劇団花吹雪お芝居『河内十人切り』―他者であるお前―

2017.9.25 夜の部@浅草木馬館

弥五郎(桜京之介座長)の、まっすぐな目。
「兄貴、お前が食え!」
わずかに残った飯を熊太郎(桜春之丞座長)に突き出す。茶碗を抱える細い腕。そこには一粒の打算も保身もない。いっそ義理すらない。
「食うてくれ!」
ただ“お前が好き”だから、食ってくれ――。

無心な思いというのは、どうしてこんなに胸を衝き動かすのだろう。
熊太郎の、うう、うぅ~…っという言葉にならない嗚咽が木馬館に響いていた。


桜春之丞座長

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三代目・桜京之介座長

※定番の演目なのでラストまで書いています。ラストを知りたくないという方はご注意くださいね。

9/25『河内十人切り』という告知は、8月中旬から春之丞さんがブログで出してくれていたのですぐさま予約した(早めのお知らせって本当にありがたや~)。
配役が気になって調べたら、7月の初演では熊太郎が春之丞さんで弥五郎が京之介さんだったという。華やかな春之丞さんが、熊太郎の臆病で不器用な面をどう演じるのだろう…?

序盤、祭りの場に姿を現す熊太郎。地頭・ほぼすっぴんの春之丞さん。
自分の内縁の妻・おぬい(桜彩夜華さん)が松永寅次郎(桜愛之介さん)と密会しているところに出くわし、割って入るも、逆に寅次郎や村の連中にボコボコにされてしまう。

にも関わらず、熊太郎はやり返そうとは考えない。満身創痍の体をどうにか起こして、
「喧嘩する前にまず話し合いで済ませたいんや、松永のおやじさんも証文見せて話をしたらわかってくれるはずや」
と、痛みに眉をしかめながらも穏便に済ませようとする。
弟分の弥五郎は、
「そんなことゴチャゴチャ言っとる場合か、ぶち殺したるわ」
といきり立つけど、当事者である熊太郎は困り顔。
「お前は来たらあかんで。お前が来たらすぐ殺す、殺すばっかり言って、話もできひんやないか…」

熊太郎の癖。頭でぐるぐる先回りして、状況を判断しようとする。しかし彼の思慮がやくざな世界で通用するんだろうか、という悲劇の予感がすでに漂っている。

一方、京之介さん弥五郎は本能的…というか動物的だ。口を開けばすぐ「ぶち殺す」。松永一家からも“気ちがい”と呼ばれて怖がられているくらい。
熊太郎・弥五郎の関係性が滲んでいると思ったのは、連れ立って松永家へ行くときの会話。熊太郎の腕を引いてサッサと行こうとする弥五郎に、熊太郎は呻く。
「いた、痛いて、ちょ、待て」
「なんや、兄貴、骨折れとるのか」
「骨は折れとらんけど」
「せやったら歩けるやんけ」
わりととんでもないこと言われても、熊太郎は立腹したりせず、しんどそうに説明する。
「(溜め息ついて)お前は骨折してなかったら動けるて思うんやろけどな、打撲ちゅうのもあるやん。せやから歩こうとするとな、ズキズキ痛むんや」
思考も肉体もぶっ飛んでいる弥五郎に、熊太郎は常人のことがちゃんとわかるように導いてあげる役割なんだ…。

たしかに全編通して、弥五郎は熊太郎としかまともに会話していない。唯一、京誉さん演じる刑事と短い軽口を叩くくらいだ。本来の『河内十人切り』の重要シーンの一つ、弥五郎が妹に会いに行く場面も丸ごとカット(妹の存在にも言及しない)。
だからよけいに、熊太郎を通してしか外界に関われない“狂犬”としての弥五郎が、浮き上がってくる。

真逆の兄弟分は、けれどピタリと肌が合う。花吹雪版で最も強く印象に残ったのは、二人の一つの息を一緒に吸っているかのような噛み合い方だった。たとえば弥五郎が監獄から出て来て、真っ先に熊太郎の家に来る場面。
熊 「お前、よう出てきたなぁ」
弥 (嬉しそうに) 「元気そうやないか、ケガは治ったんか」
熊 (肩を回しながら)「この通り、バリバリや」
こういう普通の会話のテンポが抜群!

二人のコンビネーションは、終盤、山に追われて死の淵まで追いつめられたとき、“相手に命をやる”という極まった形で現れる。
お前が食え、と茶碗を差し出す弥五郎。
熊太郎は弟分の顔をじっと見つめる。やがて、春之丞さんの頬がくしゃくしゃに歪み、手はご飯粒だらけの口元を押さえる。指の隙間から幼子みたいな泣き声が漏れた。うう~…っと泣く声に続いて、拍手が木馬館に広がっていった。

この世は熊太郎の思慮も言葉も通じない、汚い人間ばかりだった。
妻も義母も裏切った。
けれどこの弟分は、自分を信じきっている狂犬だけは……。

――だからこの後、熊太郎が弥五郎を背後から刺すのは、とても自然なことに見えた。
こいつには俺しかいないから、俺がちゃんと連れて行かなきゃいけない。
そんな風に語り出しそうな穏やかな表情で、熊太郎は血まみれの弥五郎を抱きかかえる。
弥五郎は「ごっつ痛い」と呻きながらも、爽快な笑顔で空を仰ぐ。
「不思議やなあ、わし兄貴にこんな目に遭わされとるのに、お前には何をされても恨む気にならんわ。うん、何をされても、わしは、お前は恨まん!」

弥五郎の血で熊太郎も血まみれ。互いを抱く腕はますます強く、べっとりと、二人の体は一つの赤に染まっていく。まるで二人の人間は、本来一人だったみたいだ。

熊太郎・弥五郎の強い強い密着性。それは、演者である春之丞さん・京之介さんが、幼い頃からずっと生活を共にしているという家族的要素にも繋がっているのだろう。そう考えると、大衆演劇という興行にしか存在しえない表現を体験できたのかもしれない。

『河内十人切り』は血なまぐさいし、現代の感覚でスルッと共感できるストーリーというわけじゃないし、男の怨恨と意地がぎらつく。
けれど優しい顔立ちの両座長の芝居は、体のもっと深いところに響く。

熊太郎が瀕死の弥五郎を抱く。
「ごめんなぁ…」
弥五郎は笑ってその腕を叩く。
「ええねん、ええねん」

他者であるお前が、我が身より愛しい。

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理由を聴かせて―芝居の中の死者の声―

“なぜ”ですか?

《劇団天華『面影の街』9/13》
「憎くて捨てたわけじゃない、生かすために捨てたんだと…」
生き別れの兄弟。兄(澤村千夜座長)は、父親が弟(澤村丞弥さん)を捨てた理由を言葉少なに語る。


澤村千夜座長

《花の三兄弟 筑紫桃太郎一座『男血飛島』10/7》
「友吉、俺はお前に合わせる顔がなかったんだ」
筑紫桃之助座長演じる徳は、恩人である友吉(玄海花道さん)に罵声を浴びせた後で。がっくり膝をつき、ひどい態度をとった理由を話す。
「俺が亀田屋を継いでからというもの、店は傾く一方で、屋根にはぺんぺん草が生えてらぁ。いっそお前に殺してもらいたかったんだ…」

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筑紫桃之助座長

お芝居のこんなシーンに出会うと、胸の奥が何かに抱き留められるようです。
大衆演劇の芝居のパターンの一つ。何か過ちを犯した人が「自分にもわけがある、どうか俺の話も一通り聞いてやっておくんなせえ」と経緯を語り始める。

どの芝居でも主人公はそれを遮ったりしない。困惑を顔に浮かべながらも、ちゃんと最後まで聞いてやる。
「理由を聞く」というのは、なんて魂の深い行為だろうか。
そこには「もしかしたら道を踏み外したのは自分だったかもしれない」という痛みがある。
もちろん、何か理由があったからって罪が無くなるわけじゃない。でも、誰だって好きで間違えたわけではないのだ。

定番のお芝居で言えば、幼なじみ三人のうち一人が悪い親方に拾われて盗人になってしまう『三人出世』も、兄弟分のうち兄が不幸な弾みで人を殺めてしまう『上州土産百両首』もそう。
「これにもわけのあることなんだ――」
“運の悪かった罪人”の姿とその理由は、大衆演劇のお芝居に貫かれる主題の一つであり続けている。

でも現実の世界では、過ちを犯した人がわけを聞いてもらえることなんてまずない。
誰か悪者がいれば、わかりやすく事は済む。
一番不器用な人が、いつも口をつぐむ。

“Don't say I didn't try”(言わないで 私の努力が足りなかったなんて)
私がまだ学生の頃、映画『ロード・オブ・ザ・リング』(指輪物語)三部作が流行った。その中にゴラムという登場人物がいた。指輪の魔力に憑りつかれて異形になった男。映画の挿入歌の一つ『ゴラムの歌』は、当時映画館で聴いてショックを受けた。
“We are lost!”We can never go home”(もうわからない 家には二度と帰れない)
歌手エミリアナ・トリーニの泣き声みたいな歌い方が耳に残る。
今聴いても、怨嗟の声とはこんな声かと思う。過ちを責められ、無理解の中に置かれたまま死んでいく人の。

私たちの日々の中にも、見落とされた死者が大勢いるのでしょう。
「あの人はああいう人だから」「真っ当に生きなかったから…」
誰もが耳をふさいで、彼の言い分を封じ込めて。

「せやから芝居の中の死を見届けられるだけで、留八は不幸やないんですよ」
大衆演劇を通して知り合い、すごくお世話になっている京都の友人は、初めて会った日にそう言った。ふんわりした声で真理にスッと踏み込む人だ。
2年前、初対面の彼女と新世界でケーキを食べたとき。ある九州の劇団で観たばかりだった『留八しぐれ』の話になった。留八は顔に負った火傷のせいで、信じていた人々に手のひら返され、恨みを果たすべく人々を殺めて自分も死んでいく。
「人気のお芝居ですし、私も好きなんですけど、考えたらこの話のどこに救いがあるんでしょうね…?」
と私が疑問を浮かべると、彼女は確信のある口調で言った。
「彼は救われているんですよ。私たち観客が彼の真実を知っていて、最期の瞬間まで観ていることで」
「客席で見届けることで?」
「そう、それだけで彼は独りで死んだわけやないから」
最近になって、このとき言ってもらった意味がようやくわかった気がする。

一つの芝居には、それを演じてきた人々、観てきた人々の思いが何十層にも重なっている。だから『三人出世』の定やんが涙しながら「怪盗定吉と呼ばれ、役人から追われる身になったのにも、わけ事情があることなんだ」とこれまでの事を打ち明けるとき。
舞台に膝をついて語る役者の身体を通して、誰にも聞いてもらえなかった死者たちの告白が、なだれをうって流れ込んでくる。

それは生きている人たちだって一緒。客席でお芝居を観ている一人一人も、一緒。
いつかの京橋羅い舞座で、ずっと泣いていた人がいた。独りで声を抑えて。
あなたもきっと辛かったろう。

《劇団新『三人出世』3/9》
「定やん、江戸に出て来てからいっぱい苦労したんや」
友やん(龍新座長)は定やん(龍錦若座長)の話を聞いて、泣き伏した肩を優しく叩く。
「なぁ島やん、もしかしたらお前もそんな風になってたかもしれんやんか――」

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龍新座長

あなたがそうせざるを得なかったのは、“なぜ”ですか?

旅芝居の底に、誰かの悲しみが聴こえてくる。

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【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十七] 「心配いらんよ。旅芝居は誰でも安らげるものやから…」山根演芸社・山根大社長の思い

この方にいつかお会いして、必ず聞きたいと思っていたこと。
大衆演劇のファン層はどうしたら広がるのでしょう。
大衆演劇はこれからどこに向かうのでしょうか。
そして。
山根さんが大衆演劇に抱いている夢は、なんですか?

満を持して、山根演芸社三代目・山根大社長にSPICEに登場いただきました👏

【SPICE】大衆演劇の入り口から[其之二十七] 「心配いらんよ。旅芝居は誰でも安らげるものやから…」山根演芸社・山根大社長の思い



(本文より)
――大衆演劇のファン層を広げていくには、どんな方法が考えられるでしょうか。

今、プロレスがファン層拡大に成功していますよね。元々は大衆演劇と同様に敷居が高くて、わかってる人間だけが楽しむ所だったけど、新日本プロレスなどの団体が若いファンを吸収し、“プロレス女子”というのがたくさん出てくるほどの状況になっています。

――プロレスはどういった施策をとったのでしょう?

まずね、キャラ立ちです。新日本プロレスは、個々の選手のキャラが、ある意味アニメのキャラクターみたいにわかりやすいんです。だから個々の選手に対して思い入れがしやすい形になってる。実は私の舞台口上は、大衆演劇の役者さんのキャラを言葉で表せる程度にわかりやすくして、お客さんが役者に感情移入しやすくなることを狙っているんです。

――あの名口上にはそんな狙いがあったんですね…!


⇒全編はこちら!(SPICEサイトに飛びます)

超・超・超多忙の中、お時間を下さった山根社長、ありがとうございました!
記事が公開された昨日はいつもの記事以上の反響をいただき、やっぱり“名口上の山根さん”は大衆演劇界の人気者なんだなぁと実感しています。
そして山根社長に縁を繋いで下さった方も、舞台口上のお写真を提供して下さった方も、みんな忙しい中で力を貸して下さった…いつも色んな人にお世話になりっぱなしですm(_ _"m)

山根社長にお話を伺えたらいいな…とはずっと思っていたけど、よし!本当にインタビューを申し込もう!と決意したのは、『カンゲキ』2月号に掲載されていた対談を読んだとき。「大衆演劇が今以上に進化するには何が必要なのか」というトピックで、以下のように発言されていた。
“本当に、人間の情とか、要するに心を伝えることができるか、ということが大切だと思います”
(『KANGEKI』2017年2月号 特別対談「山根演芸社社長 山根大×アトム株式会社会長 脇屋嘉典」)

流行をキャッチするアンテナとか、興行としての戦略とかではなく。人間の情という、ある意味で直球の答えをされていた。
大衆演劇の仲介業をして30年。旅芝居の光も闇も含めて、あらゆる面を見てこられただろう。それはもう想像もつかないほど。
けれど旅芝居への愛情はなお深い――
切れる眼光の中には、どんな世界が見えているのだろう。どうしても話を聞かせていただきたくなった。

(本文より)
調子の悪い日もあるやろうから、バーをつかみ損ねて落ちる日があるかもしれない。でも、心配いらんよ。落ちてもネットがあるから。そのネットが俺たちなんだということなんですよ。

願わくば。同じ夢を、同時代の大衆演劇ファンみんなで見ていけますように。

最後に「立ったポーズでを撮影させてください」とお願いすると、「こんな格好ですみません(笑)」と立ち上がられた姿が、細身のダメージジーンズを履きこなしていて。
たしか以前、梅田呉服座でお見かけしたときもかっこいいジーンズ姿でいらしたなぁ、と思いながらシャッターを切った。
今後もおしゃれな社長のファッションにも注目しています👖

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劇団天華on九条笑楽座 ―ケーキの仕掛け―

(2017年9月)

華やかで、甘くて、口に入れた瞬間に嬉しくなって、でも儚く溶けてしまって、時々ひやりとする隠し味もあったりする。
夏休みに訪れた九条笑楽座で天華さんを観ていると、ぽーっとした頭に浮かんでくるのは「ケーキ」の像だったりした🍰

小屋と劇団の化学反応、という面白さ。それを味わうならやっぱり小さな小屋がいい。九条笑楽座はぴったりだ。整列するベンチ、黒とピンクのチェック模様のクッション。
「幕、安全ピンで止めてるんですねー」
一緒に行った友人に言われて気づいた(笑)
西九条の駅からトンネルをくぐって歩くと、はためく赤い幟が見える。コンパクトな可愛らしい小屋に、少数精鋭になった天華さんが乗っている。



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「憎くて子を捨てたわけじゃねえ、生かすために捨てたんだと…」(9/13『面影の街』)
かけられている内容が生々しい人情劇や、時にはコテコテの股旅物だったりしても。
何か劇団天華には、ふわふわした夢を見ているような感覚があるのだ。6月で神龍副座長・龍太郎さんが卒業されても、集団としての感触は変わらない。

きらきら、にぎやかな舞台。
その幕一枚を隔てた向こうに、本当はずっとシンとしていたかのような寂しさが漂う。

ミニショーが始まって、千夜座長や丞弥さんや悠介さんや、静香さんや志保さんや、今月の助っ人・優木座のお二人が“虚”をまとって現れるとき、笑楽座の横並びの客席がワッと沸く。カメラを向けたり、手拍子したり。すぐ隣のお客さんの様子を見れば、今この瞬間だけは、みんな胸いっぱい幸福に見える。
そのままの至近距離でチョンと音が響き、芝居が始まる。

「まるで道化じゃねぇか…」(9/11『五度目の勝負』丞弥さん演じる政吉)
その中には破れていく人の思いのほろ苦さもあり。

「お杉は死にました。俺が殺しました…」(9/10『首追い道中』千夜さん演じる平太郎)
生きてきたことがひっくり返るような、底なしの穴ものぞいている。

でも全体としての印象は優しくデコレーションされている。ざりざりした手触りの芝居の後には舞踊ショーがあって、そろってお人形さんめいた顔立ちの役者たちが、ベリーみたいな色の口紅で振り返る。

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澤村千夜座長

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花形・澤村丞弥さん

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生徒会長・澤村悠介さん

最後の挨拶で「座長が誰かを呼び忘れる」というコントに毎度毎度笑い転げているメンバーを見ると、後味は軽くなっていく。この軽さがある意味、仕掛けの一つなのだろう。

千夜座長のTwitterを見ていたら、7月の進撃の巨人に続いて刀剣乱舞(!)をやるらしい。時代は二次元か…。その企画力にすごいなと驚く一方で、どこまでも遊びを発展させた延長上みたいに見せているところが、やっぱり面白い劇団さんだなぁと思う。

9月公演も残り10日を切った。西九条のトンネルの向こう、小さな小屋。

この世は浮世でいいじゃないか、という冷静な歌を聴きながら。
物語の土台に甘い夢を流して。
入り口から出口までお楽しみを詰めて、深い味から淡い味まで、色々挟んだそれをいただく。

【劇団天華 今後の公演予定】
9月 九条笑楽座(大阪府)
10月 紀の国ぶらくり劇場(和歌山県)
11月 梅田呉服座(大阪府)


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扉をひらく人 ―劇団あやめ・姫猿之助座長について9年前の思い出―

飛び出してくる。



この間、大阪にいた7/17(月)、九条笑楽座で「姫猿之助祭り」があると知った。猿之助さんの芸風をたっぷり味わってみたくて行くと、小さな小屋はいっぱいに埋まっていた。
「本日お詰めかけのお客様、猿之助祭り、モンキーカーニバルへようこそ!」
アナウンスする女優さんの声も嬉々としている。
そして舞台にドドドと駆けこんでくる主役・猿之助さん。元気ではち切れそうな体。

かつてその体は、浅草木馬館できれいな一回転を見せていた。

もう9年も前、2008年のことだ。旗揚げ前、劇団花車にいらした頃の猿之助さんを、一度だけ観たことがある。
当時の私は、年に1~2回だけ木馬館に行くという超ライト(とも呼べないくらいの)大衆演劇ファンだった。年の一度の恒例行事のように友人を連れて木馬館に行ったら、公演していたのが劇団花車で、たまたま猿之助さんの誕生日公演だった。
当然、その日の主役は猿之助さん。若さと野心に満ちた目が舞台中央で輝いていた。
「猿之助―!」
ファンと思しき女性の興奮した声を引き金にして。
彼は空に飛び上がり、くるりん、と本当に擬態語通りの軽やかさで一回転した。

2011年。『演劇グラフ』で、あのときの役者さんが「劇団あやめ」を旗揚げしたことを知った。豪華絢爛な衣装に身を包んだ猿之助さんが、紙の中からギラギラ見つめていた。

2012年から私は大衆演劇の沼にドハマりし、部屋は毎月の『演劇グラフ』で埋まった。各劇団の公演先案内のページを隅々まで読んでは、各地で行われている一か月公演に思いを馳せていた。
その頃、劇団あやめの公演先の欄には、たびたび『単発公演』と書かれていた。

翌2013年、一枚のDVDの中で偶然猿之助さんの姿を見つけた。その年の9月に開催された大衆演劇ライター・橋本正樹さんの講演会「大衆演劇が熱い 花のなにわの旅芝居」。猿之助さんはゲストとして登場し、講演会の聴衆に舞踊を披露していた。講演会の壇上は、猿之助さんにはずいぶん狭いスペースに見えた。

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とりわけ印象深かったのが【ヨイトマケの唄】。踊りの前に橋本さんによる熱のこもった説明があった。
「大衆演劇にこんな役者がいて、こんな踊りがあるんやと…。オーソドックスではありません、でもすごい踊りやと思います」

“僕を励ましなぐさめた 母ちゃんの唄こそ世界一 母ちゃんの唄こそ世界一”
世界一、と人差し指を立てた両手を天井に突き上げる。振りの一つ一つに!マークが付いているごとく、濃くて大きい。観たことのない感触の踊りだった。

面白い役者さんだなぁ。そのうち観てみたいな。関東の劇場には来ないのかな。情報通のファンの諸先輩方に、猿之助さんて独特ですね!と水を向けると。
「うーん、独特すぎて…彼の世界観を理解できない人も多い」
「受け入れられなければ、仕事としてはなかなかやっていけんやろし」

斬新な感性は、時に世間より高く飛びすぎる。
新しい扉を叩く人は。
傍目にはわからない、扉の重さと戦っているのかもしれなかった。

時は流れ…2016年10月の三和スタジオで、ようやく劇団あやめを観ることができた。ミニショー『義経千本桜』で狐忠信を演じる猿之助さんは、変わらずエネルギー満タンで舞台を駆け回っていた。

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胸に突き刺さる場面を観たのは、2017年7月、九条笑楽座での芝居『地蔵の宇之吉』。
猿之助さん演じる宇之吉は、体中斬られて虫の息。千鳥さん演じる宇之吉の母は、見えない目の向こうに死んでいく息子を感じ取り、言葉をしぼり出す。
「今まで大きく育ってくれて、ありがとうございました…」
母は、そばの地蔵に供えられていた花を宇之吉の手に握らせる。
宇之吉はじっと母が去った方向を凝視している。花を握った手がガクガク震えだし、やがて体全体が揺さぶられるみたいに震えて、花びらがすべて散る。宇之吉は立ち上がり、そばの地蔵の真似をする。片手の指を丸く結んだ地蔵のポーズのまま、がくんと首を垂れて絶命する。

正直、なんで地蔵の真似をするのかはよくわからないのだけど…。理屈が全部吹っ飛ぶくらい、力強い描線に圧倒された。
散る花は散っていく宇之吉の命か、そして石の地蔵は永遠に残るもののシンボルだろうか。この真逆の存在二つがぶつかって“死”を舞台に叩きつける。場面の苛烈さと猿之助さんの演技の大きさがぴったり合っていた。

笑楽座のお客さんはシーンと静まって、宇之吉の死を見届けていた。
「座長、良かったねぇ」
終演後に話しかけてきた隣のおじさんは、九条に住む常連客だという。
「何歳なんだろ…えっ、34?まだそんなもん?それにしちゃ上手いな…」
みんな姫猿之助座長を見ていた。唯一無二の濃さを、大きさを見ていた。

猿之助祭りの群舞『オンリーワンダー』。女優さんたちが踊っている中に座長が飛び込むと、劇場が沸いた。
“悲しみがなんだってんだ 歌ってんだ 歌ってんだずっとずっと”

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芝居してんだ。
踊ってんだ。
舞台に立ってんだ、ずっとずっと。
座長という人々がみんなそうであるように。

“不安だ 変だ 思ったって 辛くったって 誰にもなれない自分がいるんだ”
【ヨイトマケの唄】を踊りながら、見ていた未来はどんなものだったのだろう。客席は、猿之助祭りに来たお客さんでいっぱいだ。

“扉を開くのは君じゃないのか”
かつて木馬館で弧を描いて飛び上がった体が、九条笑楽座の舞台をどっしりと踏みしめていた。

ツイッターにも劇団あやめの情報はよく流れてくる。
それによれば、7月の大入りは51枚に達したらしい。
8月のがんこ座ではフォースも出たという。

きっと扉は、もう開いたのだ。

【劇団あやめ 今後の公演予定】
9月 此花演劇館(大阪府)
10月 三条東映(新潟県)

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