【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十六]  謎の多い役者・沢田ひろしさんにインタビューしました

謎の経歴。
謎のうまさ。

「大衆演劇の入り口から」連載も2年、初めて、“フリー”の役者さんのお話を聞かせていただきました!

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十六]  謎の多い役者・沢田ひろしさんにインタビューしました

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(劇団大川ゲスト出演時 椿裕二座長との【おさん茂兵衛】)

(本文より)
そんで劇団やめた次の月から、俺、紅(くれない)あきら劇団に入ったの。紅あきらさんがね、俺をめっちゃ可愛がってくれてたの。あきらさんて、めっちゃ人気あってね。「自分の劇団やめてお前どうすんの」「いや、別にどこも行くとこあらへんし」「ちょうどいい、お前来い」ってことになって。

――ご自分の劇団をやめたときに、役者以外の仕事に就こうっていう気持ちはなかったんですか?

毛頭ない。まだまだ俺は行けると思って(笑)。紅さんのところで2年半くらいお世話になったかな。あきらさんは、一言一句、事細やかにダメ出しをしてくれる人なんよ。すごい良い勉強やった。自分の我を通してたら、今、フリーで色んなとこお世話になってても、自分のスタイルに固執しすぎてもっと苦労してたと思う。結局ね、自分がキュウリであり続けたら、キュウリとして野菜サラダとかにしか使ってもらえないから。でも、キュウリは揚げ物にはならないじゃん。脇の役をすることにおいて、色んなことしたら邪魔になるから。ほんとに良い勉強でしたよ。

⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


沢田さんのゲスト出演日に合わせて、猛暑の浅草木馬館・劇団炎舞にダッシュ。
お忙しいゲスト日に応じてくれた沢田さん、そして沢田さんを大のご贔屓とする友人の助力に感謝✨

沢田さん…といえば、ハッと滴るような艶っぽさが知られるところだと思う。
↓記事のトップ画像にもした2016年2月の【傘ん中】。

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ツーっと目元に吸い寄せられるような色気…!

独特の引力のためか、私の周囲に沢田さんファンは多い。関西の友人の一人は、「ひろしネットワーク」なる沢田さん出演情報を交換する情報網を持っているほど…。関東にも近いうち、また来て下さるでしょうか。

誰のインタビューでも、録音を書き起こししていると新たに気づく印象が何かしら増えるのだけど。
沢田さんの終始やわらかな話し方は、聴いていると引き込まれて、まるでどこかへ手招きされているような感じ。
なんだか…大きな招き猫を想像した。
「難しいこと考えるより、まずお客さんが楽しめなきゃ」
かつて“化け猫”を演じた役者さんの、物語り。

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破顔一笑―鈴木彩子さん―

“彩”って字は、なんて優しい姿だろう。
“あやこ”って音は、なんて温かな響きだろう。

今回は、大好きな女優さんの話をさせてください。

写真・鈴木彩子さん(個人舞踊「お嫁においで」2013/9/16@浅草木馬館)


↑の写真は、2013年9月の木馬館で見た個人舞踊「お嫁においで」。
ピンクの振袖、縞のパラソル。
くるくるくる、ピンクの笑顔が回る。
(この舞踊がツボすぎて、「2013年珠玉の一本」にも入れている)

彩子さんは、特定の劇団に常にいるわけではなく、時期を区切って色々な劇団に滞在されている。
私が聞いているだけでも、劇団KAZUMA、劇団秀、花柳願竜劇団…
でも大衆演劇以外の演劇にも出演されているので、いわゆる大衆演劇のフリーの役者さんとも、ちょっと違うのかな。

2013年5~9月は、劇団KAZUMAにお手伝いとしていらしていた。
私が初めて出会ったのは、 5月の広島遠征だ。
今は無き夢劇場で、あのスマイルに出会った。

「ここの藤美一馬せんべいは美味しくてね~、あたしはこれに目がなくて。この味、この味」
お芝居「浅草三兄弟」の冒頭の場面で、彩子さんは茶店の店子の役をやっていた。
店子なのに自分でおせんべいを食べるという、謎の展開(笑)。
その笑顔があんまり明るいもんだから、懐に飛び込んでくるもんだから。
一体何者なんだろう?と、興味を惹かれた。

続く舞踊ショーでの個人舞踊は、オレンジの着物でニコニコと踊っていた。
彩子ちゃん!とアナウンスがかかると、丸い頬のあたりに、ぎゅぎゅっと嬉しさが飛び跳ねる。
ときめきました。すごく。
「何あの可愛さ~!」
と、遠征仲間と大騒ぎした。

いつも、輪郭ごと弾けるように、ぶわっ!と笑ってくれる。
私は勢いづいて、「笑顔は他の誰にもない彩子さんの武器だと思います」とお伝えしたこともあるくらい。

思いきり明るくて、とびきり可愛くて、元気印!
…でも、この女優さんは、決してそんな一面だけで終わらないのである。

先日8/4(月)木川劇場で、「劇団秀」に出演中の彩子さんの舞台を、約1年ぶりに見た。
その夜の個人舞踊は、「化粧」。
中島みゆきの名曲の桜田淳子バージョン。

写真・個人舞踊「化粧」(2014/8/4@木川劇場)


白いお着物、赤の帯締め。
元気な彩子さんだけど、不思議と中島みゆきの曲が似合う。
――今夜死んでもいいから きれいになりたい――
哀しい歌声が、舞踊の底をしんしんと冷やしていく。

――流れるな涙 バスが出るまで――
そして、虚空をふー…っと見上げる。

この女優さんが、“見上げる”という動作に、いつも強く衝かれる。
子供が、何か知らないものに出くわしたときのような顔つきだ。
童心が、何か大きな暗がりに戸惑っているような目だ。

ぽっかりと、瞳に黒い穴。
ろうろうと、行き先の霧。

女優・鈴木彩子さんが立ち向かっているものの大きさを、私は知らない。
ただでさえしんどい業界で、しかも一人であちこちの劇団を異動していて、次々に新しい環境に適応しなければいけない。
想像を超える苦労があるのだろうと思う。
舞台の準備、人間関係、組織、もしかしたらぶつかる悪意も。

でも、そんなのはお客様には関係ない、と彩子さんはブログで書いていた。
そういうものも、全部全部昇華して。
舞台でお客様を魅せるのが仕事だと。

だから、彩子さんの笑顔はまた深くなる。
苦労や痛みをひっくるんで、小さな彼女の姿は、また優しくなる。



木川劇場では、「昭和枯れすすき」のコントをぐいぐい引っ張っていた。
「この毒で死にましょう、あなた!」
「毒」ってモロに書いた紙切れを、次々懐から引っ張り出す(笑)
勢いが炸裂している死にっぷりがおかしかった。

私を見て、ぱぁっと顔を輝かせて、再会をとても喜んでくれた。
私ごときの小さな声ではあるけれど。
おすすめの女優さんを聞かれたら、「鈴木彩子さん」と万人に答えることにしています。

彩子さんのブログに書かれている今後の予定は、以下の通り。
8月「劇団秀」@木川劇場
9月「逢春座」@かっぱ王国
11月「花柳願竜劇団」@鬼怒川温泉ホテルニューおおるり
12月「花柳願竜劇団」(場所は不明)

大衆演劇世界の濃さにへばったときは、彩子さんのことを思い出します。
こんな清らかに舞台に立っている人がいるというだけで、嬉しくなります。

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影に燃ゆる陽炎――美影愛さん②――

前回に引き続き、劇団KAZUMAの舞台をひりっと締めて九州に帰って行かれた大ベテラン、美影愛さんの話をします。

「早すぎた天才なんだよ、あの人は」
最近、何十年も大衆演劇の変遷にずっと寄り添ってきた、目利きの方と話す機会に恵まれた。
美影さんについて、そんな言葉がまず出てきた。

前回も引用させていただいた、橋本正樹さんの「あっぱれ役者街道」。
美影さんが、1960~70年代の九州で、里見剣次郎として人気を集めていた頃のエピソードがある。
“真っ赤な鬘で、芝居に登場したのだ。はじめてかぶった熊本県の二本木温泉センターでは、観客は赤い鬘にびっくり仰天し、しばらくどよめきが鎮まらなかったそうだ。”
(『演劇グラフ』2012年5月号 第33回「あっぱれ役者街道」より)

それまで大衆演劇の世界には、黒髪と老け役の白髪の鬘しかなかったらしい。
人間の頭は黒か白、と当たり前のように思っていたお客さんの目に、燃える赤はどんなに鮮烈に映ったろう。
もし、私がその時代の客席にいたら…。
やっぱりまず驚いて、目を見張って。
でも次の瞬間には、あらまー綺麗な色!なんて言いながら、新鮮な舞台景色にワクワクしているんだろう。

ちなみに美影さんは、東京でも幾度も公演されているそう。
木馬館すぐ裏の「すずや」という老舗の舞台用具屋さんで、刀や小物を注文されたという。

木馬館という私の身辺に、そんな歴史がひそんでいたことが嬉しくなってしまって。
12/1(日)に浅草に行った折り、「すずや」さんを訪れてみた。

写真・「すずや」さん入り口(お店の方の許可を得て掲載しています)


残念ながらご主人が不在で、あまり詳しいお話は伺えなかったけれど…
奥様が、「美影先生は東京に来たときは必ず寄ってくれる」とにこやかに話してくださった。

「すずや」さんを出て浅草駅へ向かおうとすると、いつもの木馬館が私を見下ろしていた。
もうすぐリニューアル予定の二階建ては、大衆演劇場になってから37年分の歴史を飲みこんで、冬の冷気の中に息を吐いていた。

日々――文字通り毎日、毎時間(日替わりだし昼夜お外題入れ替えだし)。
凄まじいスピードで、変化し続ける大衆演劇の世界。
新しいお芝居にショーに、無数の役者さんが取り組んでいらっしゃる。
その歴史の中には、早すぎた人々がいたのだろう。
その激流の中には、研がれすぎた感覚が、先に先に走りすぎた人もいたのだろう。

40年以上前、観衆の度肝を抜いた真っ赤な鬘!
その衝撃は、すっかり当たり前のように現在の大衆演劇に根ざしている。
木馬や篠原の舞台に、黒や白髪の鬘しかないなんて考えられない。
燃える赤、ジューシーな橙色、きらきらしいお姫様みたいな金髪が妖しく舞ってこその夢舞台だと、現代しか知らない我が身は思う。

先日も、緑色の鬘でリズミカルに踊る若い役者さんに手拍子をしながら。
その向こうに、若き座長・里見剣次郎と、観客席のどよめきを思い描いていた。

驚きを掠めかわして、残るものがある。
客席の喝采の中に、残すものがある。

私が愛する劇団KAZUMAのお芝居に残された、水面を打つような緊張感も、そのうちの一つに違いないのだ。
「敵役の美影先生が改心する場面で、先生に引っ張られるように舞台でボロボロっと涙が出た」と、自ら感動するように話していた藤美一馬座長を思い出す。

無数の足跡を残されて、そして、今。
私の無知な、よく言えばまっさらな目には。
なお一粒の熱さが見えるような気がする。

すぎもとまさとの名曲「吾亦紅」。
10月に見た美影さんの個人舞踊の中で、ほのかな情熱に感動した一曲だ。

写真・美影愛さん(10/9個人舞踊「吾亦紅」より)


――マッチを擦れば おろしが吹いて――
その目はどこを覗きこむのだろう。
――さらさら揺れる 吾亦紅――
その耳はいつの時代の風を聞くのだろう。

九州、関西、関東…津々浦々回られた。
青年座長・里見剣次郎として、「座・梁山泊」座長として、「まな美座」座長として。
無数のライトを、無数の歓声を、記憶の中に静かに見つめて。
今。
物語られる、今。

――あなたに あなたに謝りたくて――
――あなたの あなたの形見のことば――
目の前の、今日の舞台で紡がれる、お芝居のような舞踊。
踊っているとき、芯の強い女性だったというお母様のことを、思い出されていたそう。

つかみどころのない陽炎は、あえかな舞の形を残しながら、舞台に淡い言葉を残しながら、ゆらゆら伸縮して沈む。
その中に、ハッと瞬時に燃え上がる情。

舞は続いている。
言葉は続いている。
「鬼十郎、お前の言う約束っていうのは、お前の信じる神様との約束かい、それとも俺との約束かい」
(「三つの魂」のおやじさん役 2013.10.14昼の部@篠原演芸場)

今、物語は続いている。

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影に燃ゆる陽炎――美影愛さん①――

細く、淡く、霞む。
陽炎のように、生まれたばかりの言葉たちが、ほろほろと立ち昇る。

「二代目はなぁ、小さな炎だ。息をかけりゃあ大きくもなる、強く吹きゃあ消えちまう」
(「男の人生」の鉄五郎役 2013.10.20昼の部@篠原演芸場)

セリフは事前に固めているのではなく、お芝居の中でふっと浮かぶのだそうだ。
一緒に演じていた役者さんいわく、「何をおっしゃるかわからない…」
だからその一つ一つは、ともすれば消え入りそう。

「ゆらゆら揺れている炎だ、それを消しちゃならない」

影の中から言葉が零れて、また影の中に隠れる。
年を重ねてもなお背筋の伸びた、長い影の中に。

写真・青年時代の美影愛さん(この頃は里見剣次郎というお名前)


9-10月の怒濤の劇団KAZUMA鑑賞の日々。
そこにゲストとしていらしていた、美影愛さん。
じゅっと舞台に滲むような演技がすごい!
セリフのストックがすごい!
とこのブログでも色々書いてきた(例・「三代の杯」「兄弟仁義 男たちの祭り」)。

拙文でも書いてみるもの。
これをきっかけに縁を得て、ありがたいことに美影さんについて貴重な資料を送っていただいた。
上にあげたお写真もいただいた資料の一つ。
さらに、私が敬愛する橋本正樹さんの連載「あっぱれ役者街道」の、美影さんの回があった。
橋本さんのインタビューを受けて、美影さんはこう語っている。

“たとえば、道端に座りこんでいる年老いた乞食に、小判をポンとほおり投げて、見得をきって花道をはいるのもカッコいい。けど、僕はそんなとき、乞食の目線にあわせ、「なにかの、お役にたてなせぇ」とやさしく言いながら、すうっと小判をすべりこませます。”
(『演劇グラフ』2012年5月号 第33回「あっぱれ役者街道」より)

声を張るヤマ上げではなくて。
美影さんの演技は、セリフは、しんしんと舞台に降る。

たとえば、狭い土地で争いの絶えない二つの一家を指して。
「猫の額で唯我独尊」
たとえば、亡くなった知己を噛みしめるように悼んで。
「三途の川を千鳥足」

けれど、降り積もることはない。
言葉たちは執拗に繰り返されることなく、主張することなく。
気づけば芝居の間の中に、消え入ってしまうのだ。

“もう一度今の大見得のところをくりかえしてくれといっても「はて、なんといったかなぁ」と座長は首をかしげてしまう。”
(『朝日グラフ』昭和45年6月5月号 木下氏「大見得にかける生きがい(九州の旅役者)」)

瑞々しい青年座長だった頃も、そんな風に仰ったらしい。
43年前の「朝日グラフ」は、“里見剣次郎”という名前だった頃の美影さんを取材している。

それは、役を演じるのではなく、役の中に入り込むというスタイルのせいなのかもしれない。
26歳の里見剣次郎座長は、同誌でこう語っている。
“舞台にでると泣くときは本当に泣いちまうんだ。するとそれはお客にも通じてお客もふわーっとくるんだな”
68歳の美影愛さんは、先述の「あっぱれ役者街道」ではこう語っている。
“里見剣次郎、美影愛が、役を演じるのではない。ひたすら役になりきるんです。”

そしてつい三カ月前、劇団KAZUMAの木馬館初日「若き日の石松」で。
初めて美影さんの演技を見た私は、こう感想を書いている。

<無鉄砲な息子に対する、慈しみの深さが胸に残る>。
<それに、まるでお茶飲み話をしているような伸びやかな語り口>

わかりやすい、大げさな表情や動作を排して。
かの役者さんは役の中に沈み込む。
その芸の在り方は、歳月の経過の前にも不変。
淡々とした言葉の連なりの向こうに、独特の鷹揚な空気がふと香るのだ。

そして、資料を送っていただいて、もう一つ新たに知ったことがある。
私が普段見慣れている、カラフルな鬘。
気品のある紫や、エネルギッシュで爽やかな若手さんの青や、ピンクの可愛い女形。
あのカラフルな鬘を最初にこの世界に持ち込んだのは、美影さんなのだそうだ!
長くなったので次回に続く。

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