【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之三十二] 橘大五郎座長が走り続ける“原動力”とは? SPICE独占インタビュー!

6年前、私が大衆演劇沼にハマったとき、この方はすでにトップクラスの人気役者だった。
現在、木馬・篠原2か月公演を全日大入り(!)という超・快進撃の途中。
そしてきっと10年後も――。

それはもちろん、すごいこと。
けれど同時にしんどいことでもあるのじゃないか…?
橘劇団座長、受け継いだ三代目、九州演劇協会会長、「みんなの大ちゃん」。
たくさんの背負うものが、立ち止まることを許さなかったりもするのじゃないか?

どうしても話を伺いたかったので。おそらく大衆演劇界一、休みのない座長のお一人に、貴重な貴重なお時間をいただいてきました。

大衆演劇の入り口から[其之三十二] 橘大五郎座長が走り続ける“原動力”とは? SPICE独占インタビュー!

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(本文より)
――大衆演劇ファンの中でも、大五郎さんのお体を心配されている方は多いと思います。倒れないか心配という声も聞きます…。

ほんとですか?(笑) 倒れません、大丈夫です!というか今月思ったんですが、休みの日って逆にダメなのかもしれないです。休みの日は熱中症みたいに具合が悪くなっちゃって。ずっと動いてるから、むしろ休むと生活リズムが狂っちゃうんです。


という冒頭のやりとりで、まるで高度成長期の企業戦士みたいだと思った(お体だけは大切になさってほしいものだ)。
それから、インタビュー中にうおー!とテンションが上がったのは、芝居『女殺油地獄』をお客さんにより理解してもらうための工夫について語っている箇所。

(本文より)
与兵衛の実のおとっつぁんはもう亡くなっていて、その奉公人だった人がお母さんとくっついたので、義理のおとっつぁんになってる。こういう関係性を全部セリフで説明しておくんです。でも、ただ言うだけじゃ伝わらないんです。

――と、おっしゃいますと…?

「義理の親じゃから」(一本調子)って言うんじゃなくて、「義理の、親じゃから」(「義理の」で切り、「親」を強調する節回し)っていう風にセリフをちょっと立てます。粒立てるというか。これで初めて、お客様の中にセリフの意味を残せる。するとお客さんの反応が絶対変わってくるんです。逆に、流すセリフは「~でございますねぇ」(速く)っていう感じです。


め、目の前で大五郎座長独特の、あの節回しが聞けた…!うまぁ…!という感動に加えて。
この発言が意味するのは、「物語の設定が複雑でも、理解を助けるのは演者の技術である」ということだと思うのです。
大衆演劇の芝居は、一部の脚本の粗さ・無茶さを、演者の上手さで芝居として成立させているケースがあまたあるけれど。複雑な筋のものや、新しいストーリーを大衆演劇に持ち込もうとしたときに、それを飲み込みやすいものにするのもまた上手さなんだなぁと思ったのでした。

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⇒インタビュー全文はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


“ずっと同時代のトップにいるだろう役者さんだ”と、記事の導入に書いた。私が今後10年、20年、大衆演劇ファンでいたら……。その間ずっと 、劇場の壁に「橘大五郎」の大入り袋が並んでいるのを見るだろう。きっととても長い間、見上げることになる名前だ。
“舞台が好きですからね”と言いながら、やっぱり未来でも走っているんだろうか。

そして橘劇団マネージャーの鈴木さんに、インタビュー日程の調整をはじめ本当にお世話になりました!超忙しいのに数分で来る連絡(比喩でなく)…m(_ _"m) この敏腕すぎる片腕がいてこそ、座長がやれることもたくさんあるのだろうな…。

【橘劇団 今後の公演先】
7月 スパ&リゾート九十九里 太陽の里(千葉県)
8月 三吉演芸場(神奈川県)
9月 新開地劇場(兵庫県)


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【SPICE】8/18(火)あの名コラボを再び!大衆演劇×浪曲in浅草

8/18(火)に木馬館で公演される、国本武春氏×橘劇団コラボ。
昨年、私の周囲では大変話題になっていた浪曲×大衆演劇コラボだ。
どうしてもニュース記事にしたくて、あちらこちらに詳細を確認し、ファンの方の情報に助けてもらいまくり。
8/11(火)に【SPICE】でニュース記事としてリリースさせていただきました↓

【SPICE】8/18(火)あの名コラボを再び!大衆演劇×浪曲in浅草
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橘劇団・橘大五郎座長(2015/5/5)

8/18(火)、あのコラボ公演が今度は浅草で行われる!

「浪曲と大衆演劇が見事に融合した、それまでに味わったことがないような楽しい舞台でした」。

2014年、カリスマ浪曲師・国本武春氏と、大衆演劇団・橘劇団のコラボ公演に寄せられた感想だ。浪曲と大衆演劇。大変珍しいコラボだと、事前告知の時点で浪曲ファン・大衆演劇ファン双方から大きな注目を集めていた。公演は昨年の9/25(木)、十条の篠原演芸場で行われた。演目は忠臣蔵だった。


⇒続きはSPICEでお読みくださいませ



昨年観たというファンの方の提供してくれた情報で、記事が書けました。
本当に、本当にありがとうございました。

まだ【SPICE】サイトがリリースされる前、編集さんとの打ち合わせのとき。
そういえば昨年、大衆演劇と浪曲のコラボをやった劇団もあったんですよ、と話題になった。
(この時点では橘劇団の今年のコラボは未発表)
「いいですね~!そういうのが今後あったら、ぜひニュース記事にしてくださいよ!そういうのがいいんですよ!」
…この編集さんの言葉に、私はひとり感動していた。

そうだ。
それって芸能の価値的に、すごいことなんだ。
これから始まる【SPICE】では、そういうことをニュースとして扱っていただけるんだ。
…嬉しさを一番噛みしめたのは、その瞬間だったかもしれない。

コラボ公演当日を、心待ちにしています。

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橘大五郎座長 個人舞踊『Forget me not』(橘劇団)

2015.8.2 昼の部@浅草木馬館

確信している。
橘大五郎座長の『Forget me not』を、この夏の衝撃の一つとして、私は長いこと記憶しているだろうと。
感情の栓は、全部全開。
目つき、眉、指先、たたずまい。
そこに乗っている情のひだ一つ一つが、ドッと観客の内側に入り込んでくる。

『Forget me not』は、恋人に愛を語る熱烈なラブソングだ。
若い役者さんが流し目決めつつ踊ったら、さぞハマるだろう。
なのに、大五郎さんのそれを観た後、カッコ良かったとか素敵だったとか言うより。
「す、すごかった…」
私と友人は異口同音に、呆然とした面持ちで呟いていた。
“観た”というより“体験した”のだ。

まず、出てきてすぐに舞台の左端に座る。
客席に語りかけ始める。

―小さな朝の光は 疲れて眠る愛にこぼれて
流れた時の多さに うなずく様に よりそう二人―

(なんて書き出すのが恥ずかしい歌詞だ…)

座ったまま、表情だけで描き出される風景の、なんと鮮やかな。

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笑みには、芯からの幸福が響いていたり。

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何かに驚いて、子どものようなまん丸な目になったり。

これだけ陶酔しろと言わんばかりの曲でも、当然カッコつけてはいるのだけど、酔っていない。
飾っていない。
この座長さんの表現は常々まっすぐで、その硬度に毎度驚いてしまう。
剥き身の、健やかな愛情が曲に流し込まれる。

―初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの空を
いつまでも さがしてた―


サビを過ぎたあたりで、舞台中央に踊り出て客席を振り返る。
目に光を湛え、300人超を相手に、古くからの知り合いに出会うように笑う。
ビーンと直線的に放たれる、圧倒的な情感の量!
心と身体の間に何の境目もないんですか…?と問いたくなる。

―時々僕は無理に君を 僕の形に
はめてしまいそうになるけれど―

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歌詞に合わせて、こんな当て振りもあったりする。
ふいに、舞台から降りてきて。
赤のシースルーの衣装が、ひらひらと客席の間をうごめく。
二階席まで、一人一人を覗きこむ。
木馬館の全員のまなざしを、余すところなく身体へ惹きつける。

右側の通路から舞台へ戻り、再び舞台に腰かける。
熱っぽく人を想う風情。

―狂った街では
二人のこの愛さえ うつろい踏みにじられる―


ふっと笑みを消して、恋の歓喜は鳴り止む。
上半身が舞台にもたれるようにかたむき、目線が舞台=地面に落ちる。
伸びた手が小さな花をすくう。

―君がおしえてくれた 花の名前は
街にうもれそうな 小さなわすれな草―


歌に心身を溶かすように。
大五郎さんの大きな目が真摯な哀しみに行き当たる。
幸福の影に咲く、哀しみ。

エモーショナルな曲を、踊り手のエモーションがはるかに越えていく。
じんじんじん、と木馬館の奥の奥まで広がる、感情の波紋。
流しこまれる生々しい息吹に溺れそうになりつつ、舞台を見上げれば今度は吸うような笑み。

無題

嬉しくて、驚きもあって、時に哀しくて、でも底に揺らぐのは確かに幸せ。
“恋”という演技が、爆発していた。

そして、矛盾するようだけど。
甘く濃く煮詰めた恋の熱の根底に、温かく溶ける情愛をも感じ取れたのだ。
だから『Forget me not』は個の物語に留まらず、どこまでも広がりがあった。
この持ち味が、“大ちゃん”が幅広く愛される理由なんだろうか。

大五郎さんの魅力については、お仕事の「SPICE」連載でも書かせていただいたばかりなので、よろしければぜひ。
大衆演劇の入り口から[其之弐] “清らかさ”にふれたくて 橘大五郎座長(別窓に飛びます)

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之弐] “清らかさ”にふれたくて 橘大五郎座長

まずいーまずいよーお前に 惹かれ 惹かれ過ぎてさ♪
…このフレーズ、一回聞いたら耳から離れませんね(『惚れたってことは』)。
さすが作詞作曲小椋佳先生。

この歌を気持ちよさそうに歌う橘大五郎座長は、若干28歳。
まぶしく元気な笑顔が印象的だ。
けれど、その芝居・踊りの空間には溢れる詩情がある。
中でも純度を極めるのは――哀しみの表出だと、勝手に思うのです。

私の観られたお芝居だと『明治一代女』『悲恋 涙の馬子唄』、踊りだと『おつう』『願わくば桜の下で』とか。
悲しい、さみしい、切ない、ひとりきり。
そんな情感が現れるとき、息をのむほど濃い哀しみがパッと発散して。
…演者の身体を中心にして、また綴じていく。

その空間をSPICE読者にも共有してもらいたく、紹介させていただきました!

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之弐] “清らかさ”にふれたくて 橘大五郎座長


わかりませんか、届きませんか、私の心が。女の姿をしているけれど、私は鶴です。あなたに命を助けられた鶴です――。悲しげな目は訴えかけるようだ。8~9月、この女形に東京で出会える。

昔ばなし「鶴女房」は、多くの読者が聞いたことがあると思います。“あなたの所にお嫁に来たのです”…貧しい男のところに嫁いできた美しい女。その正体は、かつて羽に刺さった矢を抜いてやった鶴だった。けれど最後は男が約束を破ったために、女は鶴の正体を現して飛び去ってしまう。
大衆演劇の役者さんに、この話の名演者がいる。三代目・橘大五郎座長(橘劇団)。舞踊ショーで「鶴女房」をモチーフにした演歌をかけて踊る。寂しそうに結ばれる両手の小指、紅を引いた唇を耐えるみたいにきゅっと噛みしめる。


⇒続きはSPICEでお読みくださいませ




深い、たくさんの表情を持っている役者さんであるほど、私の筆力が追いつかず。
かといって長すぎる文は読者に負担をかけるし、大五郎さんを知らない方にも最後まで読んでいただくには…
とグルグル考えて、実はかなり書きあぐねていました。

読んでいただけばわかる通り、友人の発言に全編が支えられている。
大五郎座長の芸質の中心をつく、この一言があったのでようやく書き上がった。

しかし、5月の三吉演芸場公演、6月のゆの郷公演、8月の木馬館公演。
いずれも初日近くに行くことができて、気付いたのは。
地元のお客さんが、この1年間どれだけ“大ちゃん”を心待ちにしていたかということだった。
舞台に現れたとき、会場から弾けた「三代目!」「大ちゃん!」の声。

抒情性に満ちた芸風。
何より、観客との垣根を一瞬にしてフイッと消す、心の在り方。
この座長さんの舞台を観ることで、大衆演劇という芸能の原型に近いものを、少し読みとれるような気がする。

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橘大五郎座長 個人舞踊「願わくば桜の下で」(橘劇団)

2015.5.31 夜の部@大宮健康センターゆの郷

“彼女”は高野山に行くのだそうです。
笠を抱いて、杖をついて。
ひとりで、行くのだそうです。

橘大五郎座長 「願わくば桜の下で」


この美しい女形の、引力のわけは。
なにか、心の在りかが知れないような。
いつも遠くを見つめているような距離ではないかと思う。
魂半分、ここではないどこかへ抜け出てしまって、ひりついた名残だけが目元に繰り返し打ち寄せる。

ゆの郷初日、夜の舞踊ショー。
トップの賑やかな群舞が終わって。
2曲目に鳴り出したのは、ぽっかりと心さみしい曲だった。

―枝垂桜のこの下で
あなたと散りたい この春に―


大五郎さんのまろやかな情味。
短調の曲、黒の衣装の愁い、小道具。
一つ一つの要素が、亡くなった(あるいは行方知れずの)恋人の面影を追っている女性かな…?と想像させて。
送り出しにて、友人と一緒に、率直に質問をお伝えしてみた。
「あれは、旅をしてる人なんですか?」
大五郎さんは、丁寧に説明してくれた。
「高野山に、亡くなった旦那さんのお参りに行くってイメージなんですよ」

その言葉を聞いて。
頭の中に残っていた舞踊の影が、もう一度立ち上がって来た。
どうりで、あの悲しさは死者に注ぐ思いだったのか。

―草を枕に寝ころべば
あなたの胸の 音がする―


舞台右手から、笠に隠れるように現れた大五郎さん。
控えめのライトの中に、白い頬が冷たく浮かび上がる。

姿は、喪に染めたような黒。
袖にだけ渋いあずき色が入っていて、踊りに合わせて揺れる。
客席に目線を落としながら、進む足はゆっくり、ゆっくり。
一歩歩んで、目を伏せる。
半歩歩んで、わずかに笑う。
夫を亡くした女性が、内に抱えている悲しみを少しずつ観客にほどいていく。

歌が二番にさしかかったとき、胸から“旦那さん”の遺髪を取り出した。
遺髪に語りかけるみたいに、空に掲げる。

―朝の桜は そそとして
昼の桜は あでやかで
夜にはあやしい 艶を見せ
死ぬの生きるの 大さわぎ―


桜という歌詞が響くたび、舞台には枝垂れ桜の風景が浮かんだ。

あの、清冽な色気の潤む目で。
手中の遺髪をじっと見つめたまま、客席に降りて来る。

大五郎さんの姿が、私の席にも近づいてきた。
ついこの前、大五郎さんの女形芝居を見たとき、“かわいそうな女の人の役が本当によく似合う。”と振り返った。
今一度、目の前を通り過ぎる美貌を見れば。
確かに“さみしさ”がにじんでいる…。
それも、人恋しさにじっと耐える子どものような、いとけない種類の。
寂しさや淋しさと書くのでなく、ひらがなで表したいさみしさだ。

大五郎さんは客席を一周した後、舞台に戻って。
遺髪を眼前にかざし、まっすぐ見据える。

ハッと、なにか糸が解かれるように、真にあどけない表情になった。
ずっと遺髪を懐にして、旅していたのに。
初めて喪失の深さに気がついたような。
その瞬間、ここではないどこかに、心が引き上げられてしまったような。



“彼女”の歩みは、ゆっくり、ゆっくり。
急ぐ旅ではないから。
目指す人は、もう喪われているのだから。
あなたと散りたいと、桜に寄せて唄いつつ。
女がひとり、高野山へ行くのだそうです。

舞台に広がる抒情の量。
普段、元気印みたいな若い座長さんだけど、持っている物語性はかなり古風なことに驚く。

送り出しでの説明に、私と友人がふむふむと頷いていると。
「今度観る時は、ぜひそういうイメージを持って観てみてください!」
実に朗らかな笑みを浮かべてくれた。

役者さんが、思考錯誤して(あるいは直感で?)。
舞踊に込めたオリジナルのお話。
ファンとして、それを見つけられるのは実に幸運だ。

ゆの郷の玄関ロビーのベンチに足をぶらぶら腰掛けて、帰りのバスを待ちながら思っていた。
今日の料金は、あの舞踊一本のために払っても惜しくなかったな…。

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