春陽座さんは素敵だ!と書きたい理由 ―三吉の舞台から―

昨年2月以来、春陽座(はるひざ)さんが1年1か月ぶりに横浜・三吉演芸場に帰って来ています。少人数ながら、今月上旬に観られた舞台はいずれも素敵でした。

「良いよね」とか「大好き」とか日常の話し言葉より、あえて「素敵だ」と、ちょっとよそ行きの言葉で称賛したくなる感じ。全然まだ本数を観られたわけじゃないけれど、この劇団さん好きだな、楽しいな、と改めて思ったところを…5つほど並べてみる。
※あくまで個人の感想です。

①ミニショーの物語性


【3/4 清水次郎長】

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【3/7 名月赤城山】

ミニショー全体が一つの物語に沿って組まれているパターンに何回か遭遇。さらに、顔見せショーという「役者個人」に極めて重きを置いた場面にも関わらず、きちんと役者さんのニンを押さえた配役になっているのも嬉しい!

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【清水次郎長】より。スピード感のある澤村拓馬さんは小政にぴったり。

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大政は貫禄のある澤村京弥さん。

そしてこのパターンは、幕が開いたら板付きで国定忠治や次郎長がいるという、「最初からクライマックス」感にテンションが上がる(/・ω・)/


②澤村心座長の、役に溶け入る感

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二枚看板のうち、先輩座長に当たる澤村心座長。 6年前の東京公演で初拝見したときからカッコいい役者さんだったけど。39歳の現在、年輪と艶と風格がフュージョンして、えらいこっちゃな男前になられている(震)

カッコいいにも関わらず、心さんのお芝居は「我」がほとんど前に出てこない。
たとえば3/7『江戸の花駕籠』では主役の三太郎を演じていた心さん。病の女房を救うための三十両を、情に厚い念仏四郎兵衛親分(かずま座長)に恵んでもらい、三太郎は温情に泣きながら小判をかき集める。
「お菊、お菊、これでお前を助けてやれる…!」
地面を転げて小判を抱きしめ、頬にはぺったりと涙。乱れた鬘の下で、目はくしゃくしゃに細められている。役者さんの姿形を見ているというより、三太郎という不器用な男がそこにいると自然に思える、そういう温度がある。
すんなりと、平熱で役に溶け入る。その魅力が回数を重ねるごとに沁みてくる役者さんだ😊


③澤村かずま座長のMAX感

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無題

二枚看板の後輩座長は澤村かずま座長。元気はつらつを絵に描いたような35歳の花盛り!
「お客さんが今日は少なめですが、その中でここにいる方は、来にくい日に来てくれたってことですもんね?! ありがとうございます!」
と、先日大きな目をしぱしぱ瞬いて御礼を述べていた様は、実に健康的なお人柄を思わせた。このキュートさが愛されるゆえんなのだろうなぁ…。

声も大きく、動作も大きく、描線がぐりぐり太い役者さん。3/3『神崎東下り』で演じていた馬子・丑五郎は粗野だけど実直な役柄で、かずまさんにとても合っていた。
「神崎さん、死んじまったのか、ごめんよぉ…」
丑五郎は自分の非礼を悔いて、途方にくれた顔つきでよろよろ歩む。神崎さぁん、と子どもみたいな泣き声に、役の気持ちがいっぱいに膨らんでいる。
喜怒哀楽、いずれの表現にもエネルギーがほとばしっていて、観ているとパワーをいただける気がする。「かずMAX」ってこれ以上ないくらいのニックネームは一体誰が付けたのか…。


④群舞の色彩

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わ、きれい!バランスいい!と写真に収めたくなる、群舞の配色。シンメトリーの形が決まると、クレパスを広げたみたいだ。ライティングとの相性も計算されているのだろう。


⑤舞台の“ふんわり”
これはまだきちんと言語化できていない感覚なのだけど…。春陽座といえば「上品」という言葉をよく聞くし、本当に舞台が品良く整えられているのを感じる。だけどそれが堅苦しい「型」「様式」にならず、芝居では役の気持ちが伝わってくる。それは何に拠るものなのだろう?と考えると…。

何か「ふんわり」した感触が、いつも舞台にあるように思う。

たとえば、心座長の優しいお顔立ちや、かずま座長のキュートな表情など役者さん由来のもの。人間の気持ちを丁寧に描こうとする脚本。それから、観る人に心地良い色がさりげなく選ばれている、衣装・道具の色彩。お芝居の見せ場に流れる音楽が、やわらかで耳に馴染みやすい曲調であること…。

三吉に行くたび、ああ心地よいな、と思う。まるで上品な和菓子が口の中で溶けるみたいに。


【春陽座 今後の予定】
3月 三吉演芸場(神奈川県)
4月 おふろcafe湯守座(三重県)
5月 清水劇場(広島県)
6月 玄海ロイヤルホテル(福岡県)

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春陽座お芝居『八つき子』―澤村心座長の部屋―

2017.2.12夜@三吉演芸場

澤村心座長が。
「10年もの間、皆でわしを騙しくさって…!」
あの上品ではんなりして、お殿様役やボンボン役が似合う心さんが。
ずり落ちそうな眼鏡の下の目を潤ませて、酒瓶抱えて、どっかり足を組んで、悔しさに唇噛みしめている…。

『八つき子』は心さん演じる板前・亀吉の人間くささに、観客が自らの生活を重ねずにいられないリアルな家族の物語だった。今まで持っていた、心さんのイメージとのギャップに驚く一方で。
普段表に出している柔らかさを取り去っただけで、元々この方はこういう持ち味だったんじゃないか? 元からあった演技の扉の一つをパタンと開いただけなんじゃないか? 
あぐらをかいた姿を見ながら、この役者さんの内奥に仕舞われているたくさんのものを思った。

澤村心座長

心さんは舞踊の手が細かいなーと思う。サッと腕を振る仕草も、微細に左右に揺れる振りが入ったりする。

『八つき子』は現代劇。藤山寛美さんの芝居を元に、澤村新吾さんが立てた芝居だという。
亀吉は子どものときから料亭・吉善で修行した板前さん。遊びもせず修行一筋、お人好しな性格だ。
ある日、大将(澤村新吾さん)が店のみんなを呼び集めた。
「亀、お前いくつになる?」
「39になりました」
「お前、特に好きな人はおらんのか?」
「へえ、そりゃ知り合う女の人やお客さんでも、べっぴんさんやな、かわええなぁと思う人はいてても、仕事、仕事で…。わしは生涯、女房は持たれへんかなぁと思うとります」
「よし、おらんのやったら、静子と一緒になれ」
静子とは大将の娘(澤村みさとさん)のことだ。突然言われて、きょとんとする亀吉の表情が実に可愛い。
「静子が『亀ちゃん優しい人や、亀ちゃんと一緒になりたい』と、こう言うんや。亀、静子と一緒になって、この吉善の跡継ぎになってくれ」
思ってもない幸福に亀吉はまなじりを下げて承諾する。修行仲間の鶴吉(澤村かずま座長)や妙ちゃん(澤村かなさん)も万々歳で、とてもおめでたい光景だ。

でも、この時点で一つ不穏な要素が浮かび上がっている。場面右端にひっそり座った、静子がずっと不安そうな顔つきをしていることだ。何か、この結婚には秘密があるんじゃないか…。
みさとさんの芝居によって、場面がぐっと多層的になっていた。くったくのない明るい声が大らかに育てられたお嬢さんっぽい。

澤村みさとさん
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結婚から10年。健太(澤村煌馬さん)という息子も生まれ、亀吉はすっかり息子を猫可愛がりするお父さんになっている。遊びに来た鶴吉相手にウキウキお喋りするシーンが良い。
「日曜日なぁ、健坊のサッカーの試合なんや。今度の相手は強うてな、なかなか勝たれへんのや…」
ここで思いついたように妻の静子を振り返り、
「なぁ静子、今度からな、健坊の弁当、ハンバーグ一個増やしたり。力がつくようにな」
「はいはい。まったくあんたってば、うちと健太とどっちが大事なん?」
「ええ、う~ん、そりゃあ…(ちょっと考えてニッコリ)健坊や!」
なんてザ・ホームドラマなんだ!(笑) 心さん、実際に良いお父さんそうだものな…😋 こういう場面のリアリティを見ると、俳優さんは親になることを役幅の財産にするという選択ができるのだなと思います。

そんな日々の中、結婚前からの“秘密”が突然明かされる(その中身はここでは伏せておきます)。亀吉は支えを失ったように、よろよろと柱にしがみつく。
「健太の父て、静子の旦那て、吉善の大将て…皆に言われて…10年、桶の中で泳がされとったんか…!」
これが飲まずにやってられるかと、飲めない酒をごくごくあおる。酔って座った目で、虚ろに地面を見つめるばかり。

二重の意味でギャップに目を見開いた。
一つは、これまでよき夫・優しいパパの顔だった“亀吉”の、怒りと悲しみが表出すること。
もう一つは、澤村心さんという役者さんのイメージが新しく膨らんだこと。酒(実際は水)で濡れた心さんの口がおもむろに開いて、
「…静子ぉ…」
と重たく告げたとき。声の冷え具合に思わずビクッとした。

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【川千鳥】 手が切れてしまいましたが💦 去っていく女に手を振る…という振り。心さんの踊りは抒情的だなぁと思わされることが多いです。

亀吉のような、日常の延長線上にある役を演じたかと思えば。やはり『御浜御殿綱豊卿』みたいな、高貴で理想に燃えるお殿様がハマり役に見えたりする。
多くを語らずニコニコしている心さんは、まるで行き止まりの見えない部屋みたいだ。2DKだと思ったら3DKで、と思ったらもう一つ部屋があって、まだまだ知らない扉が隠れていそう。

一人の演技者の、様々な芝居を、ひと月にまとめて観られるからこそわかること。大衆演劇という芸能のぜいたくさ、春陽座という劇団の上質さだ。

心さんについては昔こういう記事も書いてました⇒木漏れ日に憩う―春陽座・澤村心二代目座長―

【春陽座 今後の予定】
2月 三吉演芸場(神奈川県)
3月 大江戸温泉物語ながやま(石川県)
4月 四国健康村(香川県)
5月 宝劇場(福岡県)
6月 ホテル龍登園(佐賀県)

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春陽座お芝居『御浜御殿綱豊卿』―春陽座という楽器―

2017.2.7 夜の部@三吉演芸場

「おはまごてん・つなとよきょう」…なんて、いかつい題なんだ(笑) 事前に友人に教えてもらったところ、真山青果作の史劇で、歌舞伎でも上演される作品だそうだ。

私が今まで、大衆演劇で観たことのないタイプの芝居だった。上演1時間半の大部分が、心さん演じる綱豊卿とかずまさん演じる赤穂浪人・助右衛門の討論(!)に費やされる。

観ていて思ったのは――舞台全体が“楽器”!🎹🎻
春陽座メンバー一人一人の動作・立ち位置がバチッと噛み合うべきところで噛み合う。膨大なセリフの掛け合いも音楽的だ。なので今回は、舞台と演者が“どんな音楽を奏でていたか”という観点からの振り返り。

時代は浅野内匠頭切腹から1年後。冒頭は、甲斐宰相・綱豊(澤村心座長)に、妾・お喜世(澤村かなさん)が相談するシーン。お喜世の心配事は、兄の助右衛門(澤村かずま座長)が今日のお浜遊びを隙見したいと言ってきたことだ。
綱豊から「そなたの兄は浅野家に仕えていたな?」と問われて、お喜世は兄の真意に気が付く。すなわち助右衛門は、お浜遊びに参加する仇・吉良上野介の顔を見極めようとしているのではないか?

ここから、ほんの数秒で行われる流れが美しい。
① お喜世のセリフ「まさか兄上様はわたくしを謀った…?!」
② かなさん、言いながら弾かれたように立ち上がる
③ 綱豊のセリフ「いや、構わぬ」
④ お喜世をなだめるように、心さんの右手がすっと前に出る
1~4が、全部一つの音節の中に入っているような収まりの良さ! 

心さん・かなさんは、どちらもはんなり上品な類似タイプのお顔立ち。二人を覆うように、背後に大きな傘があるのがまた絵になる。お雛様とお内裏様の密談のような、作り物めいた美の光るシーンだった。


澤村心座長。穏やかに大義を見つめている綱豊だった。

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澤村かなさん。お喜世の美しさのみならず覚悟の鋭さが現れていた。

芝居の見せどころ、綱豊VS助右衛門の会話も面白い。というか二人の位置関係が面白い。この位置はどーしても絵で説明したいので、昔資料用に撮影していた三吉の舞台写真を利用します。

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↑こういう位置でした。綱豊は舞台中央、そして助右衛門は花道のスタート地点――つまり舞台の外側にいる状態。

このときのかずまさん助右衛門の目がコワイ。あの大きな上がり気味の目をさらに尖らせて、ジロ…と舞台中央のほうを下から見る(この日は花道の近くに座っていたので、その目つきがよく見えた)。助右衛門は疑っている。綱豊は仇討ちに協力してくれるのか、それとも自分が次期将軍になりたいだけなのか。
疑いの表情と、彼が舞台の外=綱豊という人間の外にいるという位置が重なって、独りで怒りを抱えている姿が浮き彫りになる。

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澤村かずま座長。とてもピュアな感じがする役者さんだ。

一方で綱豊は、助右衛門たち赤穂浪士がどれほどの覚悟でいるのかを確かめようと、あえて大石内蔵助の悪評を言ってみたりする。

丁々発止のやり取りが続き(キャッチボールも非常にテンポ良い)、やがて助右衛門の仇討ちへの思いを信じた綱豊が、手を差し出す。
「そなたたち、日本の義士を信じたいのだ!」
舞台中央から、舞台外側へまっすぐ差し伸べられる右手。
けれど助右衛門は目を背ける。

綱豊→助右衛門の一方通行の呼びかけに“折り返し”が訪れるのは。綱豊が、実は公家から浅野家再興を願い出るよう頼まれていることを話したときだ。
助右衛門はハッと目を見開いて、綱豊を凝視する。
「お側へ参りまするー!」
助右衛門はガバッと立ち上がって舞台の内側に駆け入る。かずまさんの走り寄る姿が、さっきの“差し出された右手”に対する応答のように見えた。

助右衛門は綱豊の隣に座して、言葉にならない声で言う。
「浅野家再興、嘆願の儀……嘆願の儀…」
涙ぐみながら必死で首を横に振る。
※前提に「浅野家が再興される→家を滅ぼされたことに対する仇討ちが成り立たなくなる→赤穂浪士的には浅野家再興は阻止すべき事態」という理論があります。これは見ているうちに理解できる作りになっていました。

綱豊は助右衛門の泣き顔を見て微笑む。そして膝を曲げ、目線の高さを合わせて、肩を叩く。ずっと討論していた二人の心がようやく近いところに落ちた――という、締めの小節。

真山青果や歌舞伎や歴史にもっと造形の深い人が観たら、きっと内容的にも心に留まるところがたくさんあると思うのだけど…。
私の率直な体感では、三吉演芸場の広い舞台と演者の身体が“鳴り合っていた”1時間半だった。さらにその演奏の奥に、登場しない大石内蔵助が重奏低音として響いている。澤村新吾さん演じる新井白石のセリフ「雲は描いているうちにその姿を変えてしまう」(大石内蔵助の隠喩)とかに象徴されている。

このガッチリした芝居の翌日には「意地悪ばあさん」、翌々日には「東男と京女」という喜劇だった(すごいギャップ!)。
≪芝居の春陽座≫、観るのは2年ほど空いてしまったけれど、元々上質だった芝居がより精度を増した気がする。座員さんの人数は減ったけど、その分二人座長の輪郭がくっきり押し出されている。きっと無数の試行を重ねられた上に、今の芝居体制があるのだろう。

2月の三吉演芸場は、文字通り春の陽ざしが差し込んだかのように楽しい!

【春陽座 今後の予定】
2月 三吉演芸場(神奈川県)
3月 大江戸温泉物語ながやま(石川県)
4月 四国健康村(香川県)
5月 宝劇場(福岡県)
6月 ホテル龍登園(佐賀県)

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春陽座お芝居「京の友禅」

2015.1.24 昼の部@三吉演芸場

友禅(滝川まことさん)が望むのは、職人としての名声ではない。
幼い頃から思い合っていた女性・お幸(澤村かなさん)との暮らしでもない。
その両方を見送って、手放して。
彼は友禅染を作り続ける。
絵具に、布に、思いを落とし続ける。

滝川まことさん(当日舞踊ショーより)


澤村かなさん(当日個人舞踊「夢一夜」より)


新作芝居は友禅染を作った職人の話。
なんとも、春陽座の上品なイメージ通り。
透ける色づきを目の奥に挿してもらったような舞台だった。

話は、幼い友禅(澤村煌馬くん)と、らい病の父(澤村京弥さん)の旅の場面で始まる。
雪の中、父子が行き倒れになったのは、扇子屋・堺屋の前だった。
父親は、堺屋の主人(澤村新吾さん) に息子を託す。
「この病は人にはうつりません。でも、もしこの子が大人になって私と同じ病にかかることがあれば、そのときはいつでも放り出してやってください…」
父親はそこで息絶え、友禅は堺屋で育てられることになる。

二幕目は15年後に飛ぶ。
友禅は堺屋で扇子の絵描きをしていた。
堺屋の職人が一堂に集められたとき。
「扇子だけやなくて、絵を着物に描くというのはどないですか」
友禅は、ずっと秘めていた夢を打ち明ける。

その提案に、温厚な主人も難しい顔をする。
「堺屋は扇子屋。もしわしらが着物に絵を描いて売ったりしたら、呉服屋は怒るで。あいつらが怒って堺屋をつぶしにかかれば、赤子の手をひねるようなもんや」
部屋の一番隅に遠慮がちに座って、けれど友禅は毅然と言う。
「堺屋がやるのが難しければ、お暇をいただけませんでしょうか。友禅は一人でもやりたいのです」
「着物が雨に濡れても絵が流れないよう、絵具の配分、乾かし方…一人で色々試しました。まだ方法は見つかりませんが、必ずあるはずです。必ずこの友禅、友禅染を完成させてみせます!」

こうして友禅は堺屋を出る。
友禅に惚れている堺屋のお嬢さん・お幸が友禅について来て、二人は貧しい生活を始める。

まことさんの芝居を、こんなにたっぷり観られたのは初めて。
情熱的に語っているのに、どこか抑えがある。
かずまさんの、感情が皮膚の内を跳ね回るような勢いとは違うし。
心さんの、深いところから心をつつくような細やかさとも違う。

薄曇りのような陰が、額から唇にかけて漂っていて。
まことさんが感情を表すたびに、表情筋につられて陰が動く。

堺屋を出て2年。
友禅染の開発に励んでいた友禅は、ある日指の痛みに震える。
「ついに来たかぁっ…!」
父と同じ、らいの病だ。
「なんでや、なんでなんや、お父ちゃん!」
指を押さえて天を仰ぐ。
次第に手足が動かなくなり、顔も崩れていく未来が友禅の夢を裂く。

お幸を自分の運命に巻き込まないようにと、友禅は自分の心を裏切る。
“お幸への愛情がなくなった”と嘘の手紙を堺屋の主人に送り、迎えに来させる。
「友禅の阿呆、阿呆、阿呆…!阿呆―!」
お幸は友禅の嘘を信じて、絶望を炸裂させる。
友禅の大切な仕事道具を投げつけ、ぶるぶる震える手で顔を覆う。
かなさん、さすがの熱演。

さらに1年後、お幸の祝言の日。
友禅が堺屋を訪れる。
「友禅染がようやく完成いたしました。その最初の着物、お嬢さんに袖を通していただければ」
と、仕上がった着物をお幸に差し出す。
病のために、もう固まって動きにくくなった指で。

私が目を見張ったのは、堺屋を後にして、花道をはけていく友禅の表情。
病んで、お幸とも結ばれず、なお。
ほう…と虚空を見つめて、柔らかく笑む。
まことさんの顔に滲む陰は、舞台に深い楔を打ち込むようだ。
今ここにあることの喜びを噛みしめるような笑みだった。

『京の友禅』の記事を終える前に、もう一つ言及しておきたい。
個人的なツボに入ってたまらなかったのは、冒頭の父子がさまよう場面だった。
京弥さん演じる友禅の父は、病のため顔の下半分を覆っているので、表情はよく見えない。
セリフも一切ない。
でも、涙が出た。

澤村京弥さん(当日舞踊ショーより)


京弥さんが、病でうまく動かない手で、懸命に煌馬くんの体をさする。
我が子に少しでも温かさを与えようとする。
雪は容赦なくもうもうと舞い上がり、『砂の器』のメロディーが流れる(この冒頭場面は明らかに『砂の器』へのオマージュなんじゃ…)。

状況自体が泣けるのだけど…
京弥さんのなんとも言えない実直な人情が、顔を覆っていても全身から出ていて、心をつかまれた。
この3年で観た大衆演劇の芝居の中でも、「冒頭場面」に限って言えば珠玉の一つだったと思う。

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春陽座お芝居「人生双六」

2015.1.1 夜の部@三吉演芸場

雑誌やネットで澤村かずまさんの写真を見かけると。
彼の人情芝居が観たくなる。
きりりと結ばれたまなじりが、感情をせき止められずにじわじわ歪んで、やがて全身が泣きに震える。
この方の演技は、“全身の細胞で浸りきってる”感じに圧倒されるのだ。

今年は元旦から、そんなお芝居に出会えて幸運でした。

澤村かずま座長(当日個人舞踊「羅生門」より)


さすがに元旦くらいは家にいて家族と過ごそう…
なんてカケラも思ってない多数のファンが、三吉演芸場に着いたら日常のような顔をして着席されていた。
私はこういう大衆演劇ファンの基本姿勢が大好きです。

正月三が日は切った張ったの芝居は避けたそう(かずまさん談)。
「人生双六」は、庄五郎=かずまさん、梅之助=心さんの演技がこざっぱりと気持ちよく絡む、友情と親愛の舞台だった。

庄五郎(澤村かずま座長)は仕事が見つからず、途方にくれていた。
着物はボロ切れのようになり、三日も飲まず食わずで、今にも倒れそう。
だが、茶店の前で泥棒(澤村美翔さん)に出くわした。
庄五郎は持ち前の正義感に火がつき、泥棒を捕まえようとする。
そこを通りかかった梅之助(澤村心座長)は、庄五郎のほうを泥棒と間違えてしまう。

なんとか梅之助の誤解を解き、庄五郎は熱弁する。
「故郷(くに)のお母ちゃんが言うてたんや。どんな貧乏してても悪いことしたらあかん!心に傷を持ったらあかん!って」
その言葉を、梅之助はじっと虚空を見つめて聞いている。
やがて、決断した口調で告げる。
「庄五郎はん、あんたの言葉、よう胸に沁みました」
懐から取り出したのは財布だった。

「実はな、これ、百両入ってますねん」

驚く庄五郎に、梅之助は財布を弄びながら続ける。
「先ほどこれを拾いましてな。落とし主の名前も書いてあるし、落とした人はさぞ困っとるやろ、届けなならん、届けなならんと思いながらも、どうしても欲が出て届けることができんで、ここまで歩いてきましたんや」
「でも庄五郎はん、今のあんさんの言葉で目が覚めました。人間は心に傷を持ったらあかん…ほんまにそうや。これ、届けてきますわ」
心さんの語り口は静かなんだけど。
言葉の端々がとっても粋に響いて、梅之助という人物の気持ちの良さを感じさせた。

梅之助が、ニコニコと提案を持ちかける。
「一つ勝負してくれまへんか。互いに今は仕事もない者同士やけど、これから頑張って働いて、5年後にまたお会いしましょう。そのときに、どちらがより出世しとるか、競争しまへんか」
庄五郎は嬉しそうに頷く。
「庄五郎と梅之助、なかなか無い名前の者同士、気が合いそうですね。わかりました。5年間、勝負ですね」
心さんの柔らかな笑みと、かずまさんの力強い笑顔が、夕焼けの風景に浮かぶ。

梅之助は、一文無しの庄五郎にお金をいくらか与えた上で。
さらに茶店のうどんをおごる。
「こんなお金までもらった上、そんな」
庄五郎は遠慮するが、「さぁ」とうどんの椀を差し出され、申し訳なさそうに受け取る。
かずまさんはアツアツのうどんを一口すすって、
「なんでうどん、昼より熱くなってんの(笑)」
なんてアドリブの笑いを入れて、二口目。

かずまさんがうどんを大きく頬張って、ぴたりと箸を止める。
口に大量のうどんをくわえたまま、瞼がねじれそうなくらい強く、ぎゅうっと目をつむる。
照明が落ちて、場はもの寂しい夕闇になる。

仕事にあぶれて、三日も食べられず、ボロボロの着物でさまよい歩いていた。
他人に乞食と間違えられた。
今、口の中いっぱいに温かいうどん。
――誰かがもう一度、自分に親切にしてくれた。
庄五郎の飢えた心から沸き出る喜びが、一直線に客席に伝わってきた。

「心に傷を持ったらあかん」で始まり、うどんで締められる。
この一幕目は、さりげなく、人の心の交わりの極みみたいな部分に行きつこうとしているように見える。
後半、梅之助が婿入りした先の隠居(澤村新吾さん)が、庄五郎にこんな風に言う。
「あんたの話はよう聞いてましたで。毎日、庄五郎、庄五郎と…」
たった一度会っただけの相手の話?5年も経っているのに、毎日?
と、普通なら不自然に思うかもしれないけど。
最初の二人の邂逅を細かく描いてくれたから、納得できる。
心はずっと、あの夕闇の茶店の前に繋がれているのだ。

全然テイストは違うけれど、泉鏡花の短編『外科室』を思い出す。
一瞬目を交わしただけの男女が、9年間互いに愛を抱き続ける話だ。

5年後の再会の日、梅之助と庄五郎は、互いにくしゃくしゃに笑って一言。
「お会いしとうございました…!」
たった一度の出会いが、心に棲み続ける。
交わしたわずかな言葉が、命の支えになり続ける。
恋愛を友情に置き換えると、この日の『人生双六』には『外科室』の輪郭が透けていた。

それから春陽座のお芝居を見ていつも感じるのが、劇中に流れる音楽への強いこだわり。
『人生双六』ではエンディングである大ヒット曲が流れるのだけど、よく聴くと歌詞に“双六”って入っていて驚いた。
かずまさんに伺ったところ、やはりその歌詞ゆえに採用したそう。

毎日淡々と、品よく、こだわりの細工をほどこして芝居を作り続けている。
春陽座の姿勢には、なにか職人めいた姿を見る。

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