玄海竜二一座お芝居「天竜親恋鴉」

2014.8.3 夜の部@浪速クラブ

「あっしはやくざでござんす」
ぽとり。
「やくざでござんす」
ぽとり。
「仁義を切りやす」
玄海竜二さんが、置き土産のように、ぽとりぽとりと言葉を残す。
「親もおりません。親という名のつく者は一人もおりません」

きれいな役者さんの、きれいな芝居を見られたと思った。

写真・玄海竜二座長(当日舞踊ショーより)


会社員にも夏休みがあって。
これを書いている現在、まだ夏休み真っ最中なので書き手はかなり浮かれ気分。
そして、私はまた大阪に来ておりました!

台風で列車が運休と遅れを繰り返し、遅れて駆け込んだ浪速クラブ。
「天竜親恋鴉」の一幕目に間に合った。
天竜村の茶屋を舞台に、茶屋を切り盛りする宗兵衛(大島竜志さん)と、娘のおみつ(愛京花さん)が談笑している場面だった。

宗兵衛とおみつは、橋の欄干に引っかかっていた旅のやくざ(玄海竜二座長)を助ける。
宗兵衛には、やくざになりたいと飛び出して行ったきりの息子・正太郎(沢村菊乃助若座長)がいた。
そこで、旅人は約束する。
「命を助けていただいた礼に、その正太郎さん、あっしが探しやしょう」
「でも、あんまり長くなっちゃあいけねえや。今から一年後、また祭りの頃に、正太郎さんをここに連れて来ますよ」

初めて見る玄海竜二会長は、とにかく“きれいな役者さん”という印象だった。
九州演劇協会の会長さんだもの、確かに歳は、重ねておられる。
でも、軽やかな股旅姿が美しい。
目の筋を鼻を唇を、り、り、り、と墨で引いたような形が美しい。

そして何より、セリフの言い方が。
「あんた…」
聞きやすい声で。
「あんた」
合間に絶妙な間を挟んで。
「正太郎さんか」
間の中に、ポーンと音が並べられると、その意味が増しまして響いてくる。

約束の一年後。
親子の再会は、嘆きに終わる。
旅人は、正太郎の遺骨を天竜村に持ち帰ったのだ。
しかも、悪党に騙されて、旅人自身が正太郎をその手にかけてしまった。

せがれの遺骨を抱きしめて泣く宗兵衛を、旅人は見つめる。
やがて、その口から、身を切るように紡ぎ出す。
自分には親がいないこと。
やくざが世間からつまはじきにされるのも、当然だと思っていること。

「親にはぐれて、こんな世界に足を踏み入れてしまいました…」
玄海さんの伏せられた目が、じっと地面を舐めている。

「天竜親恋鴉」という外題の“親恋”は、まず宗兵衛と正太郎の親子のことだと思うけど。
この場面で、私には、もう一つの想像が打ち響いてきた。

玄海さんの視線は、徐々に、徐々に、空を見上げる。
苦しそうに、切なそうに。

「やくざの世界の中で、裏街道を歩きながらも、表街道を歩きたいと…自分の信じる正義を刻みながら、一つ一つ…生きておりやす」

旅人が、“表街道”の生き方を、市井の人間のもの柔らかな暮らしを渇望する心が、滲んでくる。
子供が親を恋うる姿にも似て。
「正太郎さんのことを、あっしは一生背負っていきます…」
しゅるりと投げられた縞の合羽が、一瞬傘のように膨らんでから、大きな体に巻きつく。

やくざもののお芝居を、これだけ毎週のように見ているというのに。
やくざであることの哀しみが、こんなに深く伝わってきたお芝居はなかった。
昔から、やくざものがどうして人々の心を惹きつけてきたのか、少しだけ分かる気がした。
親を持たない、帰るところを持たない、その孤独。

終演後、連れと近くの居酒屋に駆け込んで、「玄海さんの芝居がすごい」「声がすごい」「間の取り方がすごい」とひとしきり騒いだ。

ところで玄海さんは、やくざの芝居とか渋い舞踊をやっているときと、打って変わって。
舞踊ショーで「小林旭メドレー」をニコニコ踊っている姿は、とっても親しみやすかった。
というか失礼ながら、めちゃめちゃ可愛かった。
こんな感じである。↓



ある方の「玄海さん、くまモンみたいじゃない?」というたとえを聞いて、合点。
そうだ…何かに似てらっしゃると思ったんだ…

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沢村菊乃助さん個人舞踊「番凩」(劇団荒城ゲスト)

2014.6.7 夜の部@浅草木馬館

衝撃体験。
音に合わせて踊るのではなく、音が、体から出ている!

写真・沢村菊乃助さん個人舞踊「番凩」より


6/14(土)夜の部まで木馬館に出演されるそうです。
ということを、どうしても早くお知らせしたくて。
沢村菊乃助さんは、普段は九州で公演されてて、大阪はまま行くことがあっても、関東にいらっしゃることはまずないらしい。
東京在住の大衆演劇ファンとして、この方の舞踊を目にする機会がほとんどないということに、悔しい思いさえするのです。

6/7(土)-6/8(日)で、菊乃助さんの個人舞踊を3本見た。
いずれも呆然としてしまったけど、やっぱり初見の「番凩」の衝撃度は高かった。

―かわいた木枯らし そよそよと
かわいた木の葉は ひらひらと―


菊乃助さんが紡ぎ出した動きは、まるで楽器が鳴るようだった。
音の一粒一粒に、体が吸いつく。
動作の緩急が、くるくる入れ変わる。
曲がサビに差し掛かってハイテンポになってきても、腕の一振り、脚の一筋で、音楽を軽々とコントロールする。

―焼けた故郷に 別れを告げて
木の葉の手に引かれ 走り去る―


両手を宙に持ち上げ、カク、カクと指を床に向けて、足は片足。
バランスが危ういはずのポーズをとっても、身体は芯を通したように屹立している。

愉しげに、舞台の左側へ踊り出れば、舞台に漂う澱みも引き連れられて、しなる背中あたりに薄く乗る。
今度は舞台右側へ、音を操りながら跳んでいく。
木馬館の空気が、一緒に右へとうごめく。

骨の髄まで、自在に見える。
人間の体って、あんな風に動くんだ。

―生きとし生ける
この世の者への追い風とならん―


照明を落とした舞台に、頭に被った薄紫色が映えていた。
その姿から流れ出て来るものが、水を打つように清い。



私のブログを読んでくださる方の中で、関東在住の方もいらっしゃると思います。
もし、6/14(土)までに木馬館に足を運ぶお時間のある方がいらっしゃれば、強くお勧めいたします。
私自身はもう行けるチャンスがないのだけど、関東の大衆演劇ファンが、一人でも多く菊乃助さんを見ることには、大きな意義があるような気がする。

舞い始めて、咲く花はしゃんと清水。
舞い終わって、残す色はからりと爽風。

九州・熊本の地から、とてつもない役者さんが、この東京に来てくださっていますよ!

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