I LOVE “女の子”! ―100歳になっても―

“女の子って何でできてる? お砂糖とスパイスと色んな素敵なものでできてるよ”
こんなマザーグースとはいかなくても。
大胆な決断力とたしかな強さを、柔らかな肌にくるんだ“女の子”は、なんて魅力的な生き物なのでしょう。

と最近思ったのは、4/18(火)、橘鈴丸座長(橘小竜丸劇団)が大阪にゲスト出演したとき。梅田呉服座で行われた≪紀伊国屋章太郎古希祝い 澤村一門特別公演≫。仕事で大阪行きは断念したけど、タイムラインで目立っていたのは鈴丸座長への反響だった。
「初めて拝見したけど、世界観に引き込まれた!」
興奮した声があふれていた。


橘鈴丸座長(橘小竜丸劇団)

普段東京にいても、鈴丸座長――“鈴ちゃん”の人気はだんだん高まっているのを感じる。ショーの独特の世界観もさることながら、毎日の舞台に対して本当に健気な心が伝わってくる。
「とにかく一生懸命な座長さんなんです。どうか一人でも橘鈴丸を知ってくれる人が増えますように」
ネットで見かけたファンの方のエール。いずれの役者さんのファンも好きな人を語る熱さは同じだけれど…。鈴ちゃんを語る口調には、胸にきゅっとしみる愛しさみたいなものがある気がする。そこには、女の子がただ一人で大きな構造に立ち向かっている、ということへの共感がひそめいていたりするのだろうか。
「男社会の大衆演劇で女が生き抜く為には男の何十倍もの努力をしなければならない」
と鈴ちゃん自身、ツイッターで発信している。それらの言葉が、舞台の彼女と客席の女性たちを一種の同志にするのかもしれない。今月21日の大島劇場での誕生日公演は私も予約済みだ(楽しみ♪)。

誕生日…。
そうだ、女の子も歳を重ねていく。
30代、40代、50代、そして人によっては還暦を過ぎてなお舞台に立つ――

大衆演劇の世界で年齢を重ねた女優さんってどんな存在だろう。多くは太夫元の奥さん=座長のお母さん。あるいは親戚。中には、なぜこの劇団に…?みたいな不思議な縁で在籍している人もいる。
彼女たちの柔らかな横顔を思い出す。小月きよみさん(橘劇団)秋よう子さん(劇団新)桜木八重子さん(橘小竜丸劇団)喜多川志保さん(劇団天華)北條真緒さん(春陽座)春咲小紅さん(鹿島順一劇団・客演)…他にもたくさん。いずれの方も、脇役や舞踊ショーの短い一曲でもシャンと舞台を整えている。

彼女たちが娘役を務めた頃は、どんな時代だったのだろう。昔はもっともっと女優さんの地位は低かったという。ごく稀にでも、舞台の中央に立ち、歓声に可愛い頬を染める日があっただろうか。

同じだけ歳を重ねた男優さんが、太夫元や指導、大御所として敬われているのを見る。彼らが芝居を立てたり、芸能生活何十周年というお祝いをされているところを私たちは見る。
一方、ベテラン女優さんが芝居を立てていたり、座長のお母さんが太夫元だったりする劇団さんはほんの一部だ。彼女たちの多くは特に役職を持たず、今日も微笑んで舞台に出ている。
白粉を塗り続けてきた女の手に、得られるものはどのくらい…?

ある女優さんの芝居でのアドリブのセリフは印象的だった。
「この世界で嫁に行き遅れる女の人を、うちはたくさん見てきたんだよ、だからね、決してそうはなりたくないの!」
自虐ギャグに三吉演芸場はドッと笑った。
娘役を降りた女優さんには、大きな椅子が用意されている。夫を支える妻、という。
もうちょっと後には、子どもを抱く母の椅子が控えている。
そして少しずつ裏方に回り、夫や子どものサポートに回り、時々芝居に出て、一曲きりの個人舞踊を丁寧に踊る人になるのだろうか。
それはたしかに一つの美しい人生だ――けれど。

頭の中に女の人が踊っているところを浮かべる。少しずつ皺を刻んでいく手が空を切る。
「うちはお嫁に行きたいの!」
椅子はそこにしかありませんか。
「ここであんたに男を譲ってしまったら、うちをお嫁にもらってくれる人なんておらんもん」
息はそこでしかできませんか。

舞台が鏡のように映すのは、この世の女の子みんなにかかっている呪いでもある。
若くなくなっていく女の子は、すり減っていく自分の価値を、妻に母に置き換えなければ何者にもなれませんか…? 

…ちょっとシリアスになりすぎましたので、ここで一息。
舞踊ショーの一曲。舞台に出てきた女優さん。年齢を刻んだ身体が、しっとりと曲に合わせて流れる。

たとえば【お吉物語】。“ハリスさんも死んだ。鶴さんも死んだ。今度はわたしの番なんだ” 酒浸りになった哀れなお吉を、包みこむような眼差しが踊り手にある。

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喜多川志保さん(劇団天華)【お吉物語】

たとえば【冬隣】。“地球の夜更けはせつないよ そこからわたしが見えますか” とうに亡くなった命に、女はいつまでも呼びかける。

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小月きよみさん(橘劇団)【冬隣】

たとえば【お母さん】。“どなたですかと他人のように わたしを見上げてきく母の…” 恍惚の人になってしまった母親をいたわり、羽織をかける。

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北條真緒さん(春陽座)【お母さん】

身体に薄衣のように幾重も折り畳まれた芸が、ぱた、ぱたと開かれていく。
役職なんて何もなくても。
彼女の舞台の深さを客席が知っている。
その中に少女のようにいとけない、他者を思いやる心が息づいていることも。

『一生、女の子』。以前読んだ、作家の田辺聖子さんの著作のタイトルにそういうのがあった。著者が83歳のとき出版された本で、人や物を愛おしむ気持ちがたっぷり詰まっていた。

だから私はもう、舞台に向かって唱えることにした。
若くても、歳を重ねても。
誰かと結ばれても、結ばれなくても。
子どもを産んでも、産まなくても。
儚いものに手を伸べて、自分自身よりも慈しみ続ける人のことを、“女の子”という。

願わくば舞台の貴女が、ずっと客席の私たちと一緒に歳を取ってくれますように。

無題
澤村沙羅さん・澤村青空さん(風美劇団)

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千明ありささん(劇団新)

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高野花子さん(下町かぶき組)

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小春かおりさん(劇団花吹雪)

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南條千花さん(劇団魁)

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桜木八重子さん(橘小竜丸劇団)

セリフを言う声はいつまでも晴れ晴れと。踊る体の芯は強く、笑いじわのできた目元はなお甘い。
“お砂糖とスパイスと色んな素敵なものでできてるよ”
そう、100歳になっても、ね。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十三] “お外題”って何?大衆演劇ファン用語集

大衆演劇が好きです。
そして、大衆演劇ファンが好きです。
自分も含めて、ふとファン同士の会話を聞けば…その“言葉”の濃いこと、濃いこと。

「今月何回目?」←通ってることが前提
「その日通し(狂言)だよ!会社からで間に合う?」 ←通し狂言の日は仕事の調整も綿密に
「○○劇場のお外題情報求む」 ←ほんとにこれで誰かが教えてくれるのがすごい
「ロスーーーーー」 ←説明不要

楽しい、愛しい、ファンの言葉たち。
これから大衆演劇に出会う人にも、なんかこの世界は楽しそうだなと思っていただきたくて。
ずっと書きかった「ファン用語集」なるものをようやく形にできました!

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十三] “お外題”って何?大衆演劇ファン用語集


記事のトップにしているこちらが何の写真かは…きっとこのブログを見て下さってる大衆演劇ファンの方にはわかると思います。ヒント:一本釣り

(こんな用語についてあれこれ解説しています↓)
通う 好きな劇団が地元劇場にいれば、一か月に複数回観にいくのがファンの基本形態。通勤・通学のごとく劇場に通う。なかには「一か月皆勤」という猛者もいる。「今月は○○劇団の出席率高め」とファン同士で会話したりする。

通し狂言 ミニショーを省いて披露される1時間半~2時間の長めの芝居。芝居から開演するので、もし途中入場すると序盤を見逃してしまう。そのため通し狂言の日は、普段以上に全速力で劇場に走るファンの姿がある。

お外題(げだい)(別称:貼り出し)  演目のこと。特に芝居の演目を指す。大衆演劇は芝居・ショーとも日替わりなので、どの日に何をやるかはファンにとっては非常に重要。劇場によっては今後のお外題をWEBサイトに載せてくれるが、多くは劇場に貼り出してあるのみ。そこで、貼り出されたお外題をファンが携帯で撮影し、SNSでほかのファンと共有する助け合い文化がある。

ロス 好きな劇団の公演の千穐楽が終わった後などに陥る、心にぽっかりと穴が開いたような気持ち。「○○(劇団名・役者名)ロス」が高まると遠征という手段に出る。


このほか、「神セトリ」「勘違い席」…などファンならではの用語を集めてみました。
⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

入稿前、大衆演劇を知らない人にこれで伝わるんだろうか…?と一抹の不安がよぎり、「読んで意見をくれる…?」と友人たち・姉にお願いしたら、すぐさまその多大な力を貸してもらうことができました。
いつもありがてえ…m(_ _"m)

私はネットで「宝塚ファン用語集」とか「ディズニー初心者用語集」とかのコラムを見つけると、つい読んでしまう。こんな世界もあるんだな、とそのジャンルに興味が沸く。各ジャンルについて全然知らないのになんでだろう? と考えると、言葉にたっぷり詰まっているファンの熱に惹きつけられているんだろうなと思う。

大衆演劇という大きなジャンルについて書くには、まだまだ、まだまだ力不足ですが。
大衆演劇を知らない誰かが、ネットの海を漂ううちにこの記事に行きあたって。
「“通し狂言”って何?」「“お外題”って何のこと?」と思ううちに。
こんなディープな世界もあるんだな、と心の隅に置いてくれることを願って。

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ふるさとの春 ―“一般家庭出身”の役者さんのこと―

息子さんが、娘さんが。
大衆演劇の役者になって良かったと思ってくれるでしょうか。


「今日、○○くんのお父さんとお母さん、観に来てるでしょう。ほら、あそこに親戚で固まって座ってる…」
隣の人の話し声でそちらを見れば、本当だ、最前列に親戚一同。ある役者さんが舞台に登場するたび、大きな拍手を送っている。本人は照れくさそうにはにかんでいた。個人舞踊の最中、ご家族から贈り物を受け取るときには、家族を包むような拍手が起きた。

大衆演劇の役者さんに一番多いのは、親が役者だったので子役の頃から舞台に立っているという人。特に座長さんはほとんど役者家系だ。
でも中には、まったく役者の血筋でなく、入門という形でこの世界に入ってくる役者さんがいる。中学卒業したて、まだあどけない顔の少年少女もいれば。職歴を経て、30代後半で初舞台にトライという伝記でも書けそうな経歴の人もいる。

私の大衆演劇ライフのきっかけだった柚姫将副座長(劇団KAZUMA)も、19歳で入団するまで舞台とは無縁だったそう。口上などで時折熊本のご家族のことを話題に出しているくらい、ご家族仲はよさそうだ。とはいえ、将さんが「旅役者になる」って言ったときは、ご両親はびっくりされたんじゃないかな…


柚姫将副座長。役者生活も15年になられるのかな。芝居にまっすぐな心根がにじんでいる。

なんせ休日はほぼない。夜は遅い。生活は不規則。地元には滅多に帰って来られない。そして毎月住所が変わる。
今、役者を志す若い人には、もともと親御さんが大衆演劇ファンで、親と一緒に小さい頃から観ていたという場合が多いみたいだけど。それでも自分の息子さん・娘さんが舞台に立つとなったら、話は趣味じゃ収まらない。
だって、もし私の親戚の子が役者をやりたがったらと想像すると、やっぱり軽いノリでやりなよ~とは言えない。相当な覚悟が必要だ。

ずいぶん前にセンターで出会った、仲良しのお母さんと中学生の娘さんを思い出す。母娘そろって目を輝かせて舞台を観ていた。
数か月後、娘さんは中学を卒業した後、劇団に入団したという。共通の知り合いの方が教えてくれた。
「もうお母さんな、娘が心配で毎日泣いとるんよ。最初のうちは里心がついてしまうからって家族に連絡もせんようにしとるらしくて、あの子が元気なのかもわからんし」
あの元気でチャーミングなお母さんが、そんなに憔悴しているなんて…。
「お母さんを気晴らしさせよと思って、ほかの劇団を観に連れて行っても、舞踊ショーで曲がかかると『この曲、あの子が好きやった…』ってまた泣く。故人か!(笑) 死んだのとちゃうやろ!(笑)」
話してくれた方は笑い飛ばしながらも、お母さんへの気づかいを言葉の端々にのぞかせた。

15年間育てた娘が、たった一人で他人だらけの所へ行く。しかもかなり独特な世界へ。子どもが自分で決めたこととはいえ、心配で胸がつぶれそうになっている親御さんがいても無理はない。
劇場でも時々、見かける光景だ。ある10代の女優さんの誕生日公演、彼女のお母さんは花道に立つ娘をじっと見ていた。お母さんの席の真横を通って後方へ行っても、体ごと振り返って食い入るように見ていた。

血縁以外にも、地元の先生・先輩・友達。どの役者さんにも、舞台に上がる前に毎日顔を合わせていた人たちがいる。
周囲に役者になると話すと、え、そもそも大衆演劇って何…?とハテナを浮かべられたりしたかもしれない。
親しい人みんなと離れて、今日から役者――となった途端、彼・彼女を囲む面々はガラリと変わる。

まず、劇団の仲間と24時間一緒の生活になる。集団生活が苦手な身には想像だけでなかなかストレスフル(汗)
だから入団した座員さんを大事にしている座長さんを見ると、客としてもホッとする。座員さんが未成年なら、なおさら。
ある座長さんは「ご家族からお預かりしているわけですから」と、礼節を崩さない口調で語っていた。

そして役者仲間の次に顔を見ることになるのは、私たちお客さんなのだろう。昼の部、夜の部、お出迎え、送り出し――客席の無数の顔と出会う生活になる。

その中に時々、冷たいものが飛び込んでくる。
『このアカウント、どこの誰か全くわかりません』
先日、SNSに若い役者さんの訴えが回ってきた。自分の“彼女”を名乗る誰かが色々放言しているが、成りすましであり、やめてほしいという内容だった。

大衆演劇の距離の近さがそうさせるのか、SNSや掲示板では火のない所にも煙が立ちまくっている。恋愛の噂。素行の噂。
特に陰惨なのは、人気の男優さんと親しくしているという理由で女優さんを攻撃する言葉。
燃料はなんだろう。嫉妬。独占欲。好きが行き過ぎた恨み?

インターネットは繋がっている。彼・彼女の実家のPCや、地元の友達のスマホにも。
ふとあの子は元気でやってるんだろうかと検索して、懐かしい顔が匿名の罵詈雑言の下敷きになっているのを目の当たりにしてしまうとき。
その胸をえぐっているのは誰。
その悲憤を握りつぶしているのは誰。

どんな事情があっても。
舞台に乗っている一人残らず、無遠慮な言葉で刺されていいとは思わない。
踊る手足も、芝居でセリフを言う声も、いっぺんに優しい印象になる笑い顔も、これまで何年もかけて大勢の人が育んだもの。
たまの里帰りを心待ちにしている誰かがいる。
その背中に積もった長い時間を思えば、おもちゃのように消費されていいはずがない。
舞台の下の私たちと同じように。

昔ながらの大衆演劇の歴史から見ると、ずいぶん甘い考えかもしれない。家族や友達の温もりを離れて、座長に厳しくしごかれ、客の悪口もバネにしてこそ役者…旧来、芸の世界はそういうところだったかもしれない。
実際、昭和の名優たちのインタビューを読むと、民主主義や人権すら時には無視されるような環境で自身を磨いてきた人もいる。それが結果的に強い芸を育ててきた面は否めない。

でも、世は平成29年。楽屋も社会と一緒に時間を刻んでいる。日々、現代のお客さんの共感を得る舞台を作ろうとしている。座員さんが極端に恐縮せず、のびのび精進している舞台は観ていて気持ちがいい。

そういう意味で惹かれるのは澤村紀久二郎総座長(千代丸劇団)だ。
お弟子さんの澤村千夜座長(劇団天華)澤村玄武座長(劇団王座)澤村慎太郎座長(澤村慎太郎劇団)を舞台経験のないところから育てて、結果的にみんな座長にしている。信じがたい教育力だと思う。

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澤村紀久二郎総座長。とらえどころのない、ふわっと浮力のある踊り方。

昨年10月の千夜座長誕生日公演にゲストでいらした。役どころは弟子である千夜座長の影武者役(!)。
「稽古してるうちにうまく乗せられて、気づいたら影武者に(笑)」とニコニコしていらした。当然ながら師匠としては厳しい方だと聞くけれど、偉ぶらない姿が大らかで温かかった。

やっぱり私は、一般の家庭に育って、普通の学校を出た役者さんも可能性を試していける、平成の大衆演劇であってほしい。次代の芸がそこから生まれていくのだから。
15歳で入団した娘さん。最近、ネットで舞台姿の写真を見かけた。すっかり艶のある女優さんに成長していた。

「ブログ、読んでいます」
ごくまれにだが、役者さんのご家族から思いがけない言葉をかけていただくことがある。
息子さんが、娘さんが。
教え子が、後輩が、友達が。
大衆演劇の役者になって良かったと思ってくれるでしょうか?
一大衆演劇ファンの私は、本当に良かったです。唯一無二のその人の舞台に出会えて、嬉しいです。
彼・彼女を送り出してくれて、ありがとうございました。

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ご近所の梅も満開で、今日から3月。中学校の卒業式が終わる頃から、今年もまた新しくこの世界に入ってくる役者さんがいるのだろう。
彼らのふるさとでは、旅立つ前にご家族で揃って出かけたりしているかもしれない。はたまた、友人の誰かが大衆演劇って何…?と思っているかもしれない。
どうか伝わるといい。広まるといい。

芝居。舞踊。物語。汗。パッと咲く笑顔。
あなたの大切な人の選んだ、大衆演劇役者という職業は。
私たち大勢に、かけがえのない希望を与えてくれる仕事です。

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戯作者たち―辰己小龍さん・藤乃かな座長・龍新座長―

≪オリジナル芝居≫――お外題表にこの言葉が載っているとドキドキする。どんな話なんだろう、どんな演出なんだろう。つるつる出来立てのセリフに、新鮮なキャラクター。まるで、老舗ばかりがズラッと並ぶ商店街に、新規店が参入するみたいだ。

大衆演劇のお芝居の多くは、むかーしから口立て稽古で受け継がれてきたものだ。先代から子どもへ、師匠から弟子へ。アレンジを加えられながら長い時間の中で熟成させられた、昔ながらのお芝居は、ちょっとしたセリフの中にも人の息吹が多層にこもっている。

でも私たちは皆、知っている。新しいお店がなくちゃ、商店街自体が活性化しないってこと。
「初めてのお芝居やるっていうから、来ちゃった」
この道何十年のマダムファンが、座長オリジナル狂言の日にいそいそとやって来る。

今回は新しい物語を創り出してくれる役者さんの中から、個人的に特に印象深いお三方の話。
※記事中では、完全な創作に加え、漫画や小説など別ジャンル作品の脚本化を含めて戯作と呼んでいます。

◆扉を開く人 辰己小龍さん(たつみ演劇BOX)



大衆界で“戯作者”と言えばこの方、小龍さんと言えば戯作!という認識は、決して私の贔屓目ではあるまい。
妖魔の世界からの招待状、『夜叉ヶ池』
武士という生き方の悲しさがにじむ『武士道残酷物語』
人間を遥かに俯瞰するまなざしが、小龍さんの戯作にはそびえている。なおかつ、予備知識なしでもわかりやすく、テンポがよく、面白い!

私が小龍さんの書いた芝居で一番回数を観ているのは、『明治一代女』。お誕生日公演で作られた芝居だそう。小龍さん演じる芸者・お梅の、ひたむきな生き様が描かれる。

この芝居を何度か観て、ハッとしたこと。物語の動機は、お梅の仙枝への恋、巳之吉のお梅への恋なのだと思っていたけれど。お梅が仙枝に真に惚れ落ちてしまうのは、「お前は芸者でいるような女じゃない」と言われたことがきっかけだ。また巳之吉も、「自分は本来なら箱屋なんかで終わる男じゃない」とくすぶっている。
“自分はこんなとこにいるべき人間じゃない”――お梅が仙枝へ、巳之吉がお梅へ手を伸ばすのは、恋と同時に自尊心の訴えでもあるんじゃないか…
色んな観方をさせてくれるのは、それだけ作品が厚いからだ。

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↑2016年10月のお誕生日公演。晴れ晴れとした笑顔

昨年11月にブログを始められた。毎日更新されている、陽気な文章が楽しい♪ ⇒辰己小龍のブログ
ブログのおかげで、超多忙な役者生活の中、いつ大量の作品を書いているんだ…?という長年の疑問が解消されました。『河内十人斬り』の執筆中、舞台袖で資料を読み進めていたエピソードは、小龍さんが才能はもちろん――絶え間ない努力の人である、ということを改めて教えてくれる。
“辰己小龍”は、いつまでも芝居の扉を開き続けていってくれる遥かな背中だ。


◆“女”の表現者 藤乃かな座長(劇団都)

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藤乃かな座長は立ち役もこなされるにも関わらず、私のイメージでは“女”という表象を一番強く持っている役者さん。多分、初見がオリジナル芝居『丸山哀歌』だったせいが大きいと思う。2015年夏、大きな衝撃を受けた芝居だった。同名漫画を元に作られたそうだ。

かなさん演じる結(ゆい)は、年を取ってあまり客のつかなくなった女郎。長い年月、丸山遊郭に閉じ込められている。
「もっとお話を聞かせてください。もっと色んな国のお話をしてください!」
結が目を輝かせてせがむのは、武士・桂木(都京弥座長)の異国の話だ。エゲレスの蒸気機関車の話、メリケンのワシントンの話…。
「そん人の夢の話聞いとると、うちまで一緒に夢を見られるような気がした!」
人生の大半を壁の中で過ごそうとも、心だけは自由に羽ばたいていく。男の欲のはけ口にされ、力にねじ伏せられ、なお人間であることを諦めなかった女の笑顔が最後に残る(観た当時の記事)。

オリジナル芝居を創る人は、旧来の芝居の演出にも独自性が光るのが面白い。定番の『へちまの花』にも、リアルな女の顔が書き込まれていた。かなさん演じる器量の良くない女の子・およね。庄屋と若旦那が、およねの嫁入りを中止させたいばかりに、狂言を仕組んだことが発覚したとき。
「おら、わかってた…ホントはわかってたんだ、若旦那がおらなんか一目惚れするはずねえって…でも短い間でいいから世間並みの夢が見たかったんだ…」
舞台の左側にうずくまって、虚空を食い入るように見つめる。静かに涙をたたえる瞳。およねは、自分が不細工だとわかっている女の子――その痛みが突き刺さる。“美醜”は女性にとってはそりゃもう、社会からの最大の圧迫の一つだ。

今まで観た劇団の『へちまの花』のこの場面は、たいてい主人公の女の子は酷い仕打ちにうつむき、本人の代わりに兄(または姉)が怒りを述べる、という流れだった。
でも、かなさんはおよね自身に語らせる。
「おらも、お嫁に行くって夢が見たかったんだ…」
どんなに辛いことも自分で語る女の子。
だから最後に庄屋の息子(京乃健次郎さん)が、舌っ足らずに「あなたは私にとってのヘチマの花っ!」と叫んだ時。舞台は、客席に優しく染み通っていく。

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これから先、どんな女を描いてゆくのだろう。まず来月の横浜・三吉演芸場公演で、久々に関東での再会!


◆映画育ちのクリエイター 龍新座長(劇団新)

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劇団新さんは関東回りだし、観ようと思えばいつでも観られるよね、と呑気な油断をしていたので。私は新座長が新進気鋭の創作者だということを、去年2月の立川けやき座公演まで知らなかった…(猛省)

初めておお…?と思ったのは、オリジナル芝居ではなく『関の弥太っぺ』。ご存じ、股旅ものの名作だ。ラストシーン、舞台幕は下りていて、弥太っぺ(新座長)一人が花道の端に立っている。幼い頃助けた少女・お小夜(小龍優さん)との別れを、じっと噛みしめている。
――すると、弥太っぺの背後の幕がもう一度上がった。そこで待ち構えていたのは…
ネタバレ防止のため、誰がいたのかは書きませんが。この場面を観た瞬間、殺伐とした渡世を生きる弥太っぺにとって、お小夜はたった一つの清い記憶だったということが視覚的にわかる。

こういう絵で見せる演出って珍しい気がする…と思って新さんのブログやTwitterを見て、大変な映画好きであることを知った。それもハリウッドヒーローとか、ソウシリーズとか、洋画をたくさん観ているみたいだ。あの発想力の土台には、スクリーンがあるのか!

新さんのオリジナル芝居を観ることができたのは8月@行田もさく座。笑いどころ満載の冒険譚『俺は…太郎』、ピュアな友情と恋の物語『黄昏空の下で』
特に大好きなのが『俺は…太郎』だ。今でも新さんの演技を思い出すと笑いが出るくらいおかしいのだけど、何より大衆演劇そのものをパロディ化するようなシニカルな視点があったのが大収穫!(観た当時の記事)

『平成に現れた森の石松』という爽快なオリジナル芝居もあるそう。こっちも、いずれ当たりたいと思っている(『平成に…』については、半田なか子さんが楽しさが伝わってくる記事を書かれています ⇒小屋っ子の戯言)

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↑こういうあどけない表情はティーンのよう!

新さんはまだ25歳という若さΣ(・□・;) 映画育ちの感性が、大衆演劇の任侠×人情の世界にどう斬りこんでいかれるのだろう!

3人のみ所感を述べたけれど、他にも、クリエイターとしての力を発揮されている役者さんはたくさんいる。
芝居の時間、舞台を支配しているのは物語。だから物語を紡ぐ戯作者は、一種の神様みたいな役割だ。彼らのメッセージを、演者が観客に伝える。受け取ったとき、私たちの目はハッと開く。
――こんな見方があったのか!
――人の営みには、こんな喜びが、優しさが隠されていたんだ!
観たばかりの芝居を胸に抱いて劇場を出ると、風景は変わっている。劇場の内側の“神様”は、劇場の外側の論理すら、確かに打ち崩してくれることがある。

≪オリジナル芝居≫――お外題表にこの言葉が載っているとき。それは超多忙な大衆演劇の世界で、戯作者が睡眠時間を削り、台本を打ち直しては孤独に悩みながら、真剣勝負で作品を繰り出す、ということ。
だから、せめて伝えたい。
貴方の試行錯誤が、私たちの世界を変えてくれているのだ、と。

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魔法を信じて!―役の力、芝居の力―

―舞台のこだわりはありますか?
「こだわりは、なりきることかな」
(『カンゲキ』2016年2月号 劇団炎舞・橘炎鷹座長)
このインタビューが大好きである(笑) 当たり前のようにサラッと言い、かつ最後の“かな”に一生懸命考えた感じがにじむ、炎鷹さんの人柄がわかる応答だと思う。

“なりきる”という言葉を、役者さんはよく使われる。自分の身体と顔と声を使って、まったく別の人になる―役者を長年続けている人の中には、この役になる快楽ゆえに、しんどい稼業でもやめられないという人がけっこういるみたいだ。
「舞踊も好きなんですけど、とにかく芝居が好きなんですよね、俺」
と、噛みしめるように話していた役者さんもいた。


(橘炎鷹座長 2016/6/4 『花道ひとり旅』)

“ただ芝居だけを ひたすらに信じ トラックに揺られて 流れ流れて”
炎鷹さんの踊る『花道ひとり旅』は、今年のマイベスト舞踊の一つ。旅役者の生き様を歌っているだけあって、色んな劇団でかかりまくっている歌。でもあるとき、詞が頭に引っかかった。“芝居を愛する”なら、すんなり理解できる日本語だけど。
芝居を“信じる”ってどういう感覚なんだろう…?

もちろん、芝居が演者の持ち味をガラリと変える、という現象はわかる。たとえば10~11月、木馬館・篠原演芸場を沸かせていた二代目・恋川純座長(桐龍座恋川劇団)。ぎらり迫ってくる大きな目に象徴される、雄々しいカラーの役者さんだと思う。

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(二代目・恋川純座長 2016/11/21)

けれど、むしろ私の印象に残っているのは、喜劇『命の一番くじ』の商家のボンボン役だ。実家の経営状態が、店を畳む寸前まで危うくなっているという実情を初めて知って泣き叫ぶ。
「うちが、そんなことになってるなんて知らんかった、どないしよおー!」
ボンボンらしい甘えの残る口調で、舞台に泣き伏す純さん。この方はこんな役にもなれるんだ…と驚いた。

こういう役作りって、演者が自分の感情の中から役っぽい顔を探して、肉付けしつつ役に近づいていく――そんなイメージを持っていたけど。
逆に、役のほうが演者を引っ張る、ということがあるらしい。

そう思わされたのは、藤美一馬座長(劇団KAZUMA)の発言。
「芝居の役になってる人は、もうその役に見えちゃうんで。だから芝居中は、もう美影先生(※指導役だった美影愛さん)じゃなかったんですね」
ええーマジですか。だって毎日顔を合わせている相手なのに…
ここで自分の浅慮がひっくり返る。もしかして役って、一種のトランス。「こう演じよう」という意識を超えて、さらに深く無意識の心を引っ張り出すパワーがあるんだろうか。

と考え直せば、役者さんの言葉の端々に思い当たる節がある。
「あのセリフは、舞台上でひょこっと出て…僕的には何の気なしに言ったセリフで」
澤村千夜座長(劇団天華)も、さらっと話されていたことがあった。芝居『三人出世』で印象的だった「世間のせいやない、お前が自分の弱さに負けただけや!」というセリフについて。その役になりきってれば、何言っても間違いじゃないし…とつぶやきつつ。

「芝居中は、自分の気持ちのままに喋ってるんで、何言ったか後であんまり覚えてないんですよ!」
柚姫将副座長(劇団KAZUMA)の笑顔の発言を聞いたときの衝撃は、今でもけっこう忘れられない。『兄弟仁義 男たちの祭り』初演で観客の涙をしぼったセリフ、「俺はついて来る人を間違えなかった!」は無意識下のものだったらしい。

とはいえ、毎回そんなんじゃないだろうし。いつも憑依状態みたいになってたら、公演として形が整わないだろう。
しかし役になりきるのと、時計を見つつ公演全体をマネジメントするのと、座長さん方はどうやって同時進行してるんだろう…と単純に疑問で、何人かの座長さんに質問させていただいたことがある。意外なことに、いずれの方からも「役になりきれるときは時間も気にしない」という回答が返ってきた。

大衆演劇の役のパワーって、すごいんだな。
考えてみれば、多くの芝居が古くから継がれてきたものだ。一つの役には歴史が詰まっている。その役を今まで演じてきた何十人もの演者の心。上演されるたびに、少しずつ変わってきたセリフ。根源までさかのぼれば、戯作者の影が潜んでいる。

役の厚みに、演者が一人、真摯に向き合う。
「知らんかった、どないしよおー!」
時に演者が役に付け足し。
「お前が自分の弱さに負けただけや!」
時に役が演者を引っ張り。
役と演者、手を取り合って、二本の糸で彩なす心模様――
今舞台で笑っているのは、泣いているのは、“誰”なのだろう…

けれど、ある若い役者さんのTwitterによれば。“芝居中もプライベートのまま”という演者が増え、“演じてる人”が減ってきたとのこと。
たしかに、そういう舞台に当たったことがなくもない…。もちろんどの役者さんも一生懸命努めているけど、う~ん、きっとこれは彼の素のキャラだよなぁと思うことも時々。ストーリーよりカッコよさ最優先!みたいな芝居に、10代の役者さん主演とかで出くわしてしまうと、将来の大衆演劇でこういう感じが主流になったらしんどいな…とオバちゃんは冷や汗もんである。

こういうときは、年長者の言に学ぶ。私が今まで拝見した役者さんで、最高齢は84歳(当時)。2014年6月の「劇団悠」三吉演芸場公演にいらした、北城竜(きたしろ・りゅう)さん。芝居『弁天小僧』ではやくざに騙される百姓というチョイ役だったけれど、悲愴とユーモラスの混ざった味わいがあったのを覚えている。
松井誠さん著『座長「誠!」』(光文社、1999年)に、北城さんについての記述がある。
“(北城さんは)口立てだけで育ち、博打と女と喧嘩で二百もの劇団を渡り歩き、私の劇団に来てピタッといついてしまった方です。”

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(北城竜さん 2014/6/1)

“北城さんは旅役者という仕事の魅力はなんといっても化ける、変身することだといいます。世間のしがらみを舞台の上の自分はからりと捨てて、別人になれる。”

変身する力。毎日違う人に化ける力。
それはまるで魔法のようだ。一つ一つの芝居を敬愛し、その力を信ずる者にのみ与えられる――

舞台で『花道ひとり旅』が鳴り出す。ひょっとしたら、この曲は一種の讃美歌なのかもしれない。
“ただひたすらに 芝居だけを信じ”
役になりきる演者。
彼を囲むのは、固唾を飲んで見つめる観衆のまなざし。
私たち客席もまた――一緒に物語世界に飛ぶために。
いつの時代も、舞台を見上げながら芝居を信じ続けている。

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