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劇団美松さんの『弁天小僧reorganize』に二次創作の魅力を思い知らされた話

2021.7.25昼@浅草木馬館

※新作なのでラストは触れていません。が、少しでもネタバレが嫌な方は回避なさってくださいね。

松川小祐司座長襲名8周年記念公演のお芝居:『弁天小僧reorganize』。
り、りおーがないず?
耳慣れない英単語。ググってみると、再組織する、再編成する、そんな意味。ということは、弁天小僧を再編成したもの=一種のパロディということなんだろうと思った。

7月25日、おしゃれポスターが最後の後押しになり(篠原演劇企画のポスター大好き!)、このお芝居を観に行ってきた。
観た後の気持ち。

りおーがないず、最高~~!

弁天小僧は娘姿の大泥棒。可愛らしさの中身は悪党、二律背反の魅力の中に艶然と立つ。
大衆演劇でも長く演じられてきたキャラクターの、“二次創作の魅力”が炸裂していた。

二次創作は、原典への愛をベースに生まれる。
テンポ良く次を見せる作りとか、効果的に配置された町衆とか、そもそも構成力の高い作品なのだけど。
良く出来た物語というところに留まらず、作り手である小祐司さんの“弁天小僧が好き!!”という愛がそれら全部を上回る。“好き”“楽しい”が舞台にズモズモとせり出してきて、マスクの下で頬が緩みっぱなしの一時間半だった。

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弁天小僧菊之助役・松川小祐司座長

物語は謎解きものの形を取りながら、弁天小僧菊之助と、彼を追う役人・神保町の政吉(南雄哉さん)のコンビネーションが味噌になっている。この二人の愛情というか友情というか、名づけがたい関係性がとっても良い。菊之助は政吉に何かとちょっかい出したがるし、政吉は他の役人には菊之助を捕まえさせたがらない。いわゆる敵ながらあっぱれ的な関係でも、義兄弟的なそれでもない。そういうマッチョ文化とは全然性質の異なる、もっとみずみずしいもの。大衆演劇では他に観たことのないコンビの描き方だと思った。

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神保町の政吉役・南雄哉さん(劇団菊花形)

追いかけっこあり、変装しての捜査あり、共闘あり…。この関係性の創作作品なら、“絶対これやってくれるだろう”的なツボ展開を、見事に全部押さえてくれる(楽しい)。

弁天小僧ひと役にも関わらず、小祐司さんが艶やかな衣装を色々替えてくれるのも眼福だった。数えたら、劇中で5着(!)着替えられていた。芝居中に衣装を替えるのは時間的な制約が大きいし、裏はさぞ大変だったと思う。でも主役の格好が替わることで、物語に時間の流れが生まれて、立体的になる。何より目に華やかで、記念公演というイベントにぴったりだった。

華やかで、軽快で、みずみずしくて、アニメから飛び出してきたような令和の弁天小僧。
昔からある物語のパロディが、新しい時代にのびのびと羽を伸ばすとき。原典の隣に、新しい顔が一つ加わるのだと思う。原典を決して貶めることなく、原典と競うでもなく、時代の風の中にはためきながら派生する。
二次創作にしかない、愛と可能性の扉だ。


小祐司さんの菊之助と、雄哉さんの政吉に早くまた会いたいな~と思っていたら、8/14付の小祐司さんのツイートで、構想中の新作リストの中に本作の“続編”が並んでいた🙌嬉しくて思わず引用RTした。前作と同じ世界線だといいなあ。

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こういう表情だと、“切れるような”という形容が似合う美しい顔立ち。

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いつもやりたいことがたくさんあって楽しそうな座長さん。

この日、芝居の最後に割れたくす玉の中の垂れ幕には、「まだまだ全力投球!」の文字。今後の作品にも期待しています!

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若者たちの『つばくろ笠』 劇団美松2021.7.17夜

芝居が走ってくる。
どのくらい以前からある芝居なんだろうか。
お腹の中まで芝居が駆け抜けるような、とにかく楽しい夜だった。

17日の木馬館は、劇団美松にしばらく出演されている藤川雷矢副座長(劇団翔龍)のイベントデー。夜の部お芝居『つばくろ笠』は雷矢さんの旅人を主役に、悪役を務める松川小祐司座長や南雄哉さん(劇団菊)が息の合った掛け合いを見せ、普段の仲の良さが覗くじゃれ合いも混ぜ込みながら、生き生きと進行していた…ところ。
あっ、と急にタイムスリップしたようなシーンが二つ。

一つは、藤川真矢さん(劇団翔龍)演じる岸野佑二(“きしのゆうじ”と聞こえたので当て字)が、鬼瓦の親分(小祐司座長)から、つばくろの親分の首を取り戻そうとする場面だ。
真っ白な喧嘩支度の真矢さんが、鬼瓦一家一人一人の顔をねめつけて「ねェな」「ねェな」と繰り返し、「何が無えんだ」と問われたら、自分の首をぱあんと叩いて、つばくろの親分の首がないと告げる。
真矢さんの、長い手足と表情筋を120%役に投入する気合いの入れ方も相まって、舞台に古典らしい色が滲んだ。

そのあと突然、音楽がかかる。(!!)
鬼瓦の親分は、つばくろの親分の首が入った袋を棒の先にぶら下げて、左右にゆらゆら揺らす。
岸野は鬼瓦をにらみながら、ズンズン鳴る音楽に合わせて手足をスローモーションで持ち上げつつ、踊るように首を追う。
初めて観た表現すぎて説明が難しいのだけど、ある意味“踊り”なんだと思う。それまでの物語と台詞を一瞬止めて、真矢さんの肉体がズームアップされる一瞬だった。
昔は、こういう演出が頻繁に使われていたんだろうか。


藤川真矢さん 岸野役
芝居や個人舞踊はもちろん、群舞も全身全霊で踊られる。“清新”という言葉がいま日本一似合う人。

珍しいシーンを観たなぁと思っていたら、そのあともう一か所あった。
今度は、つばくろの藤太郎(雷矢さん)が鬼瓦一家の悪事を見抜いた後、提灯を受け取って帰る場面だった。提灯を渡すのは、鬼瓦の親分の右腕ポジションの般若の鉄(雄哉さん)。
提灯を寄こせとジェスチャーで鉄に伝える藤太郎。でも自分のボスである鬼瓦の親分ににらまれ、板挟み。鉄は困り果てた顔をしながら、親分から隠すように袖で提灯を覆って、テンシャンと音の鳴る中、スローモーションで藤太郎のところへ歩く。歩くというか、これも踊りに近い。

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南雄哉さん 般若の鉄役
キチンとした演技に、語気が明るく発散するのが心地良い。つばくろの親分が訪ねてきたとき、鉄役の雄哉さんが、スッと一礼してから下駄を揃えにいく仕草に、一家の右腕っていう役らしさが光ってた。

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藤川雷矢副座長 つばくろの藤太郎役
この方は台詞も所作も音楽的。藤太郎が鬼瓦一家を脅すくだりは全部心地よい波に乗るようだけれど、特に愛刀の声を聞くフリをするところ、クーッ!上手いッ!と渋茶を飲み干して叫びたいくらい。昨年から、友人たちやフォロワーさんの間でも話題沸騰中の役者さんだ。

『つばくろ笠』は全体的に、台詞や展開もこれぞ大衆演劇、な匂いが漂うけれど。スローモーションの二か所は、古い戯画がそのままはめこまれたみたいだった。“自然な演技”の真逆にあるザ・お芝居な誇張は、形だけ見たならエッ?と戸惑ってたかもしれない。それを愉しい~!と感じられたのは、真矢さん、雄哉さん、雷矢さんの伸びやかな技術や魅力のためだと思う。
もちろんその中には、三枚目の悪役で客席を盛り上げてくれた小祐司座長も。

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松川小祐司座長 鬼瓦の親分役

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この日は芝居中も舞踊中も、袖に仕込んだバナナを食べていた座長🍌小祐司さんが心底楽しそうだと、こちらも嬉しくなる。客席とのコミュニケーションをいつも意識されているのが伝わってくる。そしてゴミ箱を持って来る雷矢さんの優しさ(笑)。

昔、このお芝居を作った人。演じた人。観た人。その人たちも、17日夜の木馬館のように興奮したんだろうか。
お芝居の中に詰まっている、いつかのにぎわいを聞く。

令和3年、今を生きてる若者たちの手足を通り、胸を通り声を通り――
芝居が走ってくる。
いつか誰かの躍動が、私の中に駆けこんでくる。

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ここに目がある ―大衆演劇の“レポ文化”へ愛を込めて―

最近、とっても面白く読んだ本がある。
『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち―近世の観劇と読書―』(北村紗衣さん著、白水社、2018年)。シェイクスピア劇の、ファン文化のほうに焦点を置いた一冊だ。17~18世紀のイギリスで、演劇を観に劇場へ通ったり、芝居好きの観劇仲間で繋がったり、芝居熱が高じてファンフィクションを作ったりした、女性たちの観劇文化について愛情を込めて書かれている。
ページをめくるたび、時代も国もジャンルも飛び越えて、そこに記録された名もなき女性たちが愛おしくなった。芝居が好きで好きで頭はそのことでいっぱい、という点では現代日本の大衆演劇ファンだって、きっと同じなんじゃないだろうか。

そして、芝居の感想に簡単にアクセスできる、現代のツールはやっぱり良いなぁと思った。ツイッター・ブログ・インスタ。
私は自分でも感想をつぶやくけど、他の方の芝居感想を読むのはもっと好きだ。自分も観たことのある芝居なら、こんな視点もあるんだ。これ、全然気がつかなかった。観たことない芝居なら、この芝居面白そうだな。観てみたいな。
気になっている外題があるときは、劇団名&外題名で検索して、どんな芝居なのか知ろうとする。他のファンの方のレポを通して、自分の観劇ライフはずっと豊かなものになってきた。

感想を書くって、すごく強いアクションだと思う(もちろん写真を撮るのも)。
芝居はその人だけのまなざしに貫かれる。
役者の表情を観る目。
道具の扱いを観る目。
耳に響く台詞を覚え、その意味を心にしみ込ませて、物語全体をつかまえようとする頭。

タイムラインに、アッと目を覚ますような文章や写真が流れてくるとき、つい想像する。
このアカウントの人は、どんな人なんだろう?
貴方はどんな思いで、大衆演劇を観ているんだろう?
大衆演劇の客席には、お客さんの数だけ生活が沈殿している。仕事や学業や家庭や人間関係や、数え切れない色々を抱えた体が劇場にやってきて、疲れた眼球を花舞台にさらしている。

舞台の幕が上がる。幕が下りる。個々の体は劇場から離れて、帰路に着く。忙しない生活がまた始まる。
その狭間で、スマホやパソコンがぽんと開かれ、記録が投稿され始める。

レポを書くときは、のしかかっている色々から解放されて、息が蘇って。
ただ一つの目になるときだ。
芝居を、つかまえる目になるときだ。
だから、舞台を切り抜いた貴方の言葉や写真に触れるとき、貴方の自由な目を少しだけ、分けてもらった気がする。


篠原演芸場に行くと出会えるキャラクター。劇場の匂いを感じる一角だ。

たとえばツイッターなら140字。
――今日は本当に感動した。
――泣いた。
――芝居の人物たちが、愛しいような気持ちになった。
とことん芝居に恋する、観客の心の切れ端。時には芝居の疑問点にハテナを浮かべると、他のファンからこうじゃない?とリプライが飛んできたりする。
こういったささやかな劇評は、今はWEB上で誰にでも見える形になっているけれど、昔から存在していたと思う。休憩時間にお客さん同士であそこが良かった、これはいまひとつだったと言い合ったり、役者さんに直接「あのなぁ座長」と声をかけたり…。

そういうファンの温かくも厳しいまなざしの積み重ねが、長い時間をかけて芝居を選び、変化させてきたのだと思う。お客さんの反応が悪ければ即変える、大衆演劇のスピード感ではなおさらだ。
(実際、コロナで送り出しがなくなってから、お客さんのお芝居への反応がわかりにくくなってしまい、危機感を滲ませる役者さんのツイートもあった)

とはいえ、ファン文化は玉虫色。大衆演劇の世界には、色んな人が住んでいる。
もしかしたら、愛いっぱいの舞台レポにも意地悪な横槍が入ることがあるのかもしれない。
しっかりした文章を書く人が、格好つけてるみたいに揶揄されたり。
劇団やお芝居について豊富な知識を持った人が、偉そうだと囁かれたり。
きれいな写真を撮る人が、そうは言われなかったり。
もし傷ついたことで、ツイートやブログをためらう人がいたならば、そっと伝えたい。
何かを語ろうとする貴方の目に、私はいつも新しい価値を受け取っています、と。

冒頭で挙げたシェイクスピア劇の本のように、いつか後世の優れた研究者が、大衆演劇のファン文化を見つけてくれることがあるだろうか。
大衆演劇の劇評は、新聞や一般の雑誌には残っていない。

代わりに…
夜の部の芝居に興奮して、スキップするごとく電車に飛び乗り、熱のこもったツイートを打ち始める一ファンが、その役割を果たしているとずっと思っている。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之四十一] 最強集団へ駆け昇る!劇団美山・里美たかし総座長 東京公演直前ロングインタビュー

プロデューサーとして、役者として、演出家として。
“今”をひたすら昇っていく、この方のお話を伺うことができました!

記事リンク⇒【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之四十一] 最強集団へ駆け昇る!劇団美山・里美たかし総座長 東京公演直前ロングインタビュー


4月・川越湯遊ランドのラストショー

里美たかし総座長は、この1年、聞きたいことが山ほどある役者さんでした。
歯車がかちっとはまるように整理された芝居の演出や、劇団員全員のキャラクターの打ち出し方。
その真ん中にいる方は、どんなことを考えておられるのだろう。

「この関東公演中に、がっつり舞台の話を伺えませんでしょうか?」
お忙しい中、全然いいですよ!と、いつもの口上のようなテンションで明るく応じてくれた総座長。
色々な人から聞いていた通り、圧倒的な頭の良さはもちろんのこと。
自分が思ったのは“言葉選びがひたすら親切な人”だ、ということでした。
どの質問に対してもまず結論を出し、その後の補足もわかりやすく噛み砕いて、かつ前の話とどう繋がっているのか、線で結びながら話してくれる(めっちゃすごい)。

そんなわけで記事は全編、この役者さんの持つ言葉の力に溢れています。特に名言だなぁと思ったところを抜粋すると、
「簡単に言うと、劇団員みんながスーパーサイヤ人になりたいってことです。」
「悪って何が悪なのか、悪の中にも正義ってあるんじゃないか?と思うんです。」
「実際にあったことにフィクションがどんどん重なって、面白い作品ができていくんだと思います。」
「ただ僕は、大衆演劇の中でどうなりたいっていうのは考えたことないんですよ。昔から、人に何か言われても気にしない。人は人、自分は自分という考えです。一「美山」として、とにかくやってくぞって思いで、今までやってきました。」


ぜひ冒頭のリンクから、丸ごとお読みください😊

ちょうどインタビュー記事がアップされた4/23は、川越湯遊ランドで総座長祭り。
演目は『沓掛時次郎』でした。最後の場、おきぬさんの遺骨を交互に持つ時次郎と太郎吉のやり取りが本当に繊細で、二人がおきぬさんという死者を挟んで“三人”で親子になったことが伝わってきます。マスクの中に涙が流れていきました。

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3月・つくばYOUワールドのラストショーからの、手を振ってお別れ

5月の篠原も無事完走されますように!

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エンターテイン・ユー~金髪の女形の思い出

“人を楽しませたい”という気持ちの純粋さに、ただ心を揺さぶられることがある。

フィギュアスケートの世界選手権を見ていたら、羽生選手が「Let Me Entertain You」というプログラムで滑っていた。鳥が空高く飛び上がるような、すごい滑りだった。日本語で言うと、楽しませるぜ、みたいなタイトル。

その思いが沁みきった人の顔に出会ったのは、一年前。コロナでざわつき始めた頃の、大衆演劇場でのことだ。

昨年3月は多くの人がそうだったように、先の見えない不安な空気の中、自分の仕事もゴロッと変化した。今でこそ慣れたけど、当時は日常業務の一つ一つを考え直さなきゃいけないことに、やや疲弊していた。さらにプライベートでもえええしんどい、みたいなことが続き、曇りばかりの春だった。
大衆演劇の公演も、各地で中止されることが増えてきていた。
「来月はここ、公演あるのかなあ」
マスクの下で囁く声があちこちから聞こえたその日。

若い座長さんは、女形で登場した。

彼は、色んな曇りを吹き飛ばすように華やかだった。デコレーションされた金髪の鬘。客席をくるっと振り返る。座長が出てきてもハンチョウを掛けられなくなった客席を、包み込むように見る。大輪の花が開く、まさにその瞬間のような笑顔が咲きこぼれた。

緊張していた自分の体がふーっとほどけた。その拍子に涙まで出た。
なんて艶やかな。
なんて、きらきらした。
海外同様のロックダウンが囁かれ、いつ幕を閉めなきゃいけなくなるかわからない状況だった。でも、その日も舞台は晴れていた。晴らしてくれる人がいた。

「舞台を観ている間だけは、お客さんに嫌なことを忘れてほしい」
役者さんへのインタビューで、この言葉を幾度となく伺ってきた。喜怒哀楽豊かな人もクールな人も、いつもご機嫌な人も淡々とした人もいる。個性豊か、という言葉では追いつかない。考え方や性格は役者さんの数だけあれど。
――今日、足を運んでくれたお客さんを笑わせたい。泣かせたい。
汗や笑顔と一緒に舞台から飛び出してくる、その気持ちはあまりに本当!でしかなくて、身体中に響く。彼らの生命力に飲み込まれながら、これは一体何だろうと思う。
送り出しがなくなったりWeb配信が増えたり、形が変わった分、変わらない本質の熱さにハッとさせられた一年だった。

楽しませる方法も色々だ。
芝居の演出や台詞を凝りに凝ったり。
自粛期間も利用して、新しい芝居を作り上げたり。
舞踊ショーの構成に飽きがこないよう、相舞踊や組舞踊を混ぜたり。
当日の客層を見た上で、みんなが知っていそうな曲で踊ったり。
独自のセンスで衣装や小物を仕立てたり。

エンターテイン・ユー。
笑わせて。
泣かせて。
興奮させて。
記憶に残して。
いや、すぐに忘れたとしても、今は笑って。

剥き出しのその気持ちを客席で、あるいは配信の画面越しに受け取るたび。やっぱりこの世界の魅力を噛みしめる。
できることなら役者さんのほうも、舞台に立っている間は幸福であってほしい。



目の前の一人のため、遠くの誰かのため。
今日も旅芝居の舞台が回っている。

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