劇団KAZUMAお芝居「生首仁義」

2013. 9. 21 昼の部 @浅草木馬館

あれから1年2カ月になるんだな。
昨年7月の木馬館で、劇団KAZUMAの「生首仁義」を観て、大衆演劇の世界に飛び込んでから。

個人的な思い入れを抱えながら迎えた、今回の「生首仁義」の日。
このお芝居については、今年2月にくだまつ健康パークで観たときにさんざ書いているので、逆に今さら書き加えることは少ないんだけども。
(くだまつ健康パークでの鑑賞録
 「生首仁義」①柚姫将さんの三代目役・一馬座長の二代目役
 「生首仁義」②華原涼さんの仙蔵役・冴刃竜也さんの長五郎役
 「生首仁義」③宿命と意志
我ながらどれだけ好きなんだというくらい語りまくっている…)

それでも、全く同じお芝居は二度とない。
9/21(土)の「生首仁義」で、印象深かった方をお2人挙げておく。
まずやっぱり外せないのは、実質主役である三代目を演じている将さん。

柚姫将さん(当日ミニショーより)


三代目の自決の場面は、何度観ても泣いてしまう。
気弱な三代目が、汚いやり口で騙されて、突如として目の前に突き付けられた切腹。
震えて、泣いて、抗って、それでも腹を切らなきゃならない。
動かせない運命の重みにつぶされそうになりながら、最期の最期で、発せられる意志の光。
「おいらの首を横車一家に渡して、渡世の仁義を通しておくれ!」
どこまでも暗いさだめの中にあっても、抵抗をやめない人間の声。

私が今回最も落涙したのは、自決の場面の最後だ。
おのが手で首を掻き切って、三代目の命の灯が消え入る直前。
ぱた…と、三代目の上半身が、糸に引っ張られるように持ち上がる。
将さんの目は、どことも言えない遠くを覗きこんでいる。
体は一度床に倒れ、でも命はまだ消えない。
ぱた…と虚空に持ち上がる、今度は腕一本。
小さな命の最後の抵抗が、静寂の降りた舞台の上、囁くように発せられる。
まだ生きてる、まだ生きてる、まだ……
私は二階席で、完全に没入して観ていた。
遂に三代目の体から力が抜けたとき、自分でもびっくりするくらい溜まった涙が流れ落ちた。

それから、今回の「生首仁義」にはゲストさんがいらしたのだ。
「劇団秀」の千澤秀座長。
私がこのお芝居で最も格好いいキャラクターだと思っている、白鷺一家の若い衆のうち兄貴分のほうを演じていた。

千澤秀座長(当日舞踊ショーより)


普段は、兄貴分のキャラクターの名前は「仙蔵」で、その弟分が「長五郎」。
――なんだけど、この日は舞台上のちょっとしたはずみで二人の名前が入れ替わり、秀座長演じる兄貴分が「長五郎」、弟分が「仙蔵」になっていた。
こんな事件も含めて、生のお芝居ならでは。
なのでこの日の「生首仁義」では、冷静沈着な兄貴分の名前は「長五郎」ということで。
それにしても秀座長、二人のキャラクターの名前が混同されていることを一瞬で把握して、
「よさねえか仙蔵!」
と、即座のセリフで場を整理した。
初めての劇団、初めてのお芝居で、こんなに冷静に物事を判断できるものなのか…。
凄まじい手腕を垣間見るような思いがした。

秀座長の「長五郎」は、その声の良さが印象的だった。
静かで、聞きやすく、温かみのある声。
「ねえ二代目、三代目は気の弱い御方だ、どうかあまりきついことは言わないでやっておくんなせえよ」
決して三代目を怒らず、怯えさせない話し方に、慈しみを感じさせる。

お芝居終えて、舞踊ショーで改めて秀座長をよく観てみた。
偉丈夫なのに体のラインがまあるいせいか、格好良さの中に、可愛い風情のある方でした。
可愛い役者さんの好きな友人は、隣席で大喜び。
秀座長を表現していわく、「まりまりしていてすごく良い」らしい。
まりまりしている…うまい擬態語だ。

しかし「生首仁義」観た後は毎回、どっと過集中が解けるのと散々泣いたのとで、軽く虚脱状態(笑)
客席で多少ぐったりしながらも、心底「観た…良いお芝居観た…」という気持ちに満たされていて、大層幸せでした。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

劇団KAZUMAお芝居「馬の足玉三郎」

2013.9.16 夜の部@浅草木馬館

下から上を、見上げて笑う。
力弱き者が、力に満ちた者に投げかける笑いは、堅固な権力構造をぐにゃっと崩す。
喜劇の力って、そこにあるのではないだろうか。

土日の4回連続鑑賞も、あっという間のラスト、大好きな「馬の足玉三郎」!
このお芝居をKAZUMAで観るのは2回目(劇団花吹雪でも昨年12月に鑑賞)。
玉三郎(藤美一馬座長)と海老蔵(柚姫将さん)の兄弟にまた出会えて嬉しいな!

写真・藤美一馬座長(左)・柚姫将さん(右) 当日ラストショー「曽根崎心中」より


この喜劇は、なんでこんなに面白いかなぁ?
将さんの笑い混じりの口上曰く、「うちの中でもめちゃくちゃなお芝居です」。
ああそうだ、理由の一つは、お芝居の中での自由度が相当高そうだからかな。

劇団の馬の足を務める兄弟、玉三郎と海老蔵は、ある日万屋のお嬢さん(霞ゆうかさん)がやくざに絡まれているのを助ける。
玉三郎はお嬢さんに一目惚れ。
でも、お嬢さんは海老蔵のほうに一目惚れ。
お嬢さんが海老蔵の名前を玉三郎と勘違いしたことで、一度は玉三郎にお嬢さんとの縁談が来る。
ぬか喜びもつかの間、すぐに誤解が解けて、お嬢さんは「海老蔵様と一緒になれないなら死ぬ」とまで言う有り様。
この後は、どちらがお嬢さんと一緒になるだならないだ、兄弟の縁を切るだ切らないだ、ひたすら兄弟間で揉める…ていうのが大枠。
この枠の中で繰り広げられる会話は、実に奔放で楽しそうだ。

たとえば、ふて寝する玉三郎に、海老蔵が羽織をかけながら、故事を引用して「辛抱」の大事さを繰り返し説く場面。
「なあ、兄さん!今は辛いだろう悔しいだろう、だがこんな話がある…」
「だから兄さんも今は辛抱してくれよ!」
何度も何度も「なあ兄さん!」をループし続ける海老蔵のしつこさが、笑いどころの名場面だ。
厳密な回数は決まっていなくて、そのとき将さんの故事のレパートリーが出て来るだけやるらしい。
今日は何回やるかな?確か去年観たときは6、7回だったし、それくらいかな?
と、数えていたら。
…11回。
さすがにびっくりだよ!
というか、そんなにポンポンと故事が出て来るのが凄すぎるよ!

さらに、終盤の玉三郎が旅に出ようとする場面。
「恋に破れて恋に泣く~」
「俺もなりたや 兄弟星に~」
海老蔵との別れを終えて出発しようとすると、おおよそ兄弟の別れには相応しくないおちゃらけたBGMが流れて来て、やり直しになるという演出。
驚いたのは、このBGMで何を流すか、事前に決まっていないらしい。
そのとき舞台裏で決めているようで、一馬座長はイントロを聴いて何の曲か判断していた。
去年観たときは、4~5回だったこの場面も、この日は怒濤の8回!(ちなみに劇団花吹雪バージョンでは3回だった)
いつ終わるのかわからないおちゃらけBGMに、一馬座長の息が次第に上がっていく。
「疲れた、今日はホントに疲れてきた…」
とのこと。
だろうなぁ(笑)

ゆるい枠の中で、その日その場での決め事が、水のようにしなやかにお芝居を紡ぐ。
同じものが観れるのは、その日一夜限りと思うと、余計に笑える気がする。

そして「馬の足玉三郎」のストーリーそのものについて、勝手な想像。
この話は、そびえる権力構造にぷっと矢を吹き放つ、小さなパロディの姿をしている気がする。
「玉三郎」と「海老蔵」と言えば、歌舞伎の頂点にある名前。
それを、舞台に立つ者の中で一番光の当たらない馬の足の兄弟に持ってきちゃう、このセンス。
兄弟がアホな喧嘩をすればするほど、「玉三郎」と「海老蔵」という名前の重々しさが、あっけらかんと崩れ去っていくのを見る。

また、ストーリーのほとんどが繰り広げられる劇場の楽屋では、兄弟の他にも笑わせるキャラクターが動き回っている。
珍妙なトーンで「玉ちゃま」と喋る女形(龍美佑馬さん)や、どぎついメイクの座長(華原涼さん)。
彼らの言動や風貌にどっと観客席が沸く。
女形やら座長やら、「伝統的」な舞台演芸は、時に抑圧的なまでに厳めしい、
「玉ちゃま」に沸き立つ笑いは、その厳めしさを剥がし取っていくような。

海老蔵のセリフでこんなのがあった。
「今は馬の足でも、いつか日の当たる舞台で立派な役者になるんだと決めたじゃねえか!」

この喜劇は、日の当たらない者の側にあるのだ。
観客と一緒に、下から上を見上げて笑ってくれるのだ。
人々の喝采が遠かろうとも。
そこに栄華は咲いていなくとも。

大衆演劇から大脱線するけど、権力のパロディ化といえば、私の中ではイギリス詩人チョーサーの「カンタベリー物語」。
高校生のときにとっても感動した、愛読書の一つです。
冒頭で語られる「騎士の話」は、高潔な西洋騎士道の教訓話。
どっこい、2番目に語られる「粉屋の話」は、「騎士の話」の卑俗なパロディになっている。
騎士道なんてどこにもない、庶民の下世話な滑稽話に。
木馬館の舞台で生き生きと演じられる「馬の足玉三郎」に、「粉屋の話」を読んだときと同じ爽快感が込み上げた。

雲の上の名誉を、思い切り卑近に手繰り寄せて、けらけら笑える対象に変身させる。
ザッツ・パロディ、喜劇の力。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「北海の虎」

2013.9.16 昼の部@浅草木馬館

「台風18号が直撃している中で来て下さって、本当に、本当に、ありがとうございます」
「あれだけテレビで外出しないでくださいと言ってるにも関わらず、わざわざ外出をして木馬館に来てくれた」
「今日はもう、私の気持ちとしては大入り満員です!」

ミニショー終わっての一馬座長の挨拶に、座長―!と胸中で歓声。
台風と重なった9/16(月)の観劇は、大衆演劇にハマって一年二カ月の中でもかなり思い出深い日だった。
朝、窓の外の強風と雨を見て、これはそもそも公演やらないんじゃないだろうか…と不安に思ったけど。
木馬館に電話してスタッフの方に聞いてみると、
「はい、公演しますよ」
「普通に昼の部も夜の部もあるんですか?」
「はい。今日は10時から中に入れますから」
「……じゃ、行きます」
宣言しまして、浅草へ。
東京メトロはこの日も頑張ってくれた。
かつてないほど人通りのない仲見世を、強風に傘を持って行かれそうになりながら進んで。
ようやく木馬館の姿が目に入ったときの、安心感といったら。
辿り着くだけでちょっとした冒険でした。

当然客席を埋めるのは、台風の中わざわざ来た猛者の方々ばかりなわけで…
そのせいなのか、この日の舞台には、なんとなく濃い空気が漂っていたような。

加えて「北海の虎」は、ちょっと独特のお芝居だった。
私が特に珍しいと感じた点が3つある。

1.主人公・虎(藤美一馬座長)のキャラクター

写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


まず、こんなにハッキリと、主人公が“ダメな奴”であるお芝居を初めて観た(笑)
自分の弱さにずるずる負けている、けっこうどうしようもない感じの…

博打打ちの虎は、昔から世話になっている近所の老人(美影愛さん)の家に無心に来る。
虎が金の包みを無理やり取り上げると、老人は躍起になって抵抗する。
「その金は、息子が命がけで作って来てくれた金なんだ。頼む、その金だけは持って行かないでくれ」
老人の息子・新吉(柚姫将さん)は、病の父の薬代のため、蝦夷へ人足として働きに行った。
虎が取り上げようとしているのは、人足の前払い金だったのだ。
「泥棒―!」
老人の叫び声に慌てた虎は、老人の口を手でふさぐ。
気がつくと、病で弱っていた老体は、既に命はなかった。
「そんなつもりじゃなかった」と慌てふためく虎だが、もう時遅し。
老人の娘・お美代(霞ゆうかさん)に気づかれそうになり、あろうことか、お美代の顔面に熱い灰を投げつけて逃げ出す。

書いてて改めて感じるクズっぷり…
虎はいっぺん本気で反省しろ!と、一馬座長の演技に思わせられながら、最後まで観ていました。


2.煙草とお握りと「綾鷹」
中盤以降、舞台は蝦夷へ。
過酷なタコ部屋で働いている新吉の状況が描かれる。
偶然にも、虎も同じタコ部屋で人足として働く羽目になっていた。

虎と新吉が重労働に苦しんでいるところに、新吉の妹のお美代が訪ねて来る。
お美代は、虎に投げつけられた灰のために目が見えなくなっていた。
お美代が兄のために一生懸命運んできた煙草とお握りを、虎はあっさり自分のものにしてしまう。
「俺がこれ食ってる間、お前妹と話してていいぞ」
…なんという…
虎はいっぺん本気で(以下略)

父が何者かに殺されたことを聞き、嘆き悲しむ新吉。
殺人犯が、すぐ横にいる虎だとは思いもせずに。
虎はさすがに良心が疼き、煙草とお握りを新吉に分けてやる(元々新吉のだけどね)。

ここで、客席から思わぬ追加アイテム。
お握りにぴったりな「綾鷹」が、サッとお客さんから舞台に差し入れられたのだ!
一馬座長は実に楽しげに、
「蝦夷っていうのはやっぱり珍しいものが生えるもんだな…お茶が生えてきたよ…」

虎と新吉が、お握りを頬張り、煙草を吹かし、そして「綾鷹」で喉を潤す(笑)。
ここまで、殺人の場面に始まり、寒々しい蝦夷でのタコ部屋労働が描かれてきた。
殺伐としたお芝居だからこそ、この半ばの平和な舞台模様がやたら心に残っている。
しかし、この差し入れした方、素晴らしいなぁ。


3.蝦夷という舞台
「その道をずっとまっすぐ行くと、アイヌという人たちの暮らしている村がある…」
「言葉は通じねえが、親切な方達らしい」
アイヌ!
大衆演劇では聞き慣れない単語に反応した。
終盤、虎が新吉にタコ部屋から逃げる道を教えてやる場面でのセリフだ。

そういえば、蝦夷――北海道が舞台のお芝居って初めて。
「アイヌ」の単語ひとつで、蝦夷の本土とかけ離れた寒さ、異文化のイメージが、一息に頭の中に広がった。
近くで観ていたご婦人の話によると、昨年このお芝居が木馬館で上演されたときは、「アイヌ」という単語はなかったそうな。

色んな意味で、レアなアイテムが詰まったお芝居に、台風が吹き荒れる中、楽しませていただいた。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「小仏峰五郎」

2013.9.15 夜の部@浅草木馬館

続けて、夜!

初めて観た「小仏峰五郎」。
主人公の峰五郎(冴刃竜也さん)が、飯岡一家に妻・お繁(香月友華さん)を蹴り殺され、飯岡への仇討ちを果たすお話。
でも、仇討ちの場面そのものは長くもなくアッサリしていた。

むしろお話の焦点は、仇討ちの前に、「峰五郎の後顧の憂いを取り除く」ことにある。
かつて峰五郎は、笹川繁蔵親分(藤美一馬座長)の一家に草鞋を脱いでいた。
その縁で、笹川一家があれこれと遠回りなお世話を焼いて、峰五郎の赤ん坊を引き取ってやるのだ。

笹川一家の若い衆・「火の玉啓介」(藤美真の助さん)の面白さが抜群に光る!(啓介の字は当て字)
この日の真の助さんには、ものすごく気持ちよく笑った。

写真・藤美真の助さん(当日舞踊ショーより)

まなざしの優しさが伝わってくると思ったら。


同じ一曲の中でこんな表情をされる(笑)

さて、啓介はちょっと阿呆なのんきもの。
兄貴分である合川の兄貴(柚姫将さん)は、啓介に峰五郎の赤ん坊を見つけさせようと仕向ける。
「おい啓介、俺は兄貴からここを守るように言われてるから動けねえ。お前、俺の代わりに小便行って来てくれ」
という無茶な注文にも、
「わかりやした、頑張ってきます!」
と、啓介は勇んで立ち小便をしに表へ出る。
そしてその最中に、合川がこっそり寝かせておいた赤ん坊を発見する。
「俺の小便から赤ん坊が生まれました!俺が産んだんです!」
と大騒ぎ。

「泡から生まれたから、泡太郎だな」
「泡太郎は俺が産んだんだから俺が育てます」
と啓介は主張するも、泡太郎(仮)は繁蔵親分が引き取ることになる。
「泡太郎、泡よ…」
啓介が真剣に赤ん坊に呼びかけ、親子の別れを行う場面のシュールさ。
照明はバッチリ暗く、赤ん坊の人形を抱えた真の助さんの姿のみが切なげに浮かび上がり、真の助さんの朗々とした声が響く。
「泡太郎、お前に親として何もしてやれなかったが、親分に可愛がってもらうんだぞ…」
なんだこの光景は(笑)

啓介は全編通して面白いけど、合川との絡みで言えば、もう一つ秀逸な場面があった。
合川は峰五郎の助太刀に行こうとするが、重蔵親分に止められる。
「どうしても助太刀に行きたければ、親子の杯を水にして、俺の刀をまたいで行きな」
と、刀を家の敷居の上に置かれてしまう。
悩む合川に、啓介は事もなげに言う。
「刀をまたがなくても、敷居を越える方法があるじゃないですか」
教えてくれ、と嘆願する合川に、啓介はここぞとばかりにしたり顔。
「こういう風に頼んでくれれば教えますよ」

派手にダッシュ、ジャンプ、くるんくるんと数回転した上で、
「啓介のお兄さん、教えておくんなせえ!」
(真の助さんの機敏さが際立つのだこれが)

見本を見せて、これを合川にやれと言ったまではよかったが。
「悪い啓介、見てなかった。もう一回やってくれ」
多少疲れた啓介が、再度やってみせると。
「お前の言葉だけ覚えようと集中してて、動き見てなかった。もう一回やってくれ」
嫌がらせか!という程、啓介による見本が繰り返される。
真の助さんが段々本当にヘロヘロになっていくし(笑)
絶妙のタイミングで、
合川「飛べねえ豚は?」
啓介「ただの豚だ」
てなセリフが挿入されたときには爆笑してしまった。

真の助さんのお芝居について、今までちゃんと語ることがなかったな。
真面目なお芝居のときは敵役や子分、喜劇のときは三枚目が多い。
体格の良さと敏捷な動き。
他の誰より真の助さんが舞台に出ると、ああKAZUMAのお芝居を観に来たんだなぁという感慨がある。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「千鳥の曲」

2013.9.15 昼の部@浅草木馬館

台風が全国を襲った土日。
あいにくの強い雨と風でも、東京メトロは頑張って私を浅草へ運んでくれました。
おかげで土日の昼夜、どっぷり芝居の世界に浸ることができた。
幸せ!

「千鳥の曲」は、今年五月の福山遠征で観たお芝居だった(2013.5.6@夢劇場 鑑賞録の記事)。
三味線弾きの兄弟の悲話に、ボロボロと涙が止まらなかったのを覚えている。
この日のお昼はお外題をチェックせずにいたもので。
第二部開演前のアナウンスで、「千鳥の曲」と聞いた瞬間に、バッグからミニタオルを取り出して膝に置いて、泣く準備完了。

心根の優しい、盲目の弟は宗吉(柚姫将さん)。
弟に罪悪感混じりの愛情を抱え、苦悩する兄は宗太郎(藤美一馬座長)。
兄弟は、三味線の師匠である杵屋の旦那(美影愛さん)から、誤解が元で破門されてしまう。

だが数年後、つましく暮らしている兄弟のところに、杵屋の旦那が訪れる。
今更、兄弟に杵屋に戻って来て欲しいと言う。
聞けば、娘のお香(霞ゆうかさん)が宗吉を恋慕うあまり、自ら両目を突いて盲目になったと――

今回の鑑賞で、五月に観たときよりずっとずっと深く見えてきた人物が二人いる。
一人目は一馬座長演じる宗太郎だ。

写真・藤美一馬座長(当日ミニショーより)


宗太郎は、正直観ていて苦しいキャラクターだ。
このキャラクターの芯には苦悩があり、一馬座長の表情は絶えず険しい。
全ては、盲目の弟を助けるため、食わせていくため、世間の冷たい風から守ってやるため。
「宗吉は、俺の手元に置いておきたいんです。どこにもやりたくないんですよ」

だけど、宗太郎の真の望みは異なる。
「俺がいなくなっても、弟がなんとか一人で生きていけるように」
訪ねてきた杵屋の旦那に対し、宗太郎がこれまでの思いを吐露する場面は圧巻だ。

「俺に何かあっても、宗吉が一人で生きていけるようにしなくちゃならないと思って」
「宗吉に『お前何がしたい?』と聞いたら、『三味線をやりたい』って言うから、全部のツテを頼って、あの杵屋に弟子入りしたんだ」

だが、杵屋の旦那は兄弟を破門するときこう言った。
『宗吉は一人では何もできないだろう。宗太郎が助けてやらないと、杵屋に来ることもできないだろう』
『だから宗太郎が破門なら、一緒に宗吉も破門だ』

「あ、そうか、世間はそう見るんだなと思った」

一人では何もできない宗吉だから、自分が守ってやらねばならない。
いつまでも自分が助けていては駄目だ、本当は宗吉が一人で生きられるようにしてやりたい。
「いくら俺が、『宗吉が一人で食べていけるように』と思っても、世間は違うんだな」
「俺がいなきゃ宗吉は何もできないと思うんだな」
一馬座長の叩きつけるような語りの中に、宗太郎を引き裂くジレンマが浮かび上がる。

そして奥深いジレンマの、さらに底には、罪悪感が潜んでいる。
宗吉が盲目になったきっかけは、幼い頃の宗太郎のいたずらにあったのだ。
「お前の泣き声がして慌てて戻ったら、お前が古池に落ちていた」
「『この子の目は生涯開かないでしょう』…あのときの医者の言葉は一生忘れられねえや」
この事実が、お芝居終盤に差しかかって初めて、宗太郎の口から語られるという構造がすごいと思う。
最初はよく見えなかった宗太郎の心の奥深くに、段々と肉薄していくような気になるからだ。

幼い自分の過ちで、光を奪ってしまった弟。
「宗吉が一人でやっていけるように」ということに固執する宗太郎の姿からは、うずくような罪の意識が感じられる。
極めつけは、一馬座長がたった一人で晩酌をしている場面の凄みだ。
無音、無明の舞台に、宗太郎の心中の痛みが張りつめる。

より深みを増したキャラクター、いま一人は美影さんの杵屋の旦那。

写真・美影愛さん(当日舞踊ショーより)


五月に観たときは龍美佑馬さんが演じていた、
佑馬さんの杵屋の旦那は、根っからの悪人でも善人でもない、市井の常識人といった風情で、これも好きだった。

美影さんバージョンでは、「心折った者の哀れさ」がより強く感じられた。
というのは、宗太郎に自分の過去を語る長台詞があったからだ。

「私は杵屋の婿養子だった。立場なんてないも同然だ」
「芸者を囲ったことがあった。惚れていたんだ。この女と私の子なら、それなりの三味線弾きに育つだろうと思っていた」
「だが、突然芸者は姿を消した。杵屋が何かしたんだろうと思った」

ただの敵役と思っていた、杵屋の旦那にそんな過去があったなんて…!
と、私は衝撃を受けながら観ていた。

「それでも、婿養子の私に何が言える。何ができる」
立場のために、断腸の思いで、心を犠牲にしなければならなかった。

だが、月日が流れて娘のお香が宗吉を好きだと言ったとき、旦那は杵屋を守るために反対した。
その過ちのために、最愛の娘に自ら目を突かせてしまった。
「片目を突いた後、その痛みがわかっていながら、もう片方の目を突けるか。私は突けないよ。恐ろしくて。でもあの子はね、突いたんだ」
本心を封じ込め、家を守り続け、そのために何もかもを取り零した人生の哀れさ。
美影さんのやわらかな声が、かえって諦観を膨らませる。

とにかく同じお芝居でも、役者さんや劇場やお客さんによって、全く違う面がせり出して来るのが面白い。

「千鳥の曲」は、三味線というアイテムを核に据えている。
贅沢を言うと、実際に三味線を弾く場面がひとつ挿入されていれば、どんなに美しいだろう。
幕間や、号泣必須のラストシーンで、たっぷり三味線の音色は聴かせてくれるんだけどね。
でも、やっぱりお芝居の中で観てみたいなあ。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「男の人生」

2013.9.8 昼の部@浅草木馬館

こんな酷い話を最初に考えた人は、絶対に歪んだ目で世を見ていたに違いない!
…いや、悲劇好きとしては喜んでるんだけどね。

でも、目を覆う布のせいで、何も知らずに自分の愛妻を斬ろうとする伊三郎(藤美一馬座長)の姿。
必死に身をよじって、夫に自分をわからせようとする妻・お菊(霞ゆうかさん)の姿。
今、私はなんて恐ろしい光景を観ているのだろうと、正直震えが来た。

そして。
「お見事、さすが伊三だ!」
妻を斬り殺してしまった伊三郎に、白木屋一家の二代目 (柚姫将さん)は、ほくそ笑んで告げるのである。
将さんの悪役は、目線の上げ方から声の出し方から、とことん濃い悪の色。

柚姫将さん(当日舞踊ショー・個人舞踊「娘よ…」より)


この残酷極まりない話には、二人の悪役が存在する。
一人は、全ての首謀者・鉄五郎(美影愛さん)。
鉄五郎は白木屋一家の若い衆だが、一家を我が手に収めるため、黒い欲望を渦巻かせて、あれこれと悪企みの糸を引く。
わかりやすい、悪役の鉄板だ。

そしていま一人の悪役が、将さん演じる二代目親分・大五郎。
この二代目の悪役が面白いのは、本来優しい人格の持ち主ということ。
襲名の披露目の席では、鉄五郎に頭を下げられても、
「先代の頃は同じ兄弟分だったじゃねえか。どうかそんな風にしないでくれよ」
なんて遠慮がち。

だからこそ二代目は、その優しさを鉄五郎につけ込まれ、いいように利用される。
「親分、俺が心配してるのは伊三の野郎のことです」
長年信頼してきた若い衆の伊三郎に、不信を抱くように仕向けられる。
「奴は、先代の信頼も厚かった。二代目が息子だからという理由で一家を継げば、内心面白くねえはずです」
素直な心に、疑いと虚栄心、そして何より“不安”を注ぎこまれて。
段々と、二代目の輪郭に影が落ちていくのだ。

鉄五郎の口車で、二代目は伊三郎への不信に満ち、ついに一家から追い出してしまう。
だが、まだ疑いは収まらない。
「いつ伊三が俺の寝首を掻きにくるかと思うと、おちおち寝られやしねえ…」
そこで、伊三郎を嘘で呼び出す。
――自分が、流れ者の仙蔵という奴に腕を斬られたと。
二代目の身を心配して飛んできた伊三郎。
「伊三、伊三、よく来てくれた!」
かつての兄弟分を堂々と騙す二代目の目は、荒んで暴力に尖っている。
お芝居序盤の、まだ優しい人柄が残っていた頃の顔つきと、あんまり異なるので驚いた。

「伊三、頼む、一家に戻って来てくれ」
「しかし、お前もただでは戻りづれえだろう」
「俺の腕を斬った、憎い仙蔵の女房を捕まえたんだ。仙蔵の女房をお前が斬ってくれ。そうしたらそれを手土産に、お前は堂々と一家に戻って来れる」

伊三郎は、一家を追い出されてから困窮していた。
悩んだ末、心を鬼にして、仙蔵の女房とやらを斬って一家に戻ると決める。
「女房のお菊に、もう少し楽な暮らしをさせてやりてえんですよ」
妻を思う一心で、情を振り捨て、<仙蔵の女房>相手に刀を振り上げる。

そこにいるのが、猿轡をされて身をよじる、愛しいお菊だとは思いも寄らずに!

伊三郎が気づかずにお菊を手に掛けてしまったのを見て、二代目は愉しげに笑う。
「俺から褒美をやりてえんだ。手をこう、子どもみたいに差し出して受け取ってくれ」
褒美とは、二代目が背中に隠し持った短刀。
寝首をかかれないよう、伊三郎の手のひらを思い切り串刺しにする。
「これが俺からの褒美だよ、受け取りな!」
この場面では伊三郎は観客に背を向けているので、二代目の表情に舞台の意識が集中する。
将さんの横顔に、研ぎ澄まされた黒さが光っている。
序盤の気弱だった面影は消え失せ、暴力に飲みこまれた心が、くっきりと映し出される。

だが結局二代目は、鉄五郎に裏切られる。
雪の晩、鉄五郎の部下たちに四方から斬られて、何が起きているのかもわからないままに命を終えるのだ。
「まったく、優しい奴ほど、気の弱いやつほど、疑い出すと止まらないな。お人形みたいな男だったぜ」
鉄五郎の情けのない一言が、二代目の亡骸に降りかかる。

私が忘れられないのは、その直前の巧みな舞台模様だ。
二代目は、鉄五郎を含む四人の若衆と一緒に、女遊びの帰り路。
傘を差した二代目を真ん中にして、今日の遊びについて談義している。
「お前の女はどうだった?」だの「若くて美人とあれば最高じゃねえか」だの、馬鹿話なのに。
何か、この光景は妙なのだ。
何か、不安をかき立てるのだ。
途中で、あ…と不安の源に気づいた。

二代目、傘を自分の手で差している。

普通、親分には他の衆が差し掛けるだろうに。
その何気ない光景に、かすめるような不敬を感じ取った。
“傘の場面”がある故に、鉄五郎の裏切りは、物語の中にすんなり着地する。

将さんいわく、元々二代目は鉄五郎に騙されているだけのキャラクターであるらしい。
この日は美影さんの演じる鉄五郎に合わせて、二代目の気持ちを作っていったとのこと。
こういうお芝居を観て、こういうお話を聞くと、改めて思う。
何度でも思う。
将さんのお芝居が、やっぱり好きだなあ。たまらないなぁ。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMAお芝居「三代の杯」

2013.9.7 夜の部@浅草木馬館

やくざの親分は、その心を変えたくて変えたわけではない。
「時代が変わったんだ。斬った張ったでは飯が食えなくなった」
義理や人情を、切り捨てたくて切り捨てたわけではない。
「金が俺を変えたんじゃねえ。俺が変わったんだ」

吐き出すように語る、美影愛さんから滲む哀切さ。
藤美一馬座長が「今日のお芝居は、敵役の美影先生が改心する場面で、先生に引っ張られるように舞台でボロボロっと涙が出た」と話していた。
(翌日日曜の口上でまでおっしゃってたので、よっぽどだったのだろう)

写真・美影愛さん(当日舞踊ショーより)


劇団KAZUMAが浅草にいると思うと、日々のお仕事も頑張れるような気がして。
待ちに待った土曜日のお芝居は、大好物・明治物!

他の劇団で今までに観た明治物のお芝居は、維新による明暗のうち、どっちかというと“明”寄りだった。
舞台に溢れるのは、見たことのない西洋文明、モダンな短髪、新しい時代の波に浮足立っちゃう主人公達(例・たつみ演劇BOX「掏摸(すり)の家」2013.8.14鑑賞)。

対してKAZUMAの「三代の杯」は、明治がもたらした“暗”を濃く描き出す。
新しい時代の前に江戸のやくざ達は、ドスを捨て、仁義を曲げ、金に負けざるを得なかったのだ。

政吉(藤美一馬座長)が刑務所から務めを終えて出所してくると、街はすっかり明治の世に変わっていた。
「俺がムショに入っている間、おとっつぁんと妹を頼みます」と一家の親分(美影愛さん)に言ってあったはずなのに。
家に帰れば、そこに居たのはかつての弟分の松(冴刃竜也さん)と、その子分(藤美真の助さん)。
二人は、あろうことか病のおとっつぁん(龍美佑馬さん)の布団をひっぺがし、立ち退かせようとしていた。
「親分は、やくざを辞めて商事会社を建てた」
「会社の開発のためにこの土地が必要なんだ」

政吉は、一体どういうことかと怒り心頭で親分の下に駆け込む。
だが、人情家だったはずの親分はすっかり変わり果てていた。
「誰か、いまだに親分なんて俺の事を呼ぶ奴がいるようだな。時代が変わった。俺はもう親分じゃねえ、社長なんだ」
眼鏡を光らせて、冷淡に言い放つ。
美影さんの独特ののどかな間合いが、この場面では感情の空虚さを表していた。

時代の波に飲まれ、心折ったのは親分だけではない。
政吉を兄貴分と慕っていた重吉(柚姫将さん)は、今は「専務」として社長に付き従う。
「すまねぇなぁ兄貴、今は俺にも立場ってもんがあるんだ」
また、「政吉さんが出て来るまで何年でも待っています」と言ったお嬢さん(香月友華さん)は、今は重吉の妻におさまり、贅沢を謳歌している。
「おまえさん、奥にね、宝石商が来てるのよ。宝石、買ってもいいかしら」

みんな、金の前に心を切り捨てて。
一家のために刑務所に行った政吉に、平然と裏切りだけを押し付ける。
政吉の憤怒は頂点に達し、夜、一家へ斬り込みをかける。

浅薄な世にあっても主人公の仁義だけは不変に美しい、そういう筋書きなんだろうな。
……と、思って観ていた。
後半の逆転まで。

斬りにやってきた、政吉を前に。
親分は静かに拳銃を出して、地面に転がす。
自分の頭を指して。
「一発、引いてくれ」
死なせてくれと言う。
その瞬間、憎々しかったはずの親分の哀しみが、舞台にたなびく。

「お前が刑務所に入っている間に、時代が変わった。俺たちやくざは刀を取り上げられて、義理や人情では食えなくなった」
「それでも、政が刑務所で頑張ってる、一人で頑張ってる、政が帰って来るまでなんとかせにゃならんと…」
美影さんの切実な語り声が、劇場中に沁み渡り、親分が封じ込めてきた情怨が立ち昇る。

人情に厚かった親分が、実際に帰って来た政吉を冷たく蔑視して、
「お前が帰って来るという通達が何もなかったからなぁ」
と言い捨てるまでの間に。
一体どれほど、自らの心を犠牲にしなければならなかったか。
そう想像すると、ぽろぽろと客席で涙せずにいられなかった。

「やっぱり美影座長がいると、お芝居が締まります」と一馬座長の口上。
美影さんは個人舞踊では意外と熱いテイストで、私はすっかり興味津々です!

とはいえ、KAZUMAのオリジナルメンバーに言及しないのももったいないので。
親分のほかに面白かったキャラクターを挙げると、竜也さん演じる松。

写真・冴刃竜也さん(当日ミニショー「旅姿三人男」より)


松は、重々しいお芝居の中にあって息抜き要素、お笑い役。
新しい時代の前に心を切り捨てた親分や重吉と違い、古い時代の温もりに爪を立てて拘泥する政吉とも違い。
おそらくなんも考えず、目の前の強者に従っているだけなのである。

親分が女遊びのためにお小遣いをくれると言えば、ためらいなく喜色満面。
こないだまで兄弟分だった重吉に「いつまで親分なんて呼び方をしてるんだ…」と叱られて、呆気なくびびって縮こまる。
誇り?何それ食べられるの?とでも言うような。

実際の明治のやくざは、松みたいな人がけっこう多かったんじゃないかなあ。
新しい時代の勝ち抜き方なんて知らないし、仁義を守り通すような矜持もないけど、まずはご飯食べられないと困るもの。

それにしたって竜也さんの三枚目は、普段のクールな表情と一転するだけに可笑しさ割増だと思う。

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

深淵からの昇り龍―たつみ演劇BOX・辰巳小龍さん―

「小龍!」

普段はハンチョウなんてかけられない。
でもこの女優さんにだけは、どうしても名前を呼び掛けたくなった。
だから、他の方の声に紛れるように、そっと私も言ってみたのだ。

写真・辰巳小龍さん(8/10夜の部・個人舞踊「愛の賛歌」より)


七月は浅草木馬館、八月は篠原演芸場。
小龍さんに魅せられ尽くした夏だった。

ほとんど、一目ぼれ。
木馬館でたつみ演劇BOX初鑑賞の七月七日、ミニショーで小龍さんの個人舞踊があった。
紫の着物で出てきた小龍さんを観た瞬間から、反射的にデジカメを構えていた。
この人、表情の“深さ”が違う!
気づけば、その日の写真は小龍さんが圧倒的に多かった。

「次は、辰巳小龍のステージです!」
そのアナウンスで、いつも椅子から身を離して前のめりになってしまう。
小龍さんの個人舞踊が始まった途端、すっかり物語に引き込まれて、出られなくなる。
曲は諸々、「心もよう」「おりょう」「母ざんげ」…
紡がれる龍の世界は、気づけば舞台全体を取り巻いている。

くるくると表情豊かな役者さんはたくさんいる。
けれど、小龍さんが浮かべる表情は、微笑一つに、幾重にも心のひだが塗り込められている。
その目をふと覗きこんだ拍子に、影宿る深淵に沈み込みそうになる。

そして、お芝居。
たつみ演劇BOXの精密なお芝居の中でも、小龍さんが演じる人物像はとりわけ深い。
この夏に観たお芝居を思い出すと、濃い輪郭を持ったキャラクターたちが、一人また一人と立ち現れる。

「あたしも、あたしもうちの人のところへ行く」
あれは、「雪の渡り鳥」のおいっちゃん(2013.7.7@浅草木馬館)。
「夫婦だもの、死ぬときはおんなじ場所で死にたい―…」
夫・卯之吉を追って、泣きながら駆け出そうとする。
薄幸な運命に翻弄されながらも、セリフの声は凜と強く、意志は決して折れない。

「津の国屋の晴れ姿を、一目見てから、牢獄に行きたい……」
あれは、「明治一代女」のお梅(2013.7.27@浅草木馬館)。
「あたしそのために、人まで殺したのに!」
まじめで、健気で、ひたすら一途に、役者・津の国屋を愛したお梅。
殺人の罪に慄きながらも、客席に挑みかかるような目は、恋を諦めてはいない。

「おのれ、伝蔵…」
あれは、「新・暗闇の丑松」のお米(2013.8.23@篠原演芸場)。
芸者の白い着物がずるりとはだけている。
恩人に裏切られて遊女にされ、奪い尽くされ、最後の気力で地に立ちつくしている。

他にも、女博打打ち、島の娘、三枚目の丁稚役まで。
それぞれ一時間と少ししかないお芝居を通して、私に強烈な印象を残していった。

だから七月も八月も、観劇仲間の前で口を開けば、出て来る言葉は。
「小龍さん素晴らしい。ああもう、ホント小龍さん素晴らしい!」

そして、私の素人考えはふと壁に行き当たる。
大衆演劇の世界で、女優さんってどんなポジションなんだろう。

送り出しで、小龍さんはいつも、ちょっと控え目な位置に立っていた。
出口をくぐると、まずたつみ座長の爽やか全開スマイル、次にダイヤ座長の人懐っこい笑顔が出迎えてくれる。
ミーハーながらしっかり座長ご兄弟と握手して、さて小龍さんはどこかと探すと、少し外れた位置で、たおやかに笑っている。
「いらっしゃい~」と目尻を下げてくれるお顔に、滲む優しさ。
もし小龍さんが男優さんだったなら、出口すぐの所に立っていることもありえたのかな。

そんなことを思いながら、PCのたつみ演劇BOXフォルダを見返していると、頭に響いてくるのは「愛の賛歌」だ。

――あなたの燃える手で 私を抱きしめて――

小龍さんの個人舞踊の中でも、最も涙してしまった一曲。

――ただ命の限り あなたを愛したい――

舞台の上の小龍さんは、客席を包みこむように両腕を広げて踊っていた。
“あなた”って誰だろうなぁ。
特定の誰か?
家族であり仲間である劇団員の皆さま?
それとも今小龍さんの舞踊を観ているお客さん?

たつみ演劇BOXのオフィシャルサイトの小龍さんのプロフィールには、こうあった。
“役者になって二十年近くになりますがいまだに舞台が楽しくてしかたありません。この幸せが皆さまに伝われば嬉しいです。”

――命の限りに あなたを愛するの――

胸中の哀楽を解き放つがごとく、いっぱいに広げられた腕。
小柄な小龍さんなのに、いまや劇場を包みこむようだ。

“あなた”というのは、もしかしたら、“楽しくて仕方がない”という舞台そのもの?

――あなたと二人 生きていくのよ
私の願いは ただそれだけよ あなたと二人――


お父様のかつての名・勝小龍と同じ名で。
かの女優さんは、今日も舞台に立っている。
個人舞踊では、古典の物語や人形ぶりで、物語の世界に誘いこんでくれる。
一方、集団舞踊の「エロティカ・セブン」や「BAMBINO~バンビーノ~」で、明るい笑顔で誰よりノリノリで踊っている小龍さんも大好き。

その眼差しの中に、折り畳まれた情の数々に。
その小柄な影の底から立ち昇る、龍の姿に。
私は、言い表せない何かで胸を一杯にせずにいられない。

――ただ命の限り あなたを愛したい
命の限りに あなたを愛するの――


写真・辰巳小龍さん(8/23夜の部・ミニショーより)


私は、精一杯の声を送らずにいられない。

「小龍!」

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村

劇団KAZUMA お江戸の初日舞台模様&お芝居「若き日の石松」

2013.9.1 昼の部@浅草木馬館

ああ、嬉しい。
2012年7月の出会いから、たった一年でお江戸へ戻って来てくれるなんて。
そしてその初日公演に行けるなんて。
また、浅草木馬館の客席で、太鼓ショーを観ながら手拍子していられるなんて。
とにかく、嬉しいなぁ。

待ちに待った、9月1日。
第一部ミニショーの幕が開くと、そこにいてくれたのは。
藤美真の助さん、龍美佑馬さん、林愛次郎さん、冴刃竜也さん、それに私にとって大衆演劇の入口だった役者・柚姫将さん。
みっちり満員の観客席から、懐かしさ混じりの歓声と、割れんばかりの拍手。
私も興奮にまかせて、力いっぱい拍手を送った。
一年ぶりに、この木馬館の舞台に劇団KAZUMAがいる!

五人が集団舞踊で魅せてくれた後。
藤美一馬座長が登場すると、観客席から渦を巻くような歓声が沸いた。
そのイントロが、五月に広島・夢劇場で観て感動した「銀座のトンビ」だったので、私はやっぱり嬉しいのなんの。

写真・藤美一馬座長(当日ミニショー「銀座のトンビ」より)


劇団KAZUMAに限らず、初日公演って私はあんまり行けたことがないんだけど。
9月1日の木馬館客席にうねっていた歓びは、初日ならでは味わえたものだったんじゃないだろうか。
わぁーっ、だったり、キャー、だったり、待ち侘びていたことを示すかのような。
だって、こんなに早く来てくれると思っていなかったもの。
2012年東京公演の前に、劇団KAZUMAが来たのは2008年。
また、四年くらいの辛抱かと思ってたもの。

私自身、まだ夏真っ盛りの頃、東京再来を知ったときの驚きと幸福感といったら!
早速KAZUMAファンの観劇仲間にメールして、思いがけない早い再会を喜びあった。

さて、初日のお芝居は「若き日の石松」。
森の石松がまだヤクザになる前、福田屋の跡取り息子だった頃のお話。
藤美一馬座長の石松役は、石松の吃音をかなり強調していてユーモラスだった。
「お、俺、が、話、つけ、つけてやらぁ」
なんて風に。
吃音が、一馬座長の繊細な面差しに適度な崩れ感をもたらして、石松の愚直なキャラクターを仕上げる。

なんと言ってもラッキーだったのは、初っ端から将さんの、「全力の二面性」が観られたこと(将さんのお芝居の魅力は昨年十二月の記事でも語っています)。

写真・柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


今回の将さんの役どころは、森町のやくざ一家の一つ・しんがりの又八親分。
序盤の親分は、機嫌良くニコニコ顔だ。
妹のお花(霞ゆうかさん)と、気風の良い男だと信頼している石松の縁談がまとまりそうだからだ。
石松の父親(ゲストの美影愛さん)には、
「もう縁談について細かいところまで考えてくださって、本当にありがとうございます」
と平身低頭。
「俺みたいなやくざの妹が、かたぎの嫁になれるとは…それも相手が石さんとあれば、安心だ」
と優しげな声でしみじみ一人ごちる。

だが又八親分は、子分たちの些細な嘘がきっかけで、石松と敵対することになる。
石松を敵と認識した途端、将さんの声のトーンがふっと落ちる。
「やくざの怖さを、舐めねえほうがいい…」
信頼していたはずの石松を、冷徹な目でねめつける。
少し前の場面まで醸していた温もりが、一瞬で逃げていく。

ああ、これだ。
全力の白と黒の顔、これが観たかったんだ。

それからいま一人。
今月いっぱいKAZUMAにいらっしゃるという、ゲストの美影愛さん。

写真・美影愛さん(当日舞踊ショーより)


「若き日の石松」では、石松の父親役。
「石松、どんなに出来が悪くても、お前は私の子だ。お前のためなら私はね、福田屋も捨てよう」
「お前が本当にやくざになるのなら、あれが石松親分かと世間に言われるような、立派なやくざになってもらいたい」
無鉄砲な息子に対する、慈しみの深さが胸に残る。
それに、まるでお茶飲み話をしているような伸びやかな語り口。
一方、舞踊ショーの個人舞踊では、表情豊かに粋な男を演じられていた。

一馬座長は「美影さんにはうちのお芝居を締めていただきたい」と語っていた。
この熟練の方が入ることで、KAZUMAのお芝居にはどんな新たな色が染み出すのだろう。
そんな新たな楽しみもできた。

今回は劇団KAZUMAの東京公演スタートを祝して、お芝居のみならず初日公演全体の感想を書いてみた。
次回から普段通りお芝居中心の感想になる予定。

いつもの東京メトロ浅草駅に降り立って、木馬館に駆けつけて、「藤美一馬」の幟が立っていたとき、胸一杯に込み上げた諸々。
旅役者の皆さんはいつも移動しているので、あんまり響かないかもしれないけど。
東京在住ファンからすると、やっぱりこの一言、どうしても伝えたい。

おかえりなさい!

にほんブログ村 演劇ブログ 大衆演劇へ
にほんブログ村