理由を聴かせて―芝居の中の死者の声―

“なぜ”ですか?

《劇団天華『面影の街』9/13》
「憎くて捨てたわけじゃない、生かすために捨てたんだと…」
生き別れの兄弟。兄(澤村千夜座長)は、父親が弟(澤村丞弥さん)を捨てた理由を言葉少なに語る。


澤村千夜座長

《花の三兄弟 筑紫桃太郎一座『男血飛島』10/7》
「友吉、俺はお前に合わせる顔がなかったんだ」
筑紫桃之助座長演じる徳は、恩人である友吉(玄海花道さん)に罵声を浴びせた後で。がっくり膝をつき、ひどい態度をとった理由を話す。
「俺が亀田屋を継いでからというもの、店は傾く一方で、屋根にはぺんぺん草が生えてらぁ。いっそお前に殺してもらいたかったんだ…」

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筑紫桃之助座長

お芝居のこんなシーンに出会うと、胸の奥が何かに抱き留められるようです。
大衆演劇の芝居のパターンの一つ。何か過ちを犯した人が「自分にもわけがある、どうか俺の話も一通り聞いてやっておくんなせえ」と経緯を語り始める。

どの芝居でも主人公はそれを遮ったりしない。困惑を顔に浮かべながらも、ちゃんと最後まで聞いてやる。
「理由を聞く」というのは、なんて魂の深い行為だろうか。
そこには「もしかしたら道を踏み外したのは自分だったかもしれない」という痛みがある。
もちろん、何か理由があったからって罪が無くなるわけじゃない。でも、誰だって好きで間違えたわけではないのだ。

定番のお芝居で言えば、幼なじみ三人のうち一人が悪い親方に拾われて盗人になってしまう『三人出世』も、兄弟分のうち兄が不幸な弾みで人を殺めてしまう『上州土産百両首』もそう。
「これにもわけのあることなんだ――」
“運の悪かった罪人”の姿とその理由は、大衆演劇のお芝居に貫かれる主題の一つであり続けている。

でも現実の世界では、過ちを犯した人がわけを聞いてもらえることなんてまずない。
誰か悪者がいれば、わかりやすく事は済む。
一番不器用な人が、いつも口をつぐむ。

“Don't say I didn't try”(言わないで 私の努力が足りなかったなんて)
私がまだ学生の頃、映画『ロード・オブ・ザ・リング』(指輪物語)三部作が流行った。その中にゴラムという登場人物がいた。指輪の魔力に憑りつかれて異形になった男。映画の挿入歌の一つ『ゴラムの歌』は、当時映画館で聴いてショックを受けた。
“We are lost!”We can never go home”(もうわからない 家には二度と帰れない)
歌手エミリアナ・トリーニの泣き声みたいな歌い方が耳に残る。
今聴いても、怨嗟の声とはこんな声かと思う。過ちを責められ、無理解の中に置かれたまま死んでいく人の。

私たちの日々の中にも、見落とされた死者が大勢いるのでしょう。
「あの人はああいう人だから」「真っ当に生きなかったから…」
誰もが耳をふさいで、彼の言い分を封じ込めて。

「せやから芝居の中の死を見届けられるだけで、留八は不幸やないんですよ」
大衆演劇を通して知り合い、すごくお世話になっている京都の友人は、初めて会った日にそう言った。ふんわりした声で真理にスッと踏み込む人だ。
2年前、初対面の彼女と新世界でケーキを食べたとき。ある九州の劇団で観たばかりだった『留八しぐれ』の話になった。留八は顔に負った火傷のせいで、信じていた人々に手のひら返され、恨みを果たすべく人々を殺めて自分も死んでいく。
「人気のお芝居ですし、私も好きなんですけど、考えたらこの話のどこに救いがあるんでしょうね…?」
と私が疑問を浮かべると、彼女は確信のある口調で言った。
「彼は救われているんですよ。私たち観客が彼の真実を知っていて、最期の瞬間まで観ていることで」
「客席で見届けることで?」
「そう、それだけで彼は独りで死んだわけやないから」
最近になって、このとき言ってもらった意味がようやくわかった気がする。

一つの芝居には、それを演じてきた人々、観てきた人々の思いが何十層にも重なっている。だから『三人出世』の定やんが涙しながら「怪盗定吉と呼ばれ、役人から追われる身になったのにも、わけ事情があることなんだ」とこれまでの事を打ち明けるとき。
舞台に膝をついて語る役者の身体を通して、誰にも聞いてもらえなかった死者たちの告白が、なだれをうって流れ込んでくる。

それは生きている人たちだって一緒。客席でお芝居を観ている一人一人も、一緒。
いつかの京橋羅い舞座で、ずっと泣いていた人がいた。独りで声を抑えて。
あなたもきっと辛かったろう。

《劇団新『三人出世』3/9》
「定やん、江戸に出て来てからいっぱい苦労したんや」
友やん(龍新座長)は定やん(龍錦若座長)の話を聞いて、泣き伏した肩を優しく叩く。
「なぁ島やん、もしかしたらお前もそんな風になってたかもしれんやんか――」

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龍新座長

あなたがそうせざるを得なかったのは、“なぜ”ですか?

旅芝居の底に、誰かの悲しみが聴こえてくる。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から [其之二十五] そうだ、遠征しよう!~なぜ私たちは舞台を追うのか~

連日、猛暑ですね。
夜も汗ばむ熱気の中、新宿バスターミナルへ向かうときの何とも言えないワクワク感――
前から書いてみたかった切り口で、コラムを書かせていただきました。

【SPICE】大衆演劇の入り口から [其之二十五] そうだ、遠征しよう!~なぜ私たちは舞台を追うのか~

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↑バスタ新宿の画像を見るだけで高揚する…。

(記事冒頭)
「日本って狭いねえ…」
この言葉をこれまで何度聞いただろう。月ごとに移動する劇団を追いかけて、四国の劇場でバッタリ会った東京のファン。演目が発表された瞬間、スマホに指を走らせて大阪の宿を取った友人。大型連休、ファン仲間のグループLINEに「大阪着いた」と投稿すると「特選狂言観たくて神戸」「名古屋で○○劇団観る」と誰一人地元に残っていなかったときもあった。

“遠征”は、大衆演劇を語る際に外せない文化の一つである。

⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)


地元観劇ももちろん楽しいけど、遠征の楽しさは格別。
だって完全に日常を離れて、仕事も家事もしなくてよくって、観劇しかやることがない状態!
…ええと、書いてみて、今の言葉の多幸感がすごいのでもう一度。
観劇しかやることがない状態!なんです。

大衆演劇にハマって5年、その間に一体何十回遠征していることか、考えるだけで恐ろしい💦 けど一つ一つに忘れられない思い出が焼き付いている。
5年前、長野・松代ロイヤルホテル、芝居の興奮冷めやらぬまま、友人と夕焼けの中でレンタル自転車を漕いだ。
4年前、初めて降り立った大阪、うだるような猛暑の中、オーエス劇場へ向かった。
3年前、台風が直撃した日、迂回の列車を使用してなんとか大阪入りし、浪速クラブに駆けつけた。
2年前、お外題を見て夜行バスを衝動的に押さえ、堺東羅い舞座へ走った。
昨年、月に3回の梅田呉服座という大冒険に出た(これはさすがにもうできないな…)

大好きなことだとはいえ、金銭的にも体力的にもすり減らないわけじゃない。
周囲の大衆演劇ファンも簡単なことのにようにヒョイと県を飛び越え、本州を飛び越えていくけど…
実は、それなりの工夫と努力の上に遠征しているのではないだろうか。

普段の買い物を節約したり。
しんどい身体をガマンしたり、夜行バスの堅いシートに慣れさせたり。
家庭のある人なら家族の面倒も見て。
各々の抱える事情をどうにかこうにかして、ようやく劇場に辿り着く。

「よう来たな~!」
と役者さんが遠方から来たファンに陽気に声をかけているのを目にする。
うん、本当にそうだなぁ。
みんな、よう来たなぁ…

今回の記事、Twitterでの反応を見ていると、商業演劇や小劇場、ミュージカル、歌舞伎、宝塚など大衆演劇ファン以外の方にも「わかる~」という共感を示していただいた。嬉しや…m(_ _"m)
ジャンルは違えど根本の動機は同じなのだと思った。
どうしても観たかった舞台がそこにあるから、という。

そう、お財布の痛みも身体の痛みも、圧倒的な舞台の前では取るに足らないことになる。
だからこの言葉を幸福いっぱいにつぶやくのです、これからも。

「来れるじゃん!」

やっぱりこれは、数百キロの距離を「すぐそこ」にする魔法の呪文。

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いつか止む雨 ―あんなもの、と誰かが言った―

「その扱いは、大衆演劇の役者さんだから、ってことですか」
先日、ある役者さんに思わず聞き返した。彼が商業演劇に出演した際の、落とし穴に足を滑らすような想定外の不平等を聞いて。うん、と頷くその人の目がぱちぱち瞬いて。何を見ていたのか今もわからない。

“「どうして私たちが大衆演劇の役者さんと同じ舞台に立たなくちゃいけないの」”
1980年代。松井誠さんは、出演したイベントで共演の歌舞伎役者がそう言うのを聞いたという。
“ああ、なるほど大衆演劇はそういう見方をされているんだなと痛感しました”
(『演劇グラフ』2010年2月号 新春特別対談)

時代は変わった。現代ではもちろん、同じ舞台人としての敬意を持った交流のほうが多いだろう。商業演劇の俳優さんが大衆演劇の舞台にゲストとして出演したり、お互いのブログに友人として登場したりする、温かな光景もよく見る。

だから、冒頭のようなエピソードを聞くと足が止まる。身の回りには大衆演劇ファンや、大衆演劇を発信しようと尽力している人々ばかりなのに…。いや、もしかすると、自分の日常がこの界隈に浸かりすぎているんだろうか。
まるで居心地の良い洞穴を出たら、外は雨が続いていたような気分だ。目を凝らすと、降ってくるのは尖った言葉の断片。

「すごく役者を大事にしてくれる四国健康村みたいなセンターは、また乗りたいなって思いますよね。いや、たまに、ほんとに役者をバカにしてる所とかあるんですよ! そういう所ではやっぱり、なんだテメェって気持ちになっちゃったり…」
穏やかな人柄に珍しく、荒い口調を見せた役者さんを思い出す。

“学校に行けばいじめの対象だったもの。白粉くさいとか、オカマとか”
(橘小竜丸太夫元座長<橘小竜丸劇団> 2015年9月SPICEインタビュー)

“大衆演劇の役者なんか出入りするとそういう人たちが多くなるから嫌だ、とかさ。そういう声だってあったわけよ”
“意外とね、近所の方ってね、人の目があってね、行かないんですよ、どういうわけか(笑)なんつうんだろ、大衆演劇に対して偏見がある”
(劇場近くの喫茶店のマスター 2016年5月SPICEインタビュー)

冷たい雨の中を歩く。気づくと、足元に古い立て札が突き刺さる。
“物乞いと旅芸人は村に立ち入るべからず”
川端康成の『伊豆の踊子』の一場面。あの小説の舞台はたしか、大正時代だったはず。

“ほんとに役者をバカにしてる所とかあるんですよ!”
平成の世、表向きは芸能人かアイドルのように誉めそやされていても、時折声をひそめて裏側が翻る。
所詮はあんなもの、と。
いわゆる、ちゃんとした演劇じゃあない、と。
この世はまだそんなところに在ったのだ…。

大衆演劇の役者さんの中にも、自嘲的に語る人がいた。その声が濡れた土の中でむくりと起き上がる。
「俺たちの業界がずっとやってきたような芝居ってさ、これ演劇って言えるか? 宴会芸だよ」

――目を覚ますと芝居小屋の中にいる。LEDの光の下、豪華絢爛な花魁衣装に歓声が上がる。
旅芝居の舞台はあっけらかんと続いている。世間と隔絶されたかのように。それでも芝居小屋の屋根には、どこかから冷ややかなまなざしが突き刺さっているんだろうか。驟雨の中に目をこらすと、立て札の木片がぼんやりと現れるんだろうか…。

無題

ひとつのセリフが目の前で飄々と披露され、消える。
誰かがバカにしようとも、大衆演劇には芝居がある。舞踊がある。どんなに小さなセンターの宴会場でも、舞台に打ち響く芸がある。

舞台が大好き、という気持ちが体に弾けている若い役者さん。
心深くをすくい取って発露させる女優さん。
年輪豊かな大木のようなベテランさん。
私たちは彼らを知っている。
その親の代も祖父母の代も、長い間、蔑視をするりと抜けてきた芸を。

舞台の上の人々は、相手の役者との掛け合い、そして今日のお客さんの心をどう動かすかという一点に集中している。そこにかけがえのない喜怒哀楽が編み出されるとき、外の無知な嘲りは関係ない。空っぽな優越感など眼中にない。
「川北長次の親分さんは、日の本一の…」(『遊侠三代』)
背後から掛かるセリフに合わせて、座長が花道に踏み出す。間髪入れずに「座長!」とハンチョウが飛ぶ。小さな小屋の中、役者と観客が完全に一緒に浮上する瞬間、胸の奥がたしかに晴れていく。

これぞ庶民のための芸術だとか、演劇の根源がここにあるとか、そんなヨイショではない。
大衆演劇は大衆演劇だ。ずっとそこにあって各土地で人々を楽しませてきた。人々の笑顔、涙、興奮の汗粒の数。それら、はにかんだ歴史の層の一枚一枚が客席に打ち寄せてくる瞬間があって、ああ、この芸能が取るに足らないものであるはずがない…と教えてくれる。

“大衆演劇ってずっと無くならへんと思うんですよ”
(大川良太郎座長<劇団九州男> 2017年5月SPICEインタビュー)

将来も大衆演劇は変わらない顔をして、シレッと、にぎやかに続いていくのだろう。世間の言葉足らずな人々も、いつか旅芝居を真正面から見るだろう。
そのとき、この雨も止む。

雨の中に、こっそり一冊の本をかざす。今から45年前に出版された『旅芝居の生活』 (村松駿吉著、雄山閣)。明治~昭和初期の旅役者の生活をイキイキと描いた名著で、個人的バイブルの一つ。先日久々に読み返したら、ブルリとした文があった。

“旅から旅の放浪生活をしていても、無気力ではない。生きていくためには、どこで、なにをしていても苦しまなければならないことを知るのはしぜんであって、その生きるための、たとえ掛け小屋の舞台ででも、自分の芸に観客が喜怒哀楽の情をあらわにしてくれることに、生き甲斐をおぼえるための努力はする。それが唯一の、そして無二のたのしみなのである。”

唯一の。
そして無二の。

チョン!と芝居が始まるとき。
あの小さな舞台に、晴れ間が差している。

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I LOVE “女の子”! ―100歳になっても―

“女の子って何でできてる? お砂糖とスパイスと色んな素敵なものでできてるよ”
こんなマザーグースとはいかなくても。
大胆な決断力とたしかな強さを、柔らかな肌にくるんだ“女の子”は、なんて魅力的な生き物なのでしょう。

と最近思ったのは、4/18(火)、橘鈴丸座長(橘小竜丸劇団)が大阪にゲスト出演したとき。梅田呉服座で行われた≪紀伊国屋章太郎古希祝い 澤村一門特別公演≫。仕事で大阪行きは断念したけど、タイムラインで目立っていたのは鈴丸座長への反響だった。
「初めて拝見したけど、世界観に引き込まれた!」
興奮した声があふれていた。


橘鈴丸座長(橘小竜丸劇団)

普段東京にいても、鈴丸座長――“鈴ちゃん”の人気はだんだん高まっているのを感じる。ショーの独特の世界観もさることながら、毎日の舞台に対して本当に健気な心が伝わってくる。
「とにかく一生懸命な座長さんなんです。どうか一人でも橘鈴丸を知ってくれる人が増えますように」
ネットで見かけたファンの方のエール。いずれの役者さんのファンも好きな人を語る熱さは同じだけれど…。鈴ちゃんを語る口調には、胸にきゅっとしみる愛しさみたいなものがある気がする。そこには、女の子がただ一人で大きな構造に立ち向かっている、ということへの共感がひそめいていたりするのだろうか。
「男社会の大衆演劇で女が生き抜く為には男の何十倍もの努力をしなければならない」
と鈴ちゃん自身、ツイッターで発信している。それらの言葉が、舞台の彼女と客席の女性たちを一種の同志にするのかもしれない。今月21日の大島劇場での誕生日公演は私も予約済みだ(楽しみ♪)。

誕生日…。
そうだ、女の子も歳を重ねていく。
30代、40代、50代、そして人によっては還暦を過ぎてなお舞台に立つ――

大衆演劇の世界で年齢を重ねた女優さんってどんな存在だろう。多くは太夫元の奥さん=座長のお母さん。あるいは親戚。中には、なぜこの劇団に…?みたいな不思議な縁で在籍している人もいる。
彼女たちの柔らかな横顔を思い出す。小月きよみさん(橘劇団)秋よう子さん(劇団新)桜木八重子さん(橘小竜丸劇団)喜多川志保さん(劇団天華)北條真緒さん(春陽座)春咲小紅さん(鹿島順一劇団・客演)…他にもたくさん。いずれの方も、脇役や舞踊ショーの短い一曲でもシャンと舞台を整えている。

彼女たちが娘役を務めた頃は、どんな時代だったのだろう。昔はもっともっと女優さんの地位は低かったという。ごく稀にでも、舞台の中央に立ち、歓声に可愛い頬を染める日があっただろうか。

同じだけ歳を重ねた男優さんが、太夫元や指導、大御所として敬われているのを見る。彼らが芝居を立てたり、芸能生活何十周年というお祝いをされているところを私たちは見る。
一方、ベテラン女優さんが芝居を立てていたり、座長のお母さんが太夫元だったりする劇団さんはほんの一部だ。彼女たちの多くは特に役職を持たず、今日も微笑んで舞台に出ている。
白粉を塗り続けてきた女の手に、得られるものはどのくらい…?

ある女優さんの芝居でのアドリブのセリフは印象的だった。
「この世界で嫁に行き遅れる女の人を、うちはたくさん見てきたんだよ、だからね、決してそうはなりたくないの!」
自虐ギャグに三吉演芸場はドッと笑った。
娘役を降りた女優さんには、大きな椅子が用意されている。夫を支える妻、という。
もうちょっと後には、子どもを抱く母の椅子が控えている。
そして少しずつ裏方に回り、夫や子どものサポートに回り、時々芝居に出て、一曲きりの個人舞踊を丁寧に踊る人になるのだろうか。
それはたしかに一つの美しい人生だ――けれど。

頭の中に女の人が踊っているところを浮かべる。少しずつ皺を刻んでいく手が空を切る。
「うちはお嫁に行きたいの!」
椅子はそこにしかありませんか。
「ここであんたに男を譲ってしまったら、うちをお嫁にもらってくれる人なんておらんもん」
息はそこでしかできませんか。

舞台が鏡のように映すのは、この世の女の子みんなにかかっている呪いでもある。
若くなくなっていく女の子は、すり減っていく自分の価値を、妻に母に置き換えなければ何者にもなれませんか…? 

…ちょっとシリアスになりすぎましたので、ここで一息。
舞踊ショーの一曲。舞台に出てきた女優さん。年齢を刻んだ身体が、しっとりと曲に合わせて流れる。

たとえば【お吉物語】。“ハリスさんも死んだ。鶴さんも死んだ。今度はわたしの番なんだ” 酒浸りになった哀れなお吉を、包みこむような眼差しが踊り手にある。

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喜多川志保さん(劇団天華)【お吉物語】

たとえば【冬隣】。“地球の夜更けはせつないよ そこからわたしが見えますか” とうに亡くなった命に、女はいつまでも呼びかける。

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小月きよみさん(橘劇団)【冬隣】

たとえば【お母さん】。“どなたですかと他人のように わたしを見上げてきく母の…” 恍惚の人になってしまった母親をいたわり、羽織をかける。

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北條真緒さん(春陽座)【お母さん】

身体に薄衣のように幾重も折り畳まれた芸が、ぱた、ぱたと開かれていく。
役職なんて何もなくても。
彼女の舞台の深さを客席が知っている。
その中に少女のようにいとけない、他者を思いやる心が息づいていることも。

『一生、女の子』。以前読んだ、作家の田辺聖子さんの著作のタイトルにそういうのがあった。著者が83歳のとき出版された本で、人や物を愛おしむ気持ちがたっぷり詰まっていた。

だから私はもう、舞台に向かって唱えることにした。
若くても、歳を重ねても。
誰かと結ばれても、結ばれなくても。
子どもを産んでも、産まなくても。
儚いものに手を伸べて、自分自身よりも慈しみ続ける人のことを、“女の子”という。

願わくば舞台の貴女が、ずっと客席の私たちと一緒に歳を取ってくれますように。

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澤村沙羅さん・澤村青空さん(風美劇団)

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千明ありささん(劇団新)

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高野花子さん(下町かぶき組)

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小春かおりさん(劇団花吹雪)

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南條千花さん(劇団魁)

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桜木八重子さん(橘小竜丸劇団)

セリフを言う声はいつまでも晴れ晴れと。踊る体の芯は強く、笑いじわのできた目元はなお甘い。
“お砂糖とスパイスと色んな素敵なものでできてるよ”
そう、100歳になっても、ね。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十三] “お外題”って何?大衆演劇ファン用語集

大衆演劇が好きです。
そして、大衆演劇ファンが好きです。
自分も含めて、ふとファン同士の会話を聞けば…その“言葉”の濃いこと、濃いこと。

「今月何回目?」←通ってることが前提
「その日通し(狂言)だよ!会社からで間に合う?」 ←通し狂言の日は仕事の調整も綿密に
「○○劇場のお外題情報求む」 ←ほんとにこれで誰かが教えてくれるのがすごい
「ロスーーーーー」 ←説明不要

楽しい、愛しい、ファンの言葉たち。
これから大衆演劇に出会う人にも、なんかこの世界は楽しそうだなと思っていただきたくて。
ずっと書きかった「ファン用語集」なるものをようやく形にできました!

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十三] “お外題”って何?大衆演劇ファン用語集


記事のトップにしているこちらが何の写真かは…きっとこのブログを見て下さってる大衆演劇ファンの方にはわかると思います。ヒント:一本釣り

(こんな用語についてあれこれ解説しています↓)
通う 好きな劇団が地元劇場にいれば、一か月に複数回観にいくのがファンの基本形態。通勤・通学のごとく劇場に通う。なかには「一か月皆勤」という猛者もいる。「今月は○○劇団の出席率高め」とファン同士で会話したりする。

通し狂言 ミニショーを省いて披露される1時間半~2時間の長めの芝居。芝居から開演するので、もし途中入場すると序盤を見逃してしまう。そのため通し狂言の日は、普段以上に全速力で劇場に走るファンの姿がある。

お外題(げだい)(別称:貼り出し)  演目のこと。特に芝居の演目を指す。大衆演劇は芝居・ショーとも日替わりなので、どの日に何をやるかはファンにとっては非常に重要。劇場によっては今後のお外題をWEBサイトに載せてくれるが、多くは劇場に貼り出してあるのみ。そこで、貼り出されたお外題をファンが携帯で撮影し、SNSでほかのファンと共有する助け合い文化がある。

ロス 好きな劇団の公演の千穐楽が終わった後などに陥る、心にぽっかりと穴が開いたような気持ち。「○○(劇団名・役者名)ロス」が高まると遠征という手段に出る。


このほか、「神セトリ」「勘違い席」…などファンならではの用語を集めてみました。
⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

入稿前、大衆演劇を知らない人にこれで伝わるんだろうか…?と一抹の不安がよぎり、「読んで意見をくれる…?」と友人たち・姉にお願いしたら、すぐさまその多大な力を貸してもらうことができました。
いつもありがてえ…m(_ _"m)

私はネットで「宝塚ファン用語集」とか「ディズニー初心者用語集」とかのコラムを見つけると、つい読んでしまう。こんな世界もあるんだな、とそのジャンルに興味が沸く。各ジャンルについて全然知らないのになんでだろう? と考えると、言葉にたっぷり詰まっているファンの熱に惹きつけられているんだろうなと思う。

大衆演劇という大きなジャンルについて書くには、まだまだ、まだまだ力不足ですが。
大衆演劇を知らない誰かが、ネットの海を漂ううちにこの記事に行きあたって。
「“通し狂言”って何?」「“お外題”って何のこと?」と思ううちに。
こんなディープな世界もあるんだな、と心の隅に置いてくれることを願って。

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