが最も贔屓だったりする。
醸し出す雰囲気からユーモラス。
特に面白いことを言ったりやったりするわけではないのに、なんか可笑しくて笑ってしまう。
たとえば、名舞台だった11/25(金)の「一本刀土俵入り」では、舟大工の役を演じていた。
「なんだあ?」
仲間に呼ばれて、船のセットの上からひょこっと初代が顔を出しただけで、会場はワッと笑う。
あの、独特の可笑しさはなんだろう?
深い笑い皺を作りながら演技する初代さんを見ていると、わけもなく楽しくなってくるのだ。

11/24(日)の夜のお芝居「お家はんと坊っち」は、大門力也さんが立てられたそう。
初めてのお芝居だったと、終演後の二代目の口上で聞いて驚いた。
初代さん=お家はんと、二代目=坊っちの絡みは、もうすっかり練り上げられたように見えたのに。

お家はんは、商家・河内家のおばあちゃん。
旦那さんを亡くした後、店を自らの手で切り盛りしてきたゆえに、守銭奴で決まり事に厳しい。
「丁稚にいい着物を着せるなんてもったいない。世間のお人に遊んでると思われますがな」
いわゆる“意地悪ばあさん”の典型のひとつだ。

でも、初代さんが白髪の鬘を被って、大仰に目玉をくりくりさせながら演じると、憎めない温かみを放つ。
…ばかりか、可愛く見えてきたりもする。
「それが河内家のし・き・た・りというものです!」
床をバシンバシンと叩きながら、口癖を繰り返すお家はんに、会場は爆笑。

そのお家はんが溺愛するのが、孫の菊太郎(二代目・恋川純さん)だ。

写真 二代目・恋川純さん(当日舞踊ショーより)

お写真で見ると、改めて、二代目が目で語る感情の量の多いこと。

菊太郎は通称菊ぼん。
まっすぐな気風のいい青年で、河内家の実質的な主人でもある。

唯一お家はんに意見できるのも菊ぼん。
女房のお広(鈴川桃子さん)が出産のために実家に帰る際、お家はんは険しい表情でこう告げる。
「お広さん、後継ぎの男の子を産めないのなら、そのときは菊ぼんとは離縁や」
女房に草履を取ってあげようとした菊ぼんにも、非難がましく言う。
「なんであんたが草履取ってあげないかんの、裸足で帰らせえ」

だが菊ぼんはきっぱりと、
「おばあちゃん、今お広は離縁されて赤の他人になりました」
「赤の他人に草履すらお出ししなくては、それこそ河内家の恥なのではないですか!」
気持ちよく決める二代目に、二代目!と声がかかった。
二代目がこういう爽快なキャラクターを演じると、強い眼光がきりりと光ってますます清々しい。

しかし、お家はんが菊ぼんにのみメロメロなのが、つくづく可愛らしいと思う。
菊ぼんに「おばあちゃん、ちょっと話したいことがあるんや」と言われれば、
「なぁに、話ってなんや」
と喜色満面で可愛い孫を見つめる。

初代さんの浮かべる喜びの表情は、ちょっとすごい。
全ての表情筋で、全ての皮膚で笑んでいる。
ニコニコ、なんて擬態語では足りない。
にっこぉ、と場の空気を喜色に塗り替える。
思わずこちらの笑いもぐいぐいと引きずり出されてしまうような、引力の強さ。

30~40年前の大衆演劇関連の本を読んでいると、「恋川純」の名前にちょくちょく出くわす。
若い頃からお芝居の上手い人気役者だったそうだ。
今、二代目はもちろん、勢いに乗っている恋川劇団の若手さんたちを見て、どんな感慨があるのだろう。

「それが河内家のし・き・た・りなんや!」
丁稚役の恋川風馬さんとイキイキと絡む初代さんは、好々爺の面差しそのものだった。
その深い深い笑顔を見つめながら、私もにんまり。

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桐龍座恋川劇団お芝居「一本刀土俵入り」

2013.11.15 夜の部@篠原演芸場

「なあに、(おっかさんの居場所は)お墓さ…」
若き二代目・恋川純さんの駒形茂兵衛は、少年だ。
「故郷(くに)が遠いんだよ。越中富山から南へ六里、山の中さ」
鈴川桃子さんのお蔦さんは、少女だ。

故郷を、親を恋しがる、子どもの心がふたあつ。
我孫子屋の二階の窓から、ぼうと浮かび上がる。

写真・二代目恋川純さん(当日個人舞踊「時代遅れ」より)


写真・鈴川桃子さん(当日個人舞踊「空に刺さった三日月」より)


桐龍座恋川劇団のお芝居がすごいらしい。
二代目が、この東京公演ではとにかくお芝居に注力していて、初めて演じる特選狂言をガンガン予告しているらしい?!
恋川さんに大ハマリ中の知人からそんな話を聞きつければ、心はそわそわ。
「金曜日、一本刀土俵入りだって」
聞いた瞬間、金曜の早朝起床を決意した。
もちろん、早め出勤⇒早め退勤⇒18:00篠原の実現のため!

集客が難しい(らしい)金曜の夜でも、篠原演芸場は満杯だった。
この日はミニショーなしでお芝居からの開演。

――長谷川伸の名作「一本刀土俵入り」!
幕が開いた瞬間、ひんやりした心地よい感じの緊張感が、舞台にも客席にもみなぎっていた。
舞台の側は、初めての特選狂言に気合十分。
序幕の、鈴川かれんさんたち酌婦のお喋りの風景も美しい。
一方客席の側は、力を込めたお芝居に目を見開いて、花金の夜にも詰めかけている。

ああ、お芝居が始まる。
真剣なお芝居が、真剣に感動を求めて来た客席の前で始まる、その清々しさが肌に感じられた。

「すみませんが、水を飲ましてもらえませんか」
空腹にふらつきながら登場した茂兵衛=二代目・恋川純さんのお顔は、ほとんどスッピン。
ふっくら気味の輪郭が、子どもの健やかさを連想させるせいか、22歳よりあどけなく見える。
加えて、朴訥な喋りをするもんだから。
「故郷のおっかさんの墓の前で、土俵入りをしてみせたいんだ」
「それができたら、わしは、もう、いいんだ」
とつぶやく姿に、滲む風情は子どものいじらしさだった。

そして私は、鈴川桃子さん演じるお蔦さんにも、同じ童心を感じたのだ。
個人的に「一本刀土俵入り」の白眉だと感じる場面は、お蔦さんが自分の簪と櫛を扱帯に包んで、茂兵衛に渡す場面。
私が愛してやまない、フィクションにおける“無私の贈与”の結晶のよう。

だから恋川さんがこの場面をどう見せてくれるんだろうと、最も楽しみにしていた。
「お前さん、大めしぐらいだろうから、それじゃ足りないだろう。これも持ってお行き」
桃子さんが、簪と櫛を抜いて、赤い扱帯にくるむ。
体を乗り出して、二階から茂兵衛のいる地面に、扱帯をしゅうっと垂らす。
「持って行くんだよ、さあ受け取んな」
舞台の真ん中を、赤い一筋の温情が縦に流れる。
この絵の見事さ。
扱帯が、赤というのがたまらなく良い。
赤色の素直な華やかさは、少女を連想させるからだ。

桃子さんは、序盤では、お蔦さんに退廃的な雰囲気を被せて演じていた。
というのも、お蔦さんは、“すべた”と街の連中から蔑視されている。
自分でも、“酌とり女”だと自嘲している。
「おらちゃ友達、さたねの花よ…」
越中八尾の小原節を歌っても、故郷はただ遠く、諦めの向こうに霞むばかり。

でも、突如現れた茂兵衛は違った。
故郷のおっかさんの墓の前で晴れ姿を見せたいと、飢えながらさまよいながら、それでも関取になろうとしていた。
だからお蔦さんは、持てる限りの全てを包んで、茂兵衛に渡す。
故郷を恋しがる、自分の幼心を包んで、同じまなざしの下に預ける。

舞台を縦に割る、赤い扱帯を見つめながら、そんなことを考えていると。
静かに茂兵衛とお蔦さんのやりとりに聴き入っていた客席から、ぱちぱちと拍手が一つ起こった。
連鎖するように拍手の数は増えていった。
「わし、こんなに優しくしてくれる女の人に初めて会った」
二代目が、目元をくしゃくしゃにして、ぎゅっと抱きしめるように櫛と簪を受け取る。
この場面に立ち会えただけで、この夜の篠原演芸場に来た価値があったと思った。

「横綱を張るまでは、いかなことがあっても、駒形茂兵衛で押し通します」
律義に何度も頭を下げながら、少年の志を抱いて立ち去る茂兵衛。
「よっ、駒形ぁ!」
破顔一笑、我孫子屋の二階に少女そのものの笑顔。
若い若い二代目が演出された舞台だからこそ、こんなみずみずしい「一本刀土俵入り」になったのじゃないかなぁ。

この秋は、東京住まいの観劇仲間が次々二代目にハマっている。
本格的なお芝居が良い、エネルギッシュなショーが良い、女形の色気が良い、口上の爽やかな明るさが良い、と評判天井知らず。
私は一年ぶりに観たのだけど、なんてパワーアップだろう!
古典のお芝居の重みを、先輩方の歴史を、その両肩にしっかりと乗せて。
かつ愉しみながら、自分流に打ち出して来られているみたいだ。
ショーで見せる笑顔の力強いこと!

口上では、あの引力抜群の大きな目で真摯に話される。
この夜の口上で「お芝居中心の大衆演劇に戻したい」と熱く語られたときは、喝采が起きた(私ももちろん、全力で拍手)。

この方は、これからまだまだ昇るのだろう。
凛然とした力に貫かれて。
きらきらした光を携えて。

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剣戟はる駒座お芝居「浜の兄弟」&ご兄弟の輝き

2013.11.3 昼の部@千代田ラドン温泉センター

生々しく、濃く、立ち込める。

「もう、もう無理や。あいつみたいなんがおったらな、もうわしら、どんなに頑張って稼いでも苦労するだけや」
弟のあまりの不義理に、怒りを通り越して、慄く兄・直蔵の震える声。
演じているのは、不動倭座長。
「不肖・兼松、ただいま帰って参りました…!」
と腰の低い挨拶をしながらも、兄の怒りを感じるやいなや、ふっと献身的な表情が消えて、弟・兼松は算段をするような目つき。
演じるのは、勝小虎さん。

思い出した、このご兄弟のお芝居はそうだった。
作り物としてのお芝居を通り越して、滲み出る情の色があまりに濃い。
この”濃さ”を、今年の春頃は東京で何度も観ていたのだった。

写真・不動倭座長(当日舞踊ショーより)

倭さんの女形は、十朱幸代さんの若い頃によく似た、健気な風情がとっても可愛い。

写真・勝小虎さん(当日舞踊ショーより)

一方小虎さんの女形は、優しげで気丈な姐さん風。
限りなく情の深そうな、独特の魅力がある。

電車に揺られ揺られ、茨城・土浦のラドン温泉まで向かったのは。
ひとえに、はる駒座<倭組>のお芝居を観たかったからに他ならない。
今年の3月・木馬館、4月・篠原で、魅せられ尽くしていた、はる駒歌舞伎の世界。
とりわけ、小虎さん・倭さんの演技に強い“生っぽさ”がお気に入りだった。
(ご兄弟の演技については「恋の高岡」の記事で語っている)

この日のお外題は「浜の兄弟」。
他の劇団さんでもたくさん演じられる有名なお芝居のようだけど、私は初めてだった。

直蔵(不動倭座長)は、老いた母親(宝華弥寿さん)と二人暮らし。
善良な親子を苦悩させるのは、5年前に蒸発した弟の兼松(勝小虎さん)だ。
兼松は、あろうことか村の衆のお金を持って消えた。
金を返すはめになった直蔵と母は、夜なべ仕事で日銭を稼ぎ、つましい暮らしに耐えてきた。

そこへ、舞い戻って来る悩みの種。
「ただいま、帰って参りました…!」
江戸から、商人になった兼松が帰還したのだ。
母親は愛息子を大喜びで迎えるが、直蔵はひどく険しい顔で背を向ける。
「お前のために、わしらがどんなに苦労したか、知っとるのか…」

が、兼松の不肖っぷりは過去の話だけじゃすまない。
兼松を追いかけるように、江戸から早飛脚が着く。
送り主は、兼松が奉公していたという山金屋。
――手紙の中身を読んだ直蔵と母は、腰を抜かした。
<兼松殿が来てから店のお金がなくなっていたことがわかり>
<その額、百両>
<百両返していただけなければ、出るべきところに出る用意があります>

…兼松みたいなのってどこの親戚にも一人はいて、みんなの頭を痛ませているタイプだ。
普段、異世界を楽しむような感覚で観ているお芝居と違って、「浜の兄弟」は身近にありそうな話。

このリアルなお芝居を肉付けする舞台の作り方が、さらにリアルなのだ。
たとえば、母親が兼松を庇って、「やくざな子ほど可愛い」とぽろりと零す場面がある。
聞いた瞬間、直蔵は火がついたように立ち上がる。
「やくざな子ほど可愛い?そしたら、ずっと傍にいて親孝行してきたわしは可愛くなくて、あんな迷惑ばっかりかけとる兼松のほうが可愛いんか」
「アホらし、じゃあわしも親孝行はやめや。ああ、アホらし!」
ちょ、子どもじゃないんだから!と突っ込みたくなるような拗ね方だ。

あー、でも家族の中でなら、この光景ってありそう。
家という密閉空間の中では、大の大人の振舞いも本音丸出し。
倭座長が、ふてくされきった表情で床にどっかり腰を下ろすと。
舞台に、浜のイエの匂いが取り込まれ、濃縮された家族模様が染み出す。

お芝居の“濃密なリアリティ”は、もしかすると<倭組>の紡ぐ世界の骨格になっていくのかも…なんて感じていた。

お芝居以外にも、剋目した点がある。
舞踊ショーでのご兄弟の相舞踊は、互いの持ち味が、互いを抜群に引き立たせていた。
たとえばこの日のラストショー「壺坂情話 お里沢市」。
沢市を演じる倭さんのまっすぐな気性、お里を演じる小虎さんの女形の一途な風情が、見事に絡み合って、手を取る夫婦の姿はまさに情話。

それから、ご兄弟以外の煌きも見逃せない。
人数が少ないので、女優さんも含めて出番が多く、一人一人の魅力がじっくり見られるのだ。
個人的に見れて良かったと心底思ったのは、宝華紗宮子さん・ 叶夕茶々さんの相舞踊だった。
少女×少女!
この清らかさ、愛らしさ!

せっかくなのでお写真も載せてしまおう。
写真・左 叶夕茶々さん 右 宝華紗宮子さん(当日舞踊ショーより)


満足しきって、ラドン温泉で入浴タイム。
すると、お風呂場で地元の方が話しかけてくださった。
「ねぇ、私この劇団は初めて観たんだけど、びっくりするくらい上手いわね。座長さん、腰が低くて丁寧だしね~」
嬉しい気持ちで宴会場に戻ると、今度は前の席にいた地元の方が、私を振り返ってくださった。
「小虎さんの女形、素敵じゃない。何とも言えない笑顔が良いよねー」
初対面とは思えないくらい会話が盛り上がった(笑)

馴染みのない関東公演でも、地元のお客さんにしっかり愛されている。
それは<倭組>の皆様の、懸命な努力の結晶なのだろう。
「どうしたら茨城のお客さんに気に入ってもらえるのかわからないから、ああしろこうしろと、ぜひ僕たちに言ってください」
倭座長の口上からは、驚くほどの真摯さが伝わって来た。

関東とはいえ東京からはわりかし遠いけど、関東公演中にまた行けるチャンスを狙っています。

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ぬくもりの客席 ―劇団KAZUMAのもう一つの魅力の話―

2013.9-10月 東京公演を振り返って

私は、ここにいられて幸せ。
9月・10月、そんな気持ちが何度込み上げてきただろう。
膝の上には、いただいたおせんべいやクッキー。
私のカバンの中にも、この間仲良くお話していただいた方へのチョコレートが用意してある。
お芝居の幕が降りた後は、隣の方と交わす「良かったですねえ」「あそこ泣いちゃいましたね」。
私は、劇団KAZUMAの客席の片隅にいられることが嬉しい。

写真・10/27(日)の篠原演芸場
壁に下がる皆さんのタペストリーは、私には限りなく温かな空間のシンボルなのです。


客席同士の交流が濃いっていうのは、大衆演劇そのものの特長でもあるんだろう。
そして、思いっきり、全力の贔屓目は承知の上で。
KAZUMAの客席には、格別な温かみがある気がする。
「こんなに客席に親密な空気が漂っている舞台が、まだ存在していることに驚きました」
舞台芸術の研究に携わっている知人を、KAZUMAの木馬館公演にお誘いした際、感慨深げに仰っていた。

初めてお会いする方でも、大衆演劇ファンならば、ましてやKAZUMAファンならば心は通じるかも。
そう信じて、一人で観劇するときなど、おずおず声をかけてみれば。
「この劇団、好きなの?私もよ~」
すぐに返ってきてくださる笑顔。
それから、長く応援している方はもちろん、新しいファンの方でも、ご自身のお気に入りポイントを語ってもらえるのが楽しい。

「今月初めて来たんだけど、真の助さんって方、踊りが大きくていいねぇ。スケールの大きな歌でも負けない気がする」
「佑馬さん、ホントにパワーアップしてかっこよくなったよね。皆言ってる」
「このお芝居の将さんね、もう素晴らしかった!将さんばっかり見ちゃった」
「友華ちゃんって、ちょっと天然なところがすごく可愛いじゃない」
「ゆうかちゃん、踊り上手いわよね。もっとゆうかちゃんの笑顔が見たいな」
「竜也さん、かっこいいですねえ。踊りのとき、惚れ惚れする」
「やっぱり愛ちゃんが舞台にいると違うわ~。嬉しくなっちゃう」
「涼さん、お芝居上手いですよね。歌でも踊りでも、さらっと何でも上手い」
「私は一馬座長がイチオシ。優しい笑顔が大好き。もう応援したくて、できるだけ毎日来てるの」

はい、ですよね、と聴いているだけで私は幸せ気分。
早くあの客席に腰を下ろして、近くの方と挨拶を交わして、楽しい時間を共有したい。
10月は、退勤後18:00の開演に間に合うために、朝早く出勤する日も多かった。
眠い目をこすりつつ目覚まし時計を止めて、重い体を起こしていたのは。
KAZUMAのお芝居に浸りたいというのはもちろん、あの客席の一員でいたかったというのも大きいのだ。

これは東京だけじゃなく、遠征のときの客席も同じだった。
四国健康村でも、くだまつ健康パークでも、夢劇場でも。
「東京から観に来たの?藤美さんとこ、みんな良いもんねえ」
そして、私と友人の席に置かれる果物やお菓子。
9・10月は逆に、東京へ遠征にいらしたファンの方にもたくさんお会いした。
東京で、できるだけ良い思い出を作って帰られたのならいいな。

……大衆演劇の客席には、色んなものが渦巻いている。
ファン同士の感情のいざこざに、グレーな噂。
年中、木馬・篠原に腰を下ろしていれば、私の耳にも入って来る。
劇団KAZUMAだけが、綺麗な例外ってわけじゃない。

だけど、もらった温かさは、そんなものよりはるかに大きい。
演劇グラフに、以前こんな読者投稿があって、何度も読み返してしまった。

“客席では、初めて会ったお客さん同士でも、気軽に声をかけてくださる…。これがKAZUMAのファンだと思いました。行くたびに知り合いが増えます。「劇団KAZUMA」、不思議な劇団です。”
(「演劇グラフ」2013年4月号より)

です!よねー!
素晴らしい投稿に感謝。

しかし、客席のカラーって、何で決まるんだろう。
そのヒントになる言葉を聞いたのは、木馬館でも篠原でもよく顔を合わせていたおばあちゃんに、お菓子を渡しに行った際。
「一馬さんのところは、いいですねえ。他のどこより、情が深いですもん」
この一言は、劇団KAZUMAを象徴する言葉として、心にすとんと落ちた。
――深情け。
私が大衆演劇に求めてやまないもの。

一馬座長が、ミニショー後の挨拶でよく仰っていたこと。
「お客さんもただ観ているだけじゃなく…好きなこと言っていただければと思います。悪いやつが出てきたら、引っ込め―、とかも言っていいんです。うちは、お客さんも舞台に参加していただければ…」
こんな風に、こちらに手を伸べてくださる一馬座長の劇団だから。
だからあの客席は、はにかむようなぬくもりに、満ちてやまないのだろう。

このブログにいらしてくださる、KAZUMAファンの皆様もそうです。
温かいコメントや拍手コメント、いつも嬉しくてなりません。
何よりの励みです。

さあ、これでようやくの休憩。
東京近辺にいらしている、他の劇団さんの輝きについても、書きたいことがたくさん。
この2か月、KAZUMA鑑賞録を読んでてくださった方、長いお付き合い、ありがとうございました。
とびきりの、良い秋でした!

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劇団KAZUMA お江戸の千秋楽舞台模様

2013.10.30 @篠原演芸場

大好きな劇団の千秋楽の日は落ちついて居られなくって、早起きして観劇仲間と朝ごはん。
こんな方って、実は多いんだろうか。
目が覚めたら、まだ朝7:30だった。
でも、ついに東京公演最終日が来てしまったのかと思うと、心にぽんと穴が空いたかのようで。
友人と二人して早くに待ち合わせして、朝食@モスバーガー。
「寂しいね~」
「でもまた遠くも行こうね~」
言い合って、腹ごしらえして、覚悟して、さて篠原演芸場へ!

千秋楽のお芝居は「元禄万冶」。
昨年12月に四国健康村で観て、喜劇から悲劇への転調がツボだったお芝居だった。

私は、万冶の一家4人の仲良しぶりが大好き!
まず、冷静な万冶(藤美一馬座長)と、焼きもちやきなのが可愛い新妻のお蝶さん(霞ゆうかさん)の熱愛っぷりがたまらない。
大事なお伊勢参りだって、大事なお蝶さんが
「嫌よ嫌、20日だなんて長いわよ~」
と言えば、万冶は小さな子を宥めるように、
「そうかそうか…おい、もう少し短くならねえか?」
と慈しみたっぷりの表情で言う。

それに、若い衆の長次(冴刃竜也さん)と政(柚姫将さん)。
頭に血がのぼりやすくて、阿呆なことばっかりやってる兄弟分。
千秋楽での将さんと竜也さんは、役の中に入ったりはみ出したりしながら、いつもにも増して、楽しそうに緩やかに絡んでました。
長次と政が、互いにお金を借りようとする笑いどころでは、パチンコで負けた話が差し挟まれたり。
将さんが「俺にいい知恵がある」と言えば、竜也さんが「お前のいい知恵は、大体俺が座長に怒られる羽目になる…」とまぜっ返したり(笑)

けれども。
お芝居も、続く舞踊ショーも楽しみながらも、感傷的な心はやっぱり残っていて。
だって、週末が楽しみで仕方なかった2か月が終わってしまうのだ。
――それを吹っ飛ばしてくれたのが、この方の個人舞踊だった。

写真・冴刃竜也さん(当日個人舞踊「一本釣り」より)


――日暮れ港に花火があがり――
「一本釣り」のイントロが流れ出したとき、正直びっくりした。
他の劇団さんではちょこちょこ観るけど、劇団KAZUMAで耳にするのは私は初めてだったので…

千秋楽で、個人で、この曲。
いや、千秋楽だからこそ、この曲。
みんなが乗れる、というかむしろ乗らざるを得ない、この曲!
…なんてセンスだろう。
会場に漂っていた“これで見納め”という寂しさまつわる空気が、一気に色づいた気がした!

――惚れたよ惚れたよ 冗談ぬきだよまっしぐら――

しれっと軽やかに、会場の眼差しを一本釣りされる竜也さんを観ていたら、なんだか妙におかしくなってきてしまった。
本当に、エンターティナーなんだなぁ、この方は。

そのおかしみが、さらに爆ぜたのが、終演後のアンコール!
会場のどこからか聞こえた「一本釣りがいいー」というリクエストに、一馬座長は「じゃあ一本釣りやりますか…」と応えてくださって。
劇団KAZUMA皆さんでの、一本釣り!
会場も立ち上がっての一本釣り!

私も、友人も、馴染みの常連さんも。
篠原の座り心地のいい座布団から腰を上げて、手を叩いて。
最後までエネルギー全開、舞台を、花道を、汗だくになって走り回るKAZUMAの皆さんを、幸せいっぱいに見つめていた。

皆さんが、東京に来てくださってよかった。
圧倒的に九州や関西での公演が多いのだから、勝手な想像だけど、もしかしたら東京ではやりづらい点もあったのかな。
でも、毎日毎日、文字通り全力を尽くした舞台を見せてもらった。

仲良くしていただいた素敵な女性の常連さんが、噛みしめるように言っていた一言。
「ここは、とにかく一生懸命。誰一人手を抜いてないもん。全員必要で、全員一生懸命」
かつて私は、劇団KAZUMAの舞台はなんでこんなに楽しいのかな、なんて記事も書いた。
今もその魅力はハッキリとは掴めないんだけど。
“全員必要で、全員一生懸命”
その理由が少しだけわかった気がした。

将さんの、感情の持っていき方が丁寧なお芝居に、心底感動できてよかった。
竜也さんの、流れるような粋な舞踊が、たくさん観られてよかった。
佑馬さんの、色んな老け役・敵役が進化する様に、立ち会えてよかった。
涼さんの、気品たっぷり、小物使いが抜群に光る女形が、毎回観られてよかった。
愛さんの、少女めいた哀切極まる舞踊に、ハッとする瞬間が何度もあってよかった。
真の助さんの、愛嬌のある三枚目役・親分役にいっぱい出会えてよかった。
ゆうかさんの、時折驚くほど切ない感情が詰まった舞踊を、見つけられてよかった。
友さんの、場を明るく照らす最高の笑顔が、いつも舞台にあってよかった。


藤美一馬座長が、東京千秋楽で笑ってくれてよかった。

次に皆さんにお会いできる日も、きっとそんなに遠くはないでしょう!

この長かった劇団KAZUMA鑑賞録も、これでひとまず休憩――とはならず。
あと一つだけ書き残したいことがあるので、次で最後にします。
劇団KAZUMAのもう一つの魅力の話。

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劇団KAZUMAお芝居「浅草三兄弟」

2013.10.29 夜の部 @篠原演芸場

この日付の頃は、私の心はいまひとつ冷静じゃあなかったなぁ。
2か月間通い詰めた日々も、もう終わり。
新幹線も夜行バスもなしで、いつもの電車とsuicaでKAZUMAに会える!
それだけで、夢のような東京公演だった。
次、こんな夢はいつ見られるんだろう。
関西も九州も、東京の空からは遠く思えた。

――と、どこか切ない気持ちを抱えた千秋楽前夜。
ラストショーは、切なさを吹っ飛ばすかのような「すっぴん歌謡ショー」だった(笑)。
竜也さんの私服がすごいお洒落だったことが、一番印象的だった。
男性向けファッション誌とかに載ってそうな感じだった。
が、ここは基本お芝居ブログなので、しっかりお芝居について書きますよ!

劇団KAZUMAの「浅草三兄弟」と言えば、藤美一馬座長演じる半次だ。
弟分・吉松(柚姫将さん)の幸福を守り抜くために、自分の命を犠牲にする兄貴分。
今年5月、福山・夢劇場で初めて観た後、友人と半次について延々語ったホテルの夜が忘れがたい。

写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


なんで私は、半次にこんなにも胸打たれるのだろう?
2度目なので多少考える余裕もあり、一馬座長の一挙手一等足に注力して観ていた。

最初から最後まで、半次はひたすら吉松を助ける存在だ。
「おいら、もうスリなんて稼業は嫌だ!今すぐにでも堅気になりたいんだ」
吉松の切実な訴えを聞き、半次は自分を危険にさらしても、吉松を足抜けさせることに決める。
加えて、旅立つ吉松に、懐に入っていた金を全て手渡す。
「これは人様の懐から盗んだ汚ぇ金だ。でも、これから堅気になろうってお前がこの金を役立てるんなら、綺麗な金になるんだよ」

三年後、晴れて油どん屋の婿養子になった吉松に、危機が訪れる。
元兄貴分の橘金五郎(華原涼さん)が、夜逃げのための金をゆすりに来たのだ。
「ひと箱千両だ。用意できなければ、ここの婿養子はかつてスリをしていたと触れ回るぞ」

苦悩する吉松を、偶然訪れるのは、飴売りに転身した半次。
「お前を堅気にして送り出したその足で、俺も堅気になったんだよ」
陽気な飴売りの格好で、一馬座長がひょうきんなステップを踏みながら舞台に登場したとき、安心感が広がった。
この人は、必ず吉松を助けてくれる。
そう思わせるくらい、弟分への愛情の深さが、座長の紡ぐ表情一つ一つに溢れていた。

「この店、お前がいると知ってりゃあ、手土産の一つでも持ってきたんだが…」
半次は、決まり悪そうに頭を掻く。
だが吉松に男の子の赤ん坊がいると聞き、半次は背負っていた飴の箱を下ろす。
「これ、お前の子にやるよ。子どもの好きな飴がたくさん入ってらぁ」
「兄貴、それは大事な商売道具じゃないか」
と吉松に驚かれても、いいんだよお前の子にだ、と笑顔で繰り返す。

ああ、「浅草三兄弟」の半次は“無私の贈与”のキャラクターなんだ。
フィクションの世界に時折現れる、私が愛しくてしょうがないキャラクター造形の一つ。

たとえば大衆演劇に近いところで見渡すと、「一本刀土俵入り」のお蔦姐さん。
貧しさ極めた駒形茂兵衛に情を寄せるあまり、在り金全部あげてもまだ足りない。
“これも、あれも持ってお行き!”と自分の頭から簪を抜いて投げ渡す。

それから、学生時代に大感動したミュージカル「ミス・サイゴン」のキム。
儚い命を、全て息子のために注ぎきって死んでいく、薄幸のヒロインだ。
“I'd Give My Life For You”=お前のためなら命もあげよう、と最大の見せ場で歌いあげる。

みんなあげる、ありったけあげる、愛しい者のためなら自分の身なんかないも同然。
深情けの固まりのような、“無私の贈与”の人物像の列に、私は「浅草三兄弟」の半次を加えたい。

「お前、堅気になるったって、金の持ち合わせはあるのか」
懐のお金全部丸ごと、吉松に持たせて。
「この飴、お前の子にやるよ」
何も土産がなければ、商売の命綱である飴を全部置いていって。
藍色の風呂敷に包まれた大きな飴の箱は、多くを持たない半次が与えられる全て。

そして最後には、吉松のために金五郎と斬り合う。
「兄貴、どうか吉松には、何の手出しもしねえでやっておくんなせえ」
嘆願する一馬座長の、きっと結ばれた横顔。
自身は斬られ、命を落とすことになっても。

駆けつけた吉松の腕の中、死んでいくときもなお、半次から差し出されるのは無限の愛情だ。
「吉松、祝言のときは、寂しかったろうなぁ…」
このセリフは何度聴いても震える。
もう自分は死ぬのに。
斬られて、血を流して死ぬのに。
この兄は、弟の心の寂しさを思いやるのだ。

“I'd Give My Life For You”
あげよう、お前のためなら。
この手に抱えた全部、金だって、商売道具だって、命だって。
一馬座長の優しい笑顔に、半次の心がふわりと乗る。

この先また、一馬座長の半次に何度だって出会いたい。

さて。
次は、遂に来てしまった千秋楽のお話。
…千秋楽って書くだけでいまだに寂しい(笑)

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劇団KAZUMAお芝居「戻り橋」

2013.10.27 昼の部 @篠原演芸場

――二十そこらを 生きて来て
くらやみ橋から何捨てる
生きていたってしょうがない
死んでみたってしょうがない――
(大月みやこ「くらやみ橋から」)


橋は、この世とあの世の、生と死の境。
だからいつも、橋には心を折った人が辿り着く。
ふらふらと川を覗きこめば、暗い水面はいつだって手招いている。

「戻り橋の上から、川をじっと見ていたら――なんだか生きていても仕方がないような気持ちになってきてな…」

甘酒屋の主人(龍美佑馬さん)は、なぞるように過去をつぶやく。
体を壊して働けなくなり、女房には先立たれ、残されたのは幼い長男。
生活は貧しさを極め、心は惨めを極めて。
幼子の手を引いて、戻り橋から主人が覗きこんだのは、戻ることのできない仄暗い流れ。

写真・龍美佑馬さん(当日舞踊ショーより)


千秋楽も近い日曜日。
最後の休日とあって、一杯に埋まった客席の前で。
劇団KAZUMAの舞台が見せてくれた「戻り橋」の風景は、ずっと私の心に佇んでいる。
この日隣で観劇していた友人とは、その後も"とっつぁん"と"文太郎"の話を繰り返ししているほどだ。

舞台の風景はずっと同じ、哀しい橋がひとつかかっている。
橋のたもとで営まれる小さな甘酒屋、そこで物語は始まって終わる。

黄昏の影の中。
佑馬さん演じる老いた甘酒屋の主人が、息子・友蔵(柚姫将さん)の迎えを待ちながら、店じまいをしていると。
「おい、甘酒一杯頼むよ」
遅れてやってきた客の名は銀次(藤美一馬座長)。
「さっき火を落としたばっかりの、残りものでよければありますが」
「それでかまわねえや」

銀次が甘酒を啜っているうちに、なんとなく話題は主人の身の上話になる。
「元々、儲けが出ると思ってやっている店じゃありませんでな。甘酒を売りながら、人を探しとるんです」
年老いた白髪の主人が、来る日も来る日も探し続けるのは誰か。

「この戻り橋のたもと、ちょうどそこの辺りで、あの子の手を放して」
「ちょっと待ってな、とっつぁんはすぐに帰るから、ちょっとだけ待っていなと行って、場を離れました」
主人はかつて、まだ幼い、いとけない、息子・文太郎を置き去りにしてきた。
本当は、二人で川に身を投げて心中しようと思っていた。
だが、子どもを巻き添えにするのは可哀そうだと人に諭され、一人で死ぬことにしたのだ。

結局主人は生き直す決心をし、文太郎を連れに戻る。
けれど。
「どんなに探しても、もうあの子の姿はどこにもなかった…」

とつとつと語り続ける佑馬さんの声だけが、客席に沈み込んでいく。
「とっつぁん、早く帰って来てな、紅葉みたいな手を一生懸命に振っていた――あの姿が、忘れられんのです」
主人の記憶の奥深く、消えない紅葉の手の残像が、客席にも浮かび上がる。

そして佑馬さんの語りを聴いている間、その声に重なるように、私の頭に流れこんできた歌があった。
舞踊ショーでもしばしば耳にする、大月みやこの「くらやみ橋から」。
このお芝居の前日10/26(土)にも、林愛次郎さんが個人舞踊で踊っていた。
橋から身を投げて死んだ魂を寄り代に、人の心に忍び寄る死への誘いを歌う歌だ。
――昔すててもしょうがない
あしたすててもしょうがない――

橋には魔が棲む。
命をすり減らしながら生きている弱い足取りを、ついと絡め取って、暗い淵に呼ぶ。

過去の枷を抱えているのは、主人のほうだけではなかった。
「俺は、この戻り橋に捨てられた捨て子なんだ」
銀次もまた、戻り橋に心を置き去りにしていた。
まさか銀次は自分の子ではと驚く主人に、「いや、俺を捨てたのは母親だ」と歯切れ悪く否定をしてから。
今度は銀次の語りが始まる。

橋のたもとで親を待ち続けて、夜になっても戻って来ないとわかったときの失望。
角兵衛獅子の親方に拾われ、幼い体で懸命に厳しい稽古に耐えたこと。
だが、親方に盗みまで命じられるようになり、反抗すれば家から放り出されたこと。
「納屋は寒くて、体を温めようと鶏を抱きかかえて、ずっと星を見ていた」
「なんで俺が、こんな目に遭わなきゃならねえんだって何度も思った」
「親さえ、親さえ俺を捨てなきゃあ、こんな人生じゃなかっただろうって、どんなに親を恨んだことか…!」

肩を震わせる一馬座長の傍らには、甘酒の黒い湯呑みが置かれている。
その小さな湯呑みが訴える切なさ。
主人の作る甘酒には、文太郎に注ぐはずだった行き場のない愛情が、一杯一杯に込められているからだ。

“私の息子を知りませんか” 
そんな言葉を宿して、甘酒屋を訪れるお客、一人一人に手渡される。
序盤に出て来る薩摩武士(華原涼さん・藤美真の助さん)にも、町娘(香月友華さん)にも。
寒い季節、温もりを恋しがるように甘酒を啜るお客の手の中で、小さな甘酒は問いかける。
”あの小さな手を知りませんか”

振り返れば、背景には戻り橋。
父の、挫折と悔悟の年月。
子の、孤独と恨みの年月。
橋はずっとそこにあって、明日を生きようと身をよじる魂を、過去へ引き戻すのだ。
幸運に見放されて、寄る辺なくて、木枯らしは冷たくて、気づけば道行きがこんなに暗い。
――生きていたってしょうがない――…

終盤は、主人の息子・友蔵(実際は義理の息子)が再登場し、父・子・義理の息子の三者の関係が舞台に表される。
この友蔵の存在が、戻れない月日の大きさを浮かび上がらせる。

「戻り橋」は、大衆演劇では色んな劇団さんがする鉄板のお芝居だそうですね。
私は無知ながら、初めて観たので…
素直に初見の感想を書いてみました。
この演目を、最初に劇団KAZUMAで観られたこと、何よりの歓びでした。

「もし息子に会えたのなら、すまんかったと謝りたい、本当にすまんかったと…」
佑馬さんの目から、ぱたぱた舞台に落ちていた大粒の涙。
情の深いKAZUMAのお芝居でも、ひときわ濃い慕情の中に揺らぐ、橋の物語。

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劇団KAZUMAお芝居「森の石松~鬼より恐い~」

2013.10.26 昼の部 @篠原演芸場

KAZUMAの皆さまがとっくに新開地に行かれた後だというのに。
私はまだ先月の思い出をちまちまと更新しております…。
だって書き残しておきたいのだもの。
あと数本でようやく千秋楽まで辿りつく予定ですので、読んでくださってる方は気長に、気長にお待ちくださいませ。

「森の石松~鬼より恐い~」は、現代の大衆演劇の座長さん(藤美一馬座長)が、タイムスリップして森の石松になってしまうという、一風変わったお芝居だった。

写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


目新しくて面白いのは、幕が開いてすぐの、現代の風景だ。
大衆演劇の一座が、森の石松の芝居の稽古の真っ最中。
…と思いきや、舞台のセットに「閻魔堂」ってでっかく書いてある(笑)
「ちょっと、この閻魔堂おかしいでしょ!なんでこんなのしかないんですか!」
と座長に文句をつけられて、
「いや、これしかないんですよ」
と淡々と答える、頭にタオルを巻いた棟梁(冴刃竜也さん)。

かと思えばスーツ姿の支配人(柚姫将さん)が出てきて、座長を叱ったりする。
「うちをどこだと思ってるんですか、篠原演芸場ですよ!ちゃんとした閻魔堂がないわけないでしょ」
「もしなければ、篠原会長の息子さんたちが徹夜で作ってくれるんですから!」
このセリフには、会場からおお…という声と拍手が沸いた!
本当なんだろうか。
だとすれば、木馬館・篠原演芸場で公演される役者さん方が、そろって口上で劇場のセットの充実ぶりを褒めるのも頷ける。
「どんなセットでも作ってくれる」「こんなのやりたいって言ったらホントに準備してくれる」と、皆さんおっしゃるものなぁ。

他にも電気屋さん(藤美真の助さん)とか、掃除スタッフ(香月友華さん)とかが動き回って。
舞台の上は、すっかり普段の時代劇の装いを削ぎ落として、あっけらかんと日常の顔っぽく見える。
もちろんお芝居なんだけど、劇団の現実の生活が、親しみやすいスパイスになる。

稽古は結局進まず、座長はため息ついて、今夜の稽古終了を告げる。
「どんな石松がお客さんに受けるか、俺はちょっと寝ながら考えるわ」
と言って、鬘のまま石松の衣装のまま、舞台の上で寝入る一馬座長。
実際に座長として苦労されている一馬座長が演じるから、リアルに”お疲れ様”って声をかけたくなってしまう…

そして目が覚めれば、座長の片目は開かず、森の石松になってしまっていた。
場所は篠原演芸場から清水港へ移り、ここから時代劇編。

最初は当然石松になりきれず、頓珍漢なことばかりしていた現代人の座長。
でも、時を経るにつれて、その心は本当の石松の心情に限りなく近づいていく。

キーとなるのは、石松の恋人・おふみちゃん(霞ゆうかさん)だ。
おふみちゃんについて記憶のない座長は、
「俺と、あのおふみちゃんっていうのは、どういう関係なんだっけ?」
と聞いて、慌ての六助(龍美佑馬さん)をぎょっとさせたりしていたのに。
金毘羅代参の道中、積み重ねたとりとめのない会話、芽生えた情愛。
終盤の斬り合いの中、
「おふみちゃん――!」
と、血まみれになりながら繰り返し呼ぶ座長の姿は、本物の石松になっていた。

最初は困惑しきっていた現代からの異邦人が、人々と心を通わせるにつれ、その時代の人間になっていく。
タイムスリップもののセオリーだけど、大衆演劇のお芝居でこれが観られるのが面白い。

あと、将さんが石松の命を狙う都鳥吉兵衛を演じていたのも、個人的にはとても大きな見どころ。
この都鳥は、清々しいくらい真っ黒。
石松を討つ時、多勢で一人を囲んで余裕の笑みだったのに、石松=座長の執念の強さを前に、段々表情に怯えが現れてくる卑怯さがすごく良かった(笑)。
将さんの悪役の微細な陰影にはいつも感嘆するけど、時にはこんなシンプルな悪もいいな。

「森の石松~鬼より恐い~」は、中村錦之助さんの映画から着想を得て作られたものだそう。

しかし、最初の稽古風景で、座長が「若いの入れてもすぐにやめるし…」と現実めいたぼやきを零したとき。
座員役をしていた佑馬さんが、
「おっさんばっかりになっちゃいましたねっ!」
と答えたときの朗らかな声と笑顔か、やたらツボにハマって抜けない。

確かに、十代・二十代の役者さんが豊富な劇団さんと比べれば、平均年齢は高めなのかもしれないけど。
大人な劇団KAZUMAが私は大好きなんですよ!
と声を大にして言いたかったからかもしれない。

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劇団KAZUMAお芝居「藤沢涙雨」

2013.10.23 夜の部@篠原演芸場

劇団KAZUMAでは初めてやると伺っていた、「藤沢涙雨」。
新しいお芝居って、新品のきれいな箱みたい。
木目から木の香りまでしそうな、出来たての贈り物を届けてもらった気分です。
これから繰り返し上演することで、中身が積み込まれていき、箱にはじっとりと手垢が付いていくのだろう。
そんな楽しみを発見した。

この2日前に観た「兄弟仁義 男の祭り」に続き、美影愛さんが立てられたお芝居とのこと。
一馬座長と将さんが、メンバー紹介の後に「ああ緊張する…」と口々に言っていたのが印象的だったなぁ。

お芝居の筋は、美影さんらしい骨の太いお話。
富三(藤美一馬座長)と初五郎(柚姫将さん)の兄弟分は、親分の仇である青山主膳(林愛次郎さん)の屋敷に夜討ちをかけ、見事に青山を討ち果たす。
だが、喜びも束の間。
初五郎が突然豹変し、兄貴分である富三を刺す。
「心に地獄の鬼が、棲みついた!」
そう言い残して、初五郎は逃げていく。

瀕死の富三は、朦朧とする意識の中で考える。
なぜ初五郎は裏切ったのか?
地獄の鬼とは、何の魔なのか?

この謎を焦点に話が進んで行くので、ちょっとミステリー仕立ての香りもする。
初五郎が一体何を考えていたのか、後半で明かされるまで、気になりながら観ていた。

中心となる一馬座長と将さんの演技は、完全に個人的な印象だけど、ひとことで言うとフレッシュ!
新しいお芝居ということは、新しいキャラクター。
初めてその人物を、初めてその感情を、今目の前で”創ってる”というみずみずしさがあった。

たとえば一馬座長演じる富三のセリフで好きなのが、以下。
初五郎に刺されて重傷を負いながら、青山の追手から逃げたときの語りだ。
「刺された腹を抱えて、流れ出る赤い血を押さえて、川に繋いであった小舟に乗り込んだ」
「船ごと川を流れていたら、月が夜空に浮かんでいた」
「あの日の月は、赤かった…」

聞きながら、まるで赤い月を船の底から見上げているような気分になって。
一馬座長が今、心の思うままに喋っているのが伝わってくる。
このセリフも上演するごとに、また違った深みが加わっていくのだろう。

そんなフレッシュなお芝居の中でも、既に「たっぷり練った」重厚感を出していた方がお2人。
一人は、お芝居を立てられたご本人の美影さん。
美影さんは、重吉という老いた十手持ちの役で登場する。

そしていま一人は、藤美真の助さん演じる「俊徳尼」だ。
三枚目の尼さんっていう、面白い役どころ!

藤美真の助さん(当日舞踊ショーより)


そのうち真の助さんにしか演じられない名物キャラクターの一つになるんじゃないかなぁ。
まず、真の助さんの尼さん姿っていうだけで、じわじわユーモラスで可愛い。
赤いほっぺを丸く描いて、尼僧の帽子(もうす)から丸く顔を出して、そもそも全体のフォルムがまあるい。

名高い尼さんなので「庵主様」と周囲から立てられている。
けど当人は、
「私も女ですもの…女に生まれてきた以上、尼姿でなかったら、素敵な殿方と恋の一つや二つ、してみたかったわ!」
と不満気味。
そんな俊徳尼を、
「庵主様、どうかそんなことはおっしゃらずに。庵主様は御仏に仕える尊い御身なのですから」
とたしなめる、石屋の金吉(龍美佑馬さん)との凸凹コンビもいい。

俊徳尼と金吉は、話の本筋には全く関わりない。
登場するのは、寺への寄進のお礼に、大店の主人に出世していた初五郎の家を訪れる場面のみ。

けど、全幕で一番明るいこの場面は、お芝居に軽みを与えてくれる。
俊徳尼が出されたおせんべいに夢中になって、次々ぱくついたり。
初五郎を見るや、「良い男!」と目を輝かせたり。
女房のお小夜(霞ゆうかさん)に嫉妬して、「あんな良い男と暮らして…こんな美味しいおせんべいを食べて…なんてあなたは恵まれてるのかしら…」と哀しくぼやいてみたり。
なんか、初めて演じるとは思えないくらいの、真の助さんの”出来上がってる”感!

俊徳尼と金吉が初五郎の家を出たとき、すれ違うのが、美影さん演じる十手持ちの重吉だ。
重々しい空気を背負った重吉は、入れ替わりに初五郎の家に入って行く。
俊徳尼と金吉は多少脅えながらも、重吉の行く先をぽやんと見やる。
この両極端な雰囲気のすれ違いが、コメディからシリアスへの転調を印象づける。

「藤沢涙雨」は、一馬座長の富三も、将さんの初五郎も、ゆうかさんのお小夜も、それぞれに見せ場が用意されていた。
次に観るときは、誰に感情を重ねて観ることができるだろう?

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劇団KAZUMAお芝居「兄弟仁義 男たちの祭り」

2013.10.21 夜の部@篠原演芸場

“美影ワールドへようこそ!”
そう言わんばかりの、叫ばんばかりの。
役者さん一人一人の陰影が踊る、粋なセリフの粒が光る。
篠原演芸場の舞台は、普段より奥行きがしんと深い。
観慣れた劇団KAZUMAの役者さんたちが、なんだか別人のように見えた。

これが、美影愛さんの立てられたお芝居なんだ!

美影愛さん(10/16舞踊ショーより)
当日はデジカメの調子が良くなかったので、代わりに別の日のお写真を…


10/21(月)は、美影さんが立てて稽古されているお芝居をやると伺い、その日は朝から期待でいっぱい。
「兄弟仁義 男たちの祭り」の幕が開くと、そこにあったのは一つのノワール。
白と黒の陰影の中に描かれるのは、やくざの田野倉一家と大島一家の争いだ。
この夜独特の空気感を創り出していたのは、何より珠玉のセリフたちだと思う。

特に、私の心にぽとんと落ちていった、大粒のセリフが3つ。
今回はその3つを振り返りながら、あの日のぴりっと緊張した舞台に、そっとにじり寄っていきたい。

1つ目「俺はあいつを、たとえそよ風からだって、守ってやりてえんですよ」
――田野倉一家の若衆・直次郎(藤美一馬座長)


お芝居の冒頭で、田野倉一家の親分(藤美真の助さん)は、暗殺者・ねんねこのおしん(香月友華さん)に殺されてしまう。
親分は、息絶える直前に言い残す。
「どうせ、雇ったのは大島の野郎だろう…」

大島の親分(美影愛さん)は、田野倉一家とは同じ土地で敵対関係にある。
だが、十中八九大島が親分の仇だろうとわかっていても、仁義は通さなくてはならない。

直次郎は、二代目を継いだ辰二(冴刃竜也さん)に付き添い、大島一家へ襲名の挨拶に行く。
「これは、ご丁寧な挨拶をありがとうございます」
美影さん演じる大島は、柔和な口調で辰二と直次郎を迎える。
でも、その微笑みの裏に、何か黒いものがありそうな。

直次郎のほうも、古くから大島を知っているにも関わらず、警戒を解かずに語る。
「俺は病を治すため、山の中へ行こうと思っております。近いうち、江戸を発つ予定です」
「直さん、あんたほどの男がいなくなるのかい、寂しいねえ」
身内を殺された側と殺した側で交わされる会話は、表面的には穏やかでも、ひりつくような影をまとっている。

辰二は先に帰り、直次郎と大島二人きりの別れ際。
見送る大島は、「二代目を守ってやんなよ」と声をかける。
直次郎は強気に笑んで振り返り、告げるのが例のセリフだ。
「俺はあいつ(辰二)を、たとえそよ風からだって、守ってやりてえんですよ」

直次郎は、まだ青く若い辰二の父親的ポジション。
一馬座長の仕草、声音一つ一つに、深い情愛が感じられる。
加えて、ここには大島への威嚇も含まれているように思う。
俺の大事な二代目に、田野倉一家に手を出すな、という直次郎の心意気が、粋なセリフに絡まっている。

2つ目「俺はついてくる人を間違えなかった!」
――田野倉一家の若衆・政吉(柚姫将さん)


セリフ一つという単位で考えると。
9月・10月観まくったKAZUMAのお芝居で、一番涙を振り絞ったのはこのセリフだった…。

政吉は、大分の片田舎の出身。
辰二に喧嘩で負けたのをきっかけに、その人格に惚れこみ、故郷を捨ててついてきた。
以来10年、辰二を兄貴分と慕っている。
「最近は滅多に分けてもらえなかった酒、ようやく少しだけ手に入れた。兄貴も直さんも、さぞ喜ぶだろうなぁ。早く飲ましてやりてえ」
評判の店の美酒を、大事そうに抱えて家路を急ぐ姿に、喜色が滲み出ていて。
純朴な心は、まっすぐに兄貴思い。

反面、単純で喧嘩っ早いのが政吉の難点だ。
田野倉の親分は、死んでいく直前も、政吉が揉め事を起こすことを危惧していた。
ただでさえ弱体化する田野倉一家を、窮地に立たせかねないからだ。
だから、苦しい息の下、親分は政吉と約束する。
「政吉、絶対に喧嘩はしちゃあならねえぞ…何をされても、じっと我慢するんだ」

この約束が、政吉を縛る。
酒を抱えて帰る途中、大島の片腕・秀(龍美佑馬さん)に喧嘩を売られても。
「その酒、少し寄こせよ。田野倉なんてみすぼらしい一家の野郎が、この秀様に逆らっていいと思ってんのか」
罵られても、足蹴にされても。
殺気を目に滾らせて、腕の中の酒を守り通して、ひたすら政吉は耐える。
遂に刃物まで取り出されて、気まぐれのように斬りつけられても、刺されても。

瀕死になって家に辿り着いて、辰二の腕の中、晴れがましい笑顔で言うのだ。
「俺は、喧嘩なんてしちゃいませんぜ。親分との約束だ、手出し一つしちゃいません」
親分のため、兄貴と信じた辰二のため。
今、死んでいこうとしているのに。
辰二のために故郷を遠く離れ、知らない土地で、強者のおごりで虫けらのように殺されていくのに。
血を吹きながら、将さんが紡ぐ政吉の死に様は、なんと清々しいことか。
渾身の喜びを込めて、
「俺は、ついてくる人を間違えなかった!」

最期に握りしめたものは、自分の道を貫ききった喜び。
政吉の死の場面には、大げさな言い方だけど、人間の一つの勝利が照らし出されていたと思うのだ。

3つ目「もし、あのときあんたについて行ってれば…こんな日は来なかったか」
「来なかったね」
――直次郎(藤美一馬座長)と大島の親分(美影愛さん)の会話


終盤、遂に直次郎と辰二は、大島一家と正面対決をする。
そこで大島が、幼い直次郎に初めて出会ったときのことを語る。
「きっ!とこっちを睨み上げて、こいつはなんてえガキだと思った」
「なんとしても、俺と一緒に来させるつもりだったが…」
淡々とした語り声が、舞台の中でひとつ浮きあがり、遠い記憶をなぞっていく。

そして美影さんの表情は、懐かしむような微笑み。
手には刀を握って、幼い頃から知っている男と、斬り合う直前だというのに。
――大島という人は、心から相手を慈しみながら、殺すことができるのだ。
――この人にとって、情愛と仁義は、同じところにあるのだ。
大島の心の有り様がくっきりと浮かび上がる。

「もし、あのときあんたについて行ってれば…こんな日は来なかったか」
問う直次郎に、大島は一呼吸置いて、
「来なかったね」
短い応答には、色んなものが詰まっている。
直次郎が、立派な男に成長したことに対する喜びもある。
その直次郎と殺し合いをすることに対しての、皮肉めいた色もある。
何もかもを粛々と運命だと受け止めて、大島は直次郎に刃を向ける。

ああ、やっぱり私の中では、このお芝居はノワール。
悲哀も、喜びも、白と黒の影の中に折り畳まれて、舞台の上で揺らめく。
美影愛さん、美しい影という名前を持つ役者さんが創られたというのも、ぴったりな気がする。

そして馴染んだ劇団KAZUMAのお芝居を、新たな目で観るきっかけにもなった。
一馬座長も、将さんも、竜也さんも、真の助さんも、ゆうかさんも、佑馬さんも、友華さんも…(涼さんと愛次郎さんは不在だった)
皆さん、こんなに変わるんだ。
まだ皆さん、こんなに違う顔を持っているんだ。
こんな彼らが観られるのなら、私は劇団KAZUMAのお芝居をずっと追っていられるだろう。

「兄弟仁義 男たちの祭り」は、6月に梅田呉服座でもかけたそう。
次にこのお芝居に出会うとき、影はどんな形に変わっているのだろうか。

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劇団KAZUMAお芝居「男の人生」

2013.10.20 昼の部@篠原演芸場

彼の心弱さは、不安を生む。
次第に疑いに成長し、やがて攻撃の牙を剥く。

将さん演じる白木屋一家の二代目、こんなに弱い悪役があるだろうか。
「おい、伊三郎は本当に、本当に来るんだろうな。あいつが寝首を掻きに来るんじゃないかと、俺は不安で夜もおちおち眠れないんだ」
弱さゆえに二代目の心は、人間の一番深い、暗い境涯へと沈んでいく。
その哀れさに涙が出た。

写真・柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


「男の人生」は「先月の木馬館での衝撃に続き、2回目の鑑賞。
でも木馬館の舞台で観た将さんの演技は、もう少し悪寄りだったような。
篠原バージョンでは、より一層、二代目のためらいや戸惑いが強調されていたように思う。

「男の人生」というお外題について、少し考えてみた。
この題はもちろん、主人公・伊三郎(藤美一馬座長)の生き様を指しているんだろう。
忠信を尽くしてきた白木屋一家を追い出されても、二代目の危機には駆けつける情の厚さ。
だがその二代目に騙されて、愛妻のお菊(霞ゆうかさん)を自らの手で斬ってしまい、絶望のどん底に突き落とされる。
底から這い上がるように、情炎を目に迸らせて、お菊の弔い合戦へと走る伊三郎。
伊三郎の生き方には、打たれても打たれても、人間らしい情を失わない強靭な“男”が見える。

だけども。
私はこの題に、敵役である二代目の、暗がりの人生をも重ねてしまうのだ。

その心模様が最もよく表されるのは、序幕の襲名披露の場面。
腹心の鉄五郎(美影愛さん)に、
「二代目の襲名を最も面白くないと思ってるのは、伊三郎ですよ」
と吹きこまれ、二代目は、伊三がそんなことを…と不信を込めて呟く。
また、叔父さん(華原涼さん)に言われた、
「てっきり今日は伊三郎の襲名かと思ってたぜ。この家は伊三郎が継ぐものだと思ってたからな」
なんて軽口には、二代目の目にはっきり嫉妬が浮かぶ。
将さんの表情が、段々段々、影を重ねるかのように険しくなる。

「お前との兄弟分の縁は今日で終わりだ、とっととこの家から出て行きな!」
疑いに目のくらんだ二代目は、語気も荒く、伊三郎にそう言い渡してしまう。

私の心に食い込んだのは、この直後、立ち去る伊三郎を見送る二代目の姿だ。
立ち上がって、伊三郎のほうに手を伸ばしかけている。
引き止めようかどうしようかと、迷っている。
将さんの顔つきから、さっきまでの黒い疑いがふいと消えて。
代わりに、途方にくれた子どものような、幼い戸惑い顔がある。
やっぱり、早まったんじゃないか。
自分は、取り返しのつかない失敗をしたんじゃないか。
そんな言葉が零れてくるような。

上記の場面は本当に一瞬しかなくて、すぐに美影さんが「二代目!」って声をかけるんだけど。
この一瞬の将さんの演技で、二代目のぐらぐら揺れる心が、浮かび上がってきた。
途方にくれた目、本当に頼れる人を失ってしまった子どもの眼差し。

将さんの弱い親分役…と言えば、別のキャラクターを思い出す。
私がどうしようもなく好きな、「生首仁義」の白鷺一家の三代目。
あっちも、大声出されただけで泣きだしてしまうような弱っぷりだけど。
それでも、三代目は周囲に恵まれていた。
大好きな兄や、信頼できる世話役に囲まれて、また三代目自身も周囲を愛した。
だからこそ「生首仁義」の三代目は、自らの弱さを克服して死んでいくのだ。
「仙蔵と長五郎に、今までは弱い男だったかもしれないが、死ぬときは強い男で死んでいったと、そう伝えておくれ!」
情愛に基づく、一筋の意志を光らせた、立派な最期。

対して、「男の人生」の白木屋一家の二代目は。
周囲に誰も、その弱い心を庇い立てしてくれる人がいなかった。
だから私は、この敵役に同情を禁じ得ない。
心に芯を持たないがゆえに、周囲の悪い大人につけこまれて、いいように利用されて。
最後は、古くなった玩具が捨てられるかのように、雪の中に斬り捨てられる。

誰か一人、導いてくれる手があったなら、二代目の人生は違ったろうに。
自らの心の落ち窪みに足を取られ、ずるずる落ちていく二代目を、誰か引っ張り上げてあげたなら。
四方から刀で突き刺され、人形の糸が切れるように、雪の中に倒れ伏した二代目。
何の情けもなく、二代目の体が引きずられていく光景に、「男の人生」という題が重くのしかかる。

「お菊―っ!」
と空を睨んで、妻の名前を叫ぶ伊三郎の、強く美しい生き様。
「鉄、お前…俺を裏切ろうなんて、思っちゃいねえだろうな」
最期の言葉まで疑心にとりつかれた二代目の、弱く哀しい生き様。

明暗が、裏に表に翻る、男の人生。

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