劇団KAZUMAお芝居「甲州の鬼」

2013.10.19 昼の部@篠原演芸場

力弱き者たちは、いつもあたふた。
強者の前に右往左往して、どうしようもなく愚かで、愛しい。
「甲州の鬼」が劇団KAZUMAの喜劇の中でも大好きな理由は、ひとえにそこにある。

題の「甲州の鬼」は、大やくざの黒駒勝蔵を指す。
でも藤美一馬座長演じる黒駒勝蔵は、お芝居の最後に一瞬登場して、見せ場を一つ刻むだけ。
むしろ全編を通して、怯えをもって語られる影のような存在だ。

実質的な主役は、ちっぽけなやくざ一家の岡倉一家。
岡倉の親分(藤美真の助さん)と、その若衆たち(柚姫将さん・冴刃竜也さん・龍美佑馬さん)だ。

藤美真の助さん(当日舞踊ショーより)


岡倉の親分は、黄桜一家の政次(華原涼さん)と、芸者を巡って恋敵。
どうあっても政次が恋を譲る気はないと悟った親分は、若衆に政次を斬らせる。
――が、ここで一つ大問題が発生した。

将さん演じる若衆の一人が、恐る恐るといった風に親分に告げる。
「政次は黄桜一家の代貸しですよ。黄桜一家の妹いるでしょ、お吉」
「あの妹がどこに嫁いだか、親分ご存じですか」
「あの黒駒勝蔵の嫁になってるんですよ!黒駒勝蔵に狙われれば、うちみたいな一家はひとたまりもありませんよ!」

不用意にも、黒駒勝蔵の親戚筋に手を出してしまった!
慌てふためく若衆だが、親分はしたり顔で、落ちつけと諭す。
「大丈夫だ、俺はちゃんとそこも考えてるんだ」
「“死人に口なし”だろ」
「黄桜の親分が、黒駒勝蔵に俺達のことを教える前に、黄桜の野郎を殺しちまえばいいだろうが」

ここから、黄桜の親分(美影愛さん)を亡き者にするための、岡倉一家の策略が始まる。
手段は毒だ。
トリカブトと猫いらずの水銀を酒に混ぜて、黄桜の親分に飲ませれば、岡倉一家の命運は助かる。

毒を酒に入れるくだり、それをよく混ぜるくだり、黄桜の親分を酒席にどう誘うか談義するくだり…。
真の助さん演じる親分と、将さん・竜也さん・佑馬さんの掛け合いが楽しくって仕方ない。
「親分、こんなのを準備しても、黄桜の野郎が酒飲めない奴だったらどうするんですか」
「馬鹿野郎、奴が酒飲めないわけないだろ。考えてみろ、名前が黄桜だぞ!どう考えても酒強いだろう!」
そんな馬鹿な(笑)と観ているこっちは笑っても、舞台の上のやくざたちは真剣そのもの。
だって自分たちの命がかかってるんだもの。

しかし、怒りにまかせて駆け込んできた黄桜の親分は、もう抜刀して今にも斬りかかりそう。
岡倉の親分は慄きながらも、そこをなんとかなだめすかして、酒宴にもっていこうとする。
「許してくれたら、俺たち全員坊主になる!出家する!」
「そうか…解脱して坊主になるか…」
「はい!解脱する!出家する!」
だから斬らないで、と半泣きで訴える岡倉の親分の、絶妙なおかしさ。

“真剣に馬鹿なことをやる”っていうのは、古今東西のコメディの、最高におかしくて愛おしい部分だと思う。
「甲州の鬼」を観ていると、私の頭にぼんやり浮かび上がって来るのは、リバイバル上映で観た白黒のチャップリン映画だ。

いつも警官に追いかけられて必死に逃げる、貧乏人のチャップリン。
ユーモラスな逃走劇は、そりゃあ笑える。
だけどそこには、悲哀がある。
弱い者、持たざるものは、強い者の前になすすべもなく怯えるしかない。
そしてそこには、共感もある。
私も、毎日強い力に振り回されてあたふたしている、弱い小さな生き物なのだから。

「なあ…酒飲んだだろ、気分悪いところはねえか?ふらふらするとか、胸が苦しいとかはねえか?」
と必死の表情で毒の効き目を期待する、真の助さんの笑いと悲哀。

ところで10/19(土)の「甲州の鬼」には、美貌のゲストさんがいらしてた。
お吉役の女形で登場した、あおい竜也さんだ。

写真・あおい竜也さん(当日舞踊ショーより)


「どなた様も、ごめんなさいよ」
という美しいセリフで登場したお吉。
その女形の声の色っぽさに、思わず目を見張った。
お吉の出ている場面はそんなに長くはないんだけど、やたら印象深いのは、あの声の艶やかさのためだろう。

あおいさんは、長いこといた劇団蝶々を離れ、来年劇団を旗揚げされると話されていた。

「甲州の鬼」に限らず、劇団KAZUMAのお芝居を観ていると、私にはチャップリン映画の情に満ちたおかしみが想起される。
なので、これまでにも「花かんざし」を名画「街の灯」にたとえたりしてきた。
温もりの舞台に、あるいはスクリーンに描かれるのは、小さな人々の小さな生活。
愚かな、愛しき、Ordinary people。


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劇団KAZUMAお芝居「モグラとラッキョ」

2013.10.14 夜の部@篠原演芸場

なんて楽しそうなお外題なんだろうと、ずっと楽しみにしていた「モグラとラッキョ」。
この夜は、ホントに楽しかったなぁ。
時折隣席の友人にもたれつつ、けらけら笑い通しだった。

とりわけ嬉しかったのは、香月友華さんの活躍が光っていたこと!

写真・香月友華さん(当日ラストショー「お祭り」より)


ちょっと友さんについて語りたい。
管見の限り、友さんは昨年12月からKAZUMAにいらした。
ややハスキーな声、しゅっとした身の丈。
何より、目尻を下げて笑う底抜けに明るい笑顔が、私は大好きなのです。
メンバー紹介のとき、友さんが舞台に勢いよく飛び出してきてにこぉっとされると、友さーん!って呼びかけたくなる。
ミニショーでのゆうかさんとの相舞踊では、その表情がどんどんしなやかになっていらしたし。
いつか個人舞踊を観たいなあ。

さて、「モグラとラッキョ」での友さんの輝きを説明するには、少々あらすじを追う必要がある。

モグラみたいに浅黒い侍・海野蛸次郎(冴刃竜也さん)。
ラッキョみたいにひょろっと白い旅烏・御岳仙太郎(藤美一馬座長)。
冒頭、モグラとラッキョは往来で喧嘩中。
「座長の用心棒は俺が引き受けたんだ」
「ふざけるな、俺が座長に頼まれたんだ」
原因は、旅周り一座の座長・花村市之丞(霞ゆうかさん)の用心棒役を巡って。

「お二人とも、喧嘩するようなら、もう頼みません」
と美人座長は困り顔。
「まだ興業の勧進元も決まらないというのに…」

勧進元が決まらないのにはわけがあった。
土地のやくざ勢力が二分されていて、仲違いしていたためだ。
片方は新田の熊五郎(美影愛さん)
もう片方は寅二郎(柚姫将さん)。
敵対する二人は、血は繋がってないけど親子なのだ。
寅二郎のお母さんが、幼い寅二郎を連れて熊五郎と再婚した。
そしてこのお母さんを演じるのが、香月友華さんというわけだ。

美影さんの熊五郎、将さんの寅二郎、友さんの”おっかあ”の親子三人の関係性が最高におかしい。
熊五郎と寅二郎は、「あの馬鹿息子」「あのクソジジイ」と呼び合うくらい嫌いあってるのに。
思考回路が本質的に似ている。
たとえば、モグラとラッキョにかつがれて、“花村市之丞座長が自分に一目惚れした”と聞けば。
熊五郎「(涙して)昔はそんな話は降るほどあったが、ここ最近はめっきりだった…」
寅二郎「そろそろ俺にも嫁が必要だと思ってたところだ…」
疑いもせず、すぐ調子に乗るところとか(笑)

そして微笑ましいのは、”おっかあ”に二人そろって弱いところ。
熊五郎は、市之丞座長と一緒にいたところをおっかあに見咎められると、途端に小さくなる。
「あんた、この人は何なのよ?!」
「…通行人です」
この会話には大笑いした!

一方寅二郎は、若衆(藤美真の助さん)相手に、「おっかあみたいな別嬪があのジジイのどこが良くって結婚したんだ」とぼやくくらい、お母さん子。
だもんで、熊五郎が、大事な母親を放ったらかしにして市之丞座長と一緒にいたのは当然許せない。
「何やってんだ、この色ボケジジイ!」
と、母子並んで熊五郎を糾弾する姿は、口は悪いのになんだか可愛かった。

お母さんの最大の見せ場は、熊五郎と寅二郎がそろってモグラとラッキョに退治され、一人残された場面だろう。
モグラとラッキョに挟まれて困惑顔。
…というか、本気で友さん困ってらっしゃるような?
と思いきや、ラッキョ役の一馬座長が実に楽しげに一言。
「舞台に残されると思ってなかっただろ?ここから先は教えてねえもん!」
どうやら、友さんご自身、この展開を知らなかったらしい(笑)

「旦那と子ども、どっちを助けに行くんだ」
と問われて、
「うーん…子どもかなぁ…だって男はまた別のも星の数ほどいるけど、子どもは一人しかいないでしょ?」
お芝居ではなく本気で考えてらっしゃる様子が、おかしくって可愛い。
悩んだ末、ラッキョに「旦那も子どももいなくなった今、両方の一家の財産があんたのものってことだぞ」と言われて。
ぱあっ!と破顔一笑のお母さん、というか友さん。
そっかぁ!とでも言わんばかりのゲンキンな笑顔が眩しい。
「そうよね!あたし、また新しい男つかまえて新しい人生送るわ!」
と言って舞台袖にはけていった。
あー面白かった、そして可愛かった。

「モグラとラッキョ」については、もう一点書き残しておきたいことがある。
将さんの芝居の丁寧さに、また一つ気づかされたので。

柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


この日、私と友人は珍しく端のほうの席だった。
そのため、二人の人間が向かい合って話すような場面だと、片方は背中しか見えなくて…ちょっと残念に思っていた。
でも、将さんが真の助さんと机を挟んで話す場面では、全景がとても見やすかった。
なんで?と驚いて。
あ、将さんが、真の助さんのほうじゃなく、客席正面に体を向けて話してるからだ!
客席のほう向いてもらえると、どの席に座ってても、表情や仕草がちゃんと見える。

お客さんが見やすいように演じる。
毎日毎日のお芝居の中で、そういう小さな積み重ねって、目立たないけど最もぶれのない精進だと私は思うのです。

しかし、今感想書いててもかえすがえす面白かった。
今年観たKAZUMAの喜劇ではNo.1かもしれない。

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劇団KAZUMAお芝居「三つの魂」

2013.10.14昼の部@篠原演芸場

「三つの魂」は、先月の木馬館に引き続き、二回目の鑑賞。

「この話って、変えられない宿業を描いてるみたいだね…」
一緒に観ていた友人が、終演後に漏らした言葉が気になった。
「どういうこと?」
「<裁かれる者><裁く者><見ているしかない者>っていう三つの宿業が、18年前と18年後で繰り返されるんだと思うよ」
彼女の感想に、目から鱗が落ちた。
なので今回は、それをそのまま書かせていただきます。

伴天連鬼十郎(藤美一馬座長)・政吉(龍美佑馬さん)・お菊(霞ゆうかさん)の三兄弟は、天草で生まれ育った。
キリシタンだった親は役人に引っ立てられて、虎に食い殺されるという悲惨な刑に処された。
幼かった三兄弟は、それを目の前で見ていた。
三兄弟は天草から北上する旅の途中、散り散りになった。
――18年後、江戸で再会の時が訪れる。
お菊は髪結いの妻に、政吉は十手持ちに、そして鬼十郎は盗賊になっていた。

お芝居後の口上の後、隣席の友人が語ってくれた解釈によれば。
18年前…<裁かれる者>=三兄弟の親 <裁く者>=天草の役人 <見ているしかない者>=幼い三兄弟
18年後…<裁かれる者>=鬼十郎 <裁く者>=政吉 <見ているしかない者>=お菊
「変えることのできない宿業が、そのまんま三兄弟に移し替えられてるよね。そこがどうしようもなく悲しいんだなあ…」
なるほど!

ここまで話して、どちらともなく呟いた。
「こう考えると、一番辛いのは<裁く者>になっちゃう政吉かもね」
「うん、だって、憎んでも憎み切れない親の仇と同じ立場だもんね…」

というわけで、今回の写真は政吉を熱演されていた佑馬さん。

写真・龍美佑馬さん(当日舞踊ショーより)


「俺の話も一通り、聞いてもらいたい…!」
親の敵である十手持ちになったことをお菊に責められ、そうじゃあねえんだと哀しそうに諭す。
喉の奥から、響く、というか轟くような叫びが叩きつけられる。
この、「本気で演じている」熱っぽさが劇団KAZUMAのお芝居っぽい。

政吉が十手持ちになったのは、自分を拾って育ててくれた役人への恩返しのため。
加えて、兄妹探しにも役立つだろうと思ってのことだった。
しかし政吉は、盗賊である鬼十郎を引っ立てなければならなくなる。
「なんて、ことだ…」
「兄妹を見つけようと思って持ったこの十手が、兄を捕えることになるなんてな…」
十手を見つめ、政吉が零すつぶやきはなんとも切ない。

脱線して佑馬さんについて書くと、東京公演での佑馬さん、すごく活き活きしているように見える。
老け役の巧みさについては、前も書いたことがあるけど。
東京公演では老け役を美影さんがされることが多いため、佑馬さんは二枚目役とか敵役が増えている。
すると、男前の魅力がどんどん前面に出てきている感じ。
口上とか集団舞踊での活躍も、俄然多くなっているし。
周りのお客さんと話していても、「佑馬さん、かっこよくなったねえ!」「パワーアップしたねえ」と言う人が多い。
個人的には、佑馬さんの憎々しいまでの敵役が好きだ。
ラストショー「曽根崎心中」の九平次とか、10/21(月)のお芝居「兄弟仁義 男の祭り」(そのうち感想記事を書く予定)での敵の一家の若衆とか。

「三つの魂」の話に戻る。
「宿業の移し替え」というキーワードで、友人とは大いに盛り上がった。
お芝居を観てるのも楽しいけど、お芝居の話をするのも同じくらい楽しい!

ちなみに私には、やっぱり木馬館で観たときと同様、伴天連鬼十郎(藤美一馬座長)と、育てたおやっさん(美影愛さん)の絆が響いた。
特に篠原演芸場バージョンでは、美影さんのセリフで、とても象徴的な一片があった。
「鬼十郎、お前の言う約束っていうのは、お前の信じる神様との約束かい、それとも俺との約束かい」
その二つって、同じことじゃあないんだろうか。
辛酸を舐めてきた大盗賊の、たった一粒の心の灯り。

それにしても、他の人のお芝居の感想聞くのって面白い。
同じ客席にいるのに、自分と全く違う観点を知れる。

このブログを読んでいる方も、よろしければお暇なときに、自分の観られたお芝居の感想を教えてくださいませ。
時折コメントや拍手コメントで、「このお芝居で自分はここで泣きました」とか、「別の劇団も同じお芝居をしますよ、そちらも良いですよ」とか教えてくださる方がいると、本当に嬉しいです。
ありがとうございます!

もう、ずっとお芝居の話してたいなぁ…。

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劇団KAZUMAお芝居「直次郎一人旅」

2013.10.10夜の部@篠原演芸場

「直次郎一人旅」について、私の感動ポイントは、どうも本来の見どころとずれているかもしれない。
多分、主軸は父子の絆にまつわる悲運。
父は直蔵(美影愛さん)。子は直次郎(藤美一馬座長)。
でも私には、生き別れの父子の断ち切れない絆よりも。
そこに踏み込むことを許されない、血縁の外側に佇んでいるしかない、育ての子・太吉(柚姫将さん)の悲しみのほうがより迫ってきた。

写真・柚姫将さん(当日ラストショー「お吉物語」より)


鑑賞録に入る前に決意を一つ。
いつか絶対、見逃した「仇討ち甲州街道」を観る…!

「仇討ち甲州街道」は、この2日前の10/8(火)の夜の部のお芝居だった。
8日は橘劇団さんとの合同公演で、すごい熱気だったようだ。
ようだ、というのは、私はその日に限って夕方から大事な仕事で行けなかったから…。

なので10日に篠原を訪れたとき、仲良くしていただいている常連さんたちが次々と、
「合同公演の夜のお芝居、良かったー」と話してくれたときはけっこう落ち込んだのです。
「特に将さんがすごく良くて、泣かされたのよ~」と聞いたときはちょっと立ち直れなかったのです。
だから絶対!いつか観る!

気を取り直して本題。
この日の「直次郎一人旅」の舞台は、ガランと人気のない多度津一家の、静かな日常風景から始まった。
若い衆は皆一人立ちし、親分の女房は亡くなり、今この家に暮らしているのは二人きり。
「太吉さんよ、遊んできて汗かいたろう。風呂が沸いてるからな、入ってこい」
「いや、俺が親分より先に風呂をいただくわけにはいきませんよ!」
親分と、5つの時に拾って18年間育ててきた太吉のみ。

太吉はずっと親分に尽くす気でいるけど、親分は太吉を堅気にさせたがっている。
「お前はやくざになるには、優しすぎる」
「どうしたってお前の中には、やくざの血は流れていねえんだ。そんなきれいな目をした奴が、やくざになりきれるかい」

この将さんと美影さんの会話だけで構成される序幕を通して、親分と太吉の間の空気感が、私の中にどっかり腰を据えた。
親子なのに主従という関係性が面白い。
太吉は丁寧に「親分」と呼びかけるし、親分のほうもおどけ混じりとはいえ、「太吉さん、お願いします」と敬語を使ったりして、妙な遠慮があるのだ。
かと思えば、近所の女の子(霞ゆうかさん)が持って来てくれた不味い芋煮を押しつけあったりする、親密なじゃれ合いもふわっと出て来る。

だからこそ、この後の展開は痛烈だった。
太吉が奥の間で芋煮を食べている間、一人になった親分。
そこに、旅人の直次郎(藤美一馬座長)が訪れる。
「お前さんの命を、もらいに来た」
敵対する一家の依頼で自分を斬りに来たと聞かされても、親分は顔色一つ変えず、微笑したまま。
直次郎の懐に光る、女性物の簪。
「死んだおふくろがたったひとつ、遺したものだ」
親分はそれを見て、何か、気づいたようだ。

親分は斬られるが、なおも直次郎に笑って言う。
「一つだけ、やり残したことがある。その間、待ってちゃくれねえかい」
斬られた体で、筆と紙をつかみ、手紙を書き残す。
そしてよろよろと仏間に辿り着き、死んだ女房の霊前で息を引き取る。
太吉には、「あの直次郎ってお人に、どうか手出ししないでほしい」と言い残して。

手紙は、実は直次郎が親分の息子であることを明かす。
親分の本当の名前は直蔵で、直次郎の母の簪は、かつて直蔵が惚れた女性にあげたものだった。

父と知らず斬ってしまった直次郎の悔悟の念と、息子だと知っていて斬られた父の深い情愛。
手紙の場面から、物語の本筋がくっきり浮かび上がってくる。

だけど私にむしろ衝撃だったのは、手紙の最後が「直蔵より」で結ばれていたこと。
あの人はずっと親分として生きてきたのに、命の終わりには直蔵に戻るのか。
最期には、直次郎の父として死んでいったのか。
――じゃ、太吉の立場はどうなるんだろう。

直次郎の場合、父の顔も知らなかったけど、血の絆という絶対的な証が、親子を強固に結び付ける。
一方太吉には、親分の血は流れていないけど、18年間の小さな日々の積み重ねがある。
「直蔵より」の結びは、積み重ねられた日々の暮らしを、血の絆の前に討ち伏せてしまったような気がして。
その太吉の哀しみはどこで報われるんだろう。

直次郎と太吉は仇討ちのため、親分を斬るよう依頼した一家に乗り込んで行く。
けれどそこでも、やくざと斬り合うに力及ばない太吉は、斬り合いの外に追い出されてしまう。
直次郎に「手出しするなと言ったはずだ」と言われ、
「申し訳ござんせん…」と膝を突くしかない、義理の息子の哀しみは。

ということばかり胸に響いたのは、この日の特赦な構成のためだと思うのだ。
序幕で、たっぷり親分と太吉のやり取りを見せてもらったから、私の頭は太吉に追随して筋を追っていった。
でも、どうやらこの日の「直次郎一人旅」は、最初のもう一幕を省いていたらしい。
本来は冒頭に、一人旅する直次郎が、親分を斬るよう依頼される場面があるとのこと。
その造りだったら、直次郎の孤独と父に対する思い入れを受け取った上で、物語に入っていったんだろうな。

お芝居にとって序幕って、要なんだなあ。

あと、一番震えたのは、直次郎が手紙を読む場面の美影さんの声の演技!
手紙の内容が美影さんの声で流れるんだけど、当然姿は舞台のどこにもない。
にも関わらず、親分の表情やまなざしが幻のように、白い紙の向こうに揺れるのだ。
手紙の場面は6~7分あったと思うんだけど、寸隙の緩みもない。
この箇所はまさに圧巻だった。

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リトルガールに花一輪―劇団KAZUMA・林愛次郎さん―

林愛次郎さんには花が似合う。
鬘に一輪の花を挿した愛さんが、群舞の中心で踊る「東京カルメン」が好きだ。

写真・2013/10/7ミニショー「東京カルメン」より


愛さんの舞踊は女形が基本。
というか、お芝居・群舞で立ち役の時以外は、常に女形だと思う。
私はガッツリ観始めた最初の劇団が劇団KAZUMAなので、それを普通のことだと思っていたけど。
他の劇団を観るようになってから、常時女形スタイルっていうのは、ちょっと特殊かもと気づいた。

そのためか、愛さんの舞踊の所作はなんとも和らげで優しい。
愛さんの個人舞踊が終わると、周囲から「色っぽいわねぇ」と評する声が聞こえる。
同意する一方で。
私は、愛さんの舞踊を見つめていると、そこにはむしろ少女の面影が照らし出されているようにも思えるのだ。
大人の女性の喜び哀しみをしなやかに表現する、そのさらに奥深くから、子どもの無垢な心がポロンと転がってくる。

たとえば、最近感動した「氷雪の海」。

――行かないで 行かないで――
あなたのほかには 誰も愛せない――


愛さんの表情は、涙を堪えている純な女の子のそれだ。
行かないで、と懸命に訴えかける目は、あんまり健気で胸が詰まるくらい。
少女が初恋の少年に思い焦がれるような、何の飾りもない、嘘もない、一途な心が涙の中に浮かび上がる。

この少女性は、一体どうやって醸し出されるのか。
けっこう体格だってしっかりしていると思うんだけど。
いざ舞踊が始まると舞台にあるのは、いわゆる女形のあだっぽい色気ではなく、秘めやかな純真だ。

舞踊の写真を撮るファンの方に、よくピースしてあげている。
私のフォルダにもピース写真がちらほら。
そこにも、良い意味で子どもの心に近い、無垢な優しさがあるように見えて。
おそらくこれが、芸に滲む愛さんの人柄なのかな。

大衆演劇「公式」総合情報サイトの劇団KAZUMAのページに、劇団員プロフィールが載っている(相当古いページっぽいので今は変わっている部分も多いと思うけど)。
愛さんの趣味の欄に「フィギュア・人形集め」とあるのを読んだとき、とても納得した。
元々は美容師さんだったらしいので、可愛いもの・綺麗なものがお好きなのだろうか。
お人形のように可愛いものを愛する心は、きっと芸にも表れている。

個人的に、少女特有の美しさが結晶するのは、たわいもないもの、可愛くて無力なものに一心の愛情を注ぐところだと思う。
花や小物といった、世の中で最も役に立たない淡い存在たちを、宝のように慈しむ心の有り様。

だから愛さんが花や簪を付けて踊っていると、私はそれだけで胸を打たれたりする。
この役者さんには、可愛くて小さいものが、なんてよく似合うのだろう。

――わたしのすべてを 涙といっしょに――
この海に流したら 生まれかわれますか――


切なげな舞踊の中、髪から覗く小さな花が、簪が、清らかに光る。
そこには童心が灯っている。

最近ご体調の関係で、公演を休まれることが多い。
篠原演芸場の座布団に腰を下ろしている間も、やっぱり感じる一抹の寂しさ。
劇団KAZUMAに不可欠の、あの笑顔を、舞踊をいつだって待っている。

友人が、かつて「愛さんにどうしてもこれを差し上げたい」と贈っていたのは、一輪のプリザーブドフラワーだった。
林愛次郎さん。
名前の通り、愛しリトルガールに、花一輪。

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劇団KAZUMAお芝居「三羽鴉」

2013.10.7 夜の部@篠原演芸場

ついこの前までやくざだったけど、堅気の孝行息子に戻ったばかり。
そんな素性の徳太郎を、将さんが演じるのが好きだ!

写真・柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


「三羽鴉」も、懐かしの昨年9月・松代ロイヤルホテル以来のお芝居。
喜劇というか、人情劇というか。
人情噺をベースに、くすくす笑える感じのユーモアが色々散りばめられている。

話は、やくざの徳太郎が堅気になる覚悟を決めて、実家に戻るところから始まる。
帰れば、年老いた父親(龍美佑馬さん)の大目玉、続く涙の再会。
幼馴染のおきみちゃん(霞ゆうかさん)に、
「おきみちゃん、俺も飯つくるの手伝うよ!」
なんて、柔らかな声でのどかな発言をしていたのに。

平和な家に現れる影。
地元の蝮一家からの使いで、白梅の長太郎(華原涼さん)が、借金を取り立てに来たのだ。
当惑する父親を庇い、徳太郎が割って入る。
「待っておくんなせえ…」
ここで剋目。
数日前までの同業者を前に、徳太郎のやくざモードが復活している!
「どうでしょう、ここはいったん退いちゃあもらえませんか」
「金を持って、そちらさんまで必ず参ります」
さっきまでと全く違う、場を収める声の低さ、冷たさ。

でも長太郎が去った後、父親に向ける顔はまた、孝行息子の優面に戻っている。
「心配いらねえや、ちょっと出掛けてくるよ」

そう、将さん演じる徳太郎の面白いところは、息子モードとやくざモードがくるくる入れ替わる点だ。
将さんの演技の“黒と白の振り幅”については、再三語って来た。
それはたとえば、「若き日の石松」のしんがりの又八親分みたいに、大らかな印象の親分さん(白)が、何かの要を皮切りに、冷酷な顔(黒)に変わるスイッチングパターン。
または、「男の人生」の二代目親分みたいに、気弱だった二代目(白)が、周囲に段々毒されて残酷な面(黒)を強めていくクレッシェンドパターン。

でも「三羽鴉」の徳太郎は、一瞬で翻って黒になったり白になったり、せわしない。
実家では、父親を安心させようと持ち金五両を見せて、
「これでなんとかなるかもしれねえ、とっつぁん、安心してくれ」
と朗らかに笑った次の場面。
蝮一家に五両を持って来て、座った眼差しで凜と膝を突き、
「どうぞ、借りた金でござんす。お納めください」
影を含んだ渡世人の声が響く。
さしずめ、オセロパターンとでも申せましょうか。

さらに、蝮の親分(美影愛さん)が、「貸した金は五十両だ」ととんでもない利子をゆずらないものだから、徳太郎の堪忍の尾はあっさり切れる。
「そうかいそうかい、何が親分だ、てめえ」
「立派なやくざの親分さんてのは、仁・義・礼・智・信、五つを腹に収めてこそじゃねえのかい」
こんな風にやくざモードに徳太郎の短気がプラスされると、ちょっと舌を巻いてドスがきいて、また別の黒色。

それから涼さん演じる、白梅の長太郎も面白いキャラクターだと思う。

写真・華原涼さん(当日ミニショーより)


長太郎は、たまたま蝮一家に草鞋を脱いでいた旅鴉だ。
男前で凄腕で、かつやることなすこと粋という設定。
「どなた様もお控えなすって!」
と、長太郎が蝮の親分の前でした挨拶があんまり粋で格好良かったものだから、親分がそれを真似するという笑いどころがある。
お芝居における格好いい男の手本みたいな涼さんが演じるものだから、なおさらおかしい。

“格好よすぎるのが逆に笑いを呼ぶ”という、パラドックスの造形って、あんまり大衆演劇では見ないような?
(ちなみに昨年9月に観たときは長太郎役が冴刃竜也さんだった。こちらも、竜也さんの飄々とした雰囲気が合ってとても良かった)。

「三羽鴉」は派手なお芝居じゃないけど、だからこそきらりと光る役者さんたちの個人芸。

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劇団KAZUMAお芝居「信州嵐 弥太郎笠」

2013.10.6 昼の部@篠原演芸場

「この恩知らず!」
「恩知らず」
「恩知らず…」
それはただの罵倒に過ぎない。
でも、十二の春から親分への恩のために生きてきた信吉(華原涼さん)には、刀で斬られるよりも酷な痛みなのだろう。
「やめろ、やめろ」と耳をふさぐ信吉の姿は、苦痛の固まりのように、舞台の真ん中に縫いとめられていて、目を離せない。

写真・華原涼さん(当日舞踊ショーより)


「今日は涼さんの日だったね…!」
友人と終演後にお茶していたら、どちらともなくこの一言が出た。

「信州嵐 弥太郎笠」はまず前半で、ござや一家の内側に積もる、裏切りと不信を描き出す。
事の発端は、清太(冴刃竜也さん)が親分(藤美真の助さん)のお茶に入れたヤモリ。
清太は女房と決めた女性(香月友華さん)を親分に奪われたことを恨み、親分をヤモリの毒で殺そうとした。

裏切り者の清太を成敗するため、最初に音松(柚姫将さん)が清太を斬りに向かう。
が。
「安心ですかねぇ…」
親分にいつも付いている丑(龍美佑馬さん)が、首をひねりつついえば、親分の心に不信が一粒。
「清太と音の兄弟は、そりゃ仲が良いんですよ。清太が涙の一粒でも流してごらんなさい、音の兄弟はすぐに同情して、お前を斬るのはやめだ、悪いのはあの親分だとなりますよ」
「雨のしとしと降る晩に、一家の入り口がスーッと空いて…」

二人がかりで寝首を掻きに来られる!
疑心にとりつかれた親分が、次に差し向けたのが信吉だ。
信吉には、決して親分を裏切れない事情があった。
「十二の春にお前を拾ってから、ずっと俺が面倒見てやったんだからな。その恩を忘れるなよ」

信吉は頷いて出て行き、これで一安心のはず。
が。
「安心ですかねぇ…」
丑の首をひねりひねりの一言で、またも沸き立つ疑心暗鬼。
「あの三人、仲が良いんです。信の兄弟、音の兄弟、それに清太、この三人でござや一家の三羽鴉っていうんですよ」

今度は三人がかりで寝首を掻きに来られる!
親分の怯えはもっとふくらみ、最後に旅人の弥太郎(藤美一馬座長)を差し向ける。

が。
またも「安心ですかねぇ…」
からの、
「草鞋を脱いでたった三日の家のために、人、斬りますか、普通?」
からの、
しびれを切らした親分の「ああもういっそ、俺が自分で見届けに行く!」

この前半は、佑馬さんと真の助さんのコミカルなやり取りが見どころ。
だけど、笑いの狭間にふと見てしまう、親分の強烈な他人不信。
誰も彼もが自分を裏切るのではないかと疑う。
「親分も昔はあんなお人じゃなかった。優しいお人だったんだが、ここ数年ですっかり変わっちまった…」
信吉がそうつぶやく場面は、哀切に満ちた後半への置き石のように。
物語は痛みをはらんで暗くなる。

音松・信吉・弥太郎は、結局清太を見逃してやった。
そればかりか、音松は堅気になって実家の傘屋を手伝っていた。
音松の傘屋を舞台に、音松とその父(美影愛さん)・妹(霞ゆうかさん)・遊びにやって来た弥太郎がやんやとお喋りし、しばしの平和な風景。

そこに、乱入する暴力の音。
割いた竹で人を殴る音。

「音松の居場所を言えってんだ!」
丑に殴られ、見るも無残な姿の信吉が、引きずられて来る。
清太を逃がし、音松を堅気にしたことで、信吉は責苦を受けていたのだ。
満身創痍、顔には赤アザ、髷はほどかれ、髪がずりずりと地を這う。
この状態の信吉に、親分は愛情のかけらもなく、ただ蔑視だけを投げつける。

運の尽き、音松の実家を見つけた親分は、音松を容赦なく斬り捨てる。
何の関わりもない、音松の父まで一緒に!

「なんで、なんで、何の罪もない親父さんまで斬りなすった…!」
ここで遂に、耐えに耐えてきた信吉の怒りが溢れ出る。
「親分、あんた昔はそんなお人じゃあなかったろう!情に厚くて、若い衆みんなから親分親分と慕われて…いつの間に、そんなに変わりなすった」
涼さんのセリフを聞くうち、込められていた怒りが、哀しみの風合いに変わっていく。
「今となっては、受けた恩義が恨めしい…!」
哀しみは、叫びになって場を引き裂く。

自分を育ててくれた相手が、この人のために命を尽くすとまで決めた恩人が、変わっていくのを見るのはどんなに悲しかったろう。
相手の心のありさまは変わり果てて、荒れ果てて、もうかつて慕った人はどこにもいないというのに。

血涙が滴るような、歯ぎしりまで聞こえてくるような、涼さんの熱演。
動かない音松の父を、信吉は何度も何度も揺する。
その姿からは、親のない信吉の、肉親の情愛に対する焦がれまで透けて見える気がした。

だが、地に這いつくばって悶える信吉に、酷い言葉がわらわらと降る。
「恩知らず」「恩知らず」と、他の若衆からの罵りが、襲いかかる。
その言葉だけは言ったらいけない、その言葉はこの人に言ったらいけない。
あんまり痛々しい舞台の光景に、内心、必死に思っていた。

信吉は、弥太郎が親分を斬るのを見届けた後、自ら割腹する。
最期まで、十二の春から受けた恩に殉じる。

普段涼さんは、声も顔も清しくて、極めてクールなイメージ。
だからこそ、信吉の大熱演は新鮮だった。
凜とした声に感情が波打って、舞台を揺るがす。

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劇団KAZUMAお芝居「花かんざし」

2013.10.5 @篠原演芸場

愛しげに、目の見えない娘の面倒をみる男が一人。
チャップリンの名画「街の灯」を彷彿させるストーリーだ。

「花かんざし」は、博打打ちの源さん(藤美一馬座長)が、盲目のお八重ちゃん(霞ゆうかさん)を助ける話。
「街の灯」は、浮浪者のチャップリンが盲目の花売り娘を助ける話。
話の骨子が近いし、ヒロインに花というモチーフが見え隠れしている点も似ている。

何より、一馬座長が演じる溶け入るような愛情深さは、かの喜劇王の慈愛に満ちたまなざしを思わせるのだ。

写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)
下のお写真含め、座長さんが客席に注ぐ目はあんまり優しくて、驚くことがある。


「花かんざし」は今年2月にくだまつ健康パークで観て以来だった(そのときの鑑賞録)。
そのときからずっと、引っかかっていたことがある。

なぜ源さんは、弟分の裏切りの象徴とも言える花かんざしを、自分の頭に挿すんだろう?

源さんは行きずりに助けたお八重ちゃんを、大事にそばに置いていた。
「お兄様の顔を、一度だけ触らせてください」
そう頼まれて、顔に大アザのある源さんは大いにうろたえる。
そこへ現れたのが、弟分の信太郎(柚姫将さん)だ。

柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


源さんに身代わりを頼まれた信太郎は、お八重ちゃんに惚れてしまう。
信太郎が源さんの留守をねらってやって来て、お八重ちゃんに贈ったのが可憐な花かんざし。
そこへ源さんが帰って来て、空気は一気に修羅場。
源さんは哀切極まる目つきで花かんざしをつまみ上げ、

「お八重ちゃん、こんなものが欲しかったのかい…」
「欲しいなら欲しいと言ってくれりゃあ、何十本だって俺が買ってやったのに!」

いったんは怒りにまかせて、花かんざしを踏み潰そうとして――途中でやめる。
そして捨てるでもなく、信太郎に突っ返すでもなく、自分の頭にしゃらんと挿す。
なんで?
そんな憎たらしいはずのものを、なんでわざわざ身につけるんだろう?
今回、その疑問が晴れたような気がする。

前回観たときは、花かんざしは信太郎の裏切りのシンボルだと思ったのだ。
でも、違うかも。
源さんの中では、花かんざし=お八重ちゃんのシンボルなのかも。

そう思ったのは、最後の最後、源さんがまたお八重ちゃんに花かんざしを挿し直してやる場面だ。
一馬座長が、愛しい相手に対する手つきで、愛らしく揺れる花かんざしをそっと挿す。
その光景の中では、お八重ちゃんと花かんざしは同一視されている気がして。
可愛くて、鮮やかで、か細くて、守ってあげなきゃいけない大切なもの。

となれば、一度花かんざしを踏み潰そうとしたとき、足の下の花かんざしには、大事な少女の面影が映りこんでいたのかな。
だから、踏み潰さずに、自分の頭に挿すのか。
まるで安らぎを手繰り寄せるような源さんの心境を想像したら、ひどく切ない。

「花かんざし」でも「街の灯」でも、ヒロインの目は最後に見えるようになる。
「街の灯」のラストシーンでは、花売り娘は浮浪者の手を握って、懐かしい恩人の感触だと気づく。
花売り娘が「YOU」(あなたでしたの)と言ったように。
お八重ちゃんも、源さんの声で気づく。呼ぶ。
「お兄様!」

でもここからが違うんだ。
「花かんざし」には、お八重ちゃんを制止する手があるんだ。
それが信太郎の存在。
演じる将さんが、覚悟を決めたような表情で、お八重ちゃんを止める。
それを見届けて去る源さん。
花道を歩き去る一馬座長の背で、幕が降りる。

口上の後、近くにいた男性のお客さんとお芝居談義に花を咲かせていたら、面白い話を聞いた。
別の劇団さんの「花かんざし」では、ヒロインが最後に本物の“お兄様”を選んで、旅に出ようとした恩人を追いかけて行ってハッピーエンドというのもあるらしい。
きっと温かなラブストーリーになるんだろう。観てみたい。

それはそれとして、KAZUMAバージョンで私が好きなのは、源さんが最後にお八重ちゃんを手元から失うことによって、この恋の儚さがいっそう演出されるからだ。
顔のアザのせいで「俺は一生独り身だ」と決めていた源さんの日々に、一瞬だけ揺れた花の色。
最後に「花かんざし」がまた遠ざかっていくことで、初めから壊れやすかった恋が、静かにぱらぱら散っていく音を聞く。

一方、映画「街の灯」では、「YOU」の後は描かれない。
花売り娘は浮浪者と結ばれたのか?やっぱり現実的にはそれは難しかったか?

目の見えない娘だからこそ、成り立った恋だった。
では目の開いた後は?

「YOU」=「お兄様!」の後は、花が散るとき。
街の灯が消えるとき。
それとも?

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劇団KAZUMAお芝居「四十両の行方」

2013.10.4 夜の部@篠原演芸場

タペストリーに見下ろされる中、座布団をポンと敷いて。
ホクホクのたらこおにぎり片手に、見上げる舞台。
私の心が最もくつろぐ場所・篠原演芸場に、劇団KAZUMAがいてくれる。
重ね重ね、幸せ。
昨日素敵な拍手コメントに励まされて、さらに幸せ。
ありがとうございます!

「四十両の行方」は昨年11月に、出張の合間に行った尼崎天満座で観た。
二組の兄妹が登場するので、兄弟姉妹の愛が大好物の私には堪えられない。
一組は、兄の吉松(藤美一馬座長)と妹のお浜(霞ゆうかさん)。
この2人の健気な名場面についても、別の古い記事で言及しています。

そしてもう一組が、兄の青山家主君(華原涼さん)と、妹の妙(林愛次郎さん)。
この兄妹は、ストーリー上は敵役に当たるんだけど、私は大好きなのだ。
というわけで今回は、あえて敵役の兄妹の視点から書いてみる。

写真・華原涼さん(当日舞踊ショーより)


写真・林愛次郎さん(当日舞踊ショーより)


涼さん演じる兄の名前は、呼ばれてないのか単に私が聞き逃してるのか、残念ながらわからないので。
私はこのキャラクターを“青山殿”と呼んでいる。
武家である青山家の当主なだけあって、風格たっぷり。
妹の妙に、「使用人のお浜が屋敷にあった四十両を盗んだんです!」と聞かされても、眉一つ動かさない。
「出来心は誰にも起こるもの、お金が戻れば今回は見逃してやろう」
威厳に満ちた声で、諭すように言う。

お浜の兄・吉松に、「あの四十両はね、川に落っことしちゃったんです」なんてとんでもないことを言われても、
「落としたのなら仕方あるまい。して、いつまでに四十両作れる」
あらまあ、冷静。

吉松はうろたえながら、
「三年…」
青山殿は極めてクールに、
「長い」
(この場面の涼さんと一馬座長のやり取りは必見だと思う)
「じゃ、一年」
「まだ長い」
「二百日」
「長い」
「じゃあ~…百日!」
「百日か、百日ならばそう長くもあるまい。百日後、待っているぞ、吉松」

重低音の声、品をまとう立ち居振る舞い、堂々を絵に描いたような態度。
まさにザ・涼さんだと思う。

後に、この四十両消失事件の真相は、妹の妙の狂言だったことが発覚する。
私が青山殿の一番良いところだと思うのは、身内である妹に対しても、厳しさを一貫して貫くところだ。
「妙、このたわけ者が!」
と妹を怒鳴りつけ、「お兄様」と取り縋られようものなら、
「誰がお兄様だ」
「そなたは今後は心を磨け、さすれば顔も美しくなるであろう」
うわあ、手厳しい…。
が、正しい厳しさだ。
竹をパッキリ割ったように、まっすぐな正しさだ。

――ちょっと夢を見ると、青山殿みたいな上司に「たわけ者!」って叱られたいですね。

それから愛次郎さん演じる妹の妙。
何の罪もないお浜を陥れる悪役だけど。
その身勝手さは、寺子屋の先生(柚姫将さん)への恋に端を発しているので、どうにも憎めない。

「浜、吉松、お前たちは盗人の兄妹だったんですね」
「浜、お前はもうクビよ。とっとと出てお行き」
キツイ物言いの中に、恋敵にトゲを向ける乙女心が揺れている。
「吉松あなた、いい加減にしなさいよ。もう、腹立つわね!」
愛さんが振袖をぶんぶん振り回して、吉松に喧嘩を仕掛ける姿が可愛いのもポイント。

KAZUMAの「四十両の行方」は、吉松・お浜の健気な兄妹に対し、この個性の強い敵役の兄妹がいてこそ抜群に面白い。

ところでこの日は金曜、普通の平日の夜。
私はKAZUMAに限らず、各劇団の普通の日のお芝居を観るのが好きです。
有名なゲストさんが来る日とか、記念公演とか、それはそれでイベントの熱気があってとても楽しいんだけれど。しっかりエンジョイしちゃうけど。
大衆演劇は、日替わりで別のお芝居を乗せて、日替わりで別の感動を紡ぎ出してくれる。
普通の日に、いつも良質なお芝居で魅せてくれる劇団KAZUMAだからこそ、夢中で通うのです。

仕事帰り、十条行きの電車に揺られて、夕闇の商店街を通り抜けて。
「いらっしゃいませー」
黒い引き戸の奥に待っていてくれる、普通の日の極上の楽しみ。

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劇団KAZUMAお芝居「幻峠」&浅草千秋楽模様

2013. 9月千秋楽 夜の部 @浅草木馬館

「幻峠」は、昨年9月の長野・松代ロイヤルホテル以来、2度目の鑑賞。
とても好きなお芝居なんだけど、まともな感想が書きづらい…。

だってセリフや筋を思い起こそうとしても、ネグリジェ姿で華麗に踊る冴刃竜也さんのインパクトに全部持っていかれるんだもの!(笑)

冴刃竜也さん(当日個人舞踊「感謝状 ~母へのメッセージ~」より)


こんなに綺麗なお顔なのに。
「幻峠」では淀橋一家の若い衆・「たけ」の役で、がっつり三枚目メイク。
そんで、ひらひらのネグリジェで、山本リンダの「狙い撃ち」を大変軽やかに踊られる。

この場面になった瞬間、「待ってました!」と掛け声がかかり、一馬座長も「すげえな…これを待ってたんだぜ…」と苦笑気味だったけど。
はい、私も待ってました!

少しだけ真面目にお芝居の内容の話をすると、幻峠で起きた侍の死を巡る、罪と赦しが描かれる。
一つ、とても好きなセリフがある。
「恩を仇で返すはあれど、仇を情で返すのは、この身をおいて他にはあるまい」
クライマックスで、 華原涼さん演じる木村新之助が、藤美一馬座長演じるやくざの新三にかける言葉だ。
仇とは、新三が新之助の弟・新吾(柚姫将さん)を、過ちで殺めてしまったこと。
情とは、新三の年老いた父(龍美佑馬さん)を慮り、その罪を赦すこと。

仇を情で返す――自分が受けた痛みより、相手の痛みを慮る。
高潔な慈悲が、涼さんの発する短い一言に凜とにじむ。

その一方で、心のどこかでは、大事な兄弟を殺されてそんな綺麗事で流せるものだろうか、という気持ちがあったりする。
そこに登場するのが、新之助と新吾の妹・早苗(彩子さん)だ。
「新吾の兄上の仇!」
と短刀で新三に襲いかかるも、新之助に制止される。

この早苗というキャラクターを配しているところが、ものすごく上手い構造だと思う。
新之助の赦しの心と、早苗の恨みの心。
肉親を奪われるという痛みを食らった人の心が、バランス良くどちらも表されているからだ。

思い返せば、昨年9月に松代で観たときも、同じポイントで感動した。
このときは、今回の早苗に当たる新吾と新之助の「姉上」が林愛次郎さん、新之助役が柚姫将さん。
例のセリフは「恩を仇で返すはあれど、仇を情で返すのは我が身のみなり」だった覚えがある。
一緒に観ていた友人と、なんていい言葉なんだ!これを座右の銘にしよう!と盛り上がったのも懐かしい(実践できているかはともかく)。

木馬館千秋楽に話を戻そう。
三部の舞踊ショーでは、今日で最後とあって、お一人お一人がいつも以上に気持ちの入った個人舞踊を見せてくれた。
中でも涙を振り絞ったのは、やっぱりこの方。

彩子さん(当日個人舞踊「糸」より)


彩子さんが深い歌詞がお好きだと話していた、中島みゆきの「糸」。
私自身も敬愛している、かの名歌手の声が流れ出した途端に、もう視界が潤む潤む。

――なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない――
――縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない――


彩子さんに会えてよかった。
たくさんの役者さんがいる中で、他でもないこの方が劇団KAZUMAに来てくれて、本当によかった。

そして「糸」で客席を感涙させてからの、曲の転換。

――ポーニョ  ポーニョ ポニョ さかなの子 青い海からやってきた――

「崖の上のポニョ」のめちゃめちゃ明るいメロディに、彩子さんの生命の発露のような笑顔。
でも、私は手拍子しながら、「糸」以上にボロボロ泣いてしまった。
だってこの歌詞、まさに彩子さんのことなんだもの。

――あの子とはねると 心もおどるよ――
うん、彩子さんの舞台を観てるだけで、心が踊った。
――あの子が大好き まっかっかの――
うん、大好きでした。

――ポーニョ ポーニョ ポニョ 女の子 まんまるおなかの元気な子――
ここでポン!と自分のお腹を叩いたりして。
彩子さんの魅力、全開。

いかん、書いてたら、また懐かしくて寂しくてならなくなってしまった。
彩子さんが「劇団秀」での活動を再開されたら、また必ず会いに行こう。

さて、楽日を終え、私の浅草通いの一ヶ月にも幕(今篠原に通ってるけど)。
東京メトロの浅草駅で降りて、雷門で友人と待ち合わせ。
仲見世の横を早足で通り抜けて、木馬館が見えてくると、「藤美一馬」の幟が立っているだけでにんまりしてしまう。
そんな幸福な幸福な一ヶ月だった。

客席でも、忘れられない出会いがある。
千秋楽近くのある日、木馬館で隣合わせたおばあちゃんに仲良くしていただいた。
私が「男の人生」が良かった、「曽根崎心中」もまた観たい、と喋っていると、もう八十を越しているというおばあちゃんはニコニコして答えた。

「あたしはね、もう年だから、どんなお芝居だったかな~どんなショーだったかな~なんて、観終わったらすぐ、忘れちゃうの」
「好きな座長さんの名前も、もう何だったかなぁ。好きだったのになぁ」
「でもね、ここの劇団良かったな~ってことだけ、なんとなく覚えてるの。面白かったな~ってことだけ、なんとなく残ってるの」
「だからここへね、また来るのよ」

私がいくらたくさん書き綴ろうと、詳しく書き残そうと。
このおばあちゃんが胸に抱えている、素朴な感動のありさまの前には、かしましい言葉遊びのようなものだと思う。
隣席から受け取った、吐息のようなささやかな心こそ、きっと大衆演劇を支えてきた。
客席から舞台に注がれてきた、無数の慈しみの一つなのだ。

書くしか能のない素人だけど、こんな隣人にそっと教えをいただきながら。
私はまだ暫く、夢舞台の下に座っていよう。

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劇団KAZUMAお芝居「その後の沓掛時次郎」

2013. 9月千秋楽 昼の部 @浅草木馬館

白髪混じりの沓掛時次郎(藤美一馬座長)は、噛みしめるように語る。
「お前の死んだおっかさん、おとっつぁん、じいさま、ばあさま……その人たちが今のお前を見たらどう思うんだ」
精悍な若者になった太郎吉(柚姫将さん)に、老いた時次郎のまなざしは慈しみを投げかける。
そして時次郎の語りは、物語の奥深くから、なつかしい人たちを描き出す。

藤美一馬座長(当日太鼓ショーより)


柚姫将さん(当日個人舞踊「春よ来い」より)
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千秋楽のお芝居が楽しみすぎて、前日の夜飲んだにも関わらず、この日は朝6時に目が覚めてしまった。
だって「その後の沓掛時次郎」!
気になる、気になる!

大衆演劇への興味から派生して、昨年12月に長谷川伸傑作選「沓掛時次郎」を読んで大感動。

おきぬ「あたし達母子とお前さんとは、縁もゆかりもない赤の他人だのに、こうして親切にして貰っているのを思うと、つい泣けて、しようがないのですよ」
時次郎「おきぬさんのお株が始まったね。他人も親類もあるもんか。坊や、おっかちゃんに、泣くんじゃねえっていいな」
太郎吉「おっかちゃん。小父さんが心配するから泣くんじゃないよ」


時次郎とおきぬさんは互いに想いを寄せあっていながら、決して口に出さない。
そこがたまらなく情が深くていい。
おきぬさんは産褥で亡くなってしまい、時次郎は残された太郎吉を連れてまた旅へ…

…っていうお話の続きを、劇団KAZUMAが見せてくれるんですよ。
いつ行くのか!今でしょ!(このフレーズ何にでも使えるなぁ)

物語は、おきぬさんの死から18年後。
いまだ一羽烏で旅をかける時次郎は、年老いてもなお、その腕前で津々浦々のやくざ達から畏れられている。
白髪の鬘の一馬座長は、穏やかな笑みの中に凄みを閉じ込め、年輪を重ねた切れ者の風貌。

時次郎が古い知己に聞いて回るのは、
「なあ、太郎吉が、今どこにいるか知らねえかい」
18年前に、手を放した子どもの行方だ。

おきぬさんに死に別れた後、時次郎は太郎吉をおきぬさんの実家に連れて行った。
太郎吉はそこで、祖父母に育てられた。
しかし祖父母が亡くなってから、酒に溺れ、サイコロを転がすようになり、遂には長ドス差して旅烏になったという。
一番なってはいけなかった、父親と同じやくざになった。

運命の巡り合わせで、時次郎は太郎吉を見つける。
ただし、最悪な形で。
時次郎と古くから親しい親分(美影愛さん)の一家に侵入し、親分を斬り捨てた刺客。
その顔を見た瞬間、時次郎はハッと凍りつく。
険しい目つきの暗殺者こそが、18年前に別れた太郎吉だと、一目でわかったのだ。

「頼む、あの男を殺さないでくれ、頼む」
時次郎は、殺された親分の部下・苫屋半太郎(冴刃竜也さん)を、身を張って制止する。
「何言ってるんだ時さん、親分の仇討ちだ。そこをどいてくんねえ!」
いきり立つ苫屋を止め、かぶりを振る一馬座長の切なげな容色。
「あの男を殺すなら、代わりに俺を斬ってくれ」
と白刃の前に腰を下ろす。

18年経っても違えるはずのない、自分が手を引いて旅した子。
たとえ太郎吉には自分が“時のおいちゃん”だと分からなくても。
一粒だって欠けやしない、太郎吉への愛情が、一馬座長の目を閉じた表情から漏れ出づる。

この愛情の深さが、クライマックスの、時次郎が太郎吉を淡々と諭す場面に効いて来る。
「馬鹿な真似をやめて、かたぎになれ」
「お前のおっかさんが、どんな思いでお前を育てたと思う。お前のおとっつぁんが、どんな思いでお前を遺していったと思う」
「お前のじいさまは、ばあさまは…」

聞いているうちに、私の視界の中には、不思議な影がよぎっていた。
諭す一馬座長と、俯き加減に聞いている将さんの間。
お芝居に登場すらしていない人たちの面影が、ぼんやり浮かぶのだ。
太郎吉の母であるおきぬさん、父である六ツ田の三蔵、太郎吉を育てたじいさま、ばあさま。
一馬座長の語りの中だけに登場する人たちなのに。
それぞれの情愛に満ちたまなざしが、一つ一つ、舞台に瞬いているような気がした。

「お前は一人で大人になったわけじゃないだろう。みんなに育てられて、守られて、大人になったんだ。その人たちに今のお前を見せられるか?」

そうだ、死んだ人たちはみんな、太郎吉をどんなに愛したことか。
みんな、この子が大好きだったから。

時次郎の言葉を受けて、将さん演じる太郎吉の“声”に変化が現れる。
序盤では荒みきった声音で、
「そいつを斬ったら、金はちゃんといただけるんでしょうね…」
なんて言っていたのに。

段々甘やかな、まだ童心を引きずったままの、太郎吉の声が帰って来る。
「だって、“時のおいちゃん”は一度も会いに来てくれなかったじゃないか!」
「おいちゃんが来るのをずっと待ってた、なのに5年経っても10年経っても来やしなかった…」

親子の心のぶつかり合いは、時次郎が太郎吉に「新しい足袋を履かせる」という場面で結晶する。
時次郎が地に足を着いて、丁寧に足袋を広げ、太郎吉の脚を持って、涙をこらえながら履かせていく。
このときの舞台から零れ落ちてきた、限りなく温かいもの。

それを胸いっぱいに抱えたまま、一緒に観ていた友人と言い合った。
「この話、私たちの話でもあるよね…」
「親とかおじいちゃんおばあちゃんとかに、守られてきたもんね…」
なにぶん若輩者なので、こういう話には身につまされてしまうのです。

劇団KAZUMA木馬館編は、いよいよ最後、千秋楽の夜の部へと続く。

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劇団KAZUMAお芝居「佐太郎時雨」

2013. 9. 28 昼の部@浅草木馬館

この日は9/28(土)。
早くも、KAZUMAの東京公演前半戦が終わろうとしていた(実際書いてる今はもう篠原だけど)。
この光陰矢の如しっぷりはどうしたことだろう。

そして、9月が終わりに向かうにつれ、寂しくてたまらなくなっていったことがある。
5か月間KAZUMAにいらした彩子さんが、遂に離れてしまうことだ。

彩子さん(当日舞踊ショーより)


5月、広島・夢劇場遠征で彩子さんの個人舞踊を初めて観たとき、うわあ!と一気に惹きつけられた。
この人の笑顔はなんて明るい、なんて可愛い。
女優さんに対してあまりに陳腐な表現だけど、舞台に鮮やかな花が咲くような。

加えて、登場人物に成りきる系統の個人舞踊もとても好みで。
「化粧」「お嫁においで」「鬼火送り」……忘れられない舞踊がたくさんある。
下町かぶき組の「劇団秀」や、大衆演劇以外の舞台でも活躍されている女優さんだと聞き、表される感情の深さに納得した。

だからお芝居「佐太郎時雨」で彩子さんがたくさん活躍していたことは、嬉しくてならなかった。
弾むような声と、全力の演技を堪能できた!

彩子さん演じる芸者・小鈴は、やくざの佐太郎(藤美一馬座長)に夢中。
佐太郎は姐さん芸者(霞ゆうかさん)といい仲なのだけど、小鈴はそんなことではめげない。
「佐太さん、佐太さん」と佐太郎を元気に追いかける姿の、もう、もう、かわいいこと!
小鈴っていうか小鈴ちゃんって呼びたくなる。

佐太郎は一家の親分(冴刃竜也さん)と決裂し、男修行の旅に出る。
だか途中、小鈴ちゃんはにんまりと待ち伏せしている。
「待って沙汰さん、あたしも行く!」
呆れた佐太郎に「ぶつぞ!」と言われれば、
「ぶって!佐太さんにぶたれるなんてご褒美よ!」
「じゃあ蹴るぞ!」と言われれば、
「蹴って!どうぞ蹴ってよ!」
ああ一途。
でもホントに軽く蹴られると、
「佐太さんひどい、本当に蹴るなんて思わないもん!」
ああ乙女。
こういうきゃんきゃんした感じの女の子っていうのは、なんでこうも愛しいのか。

小鈴ちゃんの恋が成就するといいな。
という思いで完全に感情移入して観ていると、小鈴ちゃんの強い味方が現れる。
「お前の恋、わしがなんとかしてやろう」
身分のありそうな謎の男性(華原涼さん)は、小鈴ちゃんの「出雲の神様」になってくれるという。

華原涼さん(当日舞踊ショーより)


「ホントにあたしを助けてくれるの?出雲の神様、ちゃんとやってよ」
と疑う小鈴ちゃんに、
「うむ、万事わしにまかせておけ」
と快活に笑う。
着ているお着物や気品からして、偉い人のようなのだけど、この時点では正体はわからない。

この役、すっごく涼さんっぽい。
涼さんってとにかく高貴な人とか大親分とか、風格のある役がハマると思うのだ。
あの重量感のあるお声に、涼しい風貌だもの。
わずかな管見の中で涼さんの至芸だと思ったのは、「四十両の行方」の名家の主君役(昨年11月鑑賞@尼崎中央天満座)。

さて3年後、旅から帰って来た佐太郎を、小鈴ちゃんは健気に待っていた。
その心は、相変わらず佐太郎一筋。
佐太郎と弟分・三之助(柚姫将さん)が命がけの喧嘩に行こうとも、
「ああ三ちゃん、三ちゃんはどうでもいいから佐太さんをしっかり助けて来てね!」
こんな何一つ包み隠さない言動も、彩子さんが演じると純な心の表れに見えます(贔屓目?)。

ちなみに、「佐太郎時雨」には、もう一組カップルがいる。
三之助とお花ちゃん(香月友華さん)。
こちらは、お花ちゃんのお父さん(美影愛さん)から結婚の許しが得られるかどうかで、すったもんだするエピソードがある。
二組のかわいいカップルが話の主軸にいるせいか、「佐太郎時雨」は一応やくざものなのに、ラブコメの印象が強い。

一体「出雲の神様」の正体は?
小鈴ちゃんの恋の行方は?
って予告の付くような、ラブコメ少女漫画のノリで最後まで楽しみきった。

浅草でのKAZUMA観劇は、この時点であと一日、千秋楽を残すのみ。

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劇団KAZUMAお芝居「三つの魂」

2013. 9. 23 夜の部 @浅草木馬館

伴天連鬼十郎 (藤美一馬座長)の人生に、信じるものひとつ。

藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


この大盗賊が信じるのは、常に胸に下げている、ロザリオかもしれない。
信仰のために親を処刑されようとも、鬼十郎は異端の証を肌身離さず身に付けている。

それとも、幼い頃から鬼十郎の面倒を見てきた、「おやっさん」(美影愛さん)かもしれない。
鬼十郎にとって、唯一の心を許せる存在だったのだから。

美影愛さん(9/22舞踊ショーより)
当日のお写真がうっかり消えてしまったので前日のものから…


キリスト信仰を扱ったお芝居を観たのは初めて。
信仰への迫害を背景にした物語には、千切れるような悲しみが散らされていた。

天草に生まれた三兄妹、鬼十郎・政吉(龍美佑馬さん)・お菊(霞ゆうかさん)の父親は、キリスト教徒だったために処刑された。
さらに三兄妹は生き別れになってしまい、それぞれ過酷な人生を歩んできた。

中でも長男の鬼十郎は、街を彷徨う浮浪児になった。
飢えと寒さ、世間の冷たさに苛まれる日々。
盗まなければ暮らしていけない。
奪わなければ生きていけない。
鬼十郎は次第に悪事に手を染め、大人になる頃には盗賊の頭となっていた。

でも、救いが全くなかったわけではない。
唯一の温情を与えてくれたのが、美影愛さん演じるおやっさんだ。
美影さんの巧みな語りの中で、鬼十郎との初対面の様子が描き出される。
『腹が減ってるのか、お前』
飢える鬼十郎に握り飯をやり、寝床を提供してくれた。

「鬼十郎。ずいぶん久しぶりだなぁ」
酩酊しているような口調とともに、おやっさんはふらりと夜の街に現れる。
その姿を目にした途端、いつも残酷さを彫り込んだような表情の鬼十郎から、笑みが零れる。

「おやっさんがいなきゃ、俺は今頃死んでた。感謝してるよ」
「なあに、俺はなぁ、お前を助けたなんて言えねえ、とてもお前の親だなんて言えねえ。俺のほうが助けられてきたのよ」

つかみどころのない話し方が印象的だ。
美影さんの自由気ままな風情が、とても合っていた。
「鬼十郎、あまり無茶するなよ。終わったら、また一杯飲もうや。いつもの所で、待ってるからな」
古い付き合いの醸し出す温もりは、家族のそれにも似ている。

ああ、良かった。
鬼十郎の人生に、少しでも優しい出会いがあったんだ。
おやっさんとの再会の場面を観ていて、私はついホッとしてしまった。

けれど、物語は希望を振り捨てて進んで行く。
鬼十郎はとうとう御用になってしまう。
それも、十手持ちになっていた弟・政吉の手で。

だが、覚悟を決めた鬼十郎は、もはや抵抗しない。
演じる一馬座長は、達観とも諦観ともつかない表情を浮かべていた。
役人に父を奪われ、家族を奪われて。
どこまでも終わりのない世間の白眼の中、一人ロザリオに縋るように生きてきた。
縄をかけられた鬼十郎は、この世の暗いことの全てを受け入れるかのように、笑みすら浮かべている。

縄を引かれていく直前、妹・お菊の赤ん坊にロザリオをかざして、何か祈るように囁く。
ここのセリフは口の動きだけだったので、何と言ったのかどうしても気になり、直接一馬座長に聞いてみた。
“神のご加護を”
だそうな。
聞いたとき、鬼十郎の心境がくっきりと見える気がした。
どんなに力で押さえつけられても、心の中の信仰だけは消すことができないのだ。
そのために石もて追われる身となっても。

だが、鬼十郎がおとなしく連行されようとしたとき、背後から突如声がかかる。
「鬼十郎!お前が気になってるのは、俺のことだろう」
涙混じりのその声に、鬼十郎は初めて動揺して振り返る。
よろよろと駆けつけたおやっさんは、包丁を握りしめていた。
「こんな老いぼれ一人、子の気掛かりになってちゃいけねえ…」
止める間もなく、おやっさんは包丁を自らの腹に突き立てる。

「おやじどの――!」
慟哭。
これまで何があっても激しい感情を見せなかった鬼十郎が、ただ一度悲嘆に叫ぶ。

目の前で死んでいくその人は、何よりも掛け替えのなかった温もり。
死んだ親よりも、生き別れになった弟妹よりも、もしかすると首に下げた祈りよりも。

私は涙線崩壊した視界の中で、悲劇の幕切れを見つめていた。

“神のご加護を”
盗賊の黒づくめの服に、しんしんと光るロザリオ。
世間の冷たさばかりに喘ぐ人生にも、縋るよすががひとつある。

差し出された握り飯。
闇の底へ突き落とされたような人生にも、残る灯がひとつある。

「いつもの所で、待ってるからな」

その人生に、信じるものひとつ。

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劇団KAZUMAお芝居「大江戸の鬼」

2013. 9. 22 昼の部 @浅草木馬館

気持ちを一つ作って、一つ積んで。
将さんの演技って積み木みたいだなぁ、と思った。

「恩ある堤様に腹を斬らせるわけにはいかない…なんとしても人斬り千太郎、捕まえなければ」
物語の進行に合わせて、気持ちを一つ作り出して、舞台に積んで。
「駄目なんだ、お吉、この縄はどうしても解くわけにはいかないんだ」
また一つ、積んで。
丁寧に積み上げたその頂点に、ここぞというセリフを乗せる。
「恩義の―ためだ!」
積み木のてっぺんから、すとんと感動が胸に落ちて来る。

柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


…というようなことを、勝手につらつら考えていた「大江戸の鬼」。
登場人物多いし、筋もわりと入り組んでいるので、見どころのとても多いお芝居だった。

たくさんあるキーの一つが、幼い頃生き別れになった兄妹の辰三(柚姫将さん)とお吉(霞ゆうかさん)だ。
二十年前、両親が死に、まだ子どもの辰三とお吉は二人きりになった。
「大江戸の鬼」で私が一番惹きつけられたのは、辰三が過去を語るシーンだった(ファンの贔屓目が入り過ぎかな?)。

「俺もお吉もまだ子どもだった。でも、親が死んだ途端、村の人たちの態度が変わった」
「ある人は、辰三、お前のおっかあには米をあげたことがあった、その貸しをどうするんだと言ってきた」
「ある人は、辰三、お前の親父には金を貸していたんだ、あの金をどうするんだ、と」

将さんの表情と声から、子どもが追い詰められていく心が、その苦しさが、ひりひりと迫って来る。

「なあ、辰三、どうするんだどうするんだどうするんだ、と…」

うあ、やめてくれ。
周囲の大人に詰問される子どもの心に、私はすっかりシンクロしてしまって、
このセリフのときは、本当に自分が責められているような心地だったのだ。

そして、ちょっと冷静に戻ってから。
悲痛な表情で語り上げる将さんを観ていると、気持ちを「積む」手が、舞台に現れているような気がした。
村に居場所がなくなったからこそ、辰三はお吉の手を引いて村を出た。
だがお吉がいると、思うように道は進まない。
お吉がいると、食べ物が手に入ってもお腹一杯食べられない。
幼い辰三のもどかしさが「積まれ」、ひもじさが「積まれ」、そしてとうとう。

「天保山のふもとに、お吉を置いて、すぐ帰って来るからなと言って」
「俺はその場を離れて、走り出した…」

感情は頂点に達する。
そのときの辰三の「どうしようもなかった」切迫感、罪悪感がどっと雪崩れこんできて、私はやっぱりぽろぽろ泣いてしまった。

皆さんが東京にいてくれるうちにできる限り観たい!と、9月の土日は木馬館に入り浸り。
(その代わり平日は残業三昧だったけど、観劇のためと思えば幸せな残業だった…)
ひとつひとつ感想を書いていると、なかなか追いつかない。
文章力不足ゆえに、違うよKAZUMAの魅力はこんなもんじゃないよと煩悶して、手が止まってしまうこともしばしば。
けど、やっぱり残しておきたい。
大事な大事な、2か月限りの舞台録。

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