大衆演劇 ’18 ―変わり続ける旅芝居のこと―

「ずいぶん大きい買い物したねえ~どこか旅行行くの?」
気さくなタクシーの運転手さんは、私が先ほど量販店で買ったばかりの新品キャリーを見て言った。
「はい、明後日から和歌山です。大衆演劇の遠征で…」
「大衆演劇?チャンバラとかするやつ?へえ、あれは、おばあちゃんおじいちゃんの娯楽なんだと思ってたなあ」
これぞテンプレ!っていうくらい聞き慣れた言葉(^-^;
「いや~最近はそんなこともないですよ、お客さんの中には学生さんも会社員もいますし…」
返答しながら、物事の認識が変わるのにはつくづく時間がかかるのだなぁと思った。大衆演劇を愛する人々の手で、新たなイメージが世に送られ続けているにも関わらず、だ。

数年前の女性週刊誌には、劇団花吹雪や大川良太郎さんをクローズアップする記事が載っていた。関西のバラエティ番組では、ポップスで踊る若い座長が紹介されていた。ネット上には、大衆演劇ファンの “広い世代に知ってほしい”という思いのこもったブログ・SNSがあふれている。
「大衆演劇はお年寄りだけの娯楽じゃない」ということは絶え間なく発信されている――けれど、一度根付いたイメージってなかなか上書きされないんだなぁ。

…でも、一ファンである我が身を振り返ると。
大衆演劇の新境地。ポップスとダンス。電飾や奇抜な舞台装置。若い座長さんたちを中心に作られている、アニメや漫画を元ネタにした芝居。
そういう新しさについて、私自身、狭量になってやしないだろうか。
古いお芝居や、これぞ旅芝居というささやかな人情劇が好きで。新しいものを観るとき、いつからか心のどこかで、失われていく古い懐かしい香りばかりを探すようになっていた。

かつてはこんなに頭が固くなかったのに。 
大衆演劇を観始めた5年前の夏。耳馴染みのあるポップスがかかると気になったし、『演劇グラフ』で漫画を原作にしたショーや芝居の写真を見ると、観てみたいな~と思っていた。むしろ当時は、古典もののスッと肌に入ってきにくい独特の言い回しに戸惑っていたこともあった。

でも2、3か月観た頃から、物語が眼前数メートルから飛び掛かって来る魔力に憑かれて。
曽我兄弟や梅川忠兵衛って誰?あの演目は歌舞伎にもあるの?
仕事帰りに夜遅くまで開いている図書館にダッシュしてはく、本の幸福な重みを腕に帰路についた。
大衆演劇という沼にハマればハマるほど。演者が水面に差し出してくれる“新しさ”も魅力的だけれど、それより沼本来の深みに沈み込みたくなった。

そして5年の間に、色んな役者さんのつぶやきを耳にしたり、お客さんの話を聞いたりした。
「お客さんの芝居離れ」
「正統派に芝居をやっても受ける時代やないやろ」
「昔の役者はねー、うまかったねぇ、泣かせてくれたねえ」
聞きかじりの言葉を心に留めるうち、直接体験したわけでもない“古き良き昔”の喪失ばっかりを勝手に恐れて、視野がずいぶん狭くなってしまっていたかもしれない。

そのことを痛感したのは、先月10/21(土)に二つの誕生日公演を観てから(←今さら本題)。


辰己小龍さん(たつみ演劇BOX)

この日の昼の部は京橋羅い舞座で小龍さんの誕生日公演を観た。新作書き下ろしのお芝居、今年も新派や歌舞伎から題材を採られるのかなと思っていたら、違った。『大暴れ!若衆小町』は、昔の日本映画みたいな立ち回り満載の痛快娯楽劇だった。
瞠目したのは、劇中の歌! 【関東春雨傘】とか【愛燦燦】とか、歌謡曲を小龍さんが芝居の内容に沿って歌い上げる。たとえば【愛燦燦】の“人生って嬉しいものですね”という歌詞を変えて、
「姉弟(きょうだい)って~ぇええ…うれしい~ものですね~♪」
男姿の小龍さんが、姉役の三河家諒さん(当日ゲスト)とデュエットする。観客に微笑みかけ、手を差し伸べて。

劇中で歌う――そうか、そんな表現もあるんだ。ミュージカルとかオペレッタとか。
『大暴れ!若衆小町』に散りばめられていたのは、大衆演劇ではお馴染みの歌ばかり。明るい調子の歌を聴いているうちに、楽しく芝居の世界に入れる仕掛けだ。

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ラストショー【聖域】では洋舞を披露。着物の代わりに、白いドレスの裾がくるくるとダイナミックに翻った。

辰己小龍という女優さんは、決して直接はおっしゃらないけれど。今の時代にどんなものが求められているのか。昔の役者が遺したものを、現代の旅芝居が再現するにはどうしたらいいのか。そういうことを全部、お腹の中で、わかってらっしゃるのだろう。

そして夜の部。台風22号の大雨の中、南海特急サザンに乗って和歌山へ移動した。

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澤村千夜座長(劇団天華)

紀の国ぶらくり劇場で行われた、千夜さんの誕生日公演。オリジナル芝居『君の名は。』……題を見ただけで、時代へのアンテナの鋭さがさすが😲
例の大ヒットアニメ映画もオマージュとして薄く引用しつつ、お話自体は全く別のものだった。漫画を原作にされたそうだ。
何でも屋を営む瀧太郎(千夜さん)は、死神の依頼で一か月だけ死んだ娘の魂を預かることになる。そして瀧太郎の体に娘・おみつの魂が入り、一つの体を二人の男女で分け合うことに…というSFっぽいお話。

千夜さんが一人芝居のごとく、男⇔女の転換をいきいきと演じる。たとえば、足を無造作に開いて苛立った男の声で「お前、出てくるなって言っただろ!」と言うと、次の瞬間には膝を合わせて肩をしゅっと落とし、「ごめんなさい…」と女の声で上目遣い。
肉体が性別間をジャンプして、本当に一つの体に二人が同居しているような現象の面白さに見入った。

でもお芝居の着地点は、懐かしい心の在り方だった。
再演に備えてネタバレは伏せるけれど、ラストシーン、“他者を恋しがる”という感情の原液が流れ込んでくる。涙する瀧太郎=千夜さんに気持ちが同化して、青空と雲の背景がぼやけた。
ストーリーは新しいし、肉体の使い方は斬新だけど、根底にはまっとうな人間の心が流れている。こんな方法もあるんだ…。

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こちらは舞踊ショー。最近Twitterでもよく披露されていた『刀剣乱舞』の鶴丸国永! 

ザクザクと足音を立てて、切り開いていく。
板の上の人たちは、懐かしい人情を根底に置きつつ、新しい表現を開拓していく。

「あのな、君には今の役者を観てほしい」
4年ほど前、ライターの大先輩に言われたことが頭をよぎる。往年の名優たちの話を聞きたがる私に、博多淡海さんや四代目三河家桃太郎さんなどの豊富な思い出の一端を語ってくれた後で、おっしゃった。
「今の時代に、頑張ってる役者たちを…」

時代に合わせてアップデートを続けるからこそ、旅芝居の世界は無限に楽しい。
もう、自分で世界を狭くしてしまうのはやめよう。
舞台の上は思っているよりずっと広い。

私はハロー!プロジェクトの女性アイドルがけっこう好きなのだけど、看板グループのモーニング娘。が、数年前からグループ名にこう付け加えるようになった。
モーニング娘。’17。
過去の黄金期を素地に残しつつ、今日の第一線を生きようとする名前。

旅芝居もきっとそう。大衆演劇’17であるために、彼らは変化しながら生きている。
もうすぐ2018年。来年は世間にはどんな風が吹いて、大衆演劇はその中からどんな色を取り入れるだろう。
あのタクシーの運転手さんにも、いつか大衆演劇を観てほしい。同じ時代の舞台を。

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橘小竜丸劇団【シャンパンダ】 鈴丸座長の8頭身にスーツが映える。

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大川良太郎座長(劇団九州男)【Hello Kitty】 クール・ジャパン風に。

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橘劇団 2.5次元舞台ファンにもヒットしそうな刀×長髪×美男子。


今を生きる、私たちの、大衆演劇’18!

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花ひらく、筑紫桃太郎一座 ―初めまして三兄弟!―

はー楽しかった! 
10/30(月)、九十九里太陽の里の千秋楽公演が終わって、興奮冷めやらぬ帰りの外房線の中でこの文を書きました。

太陽の里の最寄り駅は「茂原」駅。地下鉄にJR、外房線を乗り継いで無料送迎バスまで、我が家からは3時間…ほど…(;・∀・)
でもでも遠さなんてなんのその。九十九里に行ける週末が楽しみだった10月。大阪の友人から評判を聞いていた、初めての筑紫桃太郎一座は、心にパッと大輪を咲かせてくれた。


10/29 ラストショー

観れたのは芝居4本、ショー7本(九十九里は夜の部はショーのみなので)。わずかな回数の中で垣間見た程度ではあるけれど、三兄弟それぞれの持つカラーを味わうことができた。なので初見の新鮮な印象を焼き残しておくために。一人一人について感じたことを書いていこうと思います。


座長 筑紫桃之助さん
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10/7 訴えるような目に惹きつけられます

三兄弟の長男・桃之助座長。前からお顔は知っていて、美青年だなぁ~と思っていた。目鼻立ちも輪郭も丸みを帯びていて、女形は少女のよう。
でも声色が豊か! 『三下仁義』の悪党・七之助を演じていたときは、がらっぱちな声と強面メイクに、一瞬誰だかわからなかった。一方『大工の留』ではさえずるような高い声で三枚目をしていたし、声の選択肢の多さが役幅に繋がっているのかもしれない。

九十九里公演を一緒に観に行った千葉在住の相方は、桃之助さんびいき。「いつも全力で一生懸命なのが素敵」とのこと。全身を投じるような張り切りぶりと、明るい笑顔が印象的だった。

「大入りをいただきました!ありがとうございます!」
三兄弟の先頭で深々と一礼する姿。
一人、客席に飛び込んで笑顔を振りまく姿。
この場を背負ってらっしゃるんだ、座長さんなんだなぁ…とその明るさを噛みしめた。

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10/7 群舞の中でもスマイルが映えます

無題
10/29 特別出演・嵐山錦之助さんと

「お兄ちゃんがさ…」「お兄ちゃん、良いわよね」
客席の会話に耳を澄ますと、長男なので“お兄ちゃん”呼びの方が多いようだった。
優しく座をまとめる笑みは、まさにTHE・お兄ちゃん!


弟座長 博多家桃太郎さん
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10/7 【黒田の武士】

三兄弟の次男・博多家桃太郎弟座長。
博多家―っ!
この型の見事さを見ると、つい反射的に舞台に声を掛けたくなってしまう…!
私はハンチョウすることはまずないのだけど、博多家座長には良いタイミングで「博多家っ!」と決められるファンの方が毎回複数いらしたので、そこにコッソリ乗じさせていただいて、時々声を掛けたりしていた。

大阪の友人の大のご贔屓である博多家座長。彼女から、抜群の身体能力や、芝居の感情の細やかさについては聞いていた。
190cm近くあるだろう大きな体躯が、回る。跳ねる。膝が深く沈む。肉体がダイナミックに旋回する爽快感に、舞踊ショーの開幕が楽しみだった。

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10/29 【田原坂】 軸がスッと。

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10/8 【テネシーワルツ】 膝が深い!

そして恐らく、この肉体のバネの良さが芝居にも活きているのではないかなぁ…と思う。セリフに動作がごく自然にくっついている。
たとえば卑劣な悪役・忠吉を演じる『男血飛島』では、「金をちょいちょい持ち出してたのがバレて、(自分の首をポンと叩き)クビになっちまった」「お前の懐に(ヒュウッと口笛を吹き相手の懐に手を入れる)千両入るってことだ」
また『大阪喜八』では、源太(博多家座長)は喜八(桃之助座長)の話に相槌を打ちつつ、刀をしまったり、足の汚れを拭いたり、刀に顎を乗せて頬杖みたいにしたり…。終始、肉体が芝居の中にあるように見えた。
『博多家版 喧嘩屋五郎兵衛』という演目があるそうなので、いつかその芝居に当たりたい。


花形 玄海花道さん
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10/30 【最後の雨】“ただ抱き寄せ”って歌詞のところ。エア彼女を抱いてらっしゃいます。

三兄弟の三男・玄海花道花形。
お名前の通り華やかな役者さん。整った容姿、ピリッとした線に仕草の一つ一つが映える。
特に刀の扱いが見事なのを何度か目にした。『男血飛島』での博多家座長との立ち回りや、『三下仁義』の大団円の場面で一人クルクルと刀を収めているのが美しかった。

容姿だけでなく芸風も華やか! 人形振り、お面、芝居調の当て振り…個人舞踊で披露してくれる色々な技を、7公演の中でいくつか観ることができた。

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10/29 【大きな古時計】

人形振りと面でおじいさんの死を表現したり。

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10/29 【深川】

深川芸者の饗宴のイメージなのか、優雅に寝転ぶお大臣を演じたり。

こういう仕掛けのある舞踊は楽しい。ひょうひょうとした花道さんからポッと出される外連味が面白かった。(面白いといえば花道さんの自由な感じのトークも好きです。お芝居の三枚目はされないのかな?)


千穐楽の日、舞台横のタペストリーがふと目に入った。大きく白文字で抜かれた“花の三兄弟”。花の…という形容が舞台の三人に重なった。それぞれに伸びて、色をつけて気ままに咲く。

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10/8 桃之助座長&博多家座長の組合せはお互いの色がパキッと引き立つ。

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10/29 桃之助座長&花道花形のお喋りタイム。ピンをたくさん付けて出てらした花道さんに、「そんなんよう付けたな(笑)」と優しく突っ込む桃之助座長。

東京在住なので、関西回りの劇団さんではまだまだ知らないところ、初めましてのところがたくさんある。大阪に住んでいればなぁ…と残念に思うこともあるけれど、関西の友人たちから情報を得て、レアな関東公演を心待ちにすることにしている。
筑紫桃太郎一座の皆様、関東に来て下さってありがとうございました!

お待ちしていた三兄弟は、たしかに花だった。

【筑紫桃太郎一座 花の三兄弟 今後の予定】
11・12月 笹井ホテル(北海道)
1月 大江戸温泉ながやま(石川県)
2月 新開地劇場(兵庫県)

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劇団花吹雪お芝居『河内十人切り』―他者であるお前―

2017.9.25 夜の部@浅草木馬館

弥五郎(桜京之介座長)の、まっすぐな目。
「兄貴、お前が食え!」
わずかに残った飯を熊太郎(桜春之丞座長)に突き出す。茶碗を抱える細い腕。そこには一粒の打算も保身もない。いっそ義理すらない。
「食うてくれ!」
ただ“お前が好き”だから、食ってくれ――。

無心な思いというのは、どうしてこんなに胸を衝き動かすのだろう。
熊太郎の、うう、うぅ~…っという言葉にならない嗚咽が木馬館に響いていた。


桜春之丞座長

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三代目・桜京之介座長

※定番の演目なのでラストまで書いています。ラストを知りたくないという方はご注意くださいね。

9/25『河内十人切り』という告知は、8月中旬から春之丞さんがブログで出してくれていたのですぐさま予約した(早めのお知らせって本当にありがたや~)。
配役が気になって調べたら、7月の初演では熊太郎が春之丞さんで弥五郎が京之介さんだったという。華やかな春之丞さんが、熊太郎の臆病で不器用な面をどう演じるのだろう…?

序盤、祭りの場に姿を現す熊太郎。地頭・ほぼすっぴんの春之丞さん。
自分の内縁の妻・おぬい(桜彩夜華さん)が松永寅次郎(桜愛之介さん)と密会しているところに出くわし、割って入るも、逆に寅次郎や村の連中にボコボコにされてしまう。

にも関わらず、熊太郎はやり返そうとは考えない。満身創痍の体をどうにか起こして、
「喧嘩する前にまず話し合いで済ませたいんや、松永のおやじさんも証文見せて話をしたらわかってくれるはずや」
と、痛みに眉をしかめながらも穏便に済ませようとする。
弟分の弥五郎は、
「そんなことゴチャゴチャ言っとる場合か、ぶち殺したるわ」
といきり立つけど、当事者である熊太郎は困り顔。
「お前は来たらあかんで。お前が来たらすぐ殺す、殺すばっかり言って、話もできひんやないか…」

熊太郎の癖。頭でぐるぐる先回りして、状況を判断しようとする。しかし彼の思慮がやくざな世界で通用するんだろうか、という悲劇の予感がすでに漂っている。

一方、京之介さん弥五郎は本能的…というか動物的だ。口を開けばすぐ「ぶち殺す」。松永一家からも“気ちがい”と呼ばれて怖がられているくらい。
熊太郎・弥五郎の関係性が滲んでいると思ったのは、連れ立って松永家へ行くときの会話。熊太郎の腕を引いてサッサと行こうとする弥五郎に、熊太郎は呻く。
「いた、痛いて、ちょ、待て」
「なんや、兄貴、骨折れとるのか」
「骨は折れとらんけど」
「せやったら歩けるやんけ」
わりととんでもないこと言われても、熊太郎は立腹したりせず、しんどそうに説明する。
「(溜め息ついて)お前は骨折してなかったら動けるて思うんやろけどな、打撲ちゅうのもあるやん。せやから歩こうとするとな、ズキズキ痛むんや」
思考も肉体もぶっ飛んでいる弥五郎に、熊太郎は常人のことがちゃんとわかるように導いてあげる役割なんだ…。

たしかに全編通して、弥五郎は熊太郎としかまともに会話していない。唯一、京誉さん演じる刑事と短い軽口を叩くくらいだ。本来の『河内十人切り』の重要シーンの一つ、弥五郎が妹に会いに行く場面も丸ごとカット(妹の存在にも言及しない)。
だからよけいに、熊太郎を通してしか外界に関われない“狂犬”としての弥五郎が、浮き上がってくる。

真逆の兄弟分は、けれどピタリと肌が合う。花吹雪版で最も強く印象に残ったのは、二人の一つの息を一緒に吸っているかのような噛み合い方だった。たとえば弥五郎が監獄から出て来て、真っ先に熊太郎の家に来る場面。
熊 「お前、よう出てきたなぁ」
弥 (嬉しそうに) 「元気そうやないか、ケガは治ったんか」
熊 (肩を回しながら)「この通り、バリバリや」
こういう普通の会話のテンポが抜群!

二人のコンビネーションは、終盤、山に追われて死の淵まで追いつめられたとき、“相手に命をやる”という極まった形で現れる。
お前が食え、と茶碗を差し出す弥五郎。
熊太郎は弟分の顔をじっと見つめる。やがて、春之丞さんの頬がくしゃくしゃに歪み、手はご飯粒だらけの口元を押さえる。指の隙間から幼子みたいな泣き声が漏れた。うう~…っと泣く声に続いて、拍手が木馬館に広がっていった。

この世は熊太郎の思慮も言葉も通じない、汚い人間ばかりだった。
妻も義母も裏切った。
けれどこの弟分は、自分を信じきっている狂犬だけは……。

――だからこの後、熊太郎が弥五郎を背後から刺すのは、とても自然なことに見えた。
こいつには俺しかいないから、俺がちゃんと連れて行かなきゃいけない。
そんな風に語り出しそうな穏やかな表情で、熊太郎は血まみれの弥五郎を抱きかかえる。
弥五郎は「ごっつ痛い」と呻きながらも、爽快な笑顔で空を仰ぐ。
「不思議やなあ、わし兄貴にこんな目に遭わされとるのに、お前には何をされても恨む気にならんわ。うん、何をされても、わしは、お前は恨まん!」

弥五郎の血で熊太郎も血まみれ。互いを抱く腕はますます強く、べっとりと、二人の体は一つの赤に染まっていく。まるで二人の人間は、本来一人だったみたいだ。

熊太郎・弥五郎の強い強い密着性。それは、演者である春之丞さん・京之介さんが、幼い頃からずっと生活を共にしているという家族的要素にも繋がっているのだろう。そう考えると、大衆演劇という興行にしか存在しえない表現を体験できたのかもしれない。

『河内十人切り』は血なまぐさいし、現代の感覚でスルッと共感できるストーリーというわけじゃないし、男の怨恨と意地がぎらつく。
けれど優しい顔立ちの両座長の芝居は、体のもっと深いところに響く。

熊太郎が瀕死の弥五郎を抱く。
「ごめんなぁ…」
弥五郎は笑ってその腕を叩く。
「ええねん、ええねん」

他者であるお前が、我が身より愛しい。

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理由を聴かせて―芝居の中の死者の声―

“なぜ”ですか?

《劇団天華『面影の街』9/13》
「憎くて捨てたわけじゃない、生かすために捨てたんだと…」
生き別れの兄弟。兄(澤村千夜座長)は、父親が弟(澤村丞弥さん)を捨てた理由を言葉少なに語る。


澤村千夜座長

《花の三兄弟 筑紫桃太郎一座『男血飛島』10/7》
「友吉、俺はお前に合わせる顔がなかったんだ」
筑紫桃之助座長演じる徳は、恩人である友吉(玄海花道さん)に罵声を浴びせた後で。がっくり膝をつき、ひどい態度をとった理由を話す。
「俺が亀田屋を継いでからというもの、店は傾く一方で、屋根にはぺんぺん草が生えてらぁ。いっそお前に殺してもらいたかったんだ…」

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筑紫桃之助座長

お芝居のこんなシーンに出会うと、胸の奥が何かに抱き留められるようです。
大衆演劇の芝居のパターンの一つ。何か過ちを犯した人が「自分にもわけがある、どうか俺の話も一通り聞いてやっておくんなせえ」と経緯を語り始める。

どの芝居でも主人公はそれを遮ったりしない。困惑を顔に浮かべながらも、ちゃんと最後まで聞いてやる。
「理由を聞く」というのは、なんて魂の深い行為だろうか。
そこには「もしかしたら道を踏み外したのは自分だったかもしれない」という痛みがある。
もちろん、何か理由があったからって罪が無くなるわけじゃない。でも、誰だって好きで間違えたわけではないのだ。

定番のお芝居で言えば、幼なじみ三人のうち一人が悪い親方に拾われて盗人になってしまう『三人出世』も、兄弟分のうち兄が不幸な弾みで人を殺めてしまう『上州土産百両首』もそう。
「これにもわけのあることなんだ――」
“運の悪かった罪人”の姿とその理由は、大衆演劇のお芝居に貫かれる主題の一つであり続けている。

でも現実の世界では、過ちを犯した人がわけを聞いてもらえることなんてまずない。
誰か悪者がいれば、わかりやすく事は済む。
一番不器用な人が、いつも口をつぐむ。

“Don't say I didn't try”(言わないで 私の努力が足りなかったなんて)
私がまだ学生の頃、映画『ロード・オブ・ザ・リング』(指輪物語)三部作が流行った。その中にゴラムという登場人物がいた。指輪の魔力に憑りつかれて異形になった男。映画の挿入歌の一つ『ゴラムの歌』は、当時映画館で聴いてショックを受けた。
“We are lost!”We can never go home”(もうわからない 家には二度と帰れない)
歌手エミリアナ・トリーニの泣き声みたいな歌い方が耳に残る。
今聴いても、怨嗟の声とはこんな声かと思う。過ちを責められ、無理解の中に置かれたまま死んでいく人の。

私たちの日々の中にも、見落とされた死者が大勢いるのでしょう。
「あの人はああいう人だから」「真っ当に生きなかったから…」
誰もが耳をふさいで、彼の言い分を封じ込めて。

「せやから芝居の中の死を見届けられるだけで、留八は不幸やないんですよ」
大衆演劇を通して知り合い、すごくお世話になっている京都の友人は、初めて会った日にそう言った。ふんわりした声で真理にスッと踏み込む人だ。
2年前、初対面の彼女と新世界でケーキを食べたとき。ある九州の劇団で観たばかりだった『留八しぐれ』の話になった。留八は顔に負った火傷のせいで、信じていた人々に手のひら返され、恨みを果たすべく人々を殺めて自分も死んでいく。
「人気のお芝居ですし、私も好きなんですけど、考えたらこの話のどこに救いがあるんでしょうね…?」
と私が疑問を浮かべると、彼女は確信のある口調で言った。
「彼は救われているんですよ。私たち観客が彼の真実を知っていて、最期の瞬間まで観ていることで」
「客席で見届けることで?」
「そう、それだけで彼は独りで死んだわけやないから」
最近になって、このとき言ってもらった意味がようやくわかった気がする。

一つの芝居には、それを演じてきた人々、観てきた人々の思いが何十層にも重なっている。だから『三人出世』の定やんが涙しながら「怪盗定吉と呼ばれ、役人から追われる身になったのにも、わけ事情があることなんだ」とこれまでの事を打ち明けるとき。
舞台に膝をついて語る役者の身体を通して、誰にも聞いてもらえなかった死者たちの告白が、なだれをうって流れ込んでくる。

それは生きている人たちだって一緒。客席でお芝居を観ている一人一人も、一緒。
いつかの京橋羅い舞座で、ずっと泣いていた人がいた。独りで声を抑えて。
あなたもきっと辛かったろう。

《劇団新『三人出世』3/9》
「定やん、江戸に出て来てからいっぱい苦労したんや」
友やん(龍新座長)は定やん(龍錦若座長)の話を聞いて、泣き伏した肩を優しく叩く。
「なぁ島やん、もしかしたらお前もそんな風になってたかもしれんやんか――」

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龍新座長

あなたがそうせざるを得なかったのは、“なぜ”ですか?

旅芝居の底に、誰かの悲しみが聴こえてくる。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十七] 「心配いらんよ。旅芝居は誰でも安らげるものやから…」山根演芸社・山根大社長の思い

この方にいつかお会いして、必ず聞きたいと思っていたこと。
大衆演劇のファン層はどうしたら広がるのでしょう。
大衆演劇はこれからどこに向かうのでしょうか。
そして。
山根さんが大衆演劇に抱いている夢は、なんですか?

満を持して、山根演芸社三代目・山根大社長にSPICEに登場いただきました👏

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十七] 「心配いらんよ。旅芝居は誰でも安らげるものやから…」山根演芸社・山根大社長の思い



(本文より)
――大衆演劇のファン層を広げていくには、どんな方法が考えられるでしょうか。

今、プロレスがファン層拡大に成功していますよね。元々は大衆演劇と同様に敷居が高くて、わかってる人間だけが楽しむ所だったけど、新日本プロレスなどの団体が若いファンを吸収し、“プロレス女子”というのがたくさん出てくるほどの状況になっています。

――プロレスはどういった施策をとったのでしょう?

まずね、キャラ立ちです。新日本プロレスは、個々の選手のキャラが、ある意味アニメのキャラクターみたいにわかりやすいんです。だから個々の選手に対して思い入れがしやすい形になってる。実は私の舞台口上は、大衆演劇の役者さんのキャラを言葉で表せる程度にわかりやすくして、お客さんが役者に感情移入しやすくなることを狙っているんです。

――あの名口上にはそんな狙いがあったんですね…!


⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

超・超・超多忙の中、お時間を下さった山根社長、ありがとうございました!
記事が公開された昨日はいつもの記事以上の反響をいただき、やっぱり“名口上の山根さん”は大衆演劇界の人気者なんだなぁと実感しています。
そして山根社長に縁を繋いで下さった方も、舞台口上のお写真を提供して下さった方も、みんな忙しい中で力を貸して下さった…いつも色んな人にお世話になりっぱなしですm(_ _"m)

山根社長にお話を伺えたらいいな…とはずっと思っていたけど、よし!本当にインタビューを申し込もう!と決意したのは、『カンゲキ』2月号に掲載されていた対談を読んだとき。「大衆演劇が今以上に進化するには何が必要なのか」というトピックで、以下のように発言されていた。
“本当に、人間の情とか、要するに心を伝えることができるか、ということが大切だと思います”
(『KANGEKI』2017年2月号 特別対談「山根演芸社社長 山根大×アトム株式会社会長 脇屋嘉典」)

流行をキャッチするアンテナとか、興行としての戦略とかではなく。人間の情という、ある意味で直球の答えをされていた。
大衆演劇の仲介業をして30年。旅芝居の光も闇も含めて、あらゆる面を見てこられただろう。それはもう想像もつかないほど。
けれど旅芝居への愛情はなお深い――
切れる眼光の中には、どんな世界が見えているのだろう。どうしても話を聞かせていただきたくなった。

(本文より)
調子の悪い日もあるやろうから、バーをつかみ損ねて落ちる日があるかもしれない。でも、心配いらんよ。落ちてもネットがあるから。そのネットが俺たちなんだということなんですよ。

願わくば。同じ夢を、同時代の大衆演劇ファンみんなで見ていけますように。

最後に「立ったポーズでを撮影させてください」とお願いすると、「こんな格好ですみません(笑)」と立ち上がられた姿が、細身のダメージジーンズを履きこなしていて。
たしか以前、梅田呉服座でお見かけしたときもかっこいいジーンズ姿でいらしたなぁ、と思いながらシャッターを切った。
今後もおしゃれな社長のファッションにも注目しています👖

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