近江飛龍劇団お芝居「遊侠流れ笠」

2013.6.22 夜の部@篠原演芸場

ぐいぐい前へ、ぐいぐい上へ。
風を巻き起こしながら、疾走を続ける昇り龍たち。
龍が握りしめる宝珠の中をのぞきこめば、驚くほど明るい晴天の空が見える。
先陣を切るひときわ大きな龍は、やっぱり座長・近江飛龍!

写真・近江飛龍座長(当日舞踊ショーより)

このビッグスマイル、無限にパワーが沸き出るかのようです。

近江飛龍劇団は、はるか6年前、大学生になりたてだった私が最初に観た大衆演劇の劇団さんだ。
大衆演劇を知った、一番手前のドア。
なのでどこか懐かしい気分を抱きながら、同行してくれた友人と一緒に、篠原演芸場へ向かった。

やくざもののお芝居、お外題は「遊侠流れ笠」。
老いたやくざ一家の親分(近江飛龍座長)は、腹心の代貸し(近江大輔さん)に組を乗っ取られてしまう。
かつては、子分衆皆に畏怖される親分だったのに。
「おい、老いぼれ。掃除しとけって言っただろう」
代貸しに老いぼれ呼ばわりされ、汚い格好に身をやつし、掃除を押し付けられている。
さらに代貸しの妻・おなか(轟純平さん)や子分(橘小寅丸さん)にも、馬鹿にされ、足蹴にまでされる始末。
「なんて奴だろう、この老いぼれ、あたしの名前を呼び捨てにするなんて!」
曲がった背中をおなかに座布団で叩かれる姿は、哀切極まりない。

筋を追えば、英国のリア王の物語が浮かび上がるような、<かつての栄華が枯れ落ちる>典型のお話。
しかし、どう演じても悲劇になりそうな筋書きを、龍の飛ぶ空に放り投げてみたならば。
けたたましい、笑い声ばかりが降って来るからすごい!

飛龍座長が演じる親分は、悲惨な立場にあるはずなのに、とにかく可笑しいのだ。
まず、大仰にひん剥かれる目とへの字を描く唇。
歌舞伎役者が方向を間違えて見得を切ったような表情とメイクが、じわじわと笑いのツボを刺激する。

親分のキャラクターも、哀れっぽさを感じさせないたくましさ。
代貸しに座布団で叩かれれば、親分は座布団をひっつかみ、機敏な動きで後ろからすぱぁん!とやり返す。
やりやがったな、と代貸しが振り返ると、親分はすかさず手を震わせながら訴える。
「ああ、老いて体の自由がきかねえもんだから、ついやっちまった!」
いや、さっきものすごい機敏に動いてたけど。
代貸しが背を向ければ、親分は再び後ろから座布団つかんで、一発食らわせる。
そして限りなく哀れっぽく、
「ああ~、体の自由がきかねえもんだから、手が勝手に!」
いや、さっきすごい滑らかな動きだったけど。
親分の座布団攻撃、代貸しが怒って振り返る、「体の自由がきかねえ!」のループ。
親分の哀れさは霧散して、気がつけば私はお腹を抱えて笑っていた。

観客を巻き込むのもお手のもの。
代貸しや子分達に追いかけられ、逃げる親分は観客席へひょいとダイブ。
客席の一番奥までやって来て、
「おい、逃げるところがねえな…」
だって座長、今日は大入り、みっちり埋まってますもの。
そしてまた舞台へと走る親分。
がっしりした体躯が座椅子の間を駆け、私の真横を走り抜ける!

逃げる途中、空いていた席に座りこんで、お客さんの予約用の名札を顔に貼りつけてみせたりもする。
「親分って誰だ、俺は○○さん(名札のお名前)だ」
これには心底大笑い。

そんな飛龍座長の親分に、「若い衆、お前たちも御苦労だったな」と呼びかけられれば。
「へい!」
と観客席一体となって、楽しく元気よく返事してしまうというもの。
観劇というより、アトラクションに乗っている楽しさだ。
とにかく、座長は次に一体何をやるんだろ?ということで頭を一杯にしていたお芝居だった。

6年前、初めて観た近江飛龍劇団のお芝居が、脳裏で蘇る。
やっぱり飛龍座長が観客席の間を駆けるシーンがあり、あの大きな目がお客さんの顔を次々のぞきこんでいった。

ああそうだった、明るい龍は、賑やかな架空のほうから、この桟敷に降りて来てくれるのだ。
歌の合間にも、前列のお客さんからコーヒー缶を受け取って、
「こんな指輪はめてしもたら、めっちゃ開けづらいわ…」
きらきらしい指輪を抜いて、コーヒーをぐびりと一気飲み、ポンとお客さんに缶を渡し返す。

座長の歌に合わせて、ペンライトが揃って揺れる。
座長をはじめ全体に体格の良い座員さんたちも、二階席まで埋まったお客さんも、隣席の友人も…この夜を思い出すと、パッと笑顔のイメージが咲く。
多分私自身も、鏡を見れば満面の笑みだったのだろう。

昇り龍の飛んで行く先、いつでも快晴の天。
その下で、必ずまたお会いできるでしょう!
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劇団炎舞お芝居「次郎長外伝: 血槍富士」

2013.6.2 昼の部@川越温泉湯遊ランド

一頭の鷹に出逢った。
その人の瞳がぐり、ぐりっ!と光れば、観客席の左にも中央にも右にも、既に狩りが仕掛けられている。

写真・橘炎鷹座長(当日舞踊ショーより)


初めてお目にかかる劇団炎舞座長・橘炎鷹さんの第一印象は、名は性を裏切らないなぁと思わせるに十分。
舞踊ショーの最初の一曲が終わった時点で、少しばかり観客席の盛り上がりが足りないようだと感じられたのか。
(確かに手拍子の音はささやかだった)
「ちょっとすいません」
2曲目が始まる前に、黒幕がひらりと割れ、炎鷹座長が登場した。

「どうも、座長です」
「なんだかお客さんのお元気がないようなんで、見に来ちゃいましたー」
突然現れた座長の姿に、観客席は楽しげにざわつきだした。
炎鷹座長の大きな大きな眼が、きらきらしくライトに照り映える。
「皆さん、元気ですかー?!」
盛り上げるためにわざわざ出てきた心意気に応えるべく、観客席からははーい!とこれまでで一番大きな声。
「なんだ、皆さんやればできるじゃないですか!最初からやってくださいよ!」
わあ、弾けるような破顔一笑!
その笑顔は、原色の明るさ。
溢れんばかりのパワーごと、剥き身で舞台から放たれる。

私の席の近くだったご夫婦は、互いの肘をつつき合いながら、笑い混じりの「なんか、面白いね、あの人」。
なんとなく散逸していた観客席の眼差しが、舞台に収束していく。
「じゃ、この後もお楽しみください!」
炎鷹座長は、固くなっていた会場の空気をぱりぱりと解凍してから、また黒幕の向こうに消えていった。

その後の演目では、途切れることのない拍手・手拍子が、親しげな熱をこめて舞台に送られていた。
私自身も、ポッと温かくなった胸を抱えながら、うきうき手拍子。
カリスマティックな手腕で場の空気を染め変えたその人は、うってかわってモダンな可愛い女形で踊っていた。

そんな舞踊ショーが印象的だったけど。
お芝居でも、炎鷹座長のしなやかな技巧が垣間見えた。

「次郎長外伝: 血槍富士」は、ほんの些細な過ちのために、命を絶たなくてはいけなくなる男の悲劇。
過ちとは、清水次郎長一家の三下・吉松(橘炎鷹さん)が犯した宿間違いだ。
旅の道中、吉松は一家の大事な槍を預かり、兄貴分たちを追っていた。
宿の外に掛けられた黒い笠を、兄貴分のものだと思い、喜色を浮かべて宿に駆け込む。
ところが居たのは、但馬の五平(橘進一さん)の一家だった。
「てめぇ、宿間違いの挙句に槍を持ったまま上がりこむとは…」
五平は苛立ちに任せて、槍を取り上げる。
「どうか、その槍だけは、その槍だけは返してください、この通りです」
地に伏して嘆願する吉松に、五平は残酷な提案をする。

「槍を返してほしくば、詫びとしてお前の首を差し出せ」。

槍か首か。
仁義か命か。
気性の優しい男の運命が、突如として冷たく切り刻まれることになる。

このお芝居は、以前別の劇団さんでも観たことがあった(お外題は別だったけど)。
その劇団さんでは、筋はまったく一緒でも次郎長ものではなかった。
<宿間違いをした槍持ちが切腹してその首を差し出す>というモチーフだけが伝播して、劇団ごとに変容しているのかな、なんて勝手に推理するのも面白い。

劇団炎舞版で特筆すべきは、なんと炎鷹座長が吉松と次郎長二役を演じるということ!

吉松を演じるとき舞台に響くのは、気弱さをくるんだ、まあるい声。
「俺もいつか、次郎長親分のように世に名を馳せる男になるんだ」
炎鷹座長の顔に、やくざ稼業は向いていなさそうな慕情が宿る。

私が吉松の演技で白眉だと感じたのは、「槍か首か」という選択を突きつけられた直後の場面だ。
放心状態のまま宿を追い出され、吉松はぼんやりと自分が見誤った笠を見やる。
そして、自分の愚かさを悔いるように、笠をふらりとつつく。
セリフはなく、炎鷹座長は観客席に背を向けている。
けれど揺れる黒い笠が、冷酷な選択に揺れる吉松の心のようで。
途方に暮れた吉松の心情が、炎鷹座長の背中越しに伝わってきた。

吉松は槍を取り戻すため、自決という悲壮な覚悟を決める。
「兄貴、おっかあに、故郷のおっかあに、吉松は立派な男として死んでいったと伝えてください」
兄貴分の大政(橘佑之介さん)に、縋りつくように訴える場面で、物語は悲しみの頂点に達する。

この吉松が死んだ直後から、炎鷹座長が次郎長親分役で再登場するのだ。
「大政、吉松の首を落としてやれ」
「吉松は立派なやくざとして死んだんだ。その心をわかってやれ」
今度は、底にわずかな苦みすらある、精悍な親分の声。
さらに今度は、折れることのない意志を畳み込んだ面差し。
奥行きの深そうな芸の引き出しを、軽々と目の前で開けていただきました。

炎鷹座長以外に印象的だったのは、橘進一さんの五平役。
かなりの悪役ながら、威圧感が大仰でなくさらりとしている。
「この槍か、お前の首か、どちらかだ」
独特の涼しげな目元で、何でもないことのように言う。
五平にとって、これは軽いお遊び。
まさか吉松が思い詰めた挙句、本当に切腹しようとは思わない。

次郎長から吉松の首を受け取ったときは、さすがに色を変えたものの。
「おい、まぁ、待て、待ってくれ」
憤怒に燃える次郎長に、待ったを要請する調子はまだ冷静だ。
他人の命を扱うのにどこか本気でない、そんな軽みのある悪役が、いかにも熟練の味だった。

さて口上によれば、劇団炎舞さんは秋頃まで東京にいてくださるらしく。
鮮やかな原色の鷹に、再びお目にかかることができそうです。

お洒落心と観劇の話

あ、あのお客さん、素敵なボルドーの帽子。
隣のお連れの方も、凝った柄のスカーフだ。
かと思えば、目を引く藤色の着物のご婦人が、予約席にしずしずと腰を下ろす。
買ってきた飲み物を手に座椅子の間を通る、若い女性客の白いワンピースが眼前で揺れる。
開幕直前の観客席、期待にざわつく中で。
ひしめきあっているのは、とっておきの色ばかり。

お芝居見物のために、いそいそとお洒落をする女性客。
演劇の歴史の片隅、いつでもあったであろうその姿に、私は心惹かれてやまない。
大衆演劇鑑賞というハレの空間には、一番好きな服を着て、一番好きな帽子を被って。

私自身、劇場やセンターに行くときには、とりわけお気に入りの服を、箪笥から引っ張り出してきたりするのです。
それに今の時期なら日傘も忘れちゃいけない。

このお洒落心に火を付けるものは何なのだろう。
好きな役者さんの前で、好きな格好をしていたいから?
そりゃ、そんなミーハー心もないわけじゃないけど。
お目当ての役者さんの目に、一瞬でも映るかもしれないから?
膨らみ気味の自意識は、確かにあるのだけど。

でも、色とりどりのお洒落心が、互いに囁き交わすように座敷に並んでいるのを見ると。
私の胸には、美しいものを愛する女性たちの、心の細やかさが流れ込んでくる。

隣の席の彼女は、普段はしない花の形の髪飾り。
前の席の彼女だって、すこうし多めに白粉はたいて。
ほら、幕が開いた。
スポットライトの下、極彩色の夢が始まる。

写真・とある日の篠原演劇場


濃いお化粧を施した役者さんたちが、近そうで遠い夢幻から観客席を見下ろす。
お芝居、歌芝居…私の大好きな物語の世界から、いつでもない時代の香りをまとってふいと現れる。
ああ、なんて艶やかなんだろう。
身を削るような現実と比べて、なんて美しいんだろう。
そういうショービジネスだからね、と冷静な声も開幕前までは少しは頭にあったのだけど。
観劇が始まれば、心は舞台の上の美に焦がれるばかり。

あんなに綺麗な人たちの、
あんなに綺麗な夢舞台。
その夢に、自分自身が恐る恐る顔向けできるように、
送り出しのとき掌に伝わる憧れに、少しでも恥ずかしくないように。

女性たちが被った帽子は、白粉は、夏色の羽織りは、夢に対するうやうやしい吐息であるように私には映るのだ。
かすかにでも、あの美の世界に重なるための。
わずかにでも、近づくためのまじない。

観劇仲間の一人は、いっとう好きな役者さんに会える遠征の日、大人びて見える黒のワンピースをまとっていた。

美しいものを愛する、あなたの心が美しい。

剣戟はる駒座・不動倭さん個人舞踊「恋」

2013.5.26 昼の部ユラックス

――あなたを あなただけを いつでも見ていました――

倭さんの長い衣装の袖が、さらりひらり舞って。
想いが桟敷へ降りかかる。
この舞踊の4分半は、ユラックスの観客席ごと、紡がれる物語の中にいた。

写真・不動倭さん(5/25舞踊ショーより)
痛恨のミスでこの舞踊のときのお写真が消えてしまったので、他のお写真からイメージ的に近いものを…


普段お芝居の感想のみを細々と書いておりますが。
私はもちろん舞踊ショーも大好き!です。
あの豪華舞踊絵巻の時間が、至福・眼福でなくて何でありましょうか…

特に、物語をなぞるような舞踊。
歌詞の中の語り手が、役者さんの身体と表情に憑依して。
その喜怒哀楽に、ついと引き込まれるような舞踊。
たった5分程度の踊りでも、一本のお芝居を観たかのような、陶然とした感動が胸に残る。

最近観た中で、どうしても特筆しておきたい舞踊が、不動倭さんの「恋」(中孝介)。
報われなかった片恋の切ない歌だ。

源氏物語千年紀のアニメのテーマ曲だったためか、平安貴族風の衣装で出てきた倭さん。

――せめて一度くらい 振り向いて欲しかった
せめて風のように ただそばにいたかった――

歌の出だしが流れた瞬間、さぁっと舞台景色が変わった。
驚くくらい自然に、水が流れるように頭の中に流れこんできた。
恋する女性に想いを伝えられずに、相手を陰から見つめる青年の情景。

演じながら踊る、倭さんの表情。
何かを語ろうとしているようで、でも語りかけてくることはなく。
切ない想いが、言葉になる直前でたち消える。
後に残るのは、ささやくような舞だけ。

――咲かないつぼみのように 報われない恋でした――

この歌詞の語り手は、今目の前で踊っている倭さんに憑依しているキャラクターは。
きっと、恋する相手に自分をうまく見せることなんて出来なかったんだろうな。
もしかしたら、器用に恋敵に出し抜かれたりもしたのかもしれない。
恋うる心を、こらえて、ひたすらこらえて…

これはお芝居じゃあないのに。
そんな想像が止まらなくなってしまうくらい、脳裏におのずと浮かぶのはハッキリとした光景だった。

以前も書いた通り、倭さんの魅せてくれるたくさんの表情の底には、素朴な優しさがひと固まり。
素のご気性が、透き通って見えているのか。
送り出しの際、聞こえてくる声の明るさにふと振り返ると、ファンの方に丁寧に応じている倭さんのお姿があったりした。

歌の物語と役者さんの輪郭が、混じり合って溶け合って。

――あなたを あなただけを 思って啼き続けた――
――飛べない小鳥のように行き場のない恋でした――

心は透き通る。
想いは降りかかる。

幸運にも観ることができた4分半の珠玉。
この日以来、「恋」は一日一回は聴かないと気がすまない曲になりました。
通勤中でも、自室でも、イヤホンを通してイントロが流れた瞬間、頭はいつだってユラックスの舞台へ。

思い出すのはいつも、眩しい舞台で見つけた情景。
さらりひらり、舞い降る想い。



…しかし、お写真が失われたのが重ね重ね悔しい…。
そして舞踊の記事はお芝居にもまして、書くのがむつかしいなぁ。

剣戟はる駒座お芝居「すっとび街道」

2013.5.26 昼の部@ユラックス

「すっとび街道」って、元気に弾むような、それでいてなんて能天気なお外題なんだろ!

「俺は、名無しの権兵衛ってもんです」
前日に観た「残月二本棒」に続き、竜座長が演じるのは限りなく粋で軽快な旅鴉。
腕は達者、口はそれ以上に達者。
偶然助けたやくざ一家のいざこざに巻き込まれ、喧嘩の助太刀に行く…という股旅物定番の展開でも。
「俺、命がけで助けに行くんだもん。なんかさぁ、俺がやる気になるような言葉で送り出してくれよ」
一家のお嬢さん(千晃ららさん)に、”ぐっとくるような見送りのポーズとセリフ”を要求しちゃうマイペースさが新鮮だ。

敵対する一家の親分(勝龍冶さん)は、そのお嬢さんを狙っている。
でも、なんと言っても名前が赤っ鼻の権兵衛だもの。
「いいだろう、俺が十八の娘に惚れたって!」
歳の離れたお嬢さんをなんとか我がものにしようと奮闘する様が楽しい、愛すべき悪役だった。

明るい日曜日の昼下がりにぴったりな、うららかな舞台景色。
その中でとりわけ私の胸に残ったのは、一家の二番目のお嬢さん(宝華紗宮子さん)だ。

写真・宝華紗宮子さん(当日舞踊ショーより)


二番目のお嬢さんは、目が見えない。
そのためか、一家の中でもあまり日の当たる扱いではなかったことが垣間見える。
一番目のお嬢さんが父に当たる親分(勝小虎さん)と一緒に外出するときも、二番目のお嬢さんは家にいるし。
喧嘩が勃発した際には、せっかく心配して親分の元に真っ先に駆けつけたのに。
落胆した様子で、「なんだお前か…お前がいてもどうにもならん」とか言われているし。

そんな陰の存在でも。
決して、弱々しい薄幸の少女じゃあないところが、このお嬢さんの魅力だ。

白眉は、ひっそり恋心を抱いている権兵衛に、自分のかんざしを拾ってもらう場面。
「そのかんざし、旅人さんにあげるわ」
「いや、俺はこんなものもらっても…使うあてもないし」
するとお嬢さん、ちょっと尖った声音で言い放つ。
「かんざしの心ってわかる?」
へ?と固まる権兵衛。
「やくざの道には明るくても、恋の道には暗いのね」
そして、見えない目でも颯爽と歩き去っていく。
この一場面で、二番目のお嬢さんのキャラクターは私の胸に刺さった。
小さな体に詰まった、凛とした誇り!

紗宮子さんの声の良さは、木馬館で観た「河内十人斬り」のおやな役で堪能した。
繊細な声質なのに、しっかりした芯があるのだ。
りぃん、という音が零れてきそうな声で紡がれると、セリフの一つ一つはきらりと珠玉。
「旅人さん!」
この呼び声の愛らしさといったら。

終盤、二番目のお嬢さんは、喧嘩を終えた権兵衛を心配して駆けて来る。
「あんた、心配して来てくれたの?いやぁ、嬉しいなぁ~」
権兵衛もそりゃあ喜色を浮かべる。
と、ここでお嬢さんは驚きの行動に出る。
「旅人さん、また旅に出るんでしょう?私も連れて行って!」
「私の目、長崎で手術すれば治るんですって。手術に百両かかるんだけど、お父さんに言ったら、ほらここに百両持たせてくれたのよ」
医療費をしっかり抱いて、惚れた男と一緒に行く準備は万端。
このアクティブさがたまらんですね。

小さな体躯が、ひょいと権兵衛の背に乗る。
「本当に治るんだろうね?」
とちょっと疑わしげな権兵衛の瞳に、頷きながらにっこり笑い返すお嬢さん。

宝華紗宮子さん、萌木を連想させる若干13歳の役者さん。
そのしなやかな演技と声の良さをもって、いつもお芝居にみずみずしさをもたらしてくれるなあと感じます。

この週末を最後に、はる駒座とはしばしのお別れ。
関西・四国方面に向かった御一行を、慕わしく思わない日はないけれど。
あの洗練された輝きへの再会はそう遠くないと信じて、しばらくはお江戸に届く風の噂を聞く日々です。

剣戟はる駒座お芝居「残月二本棒」

2013.5.25 昼の部@ユラックス

「お前、ホントは刀使えないだろ?その腰の刀抜いたの見たことねえもん!」
足を撃たれていても、敵の白刃にぐるりと囲まれて絶体絶命でも。
津川竜座長演じる二本棒は、涼しい顔で挑発してみせる。

ピンチをジョークでまぜっかえす。
この感じ、どっかで観たことがあるような…。

写真・津川竜座長(当日舞踊ショーより)


このお芝居は、なんと言っても主人公の旅鴉・二本棒の飄々としたキャラクター!
雷一家に5年も草鞋を脱いでいたけれど、哀れな姉妹を庇ったことで、世話になった一家に敵視される羽目になる。
雷一家のもう一人の食客・青柳四朗(勝小虎さん)に拳銃を向けられ、命の危機。
でも、二本棒はけろりと喧嘩を売ってみせるのだ。

「青柳お前、いっつも何かあるとすぐ拳銃に頼って。本当は刀抜けねえんだろ!」

あくまでも軽ぅく、いたずらっ子のように。
青柳は当然激怒する。
「そこまで言うなら、刀で勝負してやろう…」
拳銃を地に捨てさせた瞬間、二本棒の戦略勝ちだ。
ひらりひらりと軽妙な立ち回りの後、晴れ晴れと立っているのは当然二本棒。

…あ、わかった。既視感の答え。
映画『明日に向かって撃て!』のブッチだ。
粋が炸裂していたポール・ニューマンだぁ。

かの傑作が銀幕に乗った時代には生まれ損ねたけど。
DVDで出会った、からりと明るいアメリカの風とウィットに満ちた会話。
「残月二本棒」の竜座長の笑顔を観ていると、どうも頭に浮かぶのは若きニューマン。
はる駒座の演技がまとう垢抜け感が、どこかでアメリカン・ニューシネマに繋がっているのやも。

たとえば、二本棒の初登場のシーン。
雷一家の親分(勝龍冶さん)と、親分に狙われる姉妹(宝華弥寿さんと宝華紗宮子さん)が、悲壮感漂う中で博打をやらされている。
勝てば、姉妹の借金三十両がチャラになる。
しかし負ければ、まだ幼い妹の体を差し出さなければいけない。

だが実際は、いかさま賭博なのだ。
床下に潜む手下(勝彪華さん)が賽の目をいじって、親分が勝つように変えているのだから。

そこに「やあやあ、何やってんだい!」と二本棒が乱入。
竜座長が、底抜けに明るい空気をポンと開かせる。
「なあ、賽を振る役、俺にやらせてくれよ、いいだろ」
と、手下の持つ賽を楽しげにぶんどる。
いかさまを邪魔された親分と手下たちから、殺気だった目を突き刺すように向けられても。
「こういうの一回やってみたかったんだよね~」
まるでただ遊んでいるように、二本棒はうきうきと場の中央にあぐらをかく。

ニューマン演じるブッチが、敵に囲まれて、死がすぐそこまで迫っているときも。
「この次はオーストラリアに行こうぜ。なんたって言葉が通じる」
なぁんて、希望溢れるジョークを飛ばしていた横顔を思い出すのだ。

そう、二本棒の物言いは、いつもどこかジョーク混じり。
賭博の進行役を務めているときは、床に伏せた賽の目に、ニヤリと笑んで囁きかける。
「娘が丁だ!で、親分が半。さぁ賽の目よ、ここが根性の見せどころだぞ?お前の出方次第で、哀れな娘が体を差し出さなきゃあならなくなる」
親分を博打に負けさせたことを恨まれ、5年居た一家から出て行けと言われた時も、仕方ねえなあと肩をすくめて。
「親分さん、じゃあ、世話になったな。体大事にしろよ」
青柳に足を撃たれた後も、びっこ引き引き、雷一家までやってきて。
「俺は、借りたもんはしっかり返す主義なんでね!」

二本棒は姉妹を助け、雷一家を始末し、再び旅鴉。
ただでさえ粋たっぷりの竜座長が演じるから、痛快極まりない。
「お嬢さん、あんたの勝ちだ!ツキが回ってきたねぇ」
セリフ一つ、動作一つに滲む、あの洒脱感は一体何なのか。

ユラックスの男性スタッフがこんもりと持ってくれた、クッキー&クリームのアイスにかぶりつきながら。
舞台から届いたのは、青春映画のような気持ちのいい乾いた風だった。

剣戟はる駒座お芝居「月天下江戸子狐」

2013.5.19 昼の部@ユラックス

「月天下江戸子狐」は罪を贖う物語。
拭っても拭えない過去の汚れを、それでもどうやって清めようか?
そのためにあがき、葛藤する青年の話。

いやぁ、不動倭さんの真っ直ぐな魅力がユラックスの舞台で爆発していましたね!

写真・不動倭さん(当日舞踊ショーより)


江戸の商家の手代・平左(不動倭さん)には、誰にも言えない秘密があった。
かつて、子狐党という泥棒一味にいたことだ。
「俺はもう、すっぱり泥棒はやめたんだ。お天道様に顔向けできない生き方は、もうやめるんだ」

だがある日、平左は掛取りのお金の五十両をスリに盗られてしまう。
日頃から平左をよく思っていなかった番頭(勝小虎さん)は、これ幸いと無理な命令を出す。
「自分の力で五十両、揃えてみろ。それができなければクビだ」

困り果てながらも、平左はスリを探して夜の江戸を彷徨い歩く。
三日が経つ頃には、疲弊しきって倒れこむ。
「あんなスリ一人、見つかりっこねえや…」
かつては自分が人の金を盗んでいたのに。

だが、幸運なことに平左はスリを発見し、追いかける。
スリは三次(津川隼さん)という男だった。
女房・赤ん坊を抱えて、生活苦のあまりスリに手を出したと言う。

「盗みでもしなきゃ、女房とまだ小せえ子供に食わせるものもねぇんだ…」
と、俯く三次。
その肩を叩いて、平左は月明りの天を指す。

「一度犯した罪ってのは、簡単に消えるものじゃねぇ。どんなに消そうとしても、どんなにあがいても、ずーっと残るんだ」
「それでも、罪を償っていかなきゃならねぇ。まっとうに生きてかなきゃならねえ」
「いつかお天道様に、世間様に顔向けできるように…」

ああ、三次に言う形をとって、平左は自分に言っているんだ。
かつて泥棒だった自分自身に、言い聞かせているんだ。

この説得の場面で、因果応報の構造がはっきり浮かび上がる。
かつて泥棒だった平左が、今度は自分の金を盗まれる。
そして以前の自分と同じ、泥棒稼業の三次と出会う。
因果が巡り、罪が巡る。
「なあ、消えない罪でも、一歩一歩償っていかなくちゃならねえんだ」
月を見つめ、天に縋るように語る平左。
その姿には、この負の因果の連鎖から、なんとか抜けだそうとする真摯な光があった。

しかし三次は、平左の説得を聞いてもなお懲りない。
スリの証人を消すべく、背後から平左に短刀を向ける。
「何しやがる、てめぇ、まだわからねぇのか!」
揉み合ううち、短刀は三次の掌を切り裂いた。
痛がる三次に、平左は言い捨てる。
「ちょうどいい、その手じゃあ、もう二度とスリはできねぇだろう!」

倭さんのぶれのない視線が、平左のキャラクターをきりりと締める。
一方隼さんは、険しい眼差しに三次の切羽詰まった感じが出ていて、真に迫っていた。

平左は三次への共感と憐れみから、盗られた五十両をやってしまう。
では自分の金はどうするかというと、きついが給金が良いと噂の人足の仕事に、数か月も従事するのだ。
ラストシーンの平左は、仕事でよれよれになり、汚れた顔に破けた着物。
それでも五十両を稼ぎきって、晴れ晴れと商家に戻って来る。

「平左、私が悪かった、どうか許しておくれ」
と頭を下げる番頭に、平左は心から言ってみせる。
「いいえ番頭さん、これからも、どうぞ平左を可愛がってやっておくんなさい!」

ああ、どんな罪も、きっといつか晴れる日が来る。
どんな悪い因果も、きっと断ち切ることができる。
「月天下江戸子狐」の向こうには、そんな明るい道行きが広がっていた。
こういう道に出会いたくて、信じたくて、だから大衆演劇を観続けているのだよなあ。

剣戟はる駒座お芝居「やくざの花道」

2013.5.17 昼の部@ユラックス

4月の別れからわずかな間を置き、四日市へと心はそぞろに旅支度。
週末に行って参りました、天然温泉ユラックス!

お芝居「やくざの花道」で実質主役をつとめていたのは、副座長・津川鶫汀さん。
5月11日にお誕生日を迎えられたばかりのせいか、自信と輝きがさらに増したような。
そして、私の目には主役と同等の重みをもって映ったのが宝華弥寿さんだ。

写真・津川鶫汀副座長(当日舞踊ショーより)


写真・宝華弥寿さん(当日舞踊ショーより)


物語は、貸元の高垣一家の内部抗争だ。
若衆の剛三(勝小虎さん)は企みによって親分・高垣五右衛門(勝龍冶さん)を殺害し、新たな親分の座に収まる。
組の衆はみな剛三一派の手に落ちた…ように見えたが。

剛三の思い通りにならない人物が2人だけいた。
一人は気の優しい飯炊き男・卯之吉(津川鶫汀さん)。
もう一人は盲目の先代のお嬢さんで、殺された五右衛門の女房(宝華弥寿さん)。

剛三一派に邪険にされる卯之吉とお嬢さんが、夕焼けを背景に寄り添う場面がある。
「卯之吉、お前だけはいつまでも、裏切らないでいてくれるんだね…」
四面楚歌の中、残された弱き者たちが腕を差し伸べて支えあうのだ。
その情景のなんと温かいことか。

「お嬢さん、今日は目のお医者様はなんておっしゃってましたか」
問う卯之吉に、お嬢さんがはにかみながら答える。
「あたしのこの目ね、長崎で手術すれば開くかもしれないんだって」
「手術に百両…かかるんだけどね」
百両。
額の大きさに戸惑いながらも、卯之吉は言う。
「いや、その百両、そろえてみせましょう!」
「俺に金持ちの友達が要るんです、友達に頼んでみます」
もちろん、咄嗟の嘘だ。
「卯之、お前小さい頃からずっとうちの一家にいたのに、友達なんていたんだねぇ…」
お嬢さんは薄々嘘だと勘づきながらも、口に出すことはしない。
自分を思いやる飯炊き男の心を汲んで、ただ頷いてみせる。

二人の間にあるのは、親子愛でも恋愛でもない。
ただ、殺された親分への恩義。
それから互いの弱さへの慈しみ。
「やくざの花道」が清廉な印象を残すのは、卯之吉とお嬢さんを結ぶもやいの美しさのためだと思う。

それから小虎さん演じる剛三がほぼ出ずっぱりだったのも、個人的には嬉しかったポイント。
前回の鑑賞の「恋の高岡」では、"のんびりした悪役"という新鮮な色味を見せていただいたけど。
うって変わって剛三は強烈な"飢え"を感じさせる、典型的な悪の形。

写真・勝小虎さん(当日舞踊ショーより)


「人間は頭を使って生きなきゃいけねえよ」
剛三が黒い企みを子分たちに語るとき、浮かぶ笑みの冷淡なこと。
求むるはひたすら力、権力!

とはいえ、典型的な悪役像にも背景が醸し出されるのがはる駒座のすごいところ。
お嬢さんのセリフで、剛三がかつて病で行き倒れていたことが明かされる。

「剛三お前、思い出してごらんよ、何もかも失くした行き倒れだったじゃあないかい」
「うちの一家でそりゃあ懸命に面倒を見て、病も治って元通りの体になって」
「そのときお前、涙流して“どうか一家の子分の端に加えてください”とお願いしただろう」

この昔語りを聞いているときの、小虎さんの表情は見事だった。
片眉上げて、むっつりと押し黙る。
目線だけは侮蔑のまま、お嬢さんを見やる。
さぞつまらなそうに。
さぞ触れられたくないところを触れられたと言うように。

何もかも奪われ、世間に踏みつけられてきたからこそ。
剛三の人間への不信は深く、揺るがない権力への欲求は強いのではないか?
過去を垣間見せられることによって、そんな想像をしてしまう。

それが際立つのは剛三の最期の場面だ。
剛三こそ親分の仇と知った卯之吉に、槍を突き付けられ、背後からは押さえられ、絶体絶命。
私の予想では、てっきり命乞いのセリフが来ると思ったのだ。
堪忍してくれ、命ばかりは…そんな悪役のお定まり。

だからびっくりした。
「卯之吉てめえ、ふざけるんじゃねえ、三下はすっこんでろ!」
小虎さんの怒気に満ちたセリフが舞台に響いたときは。

自分が卯之吉に殺されかかってるのに。
明らかに命が危機にあるのは自分なのに。
露わにするのは恐れではなく、怒り。
「てめえごときに何ができる、三下が出るところじゃねえんだ!」
卯之吉を"三下"と何度も呼ばわって。
どこまでも力に飢え、どこまでも世間に吼えつく。

この剛三という一やくざを中心に観ると、全く違う「やくざの花道」が見えてきて、それも面白い。

なんにしろ。
観劇席で仲良くしていただいた地元のご婦人と一緒に、お漬物を頬張りながら。
見上げたユラックスの舞台は、どこまでも眩しかったのです。

劇団KAZUMAお芝居「千鳥の曲」

2013.5.6@夢劇場

俺が十三、お前は八つ。
兄役の藤美一馬座長が、切れそうな糸を思わせる声で語る。

「俺の後をお前はひたすら追いかけて来て、なぁ兄ちゃん、その竹とんぼくれよ、ってその竹とんぼくれよって」
「俺は意地悪して、どんどん林の奥へ奥へと行って、気づいたら後ろのお前の声が泣き声に変わってたんだ」
「慌てて戻ってみたら、池に落ちて溺れているお前がいた…」

弟役の柚姫将さんはじっと聞いている。
盲いた目、開かない目を、それでも健気に兄のほうに向けて。

私の頭の中には、一馬座長が語る光景が、墨絵のような淡色で描かれていた。
幼い兄弟の足音、林の薄暗がり、のぞきこんだ池の深み。


写真・藤美一馬座長(当日舞踊ショーより)


写真・柚姫将さん(当日舞踊ショーより)


遠征最終日のお芝居「千鳥の曲」は、三味線弾きの兄弟の物語だった。
弟思いの兄の名は宗太郎(藤美一馬座長)。
素直な弟の名は宗吉(柚姫将さん)。
宗吉は、幼い頃池に落ちたときの傷が元で、盲目になってしまった。
冒頭で書いた通り、宗太郎による語りで、観客にその事が伝えられる。

目の見えない弟を、宗太郎はずっと守ってきた。
三味線弾きの仕事を終え、くたくたに疲れて帰って来ても。
「おう、今帰ったぜ。食事の支度、できてるか」
と弟の前では明るい声を出す。
宗吉に「おいらも働けるよ」と言い募られれば、
「いや、いい。兄ちゃんが働くから、お前には家にいてほしいんだ」

宗吉は盲目ゆえに、周囲の心なさに散々傷つけられてきたのかもしれない。
とりわけ二親を亡くしてから、世間の冷たい風に晒されてきたのか。
兄弟のやり取りには、そんな過去を想像させる含みがあった。

というのもこのお芝居は、兄弟が世間の痛烈な裏切りを受ける場面から始まるのだ。
序盤で、兄弟は弟子入りしていた三味線の師匠・杵屋の旦那(龍美佑馬さん)から破門される。
宗太郎が、同じ弟子である大黒屋の若旦那(冴刃竜也さん)に殴りかかったという理由で。

だが、大元の原因は大黒屋の若旦那のほうにあった。
宗吉と杵屋の娘・お香さん(霞ゆうかさん)が好き合っていることに、若旦那は嫉妬したのだ。
「宗吉、お前、本当は三味線の稽古なんてどうでもいいんだろう。お香さん目当てでここに通っているくせに」
あろうことか、若旦那は宗吉を乱暴に足蹴にする。
宗太郎が怒りのあまり拳を振り上げたところを、杵屋の旦那に見咎められたのだ。

「待ってください、これにはわけが」
「若旦那のほうが先に手を出したんです」
宗太郎が何度説明しても、杵屋の旦那は聞き入れない。
元々、目くらの宗吉と愛娘の仲が睦まじいことを苦々しく思っていたためだ。

「いいわけをするな!お前達二人とも出て行け!」

この一言で、この裏切りで。
宗吉はたった一つの愉しみだった、三味線を弾くことすら奪われてしまった。

それから数年、兄弟は二人きりで寄り添って生きてきた。
真っ暗い部屋の中でただ独り、ひたすら兄を待って座っている宗吉の姿には、胸を締めつけられた。
「おいら目くらだよ、目くらに灯りは要らないよ」
どんなに世間に蹴られても踏まれても、宗吉の笑顔は純なまま。
「兄ちゃん、お腹空いたろう」
兄を思う心は柔らかなまま。

二人の生活が崩されるのは、かつての裏切りの相手が兄弟の住まいを再び訪れたためだ。
宗吉が近所の風呂屋に行っている間に、杵屋の旦那が平身低頭で現れる。
「宗太郎、宗吉をうちに返してくれんか」
そこで宗太郎は衝撃の事実を聞かされる。
お香が恋慕う宗吉と同じになろうと、自ら目を突いたというのだ。
「娘がここまで宗吉を好きなら、なんとか一緒にさせてやりたい。頼む宗太郎、宗吉を杵屋に返してくれんか」

宗太郎は、「今さら、ふざけるんじゃあないですよ」と口調も荒く追い返す。
だが、一人になった宗太郎は考えこむ。
杵屋に戻れば、宗吉は好き合った相手と一緒になれる。
三味線も再び弾ける。
大黒屋の若旦那の財力で、もしかしたら目も開くかもしれないという。

この場面は無音。
灯りを落とした部屋の中、徳利片手に考えごとをしている一馬座長。
舞台の空気は、糸をぴぃんと通されたように、鋭敏な形を現わしていく。

やがて宗吉が風呂屋から帰って来る。
宗太郎は弟の顔を見ないで言う。

「お前、俺を恨んでるだろう」

一馬座長の語り声は、感情を殺したように静かだった。

「俺が短気を起こしたせいで、絹屋を破門になった。お前は大好きな三味線を弾けなくなった」
「元はと言えば、お前が目くらになった原因も俺にあるんだ」

宗吉が「そんなはずないじゃないか」と必死に首を振っても、宗太郎は「恨んでるはずだ」の一点張り。
部屋は夜の闇を表して暗いまま。
兄弟を照らし出す小さな灯りだけが、頼りなく浮かんでいる。

「宗吉、兄ちゃんだってなぁ、お前がいなきゃ好きに生きていけるんだ」
「お前は足手まといなんだよ。この家から出て行ってくれ」

兄の突然の豹変に、宗吉はわけもわからず戸惑う。
「兄ちゃん、おいら、悪いことしたのなら謝るよ」
「ここに置いといてくれよ、追い出さないでくれよ」

兄弟の応酬は段々と激しくなる。
「足手まといだって言ってんだ、出て行け!」
宗太郎は、ぶつけるような怒鳴り声。
「やめておくれよ、ここにいさせてくれよ、兄ちゃん!」
宗吉は、必死に手繰り寄せるような叫び声。

「とっとと出てけ、お前さえいなきゃ!」
宗太郎の声は心を殺したままで。
部屋の闇は増すばかりで。
兄弟が築き上げてきた年月が、叩き壊されていく。
「兄ちゃん、なぁ、兄ちゃんー!」
引き裂かれるような慟哭が、舞台に響く。

遠い観客席から、私は肩震わせて見つめていた。
舞台では、宗吉が蹴り出されそうになりながら、全身で兄の足に縋りついている。
演じる将さんの目から、本物の滂沱の涙が流れているのが見えた。

兄弟の絆が瓦解した住まいに、お香さんと大黒屋の若旦那が訪れる。
居場所を失った宗吉に、お香さんは私と行きましょうと呼びかける。
他に頼る人もなく、宗吉はよろよろとついていく。
未練に引かれ、見えない目で兄を振り返りながら。

弟たちの姿が見えなくなった途端、宗太郎の顔がくしゃりと歪む。
「宗吉ぃ、勘弁してくれ」
「ああでも言わなきゃ、お前は俺と一緒にいるって聞かねえだろう…」
もう遠くなった弟に、涙声で呼びかける。
「どこにいても、兄ちゃん、お前を見守ってるからな」
「お前の作った曲が、千鳥の曲が、聞こえてきやがるよ…」

寄り添って生きてきた兄弟なのに。
幼い頃からの互いへの情けを、積み重ねてきたささやかな幸福を、自らの手で引き千切らねばならなかった。
その哀しみの深さに、幕が閉じた後も私はしばらく泣きっぱなしだった。

東京に戻り、観賞から一月近く経った今も。
劇団KAZUMAの「千鳥の曲」からいただいた心のさざめきが、ふと肌に蘇ることがある。

幼い兄弟の足音、林の薄暗がり、のぞきこんだ池の深み。
お芝居の向こうに、淡く浮かび続ける情景。
「なぁ兄ちゃん、その竹とんぼくれよ、その竹とんぼくれよ…」